陰陽師 創譚ノ巻   作:生野の猫梅酒

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続、むしめづる姫・上

 

 季節は、夏──

 梅雨も明け、いよいよ立ち上る熱気を肌で感じる頃だった。

 朱雀大路の一角にある桜の巨木も、すっかり装いを変え、緑に覆われた枝葉が風に揺れ動いている。

 さわさわ、ひらひら、さわさわ、ざぁざぁ……姿も音のない大気の流れが、桜の葉を通して見え、聞こえてくるのである。

 巨木は不動でありながら、その枝葉たちは細やかに身体を震わせる。まるで身を駆ける風を歓迎しているようだった。

 風に乗って昼の空へと広がる葉の香りは、いっそう夏を感じさせるもの。しかし、涼やかな趣さえも通りがかる者たちへ与えていたのだった。

 

 太陽が真南より少し西へ落ちた頃。

 いつものように桜の下に相談所を設置した桜法師の所に、風変わりな客人が訪れた。

 

「あなたが、噂の桜法師であるのかしら?」

 

 やって来たのは、白い狩衣を着込んだ少年だった。烏帽子を被り、白い歯を可愛らしく覗かせている。

 しかし、先の声は明らかに少女のものだ。よくみればその顔立ちも、女性らしい丸みと美しさを備えている。装いこそ男性のようだし、眉を抜いていなければお歯黒もないが、信じられないことに年頃の女性であるらしかった。

 その人物は、後ろに二人の少年──こちらは間違いなく男性だろう──を連れていた。一人は質素な衣に身を包んだ男童で、もう一人は目元を薄い布で隠した少年である。

 

 明らかに、世の常識とはかけ離れた女性とその従者だった。

 まずは、老法師の姿をした式神、枝垂が慇懃に答える。

 

「ええ、この枝垂めが桜法師でござりますれば、如何様なご用件でしょうか?」

「実は少々、相談事があるの。最初は土御門の安倍晴明さまを訊ねたのだけど、ご不在でいらして。そこで、前に晴明様が仰っていた桜法師を思い出したから来てみたのよ」

「それはまた、光栄でございます」

 

 陰陽頭(おんみょうのかみ)として、宮中の出入りも許される安倍晴明と親交があるとなれば、なまなかな立場の人間ではない。

 実際、漂う気品や風格はやんごとない身分の者のそれなのに、男装をして人前に堂々と姿を現す様は少年の行いである。

 しかも、目元を隠した少年は常人とは気配が異なると、本当の桜法師たる桔梗は気が付いた。

 よく隠れてはいるが、式神だ。それも、相当なものである。いったいどれだけ強い力を持った術者が拵えたのやら、桔梗は思わず目を見張ってしまう。

 とはいえ、客人をいつまでも立たせておくのも申し訳ない。それとなく簡素な椅子を進め、まずは挨拶へと入ったのである。

 

「改めまして、わしは枝垂と申すしがない法師なれば。そちらの名を伺っても?」

「わたしは、露子よ。このようななりだけど、もうすぐ二十にもなる女なの」

「露子姫といえば……あの、橘実之(たちばなのさねゆき)殿の娘で、虫を好むという」

「そう、その露子よ。お父様からは何度も、虫を追うのをやめて、宮中に入れるような女になれと言われているけどね」

 

 四条大路の屋敷に住んでいる、橘実之の娘の露子は、風変わりな姫で有名であった。

 虫を愛で、自らの手で飼育をし、その観察記録を付ける。見た事のない虫には自分で名を付け、どのように飼育すれば良いかを詳細に調べるのだ。だから彼女の部屋には、無数の虫たちの記録が山の様に積まれている。

 特にお気に入りなのは烏毛虫(かわむし)──つまり、イモ虫である。どの種類が、どのような葉を食べ、どんな蛹となり、どういった蝶へと羽化するのか。それらを調べ、まとめるのが面白いのだという。

 口さがのない侍従がなにを言おうとお構いなし、むしろ巧みな弁舌で丸め込んでしまう始末だ。

 器量は良い。この時代の基礎教養である歌集を諳んじ、筆を執ることも容易い。虫を愛でることをやめ、年齢に相応しい化粧を施せば、すぐにでも良い縁談は舞い込むだろう。

 しかし、当の本人は今のまま変わる気配がない。父が何を言おうと我が道を往き、故に知る人ぞ知る姫となっているのである。

 

 桜法師の枝垂、いや、正確には桔梗もこれくらいの情報は耳にしていた。

 けれど、まさか露子姫その人が男装をして、自らの足で人前に姿を現すとは思ってもみなかった。

 しばらく前に従者も連れずにやって来た博雅と同じ、珍しい類の貴人である。

 

「でも、宮廷なんて窮屈なところはご免だわ。それよりも、こうしてお屋敷を抜け出して、外を歩いて新しい発見をする方がとても素敵だもの」

「左様ですか」

「ええ。例えば、そこの大きな蝮はとても気になるわ。触らせてもらってもよろしいかしら」

「どうぞ──」

 

 桔梗の式神、大蝮の牙麿がゆっくりと机を上がり、露子の前で鎌首をもたげた。

 常人ならばそれだけで恐れるだろう。六尺にも及ぶ大蛇が、自らの前で舌を出しているのである。怖がるな、という方が難しい。主の桔梗とて、慣れるまではおっかなびっくりだったのは否めない。

 だが露子はといえば、目を輝かせて牙麿の頭を撫でたのである。

 

「まあ、可愛い。つい最近にでも、脱皮をしたのかしら。とても鱗が綺麗だわ」

「お気をつけてくだされ。牙麿は大人しいですが、その牙には毒がありますれば──」

「知っているわ。でもこの子、本当に大人しいのね。首に巻いてみたくなるわ」

 

 少しも恐れる気配がなく、露子は牙麿を撫でまわしている。

 牙麿もまた、その手が心地よいのかされるがままになっていた。

 とても女とは思えぬ丹力と、好奇心の塊である。さらに観察力と、それを活かす知識も豊富だ。風変わりな趣味といえど、ここまでくれば尊敬の念を抱いてしまう。

 

「それで、ご用件とはいったい何でございましょうか?」

「ちょうど、蛇のことなの。それだけなら良いのだけど、ちょっと変わったところがあって」

「お聞かせください」

 

 そうして、大蝮の頭を撫でつつ、露子姫は語り出したのである。

 

 

 四条大路にある実之の屋敷に、奇妙な小包が届けられたのは、およそ二十日も前のことだった。

 内訳は歌のしたためられた手紙と、ずっしりと重い絹の袋である。

 どうやら露子宛に、さる上達部(かんだちめ)の息子、(たいらの)右馬之介(うまのすけ)から贈り物であるらしかった。

 

 この時代、貴族の男女の逢瀬というのは踏むべき段階が多い。

 まず、女性は男性の前に姿を現さない。男性と知り合うのは、歌のやり取りが最初である。気の利いた歌のやり取りを繰り返し、いくらか良い仲になったところで、ようやく直に会うことができる。

 だが、まだ素顔は見せない。姫の屋敷に招かれた男性は、御簾(みす)越しに女性と言葉を交わすのだ。声や話題、焚いている香の匂いを頼りに、どのような人物なのか想像を膨らませるのである。

 そしてこの段階も終えてやっと、男女は直に会うことができるのだった。

 回りくどい。だが、平安の奥ゆかしさと雅さがそこにはある。

 時には、先んじて姫の素顔を一目見ようと、男性が屋敷の塀から覗き見ようとする。

 もちろん、露見しないようにひっそりと。けれどもし相手に知られてしまっても、また歌のやり取り次第で面白おかしい話へ変わったりもするのだ。

 

 この点を踏まえれば、右馬之介から露子に贈られた品はこの時代の王道的手法と称して差し支えない。

 ”私はあなたに好意がありますよ”──そう告げているも同然だった。

 これを一番喜んだのは、露子本人よりも父の実之の方だった。

 

「露子や、ようやくおまえにも想いを寄せる男性が現れてくれたようだね。これを機に、もう少し自らの振る舞いを改める気はないか?」

 

 親心としては、やはり自分の娘には良い人の下へ行き、幸せになってもらいたい。

 容姿も教養も人並み以上なのだから、本当はもっと早くこのような話が来ていたはずなのだ。

 だから待ち望んだ男性からの贈り物に実之は喜ぶものの、当の露子は冷静だった。

 

「あら、お父様、まだ中身も改めていないのに喜ぶのは早いのでは? 実は揶揄いのお手紙と、おかしな贈り物かもしれないのだから」

「そんなことを言うでない。ともあれ、まずはどのようなものか拝見しなくてはな──」

 

 今でいえば、研究者のごとき振る舞いも多い露子である。言葉の方も論理的であった。

 などという父娘のやり取りがあって、手紙の方を露子が、絹の袋の方を実之があらためたのである。

 手紙の方が、やはり露子へ向けた歌がしたためられていた。

 試しに声に出して読んだ露子は、破顔した。

 

「はふはふも きみがあたりに 従はむ

 長きこころの 限りなきみは

 まあ、面白い歌だこと。このようなお方もいるのね」

 

 ”自らは這いながら、それでもあなたに従いましょう。私の心は長く変わらないのですから”。

 およそ、そういった意味合いの歌であった。

 かなり強い恋慕の情を表している。と、同時に、虫好きの姫に合わせた面白さも含まれていた。

 中々に風流で面白みのある男であるようだ。

 

「はて、いったい何が入っているのか」

 

 同じように実之が袋を開ければ、そこにいたのは、なんと蛇であったのだ。

 実之、思わず悲鳴を上げて袋を放り投げてしまった。何事かと露子も袋を見やり、中から飛び出た蛇に目を丸くした。

 

「あら、そちらの袋には(くちなわ)が入っていたのね」

「露子や、迂闊に手を出してはならぬぞ。蛇は毒を持つ故な」

「蛇は蛇でも、皆が毒をもっている訳ではなくてよ。でも、随分と変わった模様をしているわ……」

 

 蛇は見た事もないような優雅な模様をしており、袋から出た首を上下に持ち上げては落としてを繰り返している。

 すぐに好奇心に任せてその蛇を観察しようとにじり寄る露子だが、さすがに娘に蛇を触らせる訳にはいかない実之である。

 かといって、他の侍女に頼んだところで悲鳴を上げて逃げられるのは分かっている。誰もが露子ほど生物に興味があるわけではない。

 だから父として、勇敢に自ら露子の前に出た実之であったが、すぐにその正体に気が付いた。

 

「おや、この蛇、よくみれば偽物ではないかね? ほれ、この蛇の皮は着物の帯よ」

 

 手に取ってみれば、どうやら袋に入っていた蛇は本物ではなく作り者であるらしかった。

 ちょうど、帯の模様が蛇皮に似ている。さらに目玉のような意匠もあり、それが一見して蛇と思わせる。

 しかも、帯の中には簡単な細工まで入っていた。これが先端部を動かして、あたかも頭を上下させているように思わせたのだ。

 悪戯も、ここまで手がこめばいっそ清々しい。むしろ露子の性に合わせたと感じられて、実之としては好ましい。

 

「本物でないのは残念だけれど、良い趣味のお方ね。先の歌も、この蛇とかけていたのかしら」

「風情のある方から見初められたようで、わたしは安心しているよ。早くお返事を書いてきなさい」

「はい、お父様」

 

 と、一応は素直に従った露子姫であったが、まさか素直な返歌を送るはずもない。

 さっそく筆と硯を用意し、紙に歌をしたためた露子であったが、これもまた常識外れの塊だった。

 まず、紙が分厚い。ごわごわとして、滑らかさとは程遠いのである。

 さらに文章も、優美なひらがなではなく、厳めしい片仮名を用いていた。これでは、まるで男性が書いたかのようである。

 当然ながら、世の貴族女性はやらない。だが露子はそれを平気でやってしまうのだ。

 

「また、そのようなことをして……せっかくのお方が、これでおまえへの気持ちを損なってしまったらどうするのだね」

「もしそうなれば、その程度のお気持ちだったという話でしょう? そのような方の心を捕まえるより、私は虫や万象(よろず)のことを探求していたいもの」

「だがなぁ……まあ良い、それで、なんとお書きしたのかね?」

「契りあれば 善き極楽に 往きあはむ

 待つはれにくし 虫の姿は

 これで怒るような方なら、わたしは興味なんてないの」

 

 ”もしご縁があるなら、天国で改めてお会いしましょう。蛇のお姿では付きまとうのも一苦労でしょうから”。

 およそこのように、露子は返すつもりであった。

 相手の男を袖に振ったも同然の返答である。

 とはいえ、露子らしい面白さと、相手からの贈り物にかけた気の利きようはある。

 それに露子の言うことも一理ある。この返歌の常識外れぶりで辟易しては、(つま)として並ぶことは不可能だろう。

 ならばもうどうにでもなれと、実之は家の者にこの返歌を右馬之介へと送らせたのだが、これが右馬之介にはたいそう受けたらしい。二日後にはもう、さらなる返歌を添えた贈り物が届いたのである。

 

 だが、今度の贈り物は、本当に生きた蛇であったのだ。

 かなり大きな、青大将である。毒はなく大人しいが、外見だけでも恐怖心を覚えてしまう。

 これには実之もさすがに腰を抜かしたし、家の者や露子の侍女は近寄ろうとすらしなかった。

 唯一、露子だけは平気な顔で近づくと、

 

「あら、可愛い蛇ね」

 

 平然と笑って、その青大将を手に取ったのである。

 そのまま青大将は庭に放たれ、露子の新たな観察対象として屋敷で生きていくことになったのだ。

 これには誰もが参ってしまったが、露子だけは喜ぶ有様だ。虫取りの共としてよく一緒にいる、子供たちも恐れ知らずだった。たいそう喜んだ露子はすぐに返歌をしたため、意気揚々と送り返したのである。

 それから三度、右馬之介からは贈り物と称して歌と蛇が贈られてきた。どの蛇も活きがよく、また小気味よい歌だ。

 今でいえば、センスが良い。だが、同時に、贈り物に蛇を幾度と選ぶ考えは、センスが無い。

 風変わりという点では、露子とも似ているだろう。だから余計に、この出会いに実之は喜んだ。露子の方も、あるいはと考えだした矢先のことである。

 

 右馬之介から、奇妙な蛇が届いたのである。

 

 

「奇妙な蛇、ですか」

 

 ゆっくりと枝垂が問うた。

 

「そうよ。つい三日ほど前、また袋に入れられてたのだけど、これがとても不思議なの」

「どのような蛇でしたか? よろしければ説明をしてもらえれば──」

「ええ、分かっておりますとも。実は、その蛇の絵を描いたのを持ってきているの。けら男、あの絵を見せてさしあげて」

 

 けら男と呼ばれた、露子の従者が懐に抱えていた紙を、机の上に広げた。

 そこに書かれていたのは、見事な蛇の絵であった。鱗の書き方、命あるものの躍動感、細やかな特徴まで、すべてが余すところなく描かれている。これを露子が描いたというのなら、素晴らしい才能だと評するよりない。

 ただし、露子の言うように、この絵の蛇は明確に不思議なところがある。

 本来一つだけのはずの頭が、何故か五つも存在しているのだ。

 まるで胴体の途中から、さながら八岐大蛇のように、複数の頭が伸びているのである。

 

「頭が五つの蛇……これは、聞いた覚えがありませんね」

「そうなのよ。こんな蛇、誰も見た事もなければ聞いたこともない。まるで神話の中に出てくる大蛇のよう」

「確かに。しかし、そのような生物が袋に詰められ、一個人に贈られるはずもありますまい。となれば、妖しの類でしょうなぁ……」

「でもね、この子、悪いことは一つもしてないの。わたしが触っても大人しいし、誰かを襲うこともない。好き嫌いもなくてすごく色んなものを食べるから、見ているこっちが面白くなってしまうのよ。つい昨日なんて身体のお手入れもしたくらい」

「それはまた。ですが、あまり放置すればよろしくない結果となる可能性もあります。ここは一つ、我が式神の桔梗をそちらへ寄越しましょう」

 

 と、式神の枝垂が主の桔梗を紹介した。

 桔梗は慣れた様子で頭を下げる。このようなやり取りや振る舞いを、もう二年は続けているのだ。慣れたものである。

 露子は「まぁ」と声をあげた。 

 

「あなたが、桔梗様ね。晴明様からお話は伺っておりますが、直に会うとまたお綺麗なこと」

「どうぞ、桔梗とお呼びください、露子姫。仮にも式にそのような敬称を付ける必要はありませぬ」

「でも、私はあなたのことを知っているわ。晴明様から、良いお友達になれるかもと言われてますし」

「むぅ……そのようなことを、晴明様が」

 

 これには桔梗もたじろいだ。まさか、そこまで話が通っているとは、想定外だった。

 晴明の性格からして、言いふらしたりはしないだろう。だから純粋に、露子への善意なのは分かる。

 しかし、こうも先手を打たれてしまえば、驚いてしまうのも無理はない。

 

「女の身で陰陽師だなんて、確かにわたしのようね。なんだかあなたとは仲良くなれそうよ」

「それは光栄です。ですが、どうかこのことはご内密に。あまり広まってしまえば、日銭を得るのも難しくなってしまいます故……」

「もちろん、分かってますとも。よろしくね、桔梗様」

「こちらこそ、どうぞよしなに。露子姫」

「姫なんて付けなくとも、露子でけっこうよ」

「わたしも、桔梗様などと畏まらずとも結構でございます」

「露子よ」

「桔梗です」

 

 二人して言い合い、顔を見比べた。たまらず、笑い合ってしまう。屈託のない笑みだった。

 どちらも、同じ年代の同性の友人は、これまでいなかった。変わり者として生きてきたから、当然のことだ。

 だからなのか、思ってたよりずっとすんなり、心の距離は縮まっていた。

 

「では、桔梗と呼ばせてもらうわ。あなたも、露子と呼んでちょうだい」

「承知しました。人の目がないところでは、そのように呼ばせていただきます」

「うん、それでいいわ。それじゃあ、お屋敷の方に来てちょうだい、桔梗」

「行きましょう」

「行きましょう」

 

 そういうことになったのである。


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