「ふぅ……少し量が多くなってしまったな。」
とある日の休日。俺はパンの材料を買いに、スーパーに買い出しに行っていた。本来なら袋一つで収まるはずだったのに、ココアが『ハンバーグパンが食べたい!』、『メロンパンも!』、『あと焼きそばパンも!』と次々に
季節はまだ春だが、昼間に重い袋を抱えながら歩き続けていた所為か、体が少し汗ばんでいる。
(………少し休める場所はないか?)
辺りを見渡していると、ちょうど公園のベンチが目に入った。
(あそこにしよう。)
俺はベンチまで歩き、荷物を置いて座った。目の前には噴水があり、その噴水を囲むように、ベンチが並べられている。
ここは以前、ココアと一緒に街を散歩……という名の食べ歩きをした時に、休憩に寄った場所だ。そしてチヤにナンパと間違えられた場所でもある。
当時は大慌てだったけど、今となっては笑えるくらい良い思い出だ。
「……ん?」
不意に足元に何かが転がってきた。靴先に軽く当たったそれはコロコロと転がり、俺が座っているベンチの脚に当たって止まった。
見てみると、足元に綺麗な小さな玉が転がっていた。拾ってみると、色のついたビー玉だった。
(あれ……これって……。)
思い出した。これは、チヤが持ってたビー玉だ。チヤが俺をナンパと間違えた時に
「後で届けるか。」
そう言いながら、ビー玉を陽の光にかざして眺めていると———
「……あれ?先輩?」
不意に声をかけられ、振り向くと、そこにはクラシカルな給仕服に身を包み、手元には大量の紙束を抱えたシャロが立っていた。
頭にはフリルの付いたカチューシャ。その両脇には白いうさ耳が垂れ下がっている。純白のブラウスは胸元にフリルがあしらわれ、首元には黒いリボンが小さく結ばれている。ブラウスの上から黒い上衣を重ね、腰には白いエプロンが結ばれ、黒いスカートをはいている。手首には黒いカフス。脚は白いソックスと黒のストラップシューズを履いていた。
派手さはないが、白と黒を基調としていて、気品を感じさせる服装だった。
「ああ、シャロか。……その服装は?」
「これですか?今度新しくオープンする店の制服です。」
「店の……?てことは、その店で働くのか?」
「はい。両親からは毎月仕送りをもらってるんですけど………前に言いましたよね、私、陶器ものには目がないので、すぐ使っちゃうんです。なので自分の欲しいものは自分で働いて買おうと思って。」
そう言って、シャロは小さく笑みを浮かべた。
以前、シャロが本当の自分を全て打ち明けてくれたことを思い出した。
あの時は、ティーカップや食器ですぐ金欠になってしまうと言っていたが、これからは自分の力で手に入れようとしているらしい。
そんな真面目なところは、いかにもシャロらしい。
「頑張り屋さんだな、シャロは。」
「そ、そうですか?……えへへ。」
少し頬を赤らめながら、シャロは嬉しそうに笑った。
「ところで、シャロが働くその店ってどんな店なんだ?」
「はい。よければこれ、一枚どうぞ。」
そう言ってシャロは紙束から一枚取り出し、俺に差し出してきた。
受け取ってみてみると、それは店のオープンを知らせるチラシだった。どうやらシャロは店の制服を着て、チラシを配って宣伝をしていたみたいだな。そして偶然俺を見かけて声をかけてきたというわけか。
(………なるほど。)
チラシの内容を見てみたが、どうやらハーブを扱う喫茶店のようだ。ハーブティーやハーブを使ったお菓子と、店内の様子の写真が小さく載せられている。店名は『fleur de lapin』———フルール・ド・ラパンだな。
……それにしてもこのチラシ、紙の色は淡いクリーム色だし、シャロと同じ制服を着た店員のシルエットも載ってるし、さらに『心も体も癒します』という一文まで添えられている。
(……人によっては別の店だと勘違いしそうなチラシだな。)
思うところは色々あるが、写真が添えられているから多分大丈夫だろう。
「ハーブ専門の喫茶店なんだな。」
「はい!お店の雰囲気も落ち着いてて、使ってるカップや食器も素敵なんです!手触りもすごく滑らかですし、デザインもおしゃれで、見ているだけでも飽きません!しかも季節ごとに使う食器も変えるみたいなんです!同じハーブティーでもカップが違うだけで雰囲気がガラリと変わるんです!それにお皿も一つひとつ違っていて、本当にこだわってるのが伝わってきて……!私、ここで働けるのが本当に嬉しいんです!」
陶器ものの話になった途端、シャロは別人のように
「ははっ、本当に好きなんだな。」
「あっ……す、すみません!つい……!」
我に返ったシャロは、顔を真っ赤にしながら慌てて口を押えた。
「恥ずかしがることはないよ。それぐらい気に入ってる店なんだろ?」
「は、はい……!本当に素敵なお店なんです!」
「そういえば、オープンするのはいつなんだ?」
「来週です!よければ是非来てください!」
「ああ、時間ができたら行かせてもらうよ。ハーブティーは飲んだことがないから、どんな味なのか気になってるんだ。」
「ほ、本当ですか?」
「もちろん。」
「……ありがとうございます!お待ちしてます!」
シャロは抱えていたチラシをぎゅっと抱きしめながら、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
どうやら、本当に来てほしかったらしい。
プルルルル……。
「……ん?」
不意にポケットの中で携帯電話が鳴った。
画面を見ると『ココア』の文字が表示されていた。
「もしもし?」
『お兄ちゃん?買い物終わった?』
「ああ、今公園で休憩してるところだ。」
『ココアさん、手を止めないでください!焦げちゃいます!』
『あ!うん、わかった!それじゃお兄ちゃん、もうすぐお昼ご飯できるから早く帰ってきてね!』
そう言って通話は終わった。電話越しにチノの声も聞こえたが、どうやら二人で作ってるらしい。
「お電話、大丈夫でしたか……?」
「ああ、ココアからだった。もうすぐお昼ご飯ができるから早く帰ってきてくれだって。」
「そうなんですか?では、あまり長くなるといけないですし、私はチラシ配りに戻りますね。」
「ああ、頑張れ。」
「はい!」
そう言ってシャロは、チラシを配りに元いた場所へ去っていった。
「さて、俺も帰るか。」
俺は立ち上がって、ベンチに置いていた買い物袋を持ち上げた。少し休んだおかげか、さっきまで感じていた腕の疲れも随分と楽になった。
公園を出る前に振り返ると、シャロは行き交う人たちに笑顔でチラシを配っていた。
その姿はどこか生き生きとしていて、自分の好きなものに囲まれて働けることが本当に嬉しいのだと伝わってくる。
(楽しみが一つできたな。)
そう心の中で呟きながら、途中、甘兎庵に寄ってチヤにビー玉を届け、家路についた。
————数日後。
昼時の忙しさも一段落し、ラビットハウスにはようやく落ち着いた空気が戻ってきた。
「よし、そろそろ休憩に入るか。」
「うん!今日はお客さんが多かったね!」
「そうだな。リョーマ考案のパンがメニューに加わってから、明らかに増えたよな。」
「ふふん!当然だよ!お兄ちゃんが作るパンは最高なんだから!」
ココアは両手を腰に当て、えっへんとばかりに胸を張った。
「……なんでココアさんが、自慢げなんですか。」
と、ツッコむチノだったが、まるで自分のことのように誇らしげなココアに、俺は思わず笑みをこぼした。
「それじゃ俺は休憩中の看板を出してくるよ。」
そう言って俺が店の入り口のドアへ向かった、その時、
———バタンッ!!!
「うわっ!?」
突然勢いよくドアが開いた。思わず後ずさり、見てみると緑の和服を着た女の子が飛び込んできた。
「……チヤ!?」
いきなりどうしたんだ!?
息を切らしながら片手で胸を押さえ、もう片方の手は俺の服を掴んでいる。今にも倒れそうなほど苦しそうで、俺の服を支えにしてようやく立てている。
「リョーマ君……お願い、助けて!……シャロちゃんが……シャロちゃんが大変なの!」
と、息を整えようとしながら、必死に言葉を
「とりあえず落ち着け。ほら、水。」
俺はコップに水を注ぎ、チヤに差し出した。
「……ありがとう。」
チヤは小さく礼を言い、震える手でコップを受け取ると、喉を鳴らしながら一気に水を飲み干した。
「………ふぅ。」
飲み終えると、さっきまで激しく上下していた肩の動きが少しずつ落ち着いていった。
チヤは静かに息を吐き、椅子の背もたれへゆっくりと身を預けた。
俺も椅子に座り、テーブルを挟んでチヤと向かい合う。
「それで、何があったんだ?」
「これ、見て!」
俺が問いかけると、チヤは懐から一枚の紙を出し、テーブルに置いた。
見てみると、それはクリーム色の紙にうさ耳を付けた店員のシルエットと店内の様子の写真が載せられ、『心も体も癒します』という一文が添えられている。
(これって………まさか。)
見覚えのあるどころじゃない。これは先日、シャロから受け取ったチラシと同じものだ。
「何だこれは?」
横から覗き込んだリゼが、眉をひそめる。続いてココアとチノもそのチラシを覗き込んだ。
「今朝、シャロちゃんから受け取ったの!それで見てみたらこんないかがわしいチラシで……!きっとお店で無理やり色々なことをさせられているのよ!でも、シャロちゃんは平気な顔をしてるし、私一人じゃどうしたらいいかわからなくて………!」
チヤの言葉を聞くなり、ココアたちの表情はみるみる変わっていった。
「えぇ!?シャロちゃんが!?」
「シャロさんが、そんな………!?」
「シャロのやつ……まさか、何か危険に巻き込まれたんじゃ……!」
三人は、チヤの言葉を疑う様子もなく、それぞれ険しい表情でチラシを見つめていた。どうやら、チヤの勘違いをすっかり信じ込んでしまったらしい。
……まずい、このままじゃ話がどんどんややこしいことに。
「いや、ちょっと待て。この前、俺はシャロから———」
「悠長にしてる場合じゃないわ!」
「今ならきっと間に合うよ!」
「急ぎましょう!」
「シャロを止めに行くぞ!私についてこい!」
そう叫ぶと、リゼは店を飛び出していった。ココアとチノも慌ててその後を追っていく。
「ちょっと待て!人の話を……!」
「ほら!リョーマ君も来て!」
そう言ってチヤは俺の腕を掴むと、そのまま店の外へ引っ張ろうとした。
「待ってくれ!話を聞いてくれって!」
「急いで!リョーマ君もシャロちゃんの事情を知ってるでしょ!?」
……チヤの言う事情というのは、シャロが本当はお嬢様ではなく、貧乏だということを指している。
チヤはそれを知っているからこそ、シャロが生活のために無理をして働いていると思い込み、シャロのバイト先が『高額な報酬が貰える怪しい店』だと勘違いしてしまっているんだろう。
だがその店は、ただのハーブを扱う喫茶店だ。
シャロは自分の好きな陶器や食器を買うために、真面目に働こうとしているだけなのに。
「だから、その店は———」
「いいから!早く!」
チヤは焦りのあまり俺の話を最後まで聞く余裕も無いようだった。
こうして俺は、誤解を解く暇もないまま、みんなと一緒にシャロが働いている喫茶店へ向かうことになってしまった。
チラシに記載されていた場所に到着すると、そこには赤いオーニングが目を引く喫茶店が建っていた。
外壁は落ち着いた茶色でまとめられ、大きなアーチ状の窓が規則正しく並んでいる。窓辺には花が植えられた大きなプランターが飾られ、どこか優雅な雰囲気を漂わせていた。
どこからどう見ても怪しい店には見えない。
「ここ……だよね?」
「ええ、チラシにはそう書いてあったわ。きっと今頃、シャロちゃんは……!」
チヤは胸の前で手を握り、不安そうに店を見つめている。
「みんな、こっちだ!ここなら店の中が見える。」
そう言ってリゼは、窓辺に並ぶプランターの陰へ身を潜めた。ココアたちも続いてしゃがみ込む。
「………はぁ。」
その様子を見た俺は、小さく溜息をついた。
「お兄ちゃん何してるの?お兄ちゃんも早く来て!」
「そうよ!気付かれちゃうわ!」
「………。」
……恥ずかしすぎる!
喫茶店の前にあるプランターの陰に隠れ、男女数人が店内を覗こうとしている。
客観的に見れば怪しい集団だ。
通りを歩いている人たちからの『この人たち何やってるの?』という視線が痛い。
……頼むから、俺だけは無関係だと思ってくれ!
「リョーマ君、早く!」
そう言われてチヤに手を引っ張られ、半ば強引にしゃがみ込まされた。
あのチラシには店内の様子を写した写真が掲載されていたから、流石に変な誤解はされないだろうと思っていた。
……甘かった。
俺の予想とは裏腹に、みんなは完全に潜入調査モードだ。
ただの喫茶店なのに!
「いいか?まずは様子を確認するんだ。」
リゼに小声でそう告げられたみんなは恐る恐る窓越しに店内を覗いた。
呆れながらも、仕方なく俺も窓越しに店内を覗いた。
見てみると、先日シャロが着ていたものと同じ制服を着た店員たちが笑顔でお客さんたちにハーブティーを運んだり、注文を受けたりしていた。
お客さんたちは、カップルや年配の夫婦、女性グループ、一人で読書をしながらハーブティーを味わっている人など様々だった。
全体的に女性客が多いな。見た感じ、女性客が八割くらいを占めている。
どう見ても、普通の喫茶店だった。
「……喫茶店……だよね?」
「……ですよね。」
ココアは首を傾げながら小さく呟き、チノも困惑した表情で店内を見つめていた。
「……おかしいな。もっとこう……怪しい雰囲気があると思ってたんだが。」
リゼも想像していたものとは違う店内の様子に、首を傾げている。
「いいえ!きっと表向きは普通を装ってて、裏ではきっといかがわしいことをしてるのよ!」
しかし、チヤだけはまだこの店が普通の喫茶店だとはまったく信じていないようだった。
「ほら見て!」
チヤは店内に指を差し、興奮した様子で声を上げた。
「店員さんが、お客さんに飲み物を運んでるわ!」
「……どこの喫茶店でもすることだろ。」
「それだけじゃないわ!あのお客さん、店員さんと何か話してるわ!」
「注文を言ってるだけだと思うぞ……。」
「でもあの笑顔……!きっと何か裏があるのよ!」
「いや、どう見ても普通に接客してるだけだろ……。」
俺は呆れながらツッコむが、チヤはすっかり疑心暗鬼になり、何もかもが怪しく見えてしまっているみたいだった。
チヤは昔から早とちり癖が酷いと、シャロから聞いていたが、まさかここまでとは。俺自身、以前チヤにナンパと間違えられた実体験があるから、そのことはよくわかっているつもりだ。
まさかあの時と同じような勘違いを、今度はシャロ相手にやらかすとはな……。本当、シャロも苦労人だな。
「………?」
(………うっ)
たった今、店に入ろうとした女性客が、不思議そうな目で俺たちの方をチラッと見た後、店内に入っていった。やっぱり恥ずかしい。
(それはそうとシャロは………?)
早くこの状況を脱したい思いで、店内を覗いていると……
「あっ、シャロちゃんいた!」
「本当に普通に働いていますね。」
「ああ、普通に接客しているな。」
ココアが指を差したのでそっちを見てみると、店の奥から見覚えのある姿が見えた。
シャロだ。
シャロが、ついさっき店に入っていった女性客を出迎え、笑顔で接客をしていた。
「シャロちゃん……!」
シャロを見つけたチヤが慌てて立ち上がった……
がんっ!
「あうっ!」
が、慌てていた所為か、プランターに膝をぶつけて悶絶していた。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……!それより、シャロちゃんを……。」
「いや、まず膝を心配しろ。」
チヤは、涙目になりながらも、すぐに立ち上がろうとした。
「………?」
さっきの音が店内にまで聞こえたのか、接客を終えたシャロがこっちに振り向いた。
「……っ!」
そして俺たちを見つけると大きく目を見開いて驚き、慌てて店を飛び出し、俺たちのもとへ駆け寄ってきた。
「そ、そんなところで何やってるんですか!?」
シャロは驚いた様子で、俺たちを見回している。
「えっと……実は——」
「シャロちゃん!」
俺が理由を言おうとした瞬間、チヤが横から割って入ってきて、シャロの手を強く握った。
「ちょっ!?何!?」
「早く逃げるのよ!」
「は!?何言ってるの!?」
シャロを連れて逃げようとするチヤを、シャロは困惑した様子で見つめている。
「チヤ!ちょっと落ち着け!」
「落ち着いてなんていられないわ!シャロちゃん、早く逃げるわよ!」
「だからなんで逃げるのよ!」
「いいから、早く走って!」
「だからなんでよぉ!」
チヤは必死にシャロの手を引っ張ろうとするが、シャロは何が何だかわからないまま、必死にその場で踏ん張っている。
「だから、話を聞けって!」
もう見ていられなくなった俺は、強引に間に割って入り、二人を引き離した。
「なんで邪魔するの!?……もしかしてリョーマ君、この店とグルなの!?」
「なんでそうなるんだよ!」
「だって、さっきからこの店を
「
「普通の喫茶店……?」
チヤは怪訝そうに眉をひそめ、店の方へ視線を向けた。
「そうだよ!ここはチヤが思ってるような店じゃない!」
「嘘よ!」
「なんでだよ!」
即答で否定され、俺は思わず頭を抱えた。
……もう完全に聞く耳を持ってないな。
「だってこのチラシよ!ほら、ここ!『心も体も癒します』って書いてあるじゃない!つまりいかがわしいことで癒すってことでしょ!」
「確かに癒すよ……ハーブティーでな!」
「……ハーブ……ティー……?」
チヤは、きょとんとした顔で俺を見た。
「そうだ!見てみろ!チラシにもハーブティーの写真が載ってるだろ?」
「……で、でも!」
一瞬納得しかけたチヤだが、すぐにハッとした表情を浮かべた。
「じゃあ、シャロちゃんのその格好は何なのよ!」
「何って、制服だろ?」
「こんな短いスカートをはいてるのよ!?しかもうさ耳まで着けて!どう考えても怪しいわ!」
「………あの、先輩。このおバカどうしちゃったんですか?」
シャロは呆れたようなジト目をチヤに向けながら、俺に尋ねてきた。
「……いつものやつだよ。チラシ見て勘違いしてるだけ。」
「……はぁ……。」
シャロは事情を察したのか、深いため息をつき、ズカズカとチヤの前に立った。
「このおバカあぁぁぁぁ!!!」
「ひゃ、ひゃろひゃん!いひゃい!いひゃい!」
シャロはチヤの頬を勢いよくつねり上げた。
……前にも似たような光景を見た気がするな。
「何がいかがわしいですって!?この制服のどこが怪しいですって!?」
「ほめんなはい、ひゃろひゃん!ゆるひへぇ!」
かなり強めにつねっている所為か、だんだんチヤの頬が赤くなってきている。
「先輩たちを巻き込んで、何考えてるのよ!」
「ひゃってぇ、ひゃろひゃんがしんひゃいでぇ!」
チヤの目がだんだん涙目になってきた。……そろそろ止めた方がいいか。
「シャロ。もうその辺にしておけ。このままじゃ泣いてしまう。」
「………。」
しばらく考えた後、シャロはそっと手を離し、ようやくチヤを解放した。
つねられていたチヤの両頬はすっかり赤くなっており、涙目になりながら頬をさすっている。
「ひどいわ、シャロちゃん……。」
「ひどいのはどっちよ。人の話を聞かずに勝手な勘違いをして、先輩たちを巻き込んで。」
「だって……心配だったから……。」
「……はぁ。」
チヤはしょんぼりとそう呟くと、シャロは小さく溜息をついた。
「……だったら、ちゃんと人の話を聞いてからにしなさいよね。」
「……うん。」
ようやくチヤも納得したようで、素直に頷いた。
「本当にご迷惑をおかけしました!ごめんなさい!ほら、あんたも謝りなさいよ!」
シャロは俺たちに向かって深々と頭を下げた後、チヤの袖を掴んで引っ張り、俺たちの前に立たせた。
「……ごめんなさい。話をちゃんと聞かずに、勝手に勘違いをして……。」
チヤも申し訳なさそうに俯きながら、俺たちに向かって頭を下げた。
これでやっと話が通じたか。まったく、ここまで来るのに随
分と苦労したな。どっと疲れたよ。……数十分しか経ってないけど。
「まあ、誤解が解けたならよかったよ。それじゃシャロ、これ以上仕事の邪魔しちゃ悪いし、俺たちはチヤを甘兎庵に送り届けてくるよ。」
「えぇ!?ちょっと待ってよ!」
俺がその場を後にしようとすると、ココアが慌てて呼び止めた。
「せっかく来たんだし、このお店で休憩していこうよ!」
「え?ここで?」
「うん!ハーブティー飲んでみたい!」
ココアはそう言うと、期待に満ちた目で店の中を覗き込んだ。
確かにここまで来たのに何もせずに帰るのは、少しもったいない気もする。
……それに俺自身、以前シャロからチラシを貰った時から、この店のハーブティーには興味があった。
ココアの言う通り、この機会に飲んでみるのも悪くないか。
「……そうだな。入ってみるか。チノたちもいいか?」
「はい、大丈夫です。」
「ああ、問題ない。」
「やったー!早く入ろ!」
そう言ってココアは大喜びで店の中へ入っていった。
「お、おい!あまり走るなよ!……まったく。ごめんなシャロ、騒がしくして。」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、せっかく来てくれたんですからゆっくりしていってください。席へ案内しますね。」
「ああ、お言葉に甘えさせてもらうよ。」
シャロは嬉しそうに笑うと、店の中へ入っていった。俺たちもその後を追うように、店の中へ入っていく。
……さて、ハーブティーってどんな味なんだろうな。
店の中へ足を踏み入れた瞬間、外から見ていた以上に広々とした空間が目の前に広がった。入口のそばには二階へ続く階段があり、店内は開放的な雰囲気に包まれている。
壁は落ち着いたクリーム色を基調としており、そのあちこちには
大きなアーチ状の窓からは柔らかな陽の光が差し込み、木製のテーブルや椅子を優しく照らしている。
外から見ただけでも十分雰囲気のいい店だと思ったが、中に入るとその印象がさらに強くなった。
「こちらへどうぞ。」
そう言ってシャロはテーブルの前に立ち、俺たちを席へ案内した。
テーブルは落ち着いた色合いの木製で、表面は丁寧に磨かれている。椅子も同じ木材で揃えられており、座り心地も良く、店内の柔らかな雰囲気によく馴染んでいる。
そして何より目を引いたのは、テーブルに置かれた食器だった。
目の前にある白を基調としたカップとソーサーには、花には詳しくないので名前はわからないが、紫の花が細かく描かれている。派手過ぎない、上品なデザインだ。
「……へぇ。」
思わず感嘆の声が漏れた。
チラシの写真にも食器が写っていたが、実物を見ると印象が違う。どれも落ち着いたデザインなのに、細かなところまで丁寧に作られているのがわかる。みんなもすっかり見入った様子で、カップを手に取って眺めている。
そこでふと気付いた。それぞれカップに描かれている絵が違う。花というところは共通しているが、色や形はそれぞれ異なっている。
「どうですか?」
シャロが少し嬉しそうに尋ねてきた。
「うん。確かに綺麗だ。シャロが気に入るのもわかるよ。」
「本当ですか!?」
その言葉を聞いた途端、シャロの表情がぱっと明るくなった。
「ああ。そういえば前に季節ごとにデザインが変わるって言ってたけど、これは春用なのか?」
「はい!今の季節に合わせて、春の花をモチーフにした食器を使っているんです。先輩のはスミレの花ですね。」
「シャロちゃん!私のは何の花?」
「ココアは赤いチューリップ、チノちゃんは黄色のチューリップね。リゼ先輩はラベンダーで、チヤは桜よ。」
「チノちゃん、チューリップだって!えへへ、お揃いだね!」
「色違うじゃないですか。」
「でもお揃いの花だよ!姉妹だね!」
「……はぁ。」
「ふふっ、じゃあ私もココアちゃんたちと姉妹になろうかしら?」
「チヤまで何言ってるんだ?」
「だって、私の桜も春の花だもの。みんなお揃いみたいなものじゃない?」
「それはちょっと違う気がするぞ……。」
お揃いの花で喜ぶココア、呆れるチノ、楽しそうに乗っかるチヤ、冷静にツッコむリゼ、カップの花がそれぞれ違うように、みんなの表情もそれぞれ違っていた。
「こちらメニューになります。」
そう言いながらシャロは一人ひとりにメニューを配っていった。
開いて中を見てみると、カモミール、ペパーミント、ネトル、バタフライピー………等々、聞いたことがあるものから、全然知らないものまで様々だった。
「絶対バタフライピーが一番だよね!」
と、ココアが目を輝かせながら、メニューに書かれたバタフライピーの文字を指差した。
「……なんで?」
「だってバタフライだよ!飲んだら蝶々になれるよ!空を飛べるよ!」
「「「「「………。」」」」」
……そんなわけないだろ。
全員がジト目でココアを見ている。チヤだけは面白かったのかクスクスと笑っていた。
「あの、よかったら私が先輩たちに合うハーブティーを選びましょうか?」
シャロが気を遣って提案してくれた。確かにこれだけ種類があると、自分たちだけで決めるのは難しい。
「それじゃあ、お願いしようかな。」
「はい、任せてください!」
シャロはそう言うと、メニューを手に取り、俺たち一人ひとりの顔を見渡した。
それから少し考えるように視線をメニューに落とし、何かを選ぶように指を滑らせていく。
少ししてシャロは軽く頷き、そっとメニューを閉じた。
「ココアは少し落ち着いた方が良いからリンデンフラワーね。チヤは前に肩が凝るって言ってたからローズマリー。チノちゃんは飲みやすいカモミールがおすすめよ。リゼ先輩はラベンダーがいいですね。以前、あまり眠れないと言っていたので。リョーマ先輩は毎日ココアの面倒を見てお疲れでしょうから、レモンバームがおすすめです。」
シャロは俺たちのことを考えながら、それぞれに合うハーブティーを選んでくれた。
それにしてもよく俺たちのことを見ているな。以前の会話まで覚えてるあたり、シャロらしいというか、真面目というか。
「えー!バタフライピーじゃないの!?」
どうやらココアは、まだバタフライピーを諦めていないらしい。
「シャロのおすすめでいいだろ?せっかく選んでくれたんだから。」
「でも蝶々になれるかもしれないんだよ!」
「まだ言ってるのかよ……。なれるわけないだろ。」
「……でもバタフライピー……。」
よっぽど気になってるみたいだな。
「……そんなに気になるんだったら、一杯分だけ持ってきてあげるわよ。」
「ほんと!?やったー!」
ココアは両手をあげて大喜びだが、一方でシャロは「……はぁ。」と溜息をついている。
「ごめんな。迷惑かけてしまって。」
「いえ、気にしないでください。チヤで慣れてるので。」
「えぇ!?私、迷惑かけてるの!?」
「思いっきりかけてるでしょ!」
それは……まぁ…シャロの言う通りかもしれない。一日でも早く、その早とちり癖を直してほしいよ。
「まったくもう……。それじゃあ注文を確認しますね。」
シャロはそう言って、俺たちのために選んでくれたハーブティーと、ココアが頼んだバタフライピーをメモに書き留めていく。
「それでは、少々お待ちください。」
そう言って一礼したシャロは、厨房の方へ向かっていった。
それからしばらく待っていると———
「お待たせしました!」
声が聞こえた方へ振り向くと、ティーワゴンを押したシャロがこちらへ歩いてきた。ワゴンの上には、白い無地のポット、透明のガラス製のティーポット達、それから人数分のティーカップが整然と並べられていた。
シャロは俺たちの前に一人ずつガラスのティーポットを置いていき、その隣にティーカップを置いていく。
目の前に置かれたティーポットを覗いてみると、乾燥した葉のようなものが入っていた。
「では、お湯を注いでいきますね。」
シャロはワゴンに残っていた白いポットを手に取ると、俺の目の前にあるティーポットにお湯を注いだ。
透明なポットの中で乾燥していた葉が、少しずつお湯を吸って広がっていく。そして透明だったお湯が淡い黄緑色に染まっていった。
同時に、ふわりとさわやかな香りが漂ってきた。レモンのような柑橘系の香りだが、それだけではない。どこか草花を思わせるような優しい香りも混じっている。
みんなも「わぁ……。」と、漂ってきた香りに思わず声を漏らしていた。
「なんだか、すごくいい香りだね!」
「はい、落ち着くような香りです。」
「本当だな。香りだけでも癒されそうだ。」
「ふふっ。こういう香りって、なんだか気分が落ち着くわね。」
みんなが香りを楽しむ中、俺もゆっくりと息を吸い込んでみる。
レモンのような爽やかさが鼻を抜けていき、それでいて強すぎない。さっきまで感じていた疲れがほんの少しだけ軽くなったような気がした。
「どうですか?リョーマ先輩?」
シャロがこちらを見ながら尋ねてくる。
「うん。いい香りだな。レモンみたいだけど、思ったより優しい感じがするよ。」
「それは良かったです!レモンバームは香りも爽やかですから。」
シャロはにっこりと微笑むと、みんなのティーポットにも次々とお湯を注いでいった。
「しばらく蒸らしますので、少々お待ちください。」
そう言ってシャロは、ストップウォッチを設定してテーブルの上に置いた。
「えぇ!?まだ飲んじゃダメなの!?」
すぐに飲めると思ったのか、ココアは驚いたような、がっかりしたような顔をしていた。
「乾燥したハーブだから、お湯にしっかりと浸して香りを出すの。その方が美味しくなるのよ。」
「もう十分いい香りだよ?」
「蒸らした方がもっといい香りがするの。大人しく待ちなさい。」
「むぅ……。」
ココアは頬を膨らませながら、ティーポットをじっと見つめている。
実際、ティーポットに注がれたお湯は、最初より少しずつ色が濃くなってきている。シャロの言う通り、もう少し待つとするか。
「みなさん、待っている間、よければこれを食べてください。サービスです。」
シャロはそう言いながら、ワゴンの下段からスポンジのようなケーキが乗った皿とフォークを人数分出してきた。
目の前に出されたそれを見てみると、表面はきつね色に焼きあがっていて、ふわふわしている。その隣には白い生クリームと、いくつかのベリーが添えられている。
見た目からして柔らかそうで、フォークを入れれば簡単に切れそうだ。
「これは、シフォンケーキか?」
「はい。ハーブティーに合うと思って。」
「わぁ……美味しそう!」
ココアは目を輝かせながら、ケーキを見つめていた。ココアはケーキに釘付けだが、俺はケーキだけじゃなく、ケーキが乗ってる皿にも目が行った。
白い皿の
多分、注文したものに合わせて、皿もそれに合った絵柄を選んでいるんだろうな。
「いただきまーす!」
そう言ってココアは、フォークを手に取ると、ケーキを一口ぱくっと食べた。
「ん~~!おいし~!」
口に入れた瞬間、ココアの顔がぱっと明るくなった。
「そんなに美味しいのか?」
「うん!ふわふわですっごく美味しいよ!」
そう言って嬉しそうにケーキを頬張っている。
「それじゃ俺も。」
フォークを手に取り、一口食べてみる。
生地はふわっとしてて軽く、口の中ですぐにほどけていく。添えられた生クリームの甘さと、ベリーの甘酸っぱさもよく合っている。
「本当だな。すごく美味しい。」
「でしょ?」
と、ココアは自慢げに笑った。
……お前が作ったわけじゃないだろう。
「こんなに美味しいスイーツがあるなら、この店もすぐに人気になるだろうな。」
「そ、そうですか?ありがとうございます!……えへへ。」
俺がそう言うと、シャロは顔を赤くして喜んでいた。
「……顔を赤くしてどうした?」
「……実は……そのケーキ作ったの、私なんです。」
「え?」
思わず声が漏れた。
「シャロが?」
「はい。プライベートでも時々作ってて。まだ簡単なものしか作れませんけど……。」
「いや、十分美味しいぞ。」
「ありがとうございます!良かったです!」
シャロはほっとしたように胸を撫で下ろすと、嬉しそうに
きっと、自分で作ったものを美味しいと言ってもらえたことが、よほど嬉しかったんだろう。
「お嬢様で、お菓子が作れて、お店で働いてて、シャロちゃんもすごいね!」
ココアは目を輝かせながら、感心したようにシャロを見つめていた。
「べ、別にこれくらい社会経験として当然よ。普通よ……。」
突然歯切れが悪くなったシャロはそう言って、目を逸らした。
……『普通』…か。
シャロの言う『普通』がどういう意味を持っているのか、俺とチヤは知っている。
ふとチヤの方に目をやると、同じことを思っていたのか、チヤも俺の方を見ていた。
俺とチヤは何も言わずに頷き合う。
それ以上は何も言わなかった。
シャロがどんな気持ちで『普通』と言ったのか、それを知っているのは俺たちだけだ。
シャロは、幻滅されるのが怖いんだろう。俺に家庭事情を知られた時、最初は自分のことを話すのを
きっと今も同じなんだ。これはシャロ自身の問題、シャロがみんなを信じられるかどうかの問題なんだ。
だから俺は何も言わずにそっとしておくことにした。
「というか、今、『も』って言ったけど、他にもすごい人がいるってこと?」
「うん!リゼちゃんも喫茶店で働いてるよ!」
「え!?そうなんですか!?」
シャロは驚いたように目を見開いた。
「ああ、チノの喫茶店で働いてるよ。ココアとリョーマもそこで住み込みで働いてる。」
「そういえばココアたちと同じ服装ですね。あれ?でもリョーマ先輩だけ服装が違いますけど……?」
「まあな、でも一応チノの喫茶店の制服だよ。」
下宿してからしばらく経った頃、タカヒロさんから聞いた話だが、やっぱりこの制服はバー用の制服らしい。昼間のラビットハウスで今まで働いてたのは、チノとリゼだけだったらしく、女子用の制服はまだ何着か残っていたそうだ。けど、男子用の制服までは用意できなかったらしい。
そういうわけで、このバーテンダーの制服をバー用兼男子制服として使うことになった。なったというか俺がタカヒロさんにそう頼んだ。今から作ってもらうのは時間も費用もかかって申し訳がないからな。
「そうなんですか。その喫茶店ってどんな店なんですか?ぜひ行ってみたいです!」
ものすごく目を輝かせて食いついてきた。
是非も何も来る気満々だな。
「コーヒーの喫茶店だよ。色んな種類があって、楽しいと思うよ。」
「え……コーヒー…ですか?」
「どうした?」
「い、いえ……その…。」
突然シャロの表情が曇った。
何か言い出しづらそうに口ごもっている。
「……もしかして、コーヒー飲めないのか?」
「いえ、飲めるんですけど、その……実は私、カフェインを
そう言ってシャロは恥ずかしそうに顔を赤くしてカミングアウトしてきた。
それで言い出しづらそうにしていたのか。
確かに、カフェインを摂ると眠れなくなる人っているからな。……酔ってしまうのは初めて聞いたけど。
「まあコーヒー以外にも、サンドイッチとかスパゲティとか、そういった軽食もあるから、コーヒーが飲めなくても大丈夫だと思うぞ。」
「そうなんですね。それなら私でも大丈夫そうです!」
一瞬で表情が元に戻った。よっぽど来たかったんだな。
「あと、お兄ちゃんが作ったパンも出してるよ!」
「え!?本当ですか!?」
何気なく言ったココアの言葉に、シャロはさっきよりも目を輝かせ、ぐっと身を乗り出すように食いついてきた。
「まあ、週末だけだけどな。」
「絶対行きます!今度の週末、絶対に行きます!!!」
「あ、ああ……昼から出してるから、好きな時間に来てくれればいいよ。」
「はい!」
シャロが満面の笑みを浮かべている。
まさか、パンの話だけでここまで食いついてくるとは。
「ふふっ。シャロちゃん、リョーマ君の作ったパンが大好きなのよね。」
「ちょっ、チヤ!」
チヤが微笑みながら言うと、シャロは顔を真っ赤にして、慌てたように両手を振った。
「き、気にしないでくださいね!?チヤが適当なことを言ってるだけですから!」
「あら?でもこの前、パン作りのお土産にリョーマ君のパンを渡した時、すごく嬉しそうに食べてたわよ?最後のメロンパンになった時、泣いちゃうんじゃないかって言うくらい名残惜しそうに食べてたけど———」
「それ以上言うなバカァァァ!」
恥ずかしさに耐えられなくなったらしく、シャロは慌ててチヤの口を両手で塞いだ。
……チヤ、完全に楽しんでるな。
それにしてもそこまで喜んでくれてたとは。作る側としても嬉しい限りだ。
「まあまあ、俺としては嬉しいことだから恥ずかしがることはないよ。そういえばシャロはメロンパンが好きなんだったよな?今度の週末、少し多めに作っておくから、是非来てくれ。」
「うぅ……はい、ありがとうございます。」
シャロは顔を赤くしたまま俯き、恥ずかしそうにしながらも、口元には小さな笑みを浮かべていた。
ピピピッ!
突然、テーブルの上に置いていたストップウォッチが鳴った。
「あ、もう時間ですね。」
シャロはストップウォッチを止め、それぞれのカップにハーブティーを注いでいった。
ハーブティーの香りがふわっと広がっていく。最初にお湯を注いだ時よりも香りがはっきりしている。
「わぁ!ねえシャロちゃん!もう飲んでいいんだよね!?」
ココアはもう待ちきれない様子だ。まるで、ご飯を前にして尻尾を振ってる子犬みたいだ。
「ええ、もう飲んでいいわよ。」
「やったー!いただきまーす!」
ココアは嬉しそうにカップを手に取ると、ふーふーと何度か息を吹きかけ、待ちきれない様子で口を付けた。
「ん~……!ほんのり甘くて美味しい!落ち着くぅ~。」
ココアは満足そうに息を吐き、もう一口飲んだ。
ココアが美味しそうに飲んでいるのを見て、俺もカップを手に取った。
そっと口を付け、レモンバームを一口飲んでみる。
口の中に広がるのは、名前の通りレモンを思わせる爽やかな風味。けれど、酸味はほとんどなく、むしろ草花を思わせるような優しい味わいだ。ミントのような強い
「へぇ……美味しいし、思ってたより飲みやすいな。ハーブティーってクセが強いものだと思ってたよ。」
「種類によって香りも味も全然違うんですよ。気に入ってもらえたなら良かったです!」
シャロは嬉しそうに微笑んだ。
他のみんなも、口に合ったらしく美味しそうにハーブティーを飲んでいた。
ピピピッ!
ふと、シャロが手首に着けていた腕時計から音が鳴った。ストップウォッチならさっき鳴ってたはずだが……?
「あ、そろそろですね。すみません、ちょっと失礼します。」
そう言ってシャロは、厨房の方へ向かっていった。
シャロも休憩時間だろうか……と思ったが、一分もしないうちに戻ってきた。手にはトレーを持っており、その上にはカップが一つと小皿が一枚載っていた。
「はいココア、バタフライピーよ。」
そう言ってシャロは、トレーに載せてあったカップと小皿をココアの前にそっと置いた。カップには鮮やかな青色の液体が入っており、小皿には輪切りのレモンが一枚載っていた。
「これがバタフライピー?青くてなんだかかっこいいね!」
ココアは目を輝かせながら、カップの中を覗き込んだ。透き通った青が珍しいのか、あちこちから眺めては興味津々といった様子だ。
「ココア、そのレモン入れてみて。」
「え?これ?」
ココアは輪切りのレモンを手に取り、カップの中へそっと入れた。
すると、透き通った青色に変化が生じた。
「……あれ?」
変化に気づいたココアは、カップを覗き込んだ。
青かったハーブティーは、徐々に色を変え、やがて全体が鮮やかなピンク色に染まっていった。
「わああっ!すごい!ピンクに変わったよ!可愛い!」
ココアは嬉しそうに声を弾ませ、夢中でカップを見つめている。
「ふふ、バタフライピーはレモンを入れると色が変わるの。味もさっぱりして飲みやすくなってるから、きっと口に合うと思うわ。」
「へぇ、ハーブティーって面白いね!」
そう言ってココアは、ピンク色になったバタフライピーを一口飲んだ。
「ほんとだ!美味しい!ちょっとだけレモンの味がする!」
ココアは気に入ったのか、もう一口バタフライピーを飲んだ。カップの中で揺れるハーブティーを眺めては、どこか嬉しそうに頬を緩めている。
どうやら色が変わるだけでなく、味も気に入ったらしい。
他のみんなもそれぞれのハーブティーを楽しんでいた。店内にはカップを置く音や、穏やかな話し声が響いていた。
さっきまであんなにはしゃいでいたココアも、今ではすっかり大人しくなっていた。カップを両手で持ち、ぼんやりとした顔でハーブティーを飲んでいる。
するとだんだんココアの頭がゆらゆらと揺れ始めた。一度ぱちっと目を開けたものの、すぐにまた、とろんとした目になった。
やがて頭がこくんと前に傾き、はっとしたように顔を上げる。それを何度も繰り返していた。
「ふぁ~……なんだか眠くなってきたよ……。」
ココアは眠たそうに目を
「おいココア、まだこの後の仕事が残ってるんだぞ。」
「………。」
返事がない。どうやら、俺が声をかけた時にはもう夢の中だったらしい。
ココアは寝つきが良いというか、眠くなるとすぐに寝てしまう。しかも、一度寝ると中々起きないんだよな。
昔、勉強を教えていた時もそうだった。途中でウトウトし始めて、俺が気づいた時には熟睡してることがしょっちゅうだった。その度に俺が叩き起こしていたものだ。
「ココア起きろ。まだ寝る時間じゃないぞ?」
「んぅ……ハンバーグ……。」
席を立ち、ココアの肩を揺すった。けれど、ココアは幸せそうな寝顔のまま、すやすやと寝息を立てていた。
「ダメだなこれは。しばらく起きないぞ。」
これもハーブティーの効果なのか?いや、ココアの場合、いつものことか。
「どうしましょうか……そろそろ店に戻らないといけない時間ですし。」
チノは壁にある時計を見ながらそう言った。
俺も壁の時計に目を向けた。確かにそろそろ戻らないといけない時間だ。
「ココア、帰るぞ。起きろ。」
「えへへぇ……もう食べられないよぉ……。」
……ダメだ。完全に夢の中だ。こうなったら仕方ないな。
「……よっと。」
俺はココアの腕を自分の肩に回し、そのまま背負い上げた。ココアは少し身じろぎしたものの、起きる気配はない。それどころか、俺の背中に頬を寄せて、また気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
「……まったく、本当に自由だな。」
俺は呆れながらも、ココアが落ちないように背中を支え直した。
「シャロ、まだ仕事が残ってるから、そろそろ帰るよ。」
「はい、外までお見送りしますね。」
俺たちは席を立ち、レジへ向かった。
会計を済ませると、シャロが店の出入り口までついてきてくれた。
「シャロ、今日はありがとう。また今度、ゆっくり来るよ。」
「いえ、こちらこそありがとうございました!今度は私がリョーマ先輩の働いてるお店にお邪魔しますね!」
よほど俺のパンを楽しみにしてくれてるみたいだな。今度の週末って言ってたから、その時は腕によりをかけて作るとするか。
「ああ、待ってるよ。それじゃあな。」
「はい!ありがとうございました!」
俺たちはシャロに見送ってもらい、店を後にした。帰り道、ハーブティーを飲んだからなのか、俺もみんなもかなりリラックスした気分になっていた。一番効果が出てるのはココアだけどな。
それにしてもさっきからココアが寝言でずっと「ハンバーグ……。」って言ってるけど、起きたら今日の夕飯はハンバーグにして、なんて言ってこないよな?
……言ってこないよな?
To be continued