メールに記載された日までは、過ぎてしまえばあっという間だった。焦れるときが多かったが、それでも時間は過ぎていくものだ。
「さて、これから君達のご主人様を迎えに行くわけだが、準備はいいかね?」
「ええ」
「ここまでやってきて、駄目ってことはないでしょ?」
「準備完了、ッス」
榊刑事の問いかけに、三人がそれぞれに答えると、榊刑事が結構、とうなずく。三人はそれぞれ、自宅から持ち出した武装を纏っている。
「それじゃ、簡単にだが今回の作戦をおさらいしよう。まあ、作戦と言っても複雑なことは何もないんだがね」
三人の顔を、榊刑事が見渡す。
「今回の作戦は、至ってシンプル。君達が二手に分かれて、一方は深波くんを迎えに行く。そしてもう一方は、その侵入口を確保する。それだけだ」
その話は、すでに何度か聞いている。つまりは主がいると思われる電脳空間に対してハッキングを仕掛け、データとして侵入しているであろう主を回収する、というものだ。
「おそらくだが相手も横槍が入らないように工夫はしていることだろう。ファイアウォールや、ウイルス対策ソフトのようなものの抵抗が予想される。侵入口を、それらの抵抗から守るディフェンスが必要だ。それを、アルくんと、ミーシャちゃんが担当する」
アルキオネと、メサルティムがうなずく。その目は、決意のようなものに溢れていた。
「回収役は、シャウラさんが担当。ファイアウォールなどを破りながら、電脳空間の奥深くまで侵入し、深波くんを連れて戻る」
私も、うなずく。言っていることは簡単だが、それぞれに防衛プログラムはあるだろう。それらに、いわば私達自身がウイルスとして侵入し、ハッキングを行わなければならない。
「電脳空間でも、神姫はプログラムとして機能する。つまり、君達はバーチャルでバトルをするように戦うことが出来る。そこまではいいね?」
「勿論ッス」
「で、何か問題があるのかな?」
「ふむ。問題と言うか、だがね。まあ、簡単に言ってしまえば、おそらく君達が相手をしなければならない、防衛プログラムについて、だな。事前に調べてもらったところによると、それほど複雑なプログラムではないらしい。が、とにかく数が多いんだな。おそらく、多重起動が可能なプログラムを立ち上げて、数にものを言わせてくることが予想される。つまりディフェンスの二人は、シャウラさんと深波くんが戻ってくるまでは戦いっぱなしになるってことだな」
「はーい、今のクッソ忙しいさなかに、僕が調べましたー」
半ば死んだような眼で、菊川研究員が会話に割り込む。
「はい、ありがとう、ありがとう。感謝してるよ菊川くん。で、だ。シャウラさんには、一刻も早く、行って、戻ってきてもらわないとならないのだが……こちらもおそらくだが、ファイアウォールの他に、ロストマンの抵抗が予想される。まあ、彼の狙いは深波くんの命らしいからね、当然と言えば当然だが。それを撃退して、深波くんを連れ出す必要がある。いいかね?」
「はい」
私は、うなずく。私の装備は、主の組んだ高速装備。それにウエストアーマーと、左肩のソードビットコンテナ。アイシールドと、アームガードだ。それに今回は、右肩にGNソードⅣフルセイバーを載せている。
「しかし、シャウラさん、本当にその装備で行くのかい? 元になったキット、ずいぶん古いぜ。よく整備されているけど、こう言っちゃあなんだが、ソードビットコンテナなんか、骨董品だ。使い慣れてるのは分かるけど、新しいものを使うつもりはないのかい?」
菊川さんが、そう声をかけてくる。確かに、このソードビットは大振りだし、出力もその割に高いとは言えない。Front Line社が先だって発売したアーンヴァルMk2用の装備にも、『リリア―ヌ』という名前の小型のソードビットがあったはずだ。ここはFront lineの研究室だし、武装の開発も行っているのだから、頼めば貸してくれるのかもしれない。それでも。
「いえ、私が使うのに、速度と機動力を載せるのならば、この装備しか考えられません。一息に、主の元まで駆け抜けるのみ!」
「いい覚悟だ。それじゃ、僕はちょっと用事があるので、これで失礼するよ。あとのことは菊川くんがやってくれる。よろしく頼むよ、菊川くん?」
「はいはーい、まったく本当なら今頃は……二週間ぶりに布団に入れるはずだったのに……」
榊刑事が部屋を出ていき、菊川研究員がぶつぶつと文句を言いながら、キーボードを叩く。時計は午後八時四十五分……。
「あと十五分だね、シャウラ」
「アルキオネ、以前私が、貴女のことを嫌いだ、と言ったのを覚えていますか?」
「なんだよ、急に。よく覚えてるよ。そのときも、ここにいたね」
「私、あの時から変わりました。あのとき、貴女のことを嫌いだと言ったのは、貴女に対する嫉妬だった。それに気づいた時から、いつかあなたに謝りたいと思っていました。ごめんなさい、アルキオネ」
「なんなんだよ、今日は……変だぞ、シャウラ」
「丁度いい機会だったから、伝えておきたかったのですよ」
「なら、ボクもひとつだけ……あのとき、シャウラを嫌いだって言ってのは、やきもちだったんだよ。マスターは、いっつもシャウラのことを気にかけてて、ボクのことはほったらかしみたいに感じてたから……今はそんなことないけど、ボクも、謝りたいって思ってた。ごめんな」
視線が、絡む。どちらからともなく、笑みがこぼれる。
「姉さん達、なんでそう死亡フラグみたいなのを臆面もなく立ててるんスか。駄目ッスよ、絶対みんなで、帰ってくるんスから」
「言われるまでもなく、そのつもりですよ、メサルティム」
「そんなこと言って、真っ先にやられちゃうなよー? この中じゃ、メサルティムが一番勝率悪いんだからなー」
「総戦闘回数ひと桁のアルキオネさんに言われたくねーッス。これでも自分は、勝利回数だけならアルキオネさんより高けーんスよ?」
また、笑いがこぼれる。これから行くのは戦場だと言うのに、この弛緩した空気は何なのだろう。だが、それは決して悪いものではない。
「全員で、帰ってくるぞー?」
「うッス。それだけは、間違いなく果たすッスよ!」
「ええ、戻ってくるときは、四人で」
三人が、拳を合わせる。四人で、帰ってくる。約束だ。
「お話中悪いんだけど、回線、開けたよ。有線で繋いでくれるかい? 順番に、電脳空間に送り込む。それと、僕が出来るのはあくまで君達に回線を繋げて、助言をする程度で、直接的な支援は出来ないからね」
「ありがとうございます、充分です」
三人で、それぞれに背中のコネクタにコードを接続し、PCと繋がる。
「それじゃあ、三人とも、頑張ってね。僕から言えることはそれだけだ」
「ご親切に、ありがとうございます、菊川研究員。感謝してもし尽くせません」
「感謝なんかしなくていいよ、僕としてはメサルティムくんにいなくなられると、論文の研究症例が減ってしまうから、それは避けたいし。それに、僕が手を貸さなくても、榊さんなら何とかしちゃうでしょ」
「それでも、私は貴方に、感謝を伝えたいのですよ」
「まあ、悪い気はしないね。でも、それは君のご主人様を取り返すまで取っておきなよ。それじゃ、送るよ?」
「お願いします」
菊川研究員の指が、エンターキーを叩く。私の意識が、電脳空間に溶け出していく。良い旅を。瞳を閉じる最後の瞬間、菊川研究員が、そう、言った気がした。
時間は、午後八時四十五分。
「そろそろ、か……」
インターネットカフェの一室で、俺はネット対戦の準備を整える。対戦用の設備も、今やこんな場末のネットカフェでも貸してくれるようになった。
「楽な時代になったな……」
コード類を所定の個所に接続し、帽子を被ったジョーカーもそれに繋ぐ。ジョーカーの、光の灯らない眼を覗きこむと、その複眼に俺の顔が映る。寸刻、それが知らない男の顔に見えたのは、気のせいだろう。それは、リサを殺した『凶器』でもあった。
「……とんだ切り札もあったものだな、まったく」
ぼそりと、呟く。キーボードで、所定のアドレスを入力する。そこは数年前、俺とロストマンが打ち合わせや訓練で使っていたバーチャルフィールドだ。接続したのを確認し、ゴーグルとグローブを着ける。
俺を襲撃した男は、俺をサーバーから出られないようにするつもりだった。その目論見は、こちらからサーバーに接続して乗り込んでいく状況では、叶っているのも同じことだ。ロストマンが何を狙っているのかは分からないが、少なくとも穏やかな談笑は期待しない方がよさそうだ。
「さあ、行くぜ、相棒」
口を衝いて出た言葉、それは一体、誰に向けた言葉だったのか。俺自身にも、分からなかった。