楽しかったパン作りから数日後のとある休日。俺たちはチヤから喫茶店の招待を受け、
「そういえばチノちゃん、今日はティッピー連れてないんだね?」
「…………はい。今日は
「そうなんだ。チノちゃんってティッピーの気持ちがわかるんだね!」
「……まぁ…………少しくらいなら。」
歯切れが悪そうにそう言ってチラッとこっちを見てきたチノに俺は苦笑いを返した。
実は
何故そこまで目の
俺はおじいさんに、自分の
「着いたぁ!」
ココアの元気な声と共に
「チヤちゃーん!来たよー!」
「いらっしゃい!待ってたわ!」
軽い足取りで入って行ったココアに続いて俺たちも店内に入った。それに気づいたカウンターに立っていたチヤは待ってましたと言わんばかりにパァッと明るい顔になり、俺たちの方へ駆け寄って来た。そしてハイタッチをするようにココアと手を合わせあっている。息ピッタリだな。
「さあ!こちらへどうぞ!席に案内するわ!」
俺たちはテーブルへ案内してもらい、最初にチノが奥の方へちょこんと席に着くとココアが「私はチノちゃんの隣!」と言ってチノの隣に座った。するとココアは「姉妹みたいだね!」と嬉しそうに言うとチノは「姉妹じゃないです。」と淡々と否定していた。そのやり取りを見て苦笑いをした俺とリゼも席に向かいリゼが奥の方俺が手前に座り、二対二という向き合う形になった。
「はい、お
チヤが手渡してきたメニューを全員が受け取り終わると、ココアはすぐさまメニューを開きどれにしようかニコニコと選んでいる。だがそれとは反対にチノとリゼは困惑したような、理解が追いつかない顔をしている。同じメニューなのになんでチグハグなんだ?
不思議に思い俺もメニューを開き見てみると………
(
……………何これ?ここ和菓子屋だよな?宝石屋じゃないよな?二人が困惑していた理由はこれか。それはわかる。でもじゃあなんでココアは当たり前のように普通でいられるんだ?
「どれにしようかな~?
「………ココアわかるのか!?」
宝石みたいな名前しか書かれていないのに、それを全て理解してるココアを見て驚いた俺は聞かずにはいられなかった。そんなココアはキョトンとした顔で小首を
「え?うん、わかるよ。………お兄ちゃんわからないの!?」
そこから信じられないといった顔で驚き返されてしまった。そんなに深刻そうな顔をしなくても………。こっちからしたら全部わかってるお前の方が驚きだよ。
「でも大丈夫だよ!全部美味しいのは間違いないから!ということでチヤちゃん、私はこの
「ええ!わかったわ!ほかのみんなはどうする?」
「………えっと、そうだな………。」
どうすると言われても何が何なのかわからないから、どうしようもない。それはチノもリゼも同じだ。どれを選べばいいのか迷っている様子だ。
このままじゃ
そう思った俺はメニューに目を戻し、やけくそ気味に目に入った『
注文を受け、メモをしたチヤは「少し待っててね」と言い残し奥の部屋へ向かって行った。
「それにしても、なんだか落ち着く雰囲気だな。」
そう言ってリゼは軽く伸びをしていた。それにつられるようにココアも伸びをして若干ウトウトしている。
俺は二回ほど来たことがあるが、改めて店内を見渡してみるとこの店は全体的に『和』をコンセプトにしてるのがわかる。
まあ全部が全部『和』を意識してるというわけではないみたいだけどな。周りのお客さんを見てみると、パフェを食べてる人がいたり、ソーダを飲んでいる人もいる。和菓子が苦手な人のために少しだけだが洋菓子も出してるようだ。
そしてさっきリゼが落ち着くと言っていたが、それは店内に目に付く物が少ないからだろう。窓の外の景色、壁に掛けられた絵、天井の灯り、それくらいしか視界に入ってこない。あとはカウンターの横にある、王冠を被った黒いウサギの置物くらいか。
余計なものが無いからか、不思議と気が楽になる。こういうのが『和』ってやつなんだろうな。
そんなことを思った俺だったが、この後ウトウトしていたココアが前に倒れテーブルに
「お待たせ!」
しばらく待っていると、俺たちが注文したものをお盆に乗せたチヤがやってきた。あと何故か数切れほどの栗羊羹が乗った小皿も一緒にある。
さてと、俺たちはいったいどんな宝石を………じゃなくて、和菓子を注文したのやら。
「リョーマ君は
そう言ってチヤは順番に
これでわかったがメニューに書かれている名前は、それぞれの和菓子を何かに見立てているんだ。俺が頼んだ
「いただきまーす!」
そう言ってココアはパフェ用のスプーンを持ち一口食べると、頬に手を当てうっとりしている。相変わらず美味しそうに食べてるな。
「美味いな!」
「美味しいです!」
リゼもチノも一口食べると、食欲を増したかのように二口目を口に運んでいる。
俺もつられるように
(やっぱり美味しいな。)
わかりきってたことだけど美味しい。生地は餅のように伸びている。何よりこの餡子が良い。甘味もしつこくないから砂糖の量も入念に調整しているんだろう。そんなの美味しいに決まってる。なんて言ったってこの前ここでモナカを食べた時、美味しすぎて涙が出そうになったからな。………クラスの女子たちに質問され過ぎて心が疲弊していたからかもしれないが。
「チノちゃんの一口ちょうだい!」
「あ、ちょっと!」
ココアは有無を言わさずパフェ用のスプーンでチノの
「お口に合って良かったわ!」
そう言って満足そうに笑みを浮かべたチヤは、カウンター横に置いてある兎の置物の所まで向かった。少し気になったのでチラッと見てみると、
「はい、あんこ は
………
「ん?みんなどうしたの?」
「あ、いや………それ。」
と言って俺は兎の置物に指を指すと、
「あぁこの子?この子はうちで飼ってる看板兎の『あんこ』よ。可愛いでしょ?」
「「「「………ウサギ!?」」」」
予想外の答えが返ってきた。俺含め全員驚いている。いや、
「これ本当にウサギさん!?」
ココアは嬉しそうに席から立ち上がり、あんこ が乗ってる台の元まで駆け寄り、台の周りをグルッと一周して あんこ を眺めている。
「チヤちゃん!このウサギさん触ってもいい?」
「ええ、いいわよ!」
「やったぁー!」
ココアは大喜びで、 あんこ の両脇をそっと両手で掴み持ち上げると、ギュッと抱きしめスリスリと あんこ の頬に頬ずりしている。その間 あんこ はピクリとも微動だにしない。本当に置物じゃないんだよな?普通の動物なら何かしらの反応を見せるのにここまで無反応とは。ウサギでも色んなウサギがいるんだな。
「本当に動かないな。このウサギ。」
リゼも席を立ち、あんこ の耳をツンツンと
「あんこ は余程のことがないと動かないの。初めて見るお客さんには、みんな置物だと勘違いされちゃうのよ。飼い主の私にでも滅多に動かないの。」
だから慌てることなく、こういうのは慣れっこみたいな雰囲気を出していたのか。ある意味この勘違いは
「…………。」
ふと正面を向くと、あんこ を抱きしめているココアをチノがチラチラと見ていた。
「チノは触らないのか?」
「え………?いや、その………。」
何故かわからないが、しゅんとした顔で落ち込んでしまった。
「あぁ………チノは動物に懐かれないんだ。今まで何度か野良ウサギを触ろうとしたことがあったけど、その度に逃げられたりそっぽ向かれたりしてな。」
「え?そうなのか?」
リゼがチノの代わりに理由を言うと、チノは無言で頷いた。そういえば動物を触れあってるところを見たことがなかったな。ティッピーは………中身があれだから例外として。
ココアは見ての通り明るく元気な声で笑顔を絶やさない、人懐っこい性格だ。今までいろんな動物に懐かれているのを見たことがある。対してチノはその逆で表情が控えめで、自分からぐいぐい動くような積極性が無い。その差が動物の懐かれやすさに出ているんだろう。
動物は、人のちょっとした仕草や表情に敏感だ。
だからこそ、感情を隠すのが得意なチノは、距離を置かれやすいのかもしれない。
そう考えるとココアが動物に懐かれやすいのは容易に頷ける。つまりチノもココアと同じようになれば良いんだが………それが出来たら今俺の目の前で落ち込んだ顔なんかしてないよな。
「とりあえず触るだけでもしてみたらどうだ?チヤがさっき言ってたけど余程のことがないと動かないみたいだし。」
「そう、なんでしょうか………。」
俺がそう促してみても、どうせ逃げられるんじゃないかと思ってそうな諦めてる声で席から立とうとしない。
「ココア。チノにも あんこ を触らせてやってくれるか?」
「うん!いいよ!はい、チノちゃん!」
「え………?」
ずっとモフモフしていたココアが、あんこ の顔がチノに見えるようにクルッと横回転させて差し出してきた。
「ほら、触ってきな。」
「………………。」
少し悩んだチノは、意を決して席から立ち上がりゆっくりと あんこ のもとへ歩み寄った。そして あんこ の顔をジッと見つめ、恐る恐る指を近づけ、
————ちょん
「っ………!?」
何故かチノが驚いて、あんこ の耳に触れた手を引っ込めた。それでも身動きしない あんこ を見たチノは、もう一度手を近づけ今度はよしよしと背中を撫でた。ちゃんと触れてるぞ。チノが少し感動してるように見える。
「あのチヤさん、抱っこもしてみていいですか?」
「ええ!もちろんいいわよ!」
ちょっと自信が付いたみたいだ。ココアから手渡された あんこ をチノはそっと受け取ると、
「………………ふぅ。」
ジッと あんこ の目を見つめ、軽く深呼吸をしてギュッと抱きしめた。すると余程嬉しかったのか、少しだけ笑みがこぼれている。
「よかったねチノちゃん!」
「はい!」
まるで自分のことのようにココアは喜び、チノは触れたことに感動が混じったように喜んでいる。少し強引だったけど上手くいったな。
それにしても動物に懐かれないチノにさえ無反応とは………。本当に本物のウサギなのか?ココアとチノの様子を見る限り本物っぽいが………。
気になった俺は席を立ち、あんこ を抱いているチノの元まで近づき————
「……………。」
あんこ に顔を近づけジッと凝視した瞬間、
「…………っ!!!」
「…………え?」
ピン!、と耳を跳ねさせ、一瞬で顔だけをこちらに向け俺と目が合った。
「うわ!?」
「きゃっ!」
あんこ は自身を抱きしめていたチノをジャンプ台にするかのように飛び跳ね、俺の顔面に抱き着いてきた!
前が真っ暗だ!俺は慌てて あんこ を引き離すと、さっきまであんなに無反応だったのに今では目をキラキラさせて俺を見ている。
「うぉ!?ちょっと!?」
あんこ は俺の体をスルスルとよじ登ると、俺の肩に乗っかり両手両足をだら~んとぶら下げた。そして俺と目が合うとスリスリと頬ずりをしてきた。…………くすぐったいな。モフモフではあるけど。
「チノ、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。」
あんこ に蹴り押され、尻もちをついていたチノをリゼが手を引いて起こした。そしてパッパッと服の汚れを払ったチノは、俺が目に入ると「………あ。」と呟きながら、ちょっと羨ましそうに見てきた。
「まったく、人を蹴ったらダメだろ?」
そう言いながら俺は あんこ を肩から降ろした。相変わらずキラキラした目で俺を見ているが、今はチノが持ってたんだからチノに渡さないとな。
「はい、チノ。」
「あ、ありがとうございます。」
あんこ の顔が見えるように渡し、チノが受け取ろうと両手を近づけた瞬間—————
ドフッ!!!
「ひゃっ!?」
あんこ が思いっきりチノの手を蹴り払ったぞ!カンガルーみたいなキックだったな。…………いや、ウサギだからウサキックか?
「大丈夫か!?」
と、俺が慌てて声をかけると「………は、はい…………。」とチノは目を見開いたまま固まっている。びっくりしすぎて困惑してるな。
「こら あんこ、チノちゃんを蹴ったらダメだよ?」
そう言ってココアが手を近づけ、頭を触ろうした瞬間————
ドフッ!!!
「きゃっ!!!」
今度はココアの手を蹴り払ったぞ!なんで!?さっきモフモフされてた時は無反応だったのに!?
「チヤ!どうなってるんだ!?滅多に動かないんじゃなかったのか!?」
「私もここまで動くあんこは初めて見たわ!」
チヤが目を丸くして驚いている。飼い主が一番驚くなんて………。本当に滅多に動かないんだな。というか本当にウサギだったんだな。
「そうだわ! あんこ は
「はいチノちゃん。」
「ありがとうございます。」
「ど、どうぞ………。」
と言って、恐る恐る栗羊羹を差し出したが、
「………。」
『そんなものいらない。』と言いたげに、ふいっと顔を横に背けてしまった。チノがしゅんとしてしまっている。好物じゃなかったのか?
「おかしいわね………いつもなら食べるのに。」
チヤは不思議そうに首を
「じゃあ次は私があげてみる!」
と言ってココアはチヤから
「………。」
さっきのチノの時と同じように顔を背けてしまった。
「ほらほらぁ、あんこ の大好きな
そう言って あんこ の口に
ペシッ!
「きゃあ!」
余程嫌だったのか、手を蹴り払ったぞ。さっきより威力は弱めだったけど。
「うぅ、お願いします!食べてください!」
ココアは両
「………ねえリョーマ君。リョーマ君が食べさせてくれないかしら?」
小皿を持ってチヤがこっちに歩いてきた。
「俺が?」
「ええ。多分リョーマ君なら食べてくれると思うわ。」
そう言って
そんな疑問を浮かべながら俺は あんこ を元の台に戻し、チヤから
「ほら。」
と言ってそっと差し出した瞬間、
「………っ!!!」
あんこ は俺の手に顔ごと向け、縋りつくように俺の手を掴みムシャムシャと貪るように食べていた。
「ええ!?なんで!?」
「こ、こんなのおかしいです!」
その様子を見ていたココアとチノは納得いかない顔で文句を垂れている。そんなことを言われてもな………。
「やっぱり! あんこ はリョーマ君に懐いてるのね!」
「そうなのか?」
「ええ!こんなに懐く あんこ 初めて見たから!」
そうだとしてもなんで俺だけ………?会ってまだ数分しか経ってないし、少し持ち上げるくらいしかしてないのに。
「チヤちゃん!なんでお兄ちゃんにだけ懐くの!?」
「ん~そうねぇ。ウサギは基本、穏やかな人に懐くの。ココアちゃんはリョーマ君のことをお兄ちゃんとして慕ってるから、あんこ はそれを感じ取ってリョーマ君なら大丈夫って思ったんじゃないかしら?それにしてもここまで懐いちゃうなんて。ふふ、ちょっと妬けちゃうわね!」
そんなことを言ってはいるが、顔はどこか嬉しげだ。きっと今まで見たことない あんこ を見れたからだろうな。
「だったら私だってチノちゃんのお姉ちゃんだよ!お兄ちゃんだけずるい!」
「ちょっ!?こら叩くな!俺に当たっても仕方ないだろ!?」
ココアが駄々をこねてポカポカと叩いてきた。その横でチノが何か言いたそうにジト目でココアを見ている。今ならチノが何を考えてるのかわかる気がする。
「でもずるい!」
「そう言われてもな………。」
ココアが頬を膨らませている。こればかりは俺に言われても仕方ない。かといって あんこ に言っても言葉が通じないしな。
「………ん。」
そう言ったままココアは頭を差し出してきた。
「………ん!」
「……あ、ああ!わかった。」
一瞬何なのかわからなかったがすぐに分かった。頭を撫でろってことか。
「………えへへ!」
本当にココアはどんなに不機嫌でも頭を撫でてあげると機嫌が直るんだよな。昔からそうだけど。
そんな空気の中、あんこ は俺を見つめ『もっとくれ!』と言わんばかりにゆさゆさと俺の手を揺すっている。
「チヤ、残りの
「ええいいわよ!あんこ も喜ぶわ!」
チヤから残り二切れの栗羊羹を受け取り、あんこ に差し出すと『待ってました!』といった目でガツガツと食べている。気になっていたがウサギがこういう和菓子とか甘いものを食べて大丈夫なのか?ウサギは野菜や果物、植物類を食べるはずなんだが。もしかしたらこの
やがて
「ごめんな あんこ。もう終わりだ。」
そう言うと あんこ は、少し残念そうな雰囲気を出し
「よしよし。」
優しくそっと頭を撫でてあげると、ゆっくりと目を細め、耳を後ろに倒してきた。たしかウサギが耳を倒すのは安心してリラックスしてるサインだったっけ?ずっと無表情でわからなかったけど、あんこ は行動で感情を伝えるタイプみたいだな。………いや、ウサギはみんなそうか。ティッピーが特殊なだけか。そうだよな。喋るウサギなんているわけないもんな。定期的にティッピー以外のウサギに触れあっておこう。感覚がおかしくなりそうだ。
「……………。」
突然背筋が凍るような視線を感じそっちを見てみると、チノがむすっと頬を膨らませ、俺を恨めしそうに睨んでいた。
しまった!ココアの機嫌が直ったからすっかり解決した気になってた。チノが最初に触ってたのに俺に懐かれた挙句、蹴られて拒絶されたんだ。冷静に考えたらチノが一番怒ってるはずだ。
「えっと………触るか?」
と言って俺は肩に乗っかってる あんこ を持ち、チノに差し出したが………
「………ふん!」
完全に拗ねたチノはズカズカと席に戻り、ココアが楽しみにとっておいたのであろう
ココアは今にも泣きそうな顔になったと思ったら、頬を膨らまして「お兄ちゃんの
ごめんなココア。いつか埋め合わせはするから。でもお前も最初、勝手にチノの
「はい、お茶をどうぞ。」
食後、チヤが熱い緑茶を淹れた湯呑みを出してくれた。湯気が立っていたので啜るように一口飲んでみると………美味しい!コーヒーもそうだけど食後にこういう苦みや渋味があるものを飲むとすごく落ち着くんだよな。口に残った甘さとかも洗い流してくれるからさっぱりするし。………あとチノの機嫌も直してくれるし。
あの後、全員席に戻って残りの和菓子を食べ始めたけど、空気が重すぎた。チノは、俺の肩に乗ってる あんこ が俺に頬すりして甘えてくるのを見ては機嫌が悪くなり、なんとか機嫌を直そうと試しに「俺の
「そういえばチヤちゃんのお店のコップって珍しい形してるね。」
と言ってココアは持っていた湯呑みを両手で掲げるように持ち上げ、くるくると横に回転しながら湯呑みの側面を眺めていた。
確かに頻繁には見ないな。こういう和菓子店や料亭でしか見ることはあまり無いだろう。コーヒーを扱うラビットハウスとは縁遠い物だ。
「そうだ!今から新しいコーヒーカップ買いに行こうよ!」
湯呑みを眺めていたココアがそう提案してきた。
「うちにカップがいっぱいあるじゃないですか。買い足す必要なんてないです。」
「そうだけど、もっとオシャレなカップがあったら楽しいよ!お客さんも喜ぶよ!」
「シンプルイズベストです。」
チノはあまり乗り気じゃないらしい。使わずに置いてるカップがあるくらい余ってるからな。チノの言う通りこれ以上増やしたところでそもそも使う機会があるかどうか………。
「じゃあ私たち用のカップを買いに行こうよ!それならいいでしょ?」
「なんでそこまで欲しいんですか?うちにあるカップで充分じゃないですか?」
相変わらずめげないなココアは。まあ確かにチノの言う通り、今あるカップでも充分だろう。傷は付いてないし割れてもない。味が変わるわけでもない。正論で言えばチノが正しいだろう。でもここで話が終わったらココアがへこむだろうしな。
「まぁ、そうだな。チノの言う通りだ。」
と、俺は口を挟んで一旦チノの意見に賛成した。一旦だ。つまり俺はココア側だ。
「そうですよね?リョーマさんもそう思いますよね?」
味方がいて安心したのか、チノが少し食い気味に言ってきた。でもごめんチノ、俺はココアの味方なんだ。
「けど、俺も新しいカップを買ってもいいと思うんだ。」
「………え?」
『裏切ったのかお前?』みたいな少し驚愕した顔をさせてしまった。上げて落としてしまったかな?
「カップが変わったからって何かあるわけじゃないけど、気分を変えるには良いと思うんだ。例えば何か良いことがあった時とか、誕生日とかお祝いをしたい時とか。そういった日にいつもと違うカップを使うと、特別な感じがして新鮮な気分になると思うよ。」
「………そうでしょうか?」
と言って首を傾げ、あまり想像できてない様子だ。うちにあるのは店用のも個人用のも全部無地で真っ白なカップだ。今までオシャレなカップを買ったことが無いんだろう。
「見るだけでもいいから試しに行ってみないか?それで、もし気に入ったものがあったら買えばいいし。」
「………じゃあ、見るだけなら。」
「やったー!可愛いカップ買おうね!」
「見るだけって言ったじゃないですか。」
行けるとわかって大はしゃぎのココアだが、人の話聞いてなさすぎだろ。というか本来ならココアが説得するべきなんだよな。頼まれてもないのに勝手にやってる俺も俺だけどさ。
「それよりこのあたりにカップが売ってる店ってあるのか?」
「そうだよね。私とお兄ちゃんはまだこの街のこと詳しくないし。チノちゃん知ってる?」
「いえ、私も知らないです。」
「リゼは?」
「私も知らない。ミリタリー系の店なら知ってるけど。」
「「「「……………。」」」」
会話終了。誰も知らないのかよ。カップ
カランカラン。
どうしようか悩んでいると、入口からドアベルが聞こえてきた。そっちに視線を向けると女の子が店に入ってきていた。淡い桜色のカーディガンを羽織っており、中に着ているのは白いブラウスで胸元には小さな黒いリボンが結ばれており、裾にフリルが付いている。スカートは黒く長すぎず短過ぎず、膝が見えるくらいまでの長さだ。見るからに出かけますよと言った服装だが、俺はそれに見覚えがあった。それも最近見たものだ。
(どこかで………)
そう思いその子の顔を見てみると………
「………シャロ?」
「え………?せ、先輩!?」
なんとシャロだった。どおりで見たことあると思った。初めて会った時もその服装だったな。というか入ってくる時、やたらと店内を警戒してたけど何だったんだ?
「え?シャロ?」
俺が死角になっていたのだろう、リゼが少し体を前に倒して顔を覗かせた。すると………
「リ!?リ、リリリリリゼしぇんぱい!?」
リゼの姿を見たシャロは飛び跳ねるように肩を震わせると、慌てて自分の身なりを気にし始めた。別にどこも汚れてないし、
「あああのあの私変じゃ………きゃっ!?」
慌てすぎたシャロは自分の足で自分の足を引っ掛けバランスを崩し、後ろに倒れてしまった。俺は慌てて立ち上がり、尻餅をついたシャロを起こそうと手を差し出そうとした瞬間、
「なっ!?」
シャ、シャロのスカートが思いっきり
「………きゃああああ!!!」
自分のスカートの状態を見たシャロは悲鳴を上げ、慌てて両手でスカートを押さえ顔を真っ赤にしてうずくまった。
「い、今の……見ました………よね……?」
今にも泣きそうな潤んだ目で上目遣いに俺を見てきた。
「いや………見てない。」
「嘘つかないでください!思いっきり見てたじゃないですか!」
どうする!?どうやって切り抜ける!?スカートを見てただけでパンツは見てないって誤魔化すか?いやそれだとずっとスカートを見てた
「見てない!目を開けながら寝てたから見てない!」
「そんなことできるわけないでしょ!」
誤魔化せなかった!
「先輩、絶対見てました!あんなに固まって………!」
「ち、違うんだって!急なことでフリーズしただけで………。」
「それを”見てた”って言うんです!」
ダメだ。誤魔化せば誤魔化すほど悪化していく。
「お兄ちゃんの変態!」
「………最低です。」
「おいココア!大声で叫ぶな!あとチノ!ゴミを見るような目で見るな!俺何もしてないだろ!?」
流石に不可抗力だろ!?店に入ってきたシャロに声をかけただけだぞ!?何でそんな目で見られないといけないんだ!?
「リョーマぁぁぁ!!お前ぇぇぇ!!」
「がはっ!!………ちょっ………く、首………!」
突然背後からリゼに後頭部を殴られ、続いてガッシリと首を腕で絞められてしまった!
「い………息………でき……な………。」
全力で絞められている
………まずい……視界が………チカチカしてきた。
何で………俺……ばっかり………こんな………。
………………。
「すみません、お騒がせしてしまって………。」
「もう大丈夫だと思うぞ。俺の記憶が飛んでること以外は。」
「えぇと、できれば思い出して欲しくないと言いますか………。」
「まぁ思い出したくても思い出せないんだけどな。誰かさんのおかげで。」
「………ふん。」
意識を取り戻した時、俺は何故かテーブルにうつ伏せて寝ていた。シャロは向かいの席に座り、ココアとチノと一緒に三人で並んでいた。隣に座っているリゼは『私は悪くない、お前が悪い』みたいなそっけない顔で鼻を鳴らしていた。
記憶が飛んでると言ったが、正確には一つだけ思い出せないだけだ。シャロが慌てふためいて転んでしまったこと。リゼに突然殴られ、首を絞められ気絶してしまったこと。この二つは覚えてる。でもその二つの間の事が思い出せない。何かを見たような気がするんだが、それが何だったか………。みんなの態度は妙に意味深だし。でもわからないんじゃ仕方ない。シャロもああ言ってるし、思いださなくていいや。
「そういえばシャロ。リゼのことを先輩って呼んでたけど学校同じなのか?」
「あ、はい。私の一つ上の先輩です。」
なるほど。それでリゼのことを先輩呼びしてたのか。てっきり俺の時と同じように学校は違うけど先輩呼びしてるのかと思った。
「リョーマ、お前私と同じ学校じゃないよな?なんでシャロに先輩呼びされてるんだ?」
「ああ………まぁ、成り行きで。………な、シャロ?」
「え、えぇ………そ、そうですね。あはは………。」
チヤにナンパと間違えられたのがきっかけで出会ったなんて恥ずかしくて言えん。
「チヤちゃんにナンパと間違えられたのがきっかけだよ!」
と、空気を読まずにココアがカミングアウトしてきた。
「ナ、ナンパ………?リョーマさんナンパしてたんですか!?」
チノが引きつった顔で俺を見ている。めちゃくちゃドン引きされてる!
「してない!間違えられたって言ってただろ!?」
「え、そうでしたっけ………?ココアさんそうなんですか?」
「うんそうだよ!あの時シャロちゃんが仲裁に入ってくれて助かったよ~!」
そう言って能天気な顔で熱いお茶を啜っていた。
「そ、そうですか。良かったです。」
ホッとした顔で胸を撫で下ろしている。チノが話をちゃんと聞いてなかったなんて、少し珍しい。安心したのか、チノはココア同様にお茶を啜っている。まあ誤解されなくて良かったよ。
「ところであなたは………ココアと同じリョーマ先輩の妹さん?」
と、シャロは隣にいるココアを挟んだ一つ向こうのチノに向かってそう言うと、
「ぶふっ!?!? ゲホッ! ゴホッ! ゴホッ!」
「チノちゃん!?大丈夫!?」
びっくりしてお茶が気管に入ってしまったらしく盛大に
「スー……ハー………ケホッ………大丈夫、です。」
「チノは妹じゃないよ。俺とココアの住み込み先の娘さんだよ。」
深呼吸をして少し落ち着いた様子だったが、まだ咳が続いていたので、代わりに俺が答えると、
「そうだったんですか。ごめんね、驚かせちゃって。」
「いえ、もう落ち着いたので大丈夫です。」
納得したシャロは気まずそうに小さく頭を下げて謝り、チノも小さく頷いた。
「………。」
その後チノは再び湯呑みを手に取ったが、取っただけで飲む気配はなく、ただ湯呑みから上がる湯気を見つめてるだけだった。
「大丈夫か?」
「……え?は、はい。大丈夫です。」
すぐに返事が返ってきたがどこか間があったような気が………。
少し気になったが、何はともあれ張り詰めた空気も少しずつ和らいでいった。穏やかな時間がゆっくりと戻ってくる。
「そういえばシャロは、いつリゼと知り合ったんだ?」
「え………あ………その、私が暴漢に襲われそうになったことがあって………。」
「え!?大丈夫だったのか!?」
「だ、大丈夫です!その時にリゼ先輩に助けてくれて。それで知り合ったんです。リゼ先輩格好良かったですよ!『この私が断罪してくれる!』って言って追っ払ってくれたんです!」
そうか。無事だったなら本当に良かった。それにしても暴漢を退けるなんて、流石リゼだな。俺にドロップキックをかまして吹き飛ばせるくらいだし。
…………と思いたいんだけど。
横にいるリゼが「………ん???」と言って首を傾げている。 それにシャロもやけに目を泳がせて落ち着きがない。
「………私そんなこと言ってないぞ?」
「あれ?違うのか?」
「ああ、本当は———」
「リゼ先輩言っちゃだめです!」
慌てて止めに入ろうとするシャロだが、リゼは全く気にする様子はない。
「シャロはウサギが怖いんだ。それで帰り道にウサギがいて通れなくて困ってるところを私がウサギを追い払っただけだよ。」
………全然違う。
ウサギが怖いと思われるのが恥ずかしくて、盛りに盛った嘘をついたのか………?
そう思いながらシャロを見ると、案の定、顔を真っ赤にしていた。
「ウ………ウサギが怖くて悪いですか!?良いじゃないですか!ウサギが怖くても!」
「いや、別に悪いだなんて………。」
「大体ですね!ウサギなんて何考えてるかわからないんですよ!急に飛び跳ねるし!噛みついてくるかもしれないし!」
「えぇ?ウサギはモフモフしてて可愛いよ?」
「ほら!そうやって騙されるのよ!ウサギは人を油断させる達人なんだからぁぁぁ!」
やばい!開き直って騒ぎ始めた!
そんなに怖いのか………?
そこまで行ったら、もう恐怖症の域だぞ。
………あ、だからか。店内に入ってきた時、警戒してた理由。
ウサギである あんこ が怖かったんだな。その あんこ は今、チヤが奥の部屋に連れて行ったから大丈夫だろうけど。
「わかった!シャロの気持ちは充分わかった!人には怖いものの一つや二つぐらいある!それ自体は全然おかしくない!」
俺はそう言って、慌てて両手を前に出した。これ以上ヒートアップされたら収拾がつかない。
「それに怖いのを隠して、平気なフリをしても辛いだけだろ?無理をする必要はない。」
「………でも。」
加えてフォローを入れると、シャロは言葉を探すように視線を彷徨わせ、ギュッとスカートの端を握りしめた。さっきまでの勢いは徐々に失い、声も自然と小さくなっていく。
「ウサギが怖いなんて………子供っぽいじゃないですか。」
「そうか?」
思ったりあっさりと返した俺の返答に、シャロは少し目を丸くする。
「怖いものがあるのと、子供っぽいかどうかは別だろ。俺だって怖いものはあるし。」
そう言うと、シャロは一瞬きょとんとした顔をしてから、ふっと力が抜けたように肩を落とした。
「………先輩にも、怖いものがあるんですね。」
「もちろん。人それぞれだ。」
そう答えると、シャロは握っていたスカートの端を少しだけ緩めた。
「じゃあ………少しくらい怖がってても……いい、ですかね。」
「ああ、良いと思うぞ。」
受け止めてくれたとわかったシャロは安心したように肩の力が抜けていた。
怖いものは誰にだってある。犬が怖い人、暗いところが怖い人、怪談話が怖い人、色んな人がいる。ウサギが怖いのは予想外だったけど。それでも、だからと言って笑われる理由にはならない。怖いものは怖い。それだけだ。
「あら?シャロちゃんどうしたの?」
和んだ空気の中、奥の部屋からチヤが出てきて、シャロを見るとゆっくりとこっちへ歩いてきた。
「あ、チヤ。お仕事は一段落ついたの?」
「ええ、注文の品を作り終えたから今は大丈夫よ。」
「………二人は知り合いなのか?」
と、リゼが首を傾げて言ってきた。そういえばチノとリゼは知らなかったな。
「シャロちゃんとは幼馴染なの。
「………はぁ、あんたはいつもそうやって………。人のことを
「ふふ、ごめんなさい。でも可愛いのは本当よ!」
「まったく………。」
そう言ってシャロは、呆れたように溜息をついて額に手を当てた。
「それよりシャロちゃんどこかに行くの?あ、もしかしていつものとこ?」
「そうよ。」
「……いつもの?シャロ今からどこかに行くのか?」
てっきりここの和菓子を食べに来たのかと思っていたので、少し気になって聞いてみると、
「はい、新しいティーカップを買いに行くんです。」
「「「「え!?」」」」
「ひゃっ!?」
俺含め全員驚いた所為で、シャロは大きく肩を震わせ、まるで逃げ場を失ったウサギのように俺たちを見回していた。
「すごいすごい!これはもう偶然通り越して運命だよ!」
と言ってココアは笑顔でシャロの両手を包み込むように握った。シャロは何が何だかさっぱりな様子で困惑顔だ。
「シャロ、もしよかったらその店、俺たちも付いて行っていいかな?」
「い、いいですけど、何か用事があるんですか?」
「今から新しいカップを買おうと思ってたんだけど、誰も店を知らなくて………。だから俺たちをその店に案内してほしいんだ。」
「そうだったんですね。わかりました!この間貰ったパンのお礼を込めて、喜んで案内します!」
「やった!シャロちゃんも一緒!可愛いカップ買おうね!」
良かった。これで何とかなりそうだ。
「それじゃあ行きましょうか。案内します!」
「よろしく頼むよ。………そういえばここには何しに来たんだ?」
「………あ、そうでした!チヤ、何か切らしそうなものはある?ついでに買ってくるわよ。」
「いいの?ありがとう!それじゃ、湿布を買ってきてもらえるかしら?昨日おばあちゃんがもう少しで無くなりそうって言ってたから。」
「わかったわ。」
「ありがとう。それじゃお願いね。」
それを聞くために
それにしてもこの慣れてるような感じ、いつも出かける前に聞いてるんだろうな。「何かいる?」と聞いて、「これお願い」と返す。それが当たり前みたいに続いてきた空気だ。
「それじゃあ今度こそ行きましょうか。」
チヤにお礼を言って店を出ると、やわらかな陽射しが街を包んでいた。空気は暖かいのに夏みたいな重たさは無く、思わず深呼吸したくなるような心地よさだ。
「気持ちいいね~。」
「さっきまで甘いものを食べてたから、こういう空気がちょうどいいな。」
外に出た瞬間、ココアが大きく伸びをした。つられるようにリゼも軽く肩を回している。
「それじゃ案内しますね。こっちです。」
シャロが少し前に出て、進む方向に指をさしながら俺たちの方へ振り返った。
「頼むな。」
「任せてください!」
そう言って胸を張るシャロ。唯一店の場所を知っているだけあって妙に頼もしく見えた。
シャロを先頭に、俺たちは石畳の通りを歩き始めた。休日の街はどこかゆったりとしていて、歩いているだけなのに心まで軽くなっていくような穏やかさに包まれている。
………俺たちの周り以外は。
「ねえチノちゃん、折角だしお揃いのカップ買おうよ!」
「嫌です。」
「即答!?」
「当たり前です。見るだけってさっきも言ったじゃないですか。」
「見るだけで終わる買い物なんて、この世に存在しないんだよ!」
「どこの理論ですか。ウィンドウショッピングっていうのがあるじゃないですか。」
「姉妹なんだからお揃いのものを買うのは常識なんだよ!」
「ちょ、ちょっと抱き着かないでください!そんな常識知りません!あと姉妹じゃないです!」
そんなやり取りが背後から聞こえ、俺は溜息をついた。その隣でシャロはくすっと笑っていた。
「賑やかですね。」
「そうか?いつもこんな感じだぞ。そのくせ後になると『チノちゃんに嫌われたぁ………』って言って俺に泣きついてくるんだ。」
「………大変そうですね。」
同情されてしまった。まあ、もう慣れたからどうってことないけどな。
………ただ、一つだけ確かなことがある。
この買い物が静かに終わるはずはない。
To be continued