「……もう大丈夫でしょうね」
そんな声が聞こえたのは、簪が本音に引き取られてから少し経った後だった。
不意にドアが開くと、隙間から顔だけを覗かせ、警戒して部屋の中に目を配る楯無先輩。
「本音に連れてってもらったんで、大丈夫ですよ」
「そう、なら良かった」
ほうっ、とあからさまに安堵の息を漏らすと、やおらドアを開けてドア枠を潜り中へと入って来た。その良かったがどういう意味で良かったのか、少し追及したいところではある。
「じゃ、静馬くん。デートしよっか」
「謹んで遠慮させて頂きます」
「その無駄に恭しい喋り方がムカつくわね……」
恨めしそうにこちらを睨む先輩から、逃げ出すように席を離れた。別に怖くて逃げた訳じゃなく、お茶を淹れるためだ。いや、嘘だ。その視線から逃げる意味もあった。
先輩もそれをわかっているため追い打ちかけるようなことはないが、視線は背中にひしひしと感じる。そのことに、思わず一人おどけた顔を作った。これじゃあただの変顔か。
湯が沸くまでの間、踵を返し流し場に寄り掛かる。視線の先には、頬を膨らましあからさまに不満顔の楯無先輩の姿。いつもお姉さんぶっている人がこれなのだから、ついつい苦笑が零れてしまう。
「人の顔見て笑うのは失礼だと思うわよ」
「先輩の顔が面白かったもんでつい」
「そこは嘘でも謝りなさいよ」
「ごめんなさい。うそだけど」
「静馬くん、今すぐ謝るのと部屋がなくなるのどっちがいい?」
「本当にすみませんでした」
土下座したら許してくれました。
「聞きたいんだけど、どうしてそんな頑なに私の誘いを断る訳?」
握り締めた湯呑みを音をたてテーブルに打ち付けると、細めた目をこちらへと向けた。なんか酔った時の千冬さんみたいなノリだが、大丈夫か。
「どうしてって、それは楯無先輩がよく知ってるんじゃないですかね」
「私が?」
問いに首肯して答えると、先輩は思考を廻らせるように腕を組み目を瞑った。徐々に眉間に皺が寄り始めるのは、思い出せそうにないからだろう。
数秒そうしていた後、先輩は一つ頷くと満面の笑みを浮かべて「思い出せない!」と元気良く言い放った。
これが一夏だったら、迷わずビンタかましているところだ。
「痛ぁい……。なによう、叩くことないじゃない」
まあ代わりに頭叩いておきましたけどね。
「すいません、楯無先輩見てたらついイラっとして」
「静馬くんって私のこと嫌いでしょ?」
「正直好きでも嫌いでも……あ、いえ、好きです好き、大好きですよ」
「そこまで雑な社交辞令もそうないわよね」
またしても非難を込めていることがありありとわかる視線を俺へと向け、小さく鼻を鳴らした。俺が何も答えずにいると、先輩はとうとう目を逸らし湯呑みを乱暴に掴み取った。
それ俺のですけど、という声も無視して、一気に喉へと流し込む。まだ半分以上入っていた湯呑みは、底に沈んでいた茶葉だけを残して空っぽになっていた。
当の先輩はと言えば、まるで酔ったように座った目でこちらを見ている。お茶割作った記憶はないんだが。
「ふーん、いいわよいいわよ。静馬くんがそういう態度とるなら、私も静馬くんのことそういう目で見るから」
「そういう目で見るなんて、楯無先輩いやらしい」
「人の話聞いてるかなあ!?」
「すいません、ちょっとおふざけが過ぎました」
「わかればいいの。じゃあ教えて貰える? この私がここまでデートに誘ってるの
に、必死に断るのか」
なんだかセシリアを彷彿させる喋り方ですね。そんな茶々を入れようと思ったが、口調に反して先輩はまっすぐと俺の目を見て来ていたため、やめることにした。
正直なんでここまで俺相手に固執するのか分からない。負けず嫌いの楯無先輩のことだから、受け入れられないことを悔しく思っているのか。
そうなるとちゃんとした理由を言わないままでは、ずっとつけ回されることになるだろう。裏の人間がストーカーってガチじゃねえか。
「十二回」
「へ?」
「俺が以前楯無先輩からデートに誘われた回数です」
「……あらまあ」
まるで昔近所住んでいたおばちゃんのような一言を溢すと、目を丸くして固まってしまった。口も中途半端に開いたままで、今なら口に何か入れても気づかないかもしれない。
しかしそんなことをしては話がまた逸れると、思いとどまる。やれたら今度唐辛子ぶち込もう。
「内訳いいましょうか」
「……お願い」
その言葉を聞くと同時、どこからともなく手帳を取り出す。記録していたケータイは海の底なので、今はアナログな記録媒体を専ら活用しているのだ。
「えーっとっですね。『遊園地』と言いつつヤバい事務所に連れてかれたこと四回、内三回は素手でしたね」
そのせいで常に何かしら武器を持つ事を覚えた。危うく銃刀法違反で捕まりかけた。
『ハイキング』とか言いつつ雪中行軍させられたこと三回、崖上りも二回、雪中では一度何も持たされず部屋着のまま頂上に置いてかれました」
以後食べられる時にはできる限り目一杯食べるようになった。少し太った。
「『動物園』と言って猛獣達とワンルームに放り込まれること一回。こちらは血塗れ状態であちらは飢餓状態」
おかげで素手での猛獣の倒し方を覚えた。あだ名が武井壮になりかけた。
「残り二回は『忍者屋敷』と裏稼業に付き合わされましたね。まあ間違ってませんでしたけどね、相手は本物の暗殺者っていうだけで」
この時初めて死を覚悟した。御神流を学ぶことを心に決めた。
「以上、楯無先輩がデートと称して俺を連れ回してくれた場所の内訳でした」
そう締め括り、パタン音をたてて手帳を閉じた。わざわざメモを残すなんてと思うが、さそり座は恨んだらそう簡単には忘れないのだ。晴らすまではとことんやり返す。俺さそり座じゃないけど。
「……騙して連れて行ったのは悪いと思うけど、静馬くんも騙され過ぎだと思うわ」
「純情で幼気な少年は綺麗なお姉さんに弱いんですよ」
「純情で幼気な少年だったらとっくに死んでるわよ」
まあ確かに、遊園地の時点でお陀仏してるのは間違いない。俺って何で生きてるんだろうなあ……。哲学みたいになってきた。
「ところで今綺麗って言ったわよね?」
「そうですね、綺麗でしたね」
「……なんで過去形なのよ」
「小さい頃って、年上の人が綺麗に見える幻覚がよく起きるじゃないですか」
「そんなヤバいことがよくある訳ないでしょ」
「え、ありません?」
小学生の頃に知り合いのお姉さんに憧れて、何をとち狂ったのか告白しちゃう現象。あ、親友のお姉さんはちょっとご遠慮願いますね。
「でもほら、今度は嘘じゃないわよ。簪ちゃんに誓ってもいいわ」
「誓う人がおかしい」
そういうのは神様とかに誓うもんだろう。まあこの人の場合あれだ、「嘘ついたら針千本のーます」より「嘘ついたら簪と絶縁さーせる」って指切りした方が確実性が上がるからな。
「そんなこと言って、また危険な所に連れ出そうっていうんでしょう」
「だから本当だってば、もう。何もそこまで警戒しなくてもいいじゃないの」
先輩は苦笑いをしているが、こちらとしては割と本気であったりする。先輩を完全に信頼し切れない理由は、そもそもここからきているのだ。
俺の反応を見てそれを察したらしく、少し慌てたように「本当だから、ね、ね?」と笑顔で食い下がる。この忖度することに敏い辺りは昔から変わらない。敏いだけで、それを活用できているかは別として。やり過ぎる嫌いがあるからな、この人。
「お姉さん奢っちゃうよ。だからさ、一緒に行こう?」
「……わかりました。その代わり場所は俺に決めさせてもらいますからね」
そこまで言うなら前みたいなことはないだろうし、俺が場所決めすれば間違いない。
「やったっ、もう静馬くん大好き」
「ハハッ」
「は、鼻で笑われた……」
「だって胡散臭さ半端ないですし。もっとちゃんと言ってくれれば俺もちゃんと断るんですけどね」
「しかも断るの!? 静馬くん私のこと好きだったんでしょ!?」
「思い上がりも甚だしいなこの青いのは」
「青いの!?」
「いや、青いじゃないですか、髪の毛」
「確かに青いけど、せめてもっと言い方ってものがあるでしょ」
「ところで先輩って眉毛も青いですけど、そこもわざわざ染めてるんですか?」
「染めてないわよ、地毛よ地毛! っていうか静馬くん、そこもって言ったけどもしかして髪の毛染めてると思ってたの?」
「えっ、違うんですか?」
「違うわよっ、これも地毛に決まってるでしょ!」
「俺てっきり、粋がってそんな色にしてるのかと思ってました……」
「粋がってもこんな色にする訳ないでしょ! もうわかったわよ、証拠見せればいいんでしょ!」
「先輩それ以上はいけない、すでにオチが見え隠れしてますから!」
しかし俺の言など無視して勢いよく立ち上がると、一瞬にしてスカートからストッキング、そして下着と全て脱ぎ去ってしまっていた。さすがは音速の痴女、脱ぐのが早い。
なんて言ってる場合じゃない。俺は咄嗟にしゃがみ後を向いて、視線から下半身裸の変態を追い出した。
「こら何でそっち向くのよ、ちゃんと見なさいよほら!」
「嫌だ、絶対に見ない!」
「見なさい!」
「見ない!」
先輩が回り込んで俺の前に立てば、俺も体を反転させてまた後ろへ向く。するとまた先輩が前へと回り込み、俺がまた後ろを向く。それの繰り返し。
俺も楯無先輩も無駄に素早さは高いせいで、この一連の動作は結構な早さだったりする。端から見たら異様なことこの上ない。男の周りをぐるぐると回る下半身裸の女。何かの儀式か。
そんな怪しい光景の最中、俺がドアの方へ体を向け、先輩が回り込もうとした時の事だ。ドアが開いたのは。
「お姉ちゃん、しず――なに、してる、の……?」
「うわあ……」
現れたのは、真顔の簪と我が心の救世主布仏本音。けどその救世主も今回ばかりは頼りにならなそうだ。いつもおっとりのほほん笑顔でいる本音でさえ、このドン引きの顔だし。
「……行こ、本音」
「うん……」
そう言って出て行った二人の目は、完全に路傍のフンを見る目だった。
後に残ったのは、冷静になった痴女と、もはや涅槃に達した俺の姿だけだった。
「もっ、もしかして私また簪ちゃんに嫌われちゃった!?!」
「どうせ先輩は前も嫌われてたんだしいいじゃん」
「どうせって何よっ、元はと言えば静馬くんが変な事言うからでしょ!」
「わかったからとりあえず何か履けよこの痴女」
脱いでもエロくない椎名静馬の学園生活は、健全な小説です。
今回の要点。
本音、ドン引く。