聖櫃に抱かれた子どもたち+   作:佐伯寿和2

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影と人 その一

その日、一匹の黒装束(くろしょうぞく)非情(ひじょう)な現実を前にして呆然(ぼうぜん)()()くしていた。

 

「…仕事がない?」

「あぁ。この通り、見事(みごと)になにもない。」

受け付けの老人はマグカップを片手に笑ってみせた。

ここはアルディコ連邦(れんぽう)(いち)犯罪(けんすう)の多い町、インディゴス。

そんなインディゴスの、ドブ掃除(そうじ)から幽霊退治(たいじ)まで()()う賞金稼ぎ組合(ギルド)に仕事が一件もない?

そんなことあり()るのか?

 

いつもならそれらの書類作業で(せわ)しないギルドの事務所が、夜逃げした後のように閑散(かんさん)としている。

窓口(まどぐち)の老人の他には、(ひま)()(あま)し、デスクに()()している男が一人いるだけだ。

職員(しょくいん)だけじゃない。賞金稼ぎの姿も一つとしてない。

「10年に一度、こういう潜伏期(せんぷくき)みたいなものが来るんだよ。」

少し前まで所狭(ところせま)しと()られた依頼書さえ、今は一枚も見当たらない。

 

賞金稼ぎは自営業(じえいぎょう)だ。仕事がなければ当然(とうぜん)収入(しゅうにゅう)もない。

 

金に(こま)っている訳じゃない。

ただ、俺には他にすることがないだけだ。

だからこそ、今のこの状況(じょうきょう)は俺にとってひどく残酷(ざんこく)な仕打ちのように思えた。

「安心しな。数週間もすれば()きの良いゴキブリどもがバカみたいに(あふ)れてきやがるさ。」

一方の老人はこの状況を楽しんでいるように見える。

「……」

彼に返す言葉も思い浮かばず、その「数週間」をどう生きるか。今はそのことしか頭になかった。

 

「いい機会(きかい)じゃねぇか。この町にはまだ馴染(なじ)めてねぇんだろ?お気に入りのバーだとかベーカリーだとかを見つければいい。」

「……」

老人の言うように、俺は数ヵ月前にフリーの傭兵(ようへい)を止め、故郷(くに)を捨て、アルディア国の、インディゴス(しゅう)拠点(きょてん)(うつ)した。

町と周辺の地理こそ把握(はあく)したが、(いま)だに俺の「生活」はそこに根ざしていない。

だが―――、

「必要ない。」

俺にとって「生活」は()(つぎ)でいい。

俺に必要なのは生きるための「資金」と「作業」。それだけだ。

 

「影」として、(くさ)らなければそれで(かま)わない。

 

すると、普段は眉間(みけん)(しわ)を寄せながら寡黙(かもく)に仕事を(さば)く老人が(かわ)いた声で笑い、俺に説教(せっきょう)をし始めた。

「ボウズ、そういうキザなセリフは女相手に使うもんだぜ?」

ボウズ…、言われ()れない言葉だからか。いまいち自分に向けられた言葉のように感じることができなかった。

「テメエが誰とも関係を持たねえようにしてるのは分かってる。だがよ、テメエらは何時(いつ)死ぬとも分からねえ賞金稼ぎだ。」

「……」

「そこにテメエが求めるような”意味”はねえだろうよ。でもな、常に”意味”を追いかけて生きようとするのは人間の悪い(くせ)だ。そうは思わねえか?そんな辞書(じしょ)か聖書みてえな人生を、振り下ろされる剣を目の前に思い返して、テメエは満足できると思うか?」

「……」

「それに、”平和”ってやつを知っておくのも悪かねえぜ?」

「……」

「…まあ、強制(きょうせい)はしねえさ。テメエの人生だからな。好きにすればいい。」

老人の言葉を、頭で理解することはできたが、それを「(じぶん)」と()らし()わせることができなかった。

そうして彼の言葉に対処(たいしょ)できず立ち尽くしていると、

「だが…、そうだな。」

見かねた老人は立ち上がり、戸棚(とだな)から客用のマグを取り出してきた。

「ワシと一杯(いっぱい)付き合うくらいの義理(ぎり)はあるだろう?」

そう言うと老人は(かたわ)らにあるポットからコーヒーを(そそ)ぎ、()(のぼ)湯気(ゆげ)に満足そうな表情を浮かべた。

俺はそれを(だま)って受け取り、部屋の(すみ)にあるソファに腰掛(こしか)けた。

 

…てっきり説教を続けるための口実(こうじつ)かと思っていたが、老人も俺もその一杯を飲み終えるまで一言も口を()かなかった。

()()えず、また来週、顔を出しな。仕事が入ったら取っておいてやるよ。」

俺は老人に礼を言ってギルドを後にした。

 

 

外に出て空を見上げると、雲が、いつもよりもゆっくり流れているように見えた。

 

 

俺は迷っていた。

 

アルディアは広い。

連邦の中で(もっと)治安(ちあん)が悪いと評価(ひょうか)されるインディゴスに仕事がないからといって、連邦全体から犯罪がなくなった訳ではない。

そう。探せばあるのだ。

…だが()たして、探すほどの価値があるのか?

 

俺は仕事の内容に特別な感情を持ったことはない。

ただ、日々を生きる(かて)無為(むい)な時間を()(つぶ)してくれる作業。「仕事」はそれを同時に(あた)えてくれる。

それだけ。

……本当に、それだけなんだ。

 

 

そんな時だ。

ソイツは都合(つごう)よく(あらわ)れた。

「アン?シュウじゃねえか。こんな昼日中(ひるひなか)にブラブラしてるなんて(めずら)しいな。テメエもとうとう廃業(はいぎょう)か?」

ソイツは、時折(ときおり)ギルドで顔を合わせる小汚(こきたな)い同業者だった。

これと言った特徴(とくちょう)はなく、(した)しい間柄(あいだがら)でもない。

この悪態(あくたい)も、インディゴスの人間にしてみれば何のことはない挨拶(あいさつ)のようなものだ。

だが、それに対する俺の返答は、コイツにとってよほど異常なことらしかった。

休暇(きゅうか)だ。」

「……」

ソイツは口をポカリと開けると、横切る俺をただただ見送ることしかできないでいた。

「いやいや、おいおい。そりゃあ、本気で言ってんのか?」

「…何か問題か?」

同業者の間で俺が「仕事をする機械」のように思われているのは知っていた。

だが、それに関して俺は特に気に()めてこなかった。

大金を(かせ)ぐ俺を(ねた)んでいるだけで、俺自身に特別な感情を(いだ)いている訳ではないとわかっていたからだ。

 

だが、どうやらコイツは違ったらしい。

立ち尽くしている自分に気付いたソイツは(あわ)てて俺を追いかけ、(となり)(なら)ぶと(みょう)に親しげに話し掛けてきた。

「いいんじゃねえか?化け物にだって休息(きゅうそく)は必要さ。」

「化け物?」

自覚(じかく)しろよ。別にいいけどよ。」

そう思われていることは知っている。だが、敵でもない人間から(めん)と向かって言われるとは思ってもいなかった。

何がそうさせたのか俺には理解できないが、ソイツは俄然(がぜん)調子(ちょうし)のいい声色で俺に()(まと)ってくる。

「ところでよ、その(ツラ)を見るに、せっかくの休みだってのに遊び方が分からねぇって感じだな。」

「……そうだな。」

「お前には関係ない」という言葉が()(さき)に浮かんだが、コイツから解放されたからといって何かが解決する訳でもない。

自分でどうにもできないのなら、その(すじ)のプロに(まか)せてみるのも悪くない。

そう、思い直した。

「へへへ、俺に任せな。」

 

 

 

――――酒場”葡萄酒(ぶどうしゅ)()る木”

 

インディゴスには昼でも営業している酒場は多い。

”葡萄酒の成る木”もそういう店の一つだった。

店内に入ると、陰気(いんき)なマスターがこちらをチラリと見遣(みや)り、俺の隣の男を(みと)めると挨拶()わりの皮肉(ひにく)寄越(よこ)してきた。

「クーガー、ツケも(はら)えねえ三流の賞金稼ぎが俺の店に何の用だ?」

そこは()して広くもない店だが、賞金稼ぎや浮浪者(ふろうしゃ)などの(いや)しい人種も()(へだ)てなく受け入れるマスターの心情を(した)って(おとず)れる客は少なくない。

その日もまだ()は高いというのに、すでに席の半分が()まっていた。

「どこの誰が三流だって?そういう口の利き方は(ひか)えた方がいいぜ、ビリーさんよ。」

クーガーは事前(じぜん)回収(かいしゅう)しておいた俺の「受講料(じゅこうりょう)」を、あたかも働いて稼いだ金であるかのようにマスターに投げ渡した。

「一人前(あつか)いされたきゃ”ツケ”なんて見っともねえ真似(まね)はしねえことだな、クソガキ。」

「バーカ。払えねえんじゃねぇよ。たまたまその時、金を持ってくるのを忘れただけだ。そんなもん、”酒飲み”と”博打(ばくち)うち”には常識(じょうしき)だろうがよ。」

「…口ばっか達者(たっしゃ)になりやがって。だからこの町には営業妨害(えいぎょうぼうがい)しかしねえクソッたればかりいやがるんだ。」

そういった()()りを続けながらウォッカを二、三杯ほど飲み、若干(じゃっかん)()いを覚えた(あた)りで俺たちは早々(そうそう)に切り上げた。

 

「酒に(おぼ)れて一日を無駄(むだ)にするのはバカのすることさ。」

男は声を高くして言った。

「遊びといえど、意味のねえ一日ってのはハズレた宝くじよりも罪深(つみぶか)いのさ。」

…遊びの達人(たつじん)だと自負(じふ)するこの男は、倍以上も長生きしているあの老人とは正反対のことを言っていた。

「どうだ。いい言葉だろ?」

 

俺は思った。

コイツもまた、誰かに「遊び方」を(なら)ったんだろう。

俺よりも5、6つ年下なのに不自然に完成された(べん)が、別の人間の臭いを感じさせた。

「言ってみりゃあ、酒ってのは一日の何もかもを最高にしてくれる魔法の薬みたいなもんさ。」

「そうか。」

「そうさ。それで楽しめねえとすりゃそれは”酒”のせいじゃなくて、ソイツのケツが(くせ)えからさ。ママに()いてもらわなきゃ(くそ)の一つも満足にできねえようなガキに”酒”は早過ぎんだよ。法律でもそう決まってんだろ?」

その「誰か」と「老人」は同じ世界を生きているはずなのに、生きることに対して違う答えを見出(みいだ)している。

同じ人間なのに。

(おれ)」にはそれが理解できなかった。

この違いは何なんだ?

俺は話の腰を折らないよう、相槌(あいづち)だけを返し続けた。

「んで、次の遊びなんだがよ、アンタの希望はあるかい?食うか?抱くか?」

「…お前の好きな方にすればいい。」

 

 

その通りのことは知っていた。

だが、経験のない俺は()らず()らず男に(たず)ねていた。

「ここは?」

そこには何人もの女たちが並んでいた。

定位置から動かず、こちらに卑猥(ひわい)な言葉や視線を送ってくる。

まるで、天井(てんじょう)から()るされたバナナを取ろうとする猿のように、女たちはあれやこれやと工夫(くふう)()らして俺たちを誘惑(ゆうわく)する。

俺の目には、それが同じ人間には見えなかった。

「は?何言ってんだよ。ここで女を買うんだよ。アンタもボーッとしてねえで、通りに立ってるのから好みのヤツを選べよ。」

クーガーはまるでウィンドウショッピングでもするように居並(いなら)ぶ女を品定(しなさだ)めし、選び終えると「じゃあ、また後でな」と言い残してさっさと建物(たてもの)の中へと入っていった。

 

「……」

俺は迷った。

自分の未熟(みじゅく)さを認め、男の言う通りにするべきか。それとも、今のこの居心地(いごこち)の悪さに(したが)うべきなのか。

そうして選んだ答えは、少なからず俺自身を(おどろ)かせた。

 

「どうしたの?もしかして初めて?」

彼女は俺の手を引き、ベッドに(すわ)らせると俺の目を(のぞ)きこみながら言った。

「……ああ。」

長い黒髪、背は平均的で健康的なスタイル。露出(ろしゅつ)こそ控えめだが、ポルノ雑誌(ざっし)のモデルをそのまま(うつ)したかのような容姿(ようし)をしていた。

「…そう。」

彼女はしばらく俺を見詰(みつ)めると、黙って冷蔵庫から飲み物を持ってきた。

「付き合いであまりこういう所には来ない方がいいわよ。アンタたちだってお金をドブに捨てるような趣味(しゅみ)があるわけじゃないでしょ?」

キャップを(ひね)るとボトルは炭酸の抜ける小気味(こきみ)()い音を立てた。

「ほら。これ飲んだら―――、アッ。」

俺は差し出された彼女の腕を(つか)み、彼女をベッドに押し倒した。

「コラ、こぼれちゃうじゃない。」

彼女は器用(きよう)にボトルをテーブルに置くと、逆らうことなく横たわった。

「……」

その先が、分からなかった。

知識はあっても、体が言うことを利かなかった。

「……ほらね。(いきお)いだけで来るところじゃないでしょ?」

馬乗(うまの)りになる俺の髪を()()げながら、彼女は笑った。

返事ができず、俺たちはそのままの体勢(たいせい)でしばらく見詰め合っていた。

「名前、聞いてもいい?」

「……シュウ。」

「ファミリーネームは?」

「…ない。」

「……そう。」

彼女はソッと俺の首に両腕を回すと自分の方へと引き寄せた。

「いいよ。アタシが教えてあげるわ。」

 

その後に見た彼女のあられもない姿はひどく(なまめ)かしく、けれどひどく神秘的(しんぴてき)なものに思えた。

 

刺激的(しげきてき)で、衝撃的(しょうげきてき)な経験のはずが、どこか安息(あんそく)を覚えさせてくれる時間が俺を()たしてくれた。

「アナタ、インディゴスの生まれじゃないでしょ?」

「なぜ分かる?」

あらかたの行為(こうい)をすませると、俺たちはベッドの上で抱き合ったまま余韻(よいん)(ひた)っていた。

時折(ときおり)、ポツリポツリとお(たが)いが思ったことを口にし、相手はそれに一言だけ答える。その()(かえ)しが続いた。

「目が、違うもの。」

彼女の瞳は俺の瞳だけを()()ぐに見詰めた。

そうして俺の目をなぞる(やわ)らかな人差し指は(ほお)へ走り、俺を黙らせるように(くちびる)を押さえた。

「…冷たい。でも、とてもキレイ。雲を全部拭き取った青空みたい。綺麗(きれい)。だけど、どこか不自然さもある……。」

人差し指はゆっくりと唇の中へと(すべ)()んでくる。

「…沢山(たくさん)、人を殺してきたんでしょ?」

滑り込んできた人差し指は舌を(とら)え、優しく押さえつける。

「…でも、アナタはとっても優しい。」

人差し指を引き抜くと、彼女はソッと唇を(かさ)ねた。

だがその先はなく、彼女はベッドから()りると服を着始めた。

「ありがとう。素敵(すてき)な時間だったわ。でも、もうここには来ない方がいいよ。」

 

その時見せた彼女の笑顔は、どこか俺を(あわ)れんでいるように見えた。

 

「思ったよりも楽しんでたみたいだな。」

クーガーはニヤついた顔で俺を待っていた。

「……そうだな。」

確かに、初めての肉体関係には快感(かいかん)もあった。

だがそれよりも、「女」という存在を初めて認識したような不思議な感覚が―――俺の内側に、容易(ようい)に指先を()()んでくる彼女が―――、俺の「影」を少し(にご)らせたような感覚に、妙な興奮(こうふん)を覚えていた。

体を重ね、俺の目の奥を覗き、憐れんだ笑顔を投げかける彼女が、「影」に飼われ続けてきた俺の中の「自我」のようなものを照らしたような気がした。

 

……それは…、俺にとって良いことなのか?

 

少なくとも、気分は悪くなかった。

「あ…」

「ん、どうした?」

彼女の、名前を聞いてなかった。

「…いや、何でもない。」

そう口にした時、「口実」ができたことを(ひそ)かに喜ぶ自分がまた少し、こびり付く「影」を洗い落す。

 

その後、クーガーは俺をカジノへと連れて行き、払った授業料を全てつぎ込んだ。

「まあ、金と女の世界ってのは分からねえ方がオモシれえってことだな。」

負けたはずなのに、クーガーはやけに楽しそうだった。

「……」

「どうだ。少しは羽目(はめ)(はず)し方ってのが分かったかい?」

「…部分的にな。」

「ハハッ。まあ、少なくとも今朝よりはマシな顔になってるよ。」

頬に()れると、数時間前の体験がありありと(よみがえ)ってくる。

「…そうだな。」

 

 

――――常に意味を求めて生きたがるのは人間の悪い癖なのさ

 

そう言ってカップを(かたむ)けた静かな時間

 

――――意味のねえ一日ってのはハズレた宝くじよりも罪深いのさ

 

そう言って抱いた彼女の身体(からだ)

 

 

言葉(それ)らは真逆の世界を見ているのかもしれない。

だが、世界は丸い。

その意味はもしかすると(めぐ)り巡って同じ場所を目指して歩いているのかもしれない。

 

……世界は丸い

 

それなら俺が「影」であることもまた……。

俺は、少しだけ二人の言葉を受け入れられた気がした。




※ベーカリー
パンや洋菓子を売るお店屋さん。

※ビル・ベイクマン
酒場『葡萄酒の成る木』のマスター。


舞台は本編の7、8年前のアルディアです。(エルクを拾う2、3年前ですね)
シュウの「人間性の芽吹き」みたいなものを書いてみました。
ですが、本編をよくよく思い返してみると、その兆候はエルクを拾ったことが切っ掛けになっていたことに気付きました。
なのでこの話は若干、本編とは噛み合わないかもしれませんm(__)m
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