「私と同じクラスのチヤちゃんだよ!」
「チヤです。よろしくね。」
「リゼだ。」
「チノといいます。よろしくお願いします。」
パン作り当日、予定通り俺、ココア、チノ、リゼ、チヤが厨房に集まった。事前にシャロも誘ってみたが、どうしても外せない用事があるということで、今日はこの五人ですることになった。
台の上には小麦粉、
「よぉし!それじゃパン作りはじめるよぉ!」
元気に号令を出したココアはやる気満々。俺も数週間ぶりのパン作りで気分は上がっている。他の三人はパンを作ったことがないからか、ワクワクする、でもうまく作れるか心配、といった期待と緊張が混ざったような顔だ。
「ねえお兄ちゃん!チノちゃんには私に教えさせて!」
「え?ココアが?」
「うん!私がお姉ちゃんっていうところを見せてあげたいから!」
開始早々そんなことを言ってきた。それで姉っぽさを見せれるんならとっくに姉っぽくなっていると思うが。未だに姉アピールをしてもチノには全く相手にされてないしな。数週間しか経ってないけど。まあやらせてみるか。
「わかった、そのかわりちゃんと丁寧に教えるようにな?」
「任せて!手取り足取り教えてあげるから!」
そう意気込んだココアはチノの横に立ち、見本を見せるように実際に作って教え始めた。すごい自信満々な顔だ。対してチノは本当に大丈夫なのかと不安気な顔だ。
俺もチノと同じ気持ちだ。ココアは理系が得意だが、それに反比例するように文系は恐ろしく苦手なのだ。それもテストで赤点を取るくらいだ。そんな人が丁寧に教えることができるのだろうか。
「じゃあチヤとリゼは俺が教えるぞ。二人とも準備はいいか?」
「ええ、大丈夫よ。」
「よろしく頼む!今日はお前が教官だな!」
でも今そんなことを気にしてても仕方ない。ココアの言うことを信じて、俺は俺のやるべきことをやろう。
俺はココアと同じように、見本を見せるように実際に生地を作りながら一つ一つ丁寧に教えた。
リゼはもうコツを掴んだのか、悪くない手付きで生地を
俺も最初はそうだったな。ココアの家にお邪魔した時に、よくココアの母親にパン作りを教えてもらってた。始めたばかりの頃はまだ体が小さかったというのもあって、すぐ腕が疲れて
「いい感じになってきたな。二人はそのまましばらく
二人の生地がある程度出来上がってきたのを確認した俺は、ちゃんと教えれているか心配なココアのもとへ向かった。ココアは熱心に教えているが、チノは首を
「ココア、どうだ?」
「お兄ちゃん!チノちゃんが全然わかってくれない!」
「あんな教え方じゃ、誰もわかりませんよ!ココアさんは説明が
そう言ってチノはムスッとして不機嫌気味だ。生地を見るとボロボロでまとまっておらず、全然
「どういう教え方したんだ?」
「えっと、愛情込めてモフモフするように捏ねてって言ったんだけど、全然伝わらなくて………。」
「………………。」
それで伝わるわけないだろ。抽象的すぎる……………いや、そんなレベルじゃない、滅茶苦茶だ。大丈夫なのかと不安だったがやっぱり駄目だったか。
「まったくもう………。チノも俺が教えるから、ココアはチヤとリゼを見ててくれ。」
「えぇ!?チノちゃんにお姉ちゃんな所見せたい!」
「だったらもうちょっと教え方を勉強してこい。そんなんじゃいつまで経ってもお姉ちゃんになれないぞ?」
「むぅ………わかった………。」
『お姉ちゃん』というワードが効いたのか、不満気に頬を膨らませながらだったが渋々リゼたちの所へ向かって行き、俺は交代でチノの隣に立った。
「ここからは俺が教えるぞ。」
「はい、お願いします。」
「まず
「はい、ココアさんよりとてもわかりやすいです。」
「そうか………。」
なんだろう………自分で言うのもなんだけど、それはそうだろうと思ってしまう。ココアには国語の勉強を頑張ってもらおう。多分俺が付きっきりになるだろうけど。
「………はぁ………腕が疲れますね。」
しばらく捏ねていると、疲れてしまったようで疲労を取るように腕を揉んでいる。
見ていて思ったが、
「コツは肘から先はあまり動かさないようにするんだ。身体もなるべく動かさない。肩から肘までだけを使うようにして正面からまっすぐ前の方向に、レバーを押すように
「わぁ………
手本として俺が
「じゃあチノもやってみようか。」
「はい!」
「……………どうだ?」
「……………あっ!すごい楽です!」
俺に教えてもらったやり方のコツが相当楽だったようで、疲れて
「これでどうですか?
そう言ってチノは
「うん、ちゃんとできてるな。」
「良かったです。それにしても生地を
「最初の内はな。慣れればそうでもなくなるよ。」
「そうなんですね。リョーマさん、ありがとうございました。」
「どういたしまして。よく頑張ったな。」
パン作りの大変さを実感したかのように深呼吸したチノは少し汗ばんでおり、呼吸も少し荒い。パン作りはずっと立ったままだからな。それに腕も使うから想像以上に体力を使う。俺たち五人の中ではチノが一番体が小さく、その分体力も少ない。だから特にそう感じただろう。
でもそんなチノでもこうして最後まで生地を作れたんだ。本当によく頑張ったよ。俺がパン作りを始めたばかりの頃、ココアの母親もこういう気持ちだったのかな。
それにしてもこうしてパン作りをしてるチノを見てると昔のココアと重なって見える。あの時のココアも今のチノみたいに興味津々で俺のパン作りを見て、それがきっかけで今まで食べる側だったココアが俺と一緒にパンを作る側になったんだったな。
そう思うと、やっぱりココアとチノって似てるなって改めて感じる。楽しそうに生地を捏ねてるところ、最後まで頑張ろうとするところ、あと野菜が嫌いなところ。性格は正反対だけど根っこの部分は同じなのかもな。
「……………あの……………リョーマ、さん………?」
「………ん?」
そんなことを思いながら、ふとチノの顔を見ると何故か驚いたように顔を赤くしていた。目を何度も瞬きしており、
それにさっきから右腕に重力というか重みを感じる。ついさっきまでそんなの無かったのに。そう思って右腕を見てみると、これも何故か俺の胸元辺りの高さまで上がっていた。重みを感じていたのはこれだったのか。でもどうして腕が上がっている?
そのまま俺は腕、肘、手首へと視線を追うように辿っていくと……………。
「……………あ!」
びっくりした!俺の手がいつの間にかチノの頭を撫でていた!
チノが驚いていた理由はこれだったんだ!
「ご、ごめん!つい………!」
「………いえ………大丈夫、です………。」
俺は慌ててチノの頭から手を離した。
完全に無意識だったぞ。昔のことを思い出し過ぎた
「その、本当にごめんな。」
「………いえ………本当に、大丈夫ですので………き、気にしないで、ください。」
そう言っているが、顔を赤くしたまま俯き、きょろきょろと目が泳いでいる。喋り方もしどろもどろだ。明らかに
俺もどうしたらいいかわからずお互い言葉が出てこない。これ以上何を言っても同じ会話が続きそうだし、気まずい空気が流れている………参ったな。
「お兄ちゃん!生地出来上がったよ!」
ココアが嬉しそうに元気な声でこっちに駆け寄ってきた。こっちも出来上がったところだし、ちょうど良かったな。………いろんな意味で。
「そうか。………なぁココア、俺ってこっちに引っ越してきてからココアの頭を撫でたことあったか?」
チノに聞こえないように小声で聞いてみた。俺の記憶が正しければ数回程度、指で数えれるくらいのはずだ。
それに対してココアは―――――
「え………?いつも撫でてくれてるよ?朝起きた時とか、お仕事が終わったときとか、晩ごはんのお手伝いをした時とか、寝る前にとか。」
「え………? ………いつも?」
「うん。」
「………………。」
コクッと頷いたココアは『なんでいつも撫でているのにそんなこと聞いてくるの?』みたいな心底不思議そうな顔で首を
……………無意識すぎるだろ。めっちゃ撫でてるじゃねえか!頭を撫でること自体は小さいときからやってるから驚かないが、ここまで無意識だったとは。そんなに
「………どうしたの?」
「いや、何でもない。じゃあ集まろうか?」
「うん!リゼちゃんたちを呼んでくるね!」
不思議そうにしていたココアだったが、すぐ笑顔になってリゼたちのもとへ行ってしまった。
「………俺たちも行こうか?」
「………はい。」
そういえばココア以外の頭を撫でたのは初めてだな。ココアの場合は撫でたらすごく喜ぶ。だから気にすることなく無意識に撫でてきた……………撫でてきてしまったんだろう。でも今回は相手がココアではなくチノだった。
………チラッと俺の後ろを付いてきているチノを見てみると、俺がさっき撫でたところに手を当てて、考え込むように俯いている。
ココアが喜ぶからと言ってチノが、他の人が喜ぶとは限らない。撫でられるどころか髪を触られるのが嫌な人だっているはずだ。
「ところで、みんなはパンの具材、何を使うんだ?」
みんなが集まり、生地を発酵させて膨らませた後、各々が今回使うパンの具材を出し合うことにした。
「私は無難に家から持ってきたこのジャムを使う。」
「私は
なるほど。リゼはジャムパンでチヤはあんぱんか。定番中の定番。不味いわけがない。そういえば俺が初めて作ったパンはジャムパンだったな。………形は
「ココアは何を使う?」
「ふふん!私はこれ!」
左手を腰に当て、右手で何かを掴み、ドドンッ!という太鼓の効果音が出てきそうなくらいのドヤ顔で出してきた。白くて細い棒状の物を束ねている。これは……………
「……………うどん?」
「うん!焼きそばパンがあるんだから、焼きうどんパンも美味しいと思うんだ!」
焼うどんパン………かぁ。………まぁ………いや………まぁ、うん………不味くはないと思うけど………別々で食べた方が………いや作ってみないとわからないよな!うん、次行こう!
「チノは?」
「私は、何も決まらなかったので、冷蔵庫にあった鮭を使おうかと。」
「………それって、美味いのか?」
「それは、私もわからないです。」
横から見ていた味の想像ができないリゼにチノは淡々と答えた。
味もわからずに作るのか………。闇鍋ならぬ闇パンだな。でも海外では魚とか魚卵を使ってパンを食べる国もあると聞いたことがあるから多分
「お兄ちゃんは何を使うの?」
「俺は……………。」
俺は具材が入っているタッパーを開こうとしたが………
「……………秘密だ。」
「えぇ!?ずるい!お兄ちゃんのも教えてよ!」
「まあまあ。それは出来上がってからのお楽しみだ。」
具材を見せ合い終えた後、みんなそれぞれ具材を生地の中に包み始めた。チノとココアは生地を焼き終えた後に使うようで、今は生地を好きな形に変えているところだ。ココアは焼きうどんパンだからコッペパンの形にしている。チノは………。
「チノ、その人は誰なんだ?」
「おじいちゃんです。いつも遊んでくれてたので。」
おじいさんだったのか。人の顔の形をしているから誰だろうと思ってたけど。
それにしてもこの『おじいさん生地』の顔、笑顔だな。おじいさんのことが大好きだったのがよくわかる。今ティッピーはここにいないけど、これを聞いたら顔を赤くして照れるだろうな。………ウサギが顔を赤くできるのかは知らないけど。
(………あ、そうだ、そろそろオーブンの電源を入れないと。)
俺はチノに頑張れと言い残して、オーブンの準備に取り掛かった。
ラビットハウスのオーブンはデッキオーブンだ。パンを焼く部屋、これを『デッキ』と呼び、タンスの引き出しのように数段重ねられている。そしてそれが三つ重ねられているから三段デッキだ。デッキはそれぞれ独立しており、例えば一段目は高めの温度、二段目は比較的低めの温度、のように複数の種類の生地を分けて焼くことができる、とても便利なオーブンだ。
さてと、肝心の温度調整だけど、みんなの生地はどれも同じくらい大きさだから温度も
………よし、これでOK!
「みんな出来たな。じゃあ最後は焼いて完成だ。」
準備を終え、いよいよ最後の工程だ。生地を乗せたベーキングトレイを各々がオーブンへ持っていき焼き始めた。俺も準備を終え、トレイを持ち上げようとした時、隣にいたチノも同時に『おじいさん生地』が乗ったトレイを持ち上げた。
「そうだ、チノはオーブンの二段目のところを使ってくれ。」
「え、私だけ、ですか?」
「ああ、チノの生地は大きいから、みんなと同じ焼き方だと焦げてしまうんだ。チノもそれは嫌だろ?」
「そうですね。わかりました。」
納得したチノは、二段目のデッキにトレイを入れ、
「………では今から、おじいちゃんを焼きます!」
ピッ!
そう言ってスイッチを押し、『おじいさん生地』は焼かれ始めた。
………言葉だけ聞いたらかなり
「ふぅ………。」
一段落つき、俺は近くにあった背もたれの無い丸型のパイプ椅子を
風景を眺めるように部屋全体を見渡すと、チノはデッキの開閉口に付いているガラス窓から、生地が焼けていく様をジーッと眺めている。膝に手を当てて中腰で眺めているけど、あの体勢疲れないか?
ココアは、いつの間にか作っていたラテアート付きのコーヒーをチヤに振る舞っていた。だが、ラテアートの出来が良かったのかチヤが飲もうとすると名残惜しそうに悲しい顔をしている。チヤが飲みにくそうにしてるからやめてやれ。練習を重ねればいつでも綺麗なラテアート作れるだろうに。
「隣、いいか?」
そう心の中でツッコミを入れながら眺めていると声をかけられ、見ると同じ丸型パイプ椅子を持ったリゼが立っていた。
「ああ、いいよ。」
俺がそう言うと、『それじゃ失礼するぞ。』と言って隣に椅子を置き、疲れを吐くように軽く溜息をつきながらゆっくりと座った。
「どうだった?初めてのパン作りは?」
「思ってたより大変だったよ。特に腕が疲れたな。」
腕を揉みながらそう言ってくる。やっぱりか。そこは誰もが通る道だからな。俺もそうだったし。
「リョーマっていつからパン作りやってるんだ?」
「えーっと、小学校に入ってココアと出会ってすぐだったから、十年くらいかな。」
「そんなに前から!?…………どおりで
驚き深く感心しているようだった。俺からすればリゼの理解力も相当だけどな。一瞬でコツを掴んでたからな。あとから付け足すようにココアも同じくらいの時期から始めてると言うと、『………それであの教え方なのか。』と苦笑いしていた。まったくだ。どこで差がついたんだろうな。
「そういえば、今日のパン作りって看板メニューを増やすのも兼ねてるんだよな?」
「ああ、ココアの
確かに始まりはココアの
「じゃあそれが決まったら、これからパン作り手伝っていいか?」
「いいけど、少し朝早くに作ることになるぞ?」
「それは大丈夫だ。いつも早朝ランニングしてるからな。」
そういえば、いつかのバイト中にそんなことを言ってたな。それをする理由を聞いても何故か顔を赤くして話してくれなかったけど。たまに窓に映る自分の顔や体をまじまじと見て
「わかった。でもパンを作るのは週末だけになると思うけど構わないか?」
「毎日は作らないのか?」
出来るなら俺もそうしたい。でもココアの実家であるパン屋を数えきれないほど手伝ってきたからわかるが、パン屋の朝はかなり早い。朝から焼きたてのパンを販売するわけだから、作るのは朝の四時~五時あたりになる。
それをラビットハウスで毎日するとなると必ず寝不足になるだろう。それにパン屋の場合はパンのことに集中できるが、喫茶店であるこのラビットハウスはそうじゃない。コーヒーだってあるし、軽食だってある。そうなると必然的にパン作りに
週末は朝から仕事ができるが、平日は学校が終わった後、放課後からバーの時間になるまでの間だけしか仕事ができない。しかも平日の朝と昼はタカヒロさんに任せっきりだ。そんなただでさえ忙しい人にパン作りまでさせるわけにはいかない。
そう考えるとパン作りは俺たち四人の仕事にして、学校が休みで時間に余裕がある週末が適正ということになる。そしてラビットハウスは九時に開店する。そこから
それらのことをリゼに伝えると、少し考えた後、納得してくれたようで週末限定ということになった。後でココアたちにも伝えておかないとな。
ピピピッ!!!
リゼと話し終えた直後、台の上に置いておいたストップウォッチが鳴った。そろそろ生地を確認しないと。
「ちょっと生地が焦げてないか見てくる。」
「ああ、いってらっしゃい。」
俺は席を立ち、今もずっと生地を眺め、デッキ窓から漏れ出ているオレンジ色の光で顔を照らされているチノのもとへ向かった。
「どうだ?いい感じに焼けていってるか?」
「はい、どんどん大きくなっています。」
俺もチノの隣でデッキ窓から生地を見てみると、チノの言う通り生地が焼けてどんどん膨らんでいってるのが見えた。焦げずにしっかりと焼けていってるな。
それにしても一秒たりとも目を離さず、ずっとオーブンに張り付きっぱなしだな。自分で作ったものが少しずつ出来上がっていくのを見て、
「あの、ココアさんも言ってましたけど、結局リョーマさんは具材に何を使ったんですか?」
どうやらチノも気になっていたらしく生地から目線を外し、俺に目を向けてきた。
言ってもいいんだけど、やっぱり驚かせたいからな。申し訳ないけどもう少し待っててもらおう。
「ごめんな。それは食べてからの楽しみに取っててくれるか?チノも喜ぶものっていうのだけは言っておくよ。」
「………そうですか。」
教えてくれなくて
なんだか今のチノ、子供っぽいというか年相応の態度って感じだな。最近ほんの少しではあるけど、こういうところを見かけるようになった。この前のチヤの勘違い騒動の翌日、ココアリクエストで夕飯がハンバーグだった時、本人は隠してるつもりだったみたいだけど顔が少し綻んでたことがあった。少しは打ち解けてくれたのかな。
――――――チノを昔の明るかった性格に戻す―――――
タカヒロさんとおじいさんに頼まれたこと。簡単ではないし、いつ果たせるかわからないけど、その日が来るまで
そう思った瞬間、視界の右端から何かが―――――
(………!!!)
一秒にも満たない時間の中で俺は、左手で右手首を掴み自分のもとへ引っ込めた。
視界の右端からやってきたのは俺の右手。そしてその手はチノの頭へ近づいていた。つまり、俺はまた無意識に頭を撫でようとしていたんだ。危なかった………危うく同じ
「………???手を掴んでどうしたんですか?」
顔を上げ、俺の不自然さに気づいたチノが首を傾げている。マズい、
「えっと………生地を
俺はくるくると手首を回しながら誤魔化した。それを見たチノは首を
気付かれなくてよかったぁ………。またあの気まずい空気は
一安心した俺は、チノがまた中腰で生地を見つめていたので椅子を持ってきてチノを座らせた後、リゼの所に戻り席に座った。するとリゼは、俺が慌てて手首を掴んで引っ込めるという一連の動きを見ていたらしく、あれは何だったのかと聞かれたので俺はさっきと同じように誤魔化しておいた。『無意識に頭を撫でようとしてました』なんて言えるわけないからな。
「よし!完成だ!」
時間になり、オーブンからパンを取り出した。黒く焦げることはなく焼きたてのいい香りが漂ってくる。チノのおじいさんパンも焦げていない。完璧だ。
「わぁ!いい匂い!」
ココアは既に食べる気満々だ。さっきからずっとうずうずしている。
「「「「「いただきます!」」」」」
皆それぞれまずは自分が作ったパンを食べ始めた。俺も一口食べてみた。中までしっかりと火が通っており、良い出来だ。数週間ぶりだったから失敗しないか不安だったが
「ねえお兄ちゃん。結局具材は何使ったの?」
ココアが焼きうどんパンを片手に聞いてきた。そろそろ教えてあげるか。
「ほら、食べてみな。」
そう言って俺は自分が作ったパンを手渡した。見た目は何の
それを受け取ったココアは持っていた食べかけの焼きうどんパンを一旦クッキングペーパーの上に置き、パクッとゆっくり一口食べ始めた。しばらく
「ああ!ハンバーグパンだ!」
パァッと満面の笑みになり、急発進した車のようにバクバクと食べ始めた。
「そんなに勢いよく食べたら喉を詰まらせるぞ?」
「あっへおいいんあおん(だって美味しいんだもん!)」
飲み込んでから喋れよ。言ってることは伝わったけど。どうやら手と口が止まらないみたいだな。まあ初めて見る光景じゃないから別に驚かないけど、周りは驚いているみたいだな。特にリゼとチヤが。
そんなリゼたちにも俺が作ったパンを渡して食べてみてもらうと、
「美味いな!これ!」
「えぇ!これはいくらでも食べれちゃうわ!」
リゼとチヤも大好評みたいだ。横にいるココアは何故か胸を張って誇らしげだったが。作ったのは俺なんだけどな。上手く作れたことに安心した俺は、さっきから一言も喋らずに俺が作ったパンを食べているチノの所へ向かった。
「チノはどうだ?口に合うか?」
「……………。」
俺が声をかけても、聞こえていないどころか反応すらしなかった。ココアほどではないが、ただひたすらパンを口に運んでいる。
「………チノ?………チノ!」
「………っ!? djfjhんfがbsァうrz!!!」
「え………?何?」
俺の呼びかけにやっと気付いたチノだったが、パンが口の中にある
「ほら、水。」
「………ん………ん………はぁ………。ど、どうしました?」
「あ、いや。口に合ってるのかなって思って。」
「あ、えっと………美味しい、です。」
さっきの自分の姿をはしたないと思ったのか恥ずかしそうに顔を赤くし、俯きながらそう答えていた。
「えへへ!お兄ちゃんのハンバーグ美味しいもんね!」
「……………。」
横から食べかけのパンを持ったココアが
俺は何とかチノを落ち着かせた後、『口に合ったなら良かった』と言って、チノを椅子に座らせた。その後チノは味わうように一口ずつゆっくりとパンを食べていた。
はむ…はむっ…もきゅ……もぐもぐ…
………俺だけなのかもしれないけど、離れて見てると小動物が餌付けされてるように見えるんだよな。味わってこそいるが口の中にあるものを全て飲み込み切らずに次の一口、また次の一口と止まることなく口に運び続けている。一口の量は少ないが”塵も積もれば山となる”という
「お兄ちゃん!私のパン食べてみて!」
いつの間にか俺のパンを食べ終えたココアがパンを差し出してきた。コッペパンの間に玉ねぎや人参、ピーマン、そしてうどんが挟まれており、
「ああ、わかった。」
俺は焼きうどんパンを受け取り、一口食べた。パンとうどんのもちもちとした柔らかい食感、玉ねぎやピーマンのシャキシャキとした野菜の食感、そして
「どう………?」
「ん?ああ、美味しいよ。よくできてる。」
「よかったぁ!」
少し不安気なココアだったが、俺の感想を聞いて一安心したように笑顔になった。他にも色々と感想はあったが余計なことは言わないでおいた方が良いな。美味しかったのは事実だし。
「ねえねえ!頑張ってパン作ったから、頭撫でで!」
そう言ってスッと頭を差し出してきた。
「はいはい。」
「えへへぇ!」
優しく頭を撫でると、うっとりとしてご
「……………。」
ふと視線を感じ、チラッとそっちの方に目を向けてみると、撫でられているココアを見たチノがまた自分の頭に、俺がついさっき撫でた所に手を当てて、何か考え込むように俯いていた。
………やっぱり気にしてるよな。はぁ………失敗したな。ただでさえ未だにココアと打ち解けていないのに、というか少し
「それじゃあ、みんなのパンを食べていこう!ということで、まずはリゼちゃんのパン食べさせて!」
「ああ。じゃあ私もみんなのパンを食べさせてもらうか。」
「ふふ、みんなでパン交換会ね!」
撫でてもらって満足したココアはリゼたちが作ったパンを次々と試食していった。
俺もみんなのパンを食べさせてもらうか。
そう思い、足を一歩踏み出した時、パン用の包丁――――ブレッドナイフを持って『おじいさんパン』の前に立っているチノの姿が目に入った。なんだか意気込んでいるような様子だが。
「チノ、何してるんだ?」
「パンを切ってトーストにして、その上に鮭を乗せようと思います。」
「手伝わなくて大丈夫か?」
「はい、最後まで自分でやってみたいです。」
トーストにしたかったのか。一人でやりきりたいみたいだし野暮なことはしない方が良いな。パン作りの達成感、チノにも存分に感じてもらおう。
「そうか。手を切らないようにな?」
「はい。………では今から、おじいちゃんをスライスします!」
……………相変わらず言葉だけ聞くと
「リョーマ君、ちょっといいかしら?」
椅子に座り、みんなが作ったパンを一つずついただきながら、そっとチノを見守っていると、トントンと肩を叩かれた。
振り返ると、チヤだ。
「どうした?」
「今日作ったパンなんだけど、いくつか貰って帰ってもいいかしら?シャロちゃんへのお土産にしたくて。」
用事があるから仕方なかったとはいえ、シャロを誘った時、本当はすごく行きたそうにしてたからな。お土産にしてパンを送れば、もどかしかった気持ちも少しは減ってくれるだろう。
「ああ、構わないよ。ちなみにシャロの好きなパンってあるか?」
チヤは思い出すように
「そうね、パンなら何でも好きだけど、特にメロンパンが大好きなの。小さい頃からよく食べてて。」
「わかった。じゃあメロンパンも作っておくよ。多めにな。」
「え、いいの?」
「メロンパンなら何度も作ったことがあるし、それに折角なら好きなパンも食べて欲しいからな。」
「ふふ、ありがとう!シャロちゃんも喜ぶわ!」
クスッと笑いながらお礼を言ってくれた。メロンパンを食べるシャロを想像でもしたのだろうか。俺で言えば美味しそうにパンを食べるココアを想像するようなものか。そのココアは今、あんぱんやジャムパンをパクパクと食べているが。みんなも食べるんだから独り占めするなよ?
シャロへのお土産が決まり、早速俺はメロンパンの生地作りに取り掛かった。メロンパンは通常の生地のほかに外側のクッキー生地も作らないといけない。このクッキー生地の出来具合がメロンパンの美味しさを左右するといっても過言ではない。俺が思ってるだけかもしれないが。
ちなみにメロンパンはサクサクタイプとしっとりタイプの二種類があるが、俺はサクサク派だ。サクッとした食感と同時に、口に広がる甘さ。あれが
「……………。」
「………ん?」
そんなメロンパン持論を頭の中で唱えながら俺は生地を
ひらひら……………
「………!!!」
トースト作りそっちのけでずっと見ていたので、少し
生地を
―――――そして生地の発酵を待つこと十数分。
「リョーマさん、出来ました。」
「お、出来たか?」
完成したパンを持って俺のもとにやってきた。最後まで自分で出来たのが嬉しかったのか、少し誇らしげだ。
「リョーマさん、食べてみてください。」
「え、俺が?」
「はい、パン作りが得意なリョーマさんに食べてもらった方がちゃんとできたかどうかわかりますから。」
そう言って持っているパンを差し出してきた。てっきり自分で食べるのかと思ってたが。でも考えてみれば自分で食べるより、人に食べてもらって感想を聞いた方が確実だよな。俺も昔はココアに食べさせて出来の良さを聞いてたからな。今もだけど。
「そうか?それじゃあ………」
差し出されたパンを受け取って見てみると、こんがり焼けたトーストの上にフレーク状になった鮭が、さらにその上にバターが乗せられており、トーストと鮭の熱でバターが溶け、ジュワっと広がっている。名づけるなら鮭トーストだな。
「いただきます。」
カリッ………サクッ………
一口食べてみると………美味しいぞ!バターの塩気と鮭が合わさってものすごく合う!焼き魚と塩の相性は抜群だからな。そして後からそれらを包み込むようなほんのりとしたバターの甘味。パンと魚ってこんなに合うんだな。海外ではよく食べられているらしいからな。美味しくて当然だ。もしかしたら青魚や白身魚も合うかもしれない。今度試してみるか。
「どう、ですか?」
「本当に美味しいよ。正直に言うと本当に美味しいのか不安だったんだけど。チーズとかマヨネーズをトッピングすればもっと美味しくなると思う。ありがとなチノ。大発見だ!」
「そうですか!良かったです!」
少し不安気だったチノだったが、俺が笑顔で感想を言うとホッとした笑顔になった。
笑っているぞ。
笑っているといっても、ほんの微笑んでいる程度だけど。でも笑っている。とは言っても、こういうのは今まで何回かあった。けど今回は少し違う。いつものチノならここで自分が笑っていることに気付いてすぐに取り
きっと初めてのパン作りが上手くいって、取り
こうやって笑顔が増えていけば、自然と笑うようになってくれるだろうからな。
「………………。」
そんなチノだが、さっきから一言も発さず、若干
「………どうした?」
「………あ、えっと………あの………。」
考えてもわからなかったので問いかけてみたが、チノはなかなか言おうとせず口ごもっている。
さっきからのチノの視線や仕草――――なにか俺に言いたいことがあるんじゃないか?そう思えてならない。
「………………。」
スッ………
何かを言おうとしていたチノだったが結局何も言わず、ほんの少しだけ、間近で見ないと気付かないほど、ほんのわずかにお
………礼をしてる?なんで?礼をするなら
「……………。」
「……………。」
何故かわからないが何も言わずに礼をしているチノと、
お互い黙ったまま時間が流れる。
「ど――――」
「チノちゃん、頭を下げてどうしたの?」
『どうした?』と言いかけた瞬間、いつの間にか割り込んできたココアが俺が思っていたことを言ってきた。
「へっ!?………あ、いえ、………別に………。」
頭を下げてて気付かなかったようで、声をかけられたチノはビクッと肩を震わせ、小さく頭を振った。その声は聞き取りづらいくらいにか細く、簡単に聞き逃してしまうほどだった。
「………………。」
そこからはまた何も喋らなくなり、ほんの一瞬だけ、チラッとこちらを見上げたその瞳には、伝えたいという気持ちと、喉まで出かかったそれを飲み込もうとする迷いが静かに揺れているように見えた。
「それよりお兄ちゃん!あの寝かせてる生地ってもしかしてメロンパン?」
……と、空気を一変させるようにココアの声が飛び込んできた。
あー、この感じ………まさか。
「………ああ、そうだけど。」
「食べていい!?」
やっぱりか!本当に食いしん坊だな!キラキラした目をしてるし!
「いや、あれはダメだ。あれはシャロへのお
「………そっか………シャロちゃんへの………。」
俺の一言でココアはウキウキした顔からほんのりと唇を噛むような困り顔になってしまった。視線を生地に移し、キュッと自分のエプロンを掴んでいる。
そして少し悩んだ後、こっちを向いたココアはぽつりと呟いた。
「………一個だけ………やっぱ、ダメかな?」
シャロの分を減らすわけにはいかない。でも食べたい。そんな
俺は
「ごめんな。今日は我慢してくれるか?今度の週末にたくさん作ってやるから。な?」
「………っ!?本当に!?絶対だよ!?」
「ああ。だから今日は我慢してくれるか?」
「うん!」
作ってくれるとわかった
「それにしてもお兄ちゃんって頭撫でるの上手だね!」
小さい時から撫でてたら上手くもなるだろうよ。昔のココアなんて事あるごとに頭を撫でろと
「まあ誰かさんのおかげでな。」
「えへへ!」
すっかりご機嫌になり満足したココアは元気な声で『ハンバーグパンも作ってね!』と、しれっと追加オーダーをすると、俺に有無を言わさず軽い足取りでチヤたちの所に戻り楽しくお喋りしていた。
そっちは店用で作りたいんだが………。まあ良いか。作る量が少し増えるくらいどうってことない。
(そうだ!チノ………。)
そういえばさっきチノが何か言いたそうだったな。何故か礼をしてたけど。
そう思いチノに目を向けると、
(…………え?)
俺とココアのやり取りを見ていたチノは、両手を自分の胸元に当てて悲しい表情で視線を床に落としていた。さっきまで上手くパンを作れて喜んでいたのに。
「どうしたチノ?具合が悪いのか?」
心配になった俺はチノと同じ目線になるように片膝をついた。顔を上げたチノは俺と目が合うと顔ごと目を
「………いえ、何でもないです。………私も、パンを食べてきます………。」
チノはそう言って、トボトボと重そうな足取りでココアたちが作ったパンを手に取り、椅子に座ってボソボソと食べていた。さっきのハンバーグパンの時とはえらい違いだ。食べる姿がどこか物悲しい。
(……………。)
何か間違ったことをしたのか?作ったものを食べてもらって美味しいと言われて嫌がる人なんていないだろうし。………考えても全然わからない。
そういえばチノが『おじいさんパン』をスライス……………鮭トーストを作る前、妙に張り切っていたけど、あれは何だったんだ?何かをする時に頑張ろうっていう気持ちになるのはわかるが、あの時のチノは鮭トーストとは別に何か他の目的もあったように見えた。もしかしてそれが叶わなくて落ち込んでるのか?でもそれが何なのかがわからない。聞いても答えてくれる様子じゃないし……………。無理に聞かない方がいいな。
そう思った俺はチノをそっとしておいて、一口食べたきりの鮭トーストを食べたが、どうしても悲しげにパンを食べるチノの様子が気になり一口目を食べた時ほどの美味しさは感じられなかった。
「今日は誘ってくれてありがとね。」
「まさかパン作りがあそこまで大変だとは思わなかったけど、楽しかったな。」
パン作りを終え、リビングに集まった俺たちはテーブルを囲み、チノが淹れてくれたコーヒーを飲んでいた。
みんなパン作りが上手くいって満足してくれたみたいだ。俺も感覚が
「そうだわ!今日のパン作りのお世話になったお礼に、今度は私がみんなをうちの喫茶店に招待したいんだけど良いかしら?」
「え!?いいの!?」
俺の正面に―――――チヤの隣に座っているココアがものすごい食い気味に反応していた。ほぼ毎日通っているのに。
「ええ、もちろん!………と言っても、ココアちゃんとリョーマ君はもう来たことあるけど。」
「え、そうなのか?」
俺の隣に座っていたリゼが少し驚いた表情で俺に聞いてきた。
「ああ。ココアと一緒に散歩に行った時にな。そこで初めて出会ったんだ。」
「あぁ、あの日ですね。じゃああの時持って帰ってきた栗羊羹はチヤさんのだったんですね。」
「ええ、そうなの!チノちゃんのお口にも合ってたかしら?」
「はい、とても美味しかったです。………ほとんどココアさんに食べられてしまいましたが………。」
「………あ、あはは………美味しくてつい………。」
チノにジロッとジト目で見られたココアは苦笑いしながら後ろ頭を
チヤから三本の
「ふふっ。それじゃあチノちゃんにはいっぱいサービスするわね!」
「ありがとうございます。………ココアさんに横取りされないと良いですが…………。」
「うぅ…………もう許してよぉ。」
「………ふん。」
そう鼻を鳴らしたチノはズズッとコーヒーを飲んだ。ちなみにあの後、後になってようやく
「………………。」
そんな感じで会話が弾んでいたが一人だけ一言も言葉を発さない人物がいた。俺の隣に座っているリゼだ。少しだけ頬を膨らませ、肘をテーブルに当てて
「リゼ、どうした?」
「………別に。何でもない。」
ボソッと呟くように言うと、視線をテーブルに落とした。
いや、絶対嘘だろ。ムスッとしてて
話に……………?あ、そうか!この中でリゼだけが
「………
「………………!!!」
ピクッと反応したが何も答えない。当たりっぽいな。
「………自分だけ話に入れないから仲間外れだと痛゛た゛た゛た゛た゛た゛た゛た゛た゛た゛ぁ!!!」
突然左足に激痛が走った。見てみるとリゼの右足が俺の左足を
「ごめん!ごめんってば!わかった!今度みんなで一緒に行こう!それでいいだろ!?な?な!?」
「………………ふん!」
さっきのチノよりも大きく鼻を鳴らしたリゼは、腕を組み、顔ごとそっぽを向いてしまった。ココアたちは首を
痛かったぁ………。リゼめ………思いっきり
みんなも人を
To be continued