トウモロコシの神、捨て子に邂逅する
遥か昔。
まだ神秘が色濃く残っており、神と人とが同じ大地の上に根を下ろしていた時代。
時刻は夕刻、まさに太陽が沈まんとしているとき。
北米大陸の南端付近の上空を、一柱の神が泳いでいた。厳密にはその化身であるが。
大地を覆う双翼には、燃えるような赤に黄金のライン。そこに碧の星が散りばめられ、荘厳な雰囲気を纏っている。彼は悲しみに満ちた双眼で自らの下、流れ行く故郷の景色を名残惜しげに眺めていた。
彼――ケツァルコアトルは豊穣と繁栄、幸を運ぶ風の神であり、アステカの民からも慕われ、崇拝されていた。だが、いまや彼は故郷を――アステカを追われた流浪の神である。
全ては夜、魔術、黒曜石、戦争、支配、予言を司るアステカ最強の神――テスカトリポカの策略に彼がまんまと引っ掛かってしまったからである。
彼らの不和の原因は過去の因縁である。ケツァルコアトルとテスカトリポカは太陽の座を巡り、何度も衝突した宿敵であった。
だが、四度の滅びを経て小さき神――ナナワトズィンの犠牲の元、ようやく成り立った平穏な世界を再び滅ぼすことは、彼らの望むとこでは無かった。双子は歩みより、アステカの民が彼らを合祀したことで、すべては丸く収まったかに思われた。
しかし、争いを是とし、支配、圧政を助長するテスカトリポカと、平和を望み、自由を尊ぶケツァルコアトルが――血を分けた双子でありながら対極の性質を持つ二神が相容れる筈がなかったのだ。
ある日、神々の宴会にてテスカトリポカはケツァルコアトルにプルケ――呪いの酒を飲ませ、妹のケツァルペトラトルと肉体関係を結ぶように仕向けた。各国の神話では、神々の近親婚、近親相姦は決して珍しくはない。ギリシャのゼウスとヘラ、北欧のフレイヤとフレイのように。しかし、このアステカの地においてはあってはならないことであり、場合により死刑にも処されうる罪である。こうして、禁忌を犯したケツァルコアトルは神々によってアステカの地を追われてしまったのだった。
彼は失意の中、愛すべき民が生活している人里から離れ、アステカの地から姿を消そうとしていた。
彼が故郷の地を越え、南へ向かっていたその時、聞こえてきたのは咽び泣く母親の声、無垢なる赤子の泣き声、そして、残虐な男達の嬌声。彼がその千里先をも見渡す双眼をもってして声の方角を見やると、残虐な儀式の生け贄となりかけている母子と、その周囲を囲い今まさに儀式を成し、自らの敬愛する神へと無垢なる命を捧げようとする狂信者達の姿があった。
彼がテスカトリポカと対立した理由の一つがこれ――人の魂を供物として捧げる儀式である。大抵儀式に使用されるのは、無垢なる魂――つまりは女、子供、そして最も純粋なる魂―つまりは赤子である。善性の神である彼は、未来ある子供が命を奪われることを良しとせず、儀式を止めさせようとしたのだ。結果、自らの追放の原因になってしまったのだが。
―見過ごすわけにはいかない。
彼は決意を固めると、自らの権能をもってして風を吹かせ、救済のため翼をはためかせた。
彼は儀式が行われている神殿に現れると、一瞬で狂信者達を黄金の炎で焼き尽くした。突如現れた美しく、雄々しき幻想種の姿に狂信者たちは恐れ戦き、ろくな抵抗も出来ずに無抵抗のまま焼かれていった。
救われた二人はというと、赤子は泣き止みじっと彼を見つめ、母親はただ呆然と彼を眺めていた。しばらく呆然としていたが、我にかえった様子で母親は子を抱き、おぼつかない足どりで彼の前に進み出て頭を下げる。
「我らが父、豊穣なる大地の神よ、私はもう長くはないでしょう。しかし、この子には罪はありませぬ。私の命をお捧げいたします。どうか、どうか、この子だけは」
彼女の四肢からは血が流れ、身体中には暴行と凌辱の痕。絞り出した声のか細さ、小ささから相当に衰弱し、もうどのような処置をしても命が助かることは無いであろう。譫言のようにどうか・・・どうか・・・と頭を下げる。
今やアステカはテスカトリポカが支配する地となった。儀式から生還した赤子がどうなるかなど考えるまでもない。待っているのは死の運命。
だからこそ彼女は目の前えの幻想種がケツァルコアトルの化身と知っていて子を託したいと願った。本来ならば、神に子守りを任せるなど、不敬の極みであるが、自らの命と引き換えに、慈悲の善神に助力を頼むことが、子のためにできる唯一のことであると彼女は理解していたのだ。
彼は彼女の覚悟と健気さに感銘を受け、どうにかその願いを叶えたい、思いに報いたいと考えた。
本来ならばテスカトリポカの信仰が薄い地域に羽を伸ばし、子を託せば良いのであるが、彼は既にアステカを追放された身であるゆえ、それはできない。
ならば、赤子を自分の新たなる聖域を探し、信仰を集める旅の道連れとして同伴させるのも良いかもしれないと彼は考えた。彼もこのままでは終われない。再びアステカへ戻り、圧政から民を解放しなければならない。この赤子を教育し、王として君臨させ、善政を行わせる。それが民にとっての最良の道であると確信していた。
彼は首を縦に振り、承諾の意思を示すと、母親から子を前足で器用に受けとり、背中に乗せると、双翼を力強く羽ばたかせ、暁の空へ飛び立つ。
そして子の旅立ちを無言で見守っている母親に語りかける。
「そなたの子は、まさに太陽となるであろう――人々を導き、アステカの地をあまねく照らす太陽に。」
母親は感極まって感涙し、彼が飛び去ってなお、頭を下げていた。
この小説の時間軸は1000年ほどズレています。アステカ文明の始まりは本来ならば13cですが、この小説では3c。主人公が生まれたのは某騎士王の時代です。彼女との絡みは生前編ではやりません。