迷子になった少年と母親を探すレイマリ。

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 おかあさあん、おかーさあん──

 

 子供の焦った声、私の髪を揺らして走り抜けていく。何故止まってしまったのか分からない。おかあさあん、おかーさあん……。

 呼ぶ声が遠ざかっていく。

 粗末な草履が目の端を通り過ぎ、新たな着地点を目指す。そんな光景が焼き付いていた。あんなに必死に走って、どこへ行くというのだ。

 私は里の北西を向いて、彼に引き寄せられるように逆を目で追った。駆けていく。里の者がみなお前を見ているよ──ひそひそと、交わされる会話。私も、見ている。

 それから、私は子供の行く先を見た先に、さらに目を奪われる光景を見た。

 女が、迷わず彼に手を伸ばす。

 重力に逆らうように彼女の左足が前に出、強引だがバランスを崩した子供の細い腕を同じくらい細い腕で支えている。すぐに砂埃が舞い、彼女の飴色の髪が揺れ、何一つ顔色を変えない顔がよく見えた。

 道の真ん中には人力車が通っている。

 彼女が子供とその陰に隠れるようにじっと立っているのを見て、ようやく私は彼女が子供を助けたのだと合点がいった。

「どうしたよ、坊っちゃん」

 人力車が過ぎた後、先ほどとはえらく違ったにんまりした笑顔で女は言った。年は子供とそれほど変わらないのに、その仕草は様になる。これがもともとの彼女の顔、だからだろうか。

「坊っちゃんじゃねえやい」

「私からしたらお前さんだってぼんぼんさ。よく周りを見ろよ、さっきだって危なかったぜ」

 少年はとたんにしゅんとして黙りこんだ。

 さっきの人力車はこの里でもかなりのお金持ちが乗っていた。彼処に近付けるのは世間知らずの子供か、知っておいて近付ける馬鹿か、どちらかしかない。

「ほら、母ちゃんでも探してんだろ。一緒に行ってやる」

「……いいよお」

「遠慮すんな」

 子供が泣きそうな顔をしたあと、こくん、とうなずいた。彼女の一寸の翳りもない笑みに、遠くから見つめていた私が動揺する。おかーさあん……呼ぶ声がする。

 ハッとして、持っていた風呂敷包みをぎゅっと握ったら、走り出していた。びゅんびゅん、さっきの少年より速い。私の方が、私の方が……。

 視界いっぱいに黒が広がり、どすん、より酷い音がした。

「いってえ!!」

 行儀の悪い叫び声がして、私は意味も分からず顔を上げた。

「あ、ごめん」

 体当たりしていた。

 なんてこと。

「酷いなあ、霊夢」

「……だから、ごめんってば」

 魔理沙、と目を見られずに言った。

 瞳の色とお揃いの髪の毛。連想ゲームのように、パッと繋がった。さっきの笑顔。私だけの、笑顔。

 魔理沙、と言った。

 今度は目を見て。

「ごめんなさい」

「なんなんだあ?」

「考え事してたら、魔理沙に突っ込みたくなっちゃって」

「そんなことあるか、普通」

 ドロワーズを大っぴらにしたままの魔理沙のスカートをさりげなく整えて、手を貸してやった。柔らかい手がぎゅっ、と握り返し遠慮なく体重をかけてくる。

 何も言わずに引き上げた。

 すぐに魔理沙は少年に笑いかけ、私を手のかかる友人だと紹介する。

「悪いな、霊夢も一緒にやらせるから」

「ありがとう。お姉さん」

「なあに、こっちにも言っとけ」

 背中を押された。

 一歩、少年の前に出る。

「ありがとう」

 満面の笑み。

 さっきの魔理沙と何も変わらない笑顔。それを見たとたん、私は恥ずかしくて堪らなくなった。自分が少年に嫉妬していた、と自覚した。

 なに。なに、それ。

「い、いいのよ」

 ふんにゃりとした笑顔しか出てこなかった。

 心は分かってる。魔理沙だけが欲しい。魔理沙と一緒にいて、楽しいかと言われると違うのだ。ただ、他人が魔理沙と話しているのを見ると耐えられなくて、邪魔をしたい。

 これが恋なのか。好きってこと?

 無意識に生まれる嫉妬やじんと苦しくなる心臓の辺り。それを自覚したとたん、恥ずかしい。

「で、最後に母さんを見たのは?」

「米屋」

「米屋は反対だ」

 魔理沙は呆れたように私が走ってきた方角を指した。少年は照れ笑いをし、母親とはぐれた経緯を次のように語った。曰く、彼は母親と米屋で一旦別れ、一人で玩具屋だったり甘味処に行ったらしい。それで戻れなくなったと。

「早く行ってあげないと、母親は探してるんじゃない」

「そうだな」

 私の言葉に魔理沙が先頭に立ち、少年が少し後ろ、私は適当な距離を保ちながらその横を歩く。下手な言葉で無言を埋めない。二人が少年の母親を探しながら歩くのを眺めていた。

 少し歩いた所に目的地はある。

「米屋だ」

 少年が駆け出していった。

「母親っぽいのは居ないな」

 私の隣で魔理沙が店内を覗き込んで言う。確かに母親にしては若い女性ばかりしかいない。

 ふと、頭に浮かんだのはおかあさあん……と呼ぶあの声だった。皆、見ている……。

 すると、妙案が浮かんだ。

「なら、呼んでみたらどう?」

「へ」

「親子っていうのはどんなところでもお互いを見つけるでしょ?ヒナが呼べば親鳥は餌を持って帰ってくる」

「ははは!天才だな!!」

 魔理沙はヒーヒー笑いこけると、肩を寄せ震える体を私にくっつけるようにした。ムッとしてしまう。

 こういうときにどきどき出来ればいい。

 なのに、安心するだけでどきどきなんかしない。どきどきすればいいのに。心が苦しくなればいいのに。

「おーい!坊っちゃん」

 今度はしょげて帰ってきた少年に肩を寄せ、魔理沙は私の考えをくつくつ笑いながら話した。まるで秘密基地の相談をしているみたい。

 その光景を見ながら、私はまた自分の心に良からぬ考えがむくむくと沸いてくるのを感じていた。私の場所。私だけの、隣。

 ああ、これが独占欲というもの?

 恋ではなくて。

「よし、やってみせろ」

 二人が離れ、少年が母親を大声で呼び始める。

「なあ、私は笑ったがいい考えだと思うよ」

「そう?」

「いじけるな、霊夢。母親がまともならそう遠くへは行っていないはずだし、声っていうのは相手に届きやすい」

 信じてる、という響きがカッコつけてるようにも思えたが、気にしなかった。

「ん?お前もそう思うか?」

 彼女が優しい声で言う。優しい顔で笑う。

 私が正面からその顔を見たのは初めてだった。心を見透かされたようであんまりにびっくりした。私がいつも遠くから眺めていた笑顔はこうだったのか。私がいつも向けられていた笑顔はこうだったのか。

 苦しい。

「……なんで」

「笑ってたよ」

 微笑んだままで。

 愛情を含んだ微笑みとは、他とは別物なのだろうか。もしそうなら、これは私に向けられた愛情のように思えた。手を伸ばしたい。

 その愛情に。

「あっ、母ちゃん!」

 母親を呼び続けていた少年が嬉しそうに駆けていく。笑顔の女性が少年を抱きしめ、ようやく母親が見つかったのかとホッとする。

「見つかったか」

 魔理沙も嬉しそうに微笑んだが、さっきのような顔ではなかった。

 子供がこちらを振り返り、私たちに手を振った。母親もお辞儀をしてありがとうございます、と言った。平静を装い、私たちは手を振る。

「良かったな」

「そうね」

 まるでその場で解散のような空気がした。

 離れたくない。

 私と別れたあとは、魔理沙はどこへ行くの。誰と会うの。私以外と笑いあって、何を話すというの。私以外の思い出をいつか思い出したりする?

 おかあさあん、おかーさあーん……。

 本当に突然だった。聞こえた言葉がそれだったのだ。

「待って」

「あん?」

 立ち去ろうとしていた女を呼び止めた。

「待って」

「だから、待ってるだろう」

「違うの、だから……」

 魔理沙の家に行きたい、とやっと出た言葉がそれだった。震える声で言ったことがそれ。私は腕を棒のように固くして、その手に汗が滲むのを感じていた。

 魔理沙は不思議そうな顔をしたが、ああ、と短い返事だけで私の前を歩き始めた。彼女の家にしたのはほんの出来心だった。なにか悪い感情が動いている。それなら、その感情に流されておきたかった。

 彼女の家についたのは早かった。

 軽そうなドアを開け、ん、と中へ誘われる。ずっと一緒にいるからか多くは言わなくても分かってくれるのが逆に怖かった。沈黙のまま彼女の家に跨ぎかけ、足を止めてしまう。

「どうした?」

「このまま、行ってしまったら……」

 なにか間違えてる。

「ん、どうしたよ」

 魔理沙は私の手をとり、中へ引き入れた。

 瞬間的に、私は彼女に抱きついていた。強く抱きしめた。胸の中が満たされていなくて、そこに必死に彼女を押し込もうとした。

「わたし、私……」

「ああ……大丈夫だよ」

 ドアの閉まる音がした。

 女は私が突然こんな行動をとっても取り乱さなかった。取り乱さず、私と同じように強く抱きしめる。

「お、お……」

 私の、女。

 親のいない私に唯一愛情を見せる。私が母親というものを知らずに生きているのを知って、その愛情を私にだけ見せてくれる。同時に、猛烈な嫉妬と恋を。

 私だけの、女。

「愛してる」




『私の男』読んで書きたくなっちゃいました。
もっと健全な恋愛のつもりだったんですけどねえ。

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