西暦1991年9月1日 夜
英吉利・
「新入生の皆さん。ご入学おめでとうございます」
サクソン、ゴシック、ルネサンス。何世紀にも亘る増改築の跡が色濃く残るホグワーツ城。その圧倒的な歴史的価値にメリーが目を奪われていると、先導していたマクゴナガルが振り返った。
ここは名高いホグワーツ大講堂へ通じる仰々しい大扉──の隣にある待合室。緊張に強張る新入生たちを見渡し、老魔女がこれから始まる入学式の進行についての説明と注意事項を述べる。
「今から皆さんは先ほどの大扉をくぐり、上級生と合流します。ですがその前にまず、皆さん新入生が入る四つの寮の組み分け儀式について説明します」
ざわめく生徒たちに紛れ、メリーは考えを巡らせる。
寮組み分けの儀式。学校の創始者たちが立ち上げた四つの寮へ新入生を組み分ける年度最初にして最大の行事だ。寮は当人の本質や一族代々の傾向を参考に選ばれ、個人の意思が尊重されることは稀とされる。明確な目標を持ち、望む寮がある程度決まっているメリーにとっては悩みの種だ。
(生徒が素質に反した寮へ選ばれた例は少ないらしいけど、私の場合はそれが逆に不味いことになるのよね……)
グリフィンドール。勇敢で情熱的な生徒が集い、正義を重んじる高潔な寮。そのためか自己主張が激しい短気で頑固な問題児が多く、よく教師陣を困らせている。現在の魔法界はダンブルドア校長を筆頭にグリフィンドール出身の著名人の影響力が強いため、この寮の生徒たちは何かと学校側から優遇されるとの噂も。ちなみに世間の認識では、あのハリー・ポッターもここに入ることが血筋的にほぼ決定的らしい。
ハッフルパフ。温厚で忍耐強い生徒が集い、平和と忠誠心を重んじる友好的な寮。過度な競争を好まないせいかぼんやりとした生徒が多く、他の寮から劣等生寮と蔑まれているらしい。この寮出身の魔女魔法使いには稀に歴史に残る大偉業を成す偉人が現れ、それがハッフルパフ生たちの数少ない自慢だとか。
レイブンクロー。勉学に長けた気高い生徒が集い、好奇心を重んじる知的な寮。聡明だが冷淡な生徒が多く、他の寮の生徒は勿論、同じレイブンクロー生でも尊敬に値しない者はとことん見下す傾向がある。魔法省の研究機関職員の席はこの寮の卒業生でほぼ独占されており、彼らの評価は非常に高い。
スリザリン。知能に優れる狡猾な生徒が集い、魔法族の誇りを重んじる保守的な寮。内部の結束は固いが反面同寮の生徒以外には排他的で、特にマグル出身の者を嫌う純魔法族主義者が多い。この寮出身の卒業生は代々優秀な官僚や政治家として大成することで有名だったが、半世紀ほど前から禁忌とされる『闇の魔術』に傾倒する者が増加しており、そのため優秀なスリザリン生は学校から密かに警戒されるらしい。
どれも実に個性的な寮である。
(まずスリザリンは私が現世出身ってことと、先生に危険視されかねないことの二点から論外。グリフィンドールもポッター君を避けたいからご遠慮願いたいわね。残る二つだと、レイブンクローはあのグレンジャーさんが入りそうだし、他にも色々都合が良いんだけど……闇の魔法使いを殆ど出してないハッフルパフも先生の信頼という意味ではメリットが大きいのよね)
説明を終えたマクゴナガルが一時離席する姿を見送りながら、メリーは入る寮の皮算用を続ける。だがその時、少女は不意にこちらへ近づく異様な気配を感知した。
「……!」
「どうしたの、マエリベリー?」
グレンジャーの問いかけを右手で制し、メリーはじっと近付くソレらを待ち構える。すると左の生徒の集団の中から甲高い悲鳴が上がった。
「うわぁ、ゴーストだっ!」
現れたのは20を数える白い影。人の姿をしたソレらは風のように室内を縦横無尽に飛び回り壁をすり抜けていく。
『許せよ忘れよ。そろそろピーブズを見逃してやったらどうかな?』
『修道士よ、君もあやつのせいで幾度も悪名を被ったではありませんか。そもそも奴はゴーストではないと言うに……おや?』
その内の二体が動揺する新入生の輪へ顔を向けた。色褪せた修道服を腰巻で留めた小太りな男性と、見事な口髭とひだ襟をしたホーズ姿の中世貴族風男性だ。
『君たちは何故ここで屯しているのです?』
『見かけない顔ぶれだね……おっ、もしかして新入生かな?』
突然話しかけられ怯える子供たち。だが沈黙の中でメリーだけは、素晴らしい研究対象と巡り会えた幸運に興奮していた。
「はい。初めまして、組み分けの儀式を控えた者です。あなた方は、その……幽霊、なのですか?」
クィレルの憑き霊とは異なる気配を持つ者たちではある。だがまさか同じ霊魂種と理性的な会話ができるとは思わず、メリーは周囲の目も憚らず彼らへ話しかけた。
『おおっ、お返事を貰えるとは幸い! 初めまして、美しいお嬢さん。私はおっしゃるとおりゴーストの……おや、名前はなんだったかな。遠い昔のことは忘れてしまったよ』
「ゴースト……」
『代わりに修道士とでも呼んでおくれ。ハッフルパフで会えることを楽しみにしているよ、生前の私の家だからね!』
太った修道服の男の友好的な態度につられ、メリーは貴重な機会を逃すまいと質問を重ねる。
「あの、差し支えなければ皆さまゴーストの種別についてお伺いしても───」
「騒がしいですよ、Miss ハーン。私語は慎みなさい」
だが少女の取材はマクゴナガルの声によって阻まれる。どうやら組み分け儀式の準備が終わったようだ。
「士爵、修道士も。新入生をからかうのはお止めください」
『なんと! 全くの誤解ですぞ、ミネルバ副校長! 我等をあの忌々しいポルターガイストと同列に扱わないでいただきたい!』
『ふぅむ、この評価はよろしくないな。サー・ニコラス、やはり貴方の言う通りピーブズにはもう少しお仕置きが必要かもしれない』
マクゴナガルの白い目に憤慨した二体のゴーストたちは互いに頷き合うと、既に退散していた他の同胞たちを追ってどこかへ消えて行った。去る彼らを惜しむメリーも、はたと我に返り慌てて老魔女へ謝罪する。
「失礼致しました、マクゴナガル先生」
「ゴーストは気紛れで厄介な存在ですので、此度は大目に見ます。次は気を付けなさい」
「はい……」
殊勝に俯き、新入生たちの輪へと戻る少女。ハリー・ポッターと愉快な仲間たちの好奇の視線が突き刺さる。
(全く、貴方の憑き霊をどうにかしたくてやったことでもあるのに……)
だが、この学校にゴーストという大きな情報源があると知れたのは幸先良い。その友好的な一人、太った修道士にメリーは期待を寄せていた。
(……よし決めた。寮の希望が通るならあそこにしてもらおう)
その後しばらくし、マクゴナガルがようやく一同を大講堂へ案内した。
「よろしいですか? それでは皆さん、私に続いて入室してください」
そして老魔女の先導でくぐった大扉の向こうの景色に、メリーは感嘆の溜息をついた。
全在校生と教師陣の拍手に迎えられた少年少女たちの頭上。高くそびえるゴシック建築の大ヴォールトに───広大な幻想の宇宙が広がっていた。
西暦1991年9月1日 夜
英吉利・
無数の浮遊する蝋燭の灯りと、星々の祝福が降り注ぐホグワーツ大講堂。魔法で生み出された夜空の下、そして左右四つの長テーブルにズラリと座る上級生たちの間を進み、メリーは他の新入生たちと共に講段下に集合した。
壇上に設けられた横長のテーブルには17人の魔女魔法使い。老若男女問わず北欧系、アフリカ系、中東系、アジア系、そして小人のように小柄な異形の男性。こちらはあの巨人教師が言っていた
座る先生たちの中にはメリーがダイアゴン横丁でお世話になったクィレルもいる。しばらく視線を向けていると目が合い、彼の引き攣った笑顔で返された。不器用なそれも錚々たる顔ぶれが居並ぶこの場では心強い。変わらず憑いてる後頭部の悪霊が不気味だが。
そして問題の、中央に座るトールキン小説に出てきそうな長い白髭の老人こそ、近代最高と名高い大魔法使いアルバス・ダンブルドアだろう。メリーが近い将来裏切る予定の魔法界。その武力の象徴とも言える恐るべき存在だ。この優しそうなお爺さんをどこまで出し抜けるかが今後の焦点になるだろう。
ふとダンブルドアから教壇に目線を下げると、そこには小さな丸椅子に置かれた奇妙なトンガリ帽子があった。メリーが訝しみながら注視していると、唐突にトンガリ帽子のシワが口のように開き、ヘンテコな詩を歌い始めた。
「……えぇ」
周囲の上級生の惜しみない拍手にメリーの困惑の声は掻き消される。
そんな独特過ぎるセンスの歌い手は、自らを『組み分け帽子』と名乗った。
「そうか、あの帽子を被って、帽子に決めてもらうのか!」
そして後ろのウィーズリーの推理の通り、喝采が止んだ大講堂にマクゴナガルの指示が響き渡る。
「それでは私があなた方の名を一人ずつ呼びます。呼ばれた生徒は組み分けのため帽子を被り、この椅子に座ってください──アボット、ハンナ!」
「は、はいっ!」
心の準備を整える間もなく、短いブロンドの少女が『組み分け帽子』の許へ駆け寄った。緊張に赤らむ顔が隠れるほど深く被せられた帽子が小声で彼女に話しかけている。だが他の新入生が焦れる前に彼女は解放された。
右手前の長テーブルから歓声が上がった。メリーはそちらへ満面の笑顔で走り去るアボット少女と、彼女を組み分けたあの『組み分け帽子』を交互に見る。
そして、ある疑問を抱いた。
(相手が帽子なのはともかく、面接にしては短すぎる。あんな一瞬で決めるなんて一体どういう基準で選んでるの?)
続いてマクゴナガルが二番目の生徒の名を呼んだ。スーザン・ボーンズなるその女子生徒もアボット同様、ハッフルパフ生のテーブルへ飛び込んでいく。
「───ブート、テリー!」
新たな生徒、少年が帽子に選ばれる。
アボットやボーンズのときと比較し些か静かな拍手が大講堂に木霊する。続いて同じ寮に組み分けられた少女マンディ・ブラックルハーストも、レイブンクロー生たちの歓迎を軽く流し席に座った。生徒たちは在校生も新入生も、お互い寮の特色通りによく組み分けられている。
「───ブラウン、ラベンダー!」
メリーが避けたいグリフィンドールに組み分けられた少女も、寮風通りの勝気そうな笑顔が印象的な人物。
「───ブルストロード、ミリセント!」
家柄主義的なスリザリンに入った少女も、いかにも名家出身らしい気品ある子だ。
(この正確性、絶対面接だけじゃないわよね。最初から書類審査で決まってて、この喋る帽子はただの儀礼的な演出? いいえ、神秘の最高学府を自称するここの教師陣がそんな方法で選ぶはずがないわ。ならやっぱり魔法? だとしたらそれはどのような? あの帽子は、一体何をして生徒たちを篩い分けてるの?)
メリーは『組み分け帽子』の得体の知れなさに眉を顰めながら自分の番を待ち続ける。
「───グレンジャー、ハーマイオニー!」
すると、メリーが注目するグレンジャーの名が呼ばれた。だが彼女が組み分けられた寮の名を聞いた時、「レイブンクロー」の宣言を予想していたメリーは驚いた。
本人も意外だったのか僅かに首を傾げるグレンジャー。しかし寮生たちの大歓声に迎えられ、彼女の困惑も霧散した様子。
しかしメリーの疑問は増すばかり。
(グレンジャーさんは列車内で話した限りだと明らかにレイブンクローのはず。なのにどうして? もしかして本人も知らなかった素質を見出された? そんなこと、それこそ個人の深層心理でも覗かない限り──ッ、まさか)
そして、そんな大変な可能性に彼女が思い至った、その直後。
「───ハーン、メアリ……マエリベリー!」
母国出身の教師すら発音を間違える彼女の独特な名前が呼ばれ、メリーは壇上に呼び出されてしまった。
(……あれ? もしかして私、さっそく詰んだ?)
西暦1991年9月1日 夜
英吉利・
『……そうか、遂にこの日が来てしまったか』
「!」
シンと静まり返ったホグワーツ大講堂の教壇。『組み分け帽子』を被らされたメリーは、頭に流れ込んできた低い男性の声にピクリと肩を震わせた。
『一と四半世紀と言ったところだな。やれやれ、賭けはあの子の勝利か』
「……?」
『儘ならぬことだ、またアルバスへの秘密が増えてしまった』
不穏な独白。聞き逃せない内容。メリーは咄嗟に帽子へ問い返した。
「……どういうことです? 『賭け』とは一体? それに『秘密』って……」
『おや、君は先祖……家族から何も聞かされていないのかね?』
メリーは帽子の言葉に息を呑む。
先祖。
魔法界に──否、実家の隠し屋根裏部屋を見つけてから何度も聞くようになった意味深な単語。予想は付くが、果たしてそれがこの帽子の言う「秘密の賭け」とどう関係するのかメリーにはわからなかった。
「……私に家族なんていません、物心ついたときは遠縁の親族以外皆他界してました。貴方は私と、私の先祖のことを知っているのですか?」
『そうか、何と不憫な……だが知らぬのであれば私の口から伝えるのは憚られる。先ほどの言葉は忘れてくれたまえ』
「ッ、そんな」
『君が既に全てを知っていたのであれば、それは"既に終わったこと"。だが私が今、僅かながら知るハーン家の全てを君に語るのであれば、それは"今の出来事"だ。君の未来は私の責任となり、故に私が語った全てを学校最高責任者であるアルバスに伝えなくてはならない。それは君の望みではないだろう?』
憤るメリーを帽子が諭す。残念ながらこの場で語ってくれる気は一切ないらしい。
とはいえ、ホグワーツ関係者であるこの帽子が自分の先祖と面識があり、かつダンブルドアに秘密にしなくてはならない何らかの弱みがあることはわかった。謎は深まったものの、貴重な成果である。
後はこの難局を潜り抜けるだけだ。
『過ぎた出来事より今を考える事こそ生徒の特権。それでは君と君の血の過去は忘れ、今の君に相応しい未来を決めるとしよう』
「……」
『さあ、心を開きたまえ。共に君の眠れる素晴らしい才能へ、魔導の光を当てようではないか』
かくして新入生マエリベリー・ハーンの組み分けの儀式が開始した。
「──……マエリベリー、長いわね」
「あの凄い可愛い子、
妖精のような美しい少女を望む教壇下の四つの長テーブル。その左後ろの一卓に座るハーマイオニーは、新たな友人の組み分け儀式を見守っていた。
彼女の声に答えるグリフィンドール男子監督生の五年生、パーシー・ウィーズリーも事の成り行きを興味深そうに眺めている。
「私、本当はあの子と一緒にレイブンクローに行きたかったの。でもグリフィンドールも優秀な生徒を欲しがってるってあの帽子に言われて、結局こっちに選ばれたわ」
「そういえば君も結構時間がかかってたね」
ハーマイオニーは頷く。
「マエリベリーもとっても優秀で、ちょっと意外だったけど、みんなが怯えてたゴーストにも話しかけられるほど勇敢な子よ。絶対グリフィンドールに来るわ!」
「噂によると
「ふふっ、ありがとう! マエリベリーもグリフィンドールに来たらきっと喜ぶわ」
パーシーの称賛に顔をほころばせたハーマイオニーは、友人を歓迎出来る瞬間を今か今かと待ち続ける。
だが、あるいはそうなったかもしれない未来は、彼女たちの前に照らされることはなかった。
『──ほう、あそこを選んだ理由を聞いてもいいかね?』
壇上で続くメリーの組み分けの儀式は五分を超えて尚終わらない。少しずつ大講堂のざわめきが大きくなる中、一人と一個は我関せずと内緒話を続けていた。
「希望は二択。どちらも興味があり、強いて言うなら友人が別の寮に入ったのでそちらへの私的な関心が薄れたからです」
『しかしだね、君は才に優れ、巧妙だ。英知を求め、目的を達するために最初から校則どころか法律すら無視するほどの意気込みでここにいる。君の素質が今の希望先で花開くことはないだろう』
「……伸ばしたくない素質もあるんです。それにお勧めのスリザリンは、私のようなマグル出身者を嫌っているのではありませんか?」
『いいや、少数だがスリザリンにもマグル界出身の子は所属している。外からはわかり辛いが、あそこは君の想像より遥かに理性的で快適な家なのだよ』
暫しの応酬で、メリーはこの帽子の力の限界を朧気ながら分析できていた。彼はメリーが危惧していた記憶や思考を読み取っているのではなく、より深い、生徒の本質というべきものを感知する魔法具であった。当初はこのまま企みを暴かれ魔法学校から追放されることも覚悟していたが、メリーとしてはまさに九死に一生を得た思いである。
最大の危機を脱したメリーにとって今さら寮の組み分けなど些細なことだったが、彼女はどうせならと脅かされた分の意趣返しに盛大な我儘を垂れて帽子を困らせていた。
『案ずることはない。君はあそこに相応しい素質を全て持っている。年不相応なまでの臨機の才、いざと言う時の決断力、周囲を欺く狡猾さ、認めた者に対する深い愛情。そして過去を思い出すのであれば、然るべき血もそこに含まれるだろう』
「……」
『だが、そうだな。もし過去のしがらみが君を追わぬのであれば、私から言うべきことは何もないのかもしれん。これは
その甲斐あってか、頑固なメリーに『考える帽子』が少しずつ折れ始める。
「私はただ目立ち過ぎず、波風立てずに勉学に励むことが出来る環境を望みます」
『ふむ、ならば君の智の素質を開花させるレイブンクローはどうかね?』
「私はこちらと適度な距離を保ちつつ、他人の世界を邪魔しない友好的な生徒たちが集う環境で学びたいのです。それに当てはまる寮を希望します」
そして長く不毛な議論の末、メリーは己の希望する寮への組み分けを勝ち取った。
『……生徒の素質を伸ばすのが学び舎の役目である。だがそれを望まぬというのであれば───致し方ない』
直後、大きく唱えられた一つの寮の名と共に、生徒たちの大歓声と落胆の溜息がホグワーツ大講堂に木霊した。
西暦1991年9月1日 夜
英吉利・
寮杯の砂時計が置かれた大階段塔の地下。城の厨房が設けられた廊下のつき当たりに、壁一面の大樽が積み上げられている。大人でも潜れるほど大きな底蓋が整列している光景は中々に壮観で、もし蓋を外し中に入ることが出来れば、それは実に良いかくれんぼスポットになることだろう。
ホグワーツ魔法魔術学校の寮の一つ、心優しく勤勉で忍耐強い生徒が入るとされるハッフルパフ寮への入り口はここにある。
「ヘル──、ガ──、ハッ、フル、パフ!」
「二つ目の列の真ん中の樽の底を二回、ハッフルパフ・リズムで……うん、覚えたわ」
「間違えると熱いビネガーがかけられるなんて、【清めの呪文】を早く覚えなきゃ」
「……その記憶力で入り口の場所とリズムを覚えればいいんじゃないかな」
同寮の生徒たちの会話を横耳に、メリーは慎重に扉の大樽を潜る。
そこにあった部屋を一言で表すならば、「絵本に出てくる小動物の穴倉の家」だろう。天井の低い円形の洞窟部屋。壁にくり貫かれた丸窓からは優しい月光が射し込み、窓の外では芝やタンポポの葉がそよ風に揺れている。美しく磨かれた銅細工や、様々な薬草や魔法植物に彩られた心地よい室内は、中央の大きな暖炉の炎で仄かに温かい。
埋もれるほど分厚いキルト、沈むほど柔らかいソファ。一度入ったら抜け出せない、そんな快適で可愛らしいハッフルパフ寮談話室をメリーは一目で気に入った。
「素敵な空間だろう? ウチの談話室は過去千年以上も他寮の人間に見られたことがない、ホグワーツで最も秘密にされている最高の隠れ家なんだ」
ガブリエル・トルーマンと名乗った男子寮監生が誇らしげに自寮の豆知識を紹介する。流石は神話の時代から続く魔法社会、歴史の重みが現世のそれとは桁が違う。
「ここが貴方たちがこれから七年過ごす寝室よ。窓がないから少し閉鎖的に思えるかもしれないけど、暖房完備で夜は足がポカポカして気持ちいいの」
続いて女子寮監生のベアトリス・ヘイウッドに連れられ二階にある女子寮へ案内される。壁に開いた幾つもの丸扉がそれぞれ寝室に繋がっており、一部屋に割り振られるのは四人。中の天蓋付きベッドの右端には小さなベッドスタンド、左には化粧台が置かれ、赤銅のランプに柔らかく照らされている。
寝台の横を見ると予め個人の荷物が運び込まれていた。メリーは自分のトランクケースを見つけ、横のベッドに腰掛ける。
「一人、二人、三人……あたしで四人っ。これで全員ね」
「ならさっそく自己紹介しましょ。まずは
「賛成! その輝くキューティクルの秘密が気になってしょうがなかったの!」
同室の少女たちと親しげに交流しながら、メリーは頭の奥で今日の濃密過ぎた一日を振り返った。
(──ゴーストとお話できたり、ご先祖さまが元ホグワーツ生らしいことがわかったり、幾つか情報は得られたけど……組み分け帽子さんには怪しまれてるでしょうね)
まさか入学式で脳内を覗かれるとは思わず、その時の衝撃を思い出し冷や汗をかくメリー。幸運にも秘密の現世逃亡計画を知られる最悪の事態は免れたようだが、腹に一物を抱えていることは気付かれたかもしれない。
(校長先生に秘密にすることが増えた、とか言ってた帽子さんの言葉を信じるしかないか……)
溜息が零れそうになるが、ルームメイトたちの手前で何とか堪える。
既にあの帽子から学校側に報告が行っているのなら考えるだけ無駄なこと。素知らぬ顔で授業を受けたほうが精神衛生上宜しい。
そんな図々しさが自分にあるのかメリー自身にはわからなかったが。
(仕方ないわね……)
気持ちを切り替え、少女は覚悟を決める。実はメリーにはこの傷を浅いままに留める策があった。
"Occlumency"──【
魔法界における最も有名な精神防御呪文であり、他者の記憶や思考を暴く"Legilimency"──【
現時点ではホグワーツの教師陣からいきなり心を覗く呪文を仕掛けられる可能性は低いが、企んでいることがことだけにメリーの警戒心は跳ね上がる。
(深夜の校内散策や、禁書の棚に忍び込むのは【閉心術】をマスターしてからにしましょう)
それまでは模範生らしい良い子ちゃんを演じる。そう今後の基本方針を定めたメリーは、ルームメイトたちとのお喋りを切り上げ、ダブリンの蓮子へ宛てた手紙を書くべく羽ペンを取るのだった。
日本語脳な秘封コンビ視点っぽさを出すために英語の固有名詞はローマ字で書いてましたが、めんどくさくなったので普通の和訳表現に切り替えます…