西暦1992年1月8日 朝
英吉利・蘇格蘭某所『ホグワーツ魔法魔術学校』中庭
相棒との共同研究に没頭したクリスマスホリデーも終わり、魔法学校の新学期が始まる。飛行機と電車を乗り継ぎキングス・クロス駅のホグワーツ急行へ乗車したメリーは、徹夜明けで猛威を振るう睡眠欲に身を委ね、気付いたら隣にいたハーマイオニー・グレンジャーの目覚ましコールでホグズミード駅付近で起こされた。
「ハッピーニューイヤー、マエリベリー。…びっくりしたわ、貴女を探してたら窓際にシンデレラが眠ってたんだもの。お疲れなの? あまり夜更かしは良くないわ。本で読んだんだけど、一日の睡眠時間が3時間を切ると大人になったときの脳の発達が 」
「相変わらずねハーマイオニー、新年あけましておめでとう。贈り物の羽根ペン、ありがたく使わせて貰いますわ。あと起こしてくれたお礼も」
「いいのよ別に。それより私、あんなに沢山友達からプレゼント貰ったの初めてだったわ! マエリベリーもステキなノートありがとう!」
イギリスの風習の一つにクリスマスのプレゼント交換がある。全く覚えの無かったメリーは軽い気持ちで目の前の少女含むグリフィンドール三人衆や寮のルームメイト、何かと心配してくれた寮監のスプラウト、そして打算込みでクィレルなど比較的親しい人物に贈っていたが、当日実家の診療所の閉じた暖炉に突然現れた百個近い包装箱の山に仰天し、慌てて蓮子と二人でお礼のカードを送り返すハメになった。その多くが男子生徒、一部が危険な香りのする女子生徒のギフトと知り相棒に大笑いされた記憶など、二度と思い出したくもないが。
下車ししばらく世間話を交わしたメリーは大講堂でグレンジャーと別れ、ルームメイトたちと久しぶりの再会を喜び合い、食後に流れるように就寝。その翌朝には早速授業が開始した。
「では皆さんの身体が忘れていないか、最初から確認しましょう。掛け声よぉい
『
午前最初の授業はスリザリンとの合同、教科は“飛行訓練”であった。以前医務室で一緒に入院したネビル・ロングボトムより聞いたこのレッスンの狂気に怯えていたのも今や昔。かつて“夢の世界”で見た妖怪たちのように空を自由に飛び回る箒飛行は中々に爽快で、普段は大人びているメリーも年相応にはしゃいでしまうほど。
難を挙げるなら、股に挟む箒と風に翻るスカートが気になることと、自身に箒飛行の才能が欠片も感じられないことくらいだろうか。
「おい、見ろよあれ。二か月も授業受けててまだ城の中庭から出られないヤツがいるぞ」
「自慢のお姫さまは勉強ばかりで箒もご満足に扱えないみたいね。そのへっぴり腰はマグル独特の飛行方法かしら? あまりに下品で見るに堪えないわ」
そんなメリーは類まれなる美貌と才能から穴熊寮の聖女として相応に注目されており、彼女の周囲には軽度の嫌がらせを仕掛けてくる他寮の生徒もいる。多くは気になる異性の関心を引こうとする初々しいリビドーに呑まれた少年たちであったが、特に才女の出自が気に食わないスリザリンとの合同授業では時折このように彼女を巡って双方の寮生同士が衝突することもあった。
「ふん! 血筋だけがご自慢のおたくらもようやくマエリベリーに敵うものが出来てよかったですねぇ、思う存分自分たちのボロボロな自尊心を癒すといいわ」
「全くだよ。ちょっと嫌味を言われたくらいで感情的になるなんて、どうやらスリザリンのお貴族さま方は“
「何ですって!?」
「黙れアボット、スミス! 劣等生一族が何様の分際だ!」
言い争いながらも確と教師ロランダ・フーチの目を避ける工夫を怠らない彼らは正しくスリザリン。態度は大きいながらその実臆病な心を持つザカリアス・スミスは同様に老魔女の様子を横目で警戒しているが、根っからのハッフルパフ、ハンナ・アボットはそこまで気を回す余裕はない。
「喧しい! 授業中に何を騒いでいるのです、Miss アボット! 箒から降りて終鈴まで下で立ってなさい!」
「えっ、私だけぇ!?」
案の定フーチの叱咤を受け、顔を怒りに赤らめながら箒を手放すアボット。友人を貶められ奮い立つ彼女は高潔だが、教師に叱られる姿以上に、周囲の喧噪に全く気付かず背後でフヨフヨと箒飛行にのめり込んでいる当の姫君との対比は何とも滑稽であった。
「ふぅ って、あら? 皆さんどうなされたの? スリザリンの生徒まで加えてお話なんて珍しいわね」
「…マエリベリーって噂じゃホントは別の寮に行くはずだったらしいけど、やっぱり噂は所詮噂だわ」
「完璧な人間なんていないさ、泳ぐ白鳥の例えみたいにね。フッ、まあウチの寮ではMiss ハーンに例えたほうがわかりやすいかな?」
「…お二人とも何か私にご不満かしら?」
何やらバカにされた気分でムッとするメリー。この少女、前日まで実家で相棒の蓮子と共に魔法や異能の研究、検証など、【閉心術】による感情制御が無ければ発狂していたかもしれない多忙な日常を送っていたため、いつも以上に大胆に魔女の箒飛行でストレスを発散していた。当然張り合いの無い相手へ嫌味を言う者などおらず、スリザリン生たちも不満足そうな視線を送るがメリーはどこ吹く風。
新たな年が明けど変わらぬ、いつも通りのホグワーツの騒がしい日々が開始する。
だが、そんな「いつも通り」の日常に隠れた魔法界の闇は、確実にメリーら魔女魔法使い見習いたちの明るい未来に少しずつ、その巨大な影を落としつつあった。
西暦1992年3月初週末 日中
英吉利・蘇格蘭某所『ホグワーツ魔法魔術学校』クィディッチ場
魔法界が誇る伝統遊戯、“
西暦1050年の記録に残る最初の試合会場「クィーアディッチ湿地」の地名に由来し、おとぎ話の魔女や魔法使いたちのように自在に箒を操り空を駆け、数種の特殊な球と得点輪を巡り競い合うチームスポーツである。非魔法族の現代社会におけるサッカーと同等の熱気があるこの競技は、各国の古代球技が時代と共に混ざり合い長い年月をかけ現在の形となった。例えばドラゴンが卵と巣を守る様子を真似たドイツの大昔の箒遊び“
その人気は絶大であり、世界的には西からアメリカ、東は日本まで実に45ヶ国もの国家代表チームが国際クィディッチ連盟に加盟している。毎年幾つもの国際大会が開催され、4年ごとに開かれる競技界最高の祭典「クィディッチワールドカップ」は毎度新聞の一面を独占する白熱っぷりで有名だ。
当然その人気は魔法界の最高学府を謳うホグワーツ魔法魔術学校においても例外ではない。寮同士の競い合いの集大成とも言うべき年間合計18試合の「ホグワーツ寮別対抗戦」は毎回学校中を巻き込む大騒ぎとなり、ライバル寮の生徒同士の暴行非行はもちろん、寮監の教師たちの間にも険呑な空気が漂うほど。まさに寮の威信を挙げた総力戦である。
そして月日が流れた二学期の半ば頃、季節外れの冷たい雨が降り注ぐ3月初週の土曜日。週末のホグワーツクィディッチ場では今、史上初の一年生選手を迎えたグリフィンドール対ハッフルパフ寮代表チームの試合が行われようとしていた。
「あのムカつくスリザリンの七連覇を阻止出来る唯一のチームとの試合なんて悩ましいわね。ウチが負けて欲しくないけど、勝って足を引っ張るのもしたくないし…」
「一年生なのに頑張ってるハリーもいるから、少し彼を応援したい気持ちもあるかも」
「おまけに審判があのスネイプだからね。スリザリンとグリフィンドールの嫌い合いのおこぼれって言うか、望んでもない審判贔屓で勝利しても全く嬉しくないよ」
試合当日、魔法の研究に一段落が付いたメリーは相棒の宇佐見蓮子へ送る土産話のネタを求め、同寮の生徒たちと共に試合会場まで足を運んでいた。黄色と黒の旗がたなびくハッフルパフ観客席で姦しくしているハンナ・アボットらに促され、少女はピッチの中央円へ向かう黒ずくめ男、”魔法薬学”教授セブルス・スネイプの姿を目に留める。
相変わらずの仏頂面の奥に見え隠れする暗い喜色は、これから行おうとしている不公平な試合審判の企みからだろうか。10月末のハロウィーン以後何かと男の動向が気になっていたメリーは、遠目からでもその顔色を読み取れるほどスネイプ限定の観察眼を磨き上げていた。
「そういえばMiss ハーンはスネイプ先生に虐められても平然としてますけど、あの人に対して何か思うところとかはないんですか?」
「…えっ? い、いいえMr. フレッチリー。どうして?」
「いえ、あんな目に遭ったのにまだクィレルと仲が良かったり、あの魔法史の授業を熱心に聞いていたり、貴女は好みの先生や授業が独特ですから正直色々と心配で…」
「…そこは勉強熱心で忍耐強いとおっしゃってくださる?」
興味深そうにスネイプの様子を見つめていたからだろうか。後ろの観客から急かされ偶然隣に座った少年ジャスティン・フィンチ=フレッチリーが周囲を代表するように尋ねてきた。彼はイギリスの
もっとも、そのせいで彼女にお熱なポッター以下全一年生男子から時々仇を見るような目で見られているのだが、人の敵意に鈍感な彼は学年の半ばになる今も未だ周囲の嫉妬に気付かない。
「ファンタジーな魔法生物や魔法のポーション、魔法使いたちの歴史が現世人としてはとても興味深いの。神秘への好奇心の前には教師の人間性など些細な事ですわ」
「学内不人気教師ランキングトップ3ですよ…? 同じマグル出身ですし気持ちはわかりますけど、薬で気絶させられた相手との付き合いを『些細な事』と言うのは限度があると思うんですが…」
「…何度も言うけれど、あれは私のためを思った結果起きた事故だったとクィレル先生も 」
「ちょっと二人ともマフラー振って! 始まるわよ!」
前席に座るアボットの声にハッと前へ向き直り、試合に集中する少年少女。
まるで鳥のように空中を縦横無尽に飛び回る選手たちは、箒飛行に憧れる老若男女全てを魅了する。側のマクミランやザカリアス・スミスと共に大はしゃぎしているフレッチリーの横顔は育ちの良い彼らしからぬ、年相応なもの。滅多にない同年代の男の子と肩が触れ合うこの状況に内心密かに動揺していたメリーだが、こうして見れば相手は皆まだまだやんちゃな子供だ。元大学生という高い精神年齢を持ちながらこの手の事に一切の免疫が無い未熟な自分を恥じつつ、少女は隣の少年たちから意識を逸らし、貴重な魔法界のスポーツ観戦を楽しんだ。
だが勝負とは何が起きるかわからないもの。特にクィディッチのように特定の条件を果たせば試合が強制終了する類の競技では、今回のように試合開始直後に決着がつくこともある。
「はぁ… 大活躍のハリーには悪いですが、僕は選手のワンプレーで試合が決まるこのルールはあまり好きになれませんよ」
「現世の球技と違って球場にボールが複数あるのも注意が散漫して、観客に不親切ね。立体的なダイナミックさが見ていて楽しい反面、肝心のルールが残念なのはスポーツとしてどうなのかしら…」
「…マグル出身の二人に気に入って貰えなくて残念だけど、確かに今日のゲームはクィディッチの悪いところが出た試合だったな。まあグリフィンドールの連中は真逆の意見みたいだけどね」
ホイッスルから僅か5分で試合終了の唯一条件である黄金の高速球、“
メリーは今日の試合の感想を楽しみにしていた相棒の蓮子にどう報告したものかと苦い顔をしつつ、項垂れるハッフルパフ生たちの後に続き席を立った。
(…あら?)
退屈そうにしているフレッチリーと、彼にクィディッチの魅力を必死に布教しようとしているアボットとマクミラン、という愉快な一団から少し距離を置きながら寮へと戻るメリー。そんな彼女の視界の端にふと、見慣れたターバン男の後ろ姿が映った。
足を止め男の行方を目で追っていると、続いて同じく見慣れた黒ずくめ男が少女の前を横切った。セブルス・スネイプである。
因縁の二人の奇妙な行動。メリーの脳裏に、思い出したくもない去年のハロウィーンの記憶が蘇る。
トロール騒ぎを治めるべく出払ったはずのスネイプに遭遇した深夜の図書室での出来事。少女を賊と間違え怒涛の魔法戦を仕掛けてきた彼は、クィレルを追って4階までやって来たと言う。
では何故クィレルはあのとき一人で図書回廊に居たのだろう。意図的に無視し続けていた疑問が再度呼び起こされるも、メリーは繰り返される彼の不可解な行動の真意にかつてない胸騒ぎを覚え、今一度思考を放棄した。
(…見なかったことにしましょう)
触らぬ神に祟りなし、と少女は去り行く教師たちから目を逸らす。結界巡りで数々の危機を潜り抜けたメリーも、流石に前回の深夜の図書室での一件には肝を冷やしていた。彼女の野望は常に危険と隣り合わせだが、避けられる危険にまで首を突っ込むような破滅願望は持ち合わせていない。
全く、どうして自分の周りはこう常に騒がしいのだろう。そう頭を振り、溜息と共に天を向く少女。
その紫の瞳が見上げた先に、箒で空を駆ける見慣れたライバル寮のクィディッチ選手の小柄な姿が映り込んだ。
「…Mr. ポッター?」
あまりに意外過ぎる光景を見たメリーは思わず箒の人影の名を呟いた。ハリー・ポッター、先ほどの試合で彼のチームへ最も素晴らしい貢献を果たしたエースのシーカーである。遠のく少年を見つめ続けるメリーはその背が向かう方角に嫌な既視感を覚え、ハッと息を呑んだ。
(ちょ、ちょっと…! そっちはあの二人が消えた“禁じられた森”じゃない)
慌てて周囲を見渡せど、危険へ突っ込むポッターを止めてくれそうな大人たちは見当たらない。無論彼の下まで飛べる技術も道具も無いメリーは助けを呼ぼうと先を進む生徒たちの団体へ近付こうとし、そこで思い止まった。
(そもそも何でポッター君は校則を破ってまであの森へ…? まさかさっきのスネイプ先生のアヤシイ動きが気になったとか、そんな子供っぽ )
立ち止まった少女は思考を巡らせ、確信する。そうに違いない、と。
ポッターとスネイプの不仲は有名で、メリーも時折彼とその友人たちから聞かされる魔法薬学教師の黒い噂は覚えていた。常にあの「育ち過ぎた蝙蝠」の弱みを握ってやろうと目を光らせている反骨心豊かな少年が、ふとした偶然に憎い男の不審な振る舞いを目撃したとき、彼の取る行動は決まっている。
そんなポッターを今ここで呼び止めれば、彼の口から語られる話の真偽確認にポッター贔屓の生徒たちが面白がってスネイプの下へ殺到するかもしれない。そしてそれはスネイプの追い掛けるクィレルを利用しているメリーにとって、甚だ不都合なことであった。
(生徒たちがスネイプ先生を尾行したら、当然彼が追うクィレル先生のアヤシイ行動も知られてしまう…)
クィリナス・クィレルという教師は現在、ホグワーツ内で僅かながら危うい立場にある。その原因の一つが、新学期直後に新入生のメリーことマエリベリー・ハーンを誤った水薬の使用法で気絶させてしまったこと。不運にも少女の飛びぬけた容姿による高い知名度が仇となり、彼の周囲には「可憐な少女を眠らせ暴行を加えようとした」、「新入生に新薬の人体実験を行おうとした」などの悪質な噂が飛び交うようになっていた。特にハッフルパフ生たちが表すクィレルへの嫌悪は尋常ではなく、クリスマス休暇に子供の語った彼の悪評を真剣に取った保護者たちが、校長ダンブルドアも動きかねないほどの突き上げを学校のポストへ叩き込んでいる。
奇しくも犬猿の仲たる悪名高きスリザリン寮監セブルス・スネイプと似たような状況にあるのだが、クィレルは彼とは異なり何らかの後ろ暗い目的をもって暗躍しているように見える。それが何なのかはメリーの知ったことでも、興味の対象でもない。だがこれ以上あのターバン教師の汚点が知られてしまうと本当にホグワーツを追放されてしまう。メリーは、現代社会の常識を知り、闇の魔術に造詣が深く、校内の誰よりも親しい関係にあると自負している貴重な協力者を失いかねないのだ。
よって。
「はぁ…… 子供が大人のイザコザに首突っ込んだらダメよ、ポッター君」
手折れんばかりの華奢な足が少女を運んだ先は、ルームメイトたちと共に目指した女子寮ではなく、魑魅魍魎が蠢く魔の森。
危険に飛び込む友人を制止させる善意。利用価値のある教師の悪行を隠蔽する打算。自分のこれまでの行為を棚に上げ、少年へ理不尽な悪態を吐くメリーは、躊躇うべきわかりきった危険にやむを得ず自ら飛び込んだ。
西暦1992年3月初週末 夕暮
英吉利・蘇格蘭某所『ホグワーツ魔法魔術学校』“禁じられた森”
神秘とは、人が未知なる大自然に抱く畏怖の具象である。そんな魔法の本質を体現しているのか、神秘の最高学府を自称するホグワーツ魔法魔術学校では 小学生から高校生までの子供たちが生活する環境ながら 即死もあり得る超級の危険区域が多数存在する。
そして、暗躍するクィレルたちと向こう見ずなポッターを追い掛けるメリーが足を踏み入れたこの地もその一つ。人を喰らう凶悪な魔法生物が巣食う魔法界有数の危険地帯、“
(うわぁ…… もうあの“夢の世界”で見た恐ろしい森と変わらない妖怪の世界じゃない、ここ)
行く手を阻む捻じれた木の根や垂れ下がる猿麻薯に内心悪態を吐きながら、少女は辺りに広がる不気味な樹海を溜息と共に見渡した。無風の森で騒めく木の葉、霧が視界を遮る泥濘んだ地面、悪臭に淀んだ冷気、唸る獣のような霜の軋めき。その全てが幼いメリーの精神を蝕む恐怖の因子。
だが少女の顔に怯えはない。結界遊びで似たような環境を彷徨い慣れている彼女は、悪路に何度と躓きながらも着実に目当ての男たちの後ろを追従する。時折見かける巨大な蜘蛛や半人半馬の異形の姿に目を輝かせるメリーの好奇心は、飛び級天才児の言葉では説明出来ないほど、まるで恐怖という感情そのものをどこかへ忘れて来たかのように狂気的であった。
(って、いけない。まずはポッター君を探さないと…)
いつもの冷静な自分に思考を切り替えた少女は、休暇中に覚えた【追跡呪文】を駆使し目当ての人物の下へ忍び寄る。
その少年は、何故か木々の隙間の藪に頭から突っ込んだまま逆さに釣り下がっていた。
「…Mr. ポッター、そんな恰好で何をしてらっしゃるの?」
「うわっ!? M、Miss ハ 」
「シッ、叫ばないで」
驚いて声を張り上げる少年の口を手で押さえ、落ち着かせる。しかし驚愕、困惑に続いて紅潮するポッターの内心を察し、メリーはサッと手を引っ込めお年頃の男の子から距離を取った。
「ど、どうして君がここに…?」
「あなたがスネイプ先生の後を付けるように空を飛んでいるのが見えたからよ。ほら、危険だから早く帰りましょう。クィディッチのヒーローが不在ではグリフィンドール寮のパーティー熱も冷めてしまうのではなくて?」
「あ…」
余計なものを目撃される前に穏便にここから離れさせようと述べた言葉だが、それなりの効果はあったらしい。しかしメリーの説得は、彼の僅かな葛藤のみに止まり失敗した。
「で、でもスネイプの怪しい動きも見過ごせないよ…! あいつが賢者の石を狙ってるのはMiss ハーンも知ってるよね。新学期に入ってようやく尻尾を見せたから、今度こそマクゴナガルを動かすだけの証拠を押さえてやる…!」
「…ああ、ハーマイオニーが何度もおっしゃってたアレね」
小声で興奮気味に宣言するポッターへ少女は白い目を向ける。
彼の言う「賢者の石」とは、永遠の命を授ける秘薬の根幹的材料のことを指す。高名な錬金術師ニコラス・フラメルただ一人が生成に成功した究極の魔法物質であり、その管理は当代最高の魔法使いアルバス・ダンブルドア校長が行っているらしい。
ポッター、ウィーズリー、グレンジャーのグリフィンドール三人組はクリスマス休暇以前からスネイプがこの賢者の石を狙っているとメリーに力説し続けていた。その度に少女は「またバカの探偵ごっこが始まった」と聞き流しており、故に今回も同じくさっさと話をすり替えようと彼を急かす。
「証拠を押さえるのも結構ですが、“禁じられた森”への侵入は50点以上の減点なのよ? 私はそれ以上を自分で稼いでいるから受けても全く構わないけれど、あなたはいかが?」
「うっ…!」
説得二回目、どうやらこちらはかなり少年の心を揺さぶっているようだ。メリーは確かな手応えに心中で頷きポッターの手を引いた。
「はぁ… 全く、考え無しなんだから。ほら立ちなさい、Mr. ポッター。一日で試合の英雄から寮杯の戦犯へ転がり落ちたくなければ、急いでこの場から離れ 」
それはまさに二人が腰を浮かそうとした瞬間であった。霜を踏み締める鳴くような音と共に二人の人影が現れ、少年少女の隠れる藪の目の前で言い争いを始めたのだ。
メリーは悪化した状況に臍を噛む。ポッターに見られたくなかった、クィレルの暗躍現場だ。
「セ、セブルス…? な、何故このような場所で話などと…」
「知れたことを。生徒に聞かれては不味いのはお互い様ではないかね? …“賢者の石”の存在は我らだけの秘密であるが故に、な」
顔をしかめるメリー、戸惑うポッター、二人揃って驚愕する会話内容だ。だが少女の予想に反し、どうやらスネイプはクィレルを尾行していたのではなく、彼との待ち合わせにこの場まで足を運んだらしい。
(どういうこと…? この二人の関係って、授業の教授職の因縁だけじゃないのかしら…)
男たちの間に漂うのは、どこか以前の図書室のときの突き刺すような敵意とは違う、別の険呑な雰囲気。例えるならスパイの密会のような緊張感か。敵対しているはずの両者の意外過ぎる間柄にメリーは瞠目しつつも頭を抱える。クィレルに裏があるのは薄々気付いていたものの、まさかあのハロウィーンの出来事以後、天敵のスネイプと結託していたとは。
困惑する少女を余所に、教師たちの密談は続く。
「そ、そのような恐れ多い 」
「下らん妄言は止めたまえよ、クィレル。問題はハグリッドの猛獣であろう? そろそろ如何潜り抜けるか、貴様の“主”の知恵を授かれた頃合いだと思ったのでな」
「…ッ!」
また隣のポッターが息を呑む。それなりに大きな音であったが、流石のスネイプの地獄耳も屋外ではなりを潜めるらしく、二人の気配は未だ悟られていないようだ。出来ればこれ以上余計で危険な話を聞いてしまう前に逃げ出したいが、正義感溢れる英雄少年は、想い人の縋るような無言の意思表示にさえびくともしない。
「グリンゴッツでの引き渡し時に貴様とハグリッドが遭遇したまでは校長の掌の上とのことだが、まさかヤツが極秘任務の内容を同僚とは言え部外者に漏らす大馬鹿者であったとは、流石の狸爺でも見通せなかったようだ。もっとも貴様が杜撰な襲撃などしたせいで、石の警備が厳しくなったのは自業自得と言わざるを得んがね」
「き、君はさっきから、いっ一体何を言って…? わっ私にはまるで意味が 」
「否、否、否。貴様は吾輩の言わんとしていることを全て、完璧に理解しているとも」
顔面蒼白で小心者の風体のクィレルへ、黒ずくめ教師が更なる言葉の追い打ちをかける。親しいメリーはターバン教師の二重人格ならぬ猫被りに気付いているためスネイプの言葉に頷けるが、何も知らないポッターはその限りではない。逃げようと袖を引っ張る少女と、好奇心を押さえられない少年の静かな攻防は、男たちの密談が終わるまで続いた。
「ふん。精々その下らん児戯が暴かれぬよう用心しておくのだな。…貴様が真に捧ぐべき忠誠の在りかが何処にあるのかは、いずれまた問うとしよう」
そう言い残し、スネイプが森を去る。メリーは取り残されたクィレルが一人の場で本性を露わにする前に撤退すべく、全力を振り絞りポッターを現場から引き剥がした。
離れずに付いて来つつも文句を言うポッターを無視し、【消音呪文】と【目くらまし術】でクィレルから離れるメリー。その心には強い焦燥と後悔の念が渦巻いている。
明らかに聞いてはならなかった、犯罪色の濃い密談。しかしクィレルが何らかの目的を持って暗躍していることを既に知る少女にとっては想定済みの内容だ。
メリーの苦悩は、彼の密会現場に第三者のポッターがいたことである。
だが、さてどうクィレルの悪行を誤魔化すべきかと眉間に皺を寄せる彼女の内心をよそに、典型的な
「 それにしてもスネイプめ、関係ないクィレルを巻き込もうとするなんてとんでもなく悪いヤツだ…!」
「……はい?」
困惑するメリーに少年は自身の憤りを言葉にする。
「Miss ハーンも聞いたよね? あいつはクィレルを脅して自分の代わりに賢者の石を盗みに行かせようとしてるんだ! クィレルの『下らん児戯』がどうとか言ってたし、ハグリッドのフラッフィーのことだって…… もしかしたらフラッフィー以外にも沢山の番犬や仕掛けが石を守ってて、クィレルも闇の魔術を遠ざける呪文を使ってスネイプの侵入を邪魔してるのかもしれない…!」
「…なる、ほど?」
捲し立てるポッターに少女は首を捻るばかり。おそらくスネイプが悪者であるという強固な先入観に視野が狭まり、自分の推理の証明に繋がる一部の言葉しか頭に入らなかったのだろう。
子供らしい呆れるほどに短絡的な思考だが、今回ばかりはメリーにとってこの上なく都合が良かった。
「不味いよ、どうしよう… クィレルがスネイプに屈してしまったら、石はあいつのものになってしまう!」
「…ではクィレル先生がスネイプ先生の魔の手にかからないよう、氏を支えて差し上げればよろしいのではなくて?」
「 ハッ! そうだよ、僕たちがクィレルを助ければいいじゃないか! 流石Miss ハーン! なんで君があんな変人と仲がいいのか今までわからなかったけど、最初からクィレルがいい人だって知ってたからなんだね!」
「えっ? え、ええ。ありがとう、お褒めいただき恐縮ですわ」
迷走する魔法界の英雄殿の頭の出来を心配しつつ、少女は小さく安堵の溜息を零した。
懸念していたポッターのクィレルに対する不信が真逆のものとなり余裕と冷静さを取り戻したメリー。そして、いよいよ無視出来ない領域へ踏み込んでしまった彼女は、今度はあのターバン教師の謎に頭を悩ませる。
賢者の石、“
特に不穏に感じた言葉を羅列し、それらが導く男の闇を垣間見る。彼の体に巣食う異物の正体について、相棒の蓮子と考えた推測や憶測の数々が、少しずつその確たる姿を形成し始めていた。
(杞憂で済めばいいのだけど、私に限ってそんな平和的な願いは叶わないのよね…)
少女が溜息混じりの祈りと共に見上げた、春が近付く三月のスコットランドの夕焼けは、芽吹きの季節に水を差す不気味な黒雲に覆われていた。