ばあちゃるは八重沢なとりと暮らす   作:ラギアz

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家、燃えた

「ばあちゃるくんの家が燃えたんすよおおおおおおおおお!!!」

「……炎上したんですか」

「物理的に炎上したんすよ……ばあちゃるくん家なき子っすよ今……」

 

 桜の木が、蕾を付けた頃。

 ばあちゃる――私立ばあちゃる学園学園長、アイドル部のプロデューサー、シロちゃんのお菓子係……我ながら山ほどある二つ名を持つ男。それが俺である。

 そんな俺の家が燃えた。

 比喩ではない。燃えたのだ。それはもう、ごうごうと。

 

「でもばあちゃるさん、荷物ほぼこっちに置いてありますよね?」

「いやまあね、全然家に帰れなかったんでね。荷物はほぼ学園長室と会社にあるんすけど……いやあ、家が燃えるのって中々心に来るんすね……」

「昨日はホテルですか?」

「いえ、ネカフェで時間つぶして徹夜っす」

「……カフェインの大量摂取は体に毒ですよ」

「何を今さら。メンテちゃんも知ってるじゃないすか……ばあちゃるくんの忙しさ……」

「だからこそですよ。やっと仕事が落ち着いてきたじゃないですか。寝たらどうですか?」

「いやあでも……勤務時間中に寝るのはダメっすよ……」

「まあまあ。倒れられると困りますし。いつも適当なばあちゃるさんがぶっ倒れたら、アイドル部の皆に心労を掛けますよ」

「あー……そうっすよねえ……」

 

 メンテちゃんの冷静な言葉に、俺は卓上を見る。そこには紙コップ……飲み干したコーヒーの数は、有に六個を超えていた。

 テレビで見た限り、確かその数はやばいレベルだ。

 というか知識なしでもやばいって分かる。

 

「……じゃあ、ちょっと寝ても良いっすか?」

「どうぞ。何かあったら起こすんで、就業時間内ならばいくらでもどうぞ」

「そんじゃあ失礼して……いやーメンテちゃんマジで良い人っすね完全にね」

「いえいえ。コンビニのプリン・アラモードでいいですよ」

「1200円くらいするじゃないっすか!? えぐー!」

「流石に嘘ですよ。おやすみなさい」

「ああ……お休みなさい」

 

 俺はスーツの上を脱ぎ、ソファに横たわる。そのまま顔にスーツを被せ、目を閉じた。

 家には、特に大切なものがあったわけではない。

 それでも、帰る場所が無くなるというのは、それだけで大きなダメージになるのだと。

 俺は分かったつもりでいて……しかし全然分かっていないことを、後に知るのだった。

 

――☆――☆――

 

「失礼します。ばあちゃるさんはいらっしゃいますか?」

「こんにちは、八重沢さん。ばあちゃるさんは……すみません、今睡眠中なんです」

「……珍しい、ですね。どうかしたんですか?」

 

 部屋に入った私を迎えたのは、いつもの彼ではなく、メンテさんだった。

 ばあちゃるさんは、常に仕事をしているイメージがあった。それこそ、病的なまでに。

 そんな彼が眠っているだなんて。とても珍しい。

 たったそれだけの事実は、それだけで私、八重沢なとりに不安を抱かせる。風紀委員長と言う仕事上、彼と話す機会は多い。普通の人ならば「休んでいるんだ」程度で済む事も、私から見ればれっきとした異常だった。

 

「いえ、まあ、特には」

「そうですか。……あの、メンテさん。これをばあちゃるさんに渡してもらっても」

「はいはいはーい! なとなとー、ちょっと来るの遅れちゃってすみませんねーはいはいはい」

 

 そんな気持ちを押し隠しつつ、書類を渡そうとした時だった。突如奥からばあちゃるさんが現れ、小走りで私の前へ。第一ボタンは開けられ、ネクタイは緩められている。目の下には隈。ぼさぼさの髪に無精ひげ。よく見れば、Yシャツさえもよれよれだった。

 

「……ばあちゃるさん。身だしなみが整ってないですよ。何かあったんですか?」

「いやー、大した事は無いっすよ。まあ家が燃えた程度っすね」

「燃えっ……!? それ大した事だと思うんですけど!」

「まああれっすよ。ばあちゃるくんがね、家なき子になっただけなんでね! アイドル部の皆とかには迷惑を掛けないんでね、まあちょーっと秘密にしてくれるとありがたいっすね!」

「は、はあ……。あ、これ書類です」

「あざーすあざーす! なとなとね、いつも沢山仕事してくれて本当に良い子っすね!」

「いえ、そんな……。ありがとうございます。その、何かあったら言ってくださいね? 私に出来ることならやるので」

「気持ちだけね、受け取っておくんでね! なとなとはばあちゃるくんの事なんか気にしないでね、ちゃーんと毎日元気にいてくださいね!」

「わ、わかりました。失礼しました」

「はいはいはい、ありがとなとなとー!」

 

 ばあちゃるさんはいつも通りの態度だった。多分、十人中十人が普通と答えるだろう。

 ……だけど私には、分かる。

 彼は今、ダメージを受けている。完全ないつも通りではない。

 

「……私も、寂しいんですかね」

 

 ……八重沢家には、あと二週間くらい私しか居ない。家族が仕事で、短期の出張に行ったのだ。家に残ったのは、学校のある私だけ。旅行も兼ねてなのか、ママやおばあちゃんも一緒に行った。

 だからなのか。私は軽くない寂しさを感じている。それは友達と触れ合って、それが無くなった放課後に、主張が強くなっていた。

 多分、そんな背景があったから。

 ――私はあんなことをして、もっと寂しくなったんだと思う。

 

――☆――☆――

 

 残業は久々に無く、定時で上がることが出来た。学園の中は既に暗く、歩いていると少し怖い。

 

「家に帰って、皆の配信を見て……ああ、家が無いのか」

 

 自分の日常に組み込まれる、家。そう、それが無い。物件を見に行く暇は無かったし、今日はホテルだろうか。スーツは買ったほうが速いし、なとなとに言われた通り髭や髪も整えなければ。

 やることは多い。

 仕事がなくとも、同じくらいに疲れそうだった。

 ため息を一つ。心なしかバッグが重い。

 それでもシロちゃんやアイドル部のため、頑張らなければならない。気合を入れなおして、近場のホテルを調べ始めた時だった。

 

「ばあちゃるさん」

 

 突然。正門を出た瞬間に、これを掛けられた。

 

「ええ、なとなとじゃないっすか!? どうしたんすかもー! 忘れ物っすか? いや取りあえずね、もう遅いんで送っていきますよ!」

「いや、あの、違うんです。私、ばあちゃるさんに用事があって……!」

「え? ばあちゃるくんにっすか?」

「はい。……その、ばあちゃるさん。私の両親、実は二週間くらい家に居ないんです、けど、」

 

 なとなとはそう言って、言葉を切った。少しの沈黙。いまだ肌寒い初春、カーディガンの裾をきゅっと握りながら、彼女は俺を見上げる。

 目線を一切反らさず。なとなとは、頬を赤く染めて――

 

「……一緒に、暮らしませんか」

「……えっ?」

 

 そんな事を、呟いた。

 

「いやいやいや、ダメっすよそんなん! 確かにばあちゃるくんね、家がないんすけど、それでも年頃の女の子がそんな事言っちゃダメっすよ完全にね!」

「で、でも! ばあちゃるさんホテルですよね!? それこそお金がやばーしーなんじゃないですか!?」

「そんくらいなら払えますって! ばあちゃるくんだって貯金くらいしてるんすよ!」

「いやでもその! 私と暮らすと三食付きますよ!」

「なんすかそのオプション! 風紀が乱れてるんじゃないすかー?」

「みっ……まだ乱してないですうー!」

 

 なとなとがバッグで俺を叩き始める。頬を膨らませてぽかぽか。見た目は可愛らしいが、実際は教科書などが突き刺さって痛い。いや待って普通に痛い。

 ……そのまま数秒。なとなとの体力切れにより、打撃は止んだ。

 肩で息をする彼女に、俺はでこピンを放つ。「あうっ」と額を抑えたなとなと。

 そんな少女は、息を整え。そして、仕切りなおすように話し始めた。

 

「家に誰も居ないんです。二週間くらい。……寂しいんですよ。急に居なくなって、こんなこと慣れてないので」

「あ、じゃあばあちゃるくんからもちもちとかに話しておきましょうか? もちもちなら来てくれるんじゃないすかね」

「なあーんでそこでそうなるんですか!? さっきからばあちゃるさんに来てって言ってるじゃないですか!」

「風紀的にアウトっすよ!」

「大丈夫です。風紀乱すような事、ばあちゃるさん関連である訳ないじゃないですか」

「ガチトーンじゃないっすか……えぐー……」

「お願いしますばあちゃるさん! 一日だけでも良いので!」

「いや、でも……」

「女の子一人ですよ! 強盗とか来たらどうするんですか!」

「瞬間移動して行きますよ。なとなとがどこにいてもね」

「はうう……」

「はいはいはい、じゃあ分かってもらえたと思うんでね、家に帰りましょうかなとなと」

「……帰りません」

「え?」

「ばあちゃるさんが一緒に帰ってくれるまで帰りません」

「ちょいちょいちょーい! いつからそんな我が儘な子になっちゃったんですかもー!」

 

 頑固になった女の子は、割と面倒くさい。だがそこはお任せあれ。シロちゃんと長く接してきた俺は、こういう時の対処を知っている。

 それは――素直に従う事だ。

 これ……詰んでるじゃん完全に。

 

「……一日だけっすよ」

 

 俺は諦め、小さく呟いた。押しに弱いのは昔からで、変わることは無いだろう。それでもまあ、とびっきりの笑顔を浮かべてくれてるのだから、悪い気はしなかった。

 

「それじゃあ、行きましょう! 晩御飯の材料買って行ってもいいですか?」

「勿論っすよ。ばあちゃるくんね、コンビニでささっと買うんでね」

「え?」

「えっ?」

「……もう!! どうしてそう貴方はあああああ!!!」

 

――☆――☆――

 

「えっ……いやマジで美味い……」

「コンビニとどっちが美味しいですか?」

「いやこっちに決まってるじゃないっすか!! 最高っすよこれ完全にね!!」

「ふふん、アイドル部で女子力が一番高いまでありますからね」

 

 流石に他人の食費を圧迫するわけにはいかない。そう思い、せめて夕飯だけは自分で用意しようと思っていた。しかし気付けば、なとなとに押し切られ、彼女特製の夕飯を食べることに。

 そのご飯は、疲れなどを全て吹き飛ばすほどに美味しかった。

 良かった。スーパーでの会計の時、譲らずにお金を払っていて良かった。

 作ってもらうのだから、と。それだけの理由で払ったが、あの時払っていなかったら俺は今ひれ伏していただろう。今でさえも危ういのだ。どれだけ手間を掛けたのか。一人暮らしで自炊の経験もある俺は、ひたすらに彼女を尊敬し始める。

 

「いやあ……マジでもう最高っすねこれね! お店で出せますよこれ!」

「そうですか? お世辞で言ってるんじゃないですかー?」

「なとなとはね、たまたまじゃ無いっすからね。ガチで褒めてますからねはいはいはい」

「それ遠回しな会長への悪口じゃないんですか!?」

 

 温かい。物理的な温度だけでなく、なんというか、心が温かい。

 

「コンビニ弁当じゃあ物足りなくなっちゃいますねこれ完全にね!」

「毎日作っても……その、良いですよ?」

「毎日会わないじゃないっすか。休みもありますし」

「そーゆーとこですよばあちゃるさん」

「ええっ!? 今何かやっちゃったんすか!?」

 

 向かいの席に座り、彼女はエプロンを外す。下は着替えたらしく私服で、髪は一つに纏められている。頂きますと呟き、なとなとは箸を伸ばした。

 

「……何ですか、じっと見て」

「いや、何でもないっす」

 

 ……新妻感を感じた。なんて、口が裂けても言えない。

 いやでも許してほしい。俺はそもそも誰かの手料理を食べること自体が久々で、向かいには嫁感が滅茶苦茶強いなとなとが居るのだ。そろそろ結婚を急かされる年頃、そういったものに憧れるのも、無理はない。だろう。

 

「味付け、いつもみたいにやったんですけど……ばあちゃるさんはどんなのが好きなんですか?」

「ばあちゃるくんは全部好きっすよ。強いて言うなら濃い目の方が好みっすかね」

「そうなんですか。明日のお弁当はそうしますね」

「……え? お弁当?」

「だってばあちゃるさん、絶対コンビニ弁当とかですよね?」

「ま、まあそうっすね」

「ダメとは言いませんが、どうしても栄養バランスが崩れちゃいますから。私が作りますよ」

「そこまでしてもらうのは流石に悪いっすよなとなとー」

「コンビニ弁当じゃ物足りなくなるって言ったじゃないですか。お世辞だったんですか?」

「そんな訳ないじゃないっすか!!」

「ですよね。信じてます。それなら作っても良いですよね?」

「……あー、もう……お返し、絶対しますからね。何が良いか考えといて下さいね!」

「はい。ありがとうございます、ばあちゃるさん」

 

 にっこり笑うなとなと。机に伏せる俺。語彙力が無いというのは、こんなとこにまで響くのか。

 いやでも女子高生に口で負かされるってどうなんだ。学園長やってんのに。

 

「そういやばあちゃるくん、どこで寝たら良いんすかね?」

「空き部屋が一つあるので、そこで良いですか?」

「部屋貸してもらえるんすか!? 床で良いっすよばあちゃるくん」

「私が許しません。ばあちゃるさんただでさえ忙しいんですから、寝る時くらいベッド使って下さい」

「もうこれね、なとなとに頭上がんないっすね完全にね」

 

 全力でもてなされている。料理も美味いし、配信の経験からか話も面白い。

 このままでは行けない。流石に大人の男として情けない。

 

「なとなと、皿洗いはやりますからね! ばあちゃるくんにね、全部任せてくれて良いっすからね!」

「じゃあ、一緒にやりましょうか。私これ持って行くんで、ばあちゃるさんそっちお願いします」

「……あれ。なとなともやるんすか?」

「当り前じゃないですか」

 

 何故か表情の一つ一つが輝いているなとなと。キラキラに押されるがままに台所へ行き、二人で並んで皿洗い。たどたどしい俺に比べ、彼女はとても手際が良かった。正直役に立ってるか分からないまま、食器があっという間に綺麗になる。

 

「んーと、次はお風呂ですね。さっき洗っちゃったんで、もう入れますよ。お先にどうぞ」

「いやね、一番風呂はやっぱ家主だと思うんすけどねはいはいはい」

「私の残り湯に浸かりたいんですか」

「一番風呂貰いますね! あざーすあざーす!」

 

 俺はコンビニで買った着替えを抱え、さっき教えてもらった浴室へと駆けた。

 

――☆――☆――

 

 ばあちゃるさんが出たお風呂。おふろ。

 タイルを裸足で踏んだ瞬間、シャンプーの香りを感じた。それはいつも、私が使ってる物だ。

 なのに……何故か全く違う物に思える。

 彼が、すぐ前にここに居た。

 たかだかそんな事で跳ねる心臓。落ち着けるために息を吸い込めば、それは逆効果。微妙な、ともすれば気のせいで済ませられる様な匂いが、私を震わせた。

 顔が熱かった。それをお風呂の所為にするために、私はお湯へ飛び込む。

 そして、数十分後。すっかりのぼせた私は、若干ふらふらしながらリビングへ。肩にタオルを掛けたままソファに沈み、天井を見上げる。

 ……あれ。ばあちゃるさんは?

 

「あー! なとなとダメじゃないっすか髪乾かさないとー!」

「ふぇ?」

「なとなとはね、髪がね、もうとんでもなく綺麗なんでね! 乾かさなきゃ勿体ないすよ!」

「……拭いてください」

「いや……まあ、そんくらいならやりますよ! じゃあなとなと、ちょっとタオル借りますね」

 

 おお。我儘が通った。

 いや、この人は我儘はある程度聞いてくれる。けれど、直接的なスキンシップは拒むのだ。それでも、髪を拭くくらいならやってくれるらしい。覚えておこう。これはとっても、私にとっては有意義な情報だ。

 

「どうっすか? くすぐったいとことかあります?」

「んー……大丈夫です……気持ちいいです」

 

 眠い。温かい。まだ頭がぼーっとしている。目の前には寝巻の彼。その胸元。

 眼だけを上に向けると、真剣な彼の顔が見える。私の髪を拭くだけなのに。

 それだけ、アイドル部を大事にしてくれているのだろうか。

 いや――今だけは。彼は、八重沢なとりを大事にしてくれているのだろう。

 そう思うと、なんかむず痒かった。

 何よりも。

 

「……なとなと、めっちゃ嬉しそうっすね。どうかしたんすか?」

「どうしたんでしょうかね?」

「なんで疑問形なんすか……」

 

――☆――☆――

 

「……おきてくださーい」

 

 耳元で声が聞こえた。

 背中が柔らかい。頭も柔らかい。いつも付きまとっていた疲労感も、すっかり消えていた。

 快眠。最高と言っても過言ではない。久々に、気怠さの無い朝。俺はベッドの横のカーテンを開こうとし、手が壁にぶつかるのを感じた。

 そうだ。家は、燃えたんだ。

 一抹の寂しさ。軽くなっても、残る感情。

 待ってくれ。

 じゃあ、ここはどこなんだ――。

 

「起きて下さい、ばあちゃるさん」

「うおっ!?」

 

 覚醒しかけていた意識が、ぐっと引き起こされた。慌てて目を開けば、知らない天井。

 次いで視界に入ってきたのは、少女の笑顔だった。

 

「……な、なとなと?」

「おはようございます、ばあちゃるさん。顔を洗ったら、朝ごはん食べましょうね」

 

 なとなとはそう言うと、カーテンを開けてから部屋を出て行った。朝の陽ざしはとても眩しく、俺は目を瞑る。

 俺は、なとなとの家に泊った。

 その事実を思い出し、何とも言い知れぬ感情を欠伸とともにかみ殺す。それでも有り余るのは、幸せと元気だった。自然と口元には笑みが浮かび、ベッドからの脱出もスムーズに終わる。

 かったるい平日の朝が、今は心地よかった。

 

 そのおかげか。普段ならば一日掛かる仕事が、半日で終わった。

 今はお昼休憩。生徒たちも昼休みだ。学園長室には俺とメンテちゃんだけ。あまりにも早く俺の仕事が終わってしまったため、メンテちゃんの仕事を少し手伝っている。

 

「メンテちゃーん! こっち終わりましたよー!」

「効率がおかしい。あとなんでそんなに元気なんですか」

「はいはいはい、いやーね! まあちょっとあったんすよ!」

「……はい、こっちも終わりました。ご飯食べましょうか」

 

 パソコンを閉じ、二人してお弁当を取り出す。

 バッグの中から出したのは、青色の風呂敷に包まれた弁当箱。二段弁当だった。

 上には彩色豊かなおかずや野菜。下にはふりかけご飯。一緒に入っていたメモには、お仕事頑張って下さいというメッセージと絵が。

 最高に嬉しいぞこれ。

 今までそんなメッセージを受け取った事が無かった俺のテンションが、爆発的に上がった。

 嬉しさでによによとする頬を手で揉んで、何とか落ち着ける。

 

「いただきまーす!」

「いただきます。ばあちゃるさん、今日はなんのべんと……う……」

 

 早速小さなハンバーグを頬張る。人生の中で一番美味い弁当が更新された瞬間、突然メンテちゃんが詰め寄ってきた。

 

「ば、ばあちゃるさんがコンビ弁当じゃない!?」

「うおっ、いやね、ばあちゃるくんも毎日毎日コンビニ弁当じゃないんすよ」

「嘘! 私と仲間だと思ってたのに!」

「そんな事思われてたんすか!?」

「ちょ、ちょっと頂きますね」

「あっばあちゃるくんの卵焼き!!」

 

 メンテちゃんは素早く卵焼きを掻っ攫った。止める間もなく。

 

「……すっごい美味しいですねこれ」

 

 目を見開き、ゆっくりと呟いた。大げさで無いがゆえに、それが演技ではないと分かる。

 次のおかずを掴もうとしていた箸を止め、俺も卵焼きを頬張った。

 

「いや、マジで……美味いっすね。やばーしーっすね」

「その言い方だと他の人に作ってもらったみたいですね」

「ははは、まさか」

「うふふ、ですよね」

「……」

「……」

「……ば、ばあちゃるくん屋上で食べてきますね」

「おい吐け」

 

 俺は弁当を抱え、学園長室を飛び出した。足の速さになら多少の自身がある。

 よし。今日は学園長室で、彼女と二人っきりにならないようにしよう。

 ――結論から言うと、その作戦は成功した。今にも噛みついてきそうなメンテちゃんを避けまくり、定時と同時に飛び出す。俺の仕事は終わっているうえ、教員は家が無い事を知っている。ただ一人の存在を除いて、仕事で残っている人は皆エールを送ってくれた。

 そう、そこまでは良かったのだ。

 ……天気が、雨じゃなければ。

 俺は折りたたみ傘なんて持ち歩いてないし、普通の傘も無い。しかもかなりの土砂降りであり、コンビニまで走って傘を買っても、大して意味が無いように思える。

 だがまあ、走るしかない。

 泊る所はホテル。それしか無いのだから。

 俺は意を決し、昇降口を飛び出した。雨粒が瞬く間に全身を濡らす。視界も悪く、体温は下がり始めていた。

 水たまりを踏む度に、ズボンの裾が冷えていく。肌に張り付く嫌な感覚。

 それでも足を止める訳にはいかない。学園の周りにコンビニは無く、近くて駅前になる。まだまだ距離があるのだから。

 息が切れてきた。服が張り付いて重い。寒い。

 雨が大っ嫌いになった。メンテちゃんから逃げる事ばかり考えてたせいで、他の職員から傘を借りるというのが浮かばなかった。

 後悔先に立たず。赤信号に止められた俺は、掌で顔を拭った。

 

「ちょっと! 何してるんですかばあちゃるさん!」

 

 その瞬間、突然雨が途絶えた。

 頭上には傘。その持ち手の先には、少し怒った様子の少女が立っていた。

 

「な、なとなとじゃないっすか。どうしたんすか?」

「どうしたんすかってこっちのセリフです! 傘もささずに何やってるんですか!?」

「はいはいはい、あのっすね、天気予報と違って急に雨が降り始めたじゃないすか。なんすけどばあちゃるくん傘持ってなくて、コンビニに向かってたんすよ」

「……それ、朝に傘を渡さなかった私のせいじゃないですか」

「なに言ってんすかなとなとー! なとなとはこれっぽっちも悪くないっすよ! 間抜けなばあちゃるくんがね、悪いんすよこれ完全にね!」

「でも、私はばあちゃるさんの状況知ってるじゃないですか! 万が一を考えて折り畳み傘とか渡しておけば……!」

「そんな万が一気にしてたら生きるの大変っすね完全にね! 勝手に変わった天気が悪いんすよ!」

「……それでもです。ばあちゃるさん、お風呂とかの当てはありますか?」

「あったりなかったりっすね。ホテルにあるんじゃないすかね?」

「駅前ですよねそこ。わかりました。ばあちゃるさん、ついてきてください」

「え? どこにっすか?」

「――私の家です。今のばあちゃるさんを放っておけません」

「マジンガー!? 大丈夫、大丈夫っすよなとなと!」

「ダメですよばあちゃるさん。確かに傘は予測できない未来の事でしたけど……この状況は、今どうにか出来るじゃないですか。貴方の事情を知ってるんですから、ここでさよなら出来る訳ないじゃないですか!」

 

 なとなとはそう言うと、俺の手を掴んだ。自分の手が濡れるのも構わず。

 強く引かれる。何も言えないままに、追うように足を踏み出した。

 

「こんな時くらい頼って下さい。良いですか」

 

 俺は無言で頷く。彼女は微笑み、前を向いた。

 固く繋がれた手。白く細い指は、何よりも強く、五指を掴んでいる。

 

「……ありがとうございます、なとなと」

「気にしないで下さい。当たり前の事ですよ」

 

 こっちを向かず、なとなとは返事する。優し気な、本心だと伝わってくる声音。それは心をじんわりと包み、染みていった。

 

「ほんと、風紀を正す以外は何でも出来るんすねなとなと」

「んなあー!? 風紀! も!! 正してますから!」

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