西暦1991年9月1日 午後
英吉利・
ホグワーツへ向かう古風な列車の旅の途中。嫌味な少年グループとの喧嘩を終え自分の客室へ凱旋したハリーは、共に立ち向かってくれた戦友の同級生たちと冷め止まない興奮の余韻に浸っていた。
「……え?」
ふと、口数が少なかった戦友の一人、ネビル・ロングボトムの呆けるような声を耳にする一同。彼の視線が指す車両の廊下へ目を向けたハリーたちは、そこに居た小柄な人影を見つけた瞬間、思わず息を呑んだ。
逆光の客室の入り口を借景にした、一人の少女。その光景はまるで教科書に載る名画のようだった。
「き、君……!」
しかしハリーはそんな彼女の横顔に強い既視感を覚え、咄嗟に声をかける。
振り向いた少女、その人間離れした美貌を彼が忘れるはずがない。あの日、ハグリッドの案内で飛び込んだ魔法の社会で体験した事の中でも一、二を争う衝撃的な出来事。彼女はハリーにとって、間違いなくこの新たな世界を象徴する素敵な出会いだったのだから。
少女──マエリベリー・ハーンと名乗ったあの絵本のお姫さまのような同級生との再会は、彼女に相応しい実に美しく印象的なものであった。
「ひ、久しぶり、Miss ハーン。あの、僕のこと覚えてるかな。前にロンドンの魔法使いたちのパブで会ったんだけど」
「……ええ、勿論。お久しぶりですね、Mr.ポッター」
大きい宝石のような目を丸くしていた少女が僅かな沈黙の後、逆光の中で静かにその唇を開く。
「よ、よかった! あ、えっと、ここ空いてるけど……座る? どこも混んじゃってるから、ここが一番だと思うよ」
顔を覚えてもらっていたことに喜んだハリーは、勇気を出してマエリベリーへ隣の席を進める。その甲斐あってか、彼女は僅かな迷いの末「ではお言葉に甘えて」と行儀よくキャビンの客席へ腰を下ろした。
場所は一同の端、栗毛の少女ハーマイオニー・グレンジャーの隣。ハリーにとっては一番遠い微妙な席だが、残された二つの空席のうち同性の彼女の側を選べばそれも必然とあきらめるしかない。
「おったまげた……! 君、凄いキラキラしてたんだもん。妖精に魅入られたんじゃないかって思ったよ」
「え、ええ。私も天使が舞い降りたかと……」
「ぼ、僕も」
ようやく我に返った友人たちも口々に少女の神秘的な雰囲気を誉めそやす。中でもハーマイオニーの情熱は人一倍強かった。
「でもよかった、さっきのは光の加減だったみたいね。こうして近くで見ると……近くで見てもあまり変わらないじゃない! そのふわふわして綺麗な髪の毛とか嫉妬しちゃう! ねぇ、貴女シャンプーは何をつかってるの? コンディショナーは? それとも魔法かしら? ああ、ホントに素敵!」
「え、ええと……」
「あ、ごめんなさい! まずは自己紹介よね! 私はハーマイオニー・グレンジャーで、こっちがロナルド・ウィーズリーよ。でも彼の事はロンって呼んであげて。こっちの男の子はネビル・ロングボトムで……ハリーのことはもう知ってるみたいだし紹介はいいわよね。私たちも今日ここで会ったばっかりなの。同じ新入生よ、よろしくね!」
キンキンと響く甲高い声で機関銃のように言葉を吐き出す栗毛の少女にマエリベリーが戸惑っている。しかしそれも一瞬。直ぐに穏やかな物腰に戻った彼女は、初対面のハリーの友人たちへ簡潔な挨拶と自己紹介をしてくれた。
「……初めまして、Miss グレンジャー、Mr.ウィーズリー、Mr.ロングボトム。私はマエリベリー・ハーンと申します、よろしくお願いします」
もっともハリーが『漏れ鍋』でも思ったように、彼女の硬派な姿勢には周囲も眉を傾斜させる。
「"マエリベリー"……不思議な名前ね。でもとっても綺麗! あ、私のことはハーマイオニーでいいわ! 苗字呼びなんて他人行儀で寂しいもの」
「僕もロンって呼んでよ。礼儀に煩い大人ならともかく、同い年の女の子に"Mr."なんて呼ばれたらむず痒くてたまらないや」
「ぼ、僕もネビルでいいよ」
だがそんな少年少女たちの真っ直ぐな瞳にもマエリベリーは無反応。
「いいえ、親しき中にも礼儀あり。これは私のクセのようなものだから、どうかお気になさらず」
「そ、そう……?」
威圧とは違う、有無を言わせぬ不思議な強制力に一同は口を噤むことしか出来ない。だがこういうときに強いのも、やはり口から先に生まれる人種と言われる女のハーマイオニーであった。
「でも礼儀も大事だけど、時には親しみを感じる呼び方で相手を呼ぶことも大事だって本にも書いてあったわ。ギルデロイ・ロックハートの"
固まった空気を栗毛少女の言葉の弾幕が叩き壊し、調子を取り戻した男の子たちが会話に合流する。些か喧嘩腰なのはソバカスが印象的な少年、ロナルド・ウィーズリーの"ロン"だ。
「うげ、あいつかよ。止めてくれハーマイオニー、ウチのママがお熱でいつもロックハートのことばっかり話すんだ。学校でまであいつの名前を聞いたら気がおかしくなる」
「ちょっと、何よロン! 彼の悪口はゆるさないわ! 貴方なんて、さっき見せてもらったけど魔法族のクセに全然呪文使えないじゃない! 魔法に触れてまだ二月の私のほうがずっと上手よ! ロックハートも『男の嫉妬は見苦しい』って言ってたけど、本当にその通りね!」
「何だと!?」
「ふ、二人ともケンカはよくないよ……」
唐突に幼稚な言い争いを始める二人。ハリーは客室の端に座るマエリベリーの唖然とした顔に何故か焦りを覚え、慌ててネビルと一緒にロンとハーマイオニーを止めようと腰を浮かせる。
「──Miss グレンジャーは現世の出身なのかしら?」
だがキャビンの剣呑な空気を掃ったのはマエリベリーだった。
「え? ええ、その通りよ。魔法界では"
「ええ、そうよ。お家の掃除をしてたら窓の前にフクロウがとまってて、とてもびっくりしたわ」
マエリベリーの言葉にハリーを除く三人が息を呑む。確かに彼女のような現実離れした容姿の人物が普通の現代社会を生きる子供だったとは中々に信じ難い。ハリーも初対面の『漏れ鍋』で大層驚いた記憶がある。
「君が!? マグル界には凄い女の子がいるんだなぁ……ちょっと外の世界に興味が出てきたかも」
「マエリベリーも私と同じなのね! 私はお誕生日に友達から貰ったカードを読んでたら、その中にホグワーツの入学案内が入ってて、もう一日中パパとママと一緒に大騒ぎしたんだから! こんな素敵な世界があったなんて初めて知ってから、もう毎日が楽しくてしょうがなくて───」
余程の感動だったのだろう。ハーマイオニーが顔を赤らめ当時の思い出を捲し立てる。まるで酒に酔った叔母ペチュニアのようだと思い、ハリーは少し腰を浮かせ彼女から距離を取った。気持ちもわからなくはないがこの場ではしゃぐのは些か恥ずかしい。
対し、マエリベリーの彼女への評価は高いようだった。
「素敵な向上心ね。私は初めての魔法の授業が不安で、休みの間に教科書や魔法書をある程度読み込んでみたけど……Miss グレンジャーはどれくらい予習したの?」
予習。
その嫌な単語を聞き、今日までずっとホグワーツ生活を夢想してはしゃいでばかりいたハリーは硬化した。
「予習は完璧よ! 一年生の教科書は全部暗記したし、呪文もその魔法の効果も覚えたわ! 学校外での魔法の使用も魔法薬の調合も魔法省に禁止されるから、実技はどうしようもなかったけど、知識だけなら同級生の誰にも負けない自信があるの!」
「……なるほど、それはいいことを聞いたわ。困ったときは色々と貴女の勉強方法を参考にしてもいいかしら?」
「ええ、もちろん! マエリベリーも勉強が好きなのね? 話してみてすぐにわかったわ、『この子は優秀だ』って! でも成績は負けないわよ?」
「そうね、お互い頑張りましょう」
ライバル宣言を交わす少女たちの友情にハリーは思わず肩を竦める。他界した両親は魔法界の人間であったと人伝に聞いたが、少年自身は目の前の女子二人と同じ普通の家庭で育った子供。呑気に時間を無駄にしてしまった事実に気付き、周囲に無責任にも「英雄」と期待される彼の背中を冷や汗が伝う。
「参考までにMiss グレンジャーが今使える一番難しい魔法を見てみたいのだけど、お願いしてもいいかしら?」
「もちろん構わないわ。でも実際に魔法を使わせて貰ったのは最近だし、使ったことのある呪文の中でなら……そうね───」
気になる少女マエリベリーの失望が怖く内心穏やかでいられないハリーを余所に、同級生のマグルの才女たちは実技のテストまで始める始末。
ふと気付くと、自分の目の前にハーマイオニーの杖が突き付けられていた。
「【
杖の先から小さな光が走った直後、ハリーの視界に変化が起きた。驚いた彼は眼鏡を取り、ようやく魔法の効果を認識する。
意地悪な従兄に割られた眼鏡のレンズが綺麗に直っていたのだ。
「汽車の出発前にパパのサングラスもこれで直したの。マエリベリーなら知ってるでしょうけど、『基本問題集・グレード 1』に載ってる【修復呪文】よ。壊れた物をより直しやすいように物ごとに専用の呪文があって、慣れるとただ【
「すげぇ……流石ガリ勉」
「ぼ、僕も頑張んないと……」
ハーマイオニーの魔法に感嘆する少年たち。厭味ったらしくはあるものの、いがみ合っていたロンも彼女を称賛している。
「……休みの間ずっと魔法が使えない環境にいたのに、たった一日で一年の教科書の難関呪文の一つを……これはすごいわ、Miss グレンジャー。素晴らしい同級生に恵まれた私はとても幸運よ」
「ふふっ、ありがとう! これでも頑張ったのよ」
そう笑うハーマイオニーを注視する少女の紫色の瞳は輝いていた。
最初にマエリベリーと出会ったのは自分だというのに、ハリーは彼女が何かに好意的な関心を寄せるような表情を見たのはこれが初めてであった。
「Miss グレンジャーはご存知? ホグワーツの図書館には全学年の教科書が置いてあるそうよ。余裕があるときに今度覗いてみるつもりなんだけど、貴女も一緒にいかが?」
「ええ、聞いたことがあるわ! どんな知識が載ってるのかしら。楽しみね、マエリベリー!」
交流を深める女子たちの姿にどこか面白くない気持ちになったハリーは、教科書にほとんど目を通していない自分の非を誤魔化すようにそっぽを向き、溶けかけたカエルチョコレートを口に運ぶことに没頭した。
西暦1991年9月1日 夜
英吉利・
夜の帳が下りる魔法使いたちの村、ホグズミード。その最寄り駅に停まったメリーたちの赤い汽車は、静かに白煙を夜空に立ち上らせていた。
「さあ新入生の皆さん、私についてきてください。足元に気を付けて」
厳格そうな老女がホームの中央に立っている。ホグワーツ魔法学校の副校長を務める『変身術』の権威、大魔女ミネルバ・マクゴナガルだ。
キビキビと先導する彼女の厳しい態度に益々緊張する新入生たち。前年、図体は大きくとも愛嬌のあった巨人の森番に案内された上級生たちの憐憫の目が虚しい。新聞に載っていたこともあってか、常の担当者ルビウス・ハグリッドが何者かに襲われ、魔法界の中央医療機関『聖マンゴ魔法疾患傷害病院』に入院中であることを知る生徒は多いようだ。
そんなハグリッドの不幸の煽りを受けている初々しい新入生たちの中に、一際目立つ美しい女の子が一人。
(まさかポッター君と列車内で遭遇するとは……)
白金色の髪を風に揺らしながら、その華奢な体を更に縮ませ歩く少女──メリーは伏せた顔の裏で困り果てていた。
ちらりと隣を窺うと、話題の少年が周囲の視線を集め恐縮している。名乗ってもいない内からこの様子とは余程に顔が割れているのか、天性のスター性か。成り行きで汽車内から行動を共にする羽目になったが、結局離れる機会を見つけられないままホグワーツに着いてしまった。
蓮子への手紙に書くネタが増えたと思うしかない。メリーはそう自分を慰めながら、親友と交わした先月の会話を振り返った。
『───あの朴訥そうなポッター君が極悪人を倒した?』
朝食のスクランブルエッグを二人分の皿に装いながら、メリーは居候の少女、宇佐見蓮子へそう聞き返す。それはダブリンの廃診療所で二人暮らしを始めてから半月が経った日の朝のことであった。
『11年前まで魔法界を支配していた悪の魔法使いの禁術をポッター少年が撃ち返して倒したんだって。ほらメリー、ここに書いてる』
『うわ、ホントだ』
蓮子が手渡してきたのは、メリーが先日ダイアゴン横丁で買った"DAILY PROPHET"──『日刊予言者新聞』の七月の縮刷版。その日の記事が載るページはあの悪霊憑きの眼鏡少年の話題一色であった。
『って、あれ? 11年前ってポッター君が赤ちゃんの頃でしょ?』
『そうよ、乳児が魔法界史上有数の大魔法使いに勝利したの。大本営発表だと』
『それは凄い……のよね? 突拍子も無さ過ぎてよくわからないわ。魔法だしそんなこともありそうな気もするけど』
『私としてはそんな与太話を本気で信じる魔法界とポッター君のどっちが凄いのか議論したいくらいだわ』
必ず相手を殺すが扱いの難しい【死の呪文】。油断など気の緩みで呪文が失敗して自分に跳ね返ってしまった、なんてことも考えられる。詳細は邪推を含め推測するしかないが。
『0歳児の英雄なんて冗談にもならないし、本当に魔法省の与り知らぬところで起きた奇跡なんだとしたら……』
『実際に相手を倒したのはポッター君に憑いてる例の悪霊さん、とか?』
『えぇ……あんな怖い感じがしたモノが助けてくれたって言うの? 無い無い』
『単純に悪霊さんが例の極悪魔法使いと敵対してたんじゃない? ポッター君は運悪く巻き込まれただけで、助けられたワケじゃないのかも』
『……確かにクィレル先生にも同じ悪霊が憑いてることを考えれば、悪同士の大決戦でより魔法社会への影響力が強かった極悪魔法使い側が敗れただけ……とも解釈できるわね』
少ない情報で妄想を楽しむ少女たちであったが、気が済んだ蓮子が一拍置き本題に移る。
『まあ私はつまり、メリーにメロメロなポッター君は魔法界随一の有名人だから、可哀想だけど仲良くするのは避けなさいって言いたいのよ』
『何よその罪悪感煽る言い方……』
メリーとしてもポッター少年を避けるのは賛成だが、やはり見て見ぬフリは気が重い。煮え切らない彼女の態度を見て、全てを割り切っている淡泊な蓮子は溜息を吐く。
『てかそんな悪霊なんかと戯れてるヒマがあるなら、魔法界でしかできないクィディッチとか魔法生物飼育とかで遊びなさいよ。除霊ごっこは日本でもできるじゃない』
『……蓮子が友達少ない理由がとてもよくわかったわ』
『まあ酷い。同族嫌悪だなんて低レベルな反論だコト』
『失敬な、私はまだマシよ! ……マシよね?』
『傷の舐め合いでもする?』
『しないっ!』
既に魔法という最高のオモチャを得ているからか、随分とそれ以外にドライな蓮子。異能のせいで人の道から外れつつあると自覚しているため、人らしい感情を大切にしたいと常に頭の片隅で考えているメリーは、彼女のような合理的過ぎる考えには少しだけ消極的であった。
しかし、蓮子の主張のほうが一理も二理もあるのは事実。
『はぁ……でもそうね。蓮子にもこうして助けてもらってるわけだし、こちらの害にならない程度のお付き合いに留めるわ』
『別に私が居ようと居まいと、神秘との賢い付き合い方は「君子危うきに近寄らず」なんだけど……まあメリーはすぐトラブルに巻き込まれるから、そのときはもう割り切りましょ!』
『……絶対にポッター君には近づかないわ』
『うわ、これはもうダメね』
そして、その結果は以下略。
「───ねぇ、見てマエリベリー!」
そんな脳裏の蓮子の呆れ様に拗ねていたメリーは、隣の親しげな栗毛の少女の声で現実へ呼び戻される。通学の汽車で知り合った新たな友人、もとい隠れ蓑──ハーマイオニー・グレンジャーだ。
グレンジャーと親しくなれたのは偶然であった。同じ
授業態度で教師陣の信頼を得つつ、危険視されない程度に己の魔力を制限しなくてはならないメリーにとって、ハーマイオニー・グレンジャーという指標の存在は大変ありがたかった。
「何かしら、Miss グレンジャー」
「ほら、あれがホグワーツ城よ!」
メリーは彼女の指差す方角へ目を向ける。そこに広がっていた幻想的な光景は魔法を愛する万人の心を捕らえて離さない、湖畔の山頂に建つ魔法界最大の城郭、ホグワーツ城。
全ての魔女魔法使いの登竜門『ホグワーツ魔法魔術学校』。最も高い魔力を持つ子供たちが世界中から集い、旅立ち、そして名を遺した、神秘の最高学府である。
満天の星々が天湖より照らす古代魔法の牙城が、『異端児ハーン』の血を今一度、その大きな胸襟に歓迎しようとしていた。