マエリベリー・ハーンと賢者の石   作:ろぼと

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FILE.07:図書室の隠し階段(挿絵注意)

西暦1991年10月31日 深夜

英吉利・蘇格蘭某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』ハッフルパフ女子寮

 

 

 

「…ねぇ、マエリベリー。起きてる?」

 

「…もう三度目よ、Miss ボ……スーザン」

 

 緊急事態宣言を下したダンブルドア校長の決定で中止となったハロウィーンパーティ。生徒たちは寮監生の引率で自寮へ戻らされ、隣のスーザン・ボーンズのように不安で眠れない夜を過ごしていた。

 

「ぷっ、ふふふっ」

 

「…今度は何?」

 

「ふふっ、だって今マエリベリー初めてスーザンの名前呼んでくれたんだもの。…パーティで勇気を出してみた甲斐があったわ」

 

 左のベッドから聞こえたその声はメーガン・ジョーンズのものであった。場を和ます才においては右に出る者の無い彼女の言葉に、女子寮の緊張が得解される。クスクスと小さな笑い声が零れるメリーたちの寮室には、もう恐怖に震える生徒は一人もいなかった。

 

「はぁ……じゃあメーガン、ハンナ、あともう一度スーザンも。これから名前で呼ぶことにするから、貴女たちはもう寝なさい」

 

『ホント!?』

 

 銅ランプの微かな灯の中、姦しい少女たちのはしゃぎ声が木霊する。

 そんなルームメイトたちの話に適当な相槌を打ちながら、メリーは先ほどの出来事を振り返っていた。

 

 

 一言二言の息も絶え絶えの中、最低限の報告を果たし大講堂の中央で気絶した人物は、"闇の魔術に対する防衛術”の教師クィリナス・クィレルであった。

 学者タイプのひ弱な魔法使いだとは思っていたが、まさか危険生物の中でも下位と書かれるトロールから命辛々逃げ出す程度の術者であったとは思いも寄らない。大講堂で監督生に連行される直前、倒れたクィレルと少し言葉を交わし無事を確認出来たものの、あの様子では今後が不安である。彼から『閲覧禁止の棚』の魔法書の貸し出し許可を貰わなくてはならないメリーは、明日からそれとなく気を配り護衛の真似でもするべきか、などと冗談染みた考えを浮かべた。

 

(それにしても、クィレル先生か……あの人意外とガード固いのよね。授業外にも私室へよく遊びに行ったりしてるのに中々禁書の閲覧許可をくれないし)

 

 男の名が連想させる難儀な障害にメリーは思い悩む。事実、入学より一月経って尚、少女は例の禁止書籍に触れることを一度も許されていなかった。

 クィレルは予想以上に神経質かつ秘密主義で、自身の“闇の魔術”に対する知識を披露することに消極的な人物であった。あの精神疾患持ちの変人教師なら頼み倒せば折れてくれると見込んでいたメリーも、最早何度目かもわからない己の見通しの甘さを自覚し溜息を吐く。

 

 組み分けの儀式で心を覗かれた“考える帽子”の一件が杞憂で終わり、いつもの冷静さを取り戻したメリーであったが、それと同時に限られた時間を奪うこの膠着した状況を早急に打開しなくてはならない焦りも覚えていた。

 受動的になってはしまっては本末転倒。やはり自発的に行動しなければ成果は得られない。少女はこれまでの学校生活を今一度振り返り、何とかあの禁書を読むことは出来ないものか、と思考を巡らせる。

 

 すると突然、あることに思い至った。

 

(あら…?)

 

 辿り着いたのは、ホグワーツでの日々で最も新しい10月31日、つまり先ほどのあのトロール事件である。ダンブルドア校長による非常事態宣言、寮へ戻った生徒たち、そしてトロール退治に地下牢へ向かった全教師陣。

 これらの事実から少女が連想することは一つだけ。

 

 

   今なら、5階の図書館周囲の監視は薄い。

 

 

 こくり、とメリーの喉が鳴る。その脳は目まぐるしく回転し、利益と損失を天秤にかけ、次々に浮かぶリスクへの対処法を慎重に脳裏で再現し検討していく。

 

(最近見つけた隠し路だしまだ確認はしてないけど、多分アレを使えばこっそり図書室に行けるはず…)

 

 不確実だが可能性は十分。しかし、危険を冒してでも挑戦するべきなのか。何かとトラブルに巻き込まれることの多い少女はどうしても二の足を踏んでしまう。

 

「……ふぅ」 

 

 少女は肺に溜まった熱を吐き出すように深呼吸する。幸い、緊張の解かれたルームメイトたちは皆この非常事態をスリルとして怯えつつも楽しんでおり、こちらに気付いた姿は見られない。

 

 さて、此度の突発的な、またと無いチャンスを生かすか否か。メリーは暫しの葛藤、熟考の末  勇気を出し虎穴に挑む道を選んだ。

 

 己はこの世界における異物。そして異物にとって、世界の拒絶に抗う意思の強さこそが目的遂行に不可欠なのだから。

 

 

「……不味いわ貴女たち、見回りのMiss ヘイウッドの足音よ。興奮して寝れないのならこれでも受けてなさい」

 

『え?』

 

 静かに、それでいて緊張を孕んだマエリベリーの声が少女たちの鼓膜を震わせる。先に寝たと思っていた彼女の言葉に驚くアボット、ボーンス、ジョーンズの三人へ、一本の不格好な棒の先端が突き付けられた。

 幼いながらも学校一美しいと名高いマエリベリー・ハーンが持つ、学校一歪で短いと噂される8インチのサクラの杖だ。

 

「【Dormi(ドルミ)(眠れ)】」

 

 小さく呟かれた一つの呪文の後、一同の目に青白い光が瞬き、直後少女たちは自身の意識を手放した。

 

 くたりと力なくそれぞれのベッドに体を預けるルームメイトたちに現れた魔法の効果を確認し、メリーは三人を自然睡眠に見せかけるため優しく布団を被せる。これでメリーを邪魔する者はいない。

 

 念のため、少女は鞄や衣類を自分自身に似たマネキンドールに変身させる。満足のいく身代わりを完成させたメリーは、続けて自身に【目くらまし術】の呪文をかけ透明になった。未だに持続時間は5分程度が限界のため、絶えず周囲の隙を見てかけ直し、万が一にはもう一つの手札である【縮小呪文】で物陰に隠れながら監視の目をやり過ごす必要があるだろう。

 

(…突然巡ってきた貴重なチャンスだし、無理しない程度に大胆に行きましょう。…大丈夫、流石に前回みたいにいきなり頭を覗かれるみたいな回避不能の大事故なんてそうそうないわよ、きっと…)

 

 先月の組み分けの儀式の恐怖を思い出し、メリーは怖気付く自分へ言い聞かせるように心を鼓舞する。幾度かの深呼吸の末、覚悟を決めたメリーは最後に自分の目を“変身術”で猫の目に変え暗視を確保し、ナイトガウンのまま静かに部屋の扉を開けた。

 

「…ごめんなさい」

 

 眠らせた騒がしいルームメイトたちも、これで見回りの女子監督生ベアトリス・ヘイウッドに減点されずに済む。彼女たちには明日そう弁論しておこう。

 小さく謝罪の言葉を残し、メリーは慎重に寮を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年10月31日 深夜

英吉利・蘇格蘭某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』地下1階厨房

 

 

 

 ハッフルパフ寮談話室を出て左へと続く廊下に、10を超す食べ物の静物画が飾られている。その内の一つ、最も談話室に近い正面の果物篭の油絵には仕掛けが施されており、描かれている洋ナシを擽ると小さな笑い声と共に絵画が緑のドアノブの扉へと変身する。

 通り抜けた先にあるのは大講堂の真下にある巨大なホール、年中竈の火が絶えない美食の園、ホグワーツ城厨房だ。

 

 メリーは【目くらまし術】が体にかかる冷たい感覚を維持しつつ、そっと寮の談話室出入口の樽をくぐり、地下1階の廊下へ出た。通路を通り地下2階へ赴けばスリザリン寮と、問題のトロールが出没した地下牢がある。が、そちらは現在教師陣が集まっており、好奇心に負ければ一発で減点と説教の懲罰セットを受けるハメになるだろう。

 少女が目指すは厨房、そしてその奥にある隠し階段である。

 

 『知識こそが境界の切れ目を明確化する』とは彼女自身の言。

 魔法に触れ、概念を理解したメリーは、魔法的手段によって秘匿されている空間を感知し、その境界を異能の力で通り超えられるようになっていた。果たしてそれを「異能の進化」と呼ぶべきなのか、それとも元の力の応用の一つに過ぎないのかはわからないが、少女はこの能力でホグワーツ城に無数に隠される秘密通路を幾つも確認していた。

 

 今回使用する隠し階段は、厨房にお邪魔したときに空間系呪文の痕跡が異能の感知に引っかかったことで偶然発見したものである。未だ確認出来てはいないものの、メリーはこの螺旋階段が図書室に繋がっていると密かに目星をつけていた。その理由はホグワーツ城の構造とその歴史にある。

 まず、辛うじて調べられた結果、階段は地下2階の地下牢から上層の大講堂を経て天文塔の最上部まで続いていた。ここで注目すべきは目当ての5階図書室が大講堂と天文台に挟まれていることで、つまり、構造上図書室の壁の中を上る隠し階段だからこそ、図書室そのものに出入りする秘密の扉がある可能性が高いのだ。

 また、建物とは人の動線に配慮して建てられるものである。この視点で「地下牢、厨房、天文台を垂直に繋ぎ、図書室の壁内を通る階段」の用途を考察すると、厨房への秘密通路に加え、「地下牢に寮があるスリザリン生が図書館へ忍び込むためのもの」という仮説を立てることが出来る。事実その仮説通りのことをやろうとしているメリーはそう推理し、そして期待していた。

 

 だがハッフルパフ生が例の隠し階段を誰にも悟られずに利用することは難しい。階段が始まるのは真下の地下牢だが、厨房から進入する出入口はホールの右手前の角。そこには四六時中料理を準備し、目を光らせている勤勉な者たちがいる。

 奉仕種族と呼ばれる小人たち、”屋敷しもべ妖精”だ。

 

 この魔法生物たちとメリーの付き合いは深い。少女は彼らの存在を知った直後に厨房を訪れ、出会った妖精たちに特別に追加で一日三食の料理や甘味を用意してもらっていた。理由はもちろん、ダブリンの拠点である隠し屋根裏部屋に引き籠る相棒、宇佐見蓮子へ【転送呪文】で届けるため。

 

   ああ、お嬢様! そのような雑事は我々にお任せくださいませ!

 

   一日三食、アフターヌーンティー付き。こちらでご用意しましたマエリベリー・ハーン様の【呼び寄せ呪文】専用の一角に必ず、揃えて参ります!

 

   我々ホグワーツの”屋敷しもべ妖精”は、お嬢様方の御為に!

 

 当初、厨房の端でも借りて自分で作らせてもらえないかと訊いたメリーに対し、返って来た反応はどれもこのような忠実な従僕らしいもの。驚きつつ幾度か会話し理解した彼らは、従順で、友好的で、忍耐強い根っからの奉仕種族であった。蓮子のこともあり土下座したいほど感謝しているが、頭を下げると慌てられるので自重している。

 

(いつもは蓮子の食事でお世話になってるけど、こういうときは失礼ながらお邪魔虫ね…)

 

 そんな不思議な”屋敷しもべ妖精”たちは、意外にも主である人間より遥かに優れた魔力を持つ。有名な独自の空間転移魔法を筆頭に、魔女や魔法使いと、杖も呪文も必要としない彼らの魔法はまさに種族の壁と言うべき大きな差があった。

 彼らを欺くことが最初の鬼門である。

 

 異能で廊下の魔法の扉を透過し、メリーは厨房入り口の壁の陰からホールの”屋敷しもべ妖精”たちを確認する。深夜も近いと言うのに休むことなく働く彼らが今回ばかりは疎ましい。

 小さな溜息を残し、少女は自身にもう一つの魔法をかける。【目くらまし術】との併用は高い集中力を要するため、事前に【閉心術】で余計な感情を封印し、準備が整ったメリーは小声で呪文を唱えた。

 

「…【Diminuendo(ディミヌエンド)(縮め)】」

 

 呪文の効果は対象の縮小。ネズミ程度の大きさまで小人化したメリーは集中力が切れる前に急いで厨房ホールの壁に沿って走り、間近の物陰へ飛び込んだ。

 

(ハウスエルフたちは……よかった、気付いてなさそうね)

 

 少女は目の前で自身の仕事に没頭する”屋敷しもべ妖精”たちの姿に胸を撫でおろす。卓越した魔力を持つ彼らも、別に魔力探知に秀でている訳ではない。事前に蓮子の手紙で彼らの生態は学んでいたが、どうやら想定外の危険はなさそうだ。

 少しずつ、メリーは周囲の死角を縫うように目的の隠し階段を目指す。歩いて30歩前後の距離が、まるで大都市の屋外を進んでいるかのように長い。ようやく階段へ辿り着いたとき、少女はジョギング後より酷い疲労感に見舞われ思わず尻もちを突いた。

 

(つ、疲れた……って、あら? 視界が狭まっ  しまった…!)

 

 時間切れだ。メリーの身を隠す【目くらまし術】と【縮小呪文】が解除され、元の11歳のメリーの姿が露呈する。

 

  おや、どなたですか?」

 

「…ッ!」

 

 運悪く見られてしまったのか、少女の耳に擦れ声が届く。慌てて異能で魔法の扉をすり抜けたメリーは、再度同じ呪文を重ね掛けし壁の隙間に隠れた。

 リズミカルな足音の後、勢いよく秘密階段の扉が開かれたのは寸後のところであった。

 

「どうかしましたか?」

 

「うぅむ…? 金髪の小柄なお嬢様らしきお姿を見た気がしたのですが」

 

「隠し扉は例のリズムの暗号を解かなければ開きませんよ。それにこの先は寮監のスネイプ先生もご存知ない大昔の隠し階段です。見間違えでは?」

 

「…そうですね。最近は厨房によくマエリベリー・ハーン様がいらっしゃるので、ふと幻覚を見てしまったのかもしれません」

 

「あの方は夜に校則を破って外出なさるようなお転婆ではないですよ。それより明日の仕込みの続きを終わらせなくては」

 

「おお、そうでした」

 

 誰何した”屋敷しもべ妖精”が同僚の言葉を受け警戒を解く。丁寧に扉を閉じ離れて行く足音を聞きながら、メリーは大きく息を吐いた。どうやら日頃の行いのお陰で何とかやり過ごせたようだ。

 

(…こんなだから蓮子に「外見詐欺」だなんてからかわれるのね、私)

 

 どこかケチが付いた気分になった少女は頭を振り、【静穏呪文】を足にかけ、静かに隠し階段を上って行った。先にあるのは、果たして目当ての図書室へ入る隠し扉か、それとも期待外れなただの石壁か。

 

 瞳に浮かぶ鮮やかな紫光が、期待と不安が渦巻く少女の心の内を表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年10月31日 深夜

英吉利・蘇格蘭某所 『ホグワーツ魔法魔術学校』5階図書室

 

 

 

 大講堂のスリザリン寮テーブル付近の壁内を上ると、目的の5階図書室の壁と思しき箇所から境界の気配が漂ってきた。その意味を知るメリーの顔が安堵と歓喜に綻ぶ。

 

(よかった、やっぱりあったのね…)

 

 辿り着いた気配の壁面には、魔法で空間が分かたれた隠し扉があった。湧き上がる感情を抑え、少女は慎重に空間の境界をくぐる。非常に強固な隠蔽および防衛効果を発揮する空間分断魔法の扉だが、メリーにとっては普遍的な実物の扉のほうが異能で透過出来ない分、むしろ助かったと安堵するべきであろう。もっとも、そんな彼女だからこそ発見出来た隠し通路とも言えるが。

 

 出た場所は5階図書室第6区画、通称『防衛術と初等呪術の棚』の一角であった。一年生はあまり縁のない書架で、それは同時に、図書室にある2つの『閲覧禁止の棚』の内の一つ、少女が焦がれる『上級防衛術の棚』の真横でもあった。

 

(…どうしよう、予想以上の幸運で逆に怖いくらい。というかここまで都合が良過ぎると、やっぱりあの階段は過去のスリザリン生が私みたいに密かに禁術を漁るために使ってたんじゃないかって疑いたくなるわね…)

 

 仮説の説得力が増したことに内心胸を張った少女は、魔法で音を消し『上級防衛術の棚』を遮る扉を開け中へ滑り込んだ。

 

 メリーの猫目の暗視に飛び込んできたのは、様々な異形の気配漂う不気味なチェインライブラリー。分厚い皮紙の書物、悪霊の邪気が漏れる巻物、中には有名な人皮の魔導書らしきものまである。これら危険物を“N.E.W.T.(Nastily Exhausting Wizarding Test)”を受験する17歳前後の高校生に触れさせるホグワーツの狂気を改めて実感しつつも、既に拠点の隠し屋根裏部屋で見慣れているメリーはその狂気に感謝しながら喜々として書架を漁り出した。

 

 

「ふーっ…」

 

 どれほどの間没頭し続けていたのだろう。凝り固まった体が小気味良く解れる音を鳴らし、ふと顔を上げたメリーは窓から差し込む月光が随分と傾いていることに気が付いた。適した異能を持つ蓮子ほどではないが、相棒から多少の天文学を教わっている彼女は経過した時間に瞠目し、慌てて散らばった書籍を片付ける。

 しばらくし、無音の中で自身の痕跡を消し終えた少女は、看護師ポンフリーとの会話以来の満面の笑みで『上級防衛術の棚』を後にした。

 

(まだ四半分も目を通せてないけど、とっても素敵よココ…! 絶対またお邪魔しましょ)

 

 悩みの種であったクィレルとポッターに憑く悪霊の魔術的除霊の手段から、結界と関わりがあると推測される【盾の呪文】の禁術指定された応用術など、ホグワーツ入学以来の素晴らしい成果にホクホク顔なメリー。

 

 だが、些か緊張感に欠ける彼女が唱える隠密用の呪文は、その内心を暗示するかのように制御が甘く、不完全であった。

 

 

 故にか。

 

 

  そこで何をしておられる…!」

 

 

 スキップでもしそうな足運びで秘密階段の隠し扉まで向うメリーを射抜いた男の怒声は、心臓を破裂させんばかりの驚愕となって彼女の幸福感を吹き飛ばした。

 

 図書室の回廊の奥、月明りの影に溶け込むように一人の黒ずくめの男が立っている。べた付く長い黒髪に闇色のローブを着たその人物は、ホグワーツ生に「育ち過ぎた蝙蝠」と忌み嫌われる、”魔法薬学”の教授であった。

 

「セブルス・スネイプ…!?」

 

 そして思わず男の名を叫ぼうと唇を開きかけた瞬間、寸前で少女の後ろから高い男声で同じ言葉が聞こえてきた。慌てて振り返り、発見したその人物の姿にメリーは瞠目する。

 

「校長は『地下室へ向かえ』と仰せのはずだ。違いますかな  クィリナス」

 

「…ッ!」

 

 顔面蒼白でスネイプを凝視していたのは、あのクィリナス・クィレルであった。目を疑わんばかりの現実にメリーは酷く混乱する。教師は全員トロール退治に地下牢へ向かったはず。しかし今、忍び込んだ深夜の図書館では、少女の最も縁のある教授二人が自分を挟むように対面しているのだ。この両者の不穏な関係を身を以て知っている彼女は、危うい【目くらまし】の制御を何とか取り戻し、抜き足差し足で物陰へ滑り込む。

 

(危なかった…! どうしてあの二人がここにいるのよ、ホント私って間が悪いことばっかり…っ)

 

 逃げようにもスネイプが隠し階段への入り口近くに陣取っているため迂闊に近付けない。動くのが難しいメリーは仕方なく、慎重に男たちの言い争いを盗み見ることにした。

 

「ひっ…わ、私はただ図書室に忘れてしまった杖を取りに  

 

「ほう、なるほど? 確かに杖が無ければトロールには勝てませんな。あんな豚畜生に怖気付いて逃げ帰るなどホグワーツ教師の恥と思っていたが、杞憂で何より」

 

「そ、そうですとも。だからセブルス、そっその杖を仕舞ってください。君の闇の魔法は恐ろしくて敵わん…」

 

 ヘドロのように絡みつくスネイプの声にクィレルだけでなく第三者のメリーまでも背筋を震わせる。

 

 一月弱のホグワーツ生活において、メリーが関心を寄せていた教師は二人。それが目の前のクィレルと、スリザリン寮監セブルス・スネイプである。組み分け帽子から自身の悪巧みが漏れる心配はないと悟った少女は自重していた探索活動を再開させ、書物やゴーストたちから幾つか目ぼしい情報を得ていたが、その一つがスネイプの興味深い経歴であった。

 

(相変わらずクィレル先生に攻撃的ね、あの人。私もクィレル先生に近しい人間ってことでたまに睨まれるのだけど、正直勘弁してほしいわ…)

 

 彼はかつてあの闇の魔術師集団“DEATH EATER(死喰い人)”の一人だと疑われており、ダンブルドア校長の証言で無罪を勝ち取った過去がある。また“闇の魔術に対する防衛術”の教授職に執着しているようで、事実クィレルに対する嫉妬からかよく彼に嫌がらせをしていた。

 メリーにとってはクィレルに次いで利用価値の高いスネイプだが、不本意ながら少女は最近、この二人の仲の悪さに巻き込まれつつあった。

 

「これは失敬。……しかし訝しい、訝しいとは思わんかね。手薄になった禁じられた廊下付近を貴様がウロウロしている理由がただ『杖を忘れた』だけ、などと」

 

「ッ、きょ、教師として恥ずかしい限りです。は、はは…」

 

「そういえば先々月に校長から重要任務を受けていた我が校の森番が賊に襲われたが、あれと最後に言葉を交わした人物は校長とポッターを除けば、貴様と  貴様のお気に入りのハーンの二人だったそうだな。益々訝しいですなぁ、クィレル教授」

 

「…!」

 

 両者の言い争いが終わるまで大人しく隠れているつもりであったが、唐突にスネイプの口から出てきた自身の名にメリーは思わずひゅっ、と息を呑んでしまった。

 

 

 だが静まり返った図書室回廊では、些細な物音すら木霊する。

 

 

「ッ、誰だ!」

 

 突然、少女の鼓膜をスネイプの大声が抉った。メリーは全身が飛び上がるほどの驚愕に襲われ咄嗟に唇を抑える。悲鳴を零さなかったのは奇跡に近い。

 だが状況は変わらず最悪のままだ。

 

「な、何です…?」

 

「…人の気配がした。そこを動くなクィリナス、すぐ戻る!」

 

「ひぃっ…!」

 

 何と言う地獄耳。揺らいだ【目くらまし術】を必死に制御し、メリーは辺りを鋭い目で見渡す教師から距離を取り物陰へ更に潜る。少女の怯える瞳に映るのは、頭部に杖を押し当て頻りに辺りを探るような仕草をするスネイプの姿。そして男は何かを感知したのか、続けて杖を鼻に当て鼻孔を鳴らし始めた。

 

「…香りの新鮮な女物の洗髪剤。魔女の賊か  いや、就寝前の女子生徒か…!」

 

 はっと気付いたときには後の祭り。おそらくは五感を強化する呪文の類か。犬並の嗅覚を得たスネイプがメリーの柔らかいシャンプーの匂いを辿り、少しずつ少女の隠れる本棚まで近付いてくる。

 

 不味い、不味い不味い。こんなことなら自分の【目くらまし術】を信頼しさっさと隠し扉まで忍び足で向かえばよかった。メリーは後悔と焦燥に臍を噛む。

 

(ああもうっ、こうなったら度胸で正面突破…!)

 

 絶たれつつある退路。その僅かな道筋に少女は懸ける。狙うは男の杖腕の逆、左側を透明のまま駆け抜け背後の隠し扉まで走ること。届きさえすればあの秘密の螺旋階段との空間の境界を異能ですり抜けられる。起死回生の一手で逃げられるチャンスはこれっきりだ。

 震える太ももを抓り、無理やり覚悟を決めたメリーは転がるように物陰から飛び出した。

 

「チッ、そこか鼠め!」

 

 威嚇ではない、正確な位置を把握した上での【失神呪文】が拳銃の弾丸のように容赦なくメリーへ殺到する。【目くらまし術】に【静穏呪文】を重ね掛けして尚スネイプの強化された五感は騙せない。恐怖に叫びたくなる衝動を必死に抑え、少女は歯を食い縛りながら本棚の間を疾走する。

 だが、呪文の衝撃で落下する数キロもの羊皮紙の書物に11歳の少女が耐えられるはずもない。巨大な本が頭上に現れたことを視界の端で捕らえたメリーは、咄嗟の反応で身を守ろうとしてしまった。

 

  ぁっ!」

 

 そしてその意思は  異能の適正故か  一つの魔法としていとも容易く具現化する。

 無言呪文を無数に繰り出すスネイプの視線の先。そこに突如として波打つ光の膜が現れ、落ちる魔導書を弾き飛ばしたのである。

 

「なっ!? 複数呪文、しかも無詠唱の【盾の呪文】だと?」

 

 学生の力量を遥かに超えた、高度な無言呪文を幾つも同時に維持する姿なき賊にスネイプの警戒心が跳ね上がる。迂闊に攻撃を放ち跳ね返される愚を避けたのか、それまでの連射爆音が嘘のように図書室は静まり返った。

 

「…ふん、生徒ではなく賊とはホグワーツも見くびられたものだ。だがそんな甘い【目くらまし術】で吾輩を欺けると思うな!」

 

 短い空白。その緊迫した空気を切り裂くように呪文弾幕が再開され、一部が少女の頭上、本棚へ向かい飛んでいく。炸裂する魔力に無数の書物がなだれ落ち、堪らずメリーは真上に【盾の呪文】を展開した。

 だが直後、少女は場慣れした魔法使いの恐ろしさを知ることになる。

 

「こうも容易く隙を晒すとはな。さあ、その薄汚い姿を見せろ  Homenum Revelio(ホメナム・レベリオ)(人現れよ)】!」 

 

「…ッ!?」

 

 その声を聴いた瞬間、本の落盤で体勢を大きく崩したメリーの全身を途轍もない悪寒が走り抜けた。

 

(隠蔽解除の呪文!? しまっ  

 

 この系統の呪文は得意の【盾の呪文】では防げない。咄嗟に書架の後ろに隠れ込もうと立ち上がるが、襲い掛かる攻撃呪文や書物、砕け散る本棚の木片が邪魔をする。直面する袋小路に心臓が狂ったように早鐘を鳴らし、極限の緊張に引き伸ばされた時間の中、メリーの体中を得体の知れないモノがゆっくりと侵していく。

 

 そして視界の端に見えた対面の窓には、少しずつ露呈する絶体絶命な自分の姿が  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから少女の意識は途切れている。

 

 気付いたらメリーは女子寮の自室のベッドの横で、荒い息のまま茫然自失と立ち尽くしていた。

 自分が何をしたのか、あの場はどうなったのか。無我夢中のことで何も覚えていない。

 

 

 ただ、遠のく意識が最後に捉えた、無数の不気味な赤色だけが、何故か少女の脳裏に巣食い続けていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 




”The Harry Potter Lexicon”という英ファンサイトでホグワーツ城のくっそ詳細な平面図を見つけたので、初耳の方でハリポタ二次を書いてるor書きたい作者さまにおすすめ

リンク直接貼るのはダメっぽい?ので一応自重

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