聖櫃に抱かれた子どもたち+   作:佐伯寿和2

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エレナの告白 その一

町の南端(なんたん)にある、島に一つしかない小さな教会。

切り立った(がけ)の上にあるそれを俯瞰(ふかん)したなら、まるで町から追い出された厄介者(やっかいもの)のようにも見える。

しかし、神の御使(みつか)いの住まう神聖な建物(たてもの)は、そんな環境に置かれてもなお、主人の帰りを待つ忠犬(ちゅうけん)のように(たの)もしく、羊たちを(みちび)牧羊犬(ぼくようけん)のように凛々(りり)しい風貌(ふうぼう)(そこ)なわない。

 

町の中心部は今日も血と汗の臭いを(ふく)んだ喧噪(けんそう)(にぎ)わい、()()きとしている。

それでも聖なる戒律(かいりつ)(じゅん)じる教会は、対照的(たいしょうてき)な性格を見せる町の様子を否定することなく、ただただ(いつく)しみの目で見守っている。

 

今日も今日とて、御使いは教会の(けが)れを落とし、いついかなる時も救いの手を()()べられるよう心身を(きよ)め、待ち続けている。

まるで、甘い香りを(はな)つハエトリグサのように。

 

 

そこへ、一羽の小さなカモメが覚束(おぼつか)ない足でフラフラと(たず)ねてきた。

「おや、(めずら)しい。島の外の人がこんな娯楽(ごらく)のない場所にやって来るなんて。」

微笑(ほほえ)みを()やさない御使いは(ひざ)を折り、目線を合わせながら(あき)らかに気落ちしているカモメに声を掛けた。

「……」

「おやおや、どうやら悪い悪魔に口を()()けられてしまったようだね。中に入りなさい。悪魔を払うなら蜂蜜(はちみつ)入りの紅茶が一番なんだよ。」

慈愛(じあい)に満ちた御使いは優しく、(けが)れのない教会へとカモメを(みちび)いた。

 

「どうだい?美味(おい)しいかい?」

温かい紅茶を差し出されてもカモメは無愛想(ぶあいそう)(うなず)くことしかしなかった。

けれども御使いはカモメが頷いたことに満足し、笑みを浮かべながらカモメの頭を()でた。

「実を言うと、紅茶は私の趣味(しゅみ)でね。君にそう言ってもらえて私も嬉しいよ。」

温かな声の(ぬし)をチラリと見遣(みや)ると、御使いは――70に差しかかろうかという()いた男なのに――まるで聖母のような母性(ぼせい)(あふ)れた表情をしていた。

撫でる手は肌荒(はだあ)れているのに木綿(もめん)のような(やわ)らかさでカモメの毛羽立(けばだ)った心を落ち着かせていった。

「朝食は食べたかい?」

「……うん。」

「そうかい。飽食(ほうしょく)は罪だからね。今回は食べさせてあげられないけれど、私はスコーンもよく焼くんだよ。」

「…へえ。」

「もし、またここに来ることがあればその時はお腹を()かせておいで。とびきりのスコーンを用意してあげよう。」

「うん。」

御使いはまた笑い、膝の上の愛猫(あいびょう)()でるようにカモメの頭をソッと撫でつける。

 

「……神父様。」

ほんの少し表情の(ほど)けたカモメは少しだけ、勇気を出して口にした。

もう、誰も信用できないような気持ちだったカモメでも()使()()()()()()の全てを信用しないまでも、少しくらいなら頼っていいような気持ちにさせた。

「神父様にお父さんはいますか?」

そんなバカバカしい問い掛けにも、御使いはカモメを笑わず真摯(しんし)に答えた。

「…そうだね。私にも尊敬(そんけい)できる父がいたよ。」

「……もう、いないんですか?」

「…戦争でね。」

その顔に悲愴(ひそう)がさしても、笑みはカモメを()めたりはしない。

立派(りっぱ)な父だったよ。最後まで戦い抜いた人だった。」

御使いは笑いながら、痛みを(こら)えるように目を細めた。

「あの人の誰かを護る背中は今でも私の目に焼き付いている。」

カモメはじっくりと彼の顔を見詰(みつ)め、自分に真似(まね)のできることがないか観察(かんさつ)した。

口癖(くちぐせ)が、あったんだよ。」

「どんな?」

「”私は知っている。その先に愛があるんだ。”」

御使いは真似事(まねごと)でもするように胸を張り、目尻をキリリと持ち上げた。

「…戦争のこと?」

「全てだよ。小さな口喧嘩(くちげんか)も、愛していた猫が死んだ時も。あの人はこの言葉で私を(なぐさ)めてくれた。」

御使いは胸の前で小さく十字を切り、(いの)りを(ささ)げながらカモメに微笑(ほほえ)んでみせた。

 

「お嬢ちゃんには、誰か護りたい人はいないのかい?」

御使いは紅茶のおかわりと一緒(いっしょ)(たず)ねた。

「……私は、護られたことしかありません。」

カモメはゆっくりと首を振り、()れた(くちびる)から内側に()めこんだものを(すべ)り出した。

御使いはポットを置き、彼女の勇気ある行動を()め、優しく、優しくカモメの羽を(ととの)える。

「それは()じることでも、(わる)びれることでもないよ。むしろ、たくさん護られてきたからこそ、護りたい人ができた。でも、どうしたら良いのか分からない。だから君は今日、ここに来たんじゃないのかい?」

「…私は、その人に捨てられたから。」

空を見上げる様子のないカモメの姿に、御使いは何者かを(かさ)ね、やはり丹念(たんねん)に羽を整え続ける。

「それは、君の思い違いだね。」

「え?」

「君が一度でも、”護られた”と感じたなら。一度でも、君のために涙を流したなら。彼は絶対に君を捨てたりはしない。」

「でも……」

「それには(わけ)があるはずだよ。」

「どんな?」

「…それは私にも分からない。」

小さな頭を撫で、微笑み続けた御使いが初めて首を振り、カモメの問いに答えを添えなかった。

 

御使いの期待(きたい)(はず)れの返事に落胆(らくたん)したカモメは(うつむ)き、その翼を固く()ざした。

「君のお父さんのことは分からない。だから、()わりに私と私の父の話をさせてくれないかい?」

カモメは雨に打たれる若葉のように力なく頷くばかり。

「さっきも言ったけれど、私は父を心から尊敬していてね。父が戦死したと聞いた時、私は祖国(そこく)(にく)んだものだよ。あんなに素晴(すば)らしい人を(うば)った祖国こそ、私にとって最大の悪だとね。」

そう(かた)る御使いの顔に「憎しみ」は欠片(かけら)(うかが)えなかった。

途端(とたん)に、カモメの耳には御使いの話が嘘のように聞こえてきていた。

自分を言い聞かせるための嘘なんじゃないかと。

「本当に、立派な父だったんだ。」

そんなカモメの心内(こころうち)見透(みす)かすように御使いは殊更(ことさら)深く、微笑みかけた。

見透かされたことに気付いたカモメは、自分の(あさ)はかさを恥じ、俯いてしまう。

「あの頃の私は父の背中を通してしか世界が見えてなかったのだろうね。」

カモメの小さな罪を許すように御使いはやはり彼女の頭を優しく撫でる。

正羽(せいう)羽繕(はづくろ)いをするように、綿羽(めんう)に空気を送るようにソッと。

そうして寝る子に絵本を読み聞かせるように、御使いは昔話の続きを語り始めた。

 

「私は母の説得(せっとく)を無視して敵国の兵士に志願(しがん)した……。」

彼の遠い目は今まさに、そこに、その瞳に彼の母の悲痛(ひつう)の表情を(うつ)しているかのように見えた。

「おかしいだろう?私は父のしていたことと全く逆のことをしていたのさ。」

けれども、(しお)(かお)りが彼をクレニアに呼び戻し、カモメの姿を映させた。

「でもね、若い私にはそれがわからなかったんだ。ただ、目の前にある答えだけが真実だと疑わずに、祖国を憎み続けたよ。」

回想(かいそう)する彼を(なぐさ)めるように、紅茶の湯気が彼の鼻先を撫でる。

「だけど、戦争をすることに()れた時、私は気付いたんだ。」

窓から(のぞ)く、クレニアの濃厚(のうこう)な潮風に舞う渡り鳥たちを見遣(みや)る御使いはどこか、彼らの父であるかのような顔つきをしていた。

「良い人も悪い人も形は違っても心で生きている。心のどこかに家族を(いつく)しむ天使と家族を護るための悪魔を()っているんだ。」

その表現は彼の信仰(しんこう)する教えに反していた。

それでも、彼の経験を大切にする心にも、信仰を愛する心にも嘘偽(うそいつわ)りははない。

「ヒトは(みな)、一番近い人のために生きている。」

彼は祖国の(はた)の燃える戦場で自分の(おろ)かさを知り、死体を()みしだく戦場で神に愛されていることを知った。

「家族を護るために戦争をし、家族を護るために今日のパンを買いに行くんだよ。」

そうして御使いは、胸に下げた十字架にキスをして遠い家族に祈りを捧げた。

 

「だから、戦争してもいいの?」

御使いの言葉の半分も理解できない。

それでも彼の、世界に対する真摯(しんし)言葉(こころ)は彼女に伝わっていた。

「もちろん、誰かが死なないことに()したことはない。でもね、残酷(ざんこく)なことを言うようだけれど、戦争をして気付くこともあるんだ。悲しいことを乗り越えるからこそ気付けることがある。悲しみを知らない幸せが他人を不幸にさせてしまうこともあるんだ。」

二杯目の紅茶に入れた蜂蜜はなかなか溶けない。

それでも御使いの持つマドラーはゆっくりと、(おだ)やかな円を(えが)き続けている。

「君はニワトリと卵、どっちが先にこの世に産まれてきたか知っているかい?」

「……たまご」と答えながら、カモメはそれを取り消すように(あわ)てて首を振った。

この愛らしい仕草を目にしたなら、この世の誰もが蜂蜜を()く手を止めるだろう。

そうなればいい。

しかし、そうはならない。

御使いはそれが心から残念に思えた。

 

そして、御使いはこの護るべき未熟(みじゅく)()()()()()()()自分の心の扉をもう少しだけ開けてみせた。

(おんな)じなんだよ。君が今、答えを見つけられなかったように。戦争と平和も、幸せと不幸せも、どちらが先なんてのは誰にも分からない。もしかすると、分かっちゃいけないのかもしれないね。」

どんなに混ぜてもカップの底には(わず)かな蜂蜜が(かたまり)となって残っている。

けれども、口にすればそれは彼を十分に満足させる甘さをそなえていた。

「そして、どちらかを()くしちゃいけない。どちらもあるから、不幸(ふしあ)せは幸せに変えられるし、幸せは不幸せを(やわ)らげることができるんだ。君がお父さんとお母さんから産まれてきたようにね。」

「…私のお父さんは戦争を失くさないために私を置いていったの?」

「それはね、君のお父さんにも分からないことなんだよ。」

やはり、年を(かさ)ね、多くのことを見聞きしてきた御使いの言葉をカモメが理解することはなかった。

逆に、御使いはカモメの言葉から彼女の父が「戦争」に行ったのだと(さっ)し、彼女への想い入れをますます強くしていた。

 

「…君は今すぐにそれが知りたいのかい?」

カモメは教会に訪ねてきた時のように俯き、力なく頷くだけ。

「君自身が誰かを殺すことになっても?」

「……」

経験のない選択に(せま)られ、自分の力で首を縦に振らなければならない局面(きょくめん)に立たされてようやく、カモメは少しだけ御使いの言葉を理解し始めていた。

「…うん。」

カモメは、御使いの目を見て答えた。

「君のお父さんが”ソレ”から君を護ろうとしていたとしても?」

「…うん。」

初めて、空を見上げた。

()(わた)る瞳に、()()けるエメラルドグリーンの潮風(かぜ)が映っていた。

「愛ゆえに…」御使いはカモメの瞳に心打たれ、今は()き敬愛する人の言葉をポツリと(こぼ)す。

 

「愛を知るカモメよ。旅立ちなさい。海を渡り、世界を貴女(あなた)で満たしなさい。」

御使いは(しわ)だらけの手を少女の頭に乗せ、目をつぶり、彼女の(ひたい)にキスをする。

「神父様?」

「カモメよ、勇気を持ちなさい。私は道を(しめ)すことしかできません。ですが、今の貴女ならそれで十分でしょう。」

唐突(とうとつ)に始まった御使いの職業病に、カモメは若干(じゃっかん)気圧(けお)されながらも目上の好意を(けむ)たがるようなことはしなかった。

ただ、適当な言葉が出てこない。それが申し訳ないように感じていた。

すると彼は微笑みながら「御使い」を()()てて言い直した。

「今、君のことを知っている人に尋ねてみなさい。きっと君のお父さんの行き先を知っているはずだよ。」

明日には消えてしまっているかもしれない、邪気(あどけ)ない少女の(ほお)を男は()しむように(なぞ)った。

「そして、今の決意を彼らに見せるといい。そうすれば彼らも()えて君を無下(むげ)にするような真似(まね)はしないよ。」

そして、大事なロザリオを少女の首にかけ、期待(きたい)を込めるように彼女の肩を叩き、教会の外へと背中を押した。

「人の心は永遠じゃあない。けれども君の今の気持ちが嘘でないのなら、愛する人は必ずこの世界の何処(どこ)かで君を待っている。」

「…本当?」

「ああ、嘘は吐かない。このロザリオに(ちか)ってね。」

「……私、歌が歌えるの。」

「そうかい。じゃあ、次はぜひその歌を聞かせておくれ。私もとっておきのお茶を用意するよ。」

「…うん。」

()(ぎわ)に、男は少女に蜂蜜の入った小瓶(こびん)を渡し、再会の約束を()わした。

 

 

 

――――私は、この島の海が好きだった。

温かいだけじゃなくて、時々湿(しめ)った風で猫のように甘えてくるのもいいと思う。

だから散歩で何度もここに来た。お父さんと一緒(いっしょ)に。

足に(から)みつく波が私を転ばせると、お父さんは私を(ささ)えてくれた。

それが好きだった。

私がワガママを言うと、泳がせてもくれた。

冷たくて、温かくて、強くて、優しくて。

きっと素敵(すてき)な景色が広がっていたんだろうけど、目が見えなくたって私はこの海でお父さんと一緒にいる時間がとても好きだった。

 

 

……神父様は戦争も必要だって言ってたけど、私は戦争を好きにはなれない。

本当のお父さんとお母さんが死んじゃった時のことはボンヤリとしか思い出せないけれど…。

だけど、死んだ二人の隣にあの黒くて大きな影が立っていたことは忘れられない。

今でもアレを思い出すと夜も眠れなくなる。

アレが私の最後の光。

手術した後、もしかすると目の前にアレがいるんじゃないかって怖かった。

でも、アレはいなかった。

そして、お義父(とう)さんもいなくなってた。

 

お義父さんが私に初めて「私のお父さん」だって言った時、私はお義父さんが怖かった。

なんだかお義父さんがあの時の影と同じ人のように感じたから。

でも、違った。

お義父さんはみんなに優しくて…、私に優しかった。

 

 

少女はこの島に来て初めて、(つえ)介添(かいぞ)えもなく町を出た。

もしも、教会に(いた)るまでの「迷う少女」の足取りを見たなら、(ひと)りで出歩いた彼女を誰もが(しか)るかもしれない。

けれども、そこから帰っていく彼女の背中を見れば、少女を鳥籠(とりかご)に入れておこうなどと誰も思わないに違いない。

俯いていた少女の瞳は今、海を()え、何処に()るともしれない想い人を見ている。

聖なるものの手で丁寧(ていねい)()かれた少女の(つばさ)はいまやキラキラと輝く太陽と同じ空を飛ぶことだってできた。

その空は間違いなく想い人の生まれ故郷(こきょう)まで続いている。

 

少女の願いはたった一つ。

この海辺をもう一度、その人と一緒に歩くこと。

そのために、その瞳に5年ぶりに焼き付く全ての光も、()()める覚悟(かくご)でいられた。

 

 

――――少女を見送る男はそれに気づいていた。

静かに、静かに(くち)を開いていた。




※俯瞰(ふかん)
高いところから見下ろすこと。景色を上から眺めること。

※準じる(じゅんじる)
決まりごと(言いつけ)を忠実に守ること。

※ハエトリグサ(またはハエトリソウ)
食虫植物は虫の好む臭いを発して誘き寄せているのだと思っていました。
ですが、臭いで虫を誘うのは「ウツボカズラ」などごく一部に限られるそうです。
ザッと調べたところ、ハエトリグサが虫を呼ぶ仕掛けは葉の内側にある真っ赤な色彩だそうで……。あとはひたすら待つのだとか……ホント?

ウツボカズラに書き直すべきところなのかもしれませんが、食虫植物といえばハエトリグサを思い浮かべる人も多いでしょうし、
葉を閉じて捕虫する様子が獲物を噛み砕く(あご)を連想させやすいので、敢えてこのままにしましたm(__)m


※悲愴
痛ましいほどの悲しみ。またそれを感じている様子。

※正羽と綿羽、羽繕い
鳥の羽は大まかに2種類の羽に分類できます。
○正羽
いわゆる「風切り羽」のこと。
私たちが翼と言われて思い浮かべる部分に生える羽のことですね。
鳥はこの羽を使って空を飛んでいます。

正羽は毛がマジックテープのように絡み合って一枚の板状になっています。(羽弁といいます。)
健康な羽であれば羽弁を裂いても、優しく撫で付けるだけで元に戻ります。

○綿羽
枕やダウンジャケットに使われるフワフワの羽毛。
鳥の全身に生えており、飛ぶためではなく体温調節のためにあります。

○羽繕い
鳥がお尻から出る脂や、羽の一部が分解してできる粉を使って羽の機能を整える行為を言います。

※踏みしだく
踏みつぶすこと。踏み荒らすこと。踏みにじること。

※ロザリオ
キリスト教のカトリックが身に着ける、お祈りに使う道具。
日本の数珠に十字架を付けた形。玉の部分は祈りの際に祈りの回数を数えるために使われるのだとか。

~あとがき~
ちなみに、原作のクレニア島のmapに教会のグラフィックはありませんm(__)m
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