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地獄と踊る
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ある人は言った。君のそれは、まるで恋じゃないか、と。
俺は「恋」とはもっと輝いて、みずみずしくて美しい尊いものだと思っていたから否、と答えた。
恋ではない。でも、一方的な思い込みと、感情の押し付けという点においては似ているナニカだったのだろう。
地獄のようなヒトだったから。
はじめての出会いは、俺が死ぬまで忘れることはないだろう。
指定された、コンテナターミナルの一角。時間は真夜中の25時キッカリ。
世界を旅しているのであろうコンテナの塗装の色は褪せて、無駄なスペースもなくがみっちりと積み重なっている。海に面しているだけあって、底冷えするような風は寒いというよりも痛いとすら感じた。
ネーム持ちと会うのはこれで2人目。ネームを頂く、というのはトクベツな名誉あることらしいが、1人目に会うまでは都市伝説か、組織に心酔している連中の空想物語かとばかり思っていた。俺にとっての組織はそんな程度。
ネームド様に会う下っ端らしく、待ち合わせ時間の30分前から待機。極寒の真夜中で眠くなるという最悪の状態の中、待ち合わせ時間丁度のことだった。
ザァ、と身体を煽るような一層強い風が港を抜けていった。飛びそうになる帽子を押さえ、落としていた目線を戻せば待ち人はいた。
そこにあったのは、地獄の底を映したような冷たい瞳だった。冷たくて、恐ろしくて、畏怖すべきもの。絶え間なく奈落の果てで揺らめく炎のような熱をもっているのに、それを無理やり青の眼球に抑え込めたような。
俺を値踏みするように、頭の先からつま先まで目を細めて眺めている。まるで肉食動物が、これから狩る獲物にどこまでの価値があるのかと。お前はなにをもたらすことが出来るのかと。値踏みというには視線に殺気がこもっていた。
粗野なモノばかりが多い組織では、珍しいほどマトモ。ナマリ玉を出会い頭にぶち込もうとするジャンキーだって少なくない。焦点が合わないヤク中だって。まあ、ほかの構成員同様、彼もまたヒトとして何かが欠けているか、多く持ちすぎているが価値を見出さない人種なのだろう。数口の会話は次の仕事内容と、俺の役割の説明。ただ話しているだけなのに、全身静電気を浴びたようにピリピリする。
地獄のように恐ろしいけど、おなじくらい地獄のように美しい人だ。俺は他人の醜美には興味を持たないが、美しいカタチをした人だとトクベツに思った。けれど、『バーボン』は人間の形をした別のモノなんだろう。風にたなびく金糸の髪も、甘やかな顔立ちも、魅力に溢れているがそれ目の前の人にとっては、道具のようだった。
誰かに命を明け渡してしまったのだろうか。はたまた、悪魔に魂を売ってしまったのか。
だから、俺はこの人に近づくことを選んだ。バーボンに興味惹かれたのだ。
灯篭に群がる蛾のように近付きすぎて炎に焼かれて破滅なんて、ありえない。絶対にきっと俺の怒りも共感してくれる。
―――赤井秀一という男に対する恨みというのは、同じはずなのだから。
「バーボン、俺、あなたが好きだよ。俺は役に立つ。それに、なんでもやるよ。だから、あなたのそばにいてもいい?」
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地獄と踊る
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昼夜逆転の生活もすっかり慣れてしまった。
夕方頃に起きて、身支度をして、黒服として働く。そして日が昇る前に就寝。休みの日だったり、気まぐれに昼間に起きることもあるけど、たまに太陽の光を浴びるとまぶしくて仕方なかった。
夜の街のネオンが俺にとっての太陽みたいなものさ、なんて気障な言葉を先輩はこぼしていたけれど、あながちこの街にいる似たような界隈の住人はみんな同じものかもしれない。
そして、いつものように非常階段で、開店前の一服を済ます。
俺はお店のおねえちゃんからもらったカラフルなマカロンと体のメンテナンス用の錠剤を。先輩は電子タバコを。やっぱり普通のタバコ吸いてぇ~!吸ってる気がしねえ、と愚痴りだしてしまった。聞けば、付き合い始めた彼女さんが嫌煙家で極力匂いを残さないために始めたとのこと。喫煙者であることも黙っているのだから、バレたときがこわいですね、と苦笑交じりに話せば仕事のせいにするらしい。職場の人間に無理やり勧められた、と。人としてどうなんだろうか。そもそもこんな仕事しているんだから、吸わないとやってられねえよ、といつの間にか一人で怒りだしてしまった。
「くすだっち~!紙煙草持っていない?持っていないよな~~。お前煙草も吸わねえし、酒も全然だもんな。あー、いつもそれ飲んでるね?もしかして危ないやつ?嗜好品ぜんぜん嗜まないくすだっちは、もしかしてソッチ系?ガンキメしながらホール回していたりする?」
「すみません、煙草はもっていないです。ええと、ガン…?」
「知り合いに手売りしている奴いるから、ひいきのお店蒸発したらいつでも紹介するよ」
「いえ、へんな薬とかではなく、普通の錠剤なんで。ビタミン剤みたいなものって言われてますけど…とにかく所持していて捕まるとか、そういうのではないです」
「のんだら元気になっちゃう的な?」
「薬ですからね。それなりに元気にはなります」
「あ~~ほんと今どきこんな奴いるの?ってくらいのボケかますよね。それは作ったキャラなの?なんでこんなところいるのに、その手の知識は純正培養なの?よくおっさん連中相手にしているけど、そういうこと教育されないの?」
「確かに、永嶺さまとか贔屓にしてくださっている方々は、皆さん多くのことを教えてくれますよ。俺、あんまり学がないんでとても勉強になります」
「そうだけど、そうじゃないんだよな~~~お前はこのままでいてくれよ」
「は、はあ」
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このままの俺って何だろうか。
高木刑事の言葉を受け取り、先輩に紹介を頼んだあの日は、確実に俺にとってのなにかを変化させた。
あのやり取りがあったのは数週間前。非常階段での、いつもの出来事。
今の俺はそれに加えて、日常生活に新たなルーティーンが加わった。
今日の待ち合わせ場所は某百貨店3階階段の踊り場。防犯カメラの死角の場所はすでに把握済み。
ヒトの気配はいない。いるのは、なじみの客と俺だけ。カモフラージュとして百貨店で買い物をした紙袋に、ブツも紛れ込ませたものを渡して、代わりに現金の入った紙袋を受け取る。取引はこれで完了だ。
取引の場所のイロハを教えてくれたのは黒服の先輩の知り合い。界隈では有名らしい緑田(ミドリダ)さんという。なぜこんなことをしているのか。大金が欲しいとか、そんな理由ではない。
ただ、兄貴の手掛かりになりそうだったから、である。
幸運に与えられた情報だけが集められた手札ではない。兄貴は俺に心配をかけまいと隠してばかりだったけど、俺は兄貴がどんなふうに生きて、誰と知り合って、どんなことを考えて、死んでしまったのかを知りたかった。それが解へ導くと思ったから。
そこで俺は、今のお店で働き始めたころに兄貴の足跡を辿ることを始めた。それがどうして、巡り巡って薬の売人になったかって?
話は長くなるけど本当に知りたい?ああ、やだな。こういうしゃべり方ドクターに似てきたかもしれない。最悪だ。それは気にしないことにして。
―――兄貴の出身校へ訪問し、特定の同級生の連絡先を入手したことからはじまる。
とても手間と時間がかかる作業だった。運よく、当時の様子を知る教職員が在職していたのは幸運だったけど、もちろん個人情報なんてすぐに渡すような教職員なんていない。兄貴の担任だったという老年の男性教師へ精一杯善良なコドモを意識して、こう話したのだ。
「唯一の家族である兄貴が行方不明で、警察からは生存も絶望的だと。病気がちな自分は兄貴の交友関係は知らない。だから、仲の良かった友人がいればその人の連絡先を、教えてほしい」と。
俺と兄貴の家庭環境のことは知っていたらしい。すぐに教えることはできないけど本人に確認をとってあげるから、と話す瞳はすこし濡られていた。年寄りらしい乾燥してかさついた手を出しててきたので、握手をし、冷めた心で、精一杯のお礼を述べ手をしておしまい。俺の冷たい手に老年の男性教師はびっくりしたようで、体温を分け与えるように一生懸命に握手をしたけれど、なんら変わりはなかった。
その数日後に老年の教師から連絡はきた。兄貴と仲の良かったという友人の電話番号が。直接会って話すことになり、俺は知ったのだ。病室に通い詰めていた、やけに疲れた顔をした兄貴が何をやっていたのかを。
―――お金のために、犯罪に手を染めていたらしい。
「君が、ミッチーの…楠田の弟くん?似てないねえ」と現れたのはなんてことはない、普通のおじさんだった。眼鏡をかけて、こぎれいな格好をして、お酒をたくさん飲むんだろうすこしポッコリとしたお腹。その人とはそれっきりだから名前は憶えていないけど、たしか加藤さん…楠田の姓と同じカ行の名字だった。
加藤(仮)さんは、当時を思い出すように遠くを見ながら話してくれた。
思い出話は割愛。とにかく、当時いろんな職を掛け持ちしていた兄貴が、いつしかそのどれもをやめてしまっていたこと。その人とも、それくらいのタイミングで連絡を取らなくなってしまったということ。うわさ程度しか聞いていないらしいが、高校を卒業した後は半グレ集団みたいな連中とつるんで詐欺まがいの悪事を働いていたということ。
加藤(仮)さんから聞けた情報はこんなもので、この人もどうしてか自分のことのように俺のことを哀れんだ。口先だけの哀れみは苛立たしいだけだった。自分に酔うな。さむい、寒すぎる。どうでもいい情報ももらった。今度結婚するらしいという。その幸せそうな顔は俺にとって不快であったことも追記しておく。
そうして、俺は半グレ集団の活動拠点を自分の足と言葉で調べ上げた。ただ、喧嘩を売っていると勘違いされて暴力を振るわれることもしばしばあったので効率が悪かった。いよいよ、おかしなところに足を踏み入れている自覚はあったけど小さな問題だ。
「楠田は詐欺グループの一員として働く傍ら、薬物の売人ともつながりがあった。その薬物の売人グループには大きな組織がバックについていて、気に入られた楠田はバックのグループの人間とつるむようになった」と。
前歯がかけた半グレ集団の一員だという男はこうも言った。「とにかく薬物を取り扱う集団のバッグはたいていヤクザが絡んでいる。楠田がつるんでいたのは、そのなかでもとりわけ幅を利かせていた連中で、表立った組織の名前すらない。しいて言うなら、一昔前のカラーギャングのように黒を好んでいるらしい」とも。
指先は冷たくなるばかりで、寒さはとまらない。心も引き裂かれるようだった。俺のせいで、兄貴になんてことをさせてしまったんだ。
そして俺は決めかねていた心を、奇しくも善良で真っすぐな刑事に倫理を守るという心をぽっきりと折られてしまった。はっきりと、彼と俺は違ったから。俺はあの刑事のようには成れない。
兄貴がやったように。兄貴の足跡をなぞろう。それが、きっと導いてくれるだろう。そして、底辺からのスタートだった。
黒服の先輩から紹介された緑田さんは、妙に甘ったるいにおいをしている売人で売り上げの数十パーセントのバックを彼に渡すことを契約して始めた裏取引。
お金が目的ではない、兄貴に目を付けた組織に見つけてもらいたいからこその行動だったから、中抜きとして金をとられるのもなんら問題なかった。
そうして、人目をはばかるようにコソコソとした取引のみだったのが、次第に動かすカネの量も増えて、クラブやバーで派手な格好をしては同業のコミュニティを広げ、売り手を何人も探し、果てはお金を払えなくなった客を別の人に紹介するようになったころ、ついに現れたのだ。
「ずいぶんと派手に捌いたねぇ。君をそうさせるのは、やはりリクミチの敵討ちかい?」
「え、なんで…」
「おかえり。いや、やっと君はスタートラインに立ったというべきなのかな。僕は研究職の内勤だから、本当はこんなことしないんだよ?でも他のメンバーは別件に取り掛かっていて人手不足だからって、僕が来たのさ。光栄に思えよ?」
「…ああ、そうか。兄貴とアンタのつながりもようやく見えてきた」
「そう、リクミチは僕も所属する尊い組織…人によっては黒ずくめの組織だなんて呼ばれるココにいたのさ。そうして、命を落とした。
ある意味では組織にリクミチを殺されたと恨んでもいいところだけど…君のその様子だと、組織に対する感情は…正直、興味なんてなさそうだね。ああ、ああ。そうか君は辿り着いてしまったか。
黒くて、無愛想で、人の心なんざ持ったふりをしているだけの、あの男に。名前も知っているのかな。あは。優秀じゃないか。たしかに、あのサイコ野郎の脳天に風穴を開けるには、この組織こそがぴったりだろう。
では、名もない組織だから、便宜上黒の組織とでも呼ぼうか。ようこそ、黒の組織へ。僕は君を歓迎するよ。さあ、とびっきりの復讐劇を見せてくれよ」