「ごめんなさい」
目覚めて開口一番。衛兵所に連れてきた男達は、椅子に座ったまま深く頭を下げてきた。
これには、ソル達も苦笑い。気絶させられて、文字通り頭が冷えたのだろう。先ほどまでの激昂した様子が微塵も感じられない。
「ははは。わかってくれたならいいんだ。なんで喧嘩していたんだ?」
「さっき店でこいつと好きな娼婦の話をしていたんだけど」
「当然リーサちゃんの話が出て、どっちがより愛されているか、みたいに話がこじれたんだ」
「なるほど。で、頭が冷えた今はどう思っているんだ?」
笑いながら告げたリカルドの言葉に、男達は顔を見合わせて頷く。
「よく考えたら、リカルドさんに勝てるわけなかったよな」
「ああ。リカルドさんって、町一番だって有名だし」
「……」
リカルドの笑みが引き攣った。
「あーあ、俺もリーサちゃんにあんなこと言われたかったなあ」
「そりゃ無理だろ。俺達とは違って、リカルドさんはモノが違うんだから、モノが」
「だよな。はぁぁ……アトリ様も残酷だよな。属性の当たり外れの他にも、こっちの当たり外れも作るんだから」
「あ、あのさ、そろそろやめた方が」
これにはソルも慌てて止めに入るのだが、どうなら実行するのが遅かったらしい。
額に野太い青筋を作り出したリカルドの全身が、白い燐光に包まれていく。
「どうやら、お前らは懲りていないみたいだな。せっかく厳重注意で済ませようと思っていたが、そこまで独房に入りたいか」
白い重圧が降りかかる。室内から軋む音が響くような錯覚に陥り、リカルドを中心に風が巻き上がる。
ここに来てようやく悟ったようで、男達の顔色が真っ青に染まっていく。
「は、ははは、大丈夫ですよ」
「そうそう、俺達
「ということで、これ以上ここにいると仕事の邪魔になるから帰りますね」
「さようなら!」
「あ、おい!」
呼び止めるリカルドを無視して、男達は驚くほどの速さで衛兵所を飛び出していった。
出てからすぐに「ひぃっ!?」と悲鳴が上がっていたが、それほどリカルドが怖かったのだろう。
正直、ソルも少しだけチビりかけた。本当に少しだけだ。実際に漏らしているわけではない。
それも仕方ない。リカルドの雰囲気が、それほどまでに恐ろしかったのである。
例えるならば、噂に聞く『狂信会カリュオン』の苛烈な行動のような怖さだった。
「あ、あのー、リカルドさん?」
「ふぅ……まったく。すまんな、驚かせて」
「いや、大丈夫。俺だって、あんなに言われたら怒るし」
「ははは。そう言ってくれると助かる。ソルは、オレみたいなヘマはするなよ?」
「わかってるって。それに、娼館には行くつもりもないし」
ソルとしては当然のことを言ったつもりだったのだが、なぜかリカルドはニヤリとした笑みを浮かべた。
「ま、最初はみんなそう思うものさ。直にお前もオレ達と同じ道を辿るだろうよ」
「そんなことないって! 大体、俺は別にそんなのに興味なんか……ん?」
体全体を撫でられるような、不思議な感覚を覚えた。
特に頭が顕著に感じ、髪の毛に触わると微量な痺れが返ってきた。
心なしか、リカルドの顔色が青雪鳥のように青白くなっている気がする。
「ま、まさか」
「これって、『遠電現象』だよね? 電気属性を持つ存在の近くにいると、体が少し痺れるっていう……」
「あ、ああ。町にいる電気属性持ちの人といったら、あいつしか」
「──随分と愉快な話を聞いたよ、リカルド」
席に座っている関係で、リカルドは入口から背中を向けているため、誰が入ったか見ていない。
しかし、声だけでおおよその検討がついたのか、大量の冷や汗を垂らしていた。
衛兵所に入ってきたのは、恰幅の良い女性だった。
彼女の全身からは紫電が迸っており、微弱な雷鳴が鳴り響いている。
表情は満面の笑みを浮かべているが、ソルの気のせいでなければ、あれは獲物を前にして喜ぶ魔獣の笑顔だ。
そんな恐ろしい形相でやったきたのは、リカルドの妻だった。
ぎこちなく振り返ると、大袈裟に立ち上がって頭に手を置いたリカルド。
後頭部に添えられた手が、震えていた。
「ははは。サリナじゃないか。いきなりどうしたんだ?」
「いやね、さっき町で騒ぎがあっただろう? その時に、面白い話を聞いてね」
「お、面白い話?」
「うちの旦那が娼館狂いで、娼婦達に貢いでいるって話さ」
「待てまてまて! 話が曲解している! たしかに時々娼館には行くが、決して貢いでいるなんてことはない!」
「へぇ。やっぱり、娼館に行っていたのね。あたしだけ愛するって言葉は嘘だったのかい」
「い、いや、それはだな」
「おだまり! 言い訳は見苦しいからやめな!」
ぴしゃりとリカルドの言葉を遮ると、重々しい足取りで近づくサリナ。
後ずさろうとする彼の耳を引っ張り、厳しい顔で睨みつける。
その際、彼女の手から一筋の電流が弾けた。
「いてぇ!? おい、お前の電気はシャレにならないからやめてくれって!」
「黙りな。ったく、恥ずかしいったらありゃしないよ。ここに来る間も、ずっと町のみんなから見られていたんだからね!」
「いや、それはサリナが怖かっただけじゃ」
「なんか言ったかい?」
「いてて! なにも言ってないから、電気を流すのをやめてくれ!」
呆気に取られるソルの前で、夫婦喧嘩を始めていた。
頼りがいのあるリカルドの情けない姿に嘆けばいいのか、ソルやルナには優しいサリナの容赦のなさに
とりあえず、巻き込まれないように大人しくしていよう、と思うのだった。
しばらくして説教は終わったのか、サリナがリカルドの耳から手を離す。
怒れる紫電も収まっており、どうやら無事に鎮火したらしい。
涙目で耳をさするリカルドにため息をついたあと、サリナはソルの方に顔を向ける。
「悪かったね、変なところを見せて」
「う、ううん! サリナさんが怒るのは当然だし、これはリカルドさんが悪いよ」
「かーっ! ソルはいい子だねえ。このダメ亭主にも見習わせたいね」
「わかったから、もうなにも言わないでくれ……」
「それより、ソル。ちょっとこっちに来な」
「え、うん」
ちょっとだけ怖かったが、特に断る理由もないので近寄る。
すると、サリナがソルの頭を乱暴に撫でてきた。
「あんたの活躍も聞いたよ。ソル、お手柄だったね」
「やめてくれよ。俺はもう子供じゃないって知ってるだろ?」
「あっはっは。あんたをガキの頃から世話してきたあたしからすりゃ、まだまだガキのままさ。あんたの立派な姿を見れば、カリーネも喜ぶだろうさ」
「……そうかな?」
ソルの脳裏を過ぎるのは、幼い頃に死別した両親の姿。
強くて偉大だった父親の背中と、優しくて大好きだった母親の笑顔。
二人のような魔獣による犠牲者を出さないために、ソルは自警団に入った。大好きなこの町を守るために。
今はまだ雑用の毎日だが、両親に誇れるような大人になれただろうか。
「さ。ソルはちょっと外に行ってな。あたしはリカルドの説教の続きがあるからね」
「まだあるのかよ!?」
「当たり前さ! これ以上あんたが娼館に行かないように、しっかりと絞ってやるからね」
「え、えーっと、ごゆっくり?」
なんて答えればいいかわからなかったソルは、言われるまま逃げるように衛兵所を飛び出すのだった。
「ソル!」
「ん? ルナか。教会の仕事はもういいのか?」
「はい。本日の祈りは終わりましたので」
特にやることもないのであてもなくさまよっていたら、ルナが駆け寄ってきた。
流れで一緒に歩くことになり、二人は話しながら進む。
「それで、どうだ? 教会の仕事は」
「そうですね。これといった問題もなく、毎日楽しくやらせていただいていますよ」
「そうなのか。ルナって普段はどんなことをしているんだ?」
ソルが疑問に思って尋ねてみれば、ルナはその可憐な指をおとがいに添える。
「うーん。まずは朝のお祈りからですね。今日も生きられたことをアトリ様に感謝を捧げ、良き日が始まるよう祈るんです。そのあとは教会前を掃除します。一日経つだけでも、砂埃とかが溜まりますからね」
「へー。なんだか大変そうだな。俺は朝から走り込みや訓練、あとは雑用ばっかだよ」
後頭部で両手を組みながら、口を尖らせたソル。
必要なことだとわかっているし、嫌になっているわけでもない。でもやっぱり、リカルドのように町に貢献したい。そんな風に思う、複雑な少年心なのだった。
「十分凄いと思いますよ。わたしがしていることは、祈りか掃除ばかりですし」
「そういうものかなあ」
「そうですよ。隣人の属性は強い、って言葉があるように、周りが良さそうに見えるだけです。ソルが危惧しなくとも、アトリ様はしっかりと見守ってくださっています。必ず、ソルの努力が報われますよ」
穏やかな微笑を湛えていたルナは、慈愛の籠った声色でそう告げた。
言外に、自分の頑張りを認められているような気がする。いや、気がするのではなく、実際に自分を認めてくれているのだ。
ルナの表情や雰囲気から、それを如実に感じ取れていた。
思わず照れくさくなり、そっぽを向きながら頬を掻く。
そんなソルの変化を見て、唇に指を添えたルナがおかしそうに笑う。
「ふふっ」
「な、笑うなよ!」
「ごめんなさい。でも、なんだか嬉しくって」
「ふんっ。ルナも俺を子供扱いしやがって」
「そんなことはないですよ。わたしにとってソルは、頼れる兄のような……あら?」
ソル達の元に、一人の少女が駆け寄ってきた。
彼女は先ほどソルが助けた迷子の子で、嬉しそうな笑みを浮かべている。
「おにいちゃん!」
「お、お前はさっきの。こんなところでどうした?」
「あのね、あのね! きょうはママとおいしいごはんを食べたの!」
「おお、それは良かったな」
「ソル。こちらの子は?」
「ん、ああ。迷子だったこの子を俺とリカルドさんで助けたんだ」
ルナに説明していると、先ほどの母親もやってくる。
「こら、勝手に走っちゃダメでしょ。あ、貴方はあの時の」
「どうも、こんにちは」
「あら? もしかして、あなたはダニエルさんのところの……」
「そうです。先日はうちの夫がお世話になりました」
ルナに気がついた母親は、穏やかな面持ちで頭を下げる。
どうやら、二人は間接的に面識があるらしい。
「頭を上げてください。それで、ダニエルさんの怪我は大丈夫ですか?」
「はい。司祭様とシスターさんのおかげで、問題なく動けています」
「それなら良かったです。……あ、ソル。紹介しますね。こちら、わたしが以前治療したダニエルさんの奥さんの」
「マリーと申します」
「さりー! よんさい!」
いーっと歯を輝かせて手を突き出す少女──サリーと、その母親であるマリー。
自己紹介されたので、ソル達も居住まいを正して言葉を返す。
「俺……私はソルと言います。今年に自警団に入った新米衛兵です」
「わたしは見習いシスターのルナです。二方にも、アトリ様の加護があらんことを」
「そるおにいちゃんに、るなおねえちゃん! よろしく!」
「よろしくな、サリー」
ソルがサリーの頭を撫でていると、マリーが明るい表情で尋ねてくる。
「二人は昼食はまだでしたか? もしよろしければ、夫のお礼も含めてご馳走したいのですが」
「え、俺は別に──」
慌てて否定しようとしたが、ソルの言葉は鳴き声で遮られた。
誰もがお腹に飼っている、空腹属性を持つ虫に。
「──あはは」
「ふふっ。ソル、こういう時はご好意に甘えるのがいいのですよ」
「あーっと、よろしくお願いします」
「ええ、もちろん」
そういうことで、ソル達はマリーの提案に頷くことになった。
彼女に案内されながら、嬉しそうにマリーと手を繋ぐサリーの背中を見守る。
「子供はいいよな」
「そうですね。司祭様も仰っていました。子供はアトリ様からの授かり者だと」
「……なあ、ルナ。その司祭様って、どんな人なんだ?」
あの時覚えた違和感が、ソルの脳裏から離れない。気がつけば、そんなことをルナに尋ねていた。
彼女は不思議そうに小首を傾げると、ソルの質問に答えていく。
「司祭様ですか? 司祭様はとても優しい方ですよ。常に謙虚で、信心深くて、決して他者への差別をしない。まさに司祭になるために生まれてきたような方ですね。わたしも、司祭様のように敬虔なシスターになるのが夢です」
瞳を輝かせて告げるルナだったが、対するソルは素直に喜べなかった。
やはりどうしても、己の【直感】が気になってしまう。
「……ルナ。司祭様には気をつけた方がいい」
「司祭様に? どうしてですか?」
「俺の【直感】だよ。ルナならわかるだろう?」
「それは、そうですね。ソルの属性には、よく助けられましたし。ですが、今回ばかりは大丈夫だと思いますよ。ソルの考えすぎです」
「だといいんだけどな……」
確固たる証拠がないため、こうして忠告することしかできない。
ルナは人を信じやすいこともあり、なおさらソルの言葉を信じられないだろう。
自分だけでも、気をつけておくべきか。
警戒するに越したことはない。なにかあってからでは、遅いのだから。
そう考えたソルは、ルナの手を引いて立ち止まったマリーの元に駆け寄るのだった。