マエリベリー・ハーンと賢者の石   作:ろぼと

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FILE.06:焦燥と安堵(挿絵注意)

西暦1991年9月初週 午前

『ホグワーツ魔法魔術学校』 防衛術塔4階階段

 

 

 

 入寮の歓迎会を終えた翌日から、早速ホグワーツ生の授業は始まった。

 

 文化も技術も現世とは異なる魔法界は当然学問も独自の発展を遂げている。変身術や呪文術などの魔術の妙から、魔法生物を扱う薬草学に魔法生物飼育学、水薬(ポーション)の材料から調合まで幅広い分野を学ぶ魔法薬学、数字や呪術を用い未来を占う占い学、などがその代表だ。

 これらとは別に、魔法史、古代ルーン文字、天文学、マグル学の授業はメリーも知る現世の学問と重なる内容が多く、それらは二つの相反する社会が同じ時空に存在するという奇妙で興味深い「現実」を示していた。

 

 ハッフルパフ寮に我儘のゴリ押しで入ったメリーは、計画通り、模範的な優等生として寮を越えて認識されるようになっていた。特に異能を駆使した空間把握能力でホグワーツ城の各教室を速やかに発見できる彼女は、迷子になりがちな新入生から大変頼りにされていた。毎年何人も迷い遅刻し寮杯点を大幅に減らされるハッフルパフ寮にとっては素晴らしい貢献である。

 

 今日もまた、同寮の全一年生をカルガモの雛のように引き連れ教室へ向かう彼女の姿が人目を集めていた。

 

「ホントにこの動く階段は面倒ですね。『感動も最初の内だけ』だって監督生のガブリエルが言ってましたけど、今はもう言い返せませんよ」

 

「レイブンクローの創始者が施した仕掛けだそうよ。新入生を虐めて何が楽しいのか、私にはさっぱりだわ」

 

「あの厭味ったらしいガリ勉連中の親玉なんだ。性格が悪くて当然だね」

 

 先を進むメリーの背後を少年少女たちがワイワイと追い掛ける。既に校内でも知らぬ者は少なくなり、ハッフルパフ寮以外の生徒たちも自然とこの便利な行列を活用していた。

 

 木曜午前、本日最初の授業はグリフィンドールと合同の『闇の魔術に対する防衛術』。中央ホールから変身術塔の中庭を横ぎり、防衛術塔の4階3C教室へ向かう途中、三つの見覚えのある顔がメリー率いるハッフルパフ行列の最後尾に加わった。

 

「お、おはよう、Miss ハーン。今日の合同授業、よろしくね」

 

「久しぶりだな、マエリベリー! それが有名なハッフルパフ行列だろ? すぐにわかったよ!」

 

「私たちも一緒に行っていいかしら。ほんっとこの階段わかり辛くて」

 

 彼らはハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリー、そして紅一点のハーマイオニー・グレンジャー。このように他の寮の生徒が加わるのは毎度のことだが、寮杯点に関わること故にそんな彼らを不快に思うハッフルパフ生も居る様子。

 

「おや? 今日の姑息な無賃乗客くんは誰かと見てみれば、我らが英雄ポッター殿じゃないか。ウチの寮を利用して遅刻の減点を免れようだなんて、随分と緑色のローブが似合う顔になったな」

 

「……僕が、スリザリンだって言いたいの?」

 

「ふざけるな、スミス! マエリベリーのおかげで遅刻せずに済んでるのはお前も同じだろ! 彼女は僕たちの友達でもあるんだぞ!」

 

 皮肉げなザカリアス・スミスに噛みつくハリーたち。騒ぎ過ぎると教師に睨まれるため、メリーはグレンジャーに問題児たちを黙らせるようお願いする。

 

「ちょっとハリー! ロン! 廊下では静かにしなさいって先生に習わなかったの? 貴方たちが騒いでると関係ない私やマエリベリーまで叱られちゃうんだから!」

 

「僕は別に騒いでないよ……」

 

「お前もグリフィンドールなら僕たちに加勢しろよ、ハーマイオニー! そのキーキーうるさい声があればスミスも少しは怯むだろうぜ」

 

「何ですって!?」

 

 だがどうやら人選が悪かったらしい。動物園の猿のように争う彼らにメリーはルームメイトたちと呆れ返る。

 

「……ねえ、マエリベリー。お節介かもしれないけど、友達は選んだ方がいいわよ」

 

「グリフィンドールの生徒ってみんなああなのかしら」

 

「あそこは熱血って言うか、すぐ熱くなって怒りやすい短気な生徒が多いって聞くもの。ザカリアスみたいな人からすればからかい甲斐があるんでしょうけど」

 

 ひそひそと、彼らの剣幕に怯えるように身を寄せ合う少女たち。このあたりは実によく寮の個性が表れている。

 数日共に過ごしてわかったが、ハッフルパフ生は基本的に温厚で忍耐強く、あまり気の強い子は少ない。よく似た文化の日本での生活が長く、また面倒な人間関係のトラブルを避けたいメリーにとっては実に理想的な環境だった。

 

 もっとも、こうして他の寮の生徒と衝突していては、その素晴らしい個性も無意味なのだが……

 

 

「───何を騒いでいる! 教室の中に居ても聞こえているぞ! グリフィンドールとハッフルパフに減点!」

 

『ええっ!?』

 

 悪意無き理不尽とはコミュニケーションの齟齬によって生まれる。入学当日から始まったメリーの賑やかな学校生活は、まるで意図せぬ迷惑なトラブルの連続であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年9月初週 午前

『ホグワーツ魔法魔術学校』 防衛術塔4階3C教室

 

 

 

 【閉心術(オクルメンス)】。

 

 強力な精神干渉魔法【開心術(レジリメンス)】に対する防衛手段で、他者に心を覗かれることを防ぐ『呪文術』の一つである。一般的な尋問呪文とは違い【閉心術】は極めて難易度が高く、その安全性や厳しい適正の問題からホグワーツの教育課程にも含まれていない。

 

 【閉心術】の練度には大きく分けて三つの段階がある。

 まずは初歩的な第一段階。頭を無にして何も考えないことで相手に暴かれる内容そのものを無くす方法。難易度は低いが思考そのものを放棄するため極めて受動的で、術の使用中はその他の攻撃に全くの無防備となってしまう。また強力な開心術師が行う「記憶の読み取り」に対しても抵抗できない。

 第二段階は、自分の思考力を維持しつつ特定の記憶や思考にベールをかけるように覆い隠す方法。見られたくないものを隠すことができるが、何かを隠している事実は相手の開心術師に伝わってしまう。

 そして第三段階。精神内に二重の層を形成し、表層に偽りの記憶や思考をダミーとして置き、深層に真の記憶を隠しながら自身の思考も維持する方法。この段階まで練達した閉心術師は術を使ったことすら相手に気付かせず、逆に欺瞞情報を与え翻弄すらできてしまう。

 

 呪文の向き不向きは個人の性格に由来することが多々あるが、この【閉心術】は特にその傾向が強く、冷静沈着、秘密主義的、あるいは何かしら歪んだ心を持つ者が特に優れた素質を持つと言われている。

 そしてそれらは間違いなく、一部は不本意だが、マエリベリー・ハーンの精神性と合致する。

 

 だが少女がこの呪文の習得を躊躇していた理由は、その練習方法の厄介な副作用にあった。

 

 

(気持ち悪い、まるで脳と心がバラバラになったみたい……)

 

 午前の一限、防衛術の授業。メリーは教室の魔除けのニンニク臭に顔を顰める生徒たちに紛れ、一人だけ【閉心術】練習の精神的苦痛と戦っていた。

 

 実家の魔術工房にあった関連書籍『ニトロオブラナ』には、メリーの欲する高度な【閉心術】の習得方法について詳しく記されていた。だが「自身の本心と無関係なことを考える」という最初の簡単な言葉に惑わされた少女は、次第に難解で危険になっていく練習内容に戸惑いながらも、自身の優れた適正に引き摺られ術の深みにはまってしまう。

 危険性は重々承知のつもりだった。だが焦りか、あるいは大学で精神学を専攻していた彼女ならではの慢心があったのか、メリーは感情や思考といった精神の領域に魔法的手段で介入することの恐ろしさを見誤っていた。

 

 呪文の練習を初めてから未だ四日。周りには必死に隠しているものの、メリーは修行の影響で自身の心の制御が危うくなりつつあったのだ。

 

 そして何日もルームメイトの様子がおかしいと、流石に異常に気付く者は現れる。

 

「……マエリベリー、凄く顔色が悪いけど大丈夫?」

 

 隣に座る同寮のメーガン・ジョーンズが心配の声をかけてきた。気配り上手で大変好ましい少女だが、秘密の多いメリーとしては出来れば放っておいておしかった。

 

「……大丈夫よ。少し、その、先生のニンニクの臭いに胸焼けしてしまったのかも」

 

「やっぱり! クィレルったら、生徒の迷惑も考えてほしいわ!」

 

 咄嗟に口にした言い訳だが、存外周囲も同意しかできないものだったらしい。とはいえ世話になった身の上一応クィレルをフォローする。

 

「ま、まあ事情がおありのようですし、嗅覚麻痺呪文を学ぶきっかけとでも割り切りましょう」

 

「」

 

「マエリベリーは大人ね……」

 

 怯えるジョーンズの落ち込む声が微かにメリーの鼓膜を震わせる。罪悪感の棘が深く刺さった胸を押さえ、しかし何と反応するべきかわからず結局少女は聞かなかったフリをした。

 

(私、いつからこんなに不愛想な人間に…)

 

 不慣れな環境、危険な目標のせいか、直面する数々の危機がそうさせるのか。削られる精神と一緒に何か人間として大切なモノが消えつつある。そんな胸騒ぎがメリーの胸中に更なる焦燥の種を植え付ける。

 

(どうしよう、このままじゃ…)

 

 何か、何かいい手はないか。膨れ上がる苛立ちと不安に侵され、冷静な思考を失う少女。

 するとふと見上げた先に、一人の男がいた。

 

 クィリナス・クィレル。

 メリーが最も親しくしているホグワーツ教師にして、例の憑き霊の件で一方的な同情心を覚えている人物。独特な話し方やその内容から生徒たちの失笑を買う哀れな新任教師は、味方のいない困窮した少女の目に本来以上に「近しい」存在として映っていた。

 何一つ上手く行かない魔法学校生活の中でただ一人、こちらに多少なりとも協力的で、欲する”闇の魔術”の知識を有し、そして親しみ深い現世の常識を知る貴重な存在。追い詰められた幼い犯罪者が彼に縋るのも無理はなかった。

 

 

「…クィレル先生、お久しぶりです。先月は学用品の買い物にお付き合いいただきありがとうございました」

 

「ッひぃっ…! ハ、ハーン、でしたか。お、お久しぶりです…」

 

 授業そのものの簡単な説明で終わった初回の”闇の魔術に対する防衛術”の講義。群がるポッターやジョーンズたちを追い払ったメリーは、一人になった教室でふらふらとクィレルの机へ向かい、声をかける。

 禁術でも何でもいい。何か一つでも自身の計画に、異能の制御に役立てる情報を得て心に余裕を作りたい。少女はすり減った精神を落ち着かせる成果を欲し、つい逸ってしまった。

 

「それでその、ご相談したいことがあるのですが、少しだけお時間をいただけないでしょうか…」

 

「え、ええ。構いませんが……ん?」

 

 すると、いつも通りオドオドしていたクィレルが蒼白な彼女に何か訝しいもの感じたのか、メリーの目を注視し始めた。思わず後退りそうになるほどの圧迫感、そして同時に感じた脳内の不快な異物感に少女は動揺を隠せない。

 そして彼女は気付く。自身の作戦が開始直後に裏目に出るほどの大失敗に終わったことを。

 

「Miss ハーン、その顔……まさか独学で【閉心術】の練習を?」

 

「…ッ!」

 

 予想すらしていなかった問いかけにサァッ…と顔の血の気が引く。結界遊びで幾度も修羅場をくぐっていようと所詮は11歳の女の子。咄嗟に取り繕ったが、不運にもこのクィレルは誤魔化せる相手ではなかった。

 

「そっ、即刻止めたまえ! 私も昔独学で何度も呪文に失敗し鏡でそんな濁った目をしていた自分を見た! 第一、落ちこぼれのハッフルパフ生がそんな高度な術に手を出すなど…!」

 

「しっ…ぱい?」

 

「当然だろう、私の【開心術】に抗えん時点でその呪文はお前の精神を蝕むだけの毒だ!」

 

「…ッ!?」

 

 豹変し捲し立てるクィレルの衝撃的な発言、魔法で心が読まれていたことにメリーは戦慄する。

 生徒の身を案じる一方、逆にいとも容易く精神呪文をかけてくる教師たちへの恐怖、そして秘密の計画を見抜かれ全てを失う絶望が彼女の理性を叩き壊す。

 

 メリーはその身を以て理解した。”組み分け帽子”に怪しまれたが最後、最早この学校に安息の地などどこにも無いのだと。負の螺旋に陥った少女の心は底無し沼のようにどこまでも墜ちて行く。

 

 だが、突然目の前に差し出された薬匙が少女の理性を浮上させた。

 

「ッみ、未成年には早すぎる呪文ですし、おっ覚える必要もありません! Miss ハーン、ひとまずこれを飲みなさい。や、”安らぎの水薬”です」

 

「…ぇ  んむぅっ!?」

 

 唇を開いた瞬間薬匙を突っ込まれ、得体の知れない液体の苦みに狂乱するメリー。だが教師の拘束から逃れようと身を捩った直後、少女の身体から力が抜け落ちた。

 

「ッ、イヤっ! 放し  え、ぁ……」

 

「むっ!? いつもの私用では量が多過ぎたか? いかん、至急マダム・ポンフリーのところへ  

 

 

 そんなクィレルの慌てる声を最後に、絶望に染まるメリーの意識は深い闇に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年9月初週 午後

英吉利・蘇格蘭(スコットランド)某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』病室塔医務翼

 

 

 

 ツンと鼻を突く刺激臭が微睡む少女の意識を呼び覚ます。ぼんやりとした頭で体を起こしたメリーは清潔なスペクトラグリーンのカーテンに周囲を覆われている光景を暫し見つめ、はたと我に返る。

 

「ここ、は…?」

 

  あっ、起きた! その、気分は大丈夫? 何かクィレルがやらかして君を気絶させたとかこっそり聞こえちゃったけど…」

 

 思わず口から零れた困惑は、カーテンの奥の声で返された。布の隙間から差し込む陽光が、隣のベッドに横たわる一人の少年の姿を照らす。グリフィンドール寮の制服を着た男の子、記憶が正しければ、おそらくホグワーツ急行でポッターと共にいたあの影の薄い気弱な男の子だ。

 

「…Mr. ロングボトム?」

 

「えっ!? ぼ、僕のこと覚えてくれてたんだ…! あ、僕は飛行訓練の授業で、その、やっちゃって…」

 

 ぱあっと少年、ネビル・ロングボトムの表情が花開く。何ともグリフィンドールらしくない愛嬌のある笑顔だ。

 どうやら彼はクィレルの後の”飛行訓練”なる箒の授業で大怪我をしたらしい。腕が折れるほど危険な授業の内容が気になるが、生憎今のメリーの優先順位はそちらではない。

 

「私、確か”闇の魔術に対する防衛術”の講義の後に、相談しに行ったクィレル先生に何かを無理やり飲まされて…」

 

「ええっ、そんな酷いことを!? アイツ最低だ、授業も退屈だしとても教師とは思えない…!」

 

 混乱しながらも異様に落ち着いている自分に驚くメリー。隣で騒ぐロングボトムのクィレルに対する憤りを聞き流しひとまず現状を把握しようと辺りを見渡していると、奥から知らない女性の声が聞こえてきた。

 

「五月蠅いですよ、あなたたち。ここをどこだとお思いかしら?」

 

『!』

 

 二人して振り返ると、開かれたカーテンの隙間に白衣を着た優しげな老女が立っていた。組み分けの儀式のときに教壇に居なかった先生だろうか、記憶を探っても該当する人物は思い浮かばない。

 

「お目覚めのようね、Miss ハーン、医務翼へようこそ。私はナースのポピー・ポンフリーよ。…全くクィレル先生には困ったものだわ、一年生に成人男性用のスプーンを使うなんて」

 

「…成人、男性用?」

 

「貴女、危険な精神系の呪文を試して感情のコントロールが効かなくなってしまったんですって? クィレル先生がおっしゃっていたわ。咄嗟に”安らぎの水薬”で落ち着かせようとしたら容量を誤って貴女を気絶させてしまったそうよ。ああ、呆れた」

 

 ”ポンフリー”と名乗った老女の話を聞くうちに、メリーのぼやけた意識が覚める。そして、真っ先に現れた感情は、深い後悔であった。自分は考え無しに何と危険な橋を渡ろうとしていたのか、と。

 全くの突然にクィレルに魔法で心を覗かれたことは、少女に残った僅かばかりの油断を悉く打ち砕いた。男の反応を思い返すに、それほど深く記憶を探られたわけではないだろう。しかしああも容易く生徒に向けて【開心術】を行使されたとあっては、例の計画が知られるのも時間の問題である。

 

「あ、ぁ…」

 

 八方塞がり。敵のあまりの隙の無さに、そして心配してくれる親友の想いに応えられない自分の無力が不甲斐なく、メリーの目頭に涙が滲む。

 

 そんな彼女の俯く姿は、この世で最も庇護欲を擽る光景だと言われても納得するほど愛らしく、また哀れであった。

 

「はぁ……Miss ハーン、あまり思い詰めちゃダメよ?」

 

「…ぇ?」

 

 そう優しく患者の背中を摩るポンフリーもまた、少女の美貌に魅入られた万人の内の一人。こんな可憐でか弱げな女の子が「魔法界を出し抜く算段を立てんと暗躍している」など当然発想すら浮かばない彼女は、何も知らずに目の前の傷付いた小さな犯罪者の心の慰撫に努めた。

 

「さっきまでお見舞いに来てらした寮監のスプラウト先生から聞いたわ。貴女、マグル出身で、しかも”Hatstall(組み分け困難者)”だったそうね」

 

 嫌な話題にメリーは体を強張らせる。だが彼女の見た目と殊勝な態度に騙されるポンフリーは、どうやら少女の想像とは異なる見解を持っているようであった。

 

 そして、その見解は少女にとっての大いなる光明であり、魔法界にとっての暗雲と言える、完全なる勘違いであった。

 

「組み分け帽子は1000年も生きてるせいかとっても頑固で、選んだ行先を変えることも、選んだ理由を他人に語ることもしないのよ。……ねぇ、貴女。もしかして組み分け帽子に、望みとは違う寮に入れられたの?」

 

  ッ」

 

 咄嗟に顔を跳ね上げ老女を見上げたメリーを責める者はいないだろう。ポンフリーの言葉は少女の暗い心情を逆転させる、それはまさにコペルニクス的転回であった。

 

 今、彼女は何と言ったか。「”組み分け帽子”は選んだ理由を他人に語らない」、そう少女の耳に確かに聞こえた。

 その意味を二度三度と考るメリーの心中に、困惑、そして沸々と湧き上がる巨大な歓喜が渦巻き始める。

 

「賢く偉大な魔法具なのだけど、長い過去を振り返れば僅かながら過ちもあったそうなの。職員会議でも”Hatstall(組み分け困難者)”の子には少しだけ気を配るようにしてるのだけどね、Mr. ポッターはともかく、貴女はどの先生も『非常に優秀だけど常に暗い顔をしている』っておっしゃられてて、特にスプラウト先生がとても心配してらしたわ。『本当は別の寮に行きたかったんじゃないか』って」

 

「そんなことが……ぼ、僕も本当はハッフルパフに行きたかったのをあの帽子に無理やりグリフィンドールに入れられたけど、Miss ハーンも似たような目に遭ってたんだ…」

 

「Mr. ロングボトムもそうだったのね。残念だけど、この問題は親を子が選べないのと同じように諦めるしかないのです。ですが、たとえどの寮であってもここホグワーツでは皆あなたたちの大切な家族よ。Miss ハーンも、どうかそれを忘れないように」

 

 ポンフリーが少年少女を優しく諭す。だが隣で神妙に頷くロングボトムに反し、メリーの脳に周囲の会話は一切届かない。今の少女の内心は、それどころではないのだから。

 こんなとき、どんな顔をすれば良いのか。思わぬ驚天動地にメリーは現実を受け入れることに精いっぱい。否、受け入れきれずに戸惑っているのだろうか。わからない、わからない。

 

 ただ、嫌な気分ではない。

 それだけが、混乱する彼女にわかった唯一のことであった。

 

「”安らぎの水薬”の効果が抜けるまでまだ半日はかかるので、午後の授業の先生方には貴女の欠席を伝えてるわ。Mr. ロングボトムもまだ折れた腕の骨がくっついていないので、二人とも翌朝までここを出ることは許しません。いいですね?」

 

 その後、少し言葉を重ねたポンフリーはベッドに横たわる子供たちに釘を刺し、事務室へと去って行った。

 

 静まり返った医務翼で、メリーは繰り返し脳内で自問自答する。まるでそうしなければ今の情報を手放してしまいそうな気がして。

 

(夢…? 私の妄想じゃない、わよね…?)

 

 長い、長い沈黙。ただならぬ気配を漂わせるメリーに話しかけるのは憚られたのか、ロングボトムの口も閉じたまま。

 

 如何ほどの時が過ぎ去ったか。小さな溜息が破った医務翼の張り詰めるような静寂は、少女の安堵の微笑と共に霧散した。

 

「……なーんだ、ふふっ」

 

「よ、よくわからないけど、元気になったみたいでよかったね…!」

 

 明るさを取り戻した彼女の珍しい柔らかな雰囲気に見惚れ、少年は赤くなる顔を誤魔化すように声をかける。

 そんな彼に返された少女の天使の笑顔は、この場の彼だけが独占し、そして一生心を奪い続ける、百億ガリオンの絶景であった。

 

 

  ええ、とっても…!」

 

 

 首まで朱に染まったロングボトムを余所に、少女は自身のベッドに横たわる。

 これほど温かく、落ち着いた気持ちで眠気を待てるのはいつ以来だろう。今なら、たとえどんな呪文であろうと成功する気がする。必ず目的を達成出来る気がする。たとえ根拠などなくとも、もう少しくらいはこの心地よい全能感に浸っていても許されるはずだ。

 

 明日、心配をかけた寮監のスプラウトやクィレル、そしてハッフルパフ女子寮のルームメイトたち丁寧に謝罪し感謝しよう。そう正直に思えるほど、メリーの心は羽根のように軽かった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年10月31日 夜

英吉利・蘇格蘭某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』大講堂

 

 

 

『親愛なるメリーへ

 

 お元気ですか、そうでしょうとも。届く手紙の字面から書き手のニヤニヤ気持ち悪い笑顔が浮かびます、楽しそうで何より。私もニヤニヤしてますが、どちらかというとメリーの空回りとあたふた一喜一憂している姿を想像しているからでしょうか。

 まあメリーが私がいないとどれだけダメな子か分かった呆れ半分、こちらに送ってくれるホグワーツの料理や衣類やアメネティがどれも実に私好みという相棒の素晴らしき配慮と重すぎる愛にドン引き半分と、最近の私は文字通りニート未満の引きこもり生活を送りながらもお陰様で大変刺激的な毎日を楽しんでおります。

 ところで刺激的と言えば、アパートの電気水道ガスの使用歴が付いてそれが万一魔法界に伝わると不味いと全部切ってるのですが、私が今使っている屋根裏部屋の魔法具のトイレやシャワーの排便排水口から時々磯臭く生暖かい風が吹き出てきて、普通に怖いです。設計者が衛生概念が希薄な130年前のメリーのご先祖様であることを考えると、このままでは乙女の矜持以外にもインスマスの深き者どもの襲撃など様々な危険が懸念されますので、Miss ハーンにおかれましては現状の責任を負いお得意の異能適正魔法でこちらの便器とホグワーツの女子トイレの排水管を接続する空間呪文をさっさと開発しやがれいただきたく申し上げ  

 

「食事前になんて手紙送って来るのよ、蓮子のバカ…!」

 

 

 月日は流れ、ホグワーツ城下が霜に覆われる朝が多くなった頃。子供たちが待ちに待った晩秋の伝統行事が行われる日がやってきた。

 

 魔法とお菓子の祭典、ハロウィーンである。

 

 朝食の合間に朝から教師陣が屋敷しもべ妖精たちと共に飾り付けの準備に奔走し、忙しなくも楽しんでいる彼らの姿が生徒たちの期待感を煽っていた。

 わくわく、そわそわ。そんな擬音が聞こえてきそうな生徒たちの興奮に教師たちも少なからず影響され、学校中が来たるお祭りに沸き立つ10月31日。

 

 そして午後の授業が終わり、天井の夜空に妖しい雷鳴やジャック・オー・ランタンの灯りが輝く夜。ホグワーツ大講堂では眩いばかりのご馳走が、待ちぼうけの子供たちを出迎えていた。

 

「わあっ! 見て見てこのパンプキンパイ、中にピューレがいっぱいよ!」

 

「ドラムスティックなんてママ私の誕生日のときにも作ってくれないのに、こんなに沢山…!」

 

「もう僕、ホグワーツにずっと住み続けたいよ…!」

 

 そんなハッフルパフの少年少女たちに同行を促され、届いたダブリンの居候、宇佐見蓮子からの手紙を懐に隠したメリーは、いつもとは一味違う大講堂への道のりを軽い足取りで歩いていた。20世紀現在の日本では影も形も無かった久しぶりの仮装祭りがその理由である。

 

 初週のマダム・ポンフリーの言葉から、あの”考える帽子”が代々組み分けの儀式の過程全てを教師陣に黙秘していると気付いたメリー。少女は警戒を緩め、本来の目標である教師の信頼篤い模範的優等生を演じられる心の余裕を持ち始めていた。

 

「意外。マエリベリーっていつもどこか冷めてるから、こういうの苦手かと思ってた」

 

「…お祭りは純粋に楽しんでこそでしょう?」

 

 わくわくしながら次の美食が空の皿に現れる瞬間を待っていると、横からルームメイトのハンナ・アボットが茶化してきた。

 あの悪友が寄こした久々の手紙のせいだろうか。自分でも「らしくない」と思っているメリーは咄嗟に開き直ることで羞恥を隠す。しかしその白い肌に差した朱は誤魔化せない。

 目敏く見抜いたアボットが微笑みながら少女との距離を狭めようとする。

 

「ええ、もちろん! それにマエリベリーもそうやって楽しそうにしてたほうがもっと可愛いわよ?」

 

「か…かわ  っていうか、私ってそんなに周りに冷たく見えるのかしら…?」

 

 同級生の指摘にメリーは少しだけ不安になり窺うように聞き返した。これまで波風立てない公正公平な優等生を演じてきたつもりでいたが、思えば【閉心術】の練習中はよく能面のような顔になっていた気がする。

 

「え? ううん、最近はそうでもないけど……ただマエリベリーって何でも出来て、凄く綺麗でキラキラしてて、どこか不思議な感じがするって言うか  

 

「そうそう。出会ったばかりの頃は凄く怖かったし、今も難しい本ばっかり読んでて寮でもほとんどお話してくれないからみんな近寄り難いのよね」

 

「…Miss ジョーンズまで」

 

 二人の会話に重なるように加わって来たのは、同じ第13号室のムードメーカー、メーガン・ジョーンズ。万人に分け隔てなく接することを心がけているメリーが、日頃の感謝も込めて特に親しくしようと意識している少女である。

 

「それよ、それ!」

 

「え?」

 

「その”Miss”とか”Mr”ってみんなのこと呼ぶの! おまけに苗字でしか呼んでくれないし!」

 

「マエリベリーは『いつものクセ』だって言うけど、やっぱりちょっと冷たい感じがするわ。何か先生に名前呼ばれてるみたいでびっくりしちゃうのよ」

 

 アボットは迫るように、ジョーンズは遠慮がちに、それぞれが不満を述べる。ちらりと周囲を横目で窺えば、近くに座るハッフルパフ生の多くが頷いていた。

 こちらに関心を寄せてくる物好きな子供たちに驚きながらも、メリーはようやく望む形になった【閉心術】の副次効果で自身の感情を容易く制御する。

 

 

 そもそもダブリンに残った相棒の宇佐見蓮子との約束は、「お試しに一年間だけホグワーツに在学する」というもの。

 

 現時点での進捗は微々たるもので、”異能”を制御する魔法の開発に至るには到底時間が足りないと今のメリーには諦めが付いていた。既に蓮子にも事情は伝えてあり、快い「了承」の二文字を受け取っている。あの拠点の水回りに関する愚痴は最早挨拶のようなものだ。

 しかし、感情の持ち様は別の話。わざわざ大学を休学してまで、しかも仙人のように薄暗い屋根裏部屋に引きこもりながらも協力してくれる相棒を放置したまま七年もホグワーツに在学する気はないメリーは、余計な情を残さないように先生や生徒たちと必要以上に交流することを避けていた。

 

 とは言え、流石にこれほど注目を集めてしまった状況で彼ら彼女らの期待を裏切ることは、寮生活が基本のホグワーツにおいて極めて好ましくない。イジメなどで無意味にストレスを溜める生活は遠慮したいメリーは、小さく息を吐き、それらしい言葉でお茶を濁すことにした。

 

「…わかったわ、善処します。でもあまり期待はしないでよ?」

 

『わあっ!』

 

 どこまでも純粋で素直なハッフルパフ生たち。心を現世に残したまま、彼らの神聖な学び舎に紛れ込んだメリーは、そんな子供たちの無垢な笑顔を直視出来なかった。

 

 

 少しだけ縮まった寮生たちとの距離を歓迎するべきか否か。メリーは戸惑いながらも新たな変化に適応すべく、盛り上がる生徒の輪に飛び込んだ。

 幼くして大人と共に相対性精神学を学んでいた少女に、同年代の子供たちが楽しむ話題などわかるはずもない。それでも、そんな「日常」は、「非日常」しか知らない彼女にとっては確かに心躍る歓迎すべき時間であった。

 

 

 だが。

 

 

  トロールが…! トロールが地下室に…っ!」

 

 

 やはりマエリベリー・ハーンが生きる人生はいつだって、「非日常」こそが日常なのだ。

 

 

 

 

 

 


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