マエリベリー・ハーンと賢者の石   作:ろぼと

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FILE.02:呪われた男と、妖桜の杖(挿絵注意)

 

 

 

西暦1991年7月31日 午前

英吉利(イギリス)倫敦(ロンドン)某所 『ダイアゴン横丁』

 

 

 

 チャリング・クロス街道に面した商業街に一軒の寂れた宿屋が営業している。

 レコード屋と本屋に挟まれた好立地ながら不自然に人が近寄らない店、“LEAKY CAULDRON”。『漏れ鍋』と訳せるその宿屋の正体は、日常と非日常の交差点だ。

 

 そして裏口の隠し門を抜けた先にあった光景に、メリーは思わず感嘆の声を零した。

 

「凄い……」

 

「こ、ここで新入生は備品を、そっ揃えます」

 

 隣の案内人の言葉も掻き消えるほどの活気は、幻想の秘儀を生業とする人々の生きた営みであった。

 色とりどりのローブを纏う通行人。空を飛び交うフクロウたち。如何なる技術によってか歪んだように傾き佇む奇妙な建築物。キラキラと輝く薬瓶や、用途不明な多種多様の用具が整列するショーウィンドウ。中には怪しげな動物の部位を展示する店や、魔女らしい魔法の箒を店員と交渉する人影もある。

 

 『ホグワーツ魔法魔術学校』の学用品を買い揃えるべく付き添いの男性教師に案内されたこの地は、ロンドン市内のど真ん中。そんな大都会の一角に繁栄する童話のような世界にメリーは感動していた。

 

「ま、まずはお金の換金です。ホグワーツの学費は無料ですが、にっ日用品は生徒側の負担です。マグルから見ると魔法界の物価は極めて安いので混乱することもあるでしょうが、すっ少しずつ慣れて行きましょう」

 

「はい。わざわざありがとうございます、クィレル先生」

 

 少女に"クィレル"と呼ばれた若い男が吶りながら「いえいえ」と笑顔を返す。頭に紫色のターバンを巻いた奇抜な装いでここまで無数の一般人の視線を集めてきた、潜む気の全くない神秘の担い手である。

 

 クィリナス・クィレル。

 ホグワーツの必修授業“DEFENCE AGAINST THE DARK ARTS”──『闇の魔術に対する防衛術』を担当する教師だ。

 

 実家で見つけた魔術書と関係がありそうな授業。それを教えるクィレルとの出会いを喜んだメリーは模範生らしく愛想よく振る舞い、友好関係の構築に成功していた。先ほどのように現世人のメリーを気遣う彼の発言がその証拠と言えるだろう。

 

(発音障害なのか少し話し辛いけど、マクゴナガル先生よりは現世に詳しいし、そっちの意味ではクィレル先生はちゃんと話が通じる魔法使いさんでよかったわ)

 

 会話の中で知ったことの一つに彼の意外な経歴があった。クィレルは過去に“MUGGLE STUDIES”──『マグル学』という現世社会の文化や学問を教える授業を担当していたらしい。メリーにとって彼は同じ現世の価値観を知り、同時に目当ての専門知識を持つ貴重な相談相手だ。

 

 そんな彼に連れられて、少女は魔法使いたちの百貨街『ダイアゴン横丁』を進んでいく。

 

「こ、ここがグリンゴッツ。マグル界ではありえない、小鬼(ゴブリン)が働く魔法界の金融機関です」

 

「……!」

 

 しばらく歩き、周囲の光景に慣れ始めた頃。"GRINGOTTS"と見事な看板が門上に飾られた建物に案内されたメリーは、店内で動き回る小さな人影を見て瞠目した。

 

 小鬼。

 それは少女がよく遊んだ夢の世界にしか存在しないはずの異界の住人。咄嗟に周囲を見渡し結界の境目を探すも、見つかるのは力の弱い魔法的なものだけだ。

 それはつまり。

 

「嘘……本当に魔法界では幻想の生物が暮らしているのですか……?」

 

「ぜ、絶滅してしまったものもいますが、魔法省には熱心な保護活動家が多いですので、いっ未だに多くの種族が生き残っているのですよ」

 

 彼自身、何らかの貢献を果たしたのだろう。驚愕するメリーにクィレルが誇らしげな笑みを見せる。

 釣られるように少女の唇が弧を描いた。しかしその喜色は魔法界の偉業に感動したからではない。

 

 現世では存在出来ないはずの生物が境界を越え、世界の斥力に阻まれず完全な生物として定住している。メリーはそこに、自身の目的である「異能を制御する術」の光明を見たのだ。

 

(早速、蓮子に吉報を送れるわね)

 

 日が差し込む銀行の豪奢なホワイエを進み、ポンドの両替を受け付けで申し込む。聡明そうな眼鏡の小鬼が人間のお役所仕事のように担当者へ繋ぎを付ける姿に目を瞬かせているうちに、ブラス製の上品な受け皿に見慣れない貨幣が几帳面に積み上げられていた。金貨らしきものがガリオン、銀貨がシックル、銅貨がクヌート。聞き慣れない呼称、魔法界独自の通貨だ。

 

 ふと気になった少女はこちらを見つめる担当者の小鬼に尋ねた。

 

「あの、『銀行』ということは一般の……その、マグルの銀行のように口座開設も可能なのですか? ここまで飛行機と電車を乗り継いで来るのは少し大変だったもので」

 

「17歳未満の未成年者による申請は如何なるものも原則受け付けておりません」

 

 現実世界に暮らす異界の住人が語る、欠片すら融通が利かない頑固でぐうの音も出ない正論。何ともおかしな光景に思わず苦笑いを零すメリーであった。

 

(まあどのみち自分の異能の制御にめどが立てば京都に逃げ帰るつもりだし、ここの口座なんてあっても最終的には邪魔になるでしょうね)

 

 魔法界唯一の銀行である彼らが有する経済的影響力は絶大であろう。不必要に関わるのは避けるべし。

 メリーは顔を覚えられる前に退散しようとクィレルの姿を探す。すると奥の受付から喧騒が聞こえ、そちらを見ると、小鬼に熱心に話し込み迷惑そうに追い払われている見慣れたターバン男がいた。

 

「名門校の立場ある大人が何やってるのよ……」

 

 あの厳格なマクゴナガル然り、クィレルの装いや振る舞い然り、ホグワーツの教師ともなると何かしらの変人でないといけないのだろうか。メリーは一瞬迷うも保身を選び、営業妨害客の連れ添いとして目を付けられぬよう密かにホワイエを後にした。

 

 

「───先生、こちらです」

 

 銀行の正門脇で待つこと少し。爪を噛みブツブツと呟きながらクィレルは現れた。

 そんな顔の青い彼にメリーは微かな違和感を覚える。いかにもな動揺の仕草とは別の、何か。

 

「あの、先生……?」

 

 まさかメリーが銀行での口論に加勢しなかったことを怒っているワケではないだろうが、気になった少女は彼の俯いた顔を覗き込む。

 

 クィレルが歩き出したのはその直後だった。

 

「……急ぐぞ、ハーン」

 

「ッ、え?」

 

「制服は『マダム・マルキンの洋装店』で手直しして貰いたまえ。杖は『オリバンダー』だ。私は一年の教科書とその他を揃えてくる」

 

 流暢な英語でそう言い残し、クィレルが大股で真向かいの書店へと去っていく。唐突な豹変様にメリーはその場でぽかんと彼を見送ってしまった。

 

 焦燥、視野狭窄。あのこだわりの吃音演技を止める程とは一体銀行で何があったのだろうか。流石に心配になるが、同時にメリーの心の主流は「関わるべからず」と冷淡だ。

 

 町中で一人。そんな善意と好奇心、理性の間で足踏みする少女の不注意な姿が余程危なっかしく見えたのか、近くを通ったふくよかな魔女が声をかけてきた。

 

 

「───こんにちは、お嬢さん」

 

 はたと振り向いたメリーの顔が、魔女のキラキラした瞳に映り込む。

 

「まあっ、なんて可愛らしい! 遠目でも思ってたけど伝承に聞く"湖の乙女"とはきっと貴方のことね!」

 

「……えっ?」

 

「お嬢さんはホグワーツの新入生かしら? 制服をお探しなら後ろの『マダム・マルキンの洋装店』へどうぞ。私の自慢のお店よ」

 

「あ、あの……」

 

「人込みにこの日差しですもの。お疲れでしょう? 中に冷たいレモネードがあるから、採寸が終わったらめしあがれ」

 

 有無を言わせぬ魔女の熱意に負けたメリーは、なすがままに洋装店へ連れ込まれる。奇しくもクィレルから丸投げされた用事の店だ。

 流石は魔法界。浮遊しながら自動で生地に糸を通す針や、採寸してくれる巻尺などの力でテキパキと制服の丈や裾が整えられていく様は、呆けるメリーでも注意を引かれる大変見事なもの。

 果たして頂いたレモネードをちびちびと口にしている短い間に、洋装店の素敵なショーは閉幕となった。

 

「はい、どうぞ。一度お召しになるなら奥の更衣室をお使いなさい」

 

「あ、いえ……どうかお構いなく。杖の購入がまだなので、制服の確認は自宅に戻ってから行います」

 

「あらそう……貴方の制服姿を見てみたかったけれど残念だわ。ああ『オリバンダー』なら横丁の突き当りの古着屋の隣よ。気をつけてね」

 

「はい。ご馳走になったレモネードも美味しかったです。ありがとうございました」

 

 名残惜しそうに見送ってくれる女店主の視線を背に、メリーはいそいそと洋装店を後にした。

 

 クィレルの様子も気になるが、やるべきことは残っている。賑わう人々の波を掻き分け、辿り着いたのはもう一つの用事の店。

 

(“Makers of Fine Wands since 382 B.C.”……金剛組より九百年も古い店がポンと建ってるのが凄いわね)

 

 “OLLIVANDERS”。展示棚の古ぼけたクッションの上に置かれた一本の杖が目を引く、古式豊かな店構えの専門店だ。

 

 扉を潜ったメリーを出迎えたのは、壁面を埋め尽くすほどの無数の長い紙箱であった。その全てが杖、杖、杖。ゆっくりと埃臭い店内を見渡し、少女は思わず息を吐く。何と圧倒的な光景だろう。

 

 杖の海に見惚れていると、ふいに店の奥から一人の老人が姿を現した。

 

「いらっしゃいませ……おや、これはこれは素敵なお客さんだ。もうそのような季節なのですな、当店へようこそ」

 

「あ、はい。よろしくお願いします、おじいさま」

 

 肖像画のベートーヴェンを草臥らせたような容姿の人物。職人と言うよりは売れない音楽家だろうか。失礼な印象を頭から追い遣り、メリーは老人に目利きを申し込む。

 

「ふふ、こちらこそ……さて、礼儀正しくお淑やかな貴方には──リンゴにユニコーンの髪、12インチ、しなやかで振りやすい」

 

 京都で大学に飛び級留学するほど成熟しているメリーの立ち振る舞いは、11歳とは思えないほど大人びていて美しい。悪友の蓮子が聞いたら笑いそうな人物評価に頬を染めながら、メリーは老人に指示された通りに杖を振るってみる。

 

 だが定番のキラキラした魔法を期待していた分、メリーは起きた結果に完全に意表を突かれた。振るった杖の先にあった箱が突然粉々に吹き飛んだのである。

 

「ッきゃ……!」

 

「ではこちら──ヤナギにユニコーンの髪、13インチ、忠実で大人しい」

 

 思わず悲鳴を上げるも何事もなかったかのように杖を回収され、別のものを手渡された。目を白黒させながら、メリーは動揺した心のまま恐る恐るそれを小さく振るう。

 

 今度はカウンター裏の鏡が砕け散った。

 

「──ッ!? ご、ごめんなさい、弁償します! すぐに掃除を……」

 

 しかし老人はメリーの粗相を気にも留めない。

 

「こらこら、杖選びに集中しなされ。店の惨事など些細な事」

 

「は……えぇ?」

 

「ホッホッホ、それにしてもこの杖に嫌われるとは、お顔に似合わず中々わんぱくなお嬢さんのようですな。さて、となると毛色を変えて──ハナミズキにドラゴンの心臓の琴線、11インチ、暴れ馬」

 

 乱れたお気に入りの薄紫色のワンピースの裾を直しながら、メリーは一変してしまった老人からの人物評価に内心涙する。そしてこれ以上の恥はかけまい、と差し出された三本目の杖を祈るように振るった。

 

 すると、ようやく望んだ煌びやかな魔法が具現化した。明るい緑色の光が周囲に輝く幻想的な現象だ。

 

「……悪くない。が、おそらくこれならば更に──シカモアに不死鳥の羽根、9インチ、気紛れでやかましい」

 

 感動から咄嗟に振り向く笑顔の少女に反し、老人の表情は険しい。何が問題なのかわからず小さく唇を尖らせるも、メリーは差し出された新たな杖を素直に振るった。だがそちらもまた首を捻られてしまう。

 

 そこから無数の杖を紹介されては苦い顔の繰り返し。どれもそれなりに美しい反応を示してくれているのだが、老人はお気に召さない様子。

 当初の興奮も冷め、メリーはしばらく杖を振るい光らせ返すだけの機械になっていた。

 

「うーむ、あと一歩と言ったところなのじゃが……おや?」

 

 暇を持て余したメリーが独自に杖の材料とその傾向を分析し始めてしばらく。ふと老人が困惑の声を上げ、少女のスカートの右側を指さした。

 

「お嬢さん、その手にお持ちなのは一体……」

 

「……え?」

 

 彼の示す先へぼんやりと目を向けると、そこには一本の杖が握られていた。

 他の誰のものでもない、メリー自身の手の中に。

 

「え、嘘。私いつの間に……」

 

「む? 何と……これはもしや──サクラに不明な骨片、8インチ、求め人来ず」

 

 不思議な現象に驚いていると、店主が「試しに振ってみなされ」とこれまで何度も繰り返されたはずのことを神妙に指示してきた。不安を押し殺し、メリーは慎重に従う。

 

 すると。

 

「リボン……?」

 

 少女が振るった杖の先に、突然真っ赤な布が現れ、可愛らしい蝶結びを作り浮遊しはじめた。

 それまでの光の星々や天の川のようにキラキラとした抽象的な現象ではない。専門家の老人すら仰天するほどに異常な、初めて物質的なオブジェとして表れた魔法効果に、メリーの胸が強く鼓動する。

 

 高揚感か、はたまた得体の知れない現象を引き起こした己自身への恐怖か。それは彼女にもわからない。

 

「これは……ふむ、お嬢さんはサクラの逸話をご存知かね。これは極東からたまに流れてくる珍しい木でしてな。日本という国が主な産出国で、あちらでは霊樹やときに妖樹として神聖視されておるそうなのですが」

 

「!」

 

 老人の口から述べられた思いもよらぬ第二の故郷の名。魔法界を裏切る心算満々のメリーは自身の秘密が暴かれた気分になり、思わず冷や汗が垂れる。

 

「ただ残念ながらここでは魔力の質の違いもあってサクラはあまり人気があるとは言い難い。そこに更に人気のない骨片を心材にしたとあって、作られてから100年以上、ついに触れる方はいらっしゃらなかった」

 

「そう、ですか……」

 

「私の祖父ゲボルドが、当時のあるホグワーツ卒業生に材料を渡されて作ったものだと聞かされておりましたが……結局受け取られることも無く、今まで倉庫の肥やしとなっていたのですよ」

 

 店主の説明が何故か、妙に耳に残る。

 

「しかし、何故今になって、それも貴方のような魔女見習いに──ん? いや、もしやまさか」

 

「……!」

 

 何か思い当たる節でもあるのだろうか。老人が微かな期待感をチラつかせる目を向けてきた。

 

「お嬢さん、まだお伺いしておりませんでしたが、差し支えなければお名前をお聞きしても?」

 

 杖の由来といい、胸騒ぎが止まらないメリーだが断る理由も見つからず、躊躇いがちに名乗るべく口を開く。

 

 だがその唇が紡いだのは別の言葉。少女の視界の端、店の雲った窓の外に、苛立たしげに佇む知人の姿が映ったのだ。

 

 不味い、案内人のクィレルが分担してくれた買い物を済ませて待っている。

 

「あ、あの。折角の貴重なお話の途中に大変申し訳ございません。これ以上は付き添いの先生のご迷惑になってしまいますので、ご縁があったこの杖でお願いします」

 

「む、あれは……ターバンでわかり辛いが、確かクィリナス・クィレル君。ハンノキにユニコーンの毛、9インチ、よく曲がる。おお、ホグワーツ教師になられたと聞いておりましたが、なるほど彼を待たせているのですか。わかりました」

 

 忙しなく、店内の少女と老人はガレオン金貨で取引する。一生モノだけあって、魔法界の安い物価ながらそれなりの値段であった。

 

「それでは杖も決まりましたし、お側に戻られたほうがよろしいでしょう。私もようやくそのサクラの杖に主が見つかってほっとしております、ホッホッホ」

 

「お世話になりました。ありがとうございます」

 

 時間を食われたものの用事はこれでお終い。一礼して踵を返した背に「何か異常があればまたいつでもお越しください」と店主の機嫌の良さそうな声が届く。何やらいわく付きの一品だったようだが、出来ればその「杖に異常」などは勘弁してほしい。

 もっともそうでなくとも何となく、あまり二度三度と訪ねるのは避けたかった。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 『オリバンダー』を飛び出したメリーは、店前で両手に大荷物を抱えたクィレルの許へ駆け寄り謝罪する。

 

「大変お待たせしました、クィレル先生……!」

 

 だが彼から反応がない。メリーは恐る恐る顔を上げ、顔色を伺う。

 そのときだった。またしても、少女の異能の琴線が震えたのは。

 

「……るじよ、しば…待ちを…!」

 

「!」

 

 頭を抱え、不穏な独り言を呟くクィレル。前にも増して様子がおかしく、咄嗟に聞き取ろうと耳を澄ますも、横丁の喧噪に掻き消され──気が付いたら男はいつものヘラヘラとした気弱な顔に戻っていた。

 

「先生、今のは……どこかお具合が悪いのですか…?」

 

「! し、失礼。では残りを売っている店へ参りましょう。教科書以外の調合鍋など魔法薬学の学用品もついでに買い揃えておきましたので、あっ後は一、二件で終わりです」

 

 心配するメリーをあしらい、クィレルは微笑を張り付けたまま速足で先を急ごうとする。

 その後ろ姿を眺めていたメリーは、瞬間。彼のグリンゴッツでの豹変から──否、最初に彼と会ったときからずっと頭の隅に棲み着いていた、小さな違和感の正体に思い至った。

 

 まさか。しかしこれまでのように勘違いと斬り捨ててもおかしくない朧気なそれが、メリーの稀有な異能の感知で確信へと変わる。

 

(……あれって、"憑きモノ"よね)

 

 見抜いたのは、クィレルの側頭部から漂う「邪気」の存在。

 

 一度知覚してからは芋蔓式に見えてくる。明らかに人間の肉体の許容範囲を超えた霊魂の収容密度。そしてその邪気の基は大きい魂に寄生するように居座っている小さな、異なる魂だった。まずマトモな存在ではないだろう。

 

(魔法界ではよくあること、なワケないか……)

 

 周りを見ても誰一人として似たような状態の魔法使いは居らず、またクィレルの異常に気付いている通行人もいない。となると考えられるのは、クィレル自身がそれを隠蔽していること、若しくは彼に取り憑いているあの霊魂が、この神秘の世界の住民でさえも感知できない高位な存在だということだ。

 

(触らぬ神に祟りなし……なんて割り切れたら簡単なんだけど)

 

 魔法界を裏切る算段を立てているのに更なる藪を突いて蛇を出すなど馬鹿の所業である。

 だがメリーは知人の身に迫る脅威を無視できるほど心が強靭ではなかった。加えてクィレルの知識の価値を知っている以上、損得勘定の天秤にさえバイアスがかかってしまう。

 

(……駄目ね。この事は蓮子に相談してから決めましょう)

 

 幸いにもクィレルに寄生する邪気の気配は極めて弱い。それに万が一容態が急変したとしても、関わるか否かで迷っている時間で何らかの除霊手段を探した方が有意義だ。

 霊能者サークル部員を名乗っているが、別に除霊や退散の術に明るいわけではないメリーは、一先ず問題を先送りにすることにした。

 

「待ってください、クィレル先生」

 

 増えた厄介事に溜息し、若き魔女見習いはどんどん人込みの奥へ消えていく案内人の後を追いかけた。

 

 

 

 ……だがその意に反し、少女はこの男の問題に早速巻き込まれることとなる。

 

 それは帰りに通った『漏れ鍋』の酒場での、一人の少年との出会いが発端であった。

 

 

 

 


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