マエリベリー・ハーンと賢者の石   作:ろぼと

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FILE.03:英雄ハリー・ポッター(挿絵注意)

 

 

 

西暦1991年7月31日 午後

英吉利(イギリス)倫敦(ロンドン)某所 『漏れ鍋』

 

 

 

「──おっ、クィレル先生じゃないか!」

 

 

 ホグワーツの学用品を揃えたメリーは、帰路に通った宿屋『漏れ鍋』の酒場で唖然としていた。

 

 自分の、実に二倍以上もの背丈を持つ大男。人間ではありえない、まさに巨人と呼ぶべき存在が地響きを立てながら笑顔で近付いてきたのだ。

 

「奇遇ですね。ハグリッド先生は今年も新入生の、つっ付き添いですか?」

 

「おう、幸運にもです! 何せ魔法界の英雄さまの担当だ」

 

 クィレルとの会話から察するに、どうやらこの"ハグリッド"なる巨漢もホグワーツの教師らしい。小鬼(ゴブリン)に続く異形人種の登場にメリーは密かに目を輝かせる。

 

「ハリー・ポッター……!」

 

「?」

 

 すると突然クィレルが驚愕の声を上げた。何事かとメリーが彼の視線の先を追うと、そこには巨人の汚らしいコートの陰に隠れた、一人の眼鏡の少年がいた。

 何故今まで気付かなかったのか疑いたくなるほどに異様な気配を漂わせる男の子だ。

 

「ほれ、ハリー。この人は今年からウチで『闇の魔術に対する防衛術』の授業を担当するクィレル先生だ」

 

「お、お会いできて、感激です。Mr.ポッター……!」

 

 彼らの会話に交ざるように、周囲の酒場の客たちも口々に少年を歓迎する言葉を送っている。貴人に対する遜った態度ではなく、まるでハグリッドが言う通りの「英雄」を称えるかのよう。

 魔法界に目を付けられたくないメリーは咄嗟にこの有名人らしき子供を警戒する。

 

「こ、こんにちは先生。……あの、ところでその女の子は……?」

 

 だが少年は人々が自分自身へ向ける注目よりも、目の前のメリーのことが気になって仕方がないご様子。そのわかりやすい彼の反応は当然周囲の笑いを呼んだ。

 

「はっはっは! その年で美人に首ったけとは、流石は父さん、ジェームズの息子だ。あいつも入学時からお前の母さんにメロメロだったからなぁ」

 

「そ、そんなのじゃないよ! っていうか初めて聞くお父さんの話がそれって……」

 

「なぁに、お互い初めて会う新入生なんだ。まだ見ぬライバルたちから一歩リードってやつさ! 今の内に仲良くなっとけよ、ハリー?」

 

「……こんなお姫さまみたいにキラキラしてる子がいるなんて、魔法界ってやっぱり凄いや……」

 

 そんな少年の純粋な感情にメリーは戸惑いを隠せない。日本の大学で年上の教師や学生たちによく可愛がられる天才少女であるが、思えば彼のような同年代の男の子と対面したことは実に久しぶりであった。それもこういった異性を見る熱い目で見つめられるなど全くの初めてのことで、メリーは居心地の悪さから赤くなった顔を逸らす。

 

「……マエリベリー・ハーンと申します。マグル出身の新入生ですが、もし学校でお会いしたときは気軽に声をかけてくださると心強いです。どうぞ宜しくお願い致します、Mr.ポッター」

 

「"マエリベリー"って言うんだ……あ、ごめん。Miss ハーンだよね。ぼ、僕はハリー・ポッターです。よろしくおねがいしますっ」

 

 この少年のしどろもどろな自己紹介は、漫画などでよく見るボーイミーツガールの甘酸っぱい緊張故だろうか。魔法界に情を残せない身である以上、申し訳なくもあまり彼の好意は歓迎出来ないが、メリーは消去法的にそちらであってほしいと願う。

 まさか彼までクィレルのように憑き霊に日々魂を侵され吃り癖が付いているワケではあるまい。

 

 だが、ふと少年の額に奇妙な痣を見つけたその瞬間、まるでメリーの冗談が言霊となったかのように。

 

 

「……ッ!」

 

 

 ───ゾワリと体中の毛が逆立つような悪寒が少女の身体を這いずり回った。

 

 咄嗟に肩を掻き抱くメリー。当人たちを前に表情を保てたのは幸運であった。

 この感覚には何度も覚えがある。フォトンが支配する物質世界では観測できない異界の生物。メリーたち人間の生きる浮世とは相容れぬ存在。

 

 霊魂。それも人に害を成す悪霊に類する者たちの気配だ。

 

(それだけじゃない。この感じ……まさかクィレル先生のと全く同じ霊があの子にも憑いてるっていうの……?)

 

 異なる人物に同時に憑依する力を持った悪霊など、それこそ北野社の天神様のように神格化されるほどの上位存在だろう。

 もっとも、メリーは己の異能の副次効果で霊魂を認識しているだけで、それらの詳しい生態に明るいわけではない。だが僅かな知識しか持たない彼女であっても、この二人に憑いている霊が平凡な存在でないことくらいは直感出来た。

 

 

「──えっ、Miss ハーンって魔法使いの家の子じゃないの!? こんなにキラキラしてるのに……」

 

「そりゃ案内の先生が付くのは魔法使いや魔女の親がいないマグルの生徒がほとんどだからな」

 

 メリーが少年の秘密に震撼していると、何やら場の話題が自分の事になっていた。慌てて会話に集中する。

 

「……けど確かに意外だな。その人間離れしためんこい顔、てっきりヴィーラか何かの血でも入ってると思っとったが。お前さん、何か父ちゃん母ちゃんが特別な血を持ってたとか聞いとらんか?」

 

「ハグリッド、『ヴィーラ』って何?」

 

「女を挑発し男を虜にする、美しい女神のような姿をした魔法生物だ。ホグワーツにも靴小人(レプラコーン)の血を引く先生がいるし、人間と魔法生物の混血は珍しくはないぞ。かく言う俺も母ちゃんが巨人(ギガンテス)で───あ、これは言っちゃいかんかった、うぉっほん!」

 

 中々に興味深い魔法界の住人たちの人種民族関係の話。しかし異能を除けば己は真っ当な人間だと信じているメリーにとっては無神経な分析であった。例の謎多き先祖など、ハグリッドの質問の答えに嫌な心当たりがあることも合わさり、たとえ容姿を褒められようと素直に喜べない。

 

 とはいえ、今はクィレルとポッターの悪霊憑き問題のほうが切実。ホグワーツでこんな異物に囲まれて勉学に集中できるものか。

 

(御し易そうなのは、その……お年頃そうなポッター君だけど)

 

 教師のクィレルよりは未熟な子供相手のほうが情報を引き出せるだろう。しばし周囲の会話に適当な相槌を打っていると、教師陣が何やら校長の特別任務やら学校の職務など大人の話に集中し始めた。

 英雄少年へこっそり接触できるチャンスである。

 

「……あの、Mr.ポッター。少しよろしくて?」

 

「えっ? う、うん、もちろん! 何でも聞いてよ!」

 

 彼の期待に高揚した顔をスルーし、少女は言葉を続ける。

 

「その、貴方どこか体に違和感とかあったりしないかしら? 体調が優れないとか、気分が妙に沈んだりとか……」

 

 そしてメリーは背後の教師陣を一瞥し、声を潜め少年へ耳打ちした。

 

「───おでこに、何か異常があったりとか」

 

 すると彼女の微かな接近に赤い顔で仰け反ったポッター少年は、「この傷のこと?」と困惑げに自身の額に触れた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 どうやらクィレルと違い、例の霊はポッターに何らかの悪影響をもたらすものではないらしい。この様子では彼から情報を得られても不正確なノイズにしかならないだろう。当てが外れことにメリーは肩を落とした。

 

 結局、その後はあらゆることが消化不良に終わったまま、メリーは後ろ髪を引かれる思いでダブリンの実家へ帰宅した。

 

 

 そして、その日の夜にあの巨人教師が危険な賊に襲われたとメリーが風の噂で知ったのは、一月後の入学式でのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年8月1日 午後

愛蘭土(アイルランド)都柏林(ダブリン)某所 『旧ハーン診療所』

 

 

 

「───つまり最初に会った計四人のホグワーツ関係者の内、半分が悪霊に憑かれてたんだ。メリーの巻き込まれ体質は魔法界でも相変わらずなのね」

 

「茶化さないで、蓮子。流石に学校の先生と同級生の危機を無視できるほど私は人でなしじゃないの。特にクィレル先生は絶対に今後も『闇の魔術』関連でお世話になるんだから、引っ越しの荷解き終わったなら知恵を貸しなさい」

 

 

 ロンドン・ヒースロー空港から1時間半ほどの空の散歩。晴れぬ気分で実家の旧診療所の魔術工房へ戻ったメリーは、そこで8倍近い飛行時間を経てわざわざ日本・成田空港から飛んできた宇佐見(うさみ)蓮子(れんこ)に出迎えられていた。

 

「あれれ、心配なのはホントにクィレル先生だけぇ? 英雄ポッター少年のあつぅい視線にはときめかなかったの? ぷぷぷ~」

 

「いえ、有名人は論外」

 

「……そこは可愛らしく恥ずかしがるぐらいしなさいよ、枯れてるわねメリー」

 

「それよりコレ、一日でやったの? 最早別の部屋じゃない……」

 

 蓮子が何故ここにいるのか、それは彼女の驚異的な行動力の賜物であった。

 メリーが『ホグワーツ魔法魔術学校』へ通うと決断した当日。蓮子は早速東京の実家を説得し大学に休学届を叩き付け、意気揚々と初めてのブリテン島へ急行した。どんな魔法を使ったのかとメリーが呆けている間に蓮子は屋根裏部屋の大掃除を敢行し、あれほど汚かった魔術工房もあら不思議。先代の所有者が使っていたであろう水回りや焜炉の魔法具も発掘され、埃臭かった魔術工房は今や食料さえあれば何の不自由もない隠者の楽園と化している。

 

 少女たちはそんな素敵な仮称『秘封俱楽部・第二部室』で今後の活動計画を立てていた。

 

「まあメリーの恋愛事情は置いとくけどさ、悪霊とか私に一体どうしろっていうの? 除霊の方法なんて大して知らないわよ。ウチは霊能者サークル部だけど、そっちは守備範囲外ってヤツよ。メリーも結界で遊んでばっかだし」

 

「……何で私が悪いみたいに言うのよ」

 

「魔法だって、試しにここの魔法書ざっと見てみたけど正直常識が違い過ぎてさっぱりよ。この……"THE DARK ARTS"って本があった棚でちらほらSOULSとかSPIRITSとかそれっぽい単語が載ってる本見つけたくらいで」

 

 蓮子が「うーん」と腕を伸ばし、遠くに積まれた書物の山から見覚えのある不気味な表紙の一冊を抜き取った。

 

「それ、私がこの秘密部屋見つけたときに最初に手に取った魔術書ね。勝手に『闇の術』って和訳してるけど、合ってるのかしら」

 

「大体そんな感じよね。凄いおどろおどろしい装丁だし、それって多分ファンタジー定番の禁術の類よ。一部の儀式は人間の臓物とか使うって書いてあったし、メリーにはまだ早すぎるわ」

 

「いや『まだ』って……やっぱそういうのにも追々触れていく予定なのね……」

 

「貴方の常識外れの能力を制御する魔法が外法じゃなかったら何だっていうのよ」

 

 呆れる蓮子から思わず目を逸らしてしまう。

 

 メリーの異能を制御する魔法の発見・開発は、最優先の命題として二人とも認識していた。だがメリーは人であり続けるために異能を制御する術を得ようとしているのだ。その研究のために人の道から完全に外れてしまっては本末転倒である。

 少女は自分の魔法がどうか他人の犠牲が前提となるものにならないでほしいと切に願った。

 

「つまり何が言いたいかって言うと、霊魂に関する魔法はどれもこの"DARK ARTS"とかいう人体実験必須な系列みたいだから、今の私たちじゃ魔法での除霊なんてとてもじゃないけど無理ってこと。そのクィレル先生とポッター君のことは現時点では放置しときなさい」

 

「……歯がゆいわ」

 

「多分ポッター君に関しては彼を英雄扱いする魔法界が何とかするでしょう。大事なのはその時に専門家の除霊術をしっかりと観測して、解析して、本命のクィレル先生で私達が実践すること。今はその時に備えて知識を蓄えましょ」

 

 わかってはいたが、気持ちの割り切りとはいつだって難儀なもの。小さく頭を振り何とか未練を追い払ったメリーは気を取り直し、蓮子へ再度向き合った。

 

 薄情だが、彼女達にとってはここからが本題である。

 

「……じゃあホグワーツでの活動の話に入るけど、まず私は具体的にどう動いたほうがいいの? 一応潜入捜査みたいなことになるんだから、私のアンダーカバーくらいは決めておきたいんだけど」

 

「普通に優等生のフリしてれば十分よ。今学校の教科書を斜め読みしてるけど、座学は簡単な暗記ばかりだわ。メリーなら主席くらい寝てても取れるでしょうし、適当に教師の信頼を勝ち取って行動範囲を広げましょう」

 

「まあ実技もココで練習できるものね」

 

 小学生の中に、飛び級で大学に通う子が混ざれば然も在りなん。論点はその飛びぬけた状況をどう上手に利用するか。

 

「そうね、まずは何と言ったって───これよっ!」

 

「げっ……」

 

 蓮子がホグワーツの学校案内が載る冊子の一頁を指さす。そこには"RESTRICTED SECTION"と二つの英単語が。

 

 意味は──『閲覧禁止の棚』だ。

 

「『闇の魔術に関する危険な書物が収められている特別書庫。閲覧には全学年必須授業"闇の魔術に対する防衛術"の担当教師による許可が必要』……ですって。ここならメリーの能力に関する魔法書があるかもしれないわ」

 

「……ダメって明記されてるわけじゃないけど、これ一年生も見せてもらえるの? 説明読む限り全く期待できないんだけど」

 

「今年の担当はクィレル先生なんでしょ? 既に縁が出来たし、全力で媚売ったら特別に許可出してもらえるかもよ。貴方のその顔で涙ながらにお願いされたら誰も断れないわ。いや割とマジで」

 

「えぇ……」

 

 のっけから頓挫しそうな場当たり的計画に呆れるメリー。つい先日まで大学生に交じって精神学を学んでいたメリーは、とても自分にそんな年相応の女の子らしい真似が出来るとは思えなかった。

 

「……じゃあ大筋の目標は、魔法全般の基礎知識と技術の獲得。例の禁書書庫へのアクセス手段。そして書庫で結界や境界に関する魔法の知識、もしくは魔法そのものを探すことね」

 

 こうして言葉にすると何とも漠然としている。前途多難だと途方に暮れるも、隣の蓮子はどこか楽しげだ。

 

「まあまあ。今のメリーに必要なのはそんなことよりも、幻想の空気をその身に受け入れる心の余裕よ。現代人みたいにカリカリしてたら魔法の方から逃げちゃうわ」

 

「貴方ね……」

 

「目標が漠然としてても得た智と技は貴方を裏切らないわ。少しは魔法社会を楽しむ図々しさを持ちなさい。貴方も栄ある秘封俱楽部の一員なんだからっ」

 

 

 そして少女たちは入学式までの一月間、教科書の暗記から魔法の練習、魔術工房の蔵書の解読に魔法具類の試運用など、寝る間を惜しみありとあらゆる魔法知識の吸収に没頭した。

 

 魔法省は17歳以下の青少年の魔法使用を禁じている。だが不思議と『秘封俱楽部』の二人の行動を咎める者は現れなかった。

 

 彼女たちがその理由に気が付いたとき、僅か11歳の少女であるホグワーツ新入生マエリベリー・ハーンは、既に禁忌とされる『闇の魔術』に手を伸ばすほどに、その恐るべき神秘の才を花開かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年9月1日 午前

英吉利(イギリス)倫敦(ロンドン)某所 『キングス・クロス駅』

 

 

 

「"PLATFORM 9³/₄ HOGWARTS EXPRESS【KINGS CROSS St. ― HOGSMEADE St.】"……そんなものどこにも無いんだけど」

 

 発着掲示板を望む駅の中央ホール。その正面にそびえるレンガ壁の側で、手元のチケットを途方に暮れた目で見つめる可憐な少女がいた。

 大きなトランクケースを大事そうに抱え、何度も掲示板を見ながら眉を傾斜させるその姿は、老若男女万人の庇護欲を擽るほどに愛らしい。

 

「蓮子のバカ、何が『行けばわかる』よ。クリスマス休みに帰ったら絶対引っ叩いてやる……っ」

 

 秘封俱楽部の二人は魔法界についての情報を分担して集めていた。魔法全般については魔力に長けたメリーが行い、蓮子は魔法界の一般常識や歴史、昨今の社会情勢などを幅広く、といった具合である。

 今メリーを困らせている『ホグワーツ急行』の乗車方法は、蓮子が担当していた魔法界の一般常識の項目だ。今頃彼女はダブリンの魔術工房でゲラゲラ笑っていることだろう。

 

「でもこれだと他の現世出身の生徒たちは一体どうやって……って、あら?」

 

 それらしい子供の姿はないかと周囲を観察するメリー。すると予想外ながら、ホールの右端の宙に、黒い煙のような線が漂っているのを見つけた。

 異界の入り口。日本で遊んだソレと変わらずメリーを惹き付ける、幻想の片鱗だ。

 

(境界……?)

 

 その黒線は複数あった。いつもの如く魅入ってしまった少女は時間も忘れ、身近な一筋をフラフラと辿っていく。

 

 そして黒線の端、境界の隙間まで辿り着いたメリーは、はたと我に返る。気付けば彼女は"PLATFORM 7"と"PLATFORM 8"の二つの文字版が掲げられた乗車ホームに立っていた。

 

(……「7番線」と「8番線」の間のレンガ柱? 何でこんなところに結界が……)

 

 境界を隔てた先に見える景色は、時間の流れも、結界それぞれが持つ独自の"色"も、今メリーが居る現世のそれと全く同じ。これはどちらかと言えば実家の魔術工房のような改造空間に近く、結界と呼べるほど確固たる異世界として成立しているわけではないようだ。

 

(こんな人間の活動が活発なところにあるなんて面白いわね。一体誰が何のために──)

 

 その瞬間、メリーの脳に天啓が下りる。もしや、この7番線と8番線の間に設けられた改造空間は「7¹/₂番線」を指すのではないか。

 

(だったらこのチケットの「9³/₄番線」って……!)

 

 目の前の推定「7¹/₂番線」の行先も興味深いが、今は寄り道をしている場合ではない。後ろ髪を引かれながらメリーは目当ての路線へと急いだ。

 

 そして目的地の9番線と10番線の間。そこに立つ三つのレンガ柱の内の三つ目の前に立ったメリーの口は、ひとりでに得心の声を呟いていた。

 

「ホントにあった……」

 

 不自然なまでに人の通りが少ない乗車ホームの一角。そこに先ほどと同じ黒い線のような、明らかに意図的に作られた結界の隙間が開いていた。

 あの7番線と8番線の間にあったものと同じ改造空間である。

 

 ここまでくれば、あとは秘封俱楽部のいつもの結界遊びの要領だ。

 

 

(わぁ……)

 

 苦も無く境界を跨いだメリーは、眼前に広がった秘密のホームの光景に目を輝かせる。

 

 そこに停まっていたのは真紅の蒸気機関車。日本ではイベントでしか動いている姿を見れない風情ある車容は、それそのものが非日常の塊だ。周囲に賑わう人影は皆が魔法使いだろうか。子供と抱き合い、ときに車両の窓へ手を振る大人たち。

 間違いない、あの列車が『ホグワーツ急行』だ。

 

 だがメリーの興味は目の前の蒸気機関車よりも、その周囲に張り巡らされている複雑な隠蔽魔法にあった。

 無数の簡単な性質を付与した覆いを重ね合わせ、一つの疑似結界を創造する。言うなれば煉瓦で摩天楼を建てるに等しい行為。高位の神仏妖魔が好んで使うような秘儀を矮小な人間が再現している奇跡に、メリーは同じ人間として感動を覚えていた。

 

(日本でよく見かける結界とは違う発想だけど、これも一応は結界の分類に入るのね。ホグワーツに着いたらここで使われてる隠蔽魔法に付いて調べてみましょう)

 

 ウキウキと脳内予定表に書き込んでいると、発車を告げる汽笛の音がホームに木霊した。メリーは慌てて列車の荷物置き場にトランクケースを投げ入れ、車内へ飛び込む。懐中時計の分針は11と0の間。出発ギリギリの時間だった。

 

(うわ、ほぼ満席……7番線の境界を辿って遊び過ぎたかしら)

 

 幅広い年齢の少年少女たちが騒がしく談笑する客室を横目に、メリーはひとまず車内の人気のない場所を探す。ここホグワーツ急行内では魔法の使用が認められているため、試すなら教師の目がない今の内だ。

 車両後部の化粧室へ入り、鍵を掛ける。そして持ち込んだショルダーバッグに向かって杖を振るい、静かに呪文を詠唱した。

 

「【Diminuendo(ディミヌエンド)、縮め】」

 

 唱えたのは対象を縮小させる呪文。すると僅かな間の後、一瞬でメリーの肩掛け鞄が財布ほどの大きさに縮んだ。

 

(よかった、いつも通り)

 

 メリーの目的は、実家の魔術工房の外で魔法を使ったときの感覚の差異を調べることだ。先祖が残したあの秘密の屋根裏部屋は100年以上も魔法省の感知を逃れてきた強力な独立空間であり、未だその構造の多くが謎に包まれている極めて特殊な環境だ。最悪その違いで魔法事故になる可能性も危惧していたメリーはほっと一息つく。

 

(さて……)

 

 続けての呪文は、彼女の本命にして鬼門。これはダブリンの拠点で暮らす蓮子へ向けたホグワーツ潜入作戦開始の合図でもある。

 

「せー……のっ──」

 

 その瞬間、呪文を詠唱することなく魔法が発動した。杖に至っては構える間すらない。

 無言かつ無杖。これがメリーが自身の異能との適正を感じる系統の呪文。特定の対象を自分の許へ引き寄せる【呼び寄せ呪文】だ。

 

 そんな神がかり的な練度の魔法で召喚したのは、黒い女性用の中折れ帽。悪友、宇佐見蓮子の愛帽だ。

 

 ダブリンの拠点を離れ未だ3時間弱。別に心細かったわけではないが、あの腐れ縁の少女の私物を手にした瞬間、メリーは心に何か温かいモノが宿った気がした。

 

(ったく、そこらの親元離れたばかりの小学生じゃないんだから……いやまあ、私も子供なんだけど)

 

 何故か無性に恥ずかしくなった少女は気持ちを切り替えようと、続けて【取り替え呪文】で私服から魔法学校の制服に着替える。そして鏡の前で着崩れ等の確認にくるりと回り、使える全ての魔法を試したメリーは実験の総括に移った。

 

(……さて、この中で明らかに完成度が異次元なのは、やっぱり【呼び寄せ呪文】と【盾の呪文】。どちらも空間関係の魔法ね)

 

 自分を覆う魔法の光膜をつつきながら、メリーは召喚した蓮子の帽子を片手に思考の海へ沈んでいく。

 この二つはホグワーツの四年生で学ぶ比較的高度な呪文である。少なくともメリーと同学年の子供の魔力と精神力ではまずマトモな結果にならない。

 

 

 魔法界で用いられる魔法は『術』『呪文』『まじない』『呪い』『呪詛』の五科名法の他に、「対象へ性質を付与する」ものと、「対象の形状を変化させる」ものと二つの大きな分類が存在する。

 

 前者が"TRANSFIGURATION"、『変身術』。例えば【変幻自在術】の魔法は、物体の有する性質そのものを操作し、無機物を有機物へ、金貨をドラゴンに変化させることさえできる。

 そして後者の類が"CHARM"、『呪文術』。例えば物体を透明にする【目くらまし術】の魔法は、体積、質量、形状など、その物体が有する様々な性質の中に「人の目に映らない」という新たな性質を追加する形でその効果が表れる。

 

 この内メリーが得意とするものは後者の『呪文術』。特に対象を空間を超えて移動させる転移系の魔法は、その効果を思い浮かべただけで容易く使うことが出来ていた。まるで自分の手足を動かすように、軽々と。

 

 特筆すべきは『呼び寄せ呪文』。蓮子の帽子を召喚したメリーの呪文だ。

 【Accio(アクシオ)、来い】の詠唱で発動するこの呪文には本来、空間を越えて物体を呼び寄せる力は無い。しかしメリーの呪文では国一つ越えたダブリンの、しかも彼女の先祖が強固な魔法的防御を施した屋根裏部屋の魔術工房から相棒の帽子を召喚している。

 

 小鬼(ゴブリン)ら魔法生物の生息に、クィレルとポッター少年に憑く悪霊の分霊。そこに新たに見つかった、空間系魔法とメリーの異能の親和性。蓮子はこの発見がメリーの異能の謎を解き明かすピースになり得ると期待し、研究の進展に大喜びしていたが、メリーの胸には一抹の不安が棲み着いていた。

 

 この異常な魔法適正は、果たして「才能」の枠組みに入れてよいものなのか。それとも、もっと強大な、人間という種族の壁すら超えた力の片鱗なのか。

 

 そしてもし、そうなのであれば。この力を磨いた先にある、自分の未来は───

 

 

「……い、いやいや! 大丈夫、私はちゃんと人間だから……!」

 

 メリーは体を抱きしめながらそう自分に言い聞かせ、いつの間にか出発した汽車の振動に促されるように化粧室を後にした。

 

 

 

 

 

 客観的に見れば、そんな不安げな彼女の姿は、実に人目を惹くことだろう。

 

 柔らかく波打つ、肩で揃えられたシフォンウェーブの絹髪。ローブの隙間から除く透き通るような新雪の肌。憂いに伏せられた瞼の奥に垣間見える鮮やかなアメジストの紫瞳。

 まるで人形のように整った少女の容姿は宛ら泉の乙女たちの如く、車窓の陽光の中で淡く輝いている。

 

 故に。

 

 

「───あっ、あの! えっと、Miss ハーンだよね?」

 

 

 一月前にダイアゴン横丁で出会った彼女の、美しくも儚い横顔に、その「生き残った男の子」と呼ばれる彼は一目で気付けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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