蠍の尻尾   作:深波 月夜

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・3-10

 試合場に入ると、それだけで割れんばかりの歓声が俺達を迎えた。視線を上げると、四面モニタに賭け率が表示されている。最終倍率は八対二でチャンピオンが有利。妥当なところだ。むしろ、二割も俺に賭けている客がいることに驚いた。チャンピオンの対抗馬だった、盲目の死天使を下したことで、期待感が上がったのかもしれない。

「さて、頼むぞ、ミーシャ」

「ううう……ご主人の神姫だったことを、今日ほど恨んだことはねーッス……」

 決勝直前の控え室で、悩んだ結論がこれだった。アルは既に、チャンピオンを見張れる位置に移動している。シャウは陸戦装備で待機だ。万一さっきのハウリンが出てきたら、その相手をしてもらう。そうして残ったのが、チャンピオンと直接戦う役、というわけだ。

「自分、完全にババ引いた気しかしねーッス……」

「控え室でも言ったけど、力押しにするんならさっきのハウリンよりもチャンピオンの方がやりやすい。それにあのチャンピオンはベイビーフェイスだ。万が一負けても、酷いことにはならないよ。第一、チャンピオンのモーションは予習してあるんだろ? それなら手札の分からないハウリンよりは、ずっとやりやすいだろ」

「ううう……死んだら化けて出てやるッス……」

 完全に及び腰のミーシャを、なんとか励ます。実際、空戦装備が使えなくなった時点で決勝をミーシャにスイッチすることは考えていた。ミーシャのスタイルならば、同質の強みを持つもの同士の、主導権の取り合いに持っていける。

「一回戦に出てきたストラーフが相手なのだ? てっきり決勝は、死天使を倒したエスパディアが来ると思ってたのだ」

 相手のマオチャオ、フレイムライガーが回線を開く。その声から察するに、対戦相手がシャウでないことが不満らしい。

「おめーら、あちしを、嘗めてるのだな……?」

 ミーシャをねめつける視線は、早くも獲物を狩る猛獣のそれだ。その目には、怒りさえ灯っている。

「あちしはなぁ、嘗められるのは大っ嫌いなのだ……そっちがそのつもりなら、マスターが言うように、本気で地獄を見せてやるのだ!」

「だああぁぁ! めっちゃ怒ってるッス! もうやだああぁぁ! 帰る! 帰るッスぅぅ!」

 戦う前からミーシャは完全に気を飲まれている。だが、無情にも決勝戦開始の合図が鳴り響く。それと同時に突っ込んでくるチャンピオン。

「来るぞ、前に出ろ、ミーシャ!」

「もおぉぉ! こうなりゃ破れかぶれッス!」

 一回戦でミーシャのメイン武装であるジレーザロケットハンマーは壊されている。今回はチーグルサブアームと、サバーカ強化レッグに、胸部装甲のみだ。申し訳程度に一回戦で使ったリボルバー、ヴズイルフがホルスターに収められ、腰にぶら下がっている。相手の装備も鉄耳装に天舞靴、争上衣とヴィントシュトースを組み合わせた腕部にキャットテイルと、どちらもほぼ素手での勝負になる。試合場の中央で向かい合うと、スタンダードスタイルに構えたチャンピオンから速射砲のような左ジャブが飛んでくる。

「ミーシャ、腕を狙え!」

「ぬりゃああぁぁ!」

 恐ろしいまでの勢いの連打を、サブアームを巧みに使い、腕を叩いて拳をそらす。全てを当てるつもりはなかったのだろうが、それでもチャンピオンの表情に驚きの色が現れる。

 ボクシングで、絶対に全てを避け切るのは不可能と言われるのがジャブだ。圧倒的なスピードでの連射は、人間の反射速度を超えて飛んでくると言われる。しかしそれは、人間同士での話だ。人間より遥かに神姫の反応速度は速い。

「これぐらい! ならば! 姉さんの! 刀の方が! 怖えぇッス!」

 必死の形相だが、ミーシャの動きは理に適っている。左から繰り出されるジャブを、右側に回りこむことでうまくかわしながら捌いたのだ。

「ふーん? 中々やるのだ」

 再度、左のジャブを狙って突進してくる。が、ミーシャの動きは適確だ。両方のサブアームを振るって左拳を捌く。身体の運び方からも、怯えや動揺の色は見えない。

「なるほど、ただの雑魚ってワケじゃねーのだな……? なら、今度はちょっと本気を出してやるのだ」

 三度、突撃。振るわれた左拳を、必死の形相で捌く。前にも増して速度を上げる左拳の連射。その中の一刹那。右のストレートがミーシャの身体を貫いた。

「ミーシャ!」

「ッ……! 大丈夫ッス、たまたまッスけど、サブアームが庇ってくれたッス」

「ふふん、ジャブを避けることに集中しすぎなのだ。そんな奴を撃ち抜くなんて……たやすいのだ!」

 いつの間にか、ミーシャは壁際に追い詰められている。プレッシャーのかけ方は、まるでボクサーのような巧みさだ。自分の右にミーシャが避ける動きを知って、壁際に誘導された。

「さあ、どんどんいくのだ」

 セオリー通り、左から攻めてくる。しかし、ミーシャも攻められっぱなしではない。左ジャブの隙間に回し蹴りをねじ込む。が、ファイティングポーズを崩さずチャンピオンはダッキングで蹴り足の下を潜り抜ける。背中を向けた一瞬、ダッキングで屈んだ身体を伸ばしながら、下から拳を突き上げる。準々決勝で見せたパンチだ。しかし拳は大きく空を切る。回し蹴りの勢いをそのままに横に飛んだのだ。

「ッぶねッス!」

「集中しろ、来るぞ」

 しつこいくらい、左からの連打。回転数はまだ上がるようだ。しかも、右のストレートも混ぜ込んできている。必死に腕を叩いてブロッキングする。が、突如その動きが止まった。チーグルサブアームをヴィントシュトースの巨大な手が掴んでいる。

「せえ、のッ!」

「ぐえッ!?」

 両手を封じて飛んできたのは、なんと、鉄耳装を使ったヘッドバットだった。

「それは反則だろ……ッ!」

 口をついて出たが、この試合はボクシングではない。いや、それどころかルールのある試合とも、本来は呼べないものだ。意表を突かれてはいたが、ミーシャは咄嗟に自分の腕でガードを挟んでいた。だが、それさえも布石に過ぎなかった。

「スキル発動、スーパー……ねこパンチなのだ!」

 両の拳が輝き、連続で叩きつけられる。チーグルを身体の傍に引き戻し、交差させてガードの姿勢を取るが、関係ないと言わんばかりの勢いだ。

「ぐッ……この……ッ!」

 スキルの終了と共に拳の光が消える。それを狙って、下から苦し紛れに蹴り上げる。だが、チャンピオンは余裕の表情でバックステップを踏み、距離を取る。主役の攻勢に、観客達も喜びの声を上げている。

 完全にまずい流れだ。一撃強打という強みを見せつけ、相手にそれを押し付けていくのがミーシャの勝ち筋だ。今は逆に、相手の強さを押し付けられてしまっている。

「ミーシャ、ダメージは?」

「ガードの上からだったんで、何とか……でも、ここままじゃジリ貧ッス、何とかしないと」

「今は主導権の取り合いだ。こっちも攻めていかないと、相手のいいようにされるばっかりだ。前に出ろ」

「了解ッス、こんのおおぉぉッ!」

 ゆっくりと距離を詰めようとするチャンピオンに、逆に向かっていく。どの道、前に出られなければすぐに壁際まで追い詰められてしまうのだ。

「そんな玉砕戦法が通るほど、甘くねーのだ!」

 ミーシャを迎撃するかのように、左のジャブが弾幕を作る。が、それを無視して突っ込んでいく。ブロックはしてはいるが、完全には間に合っていない。

「そらそら、さっきの勢いはどこにいったのだ?」

「ふんぐううぅぅ!」

 右の拳も同時に振るわれ始める。左のジャブが機関砲なら、右のストレートは大砲だ。ガードもそっちに割り振らざるを得ない。弾幕の中で、更なる大砲に備えて防御を考えねばならないという、絶望的な状況だ。その中でも、ミーシャの眼は死んでいない。何かを、じっと待って耐えている。

 その一瞬は不意に訪れた。ストレート気味に打ち込まれる左。伸ばされたその左腕に、サバーカ強化レッグが絡みつく。

「飛びつき腕ひしぎ十字!?」

 場内もざわめく。サブアームが、がっちりとヴィントシュトースの拳を押さえ込み、肘関節を固めていた。そして、ミーシャの素体腕には、いつの間に抜いたのか、ヴズイルフが握られている。そのまま、固められている肘の内側、無防備な関節機構に弾丸を撃ち込む。

「ぬああぁぁッ!」

 咄嗟に右拳に炎を纏わせ、振り回す。が、即座に腕ひしぎを解いて、飛び退く。すぐに構えを取りなおすミーシャに対し、チャンピオンは左腕が上がらない。だらりと垂れ下がった左腕の肘からは、火花が散り煙が上がっている。

「ネズミめが……やってくれるのだ……」

「ネズミだって、こんだけ追い詰められれば猫を噛むことだってあるッス!」

「いい気に、なってんじゃねーのだ!」

 左腕はもう動かないだろう。それでも構えは大きく変えず、身体ごと突っ込んでくる。一方でミーシャの方も、直撃こそ食らっていないが、度重なる攻撃で、サブアームのそこかしこにへこみが作られている。

 距離を測る役割のジャブを捨てて、一撃必殺を狙ってくるチャンピオン。だが、ミーシャも片腕で攻略出来るほど甘くない。逆に、両手が使えるミーシャの方が、打ち合いの手数は多くなっている。それをスウェーバックやダッキングでかわし、チーグルの内側に潜り込んで、一撃。その拳には、お得意の炎が宿っている。

 神姫の装甲も、武装と同様大半は強化プラスチックだ。それは軽く、強度も充分だが耐熱性はさほど高くない。幾度もその拳を受け続けているチーグルの装甲板は、歪むだけでなく溶けて落ちてしまった部分もではじめている。この調子だと、じきにサブアームが動かなくなってもおかしくない。

 大きく振るわれたフックに、回し蹴りを合わせる。一瞬動きが止まり、弾けあったように離れる。開いた距離を寸刻待たずに詰め、拳を差しあう。お互い、クリーンヒットこそ無いものの、既に全身は傷だらけだ。しかし、ミーシャのそれとは対照的に、チャンピオンの顔には笑みが浮かんでいた。

「楽しいなぁ、ネズミ……! 面白くって、たまんねえのだ!」

「こっちは! そういうの! ご免蒙りたいッスけどね!」

 纏わりついてくる笑顔を振り払うように回し蹴りを放つ。が、それは不用意すぎた。ダッキングでその下を潜り抜けるチャンピオンが、屈めた身体を伸ばしながらの一撃を見舞う。かわし切れないで、ついに一撃を食らう。炎こそ纏っていなかったが、腹に深々と拳が突き刺さる。

「ぐッ、は……!」

 ミーシャの動きが、止まる。その隙を、チャンピオンは見逃さなかった。即座に拳を返し、上段から打ち下ろす。叩きつけられるように、ミーシャはダウンした。

 

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