北方軍管区ノルデン戦区にて大健闘を収め、生前での受賞はたいへん珍しい〈銀翼突撃章〉を受章し、現在北方駐屯地で療養中のターニャ・フォン・デグレチャフ少尉は現在己との戦いに挑んでいた。
いくらターニャの中身が元エリートサラリーマンだったとしても体は育ち盛りの十一歳の幼女に過ぎない。朝、恒例となってきている睡魔との戦い(原因はただの低血圧なのだが)にどうにか打ち勝ち、ベットの横に置かれていた新聞を手に取る。
「やれやれ、せっかく私があそこまでしたというのに……戦況は変化なし……か」
そうため息をつき、新聞を隅々まで見るとある一つの朗報が目についた。
「ん……?ノルデンでの死傷者の数が激減した……?」
新聞の隅に書かれていたのは、死傷者の数が四割も減ったというものだった。戦地においてそう簡単に死傷者の数が減ることはない、救出専門の隊を作ったのならわかる気がするがそんな隊を作るほど帝国に余裕はない。だが現にこうした結果が出ている以上何かの変化をもたらす人間が現れたということだろう。
「まさか……存在Xか?」
「助けてくれぇ……」 「だ、だれかぁ……」 「に、にげろぉ……」
人々の嘆きが、うめき声が戦場に響き渡りその声が徐々に小さくなっていく。命の喪失は当たり前、その屍に価値はなく、感じることも、救いはなく、進んでも、引いても戦場の網から抜け出すことはできない。もはや九死に一生などという贅沢はない、歩兵がここ、ライン戦線に足を踏み入れたが最後その足が二度と故郷の温かな土を踏むことはない。
「死んで……たまるか……」
ある一人の撃墜され、翼をもがれた魔導兵、グレンが地面を這いつくばりながらそう呟く。その瞳は殆どが絶望に満ちていたが、たった一つの希望が輝き、なけなしの力で自陣に帰ろうとしていた。
しかし、そんな彼の些細な希望を打ち砕くかのように砲弾が襲来する。これがまだ彼を殺すためであればよかったのだろう、しかし、それは砲兵がただの作業の一環として、相手に当たればいいな程度の感覚で打ってきた試射だった。もちろんそんなことをグレンが知る由も無い、彼にとって砲弾はたった一つの希望を打ち砕きに来た死神の使者に過ぎないのだから。
(ああ……あいつらも同じ光景を見てたんだな)
自分が所属していた魔導小隊は自分を除いて壊滅した。その全員が砲撃によって死亡し、その光景は今も網膜に焼き付いている。そして今、自分も彼らと同じ結末をたどろうとしている。まさか救助に来てくれる人がいるなどとは思ってはいない。事実、自分も彼らが死ぬ寸前の時助けることができなかったからだ。
砲弾が接近する、その距離はもう遠くはない。朝日を浴びて、黒光りする砲弾を見ていられずグレンは目を閉じた。
(さようなら……母さん、おやじ)
砲弾の襲来音は間違いなく鼓膜をたたき、砲弾の形は網膜に焼き付いている。なのに、なのになぜ……俺は死んでいない?
少しずつ瞼を持ち上げると、目の前には少し前まで自分を覆っていた防殻が視界いっぱいに広がっていた。もちろん展開したのは俺ではない、とすると…………
「エンジェルよりCP、生存者一名を確認!魔導兵です!彼を連れて帰投します!」
俺の眼前には汗を流しながら無線に呼びかける金髪の女性がいた。首から宝珠を下げているあたり彼女がこの防殻を展開したらしい。
『CPよりエンジェル、了解。それと救援要請だ場所は……』
その女性魔導兵の無線から聞こえていた声は徐々に小さくなり、俺の消えかかっていた意識は完全に消えてしまった。
おかしい、あれほど聞こえていた砲弾の音が聞こえない。銃撃の音も、同じ兵士たちのうめき声も。
そのことに疑問を持った俺はまどろみから目を覚ます。
そこはなんと久しい光景か、救護者を集めたテントだった。この場所を見るのはいったいいつ振りか……
「いっ……!」
ずきんと頭が痛む、傷んだ個所をさすると包帯が巻かれていた。それも鏡で確認せずともわかるほど綺麗で丁寧に。腕には湿布や包帯、脚部からはアルコールのにおいが鼻腔をくすぐる。
まちがいない、俺は、あの
「生還したのか……」
こうしてここにいても実感がわかず、とても現実とは思えない。しかし、頭を貫く痛みが現実であることを証明している。
「だよなぁ、みんなそう思うよな」
横が声がし、視線を動かすとそこには俺と同じように包帯が巻かれた兵士がいた、俺の頭の代わりに左腕を三角巾で吊っている。
「バース=インフェインだ、
「グレン=クランだ、第一五三強襲魔導中隊の第四小隊所属、といっても全滅したけどな」
「ははっ、そりゃあそうだ。何せ
「天使だって?」
天使など戦場に最も不似合いなものだ、それが帝国に居ると?
「ほれ、あそこだ」
バースはテントの奥を指さす、そこには一人の魔導兵が兵士の手当てを行っていた。その女性の金髪には見覚えがあった、遠目でも間違いない。俺を助けてくれた女性だ。
「あの人が天使?」
「おう、エリーゼ=イルステリアス。帝国唯一の魔導兵救出専門の魔導兵だ」
「救出専門……」
「実はな、俺こうやって救出されるの二度目なんだよ。ほんと、エリーゼ少尉には頭が上がらないねえ」
「もしかして、ここにいる兵士って全員……」
「エリーゼ少尉が救出した兵士だ」
テント内には少なく見積もっても三十の兵士がいた。これだけの数を救出?それもあの激戦区のラインで?
手当てを終えたのだろう、立ち上がったエリーゼ少尉とたまたま目が合った。彼女の顔はぱぁっと歓喜の表情に変わり、こちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?体で辛いところとかつながっていなさそうな箇所はありませんか!?」
「だ、大丈夫です……ええと、ありがとうございました。俺を救出してくれて」
俺はぺこりと頭を下げた、俺を救ってくれた命の恩人だ。これくらいじゃあ感謝しきれない。
「ほんと、そうだよな。お前半日は寝てたしそりゃあ聖女様も心配されるわ」
「バースさんもどこか痛む個所はありませんか?遠慮なく言ってくださいね」
「大丈夫、大丈夫。俺はこいつと比べて軽傷だから。俺らと話してるよりほかのやつらに当たってやってくれ」
「はい、お二人に神の御加護があらんことを」
エリーゼ少尉は祈りをささげると、別の患者のところに向かっていった。
「あれがエリーゼ少尉、か」
「人呼んで帝国の天使、あの人のおかげで死傷者が四割減ったのは事実だぜ」
「ちなみに戦線を支えているのはたった一人の魔導兵だって言うんだからやべえよなー」
俺はただ茫然とエリーゼ少尉を眺めていた、彼女の首にかかっている銀十時のペンダントが夕日に照らされて輝いた、これが俺とエリーゼ少尉が初めて会った時のことである。
次回、プロローグⅡ 天災数学学者