僕の仕事は夢を見ることだ
困るのは想像が途切れないこと
目覚めてもなお夢が続き、何も手につかないことなんだ
スティーブン・スピルバーグ
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アイマスMADを作るにあたって最初になさねばならなかったことは、「MADとは何か」を理解することだった。それは従来の意味での映像作品とは少し違う、ネット独特の表現形態であるようだ。
MADムービーを構成するものは編集と合成である。その作品を構成する映像素材や音声素材は多くが世界にすでにあったものであり、それらを組み合わせ、完成されたものに新たな意味を付与する作業だ。
例えば怪物に追われて逃げる男がいる。フランケンシュタインのような怪物が凄い形相で追いかけてくる。前を走る男は必死の形相。時々後ろを振り返り、歯を食いしばって走り続ける。
この映像にジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」という曲を合成してみよう。運動会でよくかかるあの曲だ。
雰囲気は一転し、男と怪物がゴールテープを目指して疾走する爽やかな情景になってしまう。そしてその落差におかしみがある。
動画を編集できる機材と、幾許かの素材があれば基本的に一人で全て作れてしまう。すべてをゼロから作り上げる映画に比べれば、その敷居は遥かに低いといえるだろう。しかし、その素材は著作権の存在するものがほとんどのため、公のメディアで扱われることはほとんどない。だからこそ、ネットの普及とともにMADムービーは初めて生きる場所を獲得したのだ。厳密には、お目こぼしを受けているだけとも言えるが。
アイマス系MADの数はまだまだ少ない。明確にそれと言えるものは10か20だろうか。ニコニコ動画の黎明期からアイドルマスターの動画は上がっていたが、それは単にプレイの様子や、コンサートの場面を撮影したものが主だった。
世界のどこかで、誰かがふと思う。
この子たちに、あらかじめ用意された楽曲以外を歌わせることは可能か?
最も原点に近いアイマスMADとしては、以下のようなものがある。
・アイドルマスター インド人を右に
ライブ映像に、インドの楽曲「Tunak Tunak Tun」 を合成したものである。この曲自体はニコニコ動画の黎明より以前、ネット上の掲示板に散発的に貼られ続けたもので、その陽気なリズムと、耳慣れぬパンジャーブ語の空耳が広くネットミームとして広がり、ニコニコ動画にあっては空耳歌詞という形でコメントを盛り上げている。
・ハッピーセンセーション
曲はプレイステーション2用ソフト、サルゲッチュ3のもの。その軽快なリズムと甘い歌声が、伊織、雪歩、千早という構成のライブ映像によく合っている。惜しむらくは映像にそのまま歌詞を合成しているため、原曲の歌詞が残っていることか。
これらはほとんど手を加えず、編集もしないサイレントなコンサート映像を用意し、曲だけを別のものに差し替えたというMADだ。もちろん曲とダンスのテンポが合っており、振り付けが調和しておらねばならず、さらに合成によって何かの意味が見出されるようなものでなくてはならない。
こういうと難しそうだが、実際のところアイマスMADの元祖はこのようなものだった。考えてみればこれは必然といえる。芸能は常にシンプルなものから始まり、徐々に体系だった技術となって花開いていく。映画の黎明期は、駅に汽車がすべり込んで来たり、男が鷹と格闘するだけの映像に人々は度肝を抜かれ、賞賛の拍手を送ったのだ。もちろん、それは現在もなお黄金の輝きを放つ偉大な足跡である。
アイドルマスターは元々アーケードゲームであり、その頃から数えればもうじき二年となる息の長いゲームだ。アイドルたちを演じた声優は、ラジオで、またPROJECT iM@Sの名の下に展開されている派生企画の中で、様々な歌を披露している。アイマス系MADの使用曲としてはまずこれが思い浮かぶ。実際、ラジオ「歌姫楽園」の中で使用された曲を使ったMADは既に数多くあるようだ。タイトルだけを述べるなら。
・アイドルマスター 太陽と月 歌姫楽園より
などである。
ニコニコ動画全体でもトップクラスの人気を誇る「やよぴったん」というタイトルの動画もその一つである。本来は「言葉のパズル もじぴったん」というゲームの主題歌「ふたりのもじぴったん」を、アイマスの企画CDの中でカバーした曲だった。
他に使われそうな曲として思い浮かぶのは、過去のアイドルをテーマにしたアニメ作品の曲、あるいはアイマス出演声優が歌った、アイマスとは無関係の曲。この手のMADはまだあまり例がない。狙い目かもしれないなと思う。
アイマス系MADに使用する楽曲は、アイマスの周辺に散在する関連楽曲とのコラボレートを手始めとして、現在は各アイドルのイメージに合致した歌手の歌などが模索されているようだ。その代表格が、あのperfumeの「エレクトロ・ワールド」なのだろう。
あるいはもっと可能性を推し進めるなら、男性ボーカリストの曲、洋楽、あるいはロックやデスメタルに合わせたMADも、いつかは生まれるかもしれない。
僕はというと、とりあえず目下のところはただゲームを進め、ニコニコを眺める毎日だった。MADどころではない忙しさもあった。大学の授業、いくつかの新歓コンパ、生活必需品を買い揃えねばならなかったし、自炊の練習もしなければいけない。読みたい本もあったし聴きたい音楽もあった。忙しさは幸福であり充実だった。ふと息が切れるときにはアイマスMADを見て心を癒した。
・アイドルマスター×ねこにゃんダンス
このタイトルの動画などは映像無編集のMADであるが、猫の衣装を身につけるなど積極的な演出が目を引く。現在のアイマスMADの世界を見るに。ただダンスの切り貼りで曲と合わせただけのMADでは再生数が伸びないようだ。衣装やメンバーに工夫を凝らし、エンターテイメントとしてサービスを尽くした動画のみが重宝される。アイマスMADを楽しむユーザーの眼は急速に肥えていき、そしてP(プロデューサー)と呼ばれるMAD製作者たちの間には、ひそかな競争意識が生まれ始めていた。
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がりがりがりがり
急な音にハッとして目覚める。背骨が痛いしなんだか寝くたびれている。自分の姿勢を確認すると、パソコンの置いてある机に突っ伏したまま寝ていたのだと分かる。もちろん電源は入れっぱなしで、スクリーンセーバーのwindowsマークが旗のようにたなびいている。
がりがりがり
それはマナーモードにしていた携帯電話が、机の上で震える音だった。液晶には見覚えのない番号。
「ふわい……もしもし?」
「なに寝ぼけた声出してるのよ! もう10時回ってるのよ!!」
声が頭蓋骨の中を乱反射して、僕の意識レベルをむりやり引き上げる。
「えっと、く……釘宮さん?」
「そーよ! いいから今すぐ秋葉原に来なさい! 11時までに! ラジオ会館の2階! 一秒でも遅れたらぎゅーーーってするからね!」
通話はいきなり切断される。僕は相手の名前を呼ぶだけで精一杯だった。
また携帯の液晶を見る。
SUN 10:22
そうだった、昨日は居酒屋のバイトが終わった後、家に帰ってずっとニコニコ動画を見てたのだった。
服装も昨日帰った時のままである。
顔と髪を洗って、歯を磨いて、服をすっかり着替えるのに10分と見積もる。駅までタクシーを飛ばして、いいタイミングで電車が来たとしてもギリギリ間に合わないかもしれない。
と、そこで僕は自分の携帯を見つめる。頭上に浮かぶ疑問符。
「番号……教えたっけ?」
※
秋葉原駅の電気街口を降りると、八階建てのラジオ会館が人々を出迎える。その一階を飾るのは、あまりにも鮮やかな黄色地に真紅で描かれたラジオ会館の文字。ここを通過するとき、僕たちは常態の世界より秋葉原という異界に侵入することを実感する。この看板はいわば鳥居のような働きをしていた。誰もこの看板を無視できず、誰もが秋葉原という街を敬い、畏れずにはいられない。
2階、階段のそばに伊織はいた。腕を高い位置で組んでじっと観葉植物を睨んでいる。なぜか色の濃いサングラスをしていた。
「やあ、こんに」「遅い!!」
一喝である。熊でも逃げ出しそうだ。
「何時だと思ってるのよ!」
一分前に時計を確認した時は11:04だった。
「ご、ごめん。でも急にどうしたの?」
そう言うと、伊織はちょっと周囲を気にしながら小声でささやく。
「今日は一人で行動したい気分なのよ、ちょっと付き合って」
?
なんだか矛盾することを言われた。
伊織は僕の手を引き、歩き出す。僕も後をついて行く。
どうやら買物に付き合わせたいようだった。
ラジオ会館内をしばらくうろついてパソコンを物色し、外に出てすぐまた別の電気店へ。伊織はやはりお嬢様なのか、支払いは全てカードである。あの真っ黒なカードは何なのだろう、提示した途端に態度を変える店員が何人もいた。
大型電気店の他にも、秋葉原駅の近くで屋台を広げる怪しげな店も覗いていた。秋葉原はもともと闇市の街だったと聞くが、その一角だけは当時の雰囲気を今に伝えている。屋台にぐるぐると巻きつく、呪いの髪の毛のようなケーブル類。一つ一つビニールに封じられた、パソコン向けの麻薬のようなCPUの小袋。
伊織は僕と一緒に部品を見積もりながら。時折「これ、どう思う?」などと質問してくる。下手なことを言おうものなら冷笑を浴びそうだったので、それがケーブルの時は、
「うん、被覆ビニールの手触りがいいね」とか
それがヒートシンクの時は
「色からして涼しげでいいよね」などと曖昧に答えていた。
すると伊織は。
「へえ……分かってるじゃない?」
などとしきりにうなずいて、また部品の物色に戻る。
こんなのでいいのか?
買うものはといえば、キーボードに外付けHDD、メモリーにマザーボードに液晶モニターにビデオカード、その他、僕には用途が分からないようなチップや金属部品なんかをごちゃごちゃと大量に買っている。買ったものは郵送にしているが、小さなチップ一枚などは僕に持つように指示する。小物の積み重ねとはいえ、夕方が迫る頃にはかなりの重量に達していた。
最後にコンビニに行き、紙袋に4つ分の荷物もまとめて郵送する。それにしても凄い量だ。パソコン5台分ぐらい買ったんじゃないか?
「ずいぶん買ったね」
「そうね、今日の所はこんなものね、やっぱりチップ関係だけは通販じゃダメなのよね。型番指定ができないし、オーバークロッカー向けのチップは触ってみないと信用が置けなくて」
「じゃ、僕はこれでぐえええっ」
背後から襟首を掴むのはやめて欲しい、気管が潰れる可能性は皆無じゃないから。
「何言ってるの、お礼ぐらいするわよ、もう夕方だし食事に行きましょ」
「食事? いいけど、驕ってもらうのはいいよ、女の子に出させるのは恥ずかしい」
「気にすることないじゃない。いいから行きましょ」
僕は肩をすくめて、じゃあ、と指を伸ばす
「あそこで食べてみたいんだけど」