なんでも言うことを聞いてくれる椿ちゃん 作:フィリップ・モリス
客席に目を痛めるほどのライトが降り注ぐ。耳鳴りがしそうなくらい喧しい音楽。それをかき消してしまいそうな程の歓声。今まさに狂騒を描き出している五人は、ステージの上で猛り狂っていた。
それでも、他の四人には目もくれず、美竹椿の視線はボーカルにだけ注がれている。そこで歌っているのは双子の姉、美竹蘭。
全身をねじり、絞り出すように絶唱するその姿は、ふだん家族や友人の前には決して晒すことのない姿だ。
彼女たちAfterglowの人気は、今やとどまることを知らない。
この世の誰よりも誰よりも近いはずなのに、いつの間にやら遠くへ行ってしまった姉。そんな姉の姿を見ながら、椿は独り言ちた。
「やだ、私の姉さんカッコよすぎ……なんで姉妹って結婚できないんだろ……」
なんか、もう色々と駄目だった。
♦
(主に椿の)狂乱から一夜明け、ライブハウス『CiRCLE』。Afterglowの五人は、まだライブの翌日だというのに、もう次のライブに向けて練習に取り掛かっていた。
原因となったのは、蘭が感じたRoseliaとの圧倒的とも言えるその差。以前から他のバンドとは一線を画した実力を持っていたRoseliaだが、今回のライブでは更なる飛躍を見せた。Afterglowは、間違いなくRoseliaに劣っていた。
完全に負けている。精神面でも、技量面でも。このままでは置いて行かれる一方だ。まだ先へ行かないと。もっと技術を磨かないと。
焦りが蘭を突き動かした。
そんな蘭の焦燥が伝わったのか、五人の練習場所であるスタジオにもいつにない緊張の糸が張り詰めていた。全員、目が真剣そのもので、いつもなら軽口を叩いているモカでさえ真面目くさって練習に励んでいたくらいなのだ。
彼女たちの張り詰めた空気は昼の休憩に入っても緩むことは無かった。誰も無駄口を叩かず、スタジオ内は威圧的な静寂に包まれている。
蘭は昼食も食べずに黙々と譜面の確認を行っていた。普段ならば食事ぐらいとるようにと促す四人も、この時ばかりは押し黙る他なかった。重苦しい、コールタールのような空気が、五人の身体に流れ込んでいた。
「こんちはーーーーー!!!!! 姉さん居ますかーーーーー!!!!!」
そんな空気が一気に弾け飛んだ。
スタジオのドアが勢い良く開かれ、大声が飛んでくる。当然、こんな奇声の主は美竹椿だった。
椿は部屋内に蘭の姿を認めると、呆気に取られて口をパクパクさせている四人を尻目に蘭の方へ向かっていく。蘭はと言えば、最初の方こそ四人と同じような反応だったものの、少し経った頃には苛立ちを隠そうともしない顔つきになっていた。
「あ、いたいた! もー、いくらバンドに熱心だからってライブの次の日くらい休みなよう! 愛しい妹とデートくらいしちゃいなよう!」
「はあ? 何言ってんのアンタ。ていうか何の用? あたし達が忙しいの見て分かるでしょ? 邪魔しに来ただけなら帰って」
「あーん辛辣! でもそんな姉さんも好き! ……えーと、それでなんだったっけ。ああそうそう、姉さん弁当置いてってたよん。お母さんが作っててくれたの忘れてたでしょ?」
そう言って椿がバッグの中から取り出したのは、可愛らしい袋に包まれた弁当箱だった。ご丁寧に手拭き用の使い捨てシートまで入っている。
「……それならそうと言えばいいでしょ。あんな大声出さなくたって」
「いやー。ここまで走ってきたからそのテンションのまま、ね? ああでも大丈夫! 弁当は揺らさないようにして来たから!」
「……で? もう用はないの? だったら帰って。あんたが居ても邪魔にしかならないの」
蘭にしては珍しく、本気で怒気をあらわにしながら言い放つ。それもそのはず、彼女にとって妹の闖入は練習の邪魔以外の何物でもなかった。
Roseliaに追いつき、追い越す。その為には一分一秒だって無駄にはしていられない。蘭はそう考えていた。
だというのに椿は先程から場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回し、オマケに貴重な時間を奪ってゆく。邪魔だ、失せろ、というのが蘭の包み隠さない本心だった。
そして、それが理解できないほど椿はバカでは無かった。
「分かった、もう帰る。……けどその前に、一つだけ言わせて?」
さっきまでのおちゃらけた態度とはうってかわって、真剣そうな顔になる椿。その様子を見て、蘭も少しだけ緊張した。
椿は言いづらそうにしていたが、蘭の『さっさとしろ』という圧の篭もった視線を受けて、とうとう口を開いた。
「その服、衣装とはいええっち過ぎじゃないかなって……。変な男に言い寄られたりしてない?」
「帰れこのアホ椿!」
椿は半ば強引に叩き出された。最後に一言くらい何か言っておこうかと振り向いてみれば、既にスタジオに続く扉には鍵がかかっていた。こうなってしまっては何もできることは無い。椿は言い付け通り、きちんと家に帰ることにしたのだった。
椿は人の本心が理解できないほどバカでは無かった。ただし、空気を読むだけの能も無かった。それだけの話だった。
♦
「あ、椿ちゃん。お弁当きちんと渡せた?」
「はい、何とか。これで姉さんもひもじい思いをしなくて済みますね」
CiRCLEの利用受付カウンターで、椿は談笑していた。相手は従業員の月島まりな。椿にAfterglowが使用しているスタジオの番号を教えた張本人である。
まりなはそんな椿の言葉を聞くと、不思議そうに首を傾げた。
「そういえば、椿ちゃんってAfterglowの練習見て帰ったことないよね。見学していかないの? そのくらいなら私も融通利かせるよ?」
そんな問いかけに、椿は苦笑しながら答える。
「いやあ、どうにも姉さんに疎ましく思われてるみたいで。練習の見学を許可されたことがないんですよ」
「え、そうなの? なんか意外かも。二人ってもっと仲良いのかと思ってたのに」
「ほら、私こんな感じでふざけてるじゃないですか。いや姉さんへの愛は本物なんですけど傍からはそう見えるという話で。それで姉さんが生真面目なもんだから、たぶん私を見てるのもヤなんでしょうね」
そう言って、儚げに笑って見せる椿。これにはまりなも少し同情を覚えた。
椿の蘭に対する愛情の深さは、AfterglowがCiRCLEを利用し始めた頃からまりなもよく知っていた。
まりなだけではない。このライブハウスにおいて、彼女の奇行は半ば周知の事実となっていたのだ。
椿はいつも冷たくあしらわれていたが、それでもまったく平気そうな顔をしていた。だからまりな含むCiRCLEの関係者は皆、椿のことを相当に強い精神をした少女だと思っていた。
けれどここにきて、まりなの中でその考えは塗り替えられつつあった。
(そうだよね……いくら椿ちゃんが蘭ちゃんのこと大好きだっていっても、こう何度もキツく当たられたら流石に落ち込んじゃうよね……)
まりなは慰めの言葉を掛けようとして、
「まあそんなツンツンしてる姉さんも性癖どストライクなんですけどね! 最後は完全にデレきってあんなことやこんなこと……うわやっべ鼻血出てきた! まりなさん、ここティッシュありません?」
すぐに引っ込めた。ああ
心配して損した、と内心呆れかえりつつ、まりなは両手でなんとか鼻を抑える椿にポケットティッシュを渡す。
(よく考えてみれば、この娘は今まで十数年間ずっとこういう扱われ方をしてきたのよね。それがたった一度や二度の冷たい対応で落ち込む訳がないか……)
溜息を吐くまりなを不思議そうに見つめる、両鼻にティッシュを詰めた椿。姉に似てよく整った顔立ちが台無しである。
「あ、まりなさん。一つ伝言を頼まれてくれませんか?」
「別に良いけど、自分で言わないの?」
「姉さんにはさっさと帰れって言われちゃって……本当ならさっき言うつもりだったんですけど、追い出されちゃったもので」
たははと笑いながら照れ隠しに頬をかく。追い出された理由が姉への愛が暴走したからというのは、いくら椿といえど流石に恥ずかしかったのだ。
まあまりなはある程度察していたのだが。
「うん、分かった。それで、何を伝えればいいの?」
「今日のご飯は私が作るから、外食はしないでもらえると嬉しいなって」
「え、椿ちゃんって料理できるの? 何か意外だね……」
まりなは驚いたような声を上げた。まさか蘭のために料理まで覚えているとは思わなかったらしい。
そんなまりなの様子を見た椿は、ふふん、と胸を張った。
椿は蘭に相応しい人間になるための第一歩として家事全般を極めようとしていた。その第一弾が料理だったのだ。まずは胃袋を掴んでしまえ、という訳だ。
「毎日姉さんの味噌汁を作って、毎日姉さんの洗濯物を洗って、姉さんが安心して趣味に打ち込めるように大金を稼いでくることが私の夢ですから!」
「……椿ちゃんって良妻型よね、ホント。それともダメ男製造機? どっちにしろ、これで普段の態度がもう少しマトモなら完璧なのに……」
「あはは、それは無理な相談ですよ。私が姉さんの魅力に充てられて正気でいられると思いますか?」
「正気じゃないって自覚はあるのね……ますますタチが悪いじゃない……」
椿の言動に頭痛がしてきたのか、こめかみの辺りを抑えるまりな。実際、椿の献身ぶりは常軌を逸していると言っても過言ではなかった。
以前、蘭は椿にお金を借りようとしたことがある。欲しい機材にどうしても手が届かなかった時だ。『絶対に返すから少しだけお金を貸してほしい』。そんな蘭のお願いを聞いた椿は、机の上に置いてあった筒状の貯金箱を蘭にポイと渡した。『返さなくていいし、なんならもっと毟りとっていってくれても私は全然構わないよ!』という不穏な言葉と共に。
貯金箱を受け取った蘭は、その軽さを不思議がりながらも、部屋で開けてみることにした。蓋を外し、箱を逆さまにして、出てきたのは大量の万札だった。その箱は、椿がバイト代をコツコツと貯めていた貯金箱だったのだ。
その時の合計金額を、蘭は正確には覚えていない。ただ六桁を軽くオーバーし、安い車なら数台買えるような金額だったことだけはよく覚えていた。
もちろん蘭は自分に必要な分だけ使い、椿から借りた全額を返還した。
そんなことがあったぐらい椿は蘭のために尽くしていた。もちろんまりなはその事を知りはしないが。
「ていうか椿ちゃん、私に伝言頼まなくても携帯で送れば良いじゃない。流石に連絡先くらいは知ってるでしょ?」
「そりゃ知ってますけど。でも姉さん、なかなか携帯見ない人じゃないですか。だから上手く伝わらないことがあって困るんですよ」
蘭はなかなか携帯を見ない。それは幼馴染のひまりも言っていることだった。最近では既読だけは付けるものの、返事をしないことが多くなっているとも。
まあどちらにしろ、確実に伝えたいのならまりなに言伝を頼むのが一番だったと、つまりはそういう訳だった。
「なるほどねー。そういうことなら仕方ない、私が責任を持って伝えておきましょう!」
「ありがとうございます、まりなさん。それじゃあお邪魔しました」
任せといて、とサムズアップするまりな。そんなまりなに、椿は感謝を述べる。
そうして彼女は、今度こそ本当に帰路に就いた。
♦
椿がCiRCLEを後にしてから数時間後、Afterglowはこの日の練習を終えた。
「まりなさん、終わりました」
CiRCLEの利用受付カウンター。そこに、蘭はスタジオ利用を終えた旨を報告しに来ていた。
カウンターに居るのはまりな一人。最近入った新人スタッフは、現在倉庫の整理中だ。
「お疲れ様! 昨日ライブしたばっかりなのに気合入ってるね!」
「いえ、そんな……あたし達はまだまだだって、思い知らされましたから」
「頑張るのは良いけど、あんまり根を詰め過ぎないようにね。椿ちゃんも心配しちゃうよ?」
「……ええ、気を付けます」
椿の名が出た途端、苛立ったような顔付きになる蘭。しまった、とまりなは思った。これではこの後の伝言が伝えづらい。
(うう、蘭ちゃんちょっと怒ってる……。美人さんが怒ると怖いってよく聞くけど、それを高校生で実感するとは思わなかったよー……)
しかしここで蘭の不機嫌について言及するのは悪手だ。そう踏んだまりなは、なるべく平静を装って次の言葉を紡いでいく。
「そ、そうそう! その椿ちゃんから言伝を頼まれてるんだよ!」
「あいつ、なんて言ってました?」
「『今日のご飯は私が作るから、外食はしないでもらえると嬉しい』だって」
「……はあ、そうですか。わざわざどうもすみませんでした」
「いやいや! ちょっとの手間にもならないくらいだし、気にしなくて良いよ」
伝言の内容を聞いた蘭はさらに不機嫌になった。蘭からすれば、昼間さんざ練習を引っ掻き回してくれた上に自分の飯を食えと言われているのだから、不機嫌になるのも致し方なかった。
まりなもまた焦った。どうしてここまで妹を毛嫌いするのかは分からないけれど、何だかこのまま蘭を帰すのは非常にまずい気がした。
何か、何か言わないと。少しでも椿の好感度を上げておかないとまずい。
「そ、それで、練習の成果はどうだった? 朝早くからずっと居たけど、何か得られるものはあったかな?」
「どうしたんですか急に……まあ、少しはありましたよ」
かなり不本意ですけどね、と口を尖らせる蘭。それもそのはず、蘭が言う『少し』は椿の奇行によるものだったのだ。
椿が去った後、五人はすっかり毒気を抜かれてしまった。ピリピリとした刺すような雰囲気は緩み、五人の体に沈殿していた重苦しい空気もいくらか和らいだ。
そのおかげかどうかは定かではないが、午後の練習は午前のそれに比べて見るからに捗っていた。椿の乱入は、蘭たちの思わぬ形で良い方向に転がっていた。
蘭が椿に対し、本気で怒っていないのにはそういう事情があった。たとえたまたま昼休憩中に入ってきたというだけのことでも、自分たちのパフォーマンス向上に一役買ったのは事実。もしあのままヤケになって練習を続けていれば、誰かのフラストレーションが爆発していたかもしれない。
そうはならないと、自分たちなら平静を保ったまま練習ができるとは言いきれないからこそ、蘭は本気で叱れないでいたのだった。
「そっかそっか。……それってもしかして、椿ちゃんが理由だったりする?」
「……まあそうですけど。だからって、走って来た勢いのまま大声で叫んだのはどうかと思いますけどね。もしあれが昼の休憩時間じゃなかったらブチ切れてたかもしれません」
そうやって蘭が昼の様子を思い出しながら語ると、まりなは、ん?と首を傾げた。
「椿ちゃんなら、蘭ちゃんたちの所に行く前に一回こっちに戻ってきたよ?」
「……え?」
「『まだ演奏中だったから、ここでちょっと待たせてもらいます』って言ってさ。五分くらいしてからかな、次にスタジオに向かったのは。多分その時にお弁当を渡したんだと思うけど……」
まりなの言った通り椿は今日、一度スタジオに入るのを自粛した。蘭たちが休憩に入っていないのを見て、邪魔をするのは申し訳ないと思ったからだ。
大声を出しながら入室してきたのは二回目の時だった。この時も、Afterglowが演奏中でなく、休憩をとっていることを確認してからスタジオ入りしたのだった。
しかもその闖入は、結果的に事態の好転を招いた。焦燥感に押し潰されそうになっている蘭の焦りを取り除くという意味では、そこそこ大きな影響だった。
蘭はこれを偶然の産物だと考えた。だがもしこのおかしな振る舞いが、意図を持って行われたのだとしたら。
「まさかあいつ、こうなることを見越して怒鳴りこんで来たんじゃ……」
「……そんな馬鹿なって言おうと思ったけど、蘭ちゃんのことが絡んだ椿ちゃんならやりかねないね」
そう言うまりなは、本日何度目かも分からない呆れ顔をしていた。先程までの、どうにか椿の評価を上げなくては、という使命感ももはや吹き飛んでしまった。
椿はどれだけ、人を驚かせれば気が済むのだろうか。
「……取り敢えず、もう帰ります。みんなを待たせてあるので。今日は妹ともどもご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
「ううん、気にしないで。蘭ちゃんは大事なお客さんだからね。もちろん、そうじゃなくても大歓迎だよ?」
「ありがとうございました。それじゃあ、また」
まりなにスタジオの鍵を手渡し、出口の方へと歩いていく。蘭は去り際にもう一度まりなの方を向いてぺこりと一礼した。まりなにひらひらと手を振られながら、蘭もCiRCLEを後にしたのだった。
♦
「ただいま」
「ああ姉さん、お帰りなさい!」
蘭が帰宅すると、エプロン姿の椿がキッチンからリビングを通って出てくる。あまり見慣れないその出で立ちが、蘭には少し新鮮に見えた。
玄関には美味しそうな香りが漂っていた。焼けて調理された肉の匂いは、練習で疲れきった蘭の空腹感を刺激する。
これを椿がやったのかと、蘭はまだ料理を見てすらいないのに軽く感嘆した。
「もう晩御飯できる所だったからちょうど良かったよー。ほらほら、さっさと着替えちゃって! なんなら私がその服をひん剥いて……ぐへへ」
後に続く言葉で台無しになってしまったが。
「はあ、人が珍しく褒めてやろうかと思ったのにすーぐこれなんだから……」
「ん、姉さんいま何か言った?」
「あんたはいっつも馬鹿だって、そう言ったの」
「ひどぉい! 私はこんなにも姉さんのことを想ってるのに!」
自分の身を抱き寄せ、大袈裟に驚いてみせる椿。よよよ、と嘘泣きまでしている。
蘭は隠そうともせず溜息を吐いた。昼の行いを叱り飛ばす気も、もうとっくに失せた。
「……ねえ椿」
キッチンへ戻ろうとする椿の背中に、蘭は問いを投げかけた。
「なあに、姉さん?」
「昼のってさ、わざと?」
椿は薄く微笑んで、
「さあ? なんのことだか全然わかんないや」
それが嘘だということくらい蘭にもすぐに理解できた。
いつもは言わなくていいことまで言うくせして、肝心な時にはすっとぼける。それが美竹椿という少女なのだと、蘭はしっかり分かっていたから。
「……そ。じゃああたしの勘違いってことか」
「そうそう、勘違い勘違い。もしかして姉さんボケてきたんじゃなーい? でも大丈夫、私がきっちり介護してあげるから! これで老後も安泰だよ!」
「調子に乗らない」
ずびし、とチョップを食らわせる蘭。椿はあいて、と首を竦めた。
「ほら、ご飯できてるんでしょ? お腹空いてるから早く食べよ」
「元はと言えば姉さんが引き止めたんでしょ! 理不尽だ! DVだ! でも好きだから結婚して!」
「ハイハイ分かったから早く早く」
蘭に追っ立てられる形になった椿は、不満そうにしながらキッチンへと向かう。玄関には蘭だけが残された。
辺りが静寂に覆われる。そこに自分しか居ないことを確認すると、蘭は小さく呟いた。
「……ありがとね、椿。それと、心配かけてごめん」
「むふふ。どーいたしまして、姉さん」
「んなぁっ!?」
まるで予期していなかった返答に、蘭は飛び上がりそうになるくらい驚いた。玄関から入ってすぐ、リビングに繋がるドアから椿が顔を出していたのだ。
「あ、あんたなんでまだ居るの!?」
「いやー、姉さんのギターを部屋まで運ぼうと思って戻ってきたんだけど……これはもしかしてデレ期到来!?」
ひゃっほい!とはしゃぐ椿。ここに来て、椿のテンションが今日一番に達していた。
対する蘭は顔を真っ赤に染め、何と弁解したものやら必死に思考を巡らせていた。
「ああ〜、普段のツンツンした姉さんもカッコイイしクールだから大好きだけど、こうデレると破壊力バツグンだね!」
「何も言ってない! あたしは何も言ってないからぁ!」
「照れんな照れんなー! ああんもう可愛いなホントに!」
けれど出てくる言葉はそんな照れ隠しばかりで。結局、椿は上機嫌なまま、蘭は恥ずかしがったまま夕食と相成ったのだった。