聖櫃に抱かれた子どもたち+   作:佐伯寿和2

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太陽と君と

俺は朝が弱い。

朝、誰に起こしてもらえるかで、その日いちにちの気分が決まる。

 

そういう意味で、俺はここに残ったことをかなり後悔(こうかい)していた。

シュウと一緒(いっしょ)にインディゴスに移(うつ)りゃあ良かったと本気で思っていた。

この町で俺の部屋を訪(たず)ねてくるヤツなんて、ろくな連中しかいねえからだ。

 

でも、最近はそうでもない。

「……おはよう。」

目を開けるとそこには大きな狼の顔があった。

瞳(ひとみ)は赤く、真っ白な体毛にキレイな群青(ぐんじょう)色の鬣(たてがみ)をもつ、とても大きな狼だ。

「よしよし、元気か?」

頭を撫(な)でるとピスピスと鼻を鳴らして甘えてくる。

控(ひか)えめに言っても、俺はコイツのことがこの世界で二番目に可愛(かわい)いと思っている。

「おおっと、お前もいたんだよな。わかってるよ。」

つい最近、大きな兄弟ができたことで俺と同じくご機嫌(きげん)な様子の茶太郎が、俺の腹に飛び乗って顔を舐(な)め回(まわ)してくる。

もちろん、世界一はコイツだ。

 

ひとしきり二匹と戯(じゃ)れ合(あ)った後、廊下(ろうか)にまで漂(ただ)うトーストのいい香(かお)りに誘(さそ)われてリビングに行くと、そこにはもう一人、俺が起きるのを待っててくれる人がいた。

「…リーザ、おはよう。」

「おはよう、エルク。」

腰まで届(とど)くバターブロンドの髪。雪焼けのある顔。それを強調(きょうちょう)するような白い肌(はだ)。

彼女の北欧(ほくおう)出身っぽい雰囲気(ふんいき)が俺は好きだった。

毎朝、彼女と挨拶(あいさつ)を交(か)わすと、俺はどこか遠くの国に旅しているような気分になる。

いつもの風がどこか冷たく、異国の知らない花の匂(にお)いを運んでくるような気がした。

 

彼女はいつも俺より早く起きて朝食の用意をして待っていてくれる。

「いつもスマネエな。客なのにこんなことまでさせてよ。」

俺にとって彼女は客だし、大切な保護対象でもある。

本当なら俺が彼女の世話をしなきゃいけないんだ。

そう思って、俺は少し悪びれながら言う。

けれど、彼女はまるでそれが当たり前かのように俺の言葉をごく自然に否定(ひてい)するんだ。

「いいの。早起きは慣(な)れてるし、家事も好きだから。」

リーザの素性(すじょう)はまだよく分からないけど、少なくとも仲睦(なかむつ)まじい家庭で育ったんだろうと思う。

俺の知らない彼女の家庭(かてい)背景(はいけい)を想像し、若干(じゃっかん)の嫉妬(しっと)を覚える反面、特殊(とくしゅ)な事情を抱(かか)えているにも拘(かか)わらず、ここまで素直(すなお)に育った彼女に感心もしていた。

彼女よりも何倍も楽(らく)して生きている俺の素行(そこう)の悪さと比(くら)べれば、彼女の努力は一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。

 

……俺はそんな彼女に魅力(みりょく)を感じていたんだ

 

「どっか行きたいとこってあるのかよ?」

そんな献身的(けんしんてき)な彼女相手に、あろうことかケンカを売ってしまった。

大したことじゃない。ちょっとした言い間違えで起きた事故(じこ)みたいなもんだ。

それなのに彼女はそれをまるで深刻(しんこく)な問題みたいに捉(とら)えやがるからつい……。

そんなつもりはなかったんだ。

なかったんだけど、俺はただでさえ寝起きが悪いし、彼女は俺の『声』を聞くし。

何より、何も悪くない彼女を責(せ)めてる俺がなんだか悪者みたいに思えて面白(おもしろ)くなかったんだ。

機嫌を損(そこ)ねてしまったかもしれない彼女を置いて、俺は目覚ましの運動に出た。

 

…今日は二人きりで出かける日なのに。

一応(いちおう)、和解(わかい)の流れにはなったけれど、それでも俺にはまだシコリが完全に消えたようには思えなかった。

「よう、おはよう。」

「ああ、おはよう。」

いつもの公園で、いつものトレーニングをして、ジョギング連中に挨拶をして……。

日課(にっか)はいつだって俺の狂(くる)った調子(ちょうし)を戻してくれるもんだと思ってたが、今回に関(かん)しては例外の一つになるらしかった。

「…なんか、かったるいな。」

振り回す槍(やり)がやけに重く、いつも振り回している寸法(すんぽう)なのに度々(たびたび)周(まわ)りとの距離感を見誤(みあやま)っちまう。

……要(よう)するに、今朝のことが気になって集中できてねえんだ。

「なんだ、もう帰るのかよ。」

「…風邪(かぜ)、引いたのかもな。」

常連(じょうれん)たちに笑われ、気持ちの晴れないまま俺は自分のアパートに帰った。

我関(われかん)せずでキラキラと輝(かがや)く太陽を、俺は憎(にく)らしく見上げた。

 

「…お帰り。」

「ああ。」

多分、また俺の『声』を聞いているんだろう彼女の表情は少し重かった。

「汗流してくるからよ、ちょっと待っててくれよな。」

「うん、わかった。」

そんなこと言わなくたって、トレーニングから戻った俺はシャワーを浴(あ)びて、その間も彼女はせっせ、せっせと家事を熟(こな)していく。

それがここ最近のパターンなんだから。

むしろ俺が声を掛けたことで、彼女の気持ちも乱(みだ)しちまったんじゃないのか?

……わからねえ。

わからねえし、面倒(めんどう)臭(くせ)え。

 

「……ああ、ダメだ。」

したたる水滴(すいてき)が排水溝(はいすいこう)に流れ込んでいくのをボンヤリと見詰(みつ)めながら、俺は独(ひと)り言(ごと)を呟(つぶや)いていた。

こんな調子で出掛けたって俺もリーザも面白くねえだろうよ。

今の彼女にとって外の空気を吸(す)う機会(きかい)ってのは、気持ちを落ち着かせるのが目的でもあるんだから。

俺がそれを台無しにしたらダメだろう。

賞金稼ぎとして。……いいや、人間としてよ。

 

「……よしっ!!」

気持ちの切(き)り替(か)えは仕事上―――苦手な分野(ぶんや)ではあるけれど―――、必要なスキルだったこともあって、なんとか今朝の出来事(できごと)を頭の片隅(かたすみ)に追いやることがことができた…はずだ。

頬(ほお)を叩(たた)いて気合いを入(い)れ直(なお)し、彼女の用事が終わるのをミネラルウォーター片手に待った。

 

「…何か、手伝うか?」

待てなかった。

いつもならシャワーを浴びて出てくると、それに合わせたかのようにリーザも家事を終わらせてたんだ。

だけど今日は俺が早く切り上げてきたもんだから。

それに合わせようと慌(あわ)てている彼女の背中を見て、自分だけ悠々(ゆうゆう)と休んでいるのが居(い)た堪(たま)れなくなっちまった。

「…じゃあ、これ、お願いしてもいい?」

「ああ、いいぜ。」

リーザは洗濯籠(せんたくかご)から何枚かこっそり抜き取ると残ったものを俺に寄越(よこ)した。

俺は何も言わずに受け取り、一つひとつ干(ほ)していく。中には自分では一度も洗ったことがないものまであった。

「……テーブルクロスって、洗うもんなのか?」

気付くと俺は愚痴(ぐち)っぽく呟いていた。

 

「ごめんね、お待たせ。」

十数分後、彼女は汗だくで家事をすませるとそう言った。

「…大丈夫か?シャワーとか、その、使わなくて。」

「……ごめん。…じゃあ、もうちょっと待ってて。」

俺を待たせまいと一生懸命(いっしょうけんめい)だったんだろう。リーザは自分が汗をかいていることすら気付いていなかった。

俺に指摘(してき)されると顔を赤くして浴室(よくしつ)に駆(か)け込(こ)んでいった。

…俺はまた余計(よけい)なことを言った、気がする。

 

「ごめんね、いつもお留守番(るすばん)で。」

出掛(でか)ける時、彼女は必ず自分の愛犬に一言断(ことわ)りを入れる。

ここに来るときは仕方(しかた)なく外を歩かせたが、さすがに気分転換(てんかん)の度(たび)に狼を連れ回す訳(わけ)にもいかねえし。

そもそも、初日にコイツを「外来種(がいらいしゅ)」だって言って信じてくれてた善良(ぜんりょう)なプロディアス市民のご(・)協(・)力(・)に感謝(かんしゃ)してるくらいだ。

まあ、条件(じょうけん)が整(ととの)えばその内、散歩(さんぽ)に連れてってやろうとは思ってる。

それまでは、新しくできた兄弟で我慢(がまん)してて欲しい。

彼女に倣(なら)って、毛並(けな)みの整(ととの)った頭をいつもよりも多めに撫でて俺たちは出かけた。

 

ちなみに、出かけるまでの間に、俺はまた一つしでかしてしまった。

気持ちを切り替えていたつもりなのに、リーザのちょっとした問い掛けに俺は口にすべきじゃない答えを返してしまった。

しかもそれがまた、俺の側(がわ)の故意的(こいてき)な事故だっただけに、そこから平常(ニュートラル)に戻すのにまた一汗(ひとあせ)かく羽目(はめ)になってしまったんだ。

彼女はというと、俺の突然(とつぜん)の体当たりに驚(おどろ)いたのか。

露骨(ろこつ)に表情が死んでいくのが見て取れた。

 

俺と違って彼女には『聞こえてる』はずなのに。

そこから立ち直るのに俺以上に苦労(くろう)しているように見えた。

 

 

どれだけ歩き回ったかわからない。

どりあえず緊張(きんちょう)と気怠(けだる)さで腹が空(す)くくらいには時間が経(た)っていた。

「…な、ツマんねえだろ?」

出掛ける前にリーザのリクエストを聞くと、彼女は俺の幼馴染(おさななじ)みとの思い出を教えて欲しいなんて言いやがるから…。

それでも、できるだけ彼女の要望(ようぼう)に応(こた)えようと必死に話し続けた。

だけど、話せば話すほどに埋(う)まらない溝(みぞ)ばかりが広がっていくような気しかしなかった。

「…悪かったよ。」

「え?」

俺は今朝のことも含(ふく)めて、自分が不必要にリーザの言葉に噛(か)みついてしまったことを謝(あやま)った。

すると、色んな意味でとんでもねえ答えが返ってきやがった。

「ウソでも良かったんだ。私、できることならいつまでもこうやってエルクと一緒に歩いていたいから。」

「……」

それからしばらくの間、自分が何を言って彼女が何て言ってたのか憶(おぼ)えちゃいない。

 

気が付くと俺たちは、俺が事前(じぜん)に調べておいた観光(かんこう)スポットに来ていた。

海よりにある高層(こうそう)ビルで、最上階に設置(せっち)された展望台(てんぼうだい)は町と海を同時に見渡(みわた)すことができる。

コンクリートジャングルを見慣(みな)れない観光客にはかなり受けがいいらしい。

ただ、一番人気は夕方から夜にかけて。

夕日が、離陸(りりく)する船体(せんたい)を雲と同じ色に染(そ)め、だんだんと船が夕空(ゆうぞら)の一部になっていく瞬間(しゅんかん)。

それと、昼の海が陽の光で輝くのと対称(たいしょう)に、夜の町が見せる、街灯(がいとう)やネオンで辺り一帯(いったい)の大地がキラキラと宝石箱みたく光り輝く瞬間。

本当はこれを見せたかったんだ。

だけど、今は明るい内しか出歩けないから……。

 

ちょうど一機(いっき)の飛行船が離陸し始めていた。

回らない頭が、船を目で追い、どうでもいいことを口にする。

「あれ一機に500人近い人間が乗ってんだぜ?考えてみるとすごいよな。」

「あの人たちみんな、あの雲の上に行くんだよね。そこから私たちを見下ろすんだよね。…ホント、すごいよね!」

すると、彼女は思った以上に食いついてくれていた。

少年みたく、飛んでいく飛行船をずっと目で追っていた。

「やっぱり都会ってすごいね。」

「なんだよ、まだ慣れねえのか?」

「うん。エルクと一緒に色々見て、わかったつもりでいたけど。多分、ただ見てただけなんだと思う。私、まだこの町の何にもわかってないんだわ。」

「ふーん。」

彼女の熱弁(ねつべん)は、わかるようでわからない。

だけど…、

彼女の言葉を聞いてから住み慣れた街並(まちな)みを見下(みお)ろしてみると、

……なんだか見慣れているはずの景色(けしき)がいつもとは違って見えた。

 

「…ううん、それくらいキレイだもの。」

…多分、俺が何か言ったんだと思う。

会話の流れはよくわかんねえけど、彼女はこの町を気に入ってくれたみたいだ。

「…また、連れてきてやろうか?」

「ホント!?」

彼女は仔犬みたいに明るい表情で聞き返してきた。

「あ、ああ。いつかは約束できねえけど。俺の手が空(あ)いた時でいいならな。」

「…ありがとう。」

それは、今日初めて見た彼女の、本物の笑顔だった。

 

それから何かしら遣(や)り取(と)りをしたんだと思う。

気付いた時はもう、俺たちはアパートに向かって歩いていた。

「……はぁ。」

「ごめんね、たまの休みなのに。…疲れた?」

「は?…あ、いいや。疲れちゃいねえよ。ただ…、」

コンクリートの森を掻(か)き分(わ)けて、山から町に吹(ふ)き降(お)ろす風が彼女の髪を愛(いと)おしく梳(と)かしていく。

なびく黄金色(こがねいろ)の髪が、そのまま彼女を空まで連れていってしまいそうに見えた。

…なんと言うか……

「……」

 

…もう、いい加減(かげん)、白状(はくじょう)した方がいいのかもしれない。

『聞かれる』からなるべく考えないようにしてたけど。

そのせいで、今日一日で何度失敗してしまったかわからない。

その度に、彼女が俺から遠ざかっていくような顔を見ちまうくらいなら……

どうせ『聞かれる』なら、直接(ちょくせつ)言葉にしちまった方が俺だって気が楽なはずだ。

「リーザ……、」

「…なに?」

彼女が緊張(きんちょう)した顔付きなのは俺の『声』を聞いたからなのか?

それとも、俺の顔が引(ひ)き攣(つ)ってるからなのか?

「あのよ…、」

ああ、もう、そんなのどっちでもいい!

「その…、」

早くこの気持ち悪(わり)い時間を終わらせねえと俺がもたねえよ!

「か…、わいい…、ぜ。」

「……」

言い切った瞬間、絶望(ぜつぼう)に似(に)た感覚が全身を、血管(けっかん)の隅々(すみずみ)まで、脳細胞の一つひとつまでを喰(く)い散(ち)らかしてしまった気がした。

言いたいことの半分も言えてねえのに。

俺はそこで力尽きてしまった。

「……」

 

彼女が、何か言ってる気がした。

だけど……、何も聞こえねえ。

聞こえてくるのは、一流アスリートみたく「力を出し切った結果です」と満面(まんめん)の笑(え)みで言(い)い張(は)るこの胸の動悸(どうき)だけだ。

…少し黙(だま)ってろ。テメエがうるさ過(す)ぎて何も聞こえねえんだよ。

黙らねえなら、その半熟卵みてえなブヨブヨの体をガチガチの消し炭に変えちまうぜっ!?

 

…何をくだらないことを考えているのか。自分でもわからなくなっていた。

 

「そろそろ、帰ろうか。」

……結局(けっきょく)、何一つ聞き取れなかった。

ただただ彼女の唇(くちびる)に下心を覚える、知りたくもねえ青臭(あおくさ)いガキがいるってことしかわからなかった。

…でも、少なくとも、俺の言葉が無駄(むだ)じゃないってことだけは彼女の笑顔を見て理解できた。

 

…良かった。…良かった。……本当に、良かった。

 

その後はお互(たが)い、一言も言葉を交(か)わさずに家に帰り着いた。

 

……いいや、違った。

もう一言だけ、彼女は俺にこう言ったんだ。

「エルク、」

「あん?」

「今日は、ありがとね。」

…何気(なにげ)ない一言だけど、この時、彼女の唇が聞かせてくれたこの一言を、俺はこの先ずっと忘れないと思う。

 

数日前、俺は彼女のことを、確信(かくしん)をもって「化け物」だと言った。

あの時は、そうとしか言いようがなかったんだ。

…いいや、今だってそう思ってる。

他人の心を『見る』なんて、とんでもねえ人間のことを他にどう呼べばいいってんだ?

俺には分からねえよ。

だけど、そんな無知な俺でも、今日、気付いたんだ。

「化け物」なんて、生きててもどうしようもない連中の中にも……、「天使」って名前のキレイな生き物がいるんだって。

 

ただの散歩のつもりだったのに。

俺は「今日」という一日で完全に頭がイカれちまったらしい。

「運命」なんて俺が一番嫌いなものに完全に弄(もてあそ)ばれちまったんだ。

…だけど、それでいい気がした。

彼女がそれで笑顔になれるなら、俺は奴らのされるがままでもいい気がした。

 

帰り際、傾(かたむ)く陽射(ひざ)しが彼女の金髪を輝かせた時、俺は彼女に一つの誓(ちか)いを立てた。

 

いつか、必ず――――




※茶太郎
たぶん、ビーグル犬です。
ギルドのお仕事を解決するとエルクの家に配置されることになるマスコットの一匹です。


※エルクの部屋
原作の画像を見る限り、エルクの部屋に個室はおろか、キッチンやトイレ、風呂もありません。
全部共同なのかというと、アパートの廊下を見てもそれらしいものは影も形もありませんでした。
いくらケチなビビガでも、さすがにキッチン、トイレ、風呂を完備していないアパートを経営するはずがない!!
つまり…、描かれていないだけ。
…やりたい放題!?
…とはいえ、まあ、1LDKぐらいの間取りにしておこうかと思います。独り暮らし用のアパートっぽいしね。
リーザは個室のベッドで、エルクは玄関からリビングに続く廊下にある3人掛けのソファで寝ていることにします。
この廊下が結構広めなのでエルクもあまり窮屈な思いをすることなく就寝できています。
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