マエリベリー・ハーンと賢者の石   作:ろぼと

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FILE.10:悪女たちの皮算用(挿絵注意)

西暦1992年3月中旬 昼

英吉利・蘇格蘭某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』3階研究室

 

 

 

  故に、私は人間の脳にはその者のゴーストが生み出す固有の小世界が存在していると考え、我々魔法使いたちは鍛えられた魔法的想像力で霊魂世界と物質世界の境を曖昧にすることで、己のゴーストが固有の小世界で創造した現象を現実に具現化しているのではないかと考えているのだ。これはハーンの言うマグル界の『薄膜世界(メンブレーンワールド)』の考えから着想を得た自論だが……君はどう考える?」

 

「そうですね……霊魂が持つ固有の精神世界の集合体が“霊魂世界”であること、そして神秘を現実に持ち込むのではなくその境界を取り払うという発想は盲点でした。やはり先生のお考えは大変勉強になります」

 

 

 春の陽気が温かいホグワーツ城三階階段横の一角。昼休みの“闇の魔術に対する防衛術”教授の研究室では、不気味なアジア趣味の仮面で飾り隠された内壁を背に、強い光を瞳に灯した若い男が小柄な少女と議論を交わしていた。

 

 男の名はクィリナス・クィレル。“闇の魔術に対する防衛術”の授業を教えるホグワーツ教師だ。

 クィレルに「ハーン」と呼ばれた小柄な少女、メリーは相手の高説に耳を傾けつつ、小心者の演技を捨て去った彼の本性をその優等生の笑顔の裏で慎重に観察していた。

 

 当初、メリーはこの男のことを「気弱だが自己承認欲求が高い人物」と認識しており、本人の書いた魔法書や論文を絶賛することで彼を懐柔しようと考えていた。そしてその認識は決して誤りではなく、事実繰り返し述べた背中がむず痒くなるほどの称賛の言葉の甲斐あってか、ようやく学年以上の深い“闇の魔術”に関する知識や、『閲覧禁止の棚』の書物の幾つかの貸し出し許可を貰うことに成功していた。

 だが親しくなるにつれ、少女は彼の評価を、一度学術的探求心が芽生えると驚くほど大胆な行動を起こし鋭い自論を組み立てる優秀な学者だと改めていた。

 

 クィレルはマグル学  つまり現代社会の知識を豊富に有しており、魔法界の閉鎖的な社会を生きる者には無い、極めて柔軟な発想力を持つ人間であった。

 

 そのためか、彼の唱える”闇の魔術”に関する理論は、シャーマニズム的な感覚論が多い魔法界の学問の中では群を抜いてわかり易かった。実際クィレルの論文を送った相棒の蓮子も、おかげでダブリンの拠点で行っている魔法書の解読が捗っていると嬉しそうな報告を寄越している。

 生粋の理系である彼女が感心するほど論理的な魔法書を書くことが出来る魔法族は、おそらく、現世の体系化された学問にも造詣が深いこの男だけであろう。

 

 彼が纏う吸血鬼避けのニンニク臭を自身の嗅覚に対する【錯乱呪文】で誤魔化し、教室を後にするときに【消臭呪文】を髪や衣類にかける必要があることを除けば、クィリナス・クィレルとの魔法議論はメリーにとってホグワーツで最も為になる時間であった。

 

 だが、彼との“闇の魔術”議論が増えるに連れ、メリーはこの男に抱いている違和感を強めていた。

 

「呪文が物質世界に影響を及ぼすとき、魔法として具現化する効果は術者の精神に大きく左右される。もし魔法の原理をより詳しく解明出来れば、我ら魔法族は更なる力を得られるのだがな」

 

「…ですが先生のおっしゃる通り、これはやはり霊魂に関する魔法を今以上に発展させなくては仮説を証明することは難しいでしょうね。“闇の魔術”の研究が魔法省に禁止されているのは、魔法の行使に非人道的な手段を用いる必要があるからですか?」

 

「と、言うよりそれらの手段を用いる魔法を“闇の魔術”と呼ぶのだ。だが非魔法族の生まれの君ならわかるのではないかね? 彼らマグルの科学は数多の犠牲の上に発展したのだ。確かにかつての連中は『神への生贄』や『聖戦』などといった意味不明な迷信を信じ、無意味な血を流す愚かな者たちだった。だが今、社会性や利便性、そして何より武力は彼らの世界のほうが勝っているではないか」

 

「…ええ、まあ。マグル界は魔法界とは比較にならない富や人口を抱える社会ですので、それらを非友好的な相手から護るために技術を軍事に注力するのは自然の摂理ではないでしょうか」

 

「その通りだ。だからこそ我ら魔法族はマグルに対抗すべく自衛の手段を磨かねばならん。しかし今の魔法省は魔法の研究のために個人工房を統合支援することもなく、大いなる発展が望める“闇の魔術”の研究を行えば犯罪者扱いする。人間の根源的な渇望は力  武力なのだ。善悪など力あるものが弱者に押し付ける法に過ぎん。彼らは進歩ではなく変化を恐れ、それを成す力そのものを恐れているのだ。これを怠慢と呼ばずして何と言う。私は連中に何度もそう意見してやっているというのに、どいつもこいつもかつての無能な同期らと同じように私をバカにしおって…! 何も知らぬ愚か者共が…っ!」

 

「せ、先生、落ち着いて…」

 

 このようにクィレルは熱が入ると別人のように変貌する。特に彼の“力”に対する執着は強く、何か不穏なものを感じるほどに危険であった。そしてそれ以外にも、精神学に明るい元大学生の天才少女は言葉を交わすうち、彼が時折見せる明らかな精神障害の症状を目ざとく捉えていた。

 

 分裂症、不安障害、解離性同一性障害。どれも現代社会では治療可能な症状である。ましてここは記憶消去や改竄の呪文が存在する魔法界、治療の当ては最高医療機関『聖マンゴ魔法疾患傷害病院』以外にも数多くあるはずなのだ。

 

 だが心に何かしらの重度の異常を抱えている人間は、一般的に他人からその事実を突き付けられることを過度に嫌悪する傾向がある。ただの一生徒であるメリーに「先生に精神障害の疑いがあります!」などと言えるわけがない。最悪これまで築いてきた、極めて重要な信頼関係が粉々になってしまう。

 

 

 そして、肝心な問題がもう一つ。

 

  間違いない……先生に憑いてる悪霊の力が増し始めてる…)

 

 メリーはちらりと男の後頭部へ目を向ける。分厚いターバンに覆い隠されているが、異界の境界を司る少女の目はその秘された姿を見逃さない。

 

 この世には無数の境界が存在する。それは国境であったり、価値観であったり、ときに世界そのものであったりもする。そして、数多ある境界の中で最も強く反発するものが、異なる世界同士の境界である。

 本来、霊魂とは冥界や地獄などの異界に住まう存在だ。境界を越え、現世の住人に何かしらの影響を与えられるほど力の強いモノは、境界を視認することが出来るメリーの目に極めて強大な存在として映る。

 

 しかしここ最近、寄生虫のように朧気だったはずの悪霊の存在感が、宿主の魂を圧迫するほど巨大化し始めたのだ。

 明らかに危険な兆候である。

 

(これ、多分先生自身も気付いてるわよね…)

 

 メリーはこれまで幾度かクィレルにそれとなく、異なる霊魂に憑依されることの恐ろしさを伝えようと機会を窺っていた。だが少女はこの男に宿る強い名誉欲の裏に隠れた狂気の焔を見るたびに、喉まで込み上げた言葉の全てを呑み込んできた。

 劣等感に呑まれた者が非行に走るのは人の常。もしこの悪霊の正体が、己の承認欲求を満たすためにクィレル本人が望んだ何らかの秘法の結果であるならば、メリーがその存在を暴くことは最悪手に他ならない。

 

(妖怪や魔物になっても人は失うものしかないのに、何で自分から人間を止めようとするのよ…)

 

 クィレルの論理的な思考はこの閉鎖的な魔法社会の強烈なブレイクスルーになれるほど、極めて大きな価値がある。彼は魔法界にとって、失われてはならない素晴らしい人材なのだ。そのことを繰り返し伝え、思い直すよう促してはみたが、侵食が進む後頭部の悪霊の姿を見る限り、どうやら最早何を言っても徒労に終わってしまうだろう。

 

 何も出来ない己の不甲斐なさから目を逸らそうと男の姿を視界から外したメリーは、教わった貴重な知識に対する礼を返し、渋々クィレルの研究室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1992年3月中旬 夕暮

英吉利・蘇格蘭某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』5階図書室

 

 

 

  で、どうだった? クィレルと協力出来そう?」

 

 

 午後の授業も終わり、約束の時間に図書室へ向かったメリーを三人の少年少女が興奮気味に迎えていた。いつもの愉快なグリフィンドール三人組である。

 先日“禁じられた森”でスネイプの密談を目撃したポッターの勘違いを真に受けたウィーズリーとグレンジャーは、早速クィレルとの共同戦線を張ろうと子供らしい杜撰な計画を練っていた。その一環として親しいメリーに彼の説得を依頼しており、この集まりはその結果報告のため設けられたものである。

 

「それとなく石について仄めかしてはみたけれど、残念ながらあまり良い反応は無かったわ」

 

「そんな…!」

 

 期待外れの言葉に三人は肩を落とす。

 もっとも、頼みのメリー自身に全くその意欲がないため結果は推して知るべし。彼女にとって大事なのはクィレルとの魔法議論と、ここ最近行っている彼の悪化し続ける容体の確認であり、子供の探偵ごっこではない。まして本人にとって不都合な密談の現場を見ていたことを暴露するなど阿呆の所業である。

 

「物事には順序があるのよ、お三方。そう真正面から例のアレについて切り出せるワケがないでしょう」

 

「そうだけど……僕たちにはもう時間がないんだ! クィレルは臆病だし、次にまたスネイプに脅されたら今度こそヤツの言いなりになってしまうかもしれない!」

 

「ねぇ、マエリベリー。貴女ホントにあいつを説得したの? 何だか全く残念そうじゃないっていうか、やる気を感じないんだけど」

 

「…ご不満でしたらハーマイオニーも先生に相談なさってはいかが? 別に石の話に限らず、一生徒として先生を慕う素振りをお見せすれば可愛い教え子のために踏み止まってくださるのではないかしら」

 

「あのニンニクの臭いをどうにかする呪文を覚えたら考えるわ」

 

 担当者のメリーに不満を述べるも、やはりあのクィレルが相手だからか、勇敢なグリフィンドール三人組も直接接触するのには二の足を踏んでいる様子。彼の本性を知らぬ者が、あのどもり口調を聞き続けるのは辛いだろう。メリーの説得が当てにならないと判断した男子二人が次の手を考えるべく、互いに頭を突き合わせる。

 

「問題のスネイプだけど、あいつって結局どれくらい強いのかな? トロール騒ぎで先生たちが全員で対処に向かうくらいだから、あのノロマを倒した僕たちだって勝ち目はあると思うんだけど」

 

「ふんっ、あんな嫌味男なんて僕の浮遊呪文で一発さ! 今度フラッフィーやクィレルに手を出そうとしてるのを見かけたら、容赦しないもんね!」

 

 勇ましく鼻の孔を開張させる少年たちとは対照的に、年不相応にマセた少女二名は眉間を押さえつつ静かに彼らから距離を取った。

 

「…ねぇ、私もうバカに説教するの疲れちゃった。『いい子にしないと嫌いになるわよ』ってマエリベリーが注意したら、貴女にベタ惚れなあの二人はちゃんと言うこと聞いてくれる気がするの。代わりにお願いしていい?」

 

「流石に元デスイーターの疑いがあるスネイプ先生に勝てると本気で考える小学生を恋愛対象として見ることは不可能なので、事後報告のような形になるけれどいいかしら」

 

「それはそれで救いがないわね、あの二人…」

 

 友人の男の子たちに辛辣な評価を下すメリーとグレンジャー。しばしの間見つめ合いの後、二人はどちらともなく溜息を吐き、可哀想な生き物を見る目で横の少年たちを諭そうとした。

 

「ハリー、ロン。貴方たちスネイプをトロールと同格だと思ってるみたいだけど、同格なのはスネイプ先生じゃなくて貴方たちの頭だわ。【武装解除の呪文】すら使えない私たちが戦いを挑んでも一瞬で負けるに決まってるでしょ」

 

 が、肝心のグレンジャーが言葉を選ばず挑発的になってしまい、見事いつもの三バカの言い争いが開始する。

 

「何だと!? そんなことやってみないとわからないじゃないか!」

 

「それがわかったときにはみんな仲良く棺の中よ。私はまだ死にたくないわ!」

 

「マエリベリーの説得が上手くいけばクィレルも一緒に戦ってくれるかもしれないだろ! 僕たち四人にあいつも加われば絶対に勝てるさ!」

 

「ちょっと! 『僕たち四人』って勝手に私とマエリベリーを自殺志願者に加えないで!」

 

「どうしてさ! 僕たち友達じゃないか!」

 

「友達だからってバカと一緒に心中なんて真っ平御免よ!」 

 

 そうギャンギャン叫ぶ猿の輪に、ふと静かな女性の声が紛れ込んだ。

 

  一緒に心中は嫌でも、私の説教は一緒に受けなさいね、お嬢さん? 図書室では、し・ず・か・に」

 

『!?』

 

 司書のイルマ・ピンスの叱咤を仲良く受けるグリフィンドール三人組から視線を逸らし、メリーは一人彼らの話について考察する。

 

 クィレルは学生時代は完全な理論型のレイブンクロー生で、どちらかと言えば呪文より座学で評価される学者に近い人物であったらしい。実際にホグワーツの教員でスネイプを上回る魔力を持っているのは、校長以外だと決闘の達人で知られるフリットウィックか、「次期校長」と謳われる大魔女マクゴナガルくらいだろう。多少力を隠しているのだろうが、メリーにはクィレルがスネイプに魔法戦で勝てるとは思えなかった。

 

(あの憑き霊のことを考えるに、クィレル先生の目当ては多分賢者の石なんだろうけど……スネイプ先生はそれに協力しているというよりは、むしろ逆にクィレル先生の上位者のように見えるのよね。そしてスネイプ先生は元デスイーター…)

 

 スネイプ  と結託していると思しきクィレル  が賢者の石を狙っている可能性は、先の“禁じられた森”での密談の内容を見るに、非常に高い。魔法界には人の記憶を取り出して視ることが出来る魔法があるため、もし教師陣に心当たりがあるのならば既に動いているはずだ。校長やマクゴナガルがポッターの話を否定したのは、おそらく子供たちを危険から遠ざけるため。ならば今ポッターたちが行っている行動は本当に命に係わることなのかもしれない。

 

(この子たちが拘る「クィレル先生との共闘」は、私が咄嗟にあの密談の印象を誤魔化すために出した言葉だし……煽った身としては最低限の落とし前は付けないといけないわね)

 

 無謀な探偵ごっこに意気込む少年少女の危険に少なからず責任を感じているメリーは、図らずも大変な事態に巻き込まれてしまったと戦慄していた。

 

 見え透いたトラブルには慣れているものの、此度の一件は生死に関わる。自身の目的にも大きな影響が出る事件であることからメリーは己の限界を瞬時に見極め、無茶を自重し然るべき人物の協力を仰ぐことに決める。

 

 メリーが現在所属する組織はホグワーツ以外にもう一つある。

 

 

   『秘封俱楽部』

 

 そしてそこには、幾つもの冒険を共に潜り抜けてきた、宇佐見蓮子という心強い相棒がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1992年3月下旬 夜

愛蘭土(アイルランド)都柏林(ダブリン)某所 『旧ハーン診療所』

 

 

 

 学年末試験を前にした貴重な長期休暇、春休みのイースターホリデー。クリスマス休暇以来となる相棒の宇佐見蓮子との再会を喜び合った『秘封俱楽部』の二人は、早速各々の進捗状況の報告を交わしていた。中でも賢者の石を巡る子供たちの火遊び、そしてクィレルの霊魂状態の二つは急を有する議題であり、これまで他人のことは後回しにすべきと一貫した姿勢を維持していた幼い日本人少女も頬に汗を垂らしていた。

 

「…不味いわね。一応除霊はホグワーツの禁術書庫にあったやつの応用で出来そうだけど……そもそも除霊していいの? メリーの手紙になんか本人に拒まれそうって書いてあったわよね」

 

「多分クィレル先生は自分から進んであの状態になってるのよ。理由は本人の性格からして何となく想像がつくけれど…」

 

「学生時代にイジメを受け、ホグワーツ就職以後も不人気な“マグル学”の教授職を回され、生徒たちからバカにされる毎日。今年に入って“闇の魔術に対する防衛術”の授業を担当するも、その裏に“闇の魔術”そのものへの傾倒が見て取れる、力に焦がれた自己承認欲の強い小心者……ね」

 

 クィレルと交わした幾度の議論や世間話からメリーが推理した彼の過去を口に出し、「まぁロクな理由じゃないでしょうね」と蓮子は顔を歪ませる。魔法界の常識や昨今の情勢に関する情報収集を担当していた彼女には、相棒が学校生活で見聞きした出来事全てを繋ぎ合わせる嫌な啓蒙が下りていた。

 

「スネイプ先生との密談で出た話から推測出来る最悪のパターンは、やっぱりクィレル先生の『真に忠誠を捧ぐべき“主”』とやらが、アレだった場合よね」

 

「…やっぱりお互い同じ結論に行き着くわよね」

 

 かの英雄少年ハリー・ポッターとの薄くない交流。親身にしている教師クィレルには額傷の少年に憑く悪霊と同じ気配。そして永遠の命を授ける賢者の石を巡り結託する元信奉者(デスイーター)疑惑のある別の教師スネイプ。周囲にこれだけの条件が揃ったメリーの運命が、彼女を放っておくはずもない。

 

 かくして、聡い少女たちは小声で揃い、同じ男の名を口にした。

 

 

   “闇の帝王”、ヴォルデモート。

 

 史上最強の闇の魔法使いと恐れられていた、近代魔法界の悪の象徴である。恐怖とカリスマで魔法族を従わせた独裁者として広く知られているが、その思想や生い立ちは魔法省による情報統制と市井の自主的な黙秘により多くが謎に包まれている。非魔法族を忌み嫌い民族浄化を企んでいた、純血主義者の帝国を作り上げようとしていた、実はホグワーツの卒業生でスリザリン寮に所属していた、などが噂としてメリーら子供たちの耳に届く限界であった。

 

 だがヴォルデモートに関し、万人が声高々に語り継ぐ事実が一つだけ存在する。彼を滅ぼした救世の赤子にしてメリーの同級生、“生き残った男の子”ハリー・ポッターの英雄譚だ。

 

「まあこうなると、自ら闇の帝王サマの怒りを買ってるポッター君はたとえメリーの言葉が無くともクィレル先生に近付き、目を付けられ、命を狙われるでしょうね。英雄君にとっては迷惑過ぎる有名税みたいなものよ、メリーが気に病むことは何もないわ」

 

「ねぇ、それって私に彼を見捨てろって言ってるの…?」

 

「バカねメリー。見捨てるも何も、そもそもポッター君のことなんてどうでもよくなるくらい  貴女自身が危険な立場にあるのよ?」

 

「……あっ」

 

 そこでメリーははたと気付く。クィレルに憑依している悪霊の正体がヴォルデモートであった場合、おそらくこれまでの付き合いで闇の帝王に自身のことを知られている可能性が高いのだ。

 

「クィレル先生から見たメリーは、一年生ながら高度な呪文の【閉心術】に手を出す学年最優秀の才女にして、“闇の魔術”に理解と興味を示すマグル出身者よ? もし相手が噂通りの純血主義者の親玉だった場合、将来の脅威の芽を摘み取ろうと襲い掛かってくるかもしれないんだから…!」

 

「ちょ、ちょっと! そんな怖いこと言わないでよ!」

 

「…まあ“闇の帝王”なんて呼ばれるくらいだし、流石に11歳の女の子をいきなり殺すような器の小さいヤツじゃないと思うけど……最悪の場合はそうなるわね」

 

「あぁもう、クィレル先生に近付いたのが完全に裏目に出ちゃったじゃない…」

 

 さも当たり前のように最悪を前提にする蓮子の言葉を否定出来ず、メリーはがくりと項垂れる。自分を取り巻く出来事のこれまでの傾向からして、恐らく今回も大変なトラブルに直面するのだろう。己の運命を呪う少女の言葉は震えていた。

 

 そんなメリーの気休めに、蓮子がもう一つの可能性を口にした。

 

「で、もう一つあってね、こっちは楽観的な考えになるけど  もし療養中のヴォルデモートが暇してて、貴女の血筋を洗って元スリザリン生だったらしいご先祖様にまで辿り着いてたら、先祖返りの優秀な魔法族として逆に仲間にしようと迫って来ることもありうるわ。メリーって宿主のクィレル先生に唯一人親しく接してる生徒みたいだし、先生の好感度が転じて帝王サマの好感度になってたりしたら……ちょっと可愛いかも」

 

「それもなんかイヤ…」

 

 苦い顔で拒絶の意を示す親友をしばらく見つめていた蓮子だが、突然「あ、いいコト思い付いた」と頭上に電球を灯した。

 こういうときの彼女は常人には思い付かない天才的な閃きに至ることが多い。胸騒ぎを覚えつつも気になってしまったメリーは、相棒の知恵に期待を寄せる。

 

 

  もし帝王サマから仲間に誘われたら、逆に彼を私たちの『魔法界裏切り作戦』に利用するってのはどうかしら」

 

「…はい?」

 

 焦れるような間の後に語られた蓮子の案。その内容に理解が追い付かず、メリーは思わず首を傾げる。

 

「つまり蘇るヴォルデモートを今の魔法省に代わる後ろ盾として利用して、魔法省の煩わしい『魔法界を去る者は記憶消去』の法律から逃れるってこと。具体的には犯罪者として完全に開き直ってメリーが帝王サマの配下のデスイーターになるのよ」

 

「……えっ、ちょっと待って、私がデスイーターになるの!? 何をバカな  

 

 

 何をバカなことを。そうメリーは慌てて言い返そうとし、ふと気付く。

 

 蓮子の案は狂気の沙汰だが、決して不可能ではない。全てはクィレルに憑く悪霊の正体が死した筈のヴォルデモートであり、尚且つ当人がメリーに好意的であるという極めてレアケースが前提にある。しかし、もし闇の帝王を最後まで欺き通すことが出来れば、少女が得られる利益はホグワーツに通い続けるより遥かに大きなものとなるだろう。

 

「実際デスイーターの環境は魅力的だわ。メリーの異能の制御方法として期待出来る時空間系魔法は全て彼らが得意とする“闇の魔術”ばかりだもの。正直同僚たちの持つ知識や魔法書に教えを乞うほうが、ホグワーツの授業に出るより遥かにためになると思うけど」

 

「それは…」

 

 彼女の言葉には一理ある。現在のメリーの魔力と学力は並の“O.W.L”受験生を遥かに凌駕し、異能の適正呪文に至っては人間の限界を超越した汎用性と威力を発揮出来るほどに上達していた。如何に常識の異なる社会とはいえ“O.W.L”受験対象者は16歳。極めて専門的な相対性精神学を大学で学びながらサークル活動にも精を出せる優秀なメリーにとって、高校受験レベルの試験問題など児戯に等しかった。

 最終学年、魔法界の大学受験に該当する“N.E.W.T”レベルの実践的な魔術は興味深いが、先生から学ぶには5年も通常教科を受けなければならず、こちらは割に合わない。魔法学校で日夜楽しい神秘的学問の追求に明け暮れた結果、メリーは一年目の半ばにして既に『閲覧禁止の棚』以外にホグワーツで学ぶことが無くなりつつあったのだ。

 

 そんな相棒の状況を察した蓮子が死喰い人の社会に興味を抱くのは、実際にホグワーツの温かさを知らない、メリー以外の親しい知人がいない彼女だからこその合理的損得勘定故だろうか。

 

「元々魔法界を裏切って京都に魔法の知識を持ち帰るつもりなんだから、今更イイ子ぶって『犯罪者集団はイヤ』なんて躊躇うのもおかしな話よ」

 

「…マグル出身者はダームストラングに通えないから、確かにヴォルデモートの下に身を寄せるのは理にかなってるけど…」

 

「それに今のメリーには、一瞬で魔法界での立場も人間関係も全てポイして日本まで逃げ帰れる、追跡不可能な規格外の空間転移呪文があるじゃない。新参者の一年生ならともかく、まさかデスイーターになるほどずぶずぶに魔法界に染まったマグル出身者が今更マグル界に戻るだなんて、魔法族としての高いプライドを持つ魔法界の人たちが考えるワケないもの。絶対上手くいくわ…!」

 

 捲し立てる蓮子の熱気に充てられるメリーは、この一連の流れに妙な既視感を覚えていた。

 それは半年前の同じ場所。ここで今の、新たな『秘封俱楽部』の方針が決まったときの論争だ。

 

(危険という意味では、ホグワーツ入学を進められたときも同じように反対したけど、蓋を開けたらこれまで二人で何とかやってこれた…)

 

 悪霊憑きのクィレルとポッターとの出会い、“組み分け帽子”との攻防、ハロウィーンのスネイプとの魔法戦。クィレルに魔法薬で気絶させられたときもあった。魔の森でアヤシイ教師たちの暗躍を目撃したこともあった。

 決して平穏な日常ではなかったが、幸運、努力、何より相棒と共に働かせた知恵でそれら危機を潜り抜けて来た自負がメリーにはあった。

 

 そして、今の少女には、魔法という力がある。持ち前の異能が支えるそれらは彼女だけが持つ無敵の呪文。かつてのように“夢の世界”で合成獣(キメラ)や妖怪たちに襲われ逃げるだけだった無力なメリーはもういないのだ。

 らしくない闘争心が沸々と湧き上がる。

 

   今の自分ならば、これしきの修羅場、潜ってみせねば己の()()()()()が廃る。

 

 蓮子が道を示し、メリーが期待に応える。異能の進化と共に変わりつつあった関係だが、やはり我ら秘封俱楽部は斯くあるべし。

 

 

 

 しかし。

 

 

  やっぱりデスイーターはダメよ」

 

「……あの子たちに情が湧いちゃった?」

 

 提案を否定するメリーに、孤独な親友が問う。その言葉にあるのは二人きりだった小さな世界が広がった相棒への祝福か、はたまた取り残された身が抱く羨望、嫉妬、寂寥か。

 

 だが  あなたの親友を舐めないで。メリーはそう瞳に力を籠め、複雑な思いを胸中に隠しているであろう蓮子を真正面から見返した。

 

「魔法界を裏切るのは現世の生活を情理両方で捨てられない以上仕方ないけど、慕ってくれる友達と敵対するのは私たちの命がホントに危なくなった場合だけ。損得勘定で簡単に人とのつながりを捨てたら、私、本物の化物になっちゃうわ」

 

  ッ」

 

 少女の言葉に蓮子が息を呑む。それは全ての答えであり、彼女ら『秘封俱楽部』の出した共通の結論であった。

 

 最優先はお互いの命。だがその次点にくる優先順位は、やはり、メリーの薄れつつある人間性を守ることなのだから。

 

 

「……ごめんなさい、無神経な提案だったわ」

 

「あら殊勝。らしくないわね、冷静で冷酷な合理主義者は議論に必要不可欠よ?」

 

「…その理屈で言うと意外とゲスなメリーは同じく会議に必要な、温厚な人情派としては力不足ね」

 

「なにおう?   ふふっ」

 

「ふふふっ」

 

 

 何はともあれ。自分がデスイーターになるなど、全ては天文学的な「もしも」に限った話だ。考慮することさえ無意味かもしれないが、己の悪運をある意味信頼している少女は、最も低く大変な可能性にこそ己の未来を見出す。

 

 「もしも」への備えは、絶対に己を裏切らない。

 

 

  まあ長々と語ってて何だけど、余程帝王サマが酔狂じゃなければ十中八九敵対するほうの状況になるでしょうね。手堅い対策としては、赤ちゃん時代に彼を倒したポッター君や、最強と名高いダンブルドア校長と親しくしておくのがいいかしら」

 

「…クィレル先生はどうするの? それにポッター君のやんちゃも心配だし、第一その二人って私たちの野望を隠すために避けるべき相手じゃない」

 

「もう十分学校の信頼はゲットしたでしょ。まずはポッター君の『賢者の石防衛活動』に形だけでも協力して親睦を深めなさい。校長先生は念のためもう少し【閉心術】が上達したら接触する感じで。クィレル先生は……もしものための、帝王サマとのパイプ役として静観がベストね」

 

「何重スパイなのよ、私…」

 

 一年生とは思えない、来たるストレスフルな日々を想像しメリーは乾いた笑みを浮かべる。闇の帝王と敵対する道も、面従腹背の道も、等しく修羅。その両方に備える蝙蝠生活など筆舌にし難いほどの茨の道だ。

 

 いずれにせよ、大切なのは自分と蓮子の命である。リターンが期待出来る危険は挑むに値するが、限度を超える危険を甘受するくらいなら、最終手段たる魔法界そのものからの逃亡も視野に入れておかなくてはならない。

 

 最悪の場合、休み明けの三学期がアボットらルームメイトやポッターたちとホグワーツで過ごせる最後の時間になる。その覚悟を胸に、メリーは初めて出来た蓮子以外の友人を惜しむ心を大切にしつつも、己の運命を受け入れる決心を終えた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 






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