過剰同調、という症例がある。
感覚を同調させて操作を行う機器に対し、適当以上に同調してしまい、感覚や神経が機器と自分自身を区別出来なくなる現象を、そう呼ぶ。
それは、自分自身の体を扱うのと同じ感覚で機器を操作出来るという利点もあるが、本質的には危険な現象だ。それは、機器が破損した場合、自分自身が負傷した場合と『神経そのものが区別出来ない』という、その一点に尽きる。
過剰同調を発症すると、機器側の物理破損に伴って、物理的には何の負荷もかかっていない神経が、自壊してしまう。つまり、物理的な痛みを感じるようになるのだ。
これが酷くなった場合、神経だけでなく、細胞そのものが自壊するという例も、ごく少数であるが報告されている。つまり、健康な体が勝手に自壊するのである。
リサの場合も、そうだった。より自分の操作感に合う機体を求め、リサはなでしこにたどり着いた。しかし、なでしことリサは、過剰に同調してしまった。その機体の損傷を、リサ自身が区別出来なくなったのだ。
感覚同調型のフィギュアバトルで、過剰同調が報告されたことはないそうだ。リサの例が、世界初の事例となるらしい。
「馬鹿だな……そんなことで世界一になって、どうするんだよ、リサ……」
俺は一人、部屋の中で呟いた。
リサの死は、誰もが予見出来なかった事故として扱われた。しかし、誰もがそれで割り切れるわけではない。少なくとも、俺自身はリサの死を割り切ることは出来なかった。
あの日以来、俺はレジェンド・バトルに関わるのをやめた。持っていたバトル用のモデルも、それに関連する書籍も、すべて処分した。それまでバトル競技にのみ邁進していた俺の部屋は、ずいぶん殺風景になってしまった。処分出来なかったのは、工具類とPC周りの機器。そして、あの日の大会で使っていたWと、リサの命を奪ったジョーカーだけだった。これだけは、俺自身への戒めとして、持っておくのだと決めた。俺が、リサのことを忘れてしまわないように。俺が殺したことを、忘れてしまわないように……。
夏が終わり、秋が来て、冬が過ぎた。俺はかねてからの予定通り、フィギュアバトル競技の強豪校に進学した。唯一予定と違ったのは、俺がバトル競技の活動に参加しなかった、ということだけだ。そのために親元を離れ、県外に一人で暮らすことまでしたというのに。
新しい学校の中でも、俺は浮いていた。この学校では強豪校らしく、誰もかれもが何らかのフィギュアバトルに興味を持っていた。当然、俺が人を殺したことも、誰もが知っているだろう。俺はそう理解していた。
それならそれでよかった。もう、あんな思いをするのは嫌だった。もう、誰も傍にはいない。それならば、誰も失うこともない。
ただ、学校のカリキュラムに遅れないようにするだけの日々。それが、どのくらい続いたろう。ある日、俺は二人の男子生徒に声をかけられた。
「お前さ、神姫とかに興味ねーか?」
夏休みも終わって秋学期が始まる頃だった。こんな顔、クラスにいただろうか。正直、半年経っても俺はクラスメイトの顔も名前も覚えていなかった。端から人と関わるつもりがなかったのだ。それも当然と言えた。
「花道、いきなりそんなこと言ったって伝わらないでしょ」
「なんでだよ、日野。俺はいつも大体こんな感じだろーが」
耳慣れない名前だった。どうやらクラスは違うらしい。二人はこの学校の神姫部に所属しているらしく、そこでもらった何とかという大会の観戦券が余ったそうだ。
「まあ、興味があったらでいいんだけど、一緒にどう? あ、俺は日野司っていうんだ。こっちの、花道と同じで君の隣のクラスなんだけど」
「おう、俺は花道賢人ってんだけどよ。お前さ、まだどこの部にも入ってねーだろ? 今時期、そういうやつは貴重でよ。下心としては、ウチの部活に入ってもらえたら、って思ってるんだけどよ」
神姫……流石に、この学校にいればその存在は嫌でも耳にする。生活サポートアンドロイドとして販売されている、MMSの一種だ。この学校の就職先にも、神姫に関連した企業は少なくないし、俺も何も考えずにそのどこかに就職するのだろう。そんな風に思っていた。
「そうだな、部活に入るかどうかは別にしてもいいんなら」
自己紹介を簡単に済ませて、俺はそう答えた。将来のことなんてそんなに真面目に考えているわけではなかったが、それでも将来的には、なんらかの関わりは持つことになるのだろう。それならば、見に行くのも悪くはない。それに。興味がない分野ならば、あの日を思い出すこともないだろう。もし思い出してしまうようなら、途中で帰ってしまったって構わない。別に、知り合いでも何でもない相手なんだから。
そんな軽い気持ちで、俺は二人の誘いを受けた。
それ以来、俺達は何となくつるむようになった。花道と日野の二人はそれぞれ自分の神姫を購入し、事あるごとにその話をしている。そんな日々が、一年ほど過ぎた。知り合いとも呼べなかった二人は、今は友人と呼べる程度の付き合いをしている。
二人からは、幾度となく、神姫を買わないのかと聞かれた。が、俺自身は未だに神姫を持っていない。そのことに、取り立てて理由があるわけではない。ただなんとなく、アンドロイドとはいえ、常に誰かが傍にいると思い出してしまうからなのだろうと思っていた。ロストマンと、リサ。相棒と、恋人がいた日のことを。
そして、夏休みのある日。
この日だけは、俺は予定を入れない。その日の予定だけは、もう、決まっているからだ。
晴れた、夏の日だった。あの日と同じように、強い日差しに蝉の声が聞こえる。
途中で買ってきた花を、墓前に供える。八月の十日。今日はあの大会のあった日。そして、俺がリサを殺してしまった日だ。
墓前で何をするわけでもない。それでも、ここに来ることを欠かそうとは思わなかった。ただ、ここに来る。そして、リサを偲ぶ。それだけでいい。そして、ここで決してリサに許しを請うことだけはするまい。そう、決めていた。誰が許しても、俺が、俺を許さない。それだけは、決めていた。
「帰るか……また、来る」
気が付いた時には、夏の日が傾き始めていた。今の住まいから、ここまでは一時間半ほどかかる。途中で、Y駅を乗り換えに使わないといけない。そこまで戻る頃には、日はすっかり暮れていた。
どこか食事でも、と思ったが、もとより食欲があるわけではない。適当にぶらついて、気が付くといつも訪れていた家電量販店の中にいた。なんとなく足の向くままに歩いていただけなのだが、何のことはない、通い慣れた道を辿っていただけなのだ。そこは、リサと、ロストマンと、幾度となくパーツやフィギュアロボットを買いに来た店だ。
懐かしさを感じるほどここに来なかったわけではないが、見慣れているはずのパーツ売り場は場所が変わっていた。
「これは、武装神姫、か……」
新しく作られた売り場に展開されていたのは、花道や日野に勧められていた、武装神姫。その最新モデルだ。
「エスパディア……?」
何とはなしに、そのパッケージを手に取ってみる。フルパッケージと銘打たれたその商品は、素体や武装といった、武装神姫を始めるのに必要なものは一式そろえられたもののようだ。
「何か、お探しですか?」
「え……いえ、特に」
「武装神姫、こちら、お勧めですよ。新商品でここまでお安くしているのは、他店ではちょっとないんじゃないですかね」
「はあ……」
俺の気のない返事にも、販売員の入店章を着けたお兄さんは熱心にセールストークを展開してくれた。一時間ほども、捕まって話し込んでいたろうか。気が付くと、俺の手にはパッケージとレシートが握られていた。安い買い物でもないが、幸いレジェンド・バトルの賞金はほとんど手つかずで、俺の口座で眠っている。一人暮らしの生活費としては、余裕は十分にあるのだ。
結局腹には何も収めることなく、家に向かう電車に乗ってしまった。まあ、途中のコンビニで何か買って帰ればいいだろう。
しかし、衝動買いのようなものとはいえ、遂に神姫を買ってしまった。これは、どうしたものだろうか。まあ、買ってしまった以上は、開封もするだろうし、起動もするのだろうが……。
「あ、名前を考えないといけないのか……」
名前……しかし、浮かんでくる名前はリサにまつわるものばかりだ。いくらリサのことを忘れないと言っても、それは流石に悪趣味というものだ。
帰りの電車を降りるまで、携帯を使っていろいろ調べてみるが、いまいちどれもピンとこない。今日は、そういうことに向かない日なのかもしれない。そう思って天を仰ぐと、星が瞬いていた。都心に近いこの場所ではさほど大きく見えるわけではない。
『私? 蠍座だよ! ツクヤは何座?』
そんな他愛もないことを、リサと話したことがある。蠍座。そういえばリサが使っていたフォーゼやなでしこは、星座や宇宙に関わりの深いモデルだった。
蠍座。蠍座の星といえば、アンタレスが有名だが、女の子の名前としてそれはどうなんだろう。手元の携帯端末で、手早く検索する。蠍座を構成する星の名前が羅列される。アンタレス、アクラブ、ジュバ、サルガス……。その中に、ひとつ、俺の気持ちに引っかかるものがあった。
「シャウラ……」
蠍座の、尻尾の先を構成する星。意味は『毒針』。ちょうどいいじゃないか。俺はこの先に、俺を蝕む毒を宿し続ける。リサを意味するその毒を、俺は飲み続けるのだ。
次の日の夕方。俺は武装神姫を起動した。
「Яの名前、何?」
少しぶっきらぼうな言い方に、俺は静かに笑い返す。
「君の名前は――」
俺は、すべてを失った。
これは、俺を取り戻す物語だ。
なくしたものをすべて、清算するための物語だ。
俺の名前は、深波月夜。
今は、ただの神姫マスターだ。
今までは。