年の暮れも迫ったある日。俺は喫茶「COL」にいた。マスターの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、新聞に目を通す。地域ニュースの欄に載っていたその記事は、大きいとは言えないが、小さい扱いでもなかった。
『神姫を使った強盗犯、逮捕』
記事によると、郵便局員であった犯人は、神姫を使って深夜に通行人を襲い、金品を奪ったあと自身の担当する区域の郵便ポスト内に身を潜ませた。これを翌朝、通常の郵便物回収に紛れて自分で回収するという方法で犯行を重ねていたらしい。相手にしてみれば逃げ込むポストは担当区域内ならどこでもよかったわけで、ただ散発する犯行現場からこのこと実を洗い出すのは難しかったことだろう。その意味では盗品の回収ルートを押さえることは事実上ほぼ不可能で、犯行現場で神姫を押さえることしか犯人を洗い出すことは出来なかった。
俺は新聞を閉じ、コーヒーをすすった。相変わらず、この店にはゆったりとした時間が流れている。
「よお、お手柄刑事のご到着だ」
ドアチャイムも無粋な電子音ではなく、昔ながらのドアベルだ。扉を潜って現れたのは、榊刑事だった。
「やあ、お待たせしたかな」
「時間通りですよ。今日は俺の方が早く伺っただけですから」
一番奥の席から、榊刑事を迎える。相変わらず店内には他に客はいないが、用心に越したことはない。
「犯人は起訴されたよ。自供もしているし、証拠も揃ってる。特に今回はMMS保護法や、国際MMS保護条約を含む、いくつもの法律や条例に触れている、悪質な事件だ。まあ暫くは出てこられないだろうな」
「ええ、ニュースや新聞で見ました。ですので、俺が知りたいのはその先の話です」
焦らない焦らない、と榊刑事は微笑み、マスターにコーヒーを注文した。マスターの方も用意をしていたのか、すぐに持ってきてくれる。
「例のストラーフ……個体名はセロというようだが、人間に危害を加えてはならないという基本プログラムごとAIを書き換えてあった。自己判断能力も無くし、マスターの忠実な操り人形になるように、な」
コーヒーを一口飲む。俺は黙ったまま次の言葉を待った。
「そうなってしまうと、元々の人格プログラムを復旧するのはほぼ不可能だ。正常な状態に戻すためには、一度リセットをかけるしかない。もっとも、そうしてしまえば元々の人格とは、似て非なる別人格になる、というだけ。セロ自身を救えたかというと、これはもう本人に聞いてみるしかない」
そう言うと、榊刑事は鞄の中から緩衝材の包みを取り出した。
「約束通り、セロは君に引き渡そう。どうなればセロが救えたことになるのか、僕には分からない。君が納得するような形に出来るよう、特に処置はしていない。やったのは特殊素材に変えられていた外装の交換だけだ」
半透明の包みから見えるセロの体は、普通のストラーフと同じカラーリングになっていた。
「あとは、先日話した内容を踏まえた上で、どうするか君が判断してくれ」
「AITSD……どの程度まで出ているんですか?」
AITSDとは、人工知能外傷後ストレス障害と言われるもので、高度な負荷がかかった人工知能が、何らかの機能不全や障害を起こすものだ。今回のように傀儡として人間を傷つけたストレスは、例え断片的にでも記憶として残っていたら何らかの障害を残すだろうと、アンジェリクスを倒した日に榊刑事から伝えられていた。
「それはこれから先、どうするかにもよるな。既にセロの自我は破壊されていて、修復は不可能だ。そのままにするのなら、繰り手が変わるだけにすぎない。だが、リセットして人格プログラムを再構築するのなら、消したはずの記憶がどの程度影響を残すのか、これはやってみないと分からない」
榊刑事はいつになく真剣な表情で話している。
「君は、この子を救いたい、と言った。自我を失い、心を壊され、そんな神姫をどうやって救うつもりだね」
「はい、俺の神姫達とも話したのですが、一度リセットをかけて、何も知らないただの神姫としてウチに迎えようと思っています」
ほう、と榊刑事は呟く。その表情に、次の言葉を待たれているように思えた。
「俺にも、どういう状態が神姫にとっての幸せなのか、分かりません。でも、出来たら事件の記憶なんてすべて忘れて、まっさらな状態になってくれたら、と思います。神姫に罪はありませんから」
実際に人を傷つけたり、金品を奪ったのは間違いなく目の前の神姫、セロだ。しかし、それは無理やりそうさせられていたということだし、オーナーこそが罪を問われるべき問題だと思う。
「そうであっても、AITSDを患う可能性は否定出来ない。それでもいいんだね?」
「ええ。勿論何かあるなら、出来る限り支えたいと思っています」
「そうか」
榊刑事がコーヒーに口をつける。俺の思うところはそこだ。神姫は人間のパートナーだ。だからこそ神姫の善し悪しはそのオーナーによるところが大きい。神姫が悪性ならば、そのオーナーの性が悪なのだ。勿論神姫と対等な関係を築いたり、神姫に支えられた、救われた人間だって多くいる。俺は、そんな神姫を助けたい。目の前で苦しむ神姫がいたら、救ってやりたい。それが今回は、セロというストラーフだった。
「これは、独り言なんだが……」
ゆっくりと榊刑事が再び口を開く。
「Front Lineの研究者に、AITSDの研究をしている男がいてね。確か研究症例を欲しがっていたなぁ。まあ昨今は研究費用なんて雀の涙みたいなもんだし、見返りは期待出来ないだろうけど、何かあったら声をかけてやると喜ぶかもしれんなあ」
「菊川さんのことですか?」
「さあねえ、これは独り言だからなあ。そんな名前だったような気もするし、違うような気もするし……」
榊刑事はそんなことを言っているが、おそらくはそのつもりで菊川さんと引き合わせてくれたのだろう。食えない刑事ではあるが、その話自体はありがたい。
「じゃあ、質問を変えます。榊刑事は、何でそこまでしてくれるんですか?」
「そうだなあ、何故だろう。多分、おじさんに近い何かを、君が持っているからじゃあないかな」
「近い何か、ですか」
「ああ。君は自分自身を懸けて、他の神姫を救いたいと言った。その心意気に感じるところがあった。まあそういうことにでもしておいてくれよ」
「そうですか、それならそういうことにしておきます」
「おや、追求しないのかい?」
「ええ、多分、それ以上は言つもりがないでしょう?」
榊刑事の表情が緩む。
「そうしてくれるとありがたいね。今日はもう行くのかい?」
「ええ、この子を起こしてやりたいですし、シャウ達も待っていますから」
受け取った包みを鞄の中にしまい、席を立つ。街の雑踏が俺を迎える。今日の内にはストラーフは起動出来るだろう。名前をつけてやらなくては。俺は頭の中で、ストラーフに合う名前を考え始めた。
「行くッス! 姉さん! 今度こそ一本頂くッスよ!」
「甘い、そんな大振りでは、まだまだ!」
ジレーザロケットハンマーの一撃を、サブアームで展開したジュダイクスが受ける。その力を受け流し、鬼姫の一撃が入る。
「うぎゃああッス!」
「これで二十本目ですね、メサルティム。あなたの持ち味は力なのだから、それをただ振り回すだけでなく、当てるための方策を身に付けなさい。それが出来ない内は、私から一本取るなんて、出来ませんよ」
「くうううっ! もう一本、お願いするッス!」
バーチャルのトレーニングモードで、シャウが熱心にストラーフに稽古をつけている。
ストラーフが起動してから一月が過ぎた。セロと呼ばれたストラーフは、メサルティムと名づけた。元々の性格がそうだったのか、やたらと熱苦しい性格で、シャウのことを姉さんと慕っている。
「よくやるねー、二人共。もう少しゆるゆると生きることを覚えた方がいいのにさー」
「アルはきっと、もう少し動くことを覚えた方がいい、と思われてるんだろう。お互い様さ」
一人神姫が増えても、ウチの中は相変わらずだ。シャウは新しく出来た妹分と訓練に精を出し、アルは変わらず特撮を見ながらだるだるとしている。ミーシャも今のところは元気で、心配されたAITSDは表面には出てきていない。
「さあ、私から一本取れないようでは、いつまでも公式バトルには参加出来ませんよ!」
「くっそおお! 負けねッスよ!」
画面の中では、ミーシャは左手に持ったモーニングスターを振り回しながら突撃している。どうにも直情傾向で、駆け引きなどとは縁遠い。これはこれで、ひとつ強みを見つけて、自分の優位を押し付ける戦い方を身に付ければそれなりにはなるだろうが、それはまだ先の話だろう。
「ところでマスター。さっき携帯に榊サンから連絡来てたよ」
「……またか」
あれ以来、榊刑事はたまに連絡を寄こす。その内容は、大概録でもないことが起こっているときで、警察だけでは解決出来ないときだ。一般市民を巻き込むことが出来ないなどと、どの口で言っていたのかと思う。
「シャウ、ミーシャ、適当なところで切り上げてくれ。出かけるぞ」
インカムマイクをつまんで位置を直しながら、二人に告げる。まったく、忙しいことだ。しかし、こうなってひとつ、いいと思うことがないでもない。苦しんでいる神姫に手を差し伸べることが出来る。勿論、それは俺の自己満足に過ぎない。だが、今はそれで充分だ。その自己満足に、俺は自分自身を懸けることが出来る。