聖櫃に抱かれた子どもたち+   作:佐伯寿和2

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リッツ・カルトンの闘い その一

――――誰も、殺したくないの。だから、放(ほう)っておいて。……お願い。

 

 

金髪の魔女の、行き場のない憎(にく)しみに睨(にら)まれ、リッツは慄(おのの)いてしまった。

彼女の瞳に映った自分が、醜(みにく)くて弱々(よわよわ)しい餌(むしけら)に見えた。

瞬(まばた)きをしない彼女の瞳に、彼女の遣(つか)う化け物たちに喰らわれていく自分が見えた。

 

恐いっ!

 

逃げ出してしまった。

本能に突き動かされるまま、振り返ることさえできず。

自分を護ってくれる誰かを探した。

手足の震えが止まらない。この恐ろしい化け物を殺してくれる誰かを。

嘘を吐(つ)く彼女を―――。

 

どうして僕は……

 

魔女の村(ホルン)を出て、ようやくリッツは振り返る。弱い自分を詰(なじ)るように顔をくしゃくしゃにして。

「役に立つ」と言ったばかりなのに…。

「お姉ちゃんは悪くない」、そう言ったのはこの口なのに…。

僕は護れなかった。

罪(つみ)のない自分を追い込もうとする彼女を。

 

僕にだって……

 

 

寒(さむ)く澄(す)み渡(わた)った青空の下に、自分を信じ切れない子どもがいた。

年若く、野良犬にさえ噛み殺されてしまうような非力(ひりき)な子どもは、化け物と闘(たたか)う想い人を護りたい想いだけに突き動かされ、何もできないでいる矛盾(じぶん)に憎(にく)しみさえ覚えた。

 

僕が、「坊や」だから?

…違うよっ、僕にだって!

僕にだって、僕にだって……

 

力のない「若さ」が憎く、力のない「人間」であることが憎かった。

せめて彼女と同じ「血」を引いていればと罪深い言い訳にすがっていた。

 

 

 

――――リーザの家

 

無意味だと知りつつも諦(あきら)められず、少年は魔女の家に引き返した。

 

当然(とうぜん)、そこに彼女の姿はない。

静まり返った他人の家。ついさっきまで死闘(しとう)が繰(く)り広(ひろ)げられていた場所。

隅(すみ)に積(つ)もる埃(ほこり)でさえ、彼の訪問(ほうもん)など望(のぞ)んでいない。

そう感じながら、少年は部屋の中を見渡した。

「……あ。」

そこに、自分の上着が掛かっていた。

誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)に倒(たお)れ、陽(ひ)の光(ひかり)を忘れた独房(どくぼう)の中の彼女の肩に掛けた自分の上着が。

「お姉ちゃん…」

ポツリと零(こぼ)した呟(つぶや)きは知(し)らず識(し)らず彼の鋳型(こころ)に赤い血を流しこんだ。

少年はもう一度だけ信じることにした。

その鋳型(いがた)が、想い人を救うこの世にたった一振りの『剣(つるぎ)』になることを。

 

部屋から防寒着(ぼうかんぎ)がなくなっていることに気付き、彼女たちは山に向かっているのだと考えた。

そうして見つけた「人間のものでない足跡(あしあと)」を頼(たよ)りに、少女の目指す敵の本拠地(アジト)へと直走(ひたはし)る。

彼女の瞳に映(うつ)った自分の姿を、もう一度確かめるために。

自分が、彼女の世界に受け入れられる存在であるために。

 

 

――――霊峰(れいほう)アルパス中腹(ちゅうふく)

 

雪山に入ってからの追跡(ついせき)に苦労(くろう)はなかった。

彼女の連れる化け物たちが大量の雪を掻(か)き分(わ)けてくれたお陰(かげ)で、十分すぎる「道」ができていたからだ。

さらに、除雪(じょせつ)され幾分(いくぶん)か平坦(へいたん)になった道は、山歩きに慣(な)れていないリッツにとって細(ささ)やかな助けになっていた。

 

むしろ今、注意を払(はら)うべきは一行(いっこう)とは別の存在だった。

少年が持っている武器といえば、家から持ち出した手頃(てごろ)なサイズのフルーツナイフくらい。

そんな叩(たた)けば折れてしまうような刃物より何倍も役に立ったであろう「石ころ」は厚(あつ)い雪の下に隠れ、未熟(みじゅく)な戦士の助けを拒(こば)んでいる。

「……」

恐ろしくないはずがない。

兄弟ゲンカでさえ一度も勝ったことのない彼にとって、化け物はまさに『化け物』そのものに感じられた。

その上、まともに雪山に登った経験もない。

「ハァ、ハァ…」

いくら体力のありあまっている子どもとはいえ、道が踏(ふ)み均(なら)されているとはいえ、それでも足は僅(わず)かに沈(しず)むし、雪の結晶(けっしょう)たちは容赦(ようしゃ)なく陽射(ひざ)しを照(て)り返(かえ)す。

吹き降ろす冷気はまるで獲物(えもの)で遊ぶ肉食の獣のように、少年を嬲(なぶ)っては生死を窺(うかが)うように付かず離れず厭(いや)らしく纏(まと)わりついてくる。

「ハァ、ハァ…」

そして――――、

 

「あ…」

遂(つい)に、恐れていたものがやって来てしまった。

今はまだ、それは豆粒(まめつぶ)程度(ていど)にしか映らない。

けれども、ソレらは明(あき)らかに彼を目指して真(ま)っ直(す)ぐに駆(か)けてくる。

「あ、あ…、」

戦う心構(こころがま)えはしていたはずだった。

彼女のため。少しでも自分を想ってくれたあの人のために僕は闘うんだ。そう決意したはずだった。

けれども、いざそれが迫(せま)ってきていると知ると、躍動感(やくどうかん)のある殺意が目の前までやって来ていると知ると、自分が武器を持っていることすら忘れてしまっていた。

「餌(むし)」は、抗(あらが)うことを考えられなかった。

 

「……あ…」

恐怖のあまり、立っていることもできず尻もちをついて座り込んでしまった。

胸が機関車(きかんしゃ)のようにドクドクと脈打(みゃくう)ち、混乱(こんらん)している少年をさらに急(せ)き立(た)てる。

雪の冷たささえ忘れるほどに、少年の頭は止まらない蒸気(じょうき)で真っ白に塗(ぬ)り潰(つぶ)されていく。

 

「……ダメだ。」

少年はノソリと立ち上がり、ようやく懐(ふところ)にしまっている唯一(ゆいいつ)の得物(えもの)を抜くことを思い付いた。

視界は頭に溜(た)まった熱でハッキリとしない。

機関部(きかんぶ)の喚(わめ)きは止まらない。

遂には少年に、どこから湧(わ)いてきたのかも分からない「勝利」の可能性を感じさせてしまうほどに暴走し続けた。

「お姉ちゃんは闘ってるんだ…。」

あろうことか、兄の数倍は大きい狼(けもの)を迎(むか)え撃(う)とうとしていた。

 

「グルルルル……」

黒い鬣(たてがみ)はマントのように翻(ひるが)えり、雪山を滑空(かっくう)する三匹の狼(おおかみ)は瞬(またた)く間(ま)に少年を取(と)り囲(かこ)んだ。

「フッ…フッ、フッ…、」

興奮(こうふん)で息が乱(みだ)れ、ナイフを構える少年の手は筆(ふで)を握(にぎ)る老人のように震えていた。

ソレらを視界に入れてはいるものの、いったい何を映しているのか分からなくなっていた。

 

一方、黒い狼たちは牙を十分に濡(ぬ)らし、何時(いつ)いつでも獲物を斬(き)り刻(きざ)む準備をすませていた。

「小僧(こぞう)、目的はなんだ。」

「…え?」

狼たちとの睨み合いに気を取られ、そこに別の何かが現(あらわ)れたことに全(まった)く気付けなかった。

「こんな雪山に何をしに来たのかと聞いている。」

それは呪術師の風体(ふうてい)をした老(・)婆(・)だった。

「あなたは―――、ウワッ!」

少年が聞き返そうとすると狼がズイとにじり寄(よ)り、目を釘付(くぎづ)けにする正真正銘(しょうしんしょうめい)の「殺意」で少年を威嚇(いかく)した。

「次はない。ここに何をしに来た。」

「僕は…、」

少年は迷(まよ)った。もしかすると、彼女は仲間になってくれるかもしれない。

女が何か『特別な力』を使っているのは明(あき)らかで、なにより、リーザと同じ「狼」を連れている姿に少年は希望を感じた。

しかし、視線を落とすと、握(にぎ)りしめたナイフが少年に淡々(たんたん)と死を囁(ささや)き続けていた。

「……」

少年はそれにボソリと答え、より強くナイフを握りしめる。

 

呪術師は少年の煮(に)え切(き)らない様子に嘆息(たんそく)を一つ添(そ)えると、気怠(けだる)げに『命令』した。

「…殺(や)れ。」

少年の背後の狼が、踏(ふ)ん張(ば)りの利(き)かない雪上(せつじょう)をものともせず、ミサイルのごとく小さな体へと体当(たいあ)たりした。

狼の半分以下の体重しかない小さな体は軽々(かるがる)と吹き飛び、雪の上に落ちてからも数メートル転がった。

 

呪術師は全身から「赤」を吐き出す少年の傍(かたわ)らに立ち、あからさまに億劫(おっくう)さを顔に表(あらわ)し、尋問(じんもん)を続けた。

「大体の予想はついている。…あの小娘を追ってきたのだろう?」

「…ウッ!」

『力』を増幅(ぞうふく)する杖(つえ)の石(そうしょく)で少年の柔(やわ)らかな体を容赦(ようしゃ)なく殴(なぐ)りつける。

「…やっぱり……」

「なんだ、話す気になったのか?」

杖に触(ふ)れた少年は痛みに震えながら、呪術師の顔を見上げた。

どう見ても似(に)ても似つかない容姿(ようし)をしている。それでも、杖から伝(つた)わってくる『感覚』は確かにあの時、睨まれた瞳と同じような『魅力(みりょく)』を感じさせた。

 

「…ホルンの、人、なんだよね?」

認(みと)めたくはない。

認めたくはないけれど、そんな気がしてならない。

もしもそうだったら、この人ならお姉ちゃんを助けてくれるかもしれない。

すると呪術師は目を見開(みひら)き、初めて少年の言葉に応(こた)えた。

「この『力』が分かるのか?…クックック、”子ども”とは、かくも感受性(かんじゅせい)に優(すぐ)れているものなのだな。」

「…ち、違うの?」

聞いていながら、分かりきった答えに失望(しつぼう)を覚えていた。

結局(けっきょく)、あの小さな魔女に救いの手を差(さ)し伸(の)べるのは自分しかいないのだと。

非力(ひりき)な自分しか……。

 

「知ってどうする。私があの小娘の身内だとして、私がキサマを見逃(みのが)す理由になるのか?ましてや、身内が身内を助けなければならないという決まりがこの世のどこにある。」

「……」

「ああ、どうやらガキを相手に無駄(むだ)な話をしているな、私は。」

「……」

「それとも…、そうか。キサマはあの小娘に恋心を抱(いだ)いているらしいな。」

「!?」

「…つまらん。結局(けっきょく)、”正義”などという偶像(ぐうぞう)の正体はいつも決まっている。そういうものなのだ。我々を無駄に悪に仕立(した)て上(あ)げようとする、おこがましい怪物たちよな。」

「わ!?」

呪術師が憎らしげに杖を掲(かか)げると、三匹が同時に少年へと飛び掛かってきた。

 

一か八か。掘(ほ)り返(かえ)された雪の下から見つけた石を握りしめ、少年もまた呪術師に飛び掛かった。

「バカが。」

深緋(こきひ)色の装飾(そうしょく)が鋭(するど)い光を放(はな)ち、少年に眩暈(めまい)を起こさせた。出鼻(でばな)を挫(くじ)かれ、少年は勢(いきお)いをつけたまま前のめりに倒(たお)れ込(こ)んだ。

そうして動けなくなった少年の頭を三匹が噛(か)み砕(くだ)く。

実に容易(たやす)い。実に詰(つ)まらん。

「正義」は存在せず、「力」が世界を回し続けるのだ。

何も変わらない世界の真理(しんり)に呪術師は吐き気を覚えた、その刹那(せつな)の出来事だった。

「…ば、バカな!」

狼は少年を痛(・)め(・)つ(・)け(・)る(・)た(・)め(・)、少年の手にある石(・)も(・)ろ(・)と(・)も(・)突(・)き(・)飛(・)ば(・)し(・)た(・)。

石は呪術師の額(ひたい)を強打(きょうだ)し、少年は彼女を突き倒した。

少年はそのまま遥(はる)か後方まで飛ばされ、悶絶(もんぜつ)する。

呪術師もまた、想像もしなかった痛手に思わず杖(・)を(・)落(・)と(・)し(・)て(・)し(・)ま(・)う(・)。

 

――――その音を、主人の呻(うめ)きを、耳を欹(そばだ)て続けてきた狼たちは聞き逃さなかった。

 

「な、何をす―――!?グワアァァァッ!!」

全てが仕組まれていたかのように、狼たちは淀(よど)みなく反旗(はんき)を翻した。

色(いろ)めき立(た)つ三匹は雪を蹴散(けち)らし、横たわる呪術師に群(むら)がった。

「ガァッ…!」

数十の尖(とが)った牙が、穢(けが)れ呪われた肉を解体していく。

「やめ…、キサマ…ら……っ!」

肉体強化に重きを置かれなかった呪術師の、息の根を止めるのに十秒と掛からなかった。

 

その惨(むご)たらしい光景を、少年は霞(かす)む目に映し続けた。

 

……どうして?…それよりも、早くここから離れなきゃ。

 

少年は鈍(にぶ)い手足を引(ひ)き摺(ず)り、ソレらから必死に遠ざかろうとした。

 

だが、現場を見た獲物を彼らは見逃さなかった。

一匹が少年の前に立(た)ち開(はだ)かり、ドロドロと滴(したた)る血を見せつけた。

「グルルル…」

「……」

今の少年にはもう、拳(こぶし)の一つも揮(ふる)う力も残っていない。

貧血(ひんけつ)と混乱でオカシクなった少年の頭でも、もはや「ありもしない奇跡」を見い出すことができない。

だというのに、少年はついさっきまで彼らに覚えていた絶対的な「恐怖」を感じなくなっていた。

ソレらが、「敵」に見えなくなっていた。

だからなのか。ギラギラ、ドクドクと脈打(みゃくう)つ真っ赤な瞳を、喰らうことへの躊躇(ためら)いを知らない瞳を、真っ直ぐに見詰めていられた。

 

「……」

「……」

しばらく二人は見詰め合った。

すると、狼は何を告(つ)げるでもなく少年の前から去(さ)り、仲間たちと一緒(いっしょ)になって再(ふたた)び「怨敵(おんてき)」の肉を貪(むさぼ)り始めた。

「…お姉ちゃんはあんなんじゃない。」

狼たちが頭を突(つ)き刺(さ)す度(たび)に呪術師の腸(はらわた)から血が泥水(どろみず)のように飛沫(しぶ)く。臓(ぞう)も骨も憎しみに噛み砕かれていく。

命は「怨嗟(えんさ)」という炎に魂もろとも焼かれ、この世から跡形(あとかた)もなく消えていく。

リッツは「魔女」の皮を被(かぶ)った真の「化け物」の末路(まつろ)から目を背(そむ)け、彼女の下(もと)へと急(いそ)いだ。

 

…一難(いちなん)去った。

だというのに、それを陰(かげ)から見ていた「痛み」が、ここぞとばかりに少年を襲(おそ)う。

経験したことのない痛みが、目に映った化け物の末路が自分に乗(の)り移(うつ)ったようだった。

恐怖に溶(と)けた冷気が少年の内から外から凍(こご)えさせ、少年を「勇気(つるぎ)」もろとも寄(よ)る辺(べ)のない孤独(やみ)へと突き落とそうとしていた。

 

「…痛い、痛いよ……。お兄ちゃん、お姉ちゃん……。」

そうして零(こぼ)れ落(お)ちた一粒の滴(しずく)が、少年の決意を呆気(あっけ)なく崩(くず)してしまう。

「痛い…、痛い…、」

どれだけ涙を流しても、甘えた声を漏(も)らしても彼が頼(たよ)りにする人は現れない。

「痛い…、痛い…、」

まるでそういう機械のように少年は無駄な時間を口にし続けた。

 

やがて少年は力尽(ちからつ)き、自分の血で染(そ)めた雪の上に倒れ込んだ。

「…お、兄ちゃ、ん……」

雪に抱かれ、吹(ふ)き荒(すさ)ぶ冷気にあやされ、ゆっくりと…、

 

瞼(まぶた)をおろした。




※黒い狼→原作の”デスハウンド”のことです。
※呪術師の老婆→原作の”ウィッチクラフト”のことです。

※深緋色の装飾が鋭い光を~
ウィッチクラフトの魔法「ロブマインド」です。もしくは「パワーロス」かな。
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