「私だ」
「…定期報告だ。対象に変化なし。引き続き監視を行う」
「わかった。…みんな、ショックを受けているよ。彼女も気丈に振舞っているが、だいぶ参っている」
「……」
「すまない。作戦は素晴らしいが、少しばかり心が痛んでしまってね。それと、君に忠告がある」
「いつもの通りだろ。大学院生らしく、目立たないように過ごせ、だろう」
「最後まで話を聞きなさい。我々の動きを探る者がいる」
「なんだ、そんなことか」
「大変なことだ。組織ともまた違う。情報屋のような、したたかさもない。我々にとって、脅威にもならない小さな動きだが、今後どう変わるかもわからない。君、何かしたかい?誰か怒らせたりとか」
「怨みを買うことの多い職業だからな。背後は常に警戒しておくよ」
「…こちらでも調べる。ジャパニーズのとある組織ともツテが出来たしね。とにかく、用心しなさい」
「…わかった」
「こら、自分から首を突っ込むようなことだけはしないでくれよ。君はあくまでも、大学院生。阿笠博士の助手を務める、ただの学生なのだから」
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響いたのは、軽快な木琴の着信音。
ディスプレイに表示された名前は予想した人であった。慣れた手つきで、通知の音を切る。拒絶するには、なんだか気まずいのだ。だから、気が付かないフリをするしかない。
「あれ、出ないの」
「いいんです。しつこいんですよね、諦めてくれれば良いのに」
「女の子?」
「んー、秘密です」
正直に答えることも出来なくてうやむやにしてしまった。いつまでも電話を寄越す、馬鹿なひとだ。俺のことなんて構わなくていいのに。先輩は気にした様子もなかったようで、吸殻を空き缶の中に入れていた。
開店数分前。仕事もすっかり慣れた。店舗内の準備も終わったので、先輩と一緒に一服中。(俺はたばこ吸わないけど)
外国人観光客から、恋人、くたびれたスーツを纏ったサラリーマンまで、多くの人間がごった返すように新宿の街を歩いている。夕方だというのに、もう誰かは飲みすぎたようで、高い位置にあるこの非常階段からも吐瀉物が道の端に巻かれているのが見えた。きたねえ。
「ふーん。ま、店に刃物持った女さえ来なければオッケーだよ。喫煙者に肩身の狭い世の中になったよなー。この前もぜーきん上がる前に最後の悪あがきでカートンでため込んだわ」
と、物騒なことを話すのは同じ店で働く黒服の先輩だった。はじめの頃は、とても邪険にされていたけれど今ではちょくちょく休憩も一緒に過ごしたりするのだ。先輩にとって俺は「なまじ顔が良いから、性格悪いと思ってたけど、話してみたらフツーに良いやつでびびったわ」らしい。
ちなみに刃物の下りは、先輩の友人がホストをやっていて起きた修羅場らしい。この業界おっかないね。
「くすだっちは、おやすみの日なにしてるんだっけ?」
「うーん。改めて聞かれると難しいですね…。ああ、料理したりしますよ。あとゲームもやったり。先輩はこの前のオフは何をしました?」
「朝から並んでパチスロ。言えないくらい負けちゃったから、限界感じたわ。俺はもうギャンブルは辞める。あとはお前に任せた」
「あはは、その言葉、何度も聞きましたよ。賭け事はハマったら怖いので、俺はまだいいかな…。それに俺が始めたら、お店がすっからかんになっちゃいますって」
「言うねー!確かにくすだっちって運いいよね。この前なんて、お店の子にライブのチケットの抽選応募お願いされてたっけ」
「あ、あれですね。結局本人と同伴じゃないとライブ自体はいけないらしいので、断っちゃいました。トラブルの元ですし、お店にバレるといろいろまずいので」
「くすだっちはそーゆーとこあるよなー。もったいねえの。絶対あの子くすだっちのこと狙ってたのに。まー、選び放題なのにキッチリしてるとこも、点数高いんだろうね」
くすだっちとはいったい。ろくな学生時代を送ってこなかったため、あだ名らしいものは一切つけられたことはなかった。なんだか間抜けっぽいが、まあ、悪くはないかもしれない。過去の話になるが、アニキが「ミッチー」とクラスメイトに呼ばれていたことには衝撃を受けたものだ。
今でこそなんとか取り繕ってコミュニティに属してはいるが、まだまだアニキには及ばない。俺よりもよっぽど社交的で、上級生からも下級生からも慕われていた、と思う。
俺が入院している間もアニキの対人能力は発揮されていて、静かな病室を賑やかしてくれた。クソガキが不貞腐れて交流を絶っていたにもかかわらず、同じ部屋に入院していた患者やその家族とも上手くやってくれいた。だからか、突然来なくなったアニキを心配する人もいた。
先輩の口からは電子タバコの真っ白な煙が吐き出され、独特のあまったるいにおいを残してかき消えた。
今、俺の周りにいる人たちは、俺が突然消えてしまってもどうでも良いのだろうな。
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本を読むのは好きだ。出来れば、紙の方が好ましい。
病気を患っている間、アニキ以外に会話をする人物なんて、本くらいだった。声を紡ぐことはないが、雄弁に語りかけてくる。ページをめくる乾いた音も好きだ。静かだけど、込められた熱量は確かに俺の心を弾ませた。
入院中に何度も読み返した文庫本達は、段ボールに詰められたままではあるが今の住まいにも持ってきている。1人暮らしには広すぎる部屋はいまだ落ち着かず、荷解きもそこそこだ。そもそも、部屋のキャパシティと俺の持ち物とじゃ、どうしたって持て余してしまう。だからこそ、空いた時間を見つけては行きつけへ向かう。
お酒は飲まない。バイクもない。車も。恋人を作る予定もないし、女遊びも興味がない。貰い物のゲームは会話のために何度かプレイしたけれど、すぐに飽きてしまった。じゃあ、何をして過ごしているのかって?人に話す休日の過ごし方として、俺にとっては恥ずかしかったので先輩に伝えはしなかった。くすだっちのイメージはもうちょっとワルっぽいのである。それはそうと、俺の良く通う場所。たぶん、趣味。行きつけ。
―――それは、図書館である。
知識の塊がたくさん詰まったこの場所には、暇さえあれば足を運んでいる。住んでいる場所からもそう遠くない。数駅離れたところにあるのは、大学図書館であった。
必死に課題に取り組む学生もいれば、暇そうに時間つぶしとして机に突っ伏している学生もいる。学外にも開放しているようで、幅広い年齢層の人々が利用している。静かだけど、人の出入りもあって、活気があるのだ。
もちろん場所を選べば、閑散として静寂を保つところもある。
とにかく俺は、この図書館を気にいっていた。
アニキのことを調べる一方で、知識を得るために通い、小説から学術書まで幅広く手をだしている。勉強は嫌いではないのだ。まともに学校へ通っていないので、世間一般の同年代とのズレを埋めるためでもある。
しかし、今日は違う。目的があって向かったのは、新聞のバックナンバー記事を確認できる区画だ。
「ええと、土曜日の朝刊かな・・・」
棚に積み重なった新聞紙の日付欄を確認していく。
永嶺様が残した「来葉峠で外国人が燃やされて死んだ」という言葉をすぐに調べた。記事を探すために。日付はネットニュースからとうに確認済みだ。
しかしネットニュースの情報では限界がある。そう大したことも書いていないのに、もったいぶって文章を伸ばしてくるタイプの記事は最悪だ。外国人の名前だって、どこにも載っていなかった。また、最初に投稿されてから改変された形跡も残っている。魚拓も丁寧に処理をされていて、追うこともできない。死んだとされるのは外国籍の男。騒ぎ立てる人もいない。事件の多いこの都市で、目立つことも無くひっそりと人々の記憶から消えていくようだった。まるで、誰かがそう望んでいるかのように。
インターネットは脆い。無責任で、どこの誰かもわからない人間の言葉の羅列は信憑性だって保証されないし、いつ消されて改竄されるかもわからないのだ。だからこそ、知識の塊が詰まった図書館で、そこそこ身元のしっかりした機関が発刊した記事を探しに来たのだ。
1枚が軽い用紙であっても、枚数があればそれなりの重さがある。手をインクで黒に汚しながら、少しずつ過去を遡る。11日、12日、ああ。事件が起こったのは13日の金曜日の夜だから、14日の朝刊に載っているだろう。と、順番に新聞の束をめくっていたというのに。
ない。14日の記事が朝刊どころか夕刊もない。地元新聞から、全国区の新聞までないのだ。誰かが、同じタイミングで同じ日付の新聞をかき集めているのか。まさか、こんな大学図書館まで事件のことを隠滅して―――?
「あの…」
控えめなその声でさえ、今の俺には恐怖に感じた。
嫌な想像ばかりが脳裏に浮かぶ。味方などいないのだ。闇に葬られた兄は危険なことに関わっていた?もしかして、それは俺のため?俺も同じように殺される?いつもは心地の良い静寂も、この時ばかりは重苦しく感じた。
振り返れば、新聞の束をいくつか抱えた人物がひとり。俺の、探している日付のものばかり。このひとは、なぜ、同じ日付の新聞ばかりを集めた?
目の前の人物の、レンズ越しの瞳の真意はわかりそうもなかった。