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夕闇がより闇の濃さを増していくに連れて、秋葉原の町並みにぽつぽつと機械の火が生まれる。他の都市の夜景にはない色が混ざり、ド派手な電飾も点灯を始め、独特の妖しげな気配をはらむ。それは夜に至ってようやく起き出す人種にも似て、今までの街は眠っていたに過ぎないのだと思えるような眺めである。
「まったく、ガキねー」
つまらなそうにそう言って、伊織は前菜を口に運んだ。テーブルにはワインが置かれているが、外見がとても幼い伊織がそれを飲むと、そのたびにちょっと「いいのか?」と不安な気持ちになってしまう。
「ホテルの最上階でディナーだなんて、発想がお子様じゃないの」
伊織にお子様と言われても、腹が立つというより何かのジョークにしか思えない。
「いやー、さすがに美味しいね」
「普通よ普通、ワインは明らかに飲み頃を過ぎてるし、オードブルの見てくれはダサいし、素材だって旬がはずれてたり二級品だったり、これならこないだのアキバ焼きの方がずっと美味しいわ」
そんなものだろうか。正直なところまったく未経験な味なので美味いかどうかよく分からない。
まったくの普段着である僕はフロントで一度止められたのだが、伊織が例の黒カードを見せてぼそぼそと耳打ちすると、上から落ちてきたみたいな勢いで支配人がすっ飛んできた。
地上11階の展望レストラン、他にお客はゼロ。まだ夕方の6時だし早すぎるのか、それともまさか貸し切りになっているのだろうか。
「ねえ、一つ聞かせて欲しいんだけど」
「なに?」
なんで僕を誘ったの?
と、聞こうかと思ったが、急に恥ずかしくなって咄嗟に質問を変える。
「色々買ってたけど、何か特別なPCでも組むの?」
それも気になっていたことだった、一つ一つもそれなりに高価なものだったし、何よりあの量は尋常じゃない。どこかの密輸ブローカーなみの買い込みだった。
「もちろんよ」
ふん、と鼻息も荒く、伊織は座ったままで腕を組む。もしかして早くも酔ってないか?
「でも、これは教えるわけにいかないわね。重大な……」
「じゃあいいや」
ぷいと視線を外し、また料理に集中する。
「……え?」
十秒ほどの無音。
「……そ、そんなふうに興味ないフリすれば教えるなんて思ってないでしょうね! ……だ、だめなのよ! 教えられないんだって」
「別にいいよ、いやほんと」
もはや伊織の方を見もしない僕。
「秋葉原の町をさ、両手に荷物持って何時間も歩き回ったってのに、そこで買ったもので何を作るかも教えてくれないなんてね。泣きそうだよ僕」
「だ、だからこうやって食事をおごってるじゃないの、これでお礼よ、チャラなんだからねっ!」
「モノで誤魔化そうってことかあ、ふーん」
「な……そ、そんな風に思ってるわけっ!!」
と、そこで、ふいに顔を上げて両手を合わせ、拝み倒すポーズ。
「ね、お願い、どうしても知りたいんだよ」
「……っ、しょ、しょーがないわねえっ、ま、まあそんなに拝み倒されたら、わ、私だって鬼じゃないことだし」
よし、成功。
伊織の声には明らかな安堵の色があった。呼吸を落ち着けるための伊織の咳払い。
「んふん。そうね、どう説明しようかしら……」
その大きな目は宙を彷徨っている。視線はやがて僕の眉間で止まる。
「こんなSFを読んだことはあるかしら? 『人間はたくさんの機械を発明しましたが、そのうち発明するのも面倒になって、やがて発明をする機械を発明しました』」
「マトリックス?」
「あれは管理するだけのコンピューティングシステムでしょ。せめてロバート・A・ハインラインぐらい言いなさいよ。「月は無慈悲な夜の女王」読んでないの?」
「聞いたことあるな、3年ぐらい前にティム・マイナーが脚本(ほん)を書いてるとかニュースがあったけど、結局お流れになったっぽいな、だから見てない」
「? まあともかく、読んでないのね」
と伊織はまたワインを一口飲む。飲み頃じゃないとか言いつつけっこう飲んでる気がする。
「複数のキーワードから新しいものを『連想』したり、情報を『統合』して新しいキーワードを生むようなプログラムは昔からあるの。ただ、人間のような『ひらめき』と『勘』は不可能だった。それは人間が自分の脳の構造すら理解していなかったせいもあるし、単に物量的な演算能力の向上では、ケーブルとコンデンサがネズミ算式に増えるだけで、とても目的の水準には届かなかったからなのね」
僕はうなずく。頭の中で必死に話を理解する。
「問題はソフトウェアだったのよ。効率的なソートのアルゴリズム。命令文の簡略化、並列処理における適切な役割分担。ちょっと変態じみた連中がいっぱい集まってそれを開発したの、一億行のコードを500行に圧縮するような、アセンブラ単位でコードを縮めていく変態たちよ。その結果、とうとう知性らしきものが生まれたのよ」
「へえ……」
「アドバンシング・メカニカル・インテリジェンス 進化する機械的知性。これは凄いものなの。プログラム列にすればわずか10メガバイトほどの文字列に過ぎないけれど、明確に自己進化し、教えていないことを知っていた。コードネームで『AMI』と呼ばれたそれが、盗まれたの、変態たちは皆殺し」
「は?」
いきなりの急展開だ。
「それで、関連資料とか研究所とかも全部爆弾でドカンといっちゃったんだけど、その研究が断片的ながら流出していたの」
「開発者が誰か生き残ってたの?」
「そうじゃないの。開発段階から少しずつ情報をリークして小銭を稼いでた変態がいたのよ。その人も亡くなったらしいけど、研究成果の一部はネットにも流れた。でも、その当時にはあまりにも複雑で奇っ怪なそのメソッド(方法論)を理解できる人間がいなくて、やがてそれは忘れられちゃったのね」
その当時? 忘れられた?
「あの、それって何年前の話?」
「設計図がネットに流出したのは1982年」
「25年も前じゃないか!」
その当時ネットなんてあったのか?
僕が声を上げると、伊織はなんて愚かなんだという目で僕を見た。この目はちょっとこたえる。
「それが何? ノイマンが天才だったせいもあるけど、プログラムの方法論はこの60年間ほとんど進化してないのよ。だからこそあのメソッドの神秘性に誰も気づけなかった。そこでこの私が登場するわけ」
「つまり……君がそのメソッドを解読して、その、人工知能を作ろうとしているわけ?」
「ん」
伊織は自信たっぷりに頷いた。
「取り組んでみると大変な作業よ。既存の回路じゃそのメソッドの100分の一の性能も引き出せない。仕方ないからC++でそのメソッドを再現するようなプログラムが必要だったの、つまりOSの形に直さないといけなかったのね。完全無欠のプログラムも、数テラの容量が必要な化け物みたいなOSになっちゃった。
これがメタモルフォス・A・M・I、通称『MAMI』。奇跡に擬態するコンピュータよ。言っとくけどね、私が天才だからこそ、ここまでできたんだからね」
僕はもちろん分かってるよ、と言って苦笑する。
「じゃあ、そのOSのような人工知能を乗せるためのパソコンを組むんだね」
「そ、よくできました」
もちろん簡単に信じられる話ではない。だが、何せもう2007年だ。アシモフが「われはロボット」を書いてから57年。それを原典とする20世紀フォックスの「アイ・ロボット」が公開されてから3年だ。僕だっていつかは人工知能が世界を席巻するのではないか、と考えることもある。
それに、冗談で買えるような量のパーツではなかったことも事実だ。
「まっ……、どうせ趣味で作ってるんだけどね、でも助かったわ、今日でだいたい『中身』に必要なものは全部揃いそう」
伊織は席を立った。たぶんトイレだと思ったので何も言わない。僕の横を通り過ぎるとき、伊織はほとんど聞き取れない声で、
「きょ……今日はありがと」
と言った。
どういたしまして。
伊織が席を立つと、この広いレストランフロアに僕一人になった。それにしても本当に閑散としている。そういえば、さっきから次の料理が全然来ない。オードブルの皿はカラになっているのに下げにも来ない。何せ僕はコース料理なんて初めてだったのだから、その時それが意味するところに気づけなかったことを許してほしい。
背後から、僕の両頬に手が添えられた。香水の匂い。あまりにも柔らかい手。
「……」
僕は微動だにできない。視界の両端にはマニキュアを塗った長い指、その指が左右それぞれカミソリの刃をつまんでいる。
「お静かに願います。大声を出しても無駄です。この最上階の11階と直下の10階は完全に人払いが済んでいます」
実に事務的な口調である。カミソリの刃は僕の眼球のすぐ真下にあてがわれる。
「あなた……もしかしてサトウさん?」
「はい、佐藤律子と申します。お嬢様お付きの侍従長でございます」
つまりメイドさんか。メイドさんってこんな殺気をかもすものだっけ……。
「伊織は?」
「不用意にお嬢様を名前で呼ばれない方がよろしいですよ。先ほども随分親しげに会話されていたようですが、長年つき従った侍従として嫉妬を押さえがたいのです」
カミソリの刃が僕の皮膚の表面をそっと滑り、生ぬるい感触が頬から首のほうへ降りていく。出血しているのだろうが、刃が鋭すぎて痛みを感じない。
「お嬢様はお手洗いに立たれる途中で保護させていただきました。ああご心配なく、ここの会計は私どもの方で済ませております」
「食事が終わるまで待ってくれてもいいのに」
「申し訳ございません。我々は可急的速やかなる行動を義務付けられているもので」
「それは伊織がお嬢様だから? それとも伊織の言ってた『MAMI』とかのせいかな」
「そこまで聞いていたのですか」
カミソリの刃が肉に食い込む。さすがに少し痛くなってきた。電気刺激のような痛みがじくじくと意識されてくる。
「ご理解ください。お嬢様は保護されるべき存在なのです。それは高貴なる血筋のためでもありますが、何より伊織様の世に二つとない才能のためです。『MAMI』の完成が近づくに連れて、どうも周囲が騒がしくなっています。我々も警戒しているのですよ、妙なエージェントがうろついているという噂もありますし」
……
「そういえば釘宮さんはなぜ僕の携帯番号を知ってたの? あなたが調べたの?」
「はい、お嬢様と接触した人間は全て調査の対象となります。普段は少し離れたところから見守っているだけなのですが、今日は不覚にも撒かれてしまいました。こんなことならあなたの番号など教えなければ良かった。どうしてもあなたと買物に行きたいというから許可したのに、まさかそれが我々の管理の外でのこととは」
なるほど、『一人で行動したい気分だから付き合って欲しい』というのは、つまりこのサトウさんから離れたかったということか。確かにこの殺気に見張られていたのでは落ち着かないだろう。
伊織はどうも、本当の意味で一人では行動できないようなところがある。それは籠の鳥で育てられたお嬢様だからか、あるいはやはり、自分が特別な立場にいる人間なことを本能的に感じているからだろうか。サトウさんのような人が遠くから見ているか、もしくは誰かと一緒にいないと駄目というわけだ。
「この間パソコンショップで、釘宮さんの上にディスプレイが落ちてきたのを知ってる?」
「はい、存じております。その節はあなたに助けていただいたそうで、大変感謝しております」
「あれは偶然だと思う?」「まさか」
サトウさんの声は微動だにしない。全ての質問をあらかじめ想定済みだと言わんばかりだ。
「だから警戒しているのです。今朝、伊織様を見失ってから今までの、我々の心中をご想像できますか?」
サトウさんの手が僕の尻ポケットに侵入ってくる。そこから取り出されたのは僕の携帯電話、今朝、伊織からの呼び出しを受けた電話。
凄まじい衝撃。
その携帯電話を、刃渡り20センチ以上のアーミーナイフが一撃する。悲鳴を上げてきしむ白木のテーブル。鮮やかに切断される僕の携帯。
「お嬢様には二度と接触されないように」
そして僕の耳元で、ゆっくり10数えてください、と言い置いて、それきり背中から気配が消える。
僕は6まで数えたところで振り向く。もう誰もいない。残っていたのは、世界に僕一人になってしまったような、孤独だけ。
ネタ解説
佐藤律子は広江礼威氏の漫画「BLACK LAGOON」のロベルタのイメージになっています。書いていた当時、アイマスの秋月律子にメイド服を着せ、アニメ版BLACK LAGOONの主題歌、「Red fraction」を踊らせるMADがあったのです。
律子=ロベルタのイメージはその後、散発的に見かけるようになります。