蠍の尻尾   作:深波 月夜

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 一夜明けて定期メンテの日。電車に揺られること一時間ちょっとの、Front Line社の研究施設にやって来た。一応研究員である菊川さんの研究対象として認識されているらしく、受付の人もすぐ取り次いでくれるようになった。エレベーターで目的の階に着くと、研究室は目の前だ。

「お、来たね。どうだった、ここ一ヶ月の調子は」

「別段どうってことないッス。相変わらず姉さんには勝てねッスけど……」

「特に不調とかはないんですけどね。いつも通り、お願いします」

 俺の手の平に乗っていたミーシャが、机の上に移る。

「それじゃ、いつも通りに済まそうか」

 机の上のトレーに乗って、隣の計測室に運ばれていく。普段なら三十分ほどで戻ってくる。勝手知ったるなんとやらで、コーヒーメーカーを動かし始める。しかしこの日は、菊川さんはそれより大分早く計測室から戻ってきた。

「結果から言うとね。AITSDの症状、出たよ」

 AITSDとは、神姫などのオートマトンに搭載されている人工知能が過度のストレスにさらされたあと、何らかの形で機能不全や障害を起こすものだ。ミーシャの場合は、人を傷つけてはならないという基幹プログラムの一つを破壊され、マスターの操り人形として犯罪を行っていた。そのことが原因で、何らかの不具合が出る可能性があることは、榊刑事からも言われていた。

「刃物に対する恐怖症状、かな。専門的な言い方を省いて端的に伝えると、ね」

「刃物に対する恐怖って……訓練中はそんな様子はなかったんですが。相手をしているシャウのメイン武器は剣なんですけれど」

「ああ、自分に向けられる分には平気なんだね。そうすると、恐怖症状はどうやら、『自分が刃物を持つこと』に対する恐怖、なのかな」

 今回の検査では、身体性能検査の一環という名目で、ナイフを使わせようとして発覚したらしい。確かに言われてみれば、メインの武装を決めるときにミーシャは刃物を避けていたようにも思える。ストラーフとしてはナイフ類を使うのが一般的なはずだ。

 菊川さんの見立てによると、原因はやはり傀儡として人を傷つけていたことらしい。解除されていたとはいえ、人間を傷つけてはならないというのはAIにとっては基幹プログラムのひとつだ。それに反する行動をとり続けていたというのは、神姫のAIに多大な負荷をかけることに繋がる。ミーシャの場合は凶器として使われていた刃物が事件の象徴として記憶されていて、過剰な拒否反応を示しているのではないか、ということだった。

「榊刑事からも聞いていましたけど、リセットされてもそういう記憶は残るものなんですか」

「うん、普通はキレイさっぱりなくなってしまう、って思いがちだけれどね。AIの記憶領域の外に痕跡として残る場合があるんだよ。事例としてはリセットされた個体が、武装の使い方を覚えていたり、スキルの使い方を知っていたりすることは稀にあるそうだよ。思考の癖みたいなものが残る事例もあるし、リセットすると全部なくなってしまうというのは、思い込みに過ぎないのだと思うね」

「治療というか、それを解消する方法はあるんですか」

「日常の生活やバトルをしていて、不都合はなかったんだろう? それなら症状を出さないように避けるだけでもいいと思うけどね。根本的な治療となると、長くかかるんじゃないかな」

 AIの研究は、学問としては新興のもので、まだまだ分からないことも多いと聞いた。その中でもAITSDはここ数年の武装神姫ブームで世間的な認知も増えてきたが、専門の研究者も少なく、その治療法自体もまだ確立されているとは言いがたいらしい。対処療法として、症状を引き出さないように勤める、というのも間違いではないだろう。

「ちなみに、どんな症状が出たんですか」

「うん、ナイフを手に取った時点で発作的にパニックに陥ったので、停止信号を打ち込んだ。その時のメンタルログで恐怖感情が強く出ていたんだけど、まあ詳しく解析するのはこれからだね」

 いくら人間に近いAIを持っているとはいえ、神姫も分類としてはロボットだ。外から停止の命令を打ち込まれれば、逆らうことは出来ない。

「とりあえず、今は寝かしてあるから、起こしてあげて。今日のところは原因の特定が出来ただけで良しとして、簡単なメンタルチェックだけして終わりにしよう。話は合わせてね」

 菊川さんはそう言うと、目蓋を閉じたままのミーシャをトレーに乗せて差し出した。

 

 

「再起動完了。始動します」

 ミーシャの口から再起動を告げる自動音声が流れ、終わるとゆっくりと目を開ける。

「あれ、ここは……自分、確か定期メンテを受けに来て……?」

 辺りを見回して、不思議そうな声を上げるミーシャ。どうやらパニックを起こしたときのログは本体側には残っていなかったらしい。

「ああ、計測機器側の不具合でね。君の側に再起動信号が誤って送られてしまったんだよ。すまないね、こちらの落ち度で」

 菊川さんがさらりと伝える。

「とりあえず、計測機器の方は復調したからさ。君さえよければ再開したいんだけれど、具合はどう?」

「いや、なんか頭がボーっとするというか……再起動かかったせいなんスかね?」

「何か不調が残るようなことなんですか? 再起動って」

「そういうことはないはずだけれど、まあ調子が悪いなら運動系の検査は飛ばして、メンタルチェックだけにして帰るかい? 本格的な不調なら……」

 そ知らぬ顔をして話を合わせる。

「ああ、申し訳ないんですけど、この後の予定もあるので、簡単に済ませてもらってもいいですか。検査を受ける側がこんなことを言うのもなんですけれど」

 予定があるのは嘘ではない。わざわざこの日に合わせて呼び出されたのだ。あまり気乗りする話ではなさそうなのが気にはなっているのだが。

「ああ、そういえばそうだったね。まあ、今回はこちらの不手際だし、本当ならば不調があるときほど、しっかりした検査を受けてもらいたいけれど。しかし僕の言った通り、榊さんと関わるとただじゃ済まないだろう?」

「ええ、痛感してますよ」

 呼び出しの主は、榊刑事だ。あの事件以来、時々連絡を寄越しては、俺を雑多なことに使っている。確かに目の前で苦しんでいる神姫を救いたいという俺の視野は、榊刑事と関わることで一気に開けたという思いはある。が、いいように使われているという感は否めない。

「まあじゃあ、そういうことならささっとやってしまおう。どうせ待ち合わせはK駅前の喫茶店だろ?」

「ええ、そうです。よろしくお願いします」

 やはりあの喫茶店は榊刑事が協力者と話をするときに使う店のようだ。薄々感じてはいたが、俺や菊川さんのように便利に使われている協力者は何人かいるのだろう。今度はどんな難題を言われるのか。まったくもって有能な公僕がいたものだ。そうしている間にも菊川さんはミーシャを連れて計測室の方に入っていった。この後のことを考えるとため息が出てくるが、とりあえず新しいコーヒーを飲むくらいの時間はあるだろう。俺はゆっくりと席を立つと、コーヒーメーカーを動かし始めた。

 

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