金稼ぎの為に巫女を偽ってから、ずっとお腹が痛いです…… 作:天瑠香
八。
僕に背中を向けて、勇ましく疾走する紅と白の特殊な服を纏った少女。
この少女を初めて目にした時、一目で僕は、この少女が巫女であることに勘づいた。そして、気がつけば、僕はこの少女に縋りついて、そして頼っていた。
勝手な理由で、その人の行動を邪魔してまで……
それなのに、そんな身勝手な人間の言葉なのに……
……少女は、力強く頷いてくれた。
――そして、こんなものまで。
僕は蒼い玉を、掌に乗せて眺めてみる。
美しい宝石にも良く似た蒼玉。
実物を見たことはないけれど、しかしその玉体は、この世のどんな宝石よりも美しいものではないか、そんな感情に駆られた。
これがあれば、蓮子に会える。
その光景を夢想して、僕は地面が揺れているのかと錯覚するほどに、鮮烈な感動がこの身を震わせた。
死者の身であるのに、生者のように暖かな炎が内側で燃えていた。
今にも叫び出したくなるほどに、強い歓喜の情が湧き上がっていた。
無理もない。
僕はあまねく星々を見上げて、苦笑する。
何せ、三年もひたすら足掻き続けた。
それを多いと見るか少ないと見るかは人の勝手だけど、けれど僕にとって、それは地獄に数百年堕ちた方が、まだマシだったかもしれない。
……それほどの、苦痛だった。
そんな僕を、この少女は救おうとしてくれるのだ。
いや、救おうとしているのは蓮子か?
どちらでも構わない、どちらでも嬉しいから。
だから、恩義を感じない筈もない。
情けないことに、僕は安心感さえ覚えていた。
巫女である前に、少女でもあるのに、僕は情けなく縋って、そして安心してしまったのだ。
自己嫌悪してもおかしくないのに、僕はしなかった。この人に頼れば何とかなると、そんな根拠の無い安堵を覚えてしまったから。
それが理由なのかは知らないが、僕は二年前の、つまりまだ僕が生きていた頃の思い出が、走馬灯のように甦ってくる。
なに、時間ならまだまだ、そこそこありそうだ。
だから、待っている間、少し昔のことを懐かしむことにしよう。
***
――別に、その女が欲しいと思った訳じゃなかった。
一目惚れなんてしたことないし、まして劣情なんてモノを抱いたこともない。
あー、確かに綺麗だなぁと、女を――蓮子を見たときそう思ったけど、だが言ってみればそれだけのことで、僕はその後すぐに興味を失った。
だけど、どうしてだろう?
何故か僕は、蓮子と行動を共にするようになっていた。
今だからこそ、息苦しかったのかもしれないと想像できるけど、当時の僕には、何で冴えない容貌の自分と、彼女はいつも一緒にいるのか、正直分からなかった。
まぁ、けれど、来たいと思うなら来れば良い。
わざわざ拒絶する理由も見出だせないし、僕は蓮子を受け入れた。
そして――気がつけば結婚していた。
いつの間にか、という表現がこれほど似合う事例も他にないだろう。
僕達は、村の若い者達のような恋愛はしなかった。
甘くもなく、必要以上にべたつく訳でもなく、想いを告げるでもなく――まるで兄弟、まるで家族、まるで親友、まるで老夫婦。
冷めているのではない。むしろ、暖かい。
決して手放したくない暖かさだった。
それは例えるなら、既に生活の一部になっているような――依存するほどに好き合っているのに、接吻すらしたことも無いような変わった男女関係。
好きだと思う。
愛していると断言できる。
だけど、今さら恋愛事をしようとは思わない。
恋という感情をすっ飛ばし、真実の愛を知ったような、そんな感覚だった。
普通の恋愛との逆方向。
始まりから終わりに進むのが、一般的恋愛だと言うのなら、終わりから始まりを積み上げる。
それが、僕達の恋愛だった。
愛を知り、夫婦の禊を交わし、そして一からゆっくりと恋を育む。
歪な形ではあったけど、それは確かに愛し愛される、幸せの一つだったんだ。
なんで結婚しているんだろうね、と僕は訊いた。
愛してるからですよ、と蓮子は言った。
幸せなのかい、と僕は訊いた。
幸せです、と蓮子は言ってくれた。
一緒に生きようと、僕は約束した。
一緒に死にましょうと、蓮子は願った。
……僕は、約束を破ってしまった。
ぐしゃりと胴体を潰された僕の肉体。
その化物は、ただ握り締めただけなのに、僕の骨太は爪楊枝よりも脆く折れた。柔らかく内臓が破裂した。筋肉は何の足しにもならなかった。
……とても、とても、痛かった。
だけど、それよりも、もっと……心が痛かった。
約束を破ってしまって、先に逝ってしまって、蓮子を一人残してしまって、心が、肉体の痛みなんて些細なくらいに、強く痛みを訴えた。
――その痛みに堪えきれなくて、必死に足掻いて、藻掻いて、悪あがきを繰り返して、肉体を捨て去って、魂だけになっても現世に留まって。
……しかし、何もすることはできなくて。
健気に約束を待ち続ける蓮子を見ていると、無いはずの身体が張り裂けそうなほどに、砕け散りそうなほどに、心が悲鳴を訴えていた。
……こんな蓮子を、見たくなかった。
僕はただ、幸せそうに笑う蓮子が見ていたかっただけなのに。
ただもう一度、一緒に湖を見たかっただけなのに。
あの約束を。
願って、望んで、求めて――そして、奇跡が訪れた。