陽だまりの乙女 作:天照院
途中まで子守唄をエルフ語に訳していたのですが、勉強不足で諦めました。
闇の森の王子こと緑葉のレゴラスは、イムラドリス(裂け谷)へと足を踏み入れた。
父の名代として、数人の従者を連れて裂け谷を訪れたのである。
エルロンド卿が治める裂け谷に来るのは、本日が初めてであった。
レゴラスはエルロンド卿に歓迎され、その谷の館で7日ほど過ごす事となった。
この谷は、本当に心穏やかになる。
自分の育った、暗い闇の森には無い柔らかい光と風を全身で感じながら、レゴラスは谷にある小さな森林の中を一人で歩いていた。
「ん……?」
レゴラスはその場で足を止める。
美しい木漏れ日の光りがさす、森林の何処からなのか、微かな歌声が聴こえてきたからである。
何だか哀しげだな。
その歌は何とも哀しげに聴こえる。このまま聴き流していいのだろうかと気になったレゴラスは、歌声のする方へと行ってみることにした。
愛しい光 我が娘。
母の腕に抱かれて眠る子よ、
いつまでも愛しき我が子よ、
今は小さき愛しい光、
イシルの煌めき アノールの輝き、
全ての光を浴びて生まれた愛しい子よ、
今は母の腕の中で眠りなさい。
愛しい娘 我が光。
透き通る様な愛らしい声だ。歌声の主は、どうやら子守唄を歌っているらしい。
──見つけた。
少し開けた谷川のほとりに、その歌声の主はひとりで立っていた。
薄紅色のドレスを身にまとい、木漏れ日を浴びてより輝く、銀に近い金色の髪をした女のエルフは、背後でレゴラスの視線を感じ取ると、ゆっくりとそちらへ振り向いた。
なんと美しい……。
吸い寄せられる程に碧い大きな瞳が印象である美しいエルフは、レゴラスを一目見て一瞬、大きな瞳を更に大きくして驚いた様子であった。
「Mae govannen.(こんにちは)驚かせるつもりは無かったのです。目的の場所へ向かう途中、貴女の歌声が耳に入った」
レゴラスがそう言えば、女エルフは申し訳なさそうな顔をした。
「わたくしの歌で貴方の足をお止めしてしまったのですね、謝ります」
女エルフの第一声は、歌声とはまた違って、心地良く柔らかな声で発せられた。
「どうか謝らないで。貴女の歌声に惹かれ、此処へ足を歩めたのは私なのです」
レゴラスはゆっくりと距離を縮めて微笑んだ。
「少し、哀しげに歌うのですね」
哀しげな子守唄など初めて聞いた。レゴラスは、思わず女エルフに訊いてみたのである。
「あれは母が──、わたくしの母が、わたくしの為に歌ってくれていた歌なのです。時々こうやって、ひとりでいる時に歌ってしまうのです」
女エルフは目を伏せた。
何かあったのかもしれない。少し気にはなったが、レゴラスこれ以上深く詮索するのを止めておいた。
「……あの、屋敷のどこかに向かわれるのでは?」
女エルフは、先程までの伏せた表情を変えると、優しく微笑み返しながら言った。
特に急ぎの用事は無い。こうして裂け谷の小さな森林を散歩していただけなのだから。
しかし、ここでレゴラスは女エルフの様子を察し、「ああ、忘れてしまうところだった」などと思い出したような素振りをして見せた。
「では、私はこれで」
去ろうとした時、「そうだ……」レゴラスは振り返った。
女エルフの名前を知りたく思ったからだ。
「Man i eneth lin?(貴女の名は?)」
すると女エルフは、真っ直ぐとレゴラスを見つめて言った。
「いつかお会い出来るその時に」
女エルフは「Cuio vae」と別れ際にそう言って、レゴラスが向かう方向とは別の方向へと先に立ち去って行った。
女エルフの去って行った方向に後ろ髪を引かれながら、レゴラスもその場を後にした。
それから7日の滞在の間、女エルフには一度も会わなかった。
裂け谷にいたエルフなのだから、誰かに訊けば名前くらいすぐにわかっただろう。しかしレゴラスはそれをしなかった。
『いつかお会い出来るその時に』
女エルフはそう言っていた。
彼女とはまた会える気がする。
それがいつかはわからない。
何日後か何ヶ月後、数年後かもしれないし、何百年後かもしれない。けれどまた出会える。レゴラスはそんな気がしたのだ。だからあえて誰にも訊かなかった。
──その時、貴女にもう一度名を訊こう。
レゴラスは従者と共に、闇の森へと帰って行った。
二人の再会はそれから100年後。
一つの指輪をめぐり、二人は再び出会うのである。