たすけてくれない。まもってくれない。
でも、そんなこと慣れているじゃないか。
どれぐらいの時間がたったのかは、もうわからなかった。嵐がおちつくのを、ただ耐えれば良い。このひとたちだって、また組織を怒らせたら痛い目を見ると理解しているだろう。荷物の運びをしなければならないのは俺だ。だから、命までは奪わないはず。
体中がもえるようにあつい。打たれた体は、痛みを訴えるよりも、籠った熱の方が不快だった。息を吸って、はくことすらおっくうに感じた。ああ、いやだ。いやだなあ。あついのは嫌い。痛いのもきらい。つらいのも、きらい。
ヒリつくのどからは、ヒュー、ヒューと、空気が抜ける音ばかりで、うるさくて仕方ない。目を閉じることだけはしないようにしていたけれど、それもいつのまにか頭部からの流血で視界も悪くなってしまった。黒く、暗く、深い闇。
おわりの見えない、嵐のような一方的な暴力は、終わり方も突然だった。
白だった。まっしろな光。
暴力的なまでの、眩いひかり。薄暗い廃倉庫に雷が落ちたのかと思った。
雷ではない。閃光弾だった。突然、高音がしたと思ったらあたり一面は白いものに覆われ、視界すらも奪われた。そして、鈍い音と醜いうめき声が俺以外の人数分。
いつか思った通りだった。嫌な予感もしていた。
「……とってこい、に含まれた意味を正しく理解していたことは評価しましょう。けれど、意外と真面目過ぎるのも考えものですね」
「あ…、」
「タスクの優先順位を正しく学びましょう。ああ、可哀想に。こんなにボロボロになって。立ち上がれますか?」
「……」
俺をいたぶっていた男たちは、もう見えなかった。たぶん、同じように床に伏せているのだとおもう。
強いヒカリを突然浴びたからか、視界はもっと悪くなっていたけれど、それでもその人だけ見えた。差し出された手は何のために出されたのか、わからなかった。ただぼんやりと、眺めれば突然の浮遊感が襲った。
「まったくこんなになるまで……。おや、身長のわりにずいぶんと軽いことで。体力と一緒に体重もつけないと、このままですよ、君。ああ、もしかして、もう聞こえていませんか?いいですよ。そのまま寝てしまいなさい。……よくがんばりました」
世界が揺れている。朦朧と、ゆっくりと閉じようとしているのを、強制的にかぶせられた手のひらで遮断された。ひんやりしてる。あつくて、あつくてたまらなかったから、気持ちが良い。
手放した意識は反芻するように、刷り込みのように最後に見た映像を脳裏に流し続けた。
冷たい手のひらに、やさしい、いたわるような言葉。遠くで、騙されてはいけないよ、と道化師が笑っている。でも、少しだけ疲れてしまった。身を、預けてしまった。
残像のように、チカチカと光が溢れるなかにその人はいる。
地獄のような笑みを浮かべて、バーボンはいた。
::::
「楠田くん、髪の毛伸びたねえ…。まっすぐで、艶があってうらやましいなあ…何かお手入れしている?何使っているの?」
「……はい」
「そういえばこの前、園子ちゃんに女装してみないかって迫られてたねえ…」
「そうでしたね……」
「……今日も、待っている人は来なさそう?」
「…はい、…えっ⁉」
ガチャ、と手に持っていたカップを滑らせソーサーの上に音を鳴らして落としてしまった。割れていない、よかった。
「ふふ、ようやく帰ってきた。楠田くん、最近よく上の空というか…心ここにあらず、って感じよね、大丈夫?」
「す、すみません……。あと、どうしてそれを知っているんですか…?」
「いいのよ。怪我の具合がまだ良くないのかなあって思ってたんだけど、どうやら違うようだし…。それで、今日気が付いたわ。楠田くんって、よくお店のそとの様子を気にしているのよね…。だから、誰かがお店に来るのを待っているのかなあって思って」
「あ、その節はお世話になりました…。怪我はもう大丈夫です。梓さんってよく見ていますね…。うわ、無意識でした。恥ずかしい…」
「恥ずかしがっている楠田くんかわいーっ!だれだれ?お友達?もしや…思い人⁉」
お客さんがいないからと言って、仕事がないわけではない。互いに仕込みであったり、在庫の確認や昼時間に使用した食器類の片づけを行う時間はもくもくと行う日もあれば、会話で弾むこともある。
どちらかといえば、梓さんは話したがりなので、会話をしない方が少ない。そして、この人はやっぱり構いたがりだ。
「ちょ、ちが。あの、本当に恥ずかしいんでやめてください…。あの、友達です。たぶん。最近なかなか会えない人がいて、でも一応バイト先のここは教えてて。前に、いつか来てくれるって言ってたから、そのうち来るかなあ、って気になっているだけです」
へえ、お友達…お友達かあ~!と、納得しているのだか邪心しているのだかわからない様子だったので、さっさと逃げてしまおうと買い物に出かけようとすれば梓さんが病み上がりなんだから、私が行くよ!と引き受け、お店から出て行ってしまった。
珍しく、安室透が俺の代打として欠勤の穴埋めをしたのは、廃倉庫の一件から、一週間ほどである。
ボロボロに痛めつけられたあの日、バーボンが運転する車に揺れて自宅へ戻された。なんとそれだけではなく、そのままバーボンは俺のことを看病してくれたのである。
あついと思っていた体中は、張り詰めていた緊張の糸が切れてようやく『イタイ』を訴えるようになったけど、あついのは変わらないままだった。それもそうだ。あんなに殴られたのだから。バーボンが見せてくれた体温計(これはもともとあったわけではなく、いろいろと用意してくれた)の度数は、高いんだかよくわからなかったけど難しそうな顔をしていたので、それなりだったのだろう。
二日間は熱にうなされ朦朧とし、食事もとった覚えがなかったけれど、三日目にようやく起き上がれば、当たり前のように口元に粥を運ばれたのだから慌てた。どうやら、二日間はひな鳥のように食事をとっていたらしい。
しかも、着ているスウェットまで変わっているのだから、体調不良とは違うめまいを感じた。無理やり脱がされて、あたたかいタオルで体中を拭かれた話は割愛する。
一週間は安静にしていなさい、と言われたとおりにベッドで良い子にして、昨日から久しぶりの出勤だった。ちなみにバーボンは俺と入れ替わるようにして、体調不良のための欠勤である。
カラン、カラン。
外から差し込む光は、穏やかな橙で、お店に伸びた影は光の具合もあってか現れた人物以上に、不思議と長かった。
「あ、コナン君。いらっしゃい」
「…こんにちは、楠田のお兄さん。お兄さんは、まだ…ポアロにいるんだね」
「……?今日のシフトは夜までだからね。閉店の時間までいるよ」
コナン君とは、この喫茶ポアロで再会をしたのだ。出会いが最悪だったので、嫌われてしまったかと不安になったが、そんなことはなく店員と客の関係も良好に築けている。
毛利さんの娘さんと一緒に来るときはオレンジジュース。いないときは、珈琲。まるで無理やりコドモぶっている大人みたいだなあ、と思ったことは何度もあるけれどそんなこが起こるのはフィクションの世界だけだ。どうやら様子がおかしい。
「ねえ、お兄さんってさ……ええと。最近ちょっと女の子っぽいね!」
「ああ、ちょっと長く風邪をひいたときに体重も落ちちゃって。髪の毛も伸ばしているしね」
「そうなんだ!じゃなくて…ええと、」
どうやら話したいことは違うらしい。
「……?」
「いや、その。安室さんと仲、いい?」
なんだか歯切れが悪いこの子供を見るのは、珍しいことだった。それに、聞きたいことも、これではないような気がしてならない。
「うん。もちろん。安室さんとも、梓さんとも仲がいいよ。これは内緒だけど…ふたりとも、あともちろん店長もだけど大好き。俺、この喫茶店で過ごす時間が好きなんだ…。コナン君にはもしかしたらまだわからないかもしれないけれど、何も起こらないって、退屈かもしれないけれど、俺は特別なことだと思うんだ」
「へえ…」
「だから、いつかもっと年を取ったら…おじさんになったら、喫茶店を開くものアリかなあって、じんせいせっけープランに加筆修正中。コナン君は、大人になったら何になりたいの?」
いつ会っても、聡明で、知識どころかいろんなものを持っている子供はとても口が達者だ。彼が何を知りたかったのかはわからずじまいだけど、俺が出した答えは意味があるものだったようでそれ以上の追及はなかった。彼は、何を知ったのだろう。
「僕は…探偵だよ。探偵に、なりたい」
「……いいね、コナン君なら探偵になれるさ」
まさか、こんな子供が組織に関わるはずもない。昔の自分が聞いたら驚いてしまうだろうが、穏やかな暮らしは心にも余裕を作った。
どうかこの子は、明るい道を歩んでほしい、という他人の幸せを願うくらいには。
::::
けれど、腹に飼っている魔物が欲しているものは違う。
真っ暗な闇の中で行う組織の仕事と、喫茶ポアロでの仕事。
命がけのやり取りをしながら、人を人と思わない奴らと、たぶん俺のことを心配しているだろう人たち。その両極端の世界に身を置きながらの生活は確実に俺の心と体を摩耗した。
金と、暴力と、血と。強い怒り。何もかもを拒否して、一切合切を破壊したくなる衝動。バーボンと過ごす時間はその飢えを満たしてくれた。無茶はさせるけれど、こちらの力量を見誤ることはないのも妙に居心地がよかった。
魅せることが上手な彼は、飴と鞭の使い方も絶妙で、飼い主としても優秀。組織という閉鎖的な状況下で、ネームドの言うことは絶対だから罪悪感を抱かせることもなく、非人道的なことだって己の中で割り切って行うことができた。
高木渉刑事にも善良な顔をして会い続けているし、ジョディのやさしさに付け込んだ。まるで年の離れた弟のように親切にしてくれた夏子のことだって、ろくな目に合わないとわかっていながらもストーカーを焚きつけるようなこともしたし、バーボンに提供した。
バーボンとは上手くやれている。俺と同じだろうと安心しきっていた。スコッチとやらを殺されたのだ。いくらスコッチがスパイで裏切り者だったとは言え、そのあとの行動が彼の心情を裏付けている。ベルモッドもこぼしていた。あんな男に執着して――、と。
しかし、地獄のような男はずっとずっと、俺の先を歩いていた。
バーボンだけが、知っていた。
あの爆薬、用意したのは俺だったのになあ。俺を置いてミステリートレインに乗車したバーボンは、あれと再会した。俺が知らない間に。
バーボンだけが、たどり着いた。
ご丁寧に県外まで飛ばねばならない無茶苦茶な任務を配置されたのは、俺を遠ざけるためだったのだろう。工藤邸、もしくは来葉峠に寄せ付けないために。
そうして、俺が知らない間に勝手に蘇っていた赤井秀一とバーボンは再会を果たした。
::::
俺はというと、燃え盛る怒りの炎は、ついには身体の内側から俺を蝕んでいたらしい。
やっぱり神様なんて信じたことはないが、世の中は不平等で理不尽だらけだ。ギリギリのところで保っていた天秤の均衡はついに傾いてしまった。奇しくも、あの男の復活の日。ドクターから告げられた。
――残りの命の日数について、である。