緑豊かなアールズ郊外からさらに離れた街はずれ。穏やかに流れる川のほとりにメルルのアトリエは建っていた。
水車小屋を改装した建物の内部にはソファ、ベッド、学習机、それから錬金術士には欠かせない調合用の大釜と保存用のコンテナが設置されている。
「意外ね。王女様のアトリエというからもっとゴテゴテしてるのかと思ったわ」
「み、ミミちゃん……!」
「あはは、余計なもの置いてても邪魔になっちゃいますから!」
城壁の上からトトリとミミを発見し、後先考えず会いに行ったメルルは、ひとまず自分のアトリエへ招いた。後から追いついてきたケイナとライアスには「この人たちと大切な話し合いがあるの! ジオおじさまによろしく!」とだけ伝えている。
食事時に使う食卓と椅子に向かい合って座ると、ミミが率直な感想を口にする。トトリはお姫様に対する無遠慮な言い方に慌て、メルルは軽く笑った。
もちろん貴族のミミは王族に対するマナーを習得しているし、王族の責務をきちんとこなしているメルルを深く尊敬しているが、大好きな親友にメルルが初対面で抱きついたことで嫉妬と警戒の炎が起こり、ぶっきらぼうな態度になっている。
メルルはミミのその態度に懐かしいものを感じながら、上機嫌に口を開く。
「えっと、まずは改めて! メルルリンス・レーデ・アールズです。気軽にメルルって呼んでください」
「これはご丁寧に。ミミ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングと申します。お会いできて光栄です、メルル姫」
「は、はじめまして! トュトゥーリア・ヘルメルトです! みんなからはトトリって呼ばれてます!」
「トトゥーリア・ヘルモルトね。自分の名前を噛むんじゃないの」
「だ、だって……!」
あたふたするトトリ。
メルルはやはり懐かしい気分だった。夢の中で初めてトトリと会ったときも、お姫様だと知ったとたん慌てていた。
でも割とすぐに慣れてくれたし、きっと今回もそうなるだろう。
「トトリ先生とミミさんですね! よろしくお願いします!」
「ええよろしく。ところでさっきから気になってたけど、どうしてトトリが先生なの?」
メルルはあっと声をあげた。夢の中での印象が強くて思わずそう呼んでいたが、二人とは今回が初対面。ミミが疑問に思うのも当然で、同じくトトリも首を傾げている。
メルルは特にためらうこともなく、
「夢で見たからです」
「はい?」
「トトリ先生がアールズにやってきて、私の錬金術の師匠になってくれる夢を見たんです。その印象が強くてつい。……ダメでしたか?」
「い、いえいえ! でも、メルル様に先生って呼ばれるのは恐れ多いというか……」
冗談にしても事実にしても奇矯なメルルの返答に、トトリとミミは困惑を隠せないようだった。
メルルに夢のことを隠す気はない。常に先読みで開拓してきたときには、ルーフェスやデジエに「一体どこまで先が見えているのか」と聞かれ、「百年先くらいかなぁ。夢で見たんだ」とぶっちゃけている。といっても現実離れしすぎているので、もっぱら謙遜の類として受け取られていた。
「こっちこそ、先生に様なんてつけられるのは恐れ多いですよ! メルルって呼んでください」
「そ、そうですか? じゃあ……メルル、ちゃん?」
「はい、なんですか先生!」
「よ、呼んだだけ。えへへ」
「イチャついてんじゃないわよ!」
きーっ、とハンカチでも噛みそうな剣幕でミミが割り込んできた。
メルルとトトリは口をそろえる。
「呼び方のこと言い出したのはミミちゃん(さん)なのに……」
「そ・れ・よ・り! メルル姫! お話というのは何なの!? まさかただおしゃべりするためにここへ連れてきたわけじゃないでしょう!」
「えっ、ああ、それはですねー……」
メルルの頬に一筋の冷や汗。
実はミミの言った通り、メルルは二人と話がしたいためだけにここへ招いただけだ。
考えるよりも先に体が動き、一度飛び出すと弾丸のごとくいつまでも戻ってこない、鉄砲玉プリンセスという評価をほしいままにするメルルらしく、この先のことは何一つ考えていない。
(どうしよ、お邪魔虫だったかも)
ミミがトトリを大好きなことは夢で知っていたし、実際に対面してもその印象は変わりない。もしかして、二人仲良く水入らずで楽しんでいたところを邪魔してしまったのでは。
メルルの推測は的を射ていた。きょとんとしているトトリはともかく、ミミは親友との時間に水を差されてイライラしている。
ここにきてメルルの頭脳が回転を始める。夢の中では割と破天荒な人物に囲まれ、フォローに回ることも多かった。その経験と、錬金術士の優れた頭脳をフル稼働させた結果――
「実はトトリ先生に先生になってほしいんです!」
最適なフォローが炸裂した。
「私が先生に?」
「……続けて」
トトリが首をかしげ、ミミも興味深げに椅子へ座り直す。
「ウチには錬金アカデミーがあるんですけど、錬金術を教えられる人が私しかいなくて困ってるんです。だから臨時講師としてトトリ先生に来てもらえないかなと」
「ふーん、王女様直々のスカウトってわけね。やるじゃないトトリ」
「ええ!? 私なんかでいいんですか!?」
「もちろん! トトリ先生じゃなきゃダメなんです!」
提案するまでの過程はともあれ、メルルにとっては本気の案だった。
アールズは錬金術によって大きくなった。長い目で見れば次代の錬金術士たちの育成が必須だが、極めて高度な学問である錬金術を教えるのは並大抵のことではない。しかしメルルは開拓事業と執務で忙しく、講師としての時間がなかなか確保できない。いっそ自分の知識をコピーしたホムンクルスでも作っちゃおうか、と考えていたタイミングでトトリを見かけたのだ。
夢の中に出てきた錬金術士たちの中で、トトリは教え方が抜群にうまかった。いい先生になってくれるに違いない。
ここまでが建前。
本音でいえば、メルルはトトリにそばにいてほしかった。夢の中にしか存在しない大好きな先生が実在していたのだから。できればいつでもお話できる近くに留まっていてほしい。自分を置いていかないでほしい。
「メルルちゃん、大丈夫?」
「えっ」
「捨てられた子犬みたいな顔してるわよ。どうかしたの?」
「な、なんでもないです! それで、どうですか?」
置いていかれる寂しさを思い出していたらしい。慌てて強がりの笑みを浮かべると、二人は怪訝な表情をした後、顔を見合わせる。
「うーん、お姉ちゃんに会えないのは寂しいけど、トラベルゲートがあるし……アールズの素材で研究したいし……ミミちゃんはどう思う?」
「私は賛成よ。あなたのしたいようになさい」
「む、ちょっと冷たくない?」
「ま、私はしばらくこの国を拠点にして活動する予定だけど」
「えっそうなの!?」
「言ってなかったかしら? アーランドでできることは粗方やり尽くしたし、こっちにもシュヴァルツラング家の名を広めたくてね」
うわぁ、とメルルは感心した。夢の中で見たように、ミミは相変わらず素直じゃない。
ミミは元々その予定でした、と言わんばかりの口ぶりだが、実際はトトリがアールズ移住に前向きなことを見越して今決めたのだろう。トトリが移住してからミミもアールズに来れば、トトリに会いたくてやってきたように見えちゃうから。
「これがツンデレ……」
「何か言った?」
「いいえ何でも!」
ミミの黒い笑みを向けられメルルは口を噤む。
「そうなんだ、ミミちゃんもこっちに……うん、分かったよ。私で良ければ、先生をやらせてもらいたいな」
「やったぁ!」
夢の中とは違う出会い方だった。関係性も違ってくるだろう。トトリはメルルだけの先生ではなく、錬金術士の卵たちの先生にもなる。
けれど形や過程はどうあれ、メルルはトトリとめぐりあうことができた。夢を見て以来ずっと心中にくすぶっていた寂しさがやっとなくなったのだ。メルルは両手をあげて全身で喜びを表現する。
三日後の即位式もこれで気持ちよく迎えられるだろう。トトリとの出会いはメルルにとって最高のタイミングだった。
「め、メルルちゃん、大げさだよ」
「これが喜ばずにいられますか! 早速ルーフェス――偉い人に話してきますね!」
「は? 独断だったの?」
「大丈夫! 私に任せてください!」
「ちょ、待ちなさい」
ミミは、風のようにアトリエを飛び出そうとするメルルを呼び止め、小声でささやき合う。トトリも参加しようと近づくとちょうど密談が終わり、メルルは今度こそ飛び出して行った。
「まったく、噂以上にお転婆な姫様ね」
「でも、すっごくいい子だったよね」
「……まあ、そうね」
まっすぐで純真。正面から人と向き合う誠実で朗らかな子、という印象だった。あの夢の話もおそらく冗談や嘘ではないのだろう。トトリとの時間を邪魔されて苛立っていたミミも、メルルのことは認めざるを得ない。
「ところで何話してたの?」
「このアトリエにしばらく泊めてもらうよう頼んでたのよ」
「あーそっか。ミミちゃんかしこーい」
「あんたが能天気すぎるのよ」
ミミはほくそ笑む。野宿を回避できたことにではない。このアトリエにベッドが一つしかないことにだ。トトリは一度寝るとなかなか起きないたちなので、寝ている隙に急接近するチャンス――
「あ、でもベッド一つしかないね。私ソファで寝るから、ミミちゃんが使っていいよ」
「……」
だったはずだが、錬金術士はベッドよりもソファで寝ることのほうが多い生き物だ。しかしミミが素直になれるはずもなく、結局引きつった笑顔で「あらそう、ありがとう」と返すので精一杯だった。トトリは「あ、素直になれなくて悔しがってるときの顔だ。でもつっつくと怒るからそっとしとこう」と微妙な察しの良さで様子見を選択。それ以上は気にしない。
本来の歴史とは多少異なるものの、アーランドの錬金術士トトリはこうしてアールズに腰を据え働くことになったのだった。