よろしくお願いします。
大きな空間の壇上から学長の声が響いていた。
大講堂で行われている入学式。参加者は皆スーツ姿。
本当なら新たな生活に心震わせているところなのであろうが、彼の心は沈んでいるようだった。
その眼に未来は写っておらず、音が鼓膜を震わせても、心を震わせる事は無く、見える景色は色褪せていた。
この学び舎に彼女はいない。ついひと月前までは当たり前だった声も、姿も、景色も、全て過去になった。
想いを伝える勇気を持てず、かといって諦める決断をすることもせず、他の異性よか少しばかり近しい友人であっただけ。
ただ心地よいだけのぬるま湯に浸り続け、胸の内で燻り続けた想いは今になって彼の心を蝕んでいた。
卒業式のその日も別れの言葉を交わした。いつも元気でハツラツとした彼女も、そのときは少しばかりしおらしかった。
少し涙ぐんでいるような彼女に、また会えるかと聞かれたときには、はっきりと答えられず、ただ、わからない、とだけ返していた。
絶対に会いに行く、などと言って告白でもしていれば、少しは恰好が付いたのだろうか。
そんな後悔ばかりが胸の内を駆け巡る。
てっきり、別れというのは卒業というもので実感すると思っていたのに。
その時感じていたものは、どうやらただの区切りや終わりだったのかもしれない。
そうでなければこの入学式という新たな出会いや始まりの時に抱いているこの感情は何なのだろうか。
この胸の寂寥が別れの感情でないとするのなら、本当の別れを知るのは、一体いつになるのだろうか。
式が終わり、みな思い思いに散っていく。知人と共に会話に花を咲かせているもの、新たな友人を作るもの、皆未来へ歩いているというのに、彼は歩むことはできず、ただ眺めることしかできずにいた。
大講堂から抜け出し、4年間通う建物を見て回ってみることにしたらしい彼は教室などを回ってみることにした。
幸い入学式の日ということもあり、様々な場所が解放されていた。大学らしい教室や、広めの学食など高校とは設備や規模が比にならなかった。
しばらく学内を散策したあと、一人暮らしのアパートへ帰ろうと、大講堂前を抜けようとすると、そこに人の波ができていた。
雰囲気から察するに、サークル勧誘らしい。
今はその人垣に飛び込む勇気も体力も持ち合わせていなかった。来た通路を少し戻り裏側から出ることにした。
幸いなことにこちらの方にはあまり人はいないようだ。
裏手から出ると道のところどころに桜色の物が落ちていることに気付く。
その色の名が示す通り桜の花弁だった。ちょうど大学の裏側の小さな広場に、隠されるように一株立っていた。
この建物を建てるときに植えられたのか、それとも昔からここにあり、移り行く街並みから取り残されてしまったのか。今の彼には後者に見えている。
真実がどうあれ、今の自分の心境をこの桜の木に映し出しているのかもしれない。それは、まるで自分が写っている鏡のようだった。
卒業式の日は、まだ彼女が近くにいたあの時は、蕾ばかりで満開とは程遠いものだったのに。今になって桜は花弁を開いて、ここに咲き誇っていた。
きれいな桜ではあった。自分の目も桜色を認識していた。ただ、眼に写るその色は、やはりどこか色あせて見えた。
静寂。
人通りがほとんどない、大学裏手の小さな広場で桜と出会った。
その時、どくん、と、鼓動を感じた。
ただの自分の心臓の鼓動だ。喧騒から抜け出して、静かな場所へ出たために聞こえただけに過ぎないもの。
それでも彼はこう感じたのだ
サクラノコドウ
だと。
3年前、彼女の言っていた星の鼓動の意味がやっとわかった気がした。
もう少し、この桜の鼓動を聞いていようか、などと考えて木の根元に腰を下ろす。
あの時、彼女は楽し気に語っていたので、きっと心地の良いものなのだと思っていた。
今、こうして感じてみてはっきりわかった。
この鼓動こそが、鏡だった。
自分の感情を映し出す鏡。
美しい物を通して鼓動を感じて、意識する胸の内。自分の側からは視えないそれを視てしまったような感覚。
それが彼女の感じた星の鼓動、彼の今感じている桜の鼓動の正体なのかもしれない。
そして今視えている感情は、まさしく恋なのだろうと、そう彼は思った。
卒業式のあと、何度も捨ててしまおうと思ったもの。消し去ってしまおうと思った感情。その燻っていた感情の火がまた少し燃え出した。
この胸を灼いているのがわかる。
まさしく、胸を締め付けるようなこの痛み。
もう慣れてしまっていたと思ったそれを感じていた。
こんなにも痛かったか、と。自分はこれほどまでに彼女のことを好いていたのだと、そう思った。
そんな風に桜を見上げているとジャケットの中のスマートフォンが音とともに震えた。
メッセージの送り主を確認すると、
「あ…」
思わず声が出た。
『戸山 香澄』
高校時代から、想いを寄せていた、たった今想いを馳せていた、彼女の名前がディスプレイに表示されていた。
『入学式どんなかんじだった?
私たちはこんな感じ!』
というメッセージと共に写真が送られてきた。
スーツを着て、少し化粧もしている5人組。
Poppin'Partyのメンバーがそこにいた。
随分と大人びて見えるが、みんな高校を後にしたその日からあまり変わってはいないような感じた。
どんな言葉を返そうか思案する。
入学式。ずっと君の事を考えていた、などと素直に言えたなら。
そう言えたなら、何かが変わるのだろうか。あの時素直に気持ちを伝えていられたのなら、何かが変わっていたのだろうか。
否、言えないから、今こうなっている。
そう切り替えて再び頭を巡らせる。
『入学式は学長の話長くて頭入ってこなかったなぁ…
心ここに在らず?みたいになってたかも』
幸いにも取り繕うことは得意だった。伊達に3年間、片想いを続けていたわけではないということだろうか。
返信はすぐに返ってきた。
『え〜!せっかくの入学式だよ?
もったいないよ〜!』
いかにも彼女らしい感想だ。
やはり、彼女とのやりとりは心地いい。
ただ、その心地よさは纏わりつくものだ。
そこに彼を留めようとする。その先へ進ませまいとその心に絡みつく。ここで満足してしまえと。足を踏み出せば何もかも失うかもしれないと。
その感情に囚われてか、以前と変わらないやりとりが続く。
少しだけ心は満たされた。ただ、乾ききった心の痛みを知ってしまった彼は、またそこへ戻ることを恐れた。
だから、1枚の写真を送ることにした。
少し、ほんの少し前へ進んでみる。
たったいま撮ったばかりの写真を送った後に、こう続ける。
『卒業式の時には咲いてなかったよね
いっしょに見たかったな』
少し勇気を振り絞って。
返信は返ってこない。
既読はついていた。
想いが不本意な形で通じてしまったのだろうか。それならあまり良い印象ではなかったらしいと合点した彼はまた木の根元で縮こまる。
しばらく、ここにいさせてくれと心の中で桜に告げて。
遅かれ早かれこうなったのだと。会うことがなくなって、メッセージのやり取りが続いてもいつかは終わる。そのいつかが今だっただけだと、自分を無理やり納得させる。
それでも、
戸山香澄は、送られてきた写真と、その後の言葉を見て、談笑していた4人の友人に、
「ごめん!ちょっと行ってくる!」
とだけ伝え、走り出した。
いま抱いた想いを消さないために。
「ったく、転ぶんじゃねぇぞ!」
「香澄ちゃん、気を付けて」
「青春だ~」
「香澄、頑張ってね!」
友人の言葉に背中を押されてひた走る。
彼の大学は知っていた。その大学は厳しそうだと感じた過去を思い出しながら、最寄りの駅まで走る。パンプスを履いている足が悲鳴をあげる。電車に乗れば休めると言い聞かして、いまはただ、走った。
息も絶え絶え、改札にICカードを触れさせて、ホームへと駆け上がり、電車の自動ドアに体を滑り込ませる。
なぜ彼女がこんなになっているのか。
理由は明白だ。
彼女も彼と同じだった。
現状に甘んじ、変わることを恐れた。想いを抱えながらも、心地よさに纏わりつかれ動けなくなっていた。
ただ、彼女も少しだけ前へ踏み出してみたのだ。だから入学式の様子を聞いたりなどした。
そうしたら、言われたのだ、一緒に見たかったと。
(私だって…見たかった…!あの時…一緒に…!)
だから、走る。ただがむしゃらに。
彼の大学の最寄駅から飛び出した。電車の中で耳につけたイヤホンから音声案内が聞こえて来る。
大学への最短ルートはマップアプリが教えてくれる。
彼がどこにいるかなんて本当はわからない。だけど、会える気がした。
彼女がそこへ向かう理由はそれだけで十分だった。
この胸の内に再び灯った想いを、伝えるために。
そこから、しばし走ると目的の建物が見えてきた。
桜の写真を送ってきたのだから、屋外なのだろう。
この近くでなければお手上げだと思いながら、足を休めるついでに周囲を見渡してみる。
近くには桜の木のようなものは無かった。
やっぱり…と肩を落としながら、せっかく来たのだから大学を見て回ろうと足を進める。
外観を見ながら歩いていると、大学の裏手に回る道を見つけた。
その先に見えたものは、
(桜の花びら!)
ここまで走ってきた疲れも、足の痛みも忘れその花びらの主を探す。
少し道を進んだところにその木は立っていた。
それは、彼女が探し求めていた桜の木。
その根元に縮こまっていたのが、写真の送り主の彼だった。
近くに気配を感じて頭を上げる。学友に見られたのだとしたらどう言い訳しようかと考えながら。だが、それこそ杞憂だったらしい。
なぜならば、
「えっ…なんで…」
「一緒に見たいって、言ってくれたから」
恋い焦がれていた彼女が、そこにいた。
言葉を失っていると、
「隣、良い?」
「うん、良いよ」
そうして二人で桜を見上げる。心なしか先ほどよりも桜が鮮やかに見えた。
「……」
「……」
しばらくの沈黙が二人の間を支配した。
柔らかな風と、春の日差しが二人を包み込む。
ただ、穏やかな時がそこにあった。が、彼の心中は穏やかなそれではなかった。
隣に、彼女がいるだけでこんなにも鼓動が早く打つとは思っていなかった。改めて自分の中にあった想いを再確認した。
ふと、彼女の方に目をやってみる。
彼女は愛おしそうに桜を眺めていた。まるで花が揺らめく瞬間を、花弁が散りゆくその時をひと時も見逃さないかのように。
ステージの上で見ることのない表情をして、見つめていた。
すると、彼女の目が桜からこちらの方へ向いた。
「「っ……」」
瞬間、二人の目がまた、桜へと戻る。
気恥ずかしさが勝ってしまい、どうにも目を合わせられなかったのだ。
目を動かさずに、彼女はどうなのだろうかと少し窺ってみる。
彼女もまた桜に目を戻したようだった。
だが、少し顔が動いてこちらへ向いた。こちらを窺うように。
ならば次は、少しでも見つめられるようにと自分を奮い立たたせる。
勇気を持って、今度は目を合わせに行ってみる。
「「……」」
次は1秒かそこら、見つめあっただろうか。紫水晶の瞳に見つめられるとどうにも照れくさくなってしまう。多分顔は夕焼けに照らされているように赤いのだろう。
「やっと見れたね、桜」
彼女がそんなことを口にした。おそらくPoppin'Partyの面々と共に今日の日の桜などとうに目にしているだろう。
だとしたら、その言葉の本当の意味は…
「そうだね、やっと、一緒に見れた」
口に出して言うと存外恥ずかしいものだった。
それでもやっと自分の言葉で気持ちを伝えられたかもしれない。
「だから、今言おうと思うんだ。あの時は言えなかったから」
今度こそ、後悔はしたくなかったから。想いを告げようと口から声を紡ぐ。
すると
「待って」
と彼女から止められてしまった。
「多分、多分ね。私も同じなんだ。だから一緒に言お?」
「えと、一応理由聞いてもいい?」
「は、恥ずかしいから…」
と、すこし目を揺らがせながら歯切れが悪い彼女はらしくはなかったが愛おしく見えた。
「わかった、じゃあ一緒に言おうか」
この想いが、彼女も同じであると願って。
不安と期待の入り混じったモノが胸の中を満たしていく。
少し強い風が吹いて、止む。
直後。
「好きだ」
「好きだよ」
目と目を合わせ、伝えたい想いを声にのせて。彼女の想いを受け取った。
春が色に満ちていった。
色褪せていた季節が嘘のように彩りに溢れた。
「良かったぁ…!」
と言いながら彼女が胸に飛び込んできた。
その目は潤んでいて、声は震えていた。
つられて少しだけ涙ぐんでしまう。
「なんで、泣くのさ」
「だって、不安で、もう会えないかと思ってて、でも好きって言ってくれて、嬉しくて」
「そっか。でも、俺もそんな感じ」
彼女を抱きとめながらそう返す。
それと、あの時伝えられなかったことをもう一つ。
「あの時言えなかったこと、もう一つあるんだ」
「え…?」
「どこに行っても、必ず会いに行くから。今度は俺が」
「うん…うん…!」
「でも、今はもう少し一緒にいよう」
そう言って、少し腕の力を強める。そうすると彼女の鼓動を感じる。
平時より早いであろうそれは、確かに彼女がそこにいることを教えてくれる。
しばらくして落ち着いた彼女が顔を上げる。
「「っっ…!」」
その距離で見る瞳はあまりにも綺麗で、また目が離れる。
ただ、その時は一瞬で
「ねぇ」
と、彼女から声がかかる。
ふっ、と顔を戻すと先程より近くに彼女の顔が映り、そして
「っ…」
唇が触れた。
すぐに離れてしまった彼女は顔を真っ赤にしながらも、
「えへへ…」
照れくさそうに微笑んでいた。
おそらくは彼女以上に赤くなっている自分が恥ずかしくて、ただ彼女とキスをした事実がそれ以上に嬉しくて。ただ、されっぱなしはなんとなく悔しくて。今度はこちらから。いつも後手ばかりだけれど、それはいつか、次は自分が会いに行くからと言い聞かせて。
「んんっ…」
相変わらず、唇を触れさせるだけのキス。ただ、さっきよりは長い間触れ合っていただろうか。自分の好きを伝えられただろうか。
それを祝福するかのように桜が雨を降らせる。
文字通り桜色の雨。
少しの間、二人でその余韻に浸ってか、ただ気恥ずかしさで口が動かなかっただけなのか。しばらく時が流れた。
「そう言えば、星の鼓動、俺も聞いたよ」
「えっ!?本当に!?」
「うん、もっと言うと、桜の鼓動。目、閉じてみて。多分聞こえるよ」
そう言うと彼女は目を閉じた。
「本当だ、ちゃんと聞こえる。」
聞き入っている彼女に、彼もしばし付き合う。
その時間がとても幸せで時が経つのを忘れてしまいそうだった。
どれほど時間が経ったのかわからないが、遅くなるのも悪いと思い、
「そろそろ、送ってこうか」
と立ち上がると
「もうちょっとだけ、ここにいよ?」
「でも、遅くなると悪いよ」
「いいじゃん、いいじゃん!ちょっとだけ!」
と、手を取られまた根本に座らされる。
にこにことしている彼女の隣に。
せっかくこんなに綺麗な桜なのだ、確かに去ってしまうのももったいない。
それに、こんなにも色の溢れる季節を彼女と過ごせるのだから。
桜の淡いピンク色や中天の空の濃い青、生い茂る草木の緑色や土の色。
春はまだ、始まったばかり。
投了です。
またそのうち上げたいですね。
執筆に慣れてきたら連載なんかも。
それでは。
Twitter置いておきます。
絡んでくれると懐きます。
@glint_ruru