兄というのは苦労するが、やり甲斐はある   作:P&D

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お久しぶりです。執筆の量が思ったより多くなったので遅くなりました。




P.S タイトルもRE化しました。


-3話- 何事も少しずつ(RE)

 

 

 

 

 

 

 ニ十分ほど経った後、部屋にチノが入ってきてリゼが落ち着いたから制服に着替えて店内に来てほしいとの事だったので、俺はせっせと制服に着替え店内に戻ると制服に着替えたココアたちが待っていてくれていた。ココアもリゼもチノと同じ制服でココアは薄ピンクに黒ロングスカート、リゼは紫色に黒ロングスカートで色違いの服装だ。こうして三人が並ぶと色鮮やかで明るい雰囲気の喫茶店という印象を受ける。

 

 色って大事なんだな。そう思うと黒と白のみのバーテンダーの制服を着てる俺は少し場違い感を感じるのは気のせいか?喫茶店とバーだもんな。多かれ少なかれちょっと俺浮いてるよな。お客さんが見たら”なんで一人だけバーテンダー?”って思われないかな?もし聞かれたら男性用の制服って言っておけば大丈夫だろう。嘘ではないし。

 

「おぉぉ!お兄ちゃんかっこいい!」

 

「そ、そうか?」

 

「うん!学校の制服もいいけど、この制服もすごくいい!」

 

 俺の服装を見たココアは珍しいものを見るような目で褒めてきた。なんだが少し恥ずかしい。中学校と転校前の高校の制服はブレザーだったから、こういう慣れない格好は似合ってないのではないかと思ったが、チノも『似合ってますよ』と言ってくれてどうやら好評のようだ。正直自分の目には見慣れない格好に映っているが、時間が経てばそれも無くなるだろう。ココアたちが似合ってると言っているんだ。間違いない。

 

 ………さて、褒められて嬉しい気分になったところだが、その気持ちを一気に削ぎ落されそうな視線を約一名から気圧されそうなほど感じる。恐る恐るそっちを向くと腕を組みながらジッと俺を睨んでいるリゼがいた。なんだかムッとしているがそれと同時に申し訳ないような表情もしていた。比率にすると3:7といったところだろうか。態度から察するにこちらから話しかけるまでは絶対に口を開けないといった様子だ。原因は間違いなく更衣室でのことだろう。

 

「リゼ………その、さっきはごめん。理由があったとはいえ嫌な気分にさせてしまったと思う。これからはちゃんとノックをするようにするよ。本当にごめんなさい。」

 

 俺は腰から90度直角に曲がるくらいにまで頭を下げた。

 考えてみれば怒るのは当然だ。いくらココアのことが心配で更衣室に入ったとはいえリゼの下着姿を見てしまったんだ。本人からすれば見ず知らずの男の人が突然部屋に入ってきて自分の下着姿を見られてしまったんだ。いい思いはしない、不愉快な思いをするはずだ。こんなことで許してくれるかはわからないが、謝りもせず何の反省もしないのは嫌だ。

 

「………。」

 

「ほら、リゼちゃん。」

 

 何も言葉を発さないリゼだったが、それを見ていたココアが何かを促すように名前を呼び、それにリゼは『わかってる』と返事をして俺の前に立った。

 

「その………私の方こそ悪かったよ。思いっきり蹴ってしまって。当たり所が悪かったら病院行きになってたかもしれなかったし。………ごめん。」

 

 ………鳩尾って結構急所だと思うんだけど。俺の体が丈夫だっただけ?それとも今回のはたまたま運が良かっただけ?見た感じリゼってミリタリー系の物が好きみたいだし、体術とか軍人に関することを心得ていそうだし、蹴られるだけじゃ済まなかったかもしれない。そう思うと今回は運が良かっただけかもしれない。俺は別に体を鍛えてるわけでもないし。そうだ。運が良かっただけだ。これからは本当に気を付けよう。なんかぞわっとしたし。

 

「リゼが謝ることじゃないよ。俺が原因でこんな騒ぎになったんだし。」

 

「いや………でも。」

 

 申し訳ない表情が強かったのは蹴り飛ばしたことへの罪悪感があったからか。俺はリゼは悪くないと思っているが、リゼはそれはいくら何でもやりすぎたと思ってるんだな。

 

「なら、今回の失敗を今後に活かせばいいんだよ。」

 

「今後に?」

 

「ああ。失敗は成功のもとっていうだろ?今回俺はノックもせずに部屋に入ってしまったことでこんなことになってしまった。これが俺の失敗だ。そしてリゼは俺を思いっきり蹴り飛ばした事を悪いと思っている。それがリゼにとっての失敗だろう。なら後悔するんじゃなく反省をして、また同じ事が起こらないように改善をしていくんだ。俺は同じ事が起こらないようにちゃんとノックをして入っていいという許可をもらってから部屋に入るようにする。リゼはカッとなっても手を出さないようにして、まずは落ち着くように努力する。そうやって自分の成長の糧にしていけばいいんだよ。………まあ、持論だけどな。」

 

 俺の話を聞いたリゼは、失った光を取り戻したかのように目を見開くと感激したかのような顔になり———

 

「そうだな。お前の言う通りだ。ああしておけば良かった、こうしておけば良かったって嘆いてても仕方ないよな。ありがとう。ためになることを教えてくれて。」

 

「………!!!」

 

 そしてお礼を言った後、リゼは微笑むような優しい笑顔になった。

 

 今一瞬心臓がドキッとした。周りに聞こえたんじゃないかと思うくらいに。正直に言うと可愛いと思った。さっきまで怒った顔や、ムッとしたような顔しか見てなかったからその分も相まって思わず目を逸らしてしまった。まずい、顔を見れない。ここでその笑顔は反則だろ。

 

「どうした?急に眼を逸らして。」

 

「いや、何でもない。少しずつ頑張って行こうな!」

 

「???……ああそうだな。」

 

 ちょっと変に思われたが深堀りされずに済んだ。もしバレたりなんかしたら照れて暴れられかねない。もうドロップキックじゃ済まなくなるかもしれない。そんなのは御免だ。

 

「ではそろそろお仕事を再開しようと思うのですが、始めてもいいですか?」

 

 話を終えるとチノが営業再開を切り出した。 今からこのラビットでの初仕事だ。仕事が始まる前から色々ありすぎて正直少しクタクタだが、そんなことは言ってられない。本来ならもうとっくに仕事が始まっているはずだ。それを俺が騒ぎを起こしてしまった所為で今から始めることになった。要するに遅れてしまっているのだ。遅れた分は丁寧な仕事で取り戻していこう。

 

「ああ。迷惑をかけてしまった分きっちりと働くからよろしくな!」

 

「はい、よろしくお願いします。ではリゼさんはリョーマさんにラテアートを教えてください。私は私の淹れたコーヒーをインスタントみたいと言ったこのココアさんにコーヒーの違いを教えるので。」

 

 根に持たれてるなぁ。多分ずっと言われ続けるんだろうなぁ。でも自分で蒔いた種だ。尻拭いは自分でやってくれ。

 

「よし了解した!リョーマ、教官としてビシバシ指導するから気合を入れていけよ!」

 

「そこは普通に先輩として指導してもらえると嬉しいかな。」

 

 こっちはこっちで大変そうだ。教官としてって………。今から教えてもらうのってラテアートだったと思うんだけど。訓練じゃないよな?

 

 

 こうしてココアとチノ、俺とリゼのグループに分かれて仕事が始まった。ココアはコーヒー豆を見て”良い匂いがする”だの”全部同じに見える”だの言っててチノはため息をついて先が思いやられるような顔をしていたがココアはああ見えて飲み込みが早い。コーヒーの違いを理解するのはそう遠くないだろう。俺も頑張らないと。

 

「リョーマ、ラテアートって知ってるか?」

 

「ああ、やったことはないけど見たことならあるよ。」

 

 ラテアートとはエスプレッソにミルクを注ぎ、表面に絵や模様を施したカフェラテのことだ。

 小さい頃、父さんがよくやってたなぁ。動物の絵だったり、景色の絵だったり、花の絵も作ってたな。今思うとすごく器用だよな。ラテアートもコーヒーの嗜みの一つだって言って夢中になってたし。

 

「まず基本のハート型からやっていくぞ。こんな感じでそーっとミルクを入れていって。」

 

 そう言ってリゼは手慣れた手つきでラテアートを始めた。茶色のエスプレッソにミルクを入れ、茶色だった表面の中心に白色の円が浮かび上がり、その円を上から下に切るようにミルクを入れると丸い円だった模様がきれいなハート型に変わった。

 

「へぇ、これなら俺もできそうだな。」

 

「お?じゃあやってみるか?」

 

 一瞬リゼがニヤっとしたんだけど。俺なにか変なこと言ったかな?

 

「いいのか?よし!じゃあやってみるか!」

 

 そう意気込んでやってみたが――――――

 

「あれ?………ん?………なんか、違う。」

 

 完成したラテアートはリゼの描いたようなハート型ではなく、土から出たばかりの芽のような形になってしまった。一応リゼと同じように見様見真似でやってみたが、思ってたより難しい。

 

「ラテアートって難しいだろ?」

 

 リゼがニヤけてた理由はこれか。確かにラテアートって難しい。甘くないな。

 

「でも、初めてにしては悪くないよ。何回か練習すればすぐできるようになるよ。私だって最初はリョーマみたいな感じだったし。」

 

 リゼの言う通り数をこなしていくしかないか。時間はかかったけど父さんのおかげでコーヒーの違いがわかるようになったんだ。ラテアートだってできるようになるはずだ。そのためには練習あるのみ!

 

「そうだな。よし、もっともっと練習だ!ところで失敗したこれはどうすればいいんだ?」

 

「ん?飲むんだぞ?」

 

「仕事中なのにいいのか?」

 

「ああ。捨てるのは勿体ないだろ?流石にお客さんがいるときは飲めないけどな。だからこうしてお客さんがいない時だけラテアートの練習をするんだ。そうすればお客さんに見られることもないし、失敗したラテアートを捨てる必要もないだろ?それに失敗しても仕事中にそれを飲めるからな。一石三鳥だ。」

 

 確かに失敗したからって捨てるのは勿体ない。かといって仕事中にお客さんがいる前でそれを飲むのは客観的にはよろしくない。だがお客さんがいない今ならそれらの心配はない。なるほど合理的だ。

 

「それなら心配はないか。じゃあこのカフェラテはいただくな。」

 

 俺はそう言って、失敗したカフェラテを少し急ぎ気味で飲んだ。ミルクと砂糖が少し多めに入ってるから甘い。やっぱりコーヒーを飲むと落ち着くな。

 

「あぁぁぁ!!!お兄ちゃんがコーヒー飲んでる!ずるい!」

 

「ちょっとココアさん、急に離れないでください!」

 

 突然大声を上げたココアが駆け寄ってきた。ずるい私にも飲ませろみたいに頬を膨らませながら。そしてチノはココアの体を揺すって持ち場に戻そうとしてる。

 

「いやこれはラテアートに失敗して捨てるのが勿体ないから飲んでるだけで。」

 

「ずるいずるい!私もラテアートしたい!」

 

「お前はコーヒーが飲みたいだけだろ?それよりコーヒーの違いわかるようになったのか?」

 

「全然!」

 

 そんな自信満々に言うことじゃないぞ。チノがその言葉を聞いた瞬間ムッとした顔ですごい不機嫌な顔になり、ココアの腕を掴み元居た場所へ戻っていった。

 

「はぁ、まったく。」

 

「なぁ、思ってたんだけどリョーマとココアって兄妹なのか?苗字が違うけど。」

 

「ん?いや兄妹じゃなくて幼馴染なんだ。ココアがそう呼んでてな。小さい頃から一緒だったから。」

 

 俺がココアと出会ったのは小学生になったばかりの頃だった。きっかけは父さんが俺をココアに会わせたことだ。そして初対面だったのにも関わらず、いきなりお兄ちゃんと呼ぶようになりそれが定着して今に至っている。

 

「そうだったのか。何も知らない人が見たら本当の兄妹に見えるぞ。」

 

「そういえば引っ越す前の学校でもよく間違われてたな。ココアは嬉しそうだったけど。」

 

「それくらい仲が良いってことだろ?良いことじゃないか。」

 

「そうだけど………その分苦労もあったよ。」

 

「苦労?」

 

「ああ。走ったら危ないって言ってるのに元気よく走って転んで泣きじゃくってその度に傷を手当したり、宿題がわからなくなるとすぐに教えてって縋ってきたり、逆にこっちが勉強してたら遊びに行こうって言ってきて連れ回されたり、よく振り回されたよ。」

 

「そう………なのか。」

 

 俺が話し終えるとリゼは心中お察ししたようでそれ以上何も言ってこなかった。でもこれらはまだ小さかった頃の話で成長するにつれて今では多少はマシになった。………多少は。

 

「お兄ちゃああん!助けてぇ!」

 

 ついさっきチノに連れていかれたココアが今度は泣きべそをかきながらやってきた。あっち行ったりこっち行ったり、わがまま言ったり泣きべそかいたり忙しい妹だ。

 

「コーヒーの違い全然わかんない!あとチノちゃんが怖い!違いがわかんないって言ったらすぐ怒ってくるの!」

 

「当たり前です!私のコーヒーをインスタントと言ったココアさんにはビシバシ鍛えさせるべきなんです!」

 

「ひぃっ!」

 

 ズカズカとやってきたチノに怯えたココアは俺の背中に回り込み、俺を盾にしてすっかり怖がってしまった。というかチノはまだコーヒーのこと言ってるんだな。本当に不愉快だったんだな。

 

「さあ、早くこっちに来てください!」

 

「やだぁ!こわいよぉ!」

 

 そう言ってココアは俺の背中にしがみついて意地でも離れようとしなかった。中学生に怯える高校生。珍しい絵面だ。

 俺が引き剥がそうとしてもガッチリとしがみつき、中々俺から離れないココアに痺れを切らしたチノはその小さい身体でスルリと俺の背後に回り込むと、ココアの後襟を掴み今度は引きずるように戻っていった。

 

「………本当に大変だったんだな。」

 

「まあな。でも慣れたから別に苦ではないよ。それによく泣きべそをかくけど根は頑張り屋な子だから、いつかあの光景は見なくなるようになるよ。」

 

「そうか、ココアも頑張ってるんだな。」

 

 ココアは褒められて伸びる子だ。その分怒られると落ち込む。それを俺が上手く使って立ち回れば、ココアは意欲が増しどんどん成長していくということだ。

 

 勉強を教えた時もそうだった。わからない所を教え、それを理解したココアを俺が褒めると嬉しそうに微笑み学習意欲が増し勉強時間が増えていったことがある。………だがそれは理系に限ったことで文系の方はいくら教えてもてんで分からなかったようだが。

 

 つまりここで俺がやるべきことは、ココアを褒めれるようになるまでさりげなくサポートし、いざ褒めれるぐらいになったら目一杯褒めて伸ばしていく。それが俺のやるべき事だ。というかそうしないとチノに迷惑をかけてしまう。

 

「よし!それじゃリョーマ!ココアに負けないためにもラテアートの続きやっていくぞ!」

 

「そうだな。」

 

 俺は意気込んでカップにミルクを注ごうとした時、ふと疑問に思った。さっきラテアートに失敗してそれを飲んだ。そう、失敗して捨てるのは勿体ないからってことで飲んだ。そしてまたラテアートの練習をしている。………つまり………

 

「なあリゼ、またラテアートに失敗したらどうなるんだ?」

 

「飲むんだぞ?」

 

「…………その次も失敗したら?」

 

「………フフ、それも飲むんだぞ?」

 

「………………。」

 

「言っただろ?ラテアートは難しいって。」

 

「………。」

 

 マズい。ココアの事よりもまず自分が頑張らないとダメだ。じゃないと俺はどれだけの失敗作を飲むことになるんだ?もしかしたらこの道を通った人たちはみんな、そうなることを恐れて一つ一つ丁寧に練習を繰り返したのかな?

……………頑張らないと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お腹を下さないことを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………うぅ。」

 

「お兄ちゃん大丈夫?」

 

「………なんとか。」

 

「流石にあれだけやったら身体壊しますよ?」

 

「わかってる。気をつけるよ。」

 

 俺たちは無事に仕事を終え、今は夕食作りのためにキッチンに向かっている。仕事終わりの後、着替えの時にココアはリゼに一緒に夕飯を食べていかないかと誘ったらしいが、『初めてのことだらけで大変だっただろうから、お前たちだけでゆっくりしてくれ』と気を利かせてくれたらしい。俺は一緒でも良かったんだが、本人がそう言ったんなら無理に誘わない方が良いだろう。というわけで今は俺とココアとチノの三人だけだ。

 

 結局ラテアートの練習は6回もしてしまい、幸いお腹を下すことはなかったが、飲んだのが砂糖とミルクたっぷりのカフェラテだった所為で胃もたれがすごい。練習していくうちにだんだん夢中になっていった結果がこれだ。自業自得。次からは回数を控えよう。毎日6回も7回も練習してたら絶対に身体を壊すのは目に見えている。

 

「おや?君たちは………?」

 

 キッチンへ向かう途中のドアから、黒色を基準とした服装に蝶ネクタイ、俺がさっきまで着ていた制服と同じ服装をした男の人が出てきた。渋い声をしていてすごいダンディーな人だ。

 

「如月リョーマ君と保登心愛君だね?初めまして、チノの父親の香風タカヒロだ。今日からよろしく。」

 

「はい!こちらこそ不束者ですがよろしくお願いします!」

 

 どうやらチノの父親だったみたいだ。

 

「新しい生活で慣れないことがあるだろうけど、自分の家だと思って肩の力を抜いてリラックスしてくれ。それとチノと仲良くしてやってくれるかな?その方がチノも喜ぶはずだから。」

 

「はい!わかりました!」

 

「お、お父さん!」

 

 少し恥ずかしかったみたいでチノが横から割り込んできた。もちろんタカヒロさんの言う通りにするが、俺よりココアの方が仲良くなれると思う。コミュニケーション能力は人一倍………いや人三倍高いからな。

 

「よろしく頼むよ。それじゃ今から仕事があるからここで失礼するけど、もし店内が騒がしいと思ったら遠慮なく言いに来てくれ。その時はすぐに静かにさせるから。」

 

「え、騒が………はい、わかりました。」

 

「では失礼するよ。」

 

 そう言ってタカヒロさんは去っていった。

 

 騒がしいってどういうこと?タカヒロさんは今から何の仕事をするんだ?近隣住民に迷惑がかかるくらいの騒音が出るような仕事をしてるってこと?もしそうなら真っ先に近隣の人から苦情が来て俺が言いに行くまでもないと思うんだけど。

 

「なあチノ、タカヒロさんって何の仕事してるの?」

 

「ラビットハウスは夜になるとバーになるんです。父はそこのマスターです。うちのバーにはダーツや吹き矢があってそれでお客さんたちが軽く盛り上がるんです。なので多分リョーマさんが思ってるような騒がしさはないので大丈夫ですよ。」

 

 それで騒がしいって言ってたのか。まあチノの言う通りなら心配する必要は無いか。というかやっぱりバーも経営してたか。どおりでお酒のボトルが並んでたわけだ。

 

「はぁ〜.......」

 

 突然ココアが安堵したようなため息をつき、溶けるようにその場にへたれこんだ。何か緊張するようなところがあったか?

 

「どうした?」

 

「私てっきりチノちゃんのお父さんが裏社会の人かと思って緊張した〜。」

 

「そんなわけないだろ!本当に今日のお前は失礼なことしか言わないな!」

 

「いひゃいいひゃい!ほっへはひっはああいえ!(痛い痛い!ほっぺた引っ張らないで!)

 

 さっきから喋らずに大人しいなと思ってたらそういうことか。タカヒロさんの姿のどこにそんな要素があった?俺は大人な風格があってかっこいいなと思ったぞ。

 

「夕飯の時間が遅くなりますから、早く行きますよ。」

 

 チノはそう言ってスタスタと行ってしまった。確かに今ここでガミガミ言ってもチノを待たせるだけだ。言いたいことは山ほどあるが、今は夕飯が先だ。

 

 部屋に着いてドアを開けると、四人掛けのテーブルに4つの椅子が並べられその奥にキッチンがあり、食器棚や炊飯器、電子レンジなどが置かれていた。一般的な部屋だ。

 

「さてと、今日の夕飯は俺が作るよ。」

 

「え、私が作るので大丈夫ですよ。お二人は初めての仕事で疲れてると思いますし、リョーマさんもまだ体調が良くないですから椅子に座って待っててください。」

 

「気持ちは嬉しいけど、今日は俺に作らせてくれないかな?色々と騒がせてしまったから。」

 

チノにこれ以上気を利かせたくない。ココアの我儘に付き合わせてしまったしリゼとの騒動にも巻き込んでしまったし仕事でもココアに手を焼かせただろうし、もう迷惑は掛けられない。それに体調不良なのは自業自得だし。

 

「......わかりました。じゃあせめてお手伝いします。」

 

「ありがとう。そうだ、何かリクエストはある?出来るものなら作れるよ。」

 

「私は別に何でもいいですよ。........野菜が無ければ何でも

 

「はいはーい!私ハンバーグが食べたい!」

 

 突然大きな声でココアが横からリクエストを出してきた。その所為でチノが後半何を言ったのかわからなかった。半分はあなたの所為でこうなってるんですけどねぇ。多分そんなことは気にも留めていないんだろうけど。

 

「チノちゃんもハンバーグにしよ!」

 

「ハンバーグ、ですか?」

 

「うん!ハンバーグ!お兄ちゃんが作るハンバーグってすっっっっっごく美味しいんだよ!チノちゃんも食べてみたらわかるよ!一度食べたら病みつきになってお兄ちゃんのハンバーグじゃないと満足できなくなっちゃうから!ちなみに私は満足できなくなっちゃった!だからチノちゃんも食べてみよ?」

 

「そんなにですか。........わかりました、リョーマさんハンバーグをお願いできますか?」

 

「あ、ああ。わかった。じゃあハンバーグにしよう。あとシチューも作ろうか。」

 

「やったー!ハンバーグ♪ハンバーグ♪」

 

 ココアに上手く丸め込まれてしまったな。しかも圧が凄かったし。ココアはこういう時だけ頭の回転が速い。それを普段でも発揮してほしいものだ。美味しいって言ってくれるのは嬉しいけど。

 

「それじゃあ俺はハンバーグを作るから二人はシチューを頼めるか?」

 

「わかりました。」

 

「任せて!」

 

 こうして三人の共同料理が始まった。ココアはハンバーグが余程嬉しいようで鼻歌を歌いながらチノと一緒にシチューを作っている。そんなココアと一緒にいるチノはココアのご機嫌さも相まって、俺が作るハンバーグに多少興味があるのか時々俺の方をチラッと見てくる。

 

 俺自身料理には少し自信があるが店に出せるほどかと言われるとそこまでの自信はない。それでもココアがあそこまで喜んでくれるのは嬉しい。だからなのかな。もっと上手になろうと思えるのは。喜んでくれるのを想いながら作る。それが料理の上達への近道なのかもしれない。

 

「よし、もうすぐできるな。ココア、テーブルに食器並べておいてくれるか?」

 

「うんわかった!」

 

 チノと一緒にシチューを作っていたココアはその場を離れた。

 残ったチノは完成間近のシチューをかき混ぜてグツグツと煮込んでいる。相変わらずハンバーグが気になるようでチラチラと見てくるが。

 

「よし出来上がり!タカヒロさんたちの分は別で作り置きしておくか。そうだ。チノ、チノのおじいさんはどこにいるかな?夕飯の後で挨拶しておきたいんだけど。」

 

 俺がそう言った瞬間、チノはぐつぐつと煮立っているシチューをかき混ぜている手をピタリと止めた。そして視線を落とすとチノは重い口を開くように話し出した。

 

「………その、祖父は………去年、亡くなって………。」

 

「………あ、ご、ごめん!嫌な聞いちゃったな。本当にごめん!」

 

「いえ、父()いるので大丈夫です。気にしないでください。さあシチューができたので冷めないうちに早く食べましょう?」

 

 まずいことを聞いてしまった。本人は大丈夫と言っていたが絶対に嘘だ。おじいさんが亡くなったことを言った時、当時のことを思い出したかのように悲しそうな顔をしていた。それにチノは今”父『が』いるから大丈夫”と言っていた。母親がご健在なら”父と母が”と言うはずだ。だけどそうは言っていなかった。

 

 つまり母親も………。

 

 チノの前で家族の話をするのはやめておこう。辛かったこと思い出させてしまうだけだ。ココアにも後で伝えておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあ!おいしそー!下宿一日目でお兄ちゃんのハンバーグを食べれるなんて!えへへ~しあわしぇ~!」

 

 テーブルに並べられた料理を見たココアは輝いた目と満面の笑みでそれはもう幸せそうな顔だった。チノはそんなココアを見て”ハンバーグで?”みたいな不思議そうな顔をしていた。チノは初めて見るからそう思うかもしれないが、ハンバーグを作った時は昔からこんな感じだった。

 

 ココアが俺の作ったハンバーグを初めて見た時は今のチノと同じような感じで美味しいのか不安そうな顔をしていたが一口食べると急に目の色が変わり、貪るようにペロリと平らげたことがあった。それ以来、夕飯がハンバーグの時になるとココアは俺のハンバーグがいいと駄々をこね、その度に俺がココアの家に行きハンバーグを作ってあげるのが日常になっていた。俺の家とココアの家がすぐ近くだったから良かったけど、それなりに離れてたら結構きつかったかもしれない。

 

「幸せになってくれるのは嬉しいけど、冷めるから早く食べるぞ。」

 

「うん!」

 

 俺は席に座り、ココアは隣に、チノは俺の向かいの席に座った。

 

「いただきまーす!」

 

 そう言ってココアは箸を持ち、真っ先にハンバーグに箸をつけた。そして口の中をハンバーグでいっぱいにしたいのか食べやすいサイズよりも少し大きめに切ると、パクッと口の中へ頬張った。

 

「んんん~~~!!!おいしい!やっぱりお兄ちゃんのハンバーグは最高!」

 

 ハンバーグを一口食べてすっかりご満悦のようだ。頬に手を当ててうっとりしてる。

 

「チノちゃんも早く食べてみて!すっごくおいしいから!」

 

「は、はぁ。ではいただきます。」

 

 ココアのご満悦さに少々面食らっていたようだが、チノも箸を持つとハンバーグを食べやすいに切り、その小さな口をゆっくりと開けそっと口に運んだ。しばらく咀嚼していると突然チノは目をカッと開き、微動だにせずまるで石になってしまったかのようにピタリと止まってしまった。

 

「………これが、ココアさんの言うリョーマさんが作ったハンバーグ………ですか?」

 

「う、うん。」

 

「リョーマさんは………いつもこんなハンバーグを作ってたんですか?」

 

「そう、だな。」

 

「………。」

 

 そこからチノは一言も喋らず俯き、ふるふると震え始めた。俯いてる所為で前髪で顔が隠れて表情がわからない。箸を持っていない左手はギュッと握り拳を作っている。そんなチノに俺もココアも戸惑いを隠せずにいた。

 

「ね、ねえお兄ちゃん。チノちゃん何だか変だよ?」

 

「………ああ。」

 

 ココアが小声でそう言ってくる。俺もそれに応えるように小声で相槌を打った。

 

 もしかして口に合わなかったか?。ココアがあんなに美味しいと言ってて期待してたが、いざ蓋を開けてみると期待外れの味だった。もしそうならあんな様子になってもおかしくない。

 

「ごめん口に合わなかったかな?すぐ作り直すから少し待ってて「………しい。」………え?」

 

 チノが何かボソッと呟いたがあまりよく聞こえなかった。そしてチノは俯いていた顔を上げ、ギィィっと椅子が床を擦る音を立てながら勢いよく立ち上がった。前髪で隠れていた顔が露わになるとそれは怒った顔ではなかった。

 

「………おいしい………美味しいです!!!柔らかいのに噛み応えがあって肉汁もたっぷり!それに味は濃いめなのに全然しつこくない!そして一度食べたら止まらなくなる美味しさ!美味しすぎます!私こんなハンバーグ初めてです!」

 

 口に合わずに怒ってるのかと思ったが、驚き感動したような顔で大好評だったみたいだ。俺がチノが淹れたコーヒーを当てた時以上に興奮気味なチノの変わり様に今度は俺とココアが面食らってしまったが、まあ何はともあれ口にあったようで良かった。

 

「一応おかわりの分も作ってあるからいっぱい食べてね。」

 

「い、いいんですか!?」

 

「もちろん。そのために作ったから。遠慮しなくていいからな。」

 

 おかわりがあると分かったチノは嬉しそうにほんの少しだけは微笑み、表情が柔らかくなった。

 

「はい!ありがとうございます!………ココアさんどうかしましたか?」

 

 ココアはまだ面食らっているようで、言葉が出ずに固まっている。

 

 まあ気持ちはわかるよ。口数が少なくて大人しいと思ってた子がいきなり喋りだしたらびっくりするよな。

 

「あ、ううん何でもないよ。チノちゃんがすごい勢いで味の感想を言ってきたからちょっとびっくりしちゃっただけだよ。」

 

「………あ、えっ……えっと……その………。」

 

 ココアに言われてハッと気がついたチノはボッと顔を真っ赤にし、力が抜けていくようにゆっくりと椅子に座った。さっきよりも深く俯かせて顔が全く見えない。脳天が見えるくらいだ。

 

「ご、ごめんなさい!私、何だか変になっちゃってました………。気持ち悪かったですよね………?」

 

 そう言ってチノはそこから何も喋らなくなり、料理にも手を出さず、縮こまってしまった。きっと自分でも驚いているんだろう。

 

 こういうパターンは後で、なんであんな風になってしまったんだと考え込んで自分を責めてしまう。一人っきりの時だと尚更だ。そして酷い時はそれは自分にとって悪いものなんだと思い込み、感情を抑え、感情表現が乏しくなり、やがてそれがコンプレックスになってしまうだろう。

 

 ………実際に俺は過去に一度、似たようなものを見たことがある。

 

 だから俺はそうさせないために、それも自分の一部なのだと伝えて、俺自身もそれを受け入れる。否定したり馬鹿にしたりは決してせずに。受け入れてくれる人が一人でもいてくれればそれだけで安心できるものなんだ。

 

「変じゃないよ。咄嗟にそうなったって事は咄嗟に出たそれはチノの個性の一つだ。美味しいものを食べた時に恥ずかしがらず、包み隠さずに味の感想を語る。素直で良いと思うよ。そんな自分を変だとか言って隠してしまうのは、なんだか勿体ない気がするよ。」

 

「…………。」

 

 チノは少し顔を上げたが、まだ迷っているような、本当にそれでいいのかといったような表情だった。

 

 無理もない。いきなりそんなこと言われても混乱するだけだ。今日一日一緒に働いて薄々思っていたが、チノはコミュニケーションが苦手みたいだ。仕事に関すること以外では自分から話しかけることはなかったし、話す時も一歩引いて喋ってるというか、距離を置いて喋ってるような話し方だったからな。

 

 さて、どうやって説得しようか………。

 

「そうだよ!私も全然変じゃないと思うよ!確かにちょっとびっくりしたけど、チノちゃんの新しい一面が見れて嬉しかったし、とっても可愛かったよ!」

 

「か、かわ!?」

 

 横からココアに可愛いと言われた瞬間、チノはピクッと軽く跳ねると頬を赤らめ、動揺し始めた。今日は色んなチノが見れるな。

 

「か、可愛く………ないです!」

 

「ううん。すっごく可愛いよ!いっぱい喋るチノちゃんも可愛いし、照れるチノちゃんも可愛いよ!」

 

「あ……え………うぅ………。」

 

 それ以上やめてやってくれ。脳の処理が追いつかなくてパンクしそうになってる。ココアはチノとは逆でグイグイ来るからな。しかも悪気もなく純粋にな。良くも悪くも。

 

「どんなに恥ずかしがったりしても、チノちゃんはチノちゃんだよ。嫌いになったりなんかは絶対にならないから大丈夫!。」

 

「………本当………ですか?」

 

「うん!本当だよ!何たってチノちゃんは私の妹だもん!」

 

「……そう、ですか。」

 

 ココアが少し真剣っぽくそう言うと、チノの表情が少し和らいだ。ココアのフォローのおかげで俺たちの声が少し届いたようだ。抱いたことがなかった感情の処理に困っているような顔で目を泳がせながらモジモジしているが。

 

 ココアは人の心に寄り添うのが本当に上手いな。………たまにいき過ぎる時があるけど。こういうところは見習いたいよ。

 

「まあいきなりそうしろって言われても無理があるからな。ちょっとずつでいい。いつか慣れる日が来るだろうから。」

 

「そうかもしれませんね。………少し考えてみます。」

 

 少しだけだけど前向きになってくれたみたいだ。一歩前進といったところかな。

 

 チノはコミュニケーションは苦手みたいだが、感情表現は豊かな方だ。仕事の時にココアに怒った時もそうだったし、ハンバーグを食べて感動した時も、今も顔を赤くして照れているのもそうだ。

 ただ羞恥心がそれに蓋をしてしまって、上手く表に出せないだけだ。逆に言えばその蓋を開けさせればいい。このままなのはすごく勿体ない。笑った顔も似合うだろうし………というか笑顔が一番似合うと思う。いや、似合うはずだ!

 

 よし、余計なお世話と思われるかもしれないけど、閉めてしまっているその蓋を開けさせてあげるために頑張ってみよう。

 とはいえ今は夕食だ。今は食事に集中しよう。腹が減っては何とやらだ。

 

「それじゃあ、このままじゃ本当に冷めちゃうから早く食べちゃおうか。」

 

「はい、いただきます。」

 

 ようやく夕食が再開出来た。ココアは言わずもがな、シチューもあるのにも関わらず、ハンバーグに夢中でシチューには一切手を付けていない。ちゃんとシチューも食べてくれよ?二人で作ったんだから。

 

 チノはハンバーグとシチューをバランスよく交互に美味しそうに食べているが、表情に出していないつもりなのかわからないが、ハンバーグの時だけ目を輝かせている。目が口より物を言っている。いつかそれが顔全体で言える日が来るといいな。

 

「あ、そうでした。あのココアさん、ココアさんに1つ言いたいことがあります。」

 

「んぅ?ふぁあい?(ん?なあに?)」

 

 ちゃんと飲み込んでから言えよ。

 

 そんな頬張っているココアをチノは急にジトッとした目で見てきた。怒っているというか何か気に入らないといった顔だ。

 

 

 

 

 

 

「………私、ココアさんの妹じゃないです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………エ゛エ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急に横から大声出すな!耳ちぎれるかと思った!

 口に入れてたものを飲み込んでしばらく沈黙してたと思ったら突然の大声だ。ていうかなんだ今の声。10年近く一緒にいるがココアからあんな声初めて聞いたぞ。(おのの)きみたいな声だったぞ。

 

「な、なななななななんで!?」

 

「なんでって………言葉通りの意味ですよ。私たちは姉妹じゃないです。」

 

 まあそうだよな。いきなり妹なんて言われても困るよな。俺の場合は”お兄ちゃん”と呼ばれても別に困らなかったけど、みんながそうとは限らないからな。

 

 そしてココアは対抗心を燃やすかのようなメラメラとした目になった。背後に燃え盛る炎があるように見えるのは俺の気のせいだろう。

 

「そ、そんなことないよ!だって今日一緒にお仕事したでしょ!だから私とチノちゃんは姉妹!だからチノちゃんは私のことを”お姉ちゃん”って呼ばないとダメなの!」

 

 何その滅茶苦茶なココア理論。というか俺から言わせてもらうと、ただ”お姉ちゃん”って呼んでほしいだけのように見えるぞ。

 ココアは家族の中で末っ子だ。昔から『妹が欲しい』だの『お姉ちゃんになりたい』だのよく言っていたから多分それだろうな。

 

「何わけのわからない事言ってるんですか………はむ………血も繋がってないのに………はむ………変なこと言わないでください………はむ、はむ………まったくもう………はむ。」

 

 パクパクとハンバーグを口に運びながら文句言ってる。手が全然止まってない。

 

「そんなこと言わないでよ!一生のお願い!私のことお姉ちゃんって呼んで!お願い!」

 

「あの、ですから姉妹じゃないです。」

 

「おねがい!」

 

 拝むように手を合わせて頼み込んでいる。

 そんなことで一生の願いを使うのか?もっとほかのことに使ったほうが良いと思うぞ。

 

「………何なんですかもう。呼びませんよ。それに、もし仮に私に姉が出来たとしてもココアさんみたいなお姉ちゃんは嫌です!」

 

 少しイラつき始めていたチノがキッパリとそう言うと、これがココアには大ダメージだったらしく、ピアノのガーンという音が聞こえてきそうなくらい絶望している。そんなココアをよそに、チノは『ハンバーグをおかわりしてきますね』と高揚気味に言い残しキッチンの方へスタスタと行ってしまった。

 

「ココア?………大丈夫か?」

 

 チノを見送った後、俺はココアを見たがまだ時が止まったかのように固まっている。目の前で手を振っても反応が無くピクリとも動かない。

 流石に少し心配になって呼びかけて見たが、返事はない。相当ショックを受けてるように見える。

 

「………ぅ………ぁ………。」

 

 声を出すのがやっとみたいなくらいの小さな声を出してきた。そして次第に目が潤んでいき、ポタポタとココアの目から水が落ちてきた。

 

「………ぅ………………う゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛

あ゛!お゛兄゛ち゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!」

 

 とうとう耐えきれなくなってしまい、ダムが決壊したかのように大粒の涙を流しながら、俺に抱き着いてきた。俺はそっと抱き留め、よしよしと頭を撫でた。

 

 可哀そうだが、でもチノの言うことも御尤(ごもっと)もだ。いきなり”妹”とか”お姉ちゃんと呼べ”とか言われても無理がある。人によっては不快な思いをさせるだけだ。本当、相変わらず一直線な(ココア)だ。

 

 それにしてもココアがここまで声を荒げて大泣きするのはいつ以来だ?小さい頃によくココアの母親に怒られて、それで大泣きして俺のところに来て抱き着いてきたけど。

 だとしたらその時以来だな。それ以降も泣くことはよくあったけど成長するにつれて、こんなに大泣きするようなことはなくなった。

 久しぶりに見たな。高校生になるからもう見ることはないと思っていたけど、泣き虫な所は変わってないな。

 

 スン、スン、とすすり泣く程度にまで落ち着いたココアを確認した俺は撫でていた手を離し、抱き着いていたココアもそっと離し、ココアの目を見て口を開いた。

 

「いいかココア?あんな言い方じゃ誰だって嫌がる。お前だって無理やり、あれしろ、これしろ、って言われたら嫌だろ?それと同じ。お姉ちゃんと無理やり呼ばせるんじゃなくて、お姉ちゃんと呼んでもらえるような人になればいいんだよ。いつか自然とそう呼んでもらえるようになるから。」

 

「………ほんと………?」

 

「もちろん。」

 

「でも………さっきチノちゃん、私みたいなお姉ちゃんは嫌だって………。」

 

「それは無理やり、そう呼ばせようとしたからだろ?………そうだなぁ、じゃあ1つ聞くけど、どうしてココアは俺と初めて出会った時、俺のことをお兄ちゃんって呼んでくれたんだ?」

 

「………だって、本当にお兄ちゃんみたいに見えたから。」

 

「そう。お兄ちゃんみたいに見えたからそう呼んだんだろ?だからさっきも言ったけど、それと同じようにココアもお姉ちゃんと呼んでもらえるような人になればいい。もちろん今すぐには無理だろうけどな。でも毎日コツコツ頑張れば、いつかチノにお姉ちゃんって呼んでもらえるようになるよ。何事も少しずつだ。」

 

「………そっか………そうだよね!それなら私もお兄ちゃんみたいな人になればいいんだ!よーし、頑張るぞー!」

 

 希望が見えた途端、急に泣き止んで元気になった。今はもう涙を一滴も流さずケロッとしている。しかも『おー!』と言いながら右腕を真上に掲げている。

 

 さっきまであんなに大泣きだったのに………。切り替えが早いな。

 

 それにしても俺みたいになるか。今の俺があるのはココア、お前のおかげなんだぞ。一人っ子だった俺を父さんがココアに会わせてくれて、どう接すればいいのかわからなかった俺に、お前は俺のことを笑顔で、曇りなき眼でお兄ちゃんと呼んでくれた。

 それが俺にはすごく嬉しかった。本当に妹ができたみたいで。そこで俺は兄としての自覚が芽生えたんだ。今でもハッキリと覚えている。そうして今の俺がいるんだ。

 

 ココア自身は気づいていないみたいだけど、過去の自分の行いが10年越しに巡り巡って自分の目標という形で返ってきた。

 

 面白いな。巡り合わせっていうのは。

 

「一人で騒いで何やってるんですか?」

 

 おかわりに行っていたチノが皿にハンバーグを盛って戻ってきた。急に元気になっているココアを若干呆れた目で見ている。

 

「チノちゃん!!!」

 

「わぁ!……ととっ!………な、何ですか?」

 

 急に立ち上がり急に大声を出したココアに驚いたチノは、持っていた皿を離してしまった———————が、思わず二度見してしまうほどの反射神経で落下中の皿を素早く両手で掴み、無事に事なきを得た。

 

 チノの反射神経に驚きはしたが、それよりも皿を掴もうとしていた時のチノの表情の方が驚いた。”絶対に落としてなるものか”といった思いを全身で感じ取れるほどの気迫だった。そこまで落としたくなかったのか?

 

「私、今はまだまだだけど、いつか絶対、絶ーーーーーーーっ対にチノちゃんのお姉ちゃんにふさわしい人になるからね!」

 

 それを聞いたチノは、驚いていた顔から”まだそんな事言ってるのか”みたいな、さらに呆れた顔で小さく溜息をつくと、プイッと顔を逸らしながら席につき、食事を再開した。

 

 スタートラインはマイナスからか。まあ今日一日の行いを見れば当然か。ここからプラスに巻き返すのは簡単じゃないだろうけど、努力家なココアの事だ。きっと大丈夫。頑張れよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、さっぱりした。」

 

 夕食後、俺は一足先に風呂に入り、今は風呂から上がり自分の部屋に向かっているところだ。ココアとチノを先に入らせようと思っていたが、チノと話をしてもっと仲良くなりたいとのことで俺が先に入ることになった。そしてその二人は今、俺の部屋にいる。

 

 結局あの後、ココアは率先して夕食後の後片付けをやったり、片付けを手伝ってくれたチノを褒めたりと何かとお姉ちゃんっぽさをアピールしていたが、当のチノには全く相手にされず、それどころか若干鬱陶しがられて避けられがちだった。

 

 どうも空回りしてるみたいだが、ココアなりに考えて頑張っているんだ。ここは口を出さずに見守っていよう。試行錯誤を繰り返すことで成長できるものだからな。

 

「ココア、風呂空いたぞ。」

 

「うわああああん!また負けたー!」

 

「ココアさん勝つ気あるんですか?こんなんじゃ小学生にも負けますよ?」

 

 部屋に入るとココアとチノが床に座り、小さい丸テーブルを挟んで何かをやっていた。見てみるとチェスで勝負をしていたみたいだ。

 会話を聞く限りココアがぼろ負けしたみたいだが。

 

「………………。」

 

 チェス盤を見てみると勝負は凄惨な結果だった。黒がチノで白がココアだ。そしてチェス盤の上には白の駒が一個だけ残っていて、黒の駒は一つも失うことなく全て残っている。つまりココアはキング以外の駒は全部取られて、チノはココアに一つも駒を取らせることなく勝利していたのだ。

 

 チノの圧勝ではあるが、別にここまでしなくても普通に勝てたんじゃないか?………もしかして今日一日の鬱憤をチェスで晴らしたのか?それにココアがまた負けたと言っていたから前の勝負もこんな感じだったのかもな。容赦が一切感じられない。

 

「それじゃ風呂に入ってリフレッシュしてきな。気分も落ち着くから。」

 

「うんそうだね!チノちゃん!一緒には入ろ?」

 

「えぇ………。」

 

 今、結構嫌な顔したぞ。ティッピーを貸した時よりも嫌な顔だったぞ。

 

「なんでココアさんと入らないといけないんですか?一人で入ればいいじゃないですか。」

 

「だって、もっとチノちゃんとお話して仲良くなりたいんだもん!もうお姉ちゃんって無理やり呼ばせたりなんかしないから、一緒に入ろ?」

 

「………………。」

 

 チノはまだ信じ切れずに怪しむような顔で悩んでいる。対してココアは期待と不安が入り混じったような顔だ。多分このままじゃ埒が明かないだろうな。妥協案を出してみるか。

 

「チノ、ココアはチノと仲良くなりたいって言ってるからさ、俺からもお願いできないかな?もし何かチノの嫌がるようなことをされたらすぐ俺に言っていいからさ。その時はキッチリとココアを叱るよ。」

 

「………まあ、それなら………。じゃあココアさん、一緒に入りますけど、もし少しでも変なことしたらすぐにリョーマさんに言いつけますからね?」

 

「うん!やったー!チノちゃんとお風呂ー!」

 

 なんとか納得してくれたみたいだ。一緒に入れるとわかった途端、ココアは万歳をしながら大喜びだ。ここからは自分で頑張ってくれ。俺のフォロー、無駄にしないでくれよ?

 

「それじゃ行ってくるね!チノちゃん行こ行こ!」

 

「ちょ、ちょっと押さないでください!リョーマさんに言いつけますよ!」

 

「まあまあ、そんなお堅いこと言わずに~♪」

 

「も、もう、まったく………。」

 

 そんなやり取りをしつつ、ココアはチノの背中を押しながら風呂場へ行ってしまった。

 

(………大丈夫かなぁ?少し不安だけど信じるしかないか。)

 

 そんなことを思いながら俺はそのままになってしまっているチェス盤を片づけた。

 

「ふぅ………。」

 

 やることが無くなった俺はゆっくりとベッドに腰を下ろした。今この部屋には俺しかいなく、シーンとした空気が部屋を包み込んでいる。物音はほとんどしない。するとすればカチカチと秒針が動く時計の音だけだ。

 

 こうしていると今日一日の出来事が思い浮かんでくる。まさか一日目でこんなにドタバタすることになるなんて思わなかった。まあ多少覚悟はしていたけど、予想以上の賑やかな一日だったな。

 

 色々心配事はあるけど、一番の心配はココアとチノの関係だ。ココアは仲良くなろうと奮闘しているけど、対してチノは今日一日のココアに対する悪印象も相まって嫌ってこそはないが、若干苦手意識を持ってしまっているような感じがする。きっと大丈夫だと信じてはいるが、それでも心配なものは心配だ。何も起きなければいいけど。

 

「はぁ………。こうやってすぐ不安になるのは俺の良くないとこだよなぁ………。」

 

 個人的な予想だけど、こんなに心配性になったのは多分ココアの面倒を見てきたからだろうな。ココアは小さいときから活発な子でちょっとでも目を離すと、すぐどこかへ行ってしまってたからな。一番ヒヤッとしたのは、昔、一度この街に来た時だ。

 

 野良ウサギがたくさんいて、ココアはそれで大興奮してウサギを追いかけ回っていて、すごく微笑ましい光景だったけど、夕暮れ時にいつの間にかココアの姿が消えていて、家族総動員で探し回ったことがあった。

 

 どれだけ探しても見つからず、もう日が落ちて夜になろうとしていた時に、俺がなんとなく人気がない小さい広場に行くと、野良ウサギを抱きしめ、すすり泣いてベンチに座っているココアがいた。そして俺の姿を見たココアは安心したようにわんわん泣いて俺のもとに駆け寄り、ココア捜索は終わった。

 

 あの時もちろん俺はココアを叱ったが、一番怒ってたのはココアの母親だ。普段はおっとりしてて優しい人なのに、あの時だけは鬼のような形相でココアをめちゃくちゃ叱ってた。今でも脳裏にこびりついている。普段優しい人ほど怒ると怖いんだな。

 

 今はもう、あれから何年も経ってるから仮にまた迷子になってしまってもケータイがあるし、すぐ連絡が取れるから大丈夫…………いや、こういう時に限って充電が切れて連絡が取れなくなって、結果また同じような捜索劇が始まることになるかもしれない。こまめに充電しておくよう、後でココアに言っておくか。備えあれば憂いなしだ。

 

「水飲もう………。」

 

 そういえば風呂から上がってから何も飲んでいない。風呂は体から水分が結構取られるからな。脱水症状になったら大変だ。

 

 俺はベッドから立ち上がり、部屋を出てキッチンへ向かった。

 階段を下り、キッチンへ向かう途中廊下を歩いていると、背後から何かが聞こえた。上体だけ振り返って耳を澄ましてみると、風呂場がある方向からココアの話し声が聞こえてきた。無事にチノと一緒に風呂に入れてるみたいだ。会話の内容は全然わからないが、楽しそうな声をしているみたいで特に問題は起こってないみたいだ。ひとまず安心だな

 

「………ん?コーヒー?」

 

 再び廊下を歩いているとコーヒーの香りが漂ってきた。しかもキッチンの部屋に近づくほどに香りが強くなっていく。

 

(誰かいる………?)

 

 そう思いながらドアを開けると———

 

「あれ?タカヒロさん?」

 

「ん?やぁリョーマ君。」

 

 テーブルの席につき、バーテンダーの制服を着てコーヒーを飲んで寛いでいるタカヒロさんがいた。テーブルの上にはティッピーが静かな空間を堪能するかのように、ゆらゆらと揺れている。

 

「お仕事は終わったんですか?」

 

「いや、今は休憩中だよ。本格的に忙しくなるのは深夜になってからだからね。だからその前に休憩を取ってから、仕事に励むんだ。」

 

 そう言い終えるとタカヒロさんは、コーヒーの一口啜ると『ふぅ……』と落ち着くようなため息を吐いた。

 

「そういえばリョーマ君は何をしに来たんだい?」

 

「あぁそうでした、風呂から上がってまだ何も飲んでないので水を飲みに来たんです。」

 

「そうだったのか。じゃあ少し話をしてもいいかな?」

 

「はい、いいですよ。」

 

 俺はコップに水を注ぎ、タカヒロさんと向かい合うように席に着いた。

 

「それで、今日一日どうだったかな?何か問題とか不便な所とかはなかったかな?」

 

 問題…………か…………。

 

「いえ、特に何もなかったですよ。仕事の方も、あと2、3日すればすぐ慣れます。」

 

 まあ、更衣室騒動(あんなこと)姉妹論争(こんなこと)があったけど、一応解決はしたから問題はないと言えるだろう。

 

「そうか、それは良かった。…………ところでリョーマ君、ひとつ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

 そう言うとタカヒロさんは少し間をあけて――――

 

「今日一日働いて、チノのことをどう思った?どんな印象を受けたかな?」

 

「印象、ですか?」

 

「そう。ああ、遠慮はしなくていいよ。思ったことを正直に言って欲しい。」

 

チノに対する印象を聞いてきた。表情からしてかなり真剣だ。ここはお世辞を言うのはやめた方がいいな。

 

「………人と話すのが苦手なのかなと思いました。仕事中も仕事以外のことは話しませんでしたし、チノから話しかけることは全くなかったので。」

 

「………そうか。」

 

「す、すみません!やっぱり失礼ですよね!」

 

「いやいいんだ。聞いたのはこっちだから、君は気にしなくていいよ。」

 

 タカヒロさんはそう言って、慌てて立ち上がって謝った俺の肩に手を当てて、そっと席に座らせた。正直に言って欲しいと言われたからとはいえ罪悪感を感じる。

 

 そしてタカヒロさんは再びコーヒーを一口啜り、口を開いた。

 

「実を言うとね、このことを君に聞いたのは、今日チノのことで少し驚いたことがあったからなんだ。」

 

「驚いたことですか?」

 

「うん。君が風呂に入っている時にチノがここに来てね、君が作ってくれたハンバーグを嬉しそうに絶賛してたんだよ。」

 

「え!?そうだったんですか!?」

 

 俺が風呂に入ってる時にそんなことがあったのか。それにしてもチノ、味の感想を恥ずかしがらずに言えたんだな。早速実践してくれてるみたいで嬉しくなってくる。

 

「それで実際に君が作り置きしてくれていたハンバーグを食べてみたら、チノの言う通りすごく美味しかったよ。思わず夢中で食べてしまった。」

 

「あ、ありがとう、ございます。」

 

 なんだか恥ずかしくなってきた。あの時チノも夢中で食べてたけど、親子であって似ているところがあるんだな。

 

「話が逸れたね。それで驚いたのはチノがあんなに嬉しそうにハンバーグのことを話してたことなんだよ。あんなチノを見たのは随分と久しぶりだったからね。」

 

「………え?久しぶり?」

 

「リョーマ君から見たらあまり想像がつかないと思うけど、小さい頃のチノはもっと活発だったんだよ。自分からよく喋っていたし、好奇心も旺盛で興味を持ったらすぐやってみようとする子でね。まさにココア君みたいな子だったんだよ。」

 

「………そうだったんですか。」

 

 かなり意外だ。昔のチノが今のココアみたいだったなんて。今のチノからは想像がつかない。だとしたらどうして今はそうじゃないんだ?

 

「ただ、とあることがあって今のようになってしまってね。チノは小さいころに妻を………母親を亡くしてしまってね。それが原因で塞ぎこむようになってしまったんだ。今は大分落ち着いたけど、昔みたいな明るい性格は無くなってしまってね。だから驚いたんだ。」

 

「………………。」

 

 ………そういうことがあったのか。やっぱり母親も亡くなっていたのか。

 

 チノのおじいさんは去年に亡くなってしまって、家族は父親であるタカヒロさんだけ。父子家庭だから仕事で忙しくて一緒にいられる時間も少なかったかもしれない。………寂しかっただろうな。

 

 そういえばニュースとかで聞いたことがある。片親家庭の子は寂しがり屋になり自尊心が低くなる可能性があると。親と過ごす時間が少なくなり、愛情を感じることが少なくなり、やがてそうなってしまうと。そう考えるとチノがあんな風になってしまうのもわかる気がする。

 

「リョーマ君、押し付けるようで申し訳ないけど、改めてチノと仲良くしてくれるかな?今のチノには人とたくさん接するのが必要だと思う。チノは笑顔が一番似合うから。」

 

「はい!俺もそう思います!」

 

「改めてよろしく頼む。」

 

 俺ははっきりと返事をした。俺もタカヒロさんとは同じ考えだ。人との関わりが必要なことも、笑顔が一番似合うことも。

 

 問題はどういう策が良いかだが、こういうのはココアの得意分野だ。ココアの手を借りよう―――――と思ったけど、今のあの二人の仲は良くないんだった。ココアが何とか巻き返そうと頑張ってるけど。

 まずはあの二人を仲良くさせることが先決だな。そのために俺が陰でサポートしよう。そうしないと、まずスタートラインにすら立てないからな。

 

 さてと、目標もある程度決まったところで、

 

「あ、そうだ。タカヒロさん、ティッピー触ってもいいですか?仕事中は触れなかったので。」

 

「ああ、構わないよ。」

 

 俺は、ずっとテーブルの上でゆらゆらしていたティッピーを持ち上げ自分の元へ移動させた。触りたいと言ったがそれは建前だ。………いや、少しは触ってみたいと思ってはいたけど、本音はそれじゃない。

 あの時チノは、俺が何を言っても腹話術だとか俺の気のせいだとか言っていたがとてもそうは思えない。あれは明らかにこのウサギ、ティッピーから発していた。

 ずっと気になっていた真偽を確かめる。これが俺の目的だ。

 

「ありがとうございます。じゃあ早速。」

 

 確かめるとはいえ触ってみたかったのも事実なので、俺はティッピーを軽くギュッと抱きしめた瞬間全身に電流が走るような感覚を感じた。

 

 …………すっごいモフモフだ!このずっと抱きしめていたくなるような、綿飴みたいにフワフワで、それでいてかつ弾力のあるこのやわらかさ。全然飽きない!例えるならバケツに水を入れても底に穴が開いてる所為で一向に溜まらない。もっともっと欲しくなる。中毒じみたような感じだ。

 

 なるほど、それでココアはチノがティッピーを返して欲しそうにしてても返したがらなかったのか。………まあ、だからと言ってココアに賛同はできないが、今ならココアの気持ちがわかる。

 

 よし、ある程度堪能したところで本題に入ろう。これ以上してたら本来の目的を忘れそうになる。ティッピーの正体に明らかにするぞ。

 

「本当にティッピーって柔らかいですね。」

 

 ティッピーを抱きしめたり、揉んだり、鼻をつついたりしたが、穏やかな顔をしたままで何ひとつ反応しない。やっぱり簡単にはいかないか。なら、少し手法を変えてみよう。

 

「タカヒロさん、チノって腹話術が特技だったりしますか?」

 

「チノがそんな特技を?いや、聞いたことがないな。」

 

 間違いない。やっぱりこのティッピーが喋ってたんだ。もしかしたら本当に俺の気のせいなのかもしれないと心のどこかで少しだけ思っていたが、今のタカヒロさんの言葉で100%確信が持てた。

 

「…………………。」

 

 しかもそれを証明するかのように俺の手元にいるティッピーが一瞬ピクッと反応し、穏やかなだった顔が冷や汗をかくような焦った顔になった。これで少し隙ができたかな。ここからはココアのやり方でいこう。

 

「ティッピーってモフモフですよね。」

 

 そう言って俺は少し強めにティッピーを抱きしめた。するとティッピーは少し嫌がるように身をよじり始めた。あまり嫌がるようなことはしたくないが、正体を突き止めるためだ。心を鬼にしよう。

 

「それにこの子を枕にしたら幸せな夢も見れそうですし。」

 

 そこから俺は顔を埋めるようにティッピーをさらに強くギュッと抱きしめた。…………ヤバい。このままじゃ正体を突き止める前に俺がこのモフモフに囚われそうになる。………10秒………20秒………。策士策に溺れそうだ。早くこの戦い終わってくれ!

 

「………むぅ………。」

 

 ん?今何か聞こえたような……。

 

「………………ええい!いい加減離さんかああああああああ!!」

 

「うわあ!」

 

 突然ティッピーが老人の声を上げながら暴れ出した。あまりにも突然だったせいで思わずティッピーを放り投げてしまい、宙にクルクルと回りながらテーブルにポフンとティッピーが乗ると、怒った顔で俺の方に顔を向けた。

 

「何なんじゃお前たちは!兄妹揃って!何かに抱きついてないと落ち着いていられんのかあああああああ!!!!!」

 

「す、すみません…………。」

 

「まったく!暑苦しくてかなわん!フン!」

 

 テーブルの上でピョンピョンと跳ねながらプンスコと怒っていたティッピーは言い終わるとムスッとした顔でそっぽを向いてしまった。ものすごくシュールな光景を見た気分だ。あと兄妹じゃなくて幼馴染なんですけど。

 

 あと数十秒………いや、あと数秒長ければ俺がモフモフにやられていた所だったが、ギリギリ俺の勝利だ。………良かった。

 

「………腹話術じゃなかったんですね。やっぱり。」

 

「……………あ。」

 

 ティッピーは自分のしでかしたことに気づくと、さっきのはなかったことにしたいかのように、1ミリたりとも動かずに黙りこくってしまった。今更遅すぎる。手遅れなんてレベルじゃない。

 

「はぁ。まったく。」

 

 向かいに座っていたタカヒロさんが溜息をつきながらそう言うと、片手を額に当て、やれやれといった表情で顔を横に振った。タカヒロさんは何か知ってそうだ。

 

「あの、タカヒロさん。ティッピーってどうなってるんですか?喋るウサギなんて見たことないですよ。」

 

 俺がそう聞くと、タカヒロさんは話していいのかといった少し悩むような顔になっていたが、話す決心がついたような顔になると重い口を開いた。

 

「…………親父なんだ。」

 

「…………え?」

 

「親父だよ。つまり、チノの祖父だ。」

 

「…………。」

 

 いや、俺が今言った『え?』は聞こえなかったからっていう意味じゃなくて、どうしてティッピーがタカヒロさんの父親、チノのおじいさんなのかっていう意味での『え?』だったんですけど…………。

 

「………タカヒロさんってウサギなんですか?だとしたらチノもウサギ………?いやでも、人間の姿だし………?」

 

 ティッピーがチノのおじいさんってどういうことだ?さっきチノからおじいさんは去年に亡くなってしまったと聞いたけど。実は亡くなっていなかったとか?いやいや、だとしたらなんでティッピーがおじいさんなんだって話になる。わけがわからない。

 

「いや、そうじゃなくて………なんと言えばいいか………。信じられないと思うけど、親父は一度死んでるんだ。でも何故かはわからないけどティッピーに憑依して今に至ってるんだ。本人も理由がわからないらしい。」

 

「………はぁ。」

 

 そんなオカルトみたいなことってあるの?つい疑ってしまうけど目の前にそれを証明するものがあるからな。今も一言も喋らずにテーブルの上でジッとしている白いふわふわしたお化け………じゃなくてティッピーが。

 これはもう信じるしかないな。

 

「つまり、おじいさんの身体の方は亡くなっているけど成仏できずにティッピーに取り憑いているということですか?」

 

「うん。信じられないかもしれないけど。」

 

「いえ、信じます。実際にこうしておじいさん………ティッピーが喋りましたし。」

 

「………わしのことを知っている人の前ではおじいさんでいい。」

 

 もう隠す意味もないと思ったのか、ずっと黙りこくっていたティッピー………もとい、おじいさんがこっちを向いて話し出した。

 

「念の為に言っておくが、この事は誰にも言うんじゃないぞ?騒ぎになって店に迷惑をかけたくないからのう。」

 

「大丈夫です。秘密にしますよ。それに、言ったところで誰も信じないでしょうし。」

 

 実際に俺が自分の目で確かめるまで信じられなかったからな。言わなければ何も問題はない。

 

「助かる。それと、チノのこと、わしからも頼めるか?今のチノは心を閉ざしておる。学校には友人が二人おるようじゃが、それは友人(向こう)から話しかけてきてくれたからなんだそうじゃ。自分から動こうとしない限り、あの子は殻にこもったままじゃろう。」

 

 タカヒロさんもおじいさんも、チノのことを心配しているんだな。今のチノの姿、そしてチノの過去の話を聞いた今、俺もチノのことが心配だ。何とかしてあげたいと思っている。

 

「はい!できることなら何でもします!」

 

 昔のように明るい性格に戻させる―――――そこまでは正直できるか分からないが、せめて自分の気持ちに素直になる、自主的に進んで行動できるようにさせたい。そうすればタカヒロさんもおじいさんも、そして遠くに行ってしまったチノの母親も安心するだろう。

 

 ここに下宿させてもらった恩返しのためにも頑張ろう。

 

ピピピッ!

 

 会話が終わったと同時にタカヒロさんが着けている腕時計からタイマーが鳴った。タカヒロさんはチラッと腕時計を見ると、そろそろ時間だなといった顔になり残りのコーヒーを一気に飲み干した。壁に掛かれている時計を見ると22時になっていた。

 

「さて、そろそろ時間だから仕事に戻るよ。リョーマ君は明日に備えてゆっくり休んでくれ。」

 

「はい、わかりました。お仕事頑張ってください。」

 

「ありがとう。では失礼するよ。」

 

 そう言うとタカヒロさんは席を立ち、おじいさんはピョンピョンとジャンプして、タカヒロさんの肩へ、そして頭に乗った。昼間はチノの頭に乗っていたけど、夜になるとタカヒロさんの頭になるんだな。

 ………おじいさんって一日中仕事場にいるってことになるな。睡眠時間とか大丈夫なのかな?

 

 ウサギは合計8時間くらいの睡眠時間を取るが、まとめて取るのではなく、一回につき数分から数十分程度の睡眠時間に分ける、細切(こまぎ)れにして睡眠を取ると聞いたことがある。理由は野生動物に襲われないように常に警戒するためなんだとか。

 そう考えるとおじいさんは仕事場で定期的に寝てるのかもしれない。まあ、身体はウサギだけど中身は成仏できていないチノのおじいさんだから、実際どうなのかはわからないけど。

 

 そんなことを思いながら俺はタカヒロさんとおじいさんを見送った。

 

(俺もそろそろ部屋に戻るか。)

 

 俺はそう考えて席を立ち、部屋を出た。階段を上がり廊下を歩いて俺の部屋の前に着くと、中からブオォーという風のような音が聞こえてきた。

 

 ドアを開けて中を見てみると、机の上にスタンドミラーを置いて今まさに髪を乾かそうとしているココアと、小さい丸テーブルの上に俺がさっき片付けたチェス盤を広げて、詰将棋ならぬ詰チェスをしているチノがいた。髪が濡れたままから見るに、どうやらココアが髪を乾かし終えるのを詰チェスをしながら待っているみたいだ。

 

「あっ!お兄ちゃんお帰り!どこ行ってたの?」

 

 俺に気づいたココアはドライヤーの電源を切り、俺のもとに駆け寄り出迎えてくれた。

 

「ちょっとタカヒロさんと話をしててな。それよりチノといっぱい話せたか?」

 

「うん!」

 

「チノも、ココアに何か嫌がるようなことされなかったか?」

 

「はい、特にありませんでしたよ。………やたら抱き着かれましたが。」

 

 ………そんなことがあったのか。でも俺に報告してこなかったということは、別に嫌だったというわけではないみたいだな。

 ………もしかしたら一番最初のコーヒーの件があまりにも嫌すぎて、相対的に抱き着かれる程度じゃ嫌ではなくなったのかも………。まあ何はともあれ問題はないようで良かった。

 

「ねえねえお兄ちゃん!私の髪乾かして!」

 

 そう言ってココアは俺にドライヤーを渡してきた。

 

「え?ドライヤーくらい自分で使えるだろ?」

 

「お兄ちゃんに乾かしてもらうとすごく落ち着くんだもん!そのために洗面所からドライヤー持ってきたの!お願い!」

 

 グイグイとドライヤーを押し付けてくる。

 それで二人とも髪が濡れてたのか。ココアは俺に髪を乾かしてもらおうと部屋にドライヤーを持ってきたけど俺がいなかったから仕方なく自分で乾かそうとしたところを、ちょうど俺が戻ってきたってところか。チノは、乾かしたかったけどココアにドライヤーを持っていかれてしまった所為で髪を乾かせず、それで俺の部屋でココアがドライヤーを使い終えるまで詰チェスで待ってたのか。

 

「………はいはいわかった。じゃあほら。早く椅子に座って。」

 

「やったー!えへへ!」

 

 俺がやってくれるとわかると、ココアは嬉しそうにリズムよくスキップしながら椅子に座った。

 

「じゃあやるぞ?」

 

「うん!」

 

 椅子に座ったココアの後ろに立った俺はドライヤーの電源を入れ、ココアの髪を乾かし始めた。鏡に映っているココアの顔は幸せいっぱいで骨抜きになっているかのようにうっとりしている。

 まだ始めて数秒しか経っていないのに。とはいえ見慣れた光景だから別に驚きはしないけど。

 

「はぁ~~。こうやってお兄ちゃんに乾かしてもらうの久しぶりだよ~。」

 

「……………一週間前だけどな。最後にやったの。」

 

「……………わ、私にとっては一週間でも久しぶりなの!」

 

「そうかそうか。」

 

「あっ!そうだ!チノちゃんもお兄ちゃんに乾かしてもらおうよ!」

 

「え?………いえ、私は一人でできるのでいいですよ。」

 

「えぇー!そんなの勿体ないよ!お兄ちゃん、料理も上手だし、髪を乾かすのも上手なんだよ!」

 

「いや、でも………。」

 

 ”そんなこと言われても………”みたいな困った顔をしている。

 だけど、これは好機かもしれない。さっきのハンバーグもそうだけど、ココアが体験したことをチノにも体験させて共有できるものが増えれば、それがきっかけで会話が増えてお互いのことを理解し合いやすくなるかもしれない。

 ………やってみるか。ちょうど今ココアの髪も乾かし終えたし。

 

「よし。ココア、終わったぞ。」

 

「お兄ちゃんありがとう!」

 

「それじゃあ次はチノだな。ほら、椅子に座って。」

 

「え………あの、ですから一人で………。」

 

「まあ、折角だし一回だけでもどう?ココアの折り紙付きみたいだし。」

 

 チノは少し考えて

 

「………じゃあ、お願いします。」

 

 そう言って、遠慮気味にチョコンと椅子に座った。少し強引だったかもしれないけど、上手くいったな。ちなみにココアは、うつ伏せで俺のベッドにダイブして、膝から下をパタパタと動かしている。一応俺のベッドなんだけど。あのまま寝たりしないよな?

 

「よし、始めるぞ。」

 

「はい。」

 

 俺は再びドライヤーの電源を入れ、チノの髪を乾かした。鏡に映っているチノの顔はココアと対照で、慣れなくて困惑したような顔でソワソワしている。

 

「温度とかは大丈夫か?熱くないか?」

 

「はい大丈夫です。」

 

 それにしてもチノはまだ中学生でココアより背が低いからなのか、昔、小さい頃にココアの髪を乾かしてあげてた時のことを思い出した。

 あの時のココアは俺がドライヤーをかけるとすぐウトウトして寝そうになることがよくあった。その度に俺が起こして、またウトウトし始めて、それでまた俺が起こして、を繰り返してたから昔はドライヤーだけで一苦労だったな。

 酷いときは完全に寝てしまって、椅子から転げ落ちるなんてことが時々あったし。

 

 今はもうそんなことはないが、ドライヤーをかけてあげるのは今も続いている。そろそろ自分の髪は自分で乾かすようにしてほしいな。俺のドライヤーが上手と言ってくれるのは嬉しいけど。

 

「あの、リョーマさん?」

 

「ん?」

 

「今日は、ありがとうございました。」

 

「え………?」

 

 突然チノが俺にお礼を言ってきた。お礼を言われるようなことしたっけ?むしろこっちが謝らないといけないことしかないと思うけど。………主にココアのことで。………俺も一部あるけど。

 

「俺は別に何もしてないよ?」

 

「そんなことないです。お仕事頑張ってくれましたし。ココアさんがミスをしてしまった時にフォローしてくれましたし。」

 

「そうか?別にお礼を言われるほどの事じゃ………」

 

「いえ、私はすごく助かりました。ココアさんがお仕事でミスをした時、私どうしたらいいかわからなかったんです。リョーマさん達が来る前までは、私とリゼさんでお店を回してたんですけど、リゼさんはバイト初日でお店の業務内容を全部完璧に覚えてしまって、しかもリゼさんは今まで一度もミスをしたことがないんです。それでミスの対処がわからなかったところをリョーマさんが助けてくれたんです。だから、ありがとうございました。」

 

 そういえば今日の仕事中ココアがお客さんとの接客でミスをした時、チノがアタフタしていたけど、そういうことだったのか。

 というか今チノが何気なく言ったけど、リゼってバイト初日で全部覚えたのか?しかも今までミスしたことがないって………。記憶力良すぎるだろ………。何をしたらそこまで良くなるんだ?俺にも教えてほしいな。

 

「まあこういうのには慣れてるからな。役に立てたなら俺も嬉しいよ。」

 

「………???リョーマさんはここに来る前、どこかで働いてたんですか?」

 

「働いてたというか、店の手伝いをしてたんだ。ココアの実家がパン屋で、忙しい日に、特に週末はよく手伝いに行ってたんだよ。」

 

「リョーマさんってパンも作れるんですか?」

 

「作れるよ。もちろんココアもな。」

 

「ココアさんが………ですか。」

 

 少し意外そうな表情が鏡に映っている。

 

「………というか慣れてるって、ココアさんってこっちに来る前からあんな感じだったんですか?」

 

「まあ………大体そうかな。ココアの実家ってデリバリーもやってるんだけど、一回だけお客さんが注文したパンをココアが間違えて違うパンを届けてしまって俺が慌てて交換しに行ったことがあったよ。」

 

「………しょうがないココアさんですね。」

 

 多分、今のチノの目には、ココアは失敗ばかりでドジを踏む人に見えているんだろうな。

 まあ否定はしない。実際そういうところがあるのは事実だからな。

 

「でも、良いところもあるぞ?確かにドジばっかり踏んでるけど、持ち前の明るさでみんなを元気にしてくれるんだ。実家の方ではお客さんが、ココアを見てると心が和むってよく言ってたからな。」

 

「あ、それは私も少し思いました。」

 

「おっ?チノもそう思うか?」

 

「はい。今日のお仕事中、ココアさんがお客さんとお話してて、お客さんがすごく楽しそうだったんです。私、お客さんと世間話とかしたことなくて、話しかけられても相槌を打つくらいしか出来ないので、だからすごいと思いました。」

 

「………………。」

 

「リョーマさんどうかしましたか?」

 

「えっ!?あぁいや何でもないよ。もうすぐ終わるからな。」

 

「はい。」

 

 少し驚いた。今日一日のココアの仕事ぶりを踏まえると、”それでも仕事でミスばかりするのは良くない”とか言ってダメ出ししてくるのかと思ってた。てっきり良くない印象しか抱いてないと思ってたけど、ココアのことを認めてる部分もあったんだな。

 

「ココアはいつも失敗ばかりするけど、根はすごい頑張り屋な子なんだ。もしかしたらこれからも迷惑をかけるかもしれないけど、仲良くしてくれると俺は嬉しいよ。」

 

「………………頑張ってみます。………気が向いたら、ですけど。」

 

 苦手意識を持っているのは変わらないみたいだが100%とというわけではないみたいだ。100%に近いのかもしれないけど。でも、それがわかっただけでも十分な収穫だ。望みはある。あとはココアがヘマをしないように俺が目を光らせておけばいいだけだ。

 

「こんな感じかな。チノ、終わったぞ。」

 

「はい。ありがとうございました。」

 

 髪を乾かし終えた後のチノは少し穏やかな雰囲気だった。最初の慣れなくてソワソワしたような感じではなく、緊張が解れてリラックスしているような感じだった。こういうところはココアと似てるんだな。まあ、今までココアしか髪を乾かしたことないから、これがココアと似ているのか、それとも髪を乾かしてもらったら皆こうなるのかはわからないけど。いずれにせよリラックスしてくれたようで良かった。

 

「さて、もう時間だし、そろそろ寝るか。」

 

 俺はそう言って、ベッドにダイブしたままのココアのもとへ行った。

 

「ココア、そろそろ寝るぞ?自分の部屋に行ってくれ。」

 

「………………。」

 

「………ココア?」

 

「………すぅ………すぅ………んん…………。」

 

 ………寝てる。ぐっすり寝てやがる。いくら揺すっても全然起きない。恐れていた通りになってしまった。チノがココアを褒めた時、何も言ってこなかったから、もしかしてと思ってはいたけどやっぱりか。ココアは一度眠りに入ると、たたき起こさない限り朝まで起きることはない。それにこんな熟睡した顔で寝てるのを起こすのはちょっとな………。仕方ない、運ぶか。

 

「………よっと。ちょっとココアを部屋まで運びに行ってくるけど、チノもそろそろ寝るか?」

 

「はい。私もそろそろ部屋に戻ります。」

 

「じゃあ行こうか。」

 

 熟睡しているココアを背負った俺は、チノと一緒に部屋を出た。チノの部屋は俺の部屋の向かいで、ココアの部屋はチノの部屋の隣だ。それでチノとは部屋を出てすぐに『おやすみ』と言い交わし、俺はそのまま隣のココアの部屋へ向かった。

 

 ココアは余程のことがない限り起きないけど、一応念には念をという事であまり揺らさないように一定の姿勢を保って歩いたが、そのせいで少し腰が疲れてしまった。

 

 ドアを開けて部屋に入ると、机やベッド、タンスなどがあり配置は違うが置かれているものは俺の部屋と一緒だ。

 パチンと電気のスイッチを入れ、ベッドに着いた俺は起こさないように慎重にココアをベッドに横たわらせ、そっと布団をかけた。

 

「よし、これでいいかな。」

 

「………んん………。」

 

 軽く溜息をつくと、仰向けで寝ていたココアが俺の方へ寝返りを打ってきた。元気いっぱいな子が充電が切れたかのようなあどけない寝顔だ。

 

「よしよし。」

 

「………えへへ………。」

 

 そっと頭を撫でると夢見が良くなったのか、幸せそうに微笑んだ。そういえばこの街(こっち)に来てからまだ頭を撫でていなかったな。

 ココアは頭を撫でるとすごく喜ぶ。褒めた時にすると特にだ。ここでも積極的に撫でてあげるか。頑張る意欲も上がると思うから。

 

「おやすみココア。明日も頑張ろうな。」

 

 ココアの頭を撫でながらそう囁いた俺は、電気を消し、音をたてないようにそっとドアを閉めて自室に戻った。

 

 色々あったけど何とか一日目を乗り切れた。まあここからが本番なんだろうけど、何とかなるだろ。悲観しすぎるのも良くない。何かあったらその都度対応すればいいだけ。気楽にいこう。冷静さを失うとまともな判断が出来なくなるからな。

 

 To be continued

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