ゾイド仙人の修行は大半が雑用だ。
住居にしている遺跡の掃除。食材の調達と調理。近くの小川での洗濯。
ただし、一旦ゾイドに乗せられると半日は降りることを許されない。その時の主な仕事は遺跡をうろついているラプトールを追い払うことだが、それが済んでも、食事やら昼寝やらその他生活のすべてをゾイドの背中でやらなければならない。
ここに来て約半年たつが、乗り方を直接教わったことは、両手の指の数を少し超える程度しかなかった。
本当に強えのか? という疑問を抱いたことは一度や二度ではない。しかしそのつど、修行初日に見せられたグソックの異様な動きが浅はかな考えを打ち払った。
(クソ強えんだよな、マジで)
ベーコンはその時抱いた驚愕と憧憬を胸の中で転がしながら、石造りの遺跡の上で寝返りを打った。
あの力があれば自由に世界を渡っていける。守りたいものを守れる。助けたいヤツを助けられる。奪い、奪われ、削られていく一方だった生き方から脱出できる。
もう何百回繰り返したかわからない夢想を頭に描いた彼は、いつまでたっても明るいままのまぶたの裏に見切りをつけ、大人しく目を開いた。
空は晴れ渡り、太陽は南中の位置にあった。
場所は階段状になった遺跡の途中。時は、昼食を終え、仙人に言われた仕事と仕事の合間。ただの休憩時間のことだ。
「おい、起きてんのか」
ぼんやりと青空を見上げる視界にぬっと入ってきた男のしかめっ面が、食後の眠気をさらに遠ざけていった。
ミミガー。
ベーコンと同じくクソッタレた街で生きてきた男だ。
明後日という日付が永遠に遠いスラム育ちというだけでなく、そこで腐り続けることをよしとせず外の世界に飛び出した行動力まで含めても共通点は多く、いつしか親友とも呼べるような間柄になっていた。
二人そろってゾイド仙人のところに入門したので、兄弟弟子ならぬ双子弟子といった感じだ。
「見りゃわかんだろ、起きてるよ。こう明るくちゃ、眠くもならねえ」
ベーコンはぞんざいに答えながら上体を起こした。
ミミガーが隣に座ってくる。
「あのじじいはメシ食ってすぐに高いびきかいてたぞ」
「一日何時間寝れば気がすむんだ。そのうちの半分でも、稽古をつけてほしいっていうのによ」
「まったくだぜ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすミミガーの横顔をベーコンは見た。
長い髪の端正な顔立ちの男だ。一つか二つくらいは年上かもしれない。
こちらが生まれた街もひどい人間ばかり住んでいたが、彼のところもそうだ。しかし、ミミガーの場合はまた別種の、奇妙ないびつさを持っていた。
ベーコンの故郷の人間は、子供の頃はみんなまともで、生活や環境の酷薄さに歪められていくのが大半だった。コップに汲んだ水が最初は澄んでいたのに、時間と共にだんだん濁っていくような感じだ。
だがミミガーは、濁ってはいなかった。最初に会った時から。
こいつはこいつで澄んでいる。澄み切っている。だが、コップの中身は水ではない。そんな気がした。
「よおベーコン。ゾイドってのは人間にとって何だと思う?」
不意にミミガーが聞いてきた。
「あん?」と聞き返したが、彼の目は密林のはるか先を見据えるばかりで、からかうような気配はなかった。
「そりゃ、ゾイドは相棒だろ」
ベーコンはミミガーが見ているものを探そうと、同じ方角を見つめて答えた。
ゾイドは相棒だ。人間の足では渡り切れない荒野を、湿地を、砂漠を、脇目も振らずに駆け抜けさせてくれる。
それは自由だ。
そして同時に、こちらが信頼を向ければ、信頼を返してくれる。
それは友だ。
ゾイドは相棒。それはベーコンの――いや多くのゾイドハンターにとっての実感だった。
が、返ってきたのはでかいため息。
「わかってねえなあ、そんなだからもずく頭なんだよおまえは」
「誰が老舗旅館の高級もずくだコラァ!?」
「勝手にグレードアップしてんじゃねえよ!」
即座に言い返してきたミミガーに、ベーコンは反撃する。
「おまえこそ色付きそうめんみたいな真っ直ぐな髪しがやってよお!」
「誰が王室御用達の最高級そうめんだコラァ!」
「さりげなく俺より偉くなってんじゃねえよォォォ!」
ひとしきり言い争ってから、ミミガーは舌打ちして立ち上がった。
「おまえにこんな話しても意味ねえや。やめだやめだ」
「言ってくれるじゃねえか。なら、そのへんの石にでも話してるか? いいから座れよ。おまえはゾイドを何だと思ってるのか、聞かせろよ」
ベーコンが自分の隣の地面を叩くと、ミミガーはまた舌打ちして座った。
へそまがりだ。それはお互い様だが。だからこそつるんでいる。気遣いなんぞ無用。言いたいことを言い合えばいいだけの仲。そして、こんな辺鄙なところに人間が来ることはまずない。どうしたって、話し相手は貴重になる。
彼はこう口火を切った。
「ゾイドってのはよ、“手足”だよ」
ミミガーの発言はしょっぱなからベーコンの胸をざわつかせた。
「おい、そりゃ人間の道具ってことか?」
あのスラムを飛び出して旅する中で、ゾイドをそういうふうにしか見られない人間を何人も見てきた。どいつもこいつも、一言で言ってろくでなしだった。コップの中の濁り水だった。
が、
「何言ってんだベーコン。おまえ、自分の手足を道具だと思ったことあるのか?」
決して濁っていない目がこちらを見返し、ベーコンは息を呑んだ。
「それは……ねえよ」と返しつつ、やや冷静になった頭が次の言葉を勝手に押し出す。
「じゃあ、一心同体ってことか?」
「心? それも違うな。――不可分なんだよ。人間とゾイドは」
「は……?」
ミミガーの言葉の意味を見失い、ベーコンはただ薄く笑った相手の顔を見つめた。
「おい、ゾイドには何で
彼は興が乗ってきたように顔を近づけてくる。
「座席? そんなもんねえだろ」
まともに乗ったことがあるのはまだクワーガかラプトールかだけだが、乗り手は座席に座っているというより、背中や首の後ろにへばりついているだけという印象だ。
「いいや、あれは座席だ。わざわざ人間がそこに収まれるようにできてんだよ」
しかしミミガーはそう言い張った。
確かに――
(こいつの操縦センスは、俺よりも上なんだよな……)
仙人から一目置かれ、ベーコン自身、彼の騎乗技術には敬意を払っていた。卓越したミミガーのバランス感覚は、あのしがみつくので精一杯の場所を、快適な座席と見なしているのもしれない。
(こいつは、面白い話が聞けるかもしれねえ)
もし何かのコツを掴むきっかけにできれば、クワーガやラプトールよりも俊敏で獰猛なゾイドも乗りこなせるようになるかもしれない。
強くなりたい。その思いはベーコンも持っている。
しかしそれは、誰かを傷つけたり、何かを奪ったりするためのものではない。
誰も傷つかずに済むため。誰にも奪わせないため。自由であるための強さだった。
「ゾイドにはみんな人間が収まれる場所がある。なら、生まれつきそうだってことだ。他のどんな生き物がそんなことしてるよ。馬が鞍つけて生まれてくるか?」
「馬のお産を見たことがねえ」
「俺もねえが、鞍はつけてねえよ絶対に。ゾイドだけが、生まれつき鞍を持ってるんだ。この意味がわかるか?」
ベーコンは首を横に振った。難しい話だ。しかしどうせ、ミミガーが自分で続きを話すだろうとも思った。意外とおしゃべりが好きなヤツだ。
「ゾイドは人間を求めてる。人間が必要なんだ。あいつらだけじゃ生きていけねえから」
ミミガーはそう結んだ。
「おいおい、そこまでは言い過ぎじゃねえか?」
話が操縦のコツどころではなくなってきたので、ベーコンは少し慌ててたしなめた。しかし、すっと向けられた妙に理知的な眼にこう問われ、無理やり話題を延長させられる。
「どうして人間が必要なんだと思う? 相棒だとか友達だとかの夢物語じゃねえぜ。現実的な利点の話だ。言えよ、ベーコン」
「…………。人間だけが、ゾイドを修理できるから、か?」
「そうだよ」
ミミガーは満足げに笑った。無邪気な少年のようだった。
「ゾイドの金属構造には自己再生能力がある。だが、基本的に荒っぽいゾイドは、それじゃ追いつかないほど生傷だらけだ。直接修理してくれる誰かが必要になる。それが人間ってわけだ」
「人間の工学技術は、ゾイドの修理から始まったって説があるな……」
「わかってるじゃねえか、ベーコン。それだよ。ゾイドと人間は実利的な関係なんだよ。やっぱりおまえは、ただの夢物語野郎とは違う。現実が見えてる」
「現実“も”見えてる、だ」
ベーコンは釘を刺したつもりだったが、ミミガーに届いた様子はなかった。
「人間と共に行動するために、ゾイドは体の一部に鞍を造った。俺の見立てでは、そいつが一番スムーズに進んだのがガノンタスだ。ヤツらは大事な甲羅の一部を開いて、人間のためのスペースにした。人間がどれだけ重要なパーツだか、わかってやがるんだ」
「……! パーツだと? 人間がか?」
まさにその釣り針に引っかかるのを待っていたかのように、ミミガーは口元を歪めて笑った。しかしそれでも、声も目も澄んだままだった。
そして彼は驚くべき結論を口にする。
「ゾイドも人間も、器官(オルガン)なんだよ。人間が頭で、ゾイドが手足だ」
「おまえ……何言ってるんだ?」
ベーコンは愕然として聞き返した。しかしミミガーの話は止まらない。
「わからねえのかベーコン? 人間は弱すぎる。ゾイドは本能的すぎて賢さがたりねえ。二つ合わさってちょうどいいのさ。だから不可分なんだよ。1たす1は2じゃねえ。大きな1ってことさ」
こんなぶっ飛んだ話を真顔で聞けるはずもなかった。しかし、ミミガーの顔と声には、それを妄想と一蹴させないだけの説得力があった。
馬鹿馬鹿しいから、ありえないから、そんな木で鼻を括ったような反論は、一瞬でかき消されてしまうだけの迫力が、確かに存在した。
しかし、
「ぷっ……ハッハッハッハ!」
ベーコンは笑っていた。正面から笑い捨ててやっていた。
「何がおかしい?」
当然、ミミガーは憮然として問いかけてくる。逃げるようなつまらない答えをよこしやがったら、もうおまえとは絶交だ。尖らせた眼差しにその言葉を滲ませながら。
だからベーコンは黒目をぎらりと光らせ、それを正面から迎え撃つ。
「だってよミミガー。それじゃあ、手足になるゾイドに、ねえだろ」
「何が」
「魂がだ」
「――!」
見開かれたミミガーの目に、今度はベーコンが挑戦的な顔をぐっと近づける番だった。
「人間とゾイドの魂が共鳴してワイルドブラストが起こるんだ。手足だの、パーツだのと中途半端な部品じゃねえ。一個で成立する別々のものが互いを認めるから、あの現象は起こるんだぜ。それともおまえ、自分の手足に別個に魂があると思ってたのか?」
「……ゾイドに魂なんか、ねえよ。あれは器だ……! 攻撃性と攻撃能力を持つだけの、機械の器だ……!」
憎々しげにうめいたミミガーに、直前までの異様な気迫はなかった。ベーコンは笑って逃げ場を塞ぐ。
「いいや、あるね。今はまだ感じられねえが、俺も……そしておまえも、必ずそこにたどり着ける。1たす1はやっぱり2さ。2だからいいんだよ」
「いいや、大きな1だ!」
「2だな!」
ここまで来るともう理屈ではなかった。子供のケンカだ。
「このもずく頭! 大きな1だっつってんだろ!」
「やるのかそうめん頭! 2っつったら2なんだよ!」
「やかましい! 二人して何を騒いどるか!」
二人が口角泡を飛ばし合う中に、別の声が交じった。いつの間にか外に出てきたゾイド仙人だ。
「何が大きい1だとか2じゃ! 愛か!? 女の子からの愛の数か!? わしはな、5000兆くらいほしいな! 世界中の美女から日替わりで愛の言葉をささやいてほしいわい!」
「誰がそんな話してるかよじじい!」
「元はと言えば、てめえが俺たちに稽古をつけねえから暇でしょうがねえんだろうが! もう許さねえ!」
「ああ? 何じゃ二人して、素手でわしに勝負するつもりか? ――千年早いわ!」
掴みかかったベーコンとミミガーは逆にボコボコにされた。
とりたてて珍しくもない、いつもの風景だった。