※
山手線に揺られ、家の前にまで帰りついたときは、あたりはすっかり暗くなっていた。
部屋の前で美希に出会う。
「や、こんばんわ、なの」
笑顔で手を振って近づいてくる。至近距離まで来ると、急に驚いて身を引く。
「ど、どうしたの? ほっぺたから血、出てるよ」
出てるかもしれない。一応ハンカチでぬぐったのだが、傷口がきれいに切れすぎているせいか、微量な血液が少しずつ染み出してきている。
「何でもないんだ、気にしないで」
「気になるよー、猫さんに引っかかれた? それともちわげんかのすえのにんじょーざた?」
「まあ、そんなとこだよ」
「ええええっ!」
美希は口元に両手をあてて驚く。
「……けっこうフレッシュマンなんだねえ」
「フレッシュマンの使い方間違ってない……?」
僕は自分の部屋の扉を開ける。朝起きてすぐ伊織に呼ばれたので、部屋の中は散らかったままになっている。
「まあ、ほんとに何でもないんだ。ちょっと手当てもしたいから、またね」
「うん、またね」
美希は階段の方へと去っていく。これから出かけるところだったらしい。コンビニでバイトしてるとか言ってたから、それだろうか。
部屋に戻って、パソコンの電源を入れてから洗面台へ。
顔を洗う。水に混じって流れていく赤い渦。けっこうな量の出血があったらしい。
僕は伊織のことを思う。伊織が最後にありがとうと言ったことを思いだす。
今、どこで、何をしているのだろうか。
もう分からない。おそらくもう会うことは出来ないだろう。できることなら最後に聞きたかった。なぜ今日、僕を誘ってくれたのか。
パソコンの前に戻り、半ば無気力なままニコニコ動画にアクセスする。あまり見る気もなかったのだが、どうも習慣になってしまっている。
アイマスMADの数もずいぶん増えてきている。ブームに誘われるように現役のプログラマーだとか、確かな腕を持つSEなどが続々参入しているとの噂もあるようだ。
また、アイマスMADがランキング上位に来ている。
タイトルは、
アイドルマスター 阿修羅姫(ALI PROJECT)
※
私はまだ映画を分かっていない
黒澤明
※
アイドルマスターがニコニコ動画で広く認知されるにつれ、11人いるアイドルたちにそれぞれ性格付けが行われるようになってきた。それは原作のゲーム内での設定という意味ではなく、ユーザー側がそれぞれの属性のようなものを見出して付与していくキャラ付けである。ハリウッドにおいて、スピルバーグなど数人のギーグ気質のある監督を指して「ジージャンズ」と呼ぶ現象に近い。最初にいい出したのはみうらじゅんだとか。
例えば「エージェント夜を行く」という曲の中で、「溶かしつくして」と歌うべきところが「とかちつくちて」にしか聞こえないため「とかち」との愛称で呼ばれている双海姉妹などもそうだろう。若くて可愛いというのはあらゆる場面において有効だ。その動画のタイトルは。
・アイドルマスター とかちラーメン大盛り ~望みのままに~
という。
他に、いかにも清純そうな正統派の萩原雪歩や、幼くて可愛い高槻やよいなどは元から人気も高く、すぐに認知された。
雪歩のキャラを明確にするようなMADはまだあまり出ていないが、どんな曲やダンスでもソツなくこなす優等生タイプのため、トリオユニットの華として活躍している。
僕のお気に入りは。
・アイドルマスター LovePower(乙女はお姉さまに恋してるOP)
などだ。
また、水瀬伊織の声優は釘宮理恵という、いわゆるツンデレ役ばかりをやっている人らしい。伊織の場合は特にキャラ付けをする必要もなく、ゲーム内の設定のまま攻撃性とお嬢様という認識が固定されている。
他にも如月千早はアーティスト志望のキャラであり、また三浦あずさはゲーム内で最高クラスの歌唱力を発揮していたため、MADにもそれを生かしたものが多い。ちなみに三浦あずさというキャラは短大卒、20歳にしてアイドルを目指すという異色の設定のため、よく年増呼ばわりされているそうだ。
・アイドルマスター 如月千早 オリビアを聴きながら
・アイドルマスター(私がオバサンになっても)
などを聞くと懐かしい気分になれる。
これらアイドルの個性は基本的に原作に準拠しているが、天海春香はちょっと様子が違う。
春香はときどき「黒春香」あるいは「春閣下」などと呼ばれる。黒い魔性をその内に秘め、愚かなる民衆をひれ伏さすカリスマ。支配と篭絡、君臨し統治する存在。そのような設定はゲーム内には微塵もない。
黒春香なる存在が生まれた経緯はこうだ。もともと天海春香はアーケード版の主人公であり、「アイドルのとき以外は普通の女の子」というコンセプトだったため、個性の薄い感があった。カラオケが好きでお菓子作りが好き、少し天然でドジな一面あり、まあ、過不足がなく普通だ。
ビジュアルも黒髪にリボンとごく平凡、そして歌唱力も率直に言ってさほど良いわけではなく、一時は本当に人気がなかったらしい。だが、声優を務める中村繪里子がラジオで放つ毒舌や爆弾発言のため「黒姫」などとあだ名されていたことを受けて、春香にも黒い一面があるという設定が持ち上がる。他にも無個性と虐げられていた春香が復讐に目覚めたために生まれた、とする説もあり判然としない。おそらくは複数の要素があったのだろう。
アイドルの世界で生き抜くために、生まれるべくして生まれたのだ。
僕の見たランク入りの動画のタイトルは以下のものである。
・THE IDOLM@STER アイドルマスター 超ポジティブ!守銭奴ver.
この黒春香についてはニコニコ動画開始以前、「THE iDOLM@STER」がアーケードのみだった時代からあるらしい。それは動画となることによってアイマスMADファンに広く認知され、大きく発展することとなる。
※
僕の話をしよう。
高校三年の夏。僕はどこにでもいるような、ごくありふれた映画少年だった。
僕はあらゆる意味で映画が好きだった。映画のために生まれてきたと本気で思っていた。僕のいた高校には映研など無かったが、そんなことは問題ではなかった。有志を集め、機材を少しずつ揃え、脚本を何本も書いた。
最初は数分間のショート・ショート「迷子の兎」
第二作は特撮技術を用いた心理的ホラー「格納庫天国」
そして三作目が37分の大作「春の雪」だった。
主演を勤めるのは同じ学年の女子、落合雪歩。どうでもいいがアイドルマスターの萩原雪歩に少し似ていた。肌の色が感動的なほど白く、ちょっと気が弱そうで引っ込み思案なところがあったが、その演技には確かな存在感があった。
映画の中で季節は春、まもなく桜が咲かんとする季節。もちろん特技など使えない学生映画のこと、ロケの期間と作中の季節は密接にリンクしている。
物語では病に冒された少女、雪歩が、入院先で同じ病を抱えた男と出会う。二人の病気はシリアス&ヘビー。生きるか死ぬか五分五分の難病だった。男が自分の病に絶望しきっていることを感じた雪歩は、必死に励まし、勇気づける、おおまかなストーリーはそんなところだ。
ちなみに「男」を演じたのは僕ではなくて一年生の後輩。精神的に幼いイメージを出したかった。
その映画のクライマックス・シーン。真夜中に男がひそかに病院を抜け出して、川原の桜を見に行く。桜の根元で咳を繰り返しながら座り込む男のところへ雪歩が現れる。男は自分よりも症状の軽い雪歩に対して罵声を浴びせ、病院へ帰ることを拒否する。
ここで雪歩に要求された演技は「母性」だった。大きな母性で何もかもを包み込むような赦し。死を恐れて泣き喚き、死を憎んで憤怒することへの癒し。雪歩はよくそれを表現していた。雪歩が全身全霊をこめて演技していることが、傍で見ている僕にも伝わってきた。
そして編集。昔ながらの8ミリでの撮影だったため、編集は僕しか出来なかった。必然的に編集の全権が僕に委ねられることになる。
ここで、僕はこのフィルムに手を加えたくなった。母性と優しさ、それだけでは足りない気がした。
僕がこのフィルムに加えたのは「怒り」
緊張感のあるカットの連続。時間が飛んだかのような急激なカットの移動。足元と川の音だけを映す印象的なカット。雪歩の声を強調させ、背景音は無音からわずかにダークな音楽に変更。雪歩が男の頬を叩くシーンを強調、別カットから撮影した二つのカットを連続的につなぎ、さらに音量を上げる。それは悲しいためではなく、病から逃げようとする男への明白な怒り。
映画の中の雪歩は、もちろん病に怯えていた。死ぬのが怖かった。それでも毎日胸を張って、懸命に戦っていたのだ。男への怒りは、その聖母のような雪歩が見せた人間性の片鱗、それすらも包み込んでさらに世の無情さを受け入れる強さ、総じてその内面的な強さを表現するものになった。
そして試写会。
なんだかんだで、製作に関わった人間は8人にまで増えていた。
脚本とは異なる雰囲気となったクライマックスの演出に、最初は仲間達も戸惑っていたようだ。だが最後まで見終えたとき、皆やはりこれで良い、このほうが良いのだという感想を持ってもらえたようだ。
雪歩はというと、特に何か明確なコメントはせず。静かに座ったまま、やっと完成しましたね、とだけ言ってにっこりと笑った。雪歩はいつも物静かで、賛辞であれ批判であれ、あまり何かに対して声高にコメントするような人間ではなかった。春の日差しのように穏やかな女性だったのだ。
この映画は県内のコンペディションに応募することとなり、見事に三位入賞となった。セミプロも参加する大規模なコンペディションだったから、とても名誉なことだった。それが高三の夏、夏休み目前のこと。
そしてコンペディションの翌日、
雪歩は僕たちのサークルから抜けた。
大学入試で忙しくなるからというのがその理由だった。実際、進学校だったうちの高校ではそろそろ勉強漬けの毎日を始めなければならなかったのだが、それにしても唐突だった。
僕は精一杯引きとめた。急すぎる、君には才能がある、まだ撮ってみたい脚本もある。勉強の邪魔にならない程度で良いから……。
雪歩は短く一言、呟いた。
その一言がどんな言葉だったのか、ここには書きたくない。
僕はその一言に強い衝撃を受け、言葉を見失い。一礼して部屋を出て行く雪歩に何も言えなかった。わきの下にじっとりと汗をかいていた。
雪歩にとって、あの映画に出てくる自分は自分ではなかった。自分の演じようとしている存在ではなかった。よく似た他人。自分の知らない自分。
それはつまり、僕の編集が受け入れられなかったということだ。死を恐れる男への怒りを、内面的な強さを表現したあの編集は、雪歩のイメージとは違っていたのだろう。そして、思うまま表現したいものを演じられると思っていた映画の世界で、編集一つでそれに違う意味が付与されるという現実を受け入れられなかったのだ。
この雪歩の意見に対して、いくつか反論が思いつかなくもない。
映画において、最終的にどんな映像を生み出すかは俳優の演技だけが決める問題ではない。脚本家が、編集担当が、音楽担当が、衣装担当が、それぞれの感性を盛り込んで一皿の料理を作る。それが映画だと思う。
それに、不満があるなら試写会の時に言ってくれれば直しようもあった。あの時点ではまだ切り離したフィルムも全部保存してあったのだ。おそらくは、雪歩自身もあの編集で正しかったと思っているのだろう。だからこそ、悩んだのだろうけど。
雪歩は僕の前から去り、僕もそれ以降結局何も撮ることはなく、ただ流されるままに受験のことだけを考えるようになった。
それが僕の、愚かしく救いようのない、空の星のように遠く遠く輝く。
青春の記憶――。
※
書いた当時は動画タイトルの下にリンクが有りましたが、現在では消えている動画も多く、またハーメルンに投稿する上では相応しくないと判断したため削りました。