俺の兄貴は赤井秀一という悪党に殺されました   作:善吉

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第2話

ドクターの言葉に抱いた感情は、複雑で難しくて、言葉に表せるものではなかった。それでも、一つ。明確に自覚した。

 

怒りである。眩暈を感じるほどの、強い怒り。

 

この思いが。これだけが。生きる屍であった俺を生者へと、叩き起こした。この世に留まらせるだけの理由としては、十分だった。

 

::::

 

自分のからだのなかに、どこの誰かもわからない臓器が存在して、役割を果たしている。気持ち悪い。今すぐにでもこの腹にきょぜつはんのーが、出たらいいのに。

 

今すぐにでも、腹を裂いて異物を取り除きたい気持ちを抑えて、錠剤を口に含んだ。すっかり慣れてしまって、今では水分がなくても咽喉を通り、落ちていく。

 

俺の代わりも、アニキの代わりも、いくらだっている。この世にはいくらだって代替品がある。必ずしも、自分じゃなければならないなんてことはない。俺にとってのアニキはアニキだけだと強く思っていたのに。

 

体の内側が、自分の意思ではどうすることもできない場所で代わりを見つけて正常なはたらきに戻ろうとしているのが、ただただ、気持ちが悪かった。

 

アニキはやっぱり帰ってこない。そりゃそうだ。生きていない人は帰ってこれない。対価としては大きなものが残った。ドクターの言葉を借りるなら「彼は組織に属する時に、保険を用意していたのさ。馬鹿な男だ」だって。

 

ドクターは俺に語った。大きな口で明朗に。大げさな身振り手振りはどこか現実味がなかった。締め切った病室は、空気は淀み、白けていた。何が嘘か、何が本当かもわからない。しかし兄貴に大きな借りがあったと、忌々しげに嫌な顔をしながら口を開いたときの表情は真実めいていて、信じてやっても良いと思ったのだ。なにより、もう、なんだって良いのだ。兄貴はいないのだから。

 

神なんていてたまるか。けど、いるのならきっと性格が悪いに違いない。俺の人生を面白がって、一つの決断をするのを遠くから眺めて、「馬鹿なガキがいるものだ」と笑っているのだろう。

 

::::

 

馬鹿なガキは困ってしまった。

自暴自棄で、なんだってよくたって、先立つ物がなければ野垂れ死ぬだけだ。強い感情でお腹は膨れない。

 

そう、俺は、稼がなければならない。健康な肉体を得るためのお金は、用意されてたけど、それからの金はなかったのである。

 

時給850円で始めたアルバイトは続かなかった。3日でバックれた。同じ人間のはずなのに、言葉が通じない。アレは本当に人間だったのか?お金を稼ぐって大変だ。

 

見かねたドクターはサクラのバイトを紹介してくれた。出会い系サイトで女のフリをしメッセージを送るという、提供された雑なアフターサービスは、数ケ月で飽きてしまった。回数を重ねるごとに料金が発生するシステムのため、女になりきってバカな男を釣るのだ。思わせぶりな言葉で、できるだけ、長く、会話が続くように。興味がなくても質問をすると良いって先輩が教えてくれた。

 

無機質な文字列で、欲がまみれた言葉を交わす。予測変換機能はアニキには見せられないな。

小難しい内容はあんまりわからなかったけれど、1枚のかみっぺらで渡されたマニュアル通りにこなせば何とかなった。なるほど。大人っていうのはみんな無条件に俺よりも賢いとばかり思っていたが、なんだ、なんてことはない。ばかばっかりじゃないか。

 

::::

 

もっと手っ取り早くお金が欲しい。

サクラの仕事を辞めた俺は、先輩に紹介され都内のとある場所で働くようになった。給料はそこそこ。待遇はまあまあ。チップはたくさん。出勤時間は18時から。昼夜逆転生活をはじめ、まとまったお金を得るようになった。

 

アニキがいなくなってからの俺は、幸運が続いていた。とくに、他者から与えられるもの。もしかして、アニキが神様をぶん殴って、天秤を奪ったのかも。なんて。

 

お金を持ったオトナが集まる場所でのボーイの仕事は、質素な暮らしをしていた俺にとっては煌びやかで華やかに映った。一晩にして動くお金の桁は考えられないほど。それと同じくらい汚いものも、醜いものもたくさん見つけたけど。

 

はじめのうちは人間扱いもされなかったが、仕事が認められればママも優しいし、キャストのおねえちゃんたちはみんなイイ人ばっかりで悪くはなかった。他のボーイは、稀に何の話をしているのかもわからないことがあるけれど、楽しい人たちだ。

 

たくさんの人が集まる場所で営みをすることは、多くを学んだ。もう、あの真っ白な部屋で一人兄貴を待っていた俺とは違うのだ。お酒の味だって、覚えた。こんなことを知ったら、兄貴は卒倒するかも。なんて。

 

うぞーむぞーの集団には奇特な人もたくさんいる。キャストのおねえちゃんたち目当てでお店に来ている人が普通なんだけど、いつの間にか俺に会いに来てくれるお客さまもいた。それを知った時のママの目はギラついて、怖かったけど、まあ、俺も商品としての価値があるんだろう。何しろアニキが褒めてくれた容姿なのだ。そこんじょそこいらの石ころと一緒にされては困る。

 

永嶺(ナガミネ)さまはその奇特なお客さまの一人だ。おじさんと呼ばれる年だと思うけれど、纏う雰囲気は独特の渋みと近寄りがたさがあり、仕立ての良いスーツの中には締まった肉体が隠されているようだった。

 

理由はわからないが、たぶん、気に入っていただけていると思う。以前「ほら」と、渡された品に理解が追い付かず、何を呆けているんだい、とママに云われるがままに(ジョークじゃないよ)恐る恐る手に取ったのは都内の高層マンションの一室の鍵だったのだから、もう訳が分からなかった。アニキといたころには想像もできなかった部屋だった。

 

「お前の望むものを渡してやりたい。なにがほしい」

 

「お店に来てくれたらじゅーぶんだよ。それに、いつも素敵なものをくれるじゃないですか。毎回変わっているから、楽しみにしているんです」

 

これは毎度の会話だ。赤いショップバックのけしょーすいとか、にゅーえきとを頂いたこともある。ガラス瓶って以外と重たいと思いながらバックヤードに戻れば、お姉ちゃん達が使い方を教えてくれた。必要性はあんまりなかったけど、頂いたものなのできちんと使っている。たまに忘れるけど。あとは、なんだろ。お洋服とか、アクセサリーとか。最初のうちは女性ものが多かったので理由を聞いたら、誰かに用意してもらっているらしかった。用意する誰かが、俺のことを女の子だと勘違いしていたらしい。

 

今日のお土産に持ってきてくれたのは、なんとかのたまごっていう、ありがたいマンゴー(マンゴーなのにたまごって変なの)だ。せっかくだからとお店の奥で剥いてきてもらい、滴る甘さを指で舐めている時だった。

 

「そうだ、楠田陸道って男知っているか。ニュースになっていた」

 

「…知らない、です」

 

時が止まった。

 

くすだ、りくみち。知らないわけが、ない。どうしてその名が。普段からあまりおしゃべりではない永嶺さまから発せられた言葉は、いったい何故。お店では隠していたのに。ママも、この店にいる人に話したことなどない。もちろん、今までの働いてた勤め先の人にだって。

 

「…アレは嫌な仕事だった」

 

永嶺さまは一かけらだけ持ち込んだマンゴーを手でつかみ食べると、表情も変えず口直しのように煙草を咥えた。ああ、止まっていてはだめだ。だんだんと俺の周りの音も遠のく中で、いつもと変わらずその動作だけはインプットされたロボットのように行うことが出来た。自分の手元でマッチを擦り、嫌なにおいを飛ばす。手を添えて、先端へ灯せば満足そうに頭を撫でられた。もしかしたら、同じ音の、別の誰かかもしれないと、無理やりにでも自分を奮わす。

 

「お仕事、大変だね。どんなこと、やったのか聞いてもいーい?」

 

「ああ。普段はしないね、運びをやったんだが、――今思えばありゃ仏さんだったよ」

 

「ほとけ…」

 

「死体、ってことだ」

 

離れた席で、ほかのゲストの大きな笑い声が響いている。潜められた声は、やけにはっきりと大きく聞こえた。ふう、と吐かれた煙は俺らを包んだ。まるで、ほかの席から、切り離すように。

 

「俺みたいのは細かいことは全部若い衆に任せるんだけどよ。さすがにあのスーツケースは、誰にも触らせられなかった」

 

ゲストにはビックマウスの人もいる。自分を大きく見せたかったり、俺らの気を惹いて、過剰なサービスを求めたり。でも、俺の目の前にいるその人はそうする必要がないのは、お店のキャストもボーイも全員知っている。俺だって。決してシャツの袖をまくらない理由も、背中に背負っているものも。

 

「依頼してきた奴は、とにかく用心深かった。顔も見せねえ。どこのナニかも明かさないままだった。普段はそんな胡散臭い仕事はしねえんだが、世話になっている奴からの紹介でな。手順もキッチリ踏んでる」

 

「うん…」

 

「まあ、この世界にいりゃ、そんなこと珍しくもねえ。胡散臭い連中なんて、吐いて捨てるほどいる。だが、何も残さない手際の良さといい、……ありゃあ、まっとうな組織の、まっとうじゃない連中の仕業だ」

 

「まっとうな組織…」

 

「例えば、サツとかな」

 

そんなこと、あるのか。まだ、周りの音は遠いままだ。

 

「それから、程なくしてだ。来葉峠の事件、知っているか」

 

「ああ、えと、焼死体が発見されたっていう」

 

「大っぴらにはなっていねえが、外車もろとも外国人が燃やされたって事件でよ。しかも、サツの内部で出た情報が、最終的にその外国人とやらがメリケンのビュロウってんだから界隈では話題になったんだ」

 

もう、なんでも知っているはずなのに。永嶺さまは俺の知らないことも、知らない世界も知っている。目の前のオトナが何を考えているのかがわからない。細められた眼の色は変わらないまま、くすぐるように顎元を撫でられる。

 

「ん、…。ビュロウ、ってたしかFBIのことだよね」

 

「そうだ。…この事件、どうもくせえ。手口が汚ねえ」

 

その手つきには、嫌な感じはしなくて。猫可愛がりされてよかったわね、といつか他のキャストに褒められたことを思い出した。そう、兄貴と俺が近所の野良猫を撫でる時と同じなのだ。愛玩されている。可愛がられている。弱くて、ちいさくて、すぐにでも死んでしまいそうなちっぽけな存在に向けられる、それだ。

 

「それは、ずさんってこと?」

 

「いや、ちげえ。そうじゃねえんだ」

 

「……」

 

「仏さんを、死体蹴りするのはあっちゃならねえ」

 

「ええと…」

 

何を、言いたいのかはまだわからない。どうして、こんな話をするのだろう。もう馬鹿ではいられないのだ。考えろ。考えろ。この人は、俺に、何を求めている。なにを伝えたいのか。

おみやげのマンゴーは俺一人ですべて食べきってしまった。後を引く甘さが、口の中に広がっている。のども、乾いてきた。

 

「……そして、もう一件。運びの依頼とは別クチでウチに依頼が来た。これも俺と、技師しか知らないことだ」

 

「そんなこと、話してもいいの」

 

「…イカツイ車の改造だ。それも、ガワのじゃねえ。中だ。人一人を判別できないほど燃やしきっちまう火薬を詰め込ませた。ただ一箇所。指定されたわずかな範囲は、燃え尽きないようにと指定があった」

 

「うん…」

 

「まどろっこしいこと、説明するのはどうもうまくいかねえな」

 

「……」

 

「さっき話した、例のスーツケースはウチに来る前は、別のトコが保存管理していた。狭い業界なもんでな。傷まないように、腐らないように処理をするんだよ。キズモノは匂いだってするから、その管理もだ。最後は一張羅を着せてやってスーツケースに詰め込んだんだと。仏さんをな」

 

「……」

 

「そいつがこぼしたんだ。ウチに運びと、車の改造を依頼した奴は、同じなんじゃねえかって。巧妙に、まるでそれぞれの人間が管理と、運びと、改造を依頼したかのように振舞っているが、元をたどれば同じ奴なんじゃねえかってな」

 

「同じ奴……まっとうな組織の、まっとうじゃない連中って言ってたあの…」

 

まともな言葉を返すことも忘れてしまっていた。ゆっくりと、ゆっくりと、与えられた情報をかみ砕く。この人が運んだ仏さんって、何。傷まないように、一張羅ってどういうことだ。

 

「元の仏さんは、病衣を着せられポリネック…むち打ちの患者が首に巻く固定器具を着けていたが、それも着替えさせられた。米神の風穴はそのままだ。黒のニット帽に、ジャケット…葬式で出てくる仏さんだって、もっと良い恰好をする」

 

「……」

 

「…来葉峠で外国人が燃やされて死んだ話はしただろう。黒のニット帽に、ジャケット…これがそのビュロウの特徴らしい」

 

わからない。わからない。脳みそは混線状態だ。与えられた餌に上手にありつくこともできない。それでも、かみ砕き、飲み干す前に、永嶺さまは手っ取り早く調理した言葉を俺にぶら下げたのだ。

 

「楠田陸道って男は、誰かの代わりにもう一度殺されたんだ。…まあ、これは、推測だ。突拍子もねえカンだがな」

 

「もういちど、ころされた」

 

どこかで聞いたことのある言葉だった。挙句、もう一度、殺された。って。そう俺に伝えたのは誰だった?

 

「着替えさせられた服装は、来葉峠で発見されたメリケン野郎と一致している。そいつの代わりに、楠田陸道は業火に包まれたんだ」

 

「か、わり……」

 

永嶺さまは、得体の知れない何かがあるよな。誰かが言っていた。その時の俺はわからなかったけれど、今ならわかる。俺を猫かわいがりするこのヒトは、甘い蜜ばかりを垂らす、タダの良いヒトではない。纏うのは、知らないセカイの底知れぬ闇の匂いだ。瞳の奥の感情は読み取れるはずもない。なぜ、こんなにも俺に多くを与えるのか。今更になって、理由のわからない過度な贈り物は、不気味に思えた。

 

「ああ、これだったんだな。お前が欲しいものを探していたが、どうやら正解か。結構、結構。俺は満足だ。あとは、好きにしなさい」

 

満足げに俺の頭をなでると、その人は席を立った。

 

 

やっぱり、天秤は俺に傾いていたのだろう。俺は、幸運だった。

ドクターはすべてを語らない。海藻のようにつかみどころのないあの人は、敵でもないが味方でもないのだ。

わずかなキーワードから、たどれるモノは少なかった。まるで光のない真っ暗な暗闇の中、一筋の糸を見つけだし、手繰るような感覚だった。「君の兄、楠田陸道は拳銃自殺に追い込まれた。挙句、もう一度、殺されたのさ」この言葉を何万回と脳裏でなぞったことか。

 

調理した言葉は、俺にとって十分に価値あるものであった。これっきりかと思ったけれど、永嶺さまは変わらず俺を指名する。それでも、こんなのに口を開いたのは後にも先にも、この日だけであった。

 

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