金稼ぎの為に巫女を偽ってから、ずっとお腹が痛いです…… 作:天瑠香
六。
そうして、またご飯を胃に掻き込んで、取り留めも無いような雑談を日が暮れるまで続けて(……あれが、女子会……!)、そして布団に入った。
数分も経たずに、夢の世界に浸り落ちる。
寝つきの良さは、わたしの数多い魅力の一つだ。
言っておくけど、さぼりでは断じて無い。
今日じゃなく、明日からやった方が色々と効率が良いのだ。
何故なら、妖怪の世界でもある夜よりも、昼間の方がこちらもやりやすいから。後手に回る心配もあるけど、しかし蓮子の傍に居れば心配は無い。
とまぁ、そんな感じで色々と考えて布団に入っていた訳だよ。
しかし、わたしは夜遅く目を覚ましてしまった。
誰かが、わたしを呼んでいた。
具体的に説明すると、何だか鬱陶しい囁き声に、わたしの意識は無理矢理気味に覚醒させられてしまったのだ。
ほんとは行きたくなかったけど、その声からは微かに、本当に微かにだけど、あのこびりつくような妖気が感じられる。
誘いなのかも、しれない。なら、
「……はぁ」
……罠かもしれないけれど、行くしかない。
ちらっと眠気眼で視線を蓮子の方へと向けると、蓮子はわたしに背中を向けてすぅすぅ寝ていた。
おうおう、気持ち良さそうに寝てるわー。
……羨ましい。
そんな気持ちを、無理やり騙くらかして、暖かい布団から何とかどうにか抜け出したわたしは、寒風が走る深夜の世界に外出した。
人は寝静まり、無音状態、視界は不良好と言った深夜のなかで、わたしはわたしを誘う声に耳を澄まし、その声の主に向けて足を進めている。
一寸先は闇どころか、自分の手足すら見えない暗闇。
これじゃ歩くことすら儘ならない。
だから、わたしは何処ぞで拾った小枝の先端に霊力を灯し、松明代わりにする。
暗闇に、ぼんやり薄く光る蒼光。
しかしそれではどうも心ともなくて、わたしは何度も転びかけては、乙女の意地にかけて必死に堪えていた。
もう、私の心はイライラで爆発寸前だ。
仏様ですか? と訊かれたことがあるような無いようなわたしと言えども、やっぱり限度というものがある。
いつ堪忍袋の緒が切れてもおかしくなかった。
しかし、その前に。
ぽちゃん、と。
前に踏み出した右足が、頼りない水の中に沈み、慌てて沈みかけた足を上げる。
「……ここは?」
そう疑問の声を出して、はたと気づく
――ここは、湖だ。
知らぬ間に、わたしはあの綺麗な湖に辿り着いていた。
しかし、その湖は昼の頃の、あの太陽の光をきらきらと反射していた綺麗な湖とは違い、光の一切見えない……不気味なものに感じさせる。
これが、本当にあの湖なのか……
そして、その湖から何者かが現れた。
当初予想した、妖怪ではなかった。
そして、人間でもなかった。
そいつは……
「へぇ、自分から退治されに来るなんて、あんたは良い亡霊の鏡ね」
……亡霊だった。
わたしは洒落た冗談を交えながら、いつも背中に預けている、梓弓を構えた。
持ち運びがしやすいように、大きさはそれほどでもない、短弓にも似た作りの梓弓ではあるが、他の短弓には無い特徴として、梓の木が使用されている。
理由は知らないけど、梓の木が使用された梓弓は霊的干渉力がとても強く、巫女を目指す者ならば誰であろうと、おすすめの一品である。
わたしが使っているという事実が、最も足る例だと思ってくれて構わない。
これに掛かれば、幽霊なんて一発だ。
わたしはそんな梓弓の照準を、亡霊に合わせていた。
すると、この亡霊は、焦ったように声を張り上げてくる。
「ま、待ってくれ! 僕は村の誰にも危害を加えていないし、あなたにも危害を加えるつもりはないんだ! 僕はただ話がしたい、だけ……」
「悪いんだけどね、今わたしはあんたに構っていられる余裕は無いの」
亡霊はそうやって必死に訴えかけてくるのだが、しかしわたしはそれを簡単に切り捨てた。
非情に見えるかもしれないけれど、優先順位の問題である。
今を生きている生者、そして、今も死んでいる死者――どちらを優先するのか、簡単な問題だ。
滅ぼさないだけ、慈悲のある対応だと思っていただきたい。
「分かったなら、さっさと退きなさい。あんたの心意気に免じて、退治はしないであげてやるわ。どうやら、そう悪いものでもないらしいし」
「…………」
分類的には、地に縛られた亡霊の類いかな?
地に縛られた亡霊ってのは、どれも辛気くさくて自身の死を認識できていない者ばかりだったりするけれど、どうやらこの霊は違うみたいだ。
恐らくだけど、この亡霊は、この湖に特別な理由を有して宿っているものだと思う。
どうも悪い気は感じられない。
……うーん、こういう亡霊を滅ぼすのは、少しだけ抵抗がある。理由があれば問答無用に滅ぼすけど、理由が無ければしたくない、そんな感じだ。
だから、提案した。
退くなら、放っておくと。
しかし、亡霊は退かなかった。
通せんぼでもするかのように、両腕を広げてわたしの通路を塞いでいる。
「……あのね、正直あんたの、その意地のようなものは嫌いじゃないんだけど、邪魔をされるのは鬱陶しい。いい加減にしないと……本気で滅ぼす」
「……ッ!」
……弑す、とそう殺気を込めて睨みつける。
亡霊でも、人間の意識がまだ残っているのか、こういう脅しは結構――効く。
……ひゅぅ、と亡霊は息をするでもないのに、その喉から、情けない風が吹くような音が漏れ出した。そして、その音は、恐怖に染まっている。
まぁ、ただの亡霊が、殺気を放たれたら怯まない筈が無い。
見る限り、何の力も持たないような、ただの亡霊。亡霊になる前も、ただの一般の人間だったんだろう。
けれど。
それでも。
それでも、退こうとしないのは……一体どんな理由があるからなのか?
と、普段のわたしなら暇に明かして聞いてみるという可能性も、無くは無いんだけど、さっきも言ったように生憎わたしには余裕が無い。
……割りと、そこそこ、苛立っている。
「……お、お願い、します……! 話だけでも! 話だけでも……!」
「…………」
肉の殻なんてとうに脱ぎ捨てているのに、縋りつくように頭を下げ、膝小僧は地面にくっ付いている。しかし、その手は当然わたしを掴めない。
亡霊なんて、そんなもんだ。
強い未練を残し、その未練のみでこの世に何とか留まっているのに、しかしその未練を叶える術は亡霊には無い。何時だって、願うことしかできない。
……残酷な話だとは思う。
しかし、残酷じゃない話なんて、この世界には一体如何ほどあるのかって話でもある。
はぁ、とわたしは、これ見よがしに大きく溜め息を吐いた。
……わたしも、甘い。
「……分かった、話だけ、話だけなら聞いてあげる」
「……ッ! ありがとうございます……!」
話だけなら、大丈夫だと、そうやって心中で自分を誤魔化してはみた。
けれど、本当に話だけで終わるのか、正直不安だった。
七。
「……えーと、まず最初に訊きたいんですが、あなたは、蓮子の家で食事して、そして、布団に入って一緒に寝た、間違いないですよね?」
さっきの縋りつくような態度は、まるで嘘のように穏やかに訊いてきた。
わたしは……こいつも存外肝が太いなと、そう思ったけれど、疑問自体は答えられないようなものでも無かったので、普通に頷く。
「あー、まぁ、そうだけど」
四郎の言うことは、間違っていない。
加えるなら、布団は別々だったことくらいか。
いや、待って。
……なんか、嫌な予感がしたんだけど。
「僕はあの家の主人――つまり蓮子の夫なんだ」
「……え?」
……何を言っているんだろうこの人は?
主人? 夫?
はっはっは、どうやら耳が腐っていたらしい。
もう一度、どうぞ。
「いや、だから、僕は蓮子の夫なんだよ」
「……え、ちょ、ちょっとだけ待って」
やばい、脳内に宇宙的背景が広がっている。
つまり、思考が停止している。
それだけ、今の亡霊の発言は、わたしにとって衝撃的だった。
いや、でも……もちつけ、じゃなくて落ち着け。
しっかりとこの状況を認識するんだ。
「……じ、じゃあ、あんたが四郎なの?」
「え、知ってたの?」
「いや、まぁ、蓮子から少しだけ話くらいは……」
実質、名前しか知らない殆ど他人のようなものだけど。
……というか、こいつが四郎だったんだ。
何て言うか、想像とは違った。想像よりずっと凡庸な顔立ちだ。
あんまりかっこよくない。
まだ、あの信太郎の方がお似合いに見える……けど、それはわたしの主観だし、わたしには到底わかんないけど、蓮子が好く理由があるんだろう。
……うむ、良く見れば、優しげで安心できそうな気がしなくもない。
あー、何となく、何を話すのか見えてきた。
「取りあえず、話を聞いてあげるから、ちゃっちゃと話しなさい」
わたしはそうやって男を急かした。
「僕は――」
そうして、現世に残した未練を、四郎は語る。
「――もう一度、もう一度だけ、蓮子と会って話がしたい」
悲痛にまみれた声で、自らの願望を訴えた。
……あれ?
「……約束、は……?」
呆気に取られたような、そんなわたしの声が暗闇に響いた。
四郎は――それも知ってたんだ、と驚いたような顔をしていたが、しかしすぐに顔を引き締めると、平静な声で、しかし何らかの感情を抑え切れない声で言った。
「……あなたは、何かとても急いでいるから、あまり要求するようなことは言ってはいけないと思ったんだ。僕の用事は、それが終わってからで全然構わない。気が向いたらで良いんだ。僕のことを覚えていてくれるなら」
「……あのね、わたしがそれをやるとは、まだ何も言ってないんだけど」
堪らずわたしは、そんなことを言った。
「――確かにそうだった。……なら、お願いします。もしあなたの用事が終わって、気が向いたなら、僕と蓮子が話をする機会をください」
「……呆れた」
蓮子と四郎、とんだ似た者夫婦だ。
四郎の言う用事とは、ずっと待ち望んで焦がれてきたもの、そう簡単に譲れる訳が無い。
後回しならまだ待てるかもしれないけど、しかしわたしはそれを明言していない。
本当に、ただ――話を聞くだけ。
馬鹿正直にも程がある。
……腹が痛い。
なんで、今日わたしが出会う人達は、こっちが申し訳無くなりそうな善人ばかりなんだ。罪悪感が、身体にまで影響が出てるんだけど。
いや、わたしは何もしてないけどね!
ただ、騙くらかそうとしただけなんだからね!
……辞めて、何も言わないで。
「……分かった、分かったわよ!」
罪悪感に負けてしまって、わたしは決意した。
元々、やることは決まってたんだ。
今更そこに、一つや二つ増えたって、構いやしない。
全部やったげる!
蓮子を救うし、妖怪は退治する!
そして、約束を守らせる!
――ぱんッ!
頬を叩いた音が、湖の底まで響いたような気がした。
つまり、それだけ痛かったってこと。
大丈夫?
頬、腫れてないよね?
いや、気にするのはそこじゃない。
……うん、痛いけど、ちゃんと気合い入った。
そうして、無理矢理吹っ切ったわたしは、強く地面を踏み鳴らす。
四郎は呆気に取られたような顔をしていたけど、わたしにその情状を酌量する余地は無い。有り体に言えば、イラついていた。
「……これ」
ほいっと、親指と人差し指で作ったわっかと同じくらいの大きさの、綺麗な蒼の水晶のような球体を、わたしは四郎に向かって無造作に放り投げた。
「わ、わわッ!」
焦りながらも、何処か余裕そうに受け取った四郎。
意外と運動はできるのかもしれない。
まぁ、そんなことはどうでも良い。
わたしは、この球体について説明する。
「これは、霊力を凝縮して作った玉。生者が口に含めば霊力を回復することができるし、死者が口に含めば溶けるまでの間――生者と同じ活動ができる」
「……つまり、どういうこと?」
ずこっ!
と転けそうになるのを、何とか我慢した。
いや、まぁ、霊力とかそういうのを知らない奴には、ちょっとばかし難しい説明だったかもしれない。
でも、ちょっとでもそういうことを知る奴だったら、本気でおったまげる代物なんだけどなぁ……
だって、霊力とは人の根元的な力、生命力。
この霊力玉は、その生命力を分け与えることができる。
故に、死者は――
「――この玉を口に入れている間は、息ができるし、触れ合えるし、話すことができるってこと。あんたの未練を叶えるのには、うってつけの代物ね」
失くさないでよ、とそう注意をして、わたしは四郎に背を向けた。
ちょっと時間を潰し過ぎた。
最初は妖気を感じられたから、追ってみたけれど、しかし、ただ妖気が付着しているだけだった。殺された時の妖気が、しぶとくこびり付いているんだろう。
なら、わたしは早く蓮子の元に戻った方が良い。地に縛られた亡霊は動きたくても動けないのだから、助けたくても助けられない。だから――
「――すぐに蓮子を連れていく。あんたは、待ってなさい」