――――彼女が…、今のワシを見たらどう思うだろうか。
身形の良い壮年の男が、町で一際大きい建物の最上階、その窓辺でしんしんと雪の降り積もる街並みを眺めながら物思いに耽っていた。
「……フッ」
彼は一国の将軍であり、一国の首都市長でもある。
何人も殺してきたし、何人も不幸にしてきた。
一昨日も命乞いする家族を無感動に射殺したばかりだ。
そんな冷酷無比な自分の一面を思い出し、人間臭い想いに囚われている自分を嘲った。
昔はこんな風ではなかった。
それこそ、蟲のように何かを喰らうだけがワシの生き方だった。
それだけでワシは「ワシ」という存在を許していた。
そう、「王」がワシを見つけなかったなら、ワシは今でも能のないただの化け物だったのかもしれん。
――――数千年前
彼は人間でなく、一匹の獣でもない存在としてこの世に産まれ落ちた。
彼を産んだ者は彼を愛さなかった。
「化け物」としての力だけを利用し、役目を終えた彼を深い穴倉に捨てた。
自分の境遇を理解する感情も思考力もなかった彼はそれを不幸とは思わなかった。
ただ、穴倉の主として訪れる者を喰い散らかす。
それだけで彼は満たされていた。
そんな凶暴なだけの蟲に、穴倉よりも深い闇から現れた「王」が問いかけた。
『キサマは何者だ?』
『……』
彼は一つの存在でありながら一匹ではなかった。
その中にはいくつもの心が宿っており、それぞれが常に自分の阿鼻叫喚を主張し続けている。
纏まらない心はものを考えることができず、『力』だけが彼という個体の形であり、自分よりも『力』の強い者に操られるだけの存在だった。
『木偶人形か?』
「王」もまた、一度は彼をそう判断した。しかし、
『…いいや、違うな。』
「王」もまた、彼と同じような存在と言えなくもなかった。
だからこそ彼の本質を見抜くことができた。その切っ掛けを与えてやれると確信した。
『私に従え。お前を新世界の一人にしてやろう。』
「王」は彼にも理解できる言葉で彼を説き伏せた。
彼は「王」に従い、穴倉を抜け出し、改めてその目で世界を見渡した。
『……』
すると、その瞬間を待ち侘びたかのように彼の中でいくつもの「感情」が芽吹き始めるのだった。
―――憎悪、悲哀、官能、狂喜……、
芽吹く「感情」に言葉が追い付かず、彼は狂い、また暴れた。
『……少しは落ち着いたようだな。』
数年後、彼は数千、数万ある「自分たち」を一つにまとめることに成功していた。
『貴方は…、何者だ?』
一つの「自己」を手に入れた彼は、自分の意思で穴倉へと潜り、改めて新たな主人の前に立った。
『この世に現れる”夜”の一つ。今のキサマならこれで通じるだろう?』
今の彼には主人の言葉を飲み込み、噛み砕き、その意図を導き出すことのできる頭があった。
『…貴方の再誕を妨げる世界の光を消していくこと。それが今の私の役目。』
『そうだ。』
「王」は穴倉の底で笑い、成長した彼を褒めた。
『以前拾った一匹をすでに野に放っている。じきにキサマに接触してくるだろう。』
『…それは、私よりも強いのですか?』
彼の問いに「王」は失笑する。
『自分の目で確かめるといい。今のお前にはそれが許されている。それがかつてのお前と大きく違うところだ。』
『……』
『お前に全権を与えよう。その手と足で存分に世界と自分を見届けるがいい。』
『それが貴方の命令ならば。』
頭は垂れなかった。
数千の心を束ねるために彼は自分の中に全てを受け止める「無」をつくりだした。
結果、表の彼に敬いの心は現れず、結局は「命令を受け付ける人形」に留まっていた。
それでも彼の「忠誠」に嘘はない。
「王」はそれに気付いていた。
『そうだな、最後にキサマに名を与えよう。』
『……』
いくつもの命の集合である彼には無数の「名」があった。
しかし、命を喰らう「化け物」としてしか創造されなかった彼にそれは必要なく、彼もそれを必要としなかった。
そんな「化け物」にたった一つの「名前」があてがわれる。
自分の性質と反するものを受け入れる行為は彼にある種の「昂り」と「恐怖」を覚えさせるのだった。
――――時は進み、おおよそ十年前
永い時を経て、「ガルアーノ」という男の中にあった無数の自我は、見違えるほど「個人」としての性質を洗練させていた。
コントロールが可能になった自我は、より複雑な思考や感情を獲得し、知略知慮を求める遊びを好むようにさえなっていた。
「ガルアーノ様。」
「…なんだ。」
そんな彼の傍には、彼が手掛けた黒い人形たちが常に控えるようになっていた。
ソレは彼が一国の「将軍」という地位に就いて初めて手に入れたオモチャであり、彼という醜い生き物を映すために用意された鏡でもあった。
だが―――、
「ヤグン将軍がミルマーナの軍事力を完全に掌握したとのことです。」
「……そうか。ワシの送ったキメラたちも、ほぼ完成と言っていいだろうな。」
手渡された資料の数値を見比べ、彼は「達成感」というよりも「解放感」を得たというような溜め息を吐きながら言った。
「はい。ついてはヤグン将軍から再度キメラの増援を求められていますが、いかが致しますか?」
「フン、猿が調子づきおって。だが、まあいい。アイツが土地を耕せばそれだけ実験体は多く手に入る。土弄りは畜生にお似合いの仕事だ。そう思うだろ?」
「……」
「フン、人形の癖に権力に怖気づくとはな。笑わせおる。」
彼は賢くなり、多くのものを手に入れた。
しかし、そのどれも彼を満たすことはなかった。
彼が創った鏡はどれも彼を正確に映すことができない。
そのことも合せて彼を苛立たせ続けていた。
あの時のワシは、充足した自意識を確立するほどに飢えていく「何者か」が自分の中にいることに気付いていた。
しかし、その正体が何なのかまでは分からない。
分からないまま「王」の玉座を用意する毎日。
日常に緊張感がなく、世界が色褪せて見え、どこか自分の終わりを模索している節さえあった。
「血や肉」への関心も弱くなり、「殺し」は生活のサイクルを崩さないための作業になった。
他人の命もその程度の価値でしかなくなっていた。
無意識に、返り血の目立たないワインレッドのスーツを選んで着ていること気付いた時は不覚にも笑ってしまった。
さらに、ワシ自身が化け物として暴れていた昔とは違い、今は掃いて捨てるほどの部下がある。
大国を表と裏で操るシステムをつくることにも成功し、ワシ自身が何か行動を起こす機会はほとんどなくなっていた。
ワシはただ、革張りの椅子に腰掛け、葉巻を咥えながら偉そうに指図してさえいればいいのだ。
そんな毎日に嫌気が差していた。
耳鳴りがするほどに。
新しい刺激を追い求め、一時は「王」を裏切り、他の将軍連中に戦争を仕掛けてみてはと妄想したこともあった。
だが結局、ワシはそれを実行しなかった。
コイツの名は「殺戮」ではない。
それは分かっていたのだ。
そんな中で、このフラストレーションをいくらか解消してくれる黒い人形を手に入れることができたことは不幸中の幸いと言えた。
ソイツはワシの手駒の中で唯一、ワシの首に刃を突き付ける素質を持ち、その注意深さと能力の高さはしばらくの間、ワシ飽きさせなかった。
……だがやはり、それもまたワシが求め続けているものと根本的に違っていた。
それだけはなぜか嫌というほど理解していたのだ。
そして、その「根本」の部分が何なのか分からず悶々としたまま、自分の仕事を完璧に熟し続けていると、その瞬間は唐突にやって来た。
「……彼女が、生きている?」
遠方に送った駒の一つが持ち帰った情報を耳にし、僅かの間、ワシは放心してしまった。
ワシを創った人間。
確かに彼女は特別だった。だが、間違いなく人間だった。
彼女がワシを創ったのは三千年も前の話。とっくに死んでいるものと思っていた。
だが、彼女は生きていた。
その事実はワシの世界を一変させてしてしまう。
途端にギラギラと眩いばかりの発色を放ち始め、ワシの周りのあらゆるものが「命」を誇張し始めた。
そのことに気付いた時、ワシは満たされないものの正体に気付いた。
しかし、ようやく見つけたその答えを受け入れることをワシの中の大半が拒んだ。
「王」への忠誠、それもある。
しかしそれ以上に、ワシは彼女と関わることに耐え難い恐怖を感じていた。
だが、この喉の渇きはもはや彼女でしか癒せないに違いない。
その事実をワシは理解してしまった。
理解した渇きは容赦なくワシの喉を掻き毟る。
日を追うごとにワシはこの煩わしさを、無視することができなくなっていった。
考え倦ねたワシは「拒む者たち」を欺くために、子どもだけを集めた”白い家”を建てた。
”白い家”での研究内容は今までと変わらない。
特殊な『能力』を持った人間を集め、かけ合わせ、忠実な兵士に創りあげる。
違うのは「成熟しきっていない人間を使う」ということだけ。
ワシは自我を持つようになってから、とりわけ「子ども」という存在に目を向けていた。
見知らぬ施設に押し込められる不安。次第に仲間と打ち解けていく安心。日々を分かり合う喜び。
施設の中に散りばめられた陰への疑念。減っていく仲間への焦燥。そして、手術台の上で変貌する自分への恐怖。
その色とりどり、十人十色の変化は創りあげた「黒い人形」の挙げる輝かしい戦績を見ているよりよっぽど楽しく、より自分の姿を見いている気分になれた。
「無知な子どもを追い詰める」、その行為がワシの琴線に触れてくれるのだ。
だから「拒む者たち」の目を引き付けておくこともできた。
ワシは”白い家”に留まり、作戦を継続しているフリをしながら部下に彼女の古巣を突かせた。
二度も。
命令を下す時、ワシの手は震えていた。
怯えていたのだ。
もしも、あの時のように彼女の逆鱗に触れてしまったなら―――。
この世において絶対的な恐怖を与える「死」でさえワシをここまで追い詰めたりはしない。
……ワシの身体は憶えている。
数百、数千の命を丸呑みにする彼女の凶暴な「憎しみ」を。
あの時、彼女の「化け物」であったワシは否応なしにそれに触れ続けなければならなかった。
…当然か。
そうして産まれたのがワシなのだ。
だが今のワシは、彼女の「化け物」ではない。
「王」の僕であり、彼女の世界を壊す敵だ。
…ワシは無力だ。
その立ち位置がどれだけ自分を貶めることになるのか。分かっているはずなのに、どうすることもできないでいる。
「一部」の彼はそう感じていた。
しかし、彼は「一人」ではない。
「……ククク。」
…なんだ?
ワシは、笑っているのか?
怯えながら、本心ではこうなることを望んでいるのか?
彼女がワシを侵すことを。
ワシが彼女を殺すことを。
今の彼女がどれだけの『力』を持っているのか分からない。
それでも、彼女がどれだけ衰えていようと彼女の前に立ったならワシは瞬く間に全てを奪われてしまうに違いない。
彼女の『力』の染みついたこの身である限り。
それでも、やらねばならない。
……いつかは、こうなる運命だったのだ。
そして、これこそがワシの満たされない欲求の正体なのだ。
遅かれ早かれ―――「拒む者たち」がどれだけ反発しようとも―――、古巣への襲撃はワシにとって絶対だった。
だというのに、決死の覚悟を持って行動を起こした襲撃はただの度胸試しに終わってしまったらしい。
村を散々荒らしたにも拘わらず、ワシの耳には彼女の息遣いさえ聞こえてこなかった。
そこに大した理由はなかったのかもしれない。
だが、ワシにはそこに彼女の心境を垣間見せるものがあるような気がした。
彼女はまだ、あの時の出来事を引き摺っているのではないか?傷が癒えていないのではないか?
伝説にまで担ぎ上げられているあの惨劇を。
あの時の「憎しみ」は未だにワシの中にこびり付いている。
ワシの殺戮衝動の源でもあるそれが、これだけのことをしても疼かないのは、そういうことではないのか?
性懲りもなく三度目の襲撃を考えていると、求めていたものとは違った形で「変化」はやってきた。
襲撃後、古巣から持ち帰ったという実験体のリストの一つを見てワシは震え上がった。
部下たちが、突出していると熱弁する能力値を見る必要などない。
その姿を目に留めた瞬間、写真越しに向けられた視線から「彼女の血」をハッキリと感じ取ることができた。
ソレはまだ弱々しく、吹けば簡単に折れてしまう一本の稲穂のようだ。
だが、その目は間違いなく彼女と同じ運命を、同じ結末へと突き進む悲劇のヒロインなのだと確信できた。
「……」
「ガルアーノ様、いかが致しますか。」
ワシは返答を詰まらせた。
異例の数値を叩き出したソレを、部下たちは充実した設備環境のある”白い家”で育てたいと言い出したのだ。
ソレを、ワシの手で弄ることが果たして許されることなのかどうか。
ソレは彼女と同じ血を引くもの。
ワシを創造した人種。
それに触れることが許されるのかどうか。
「…いくつか実験しろ。それでも芽があるようならここへ連れてこい。」
一方で、この身体に染みついたものはやはり、そうすることを心から願っているらしかった。
顔に触れれば、堪え切れない笑みに悶えているのが分かった。
そこには「命」を喰らう衝動があった。
報復の衝動が、その身体を弄ぶ光景に胸躍らせていた。
言うまでもなく、ソレは用意した全ての実験をパスした。
ワシは覚悟を決める。
それは、「王」のためでない。ワシ自身の復讐の狼煙なのだと。
「ガルアーノ様、明日、フォーレスより実験体が届きます。」
「…分かっている。首尾は上々なんだろうな?」
「はい。”炎”の仲介屋にのみ先立って情報がいくように仕向けています。」
偶然にも、最高の餌がワシの手元に揃っていた。
今は未熟な彼女の娘も、幾つもの『悪夢』に触れれば立派な「魔女」になるだろう。
そして、娘は与えた餌でもう一匹のワシを産むだろう。
娘は、「憎しみ」をワシにぶつけてくるだろう。
ワシはその瞬間を見てみたい。
自分の姿がいったいどれだけ醜いものなのか。
あの時の彼女がいったいどんな顔をしていたのか。
そして、その全てを壊してやる。
だが気を付けねばなるまい。
相手は未来を省みない子供だ。ちょっとしたミスでワシの目論見を無駄にしかねん。
魔女が炎を飲み込むか。
炎が魔女を焼き殺すか。
はたまた、最高の結末を迎えるのか。
それはワシの采配に掛かっている。
もしも、この作戦が成功したなら、ワシは彼女を殺しに行く。
それがワシという存在をこの世に残した彼女の最後のけじめなのだ。