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統一歴1928年、秋。
帝国西部戦線は奇妙な膠着状態にあった。
合州国、連合王国の当初の目論見――ノルマンディア上陸作戦と、それに続く地上戦力の大量投入によって、帝国西方軍を捕捉殲滅し、帝国本土への門を開く――が完全に外れ、さらに帝国本土に至るインフラが徹底的に破壊されたため、得意とする物量の大量投入が著しく困難な状況となったためである。
この問題の解決と攻勢準備に、連合国はさらに数か月を要するのだが、ここで疑問が生じる。
――帝国東部戦線、すなわち、連邦はこの間何もしなかったのか?と。
答えは当然、否である
遡ること統一歴1928年2月。
「――合州国が参戦した以上、
そう断言したのは、誰あろうルーシー連邦最高指導者、書記長ヨセフ・ジュガシヴィリ。
だがそれも当然の話。
「同志書記長の仰るとおりでしょう。…なにせ、既に連合王国と我が国の二正面戦争を続けて疲弊しているところに、あの合州国まで敵に回したのですから」
ロリヤが追従した通り、この時点で連合国の勝利は確定。
「ですが――」
しかしそれは、連邦にとって手放しで喜べる勝利ではない。
「――その勝利は、しかし、極めて遺憾なことに、このままでは
この戦争で、連邦ほど血を流した国は無い。
である以上、対帝国戦勝利の暁には最も多くの配当を得る権利がある。少なくとも連邦首脳部はそう信じて疑わない。
誰が欧州の、世界の敵を相手に奮闘してきたと思っているのか、と。
だが、その「勝利」が、合州国の参戦によって齎されたものだとしたら?
当然、『配当』の受取人は変更となってしまうだろう。
それゆえ、連邦に最大の配当をもたらすための軍事行動が求められた。
「帝国を敗北に導いたのは我々連邦である」と言えるだけの行動が。
「同志参謀総長。検討を指示していた反攻作戦の方はどうかね?」
「こちらに用意してあります。同志書記長」
とは言え、当時の連邦軍に全戦域での作戦行動を起こす力はなかった。
理由は帝国軍によるバクー油田破壊。
シルドベリヤにも油田を持つとはいえ、産出量と輸送距離の面から言って、バクー油田の被爆は実に手痛い損害だった。
「ゆえに攻勢は一局に集中して行いたいと考えます」
そう言って、デューコフ上級大将が指し示した目標は、南部。
具体的には、クリーミャ半島と帝国に奪われた穀倉地帯との中間地域。
「なるほど帝国軍は後退の兆しを見せています。連中の事です、後退時には徹底的な妨害工作をすることでしょう」
「昨年の冬のことは私も記憶しているよ、同志参謀総長」
「…ハッ。二度も同じ手を食らう道理はありません」
「具体的には?」
「連中が後退できない、死守せざるを得ない箇所を目標とします」
「それが南部かね?」
「はい」
デューコフは続ける。
それは、クリーミャ半島であると。
「かの地は連中にとって、バクー油田を攻撃するための拠点であり、同時に我々から見れば帝国のクロエシュティ油田爆撃の根拠地となります。
ゆえに、帝国はかの地を死守せざるを得ません」
二重の意味で、帝国はここを手放せない。
よって、その結節点を窺うような軍事行動をすれば、好むと好まざるとに関わらず、帝国軍はそれを防ごうとするに違いない。そこが狙い目だ。
「とは言え、最初からセバスチャン・ト・ホリへの攻撃はこちらの損害が多くなりすぎます。よって、半島への連絡路。すなわちユークレイン南部への反攻となります
…如何でしょうか、同志書記長」
「よろしい、許可する」
かくして発起した連邦軍の作戦行動だったが。
「何だあのⅣ号戦車は!?」
――結果から言えば、『マエヌス』と命名された反攻は、4日足らずで頓挫した。
統一歴1928年5月
連邦南部ヨセフグラード 『赤い8月』トラクター工場
「これが例の『Ⅳ号戦車』かね?」
Ⅳ号戦車
それは開戦以来、帝国軍が使用している主力戦車である。
連邦がこの戦車の存在を知覚したのはそれ以前、かのライン戦線最終盤から共和国の脱落にかけてであったが、当時、連邦軍はこの戦車を過大評価していた。
「あの共和国があっという間に敗れたのだ。帝国の新型戦車とは、よほど強力に違いない」と。
この時期、連邦軍が珍妙な
――だが、それは杞憂だった。
帝国と連邦の戦争が始まり、蓋を開けてみればⅣ号戦車は――連邦基準で言えば――「まぁまぁ」な戦車に過ぎなかった。
なるほど、車体、砲塔とも正面装甲は厚さ50ミリながら、傾斜装甲によって避弾経始に優れている。
だが、連邦軍が誇る新型中戦車「T-32」、重戦車「KV-75」の前では紙同然。
攻撃力に関しては、当時の各国戦車の標準を大幅に上回る88ミリ口径砲を搭載していたが、如何せん『短砲身』。帝国人共は
結果、これらの連邦軍戦車に遭遇した帝国軍の進撃速度は著しく低下*1したし、開戦から半年もたたないうちに
「ナースホルンは厄介だが、Ⅳ号は油断しなければ容易く屠れる」
それが、デューコフ上級大将のみならず、連邦軍の見解『だった』のだ。
――つい数か月前までは。
「――河東部地域にて回収いたしました。…もっとも、御覧の通り破損が酷いのですが…」
「自爆かね?」
「おそらくは。回収した4台を繋ぎ合わせてこれがやっとであります」
「連中、破壊処理はお上手だからな。むしろよく復元してくれた。――説明を」
「ハッ。この帝国の
「見事な配慮だ、同志。フム…」
デューコフは二台の戦車をつぶさに見比べる。
遠目に見たときは瓜二つに見えた二両の戦車だったが、近づいて正面から見てみれば、明らかな違いがひとつ。
「砲が違うな」
「はい、同志。調査に当たった技師によれば、新型は『56口径88ミリ砲』を搭載している様です」
「確か、連中が使う高射砲ではなかったかね?」
「ご指摘のとおりです、同志参謀総長。おそらく転用したものかと」
大口径、高初速の高射砲の戦車砲転用はよくある話であり、驚くようなことではない。
実際、連邦も同じことをやっている。
道理で連邦軍戦車が次々にやられたわけだ。デューコフは鼻を鳴らす。
今まで通りのⅣ号と侮って近づいたところに、高初速の88ミリ砲――後の調査で、連邦軍戦車を距離1,000メートルで軽々貫通できる能力を持っていることが判明する――を叩きこまれたのだろう。
「車体も大きくなっているようだな?」
「はい同志。横幅、全長、履帯幅ともに一回り大型化しています。主砲の大型化、重量増加に対応したものかと」
「これほど長い砲身だ、さもありなん。――装甲厚の方は?」
「
「ふぅむ…。防御力向上は諦めたのかな」
「それについてですが、妙なことがあります」
「妙なこと?」
「はい同志。車内配置がまるで異なっております」
技術将校は続ける。
「従来の帝国戦車は、前方から『操向機、変速機、戦闘室、エンジン室』の順となっておりました」
それが、この新型Ⅳ号の場合――
「車体最前部に操向機、変速機、エンジンが集中配置されています。運転席を含め、戦闘室はその後ろに集約されているのです」
「…それは妙だな」
歴戦の軍人であり、機甲戦術にも造詣のあるデューコフは、なればこそ首を傾げる。
戦車にとって、機動力は極めて重要である。動けない戦車など、ただの標的に過ぎないのだから。
それを知っているからこそ、デューコフはその車内レイアウトに首を傾げる。それでは最悪、対戦車地雷一つで復旧困難な損傷を被るではないか、と
ちなみに連邦の「T-32」の場合、それらは車体後方に集中配置されている。
…まぁ、
「奇妙なのはそれだけではありません。それら機関室と戦闘室の間の隔壁なのですが、20ミリの装甲板で出来ているのです」
「車内に装甲板だと?」
今度こそデューコフは瞠目した。車内に装甲板など、無駄以外の何物でもない、と。
「帝国の考えることは訳が分からん」
「加えて車体後部をご覧いただきたいのですが…」
言われて後ろに回った連邦軍参謀総長らは、ついに両手を上にあげた。
――訳が分からない、と。
「…連中は戦車を家か何かと勘違いしているのか?」
――そこには、大きな観音開きのドアがあった。
「ここを開けば戦闘室、砲塔直下になります」
「…全く、乗り降りには便利だろうね」
思わずデューコフたちは苦笑してしまう。これでは防御力など露ほども見込めまい、と。
「あるいは重量バランスを考慮したものかと」
「砲が重たくなった分、エンジンを前に集中して釣り合いを取ったという訳だね?」
「ご慧眼です、同志」
この新型戦車の砲塔がやたら
「そしてそれに関連しますが、こいつの砲塔を見ていただきたいのです」
「砲塔だと?」
デューコフの見上げる先には、砲身が長いことを除けば、写真で嫌ほど見てきたⅣ号戦車の砲塔がある。
「何か違うのかね?」
「此方側へお回りください。補助装甲を外していますので、一目で違いが分かるかと」
技術将校に言われるまま、砲塔の
「…何なのだ、この砲塔は?」
それが、デューコフがシュルツェンの内側に見たものの正体であった。
――以下、『帝国戦車発達史』より抜粋
Ⅳ号戦車N型
Ⅳ号戦車N型は、統一歴1927年11月に正式採用された帝国陸軍の中戦車である。
同時期に設計、試作されていた「VK3001」「VK4002」の実用化、量産体制の確立に時間を要すると判断されたことから、その代替、中継ぎとして計画されたものだが、結果的には大戦末期の帝国軍主力戦車の地位を占めることとなる。
型式名こそⅣ号戦車であるが、後述のとおり、前型にあたるH型までとは全く異なっており、同時代資料の中には『Ⅴ号戦車』と記載するものまである。
一説には防諜のためにN型と命名されたとも言われる。あるいは新型を意味する『
本車の車体の原型となったのはⅣ号戦車の車体を自走砲等に転用するために改良した「Ⅳ号
混同を防ぐため、ここからは本車両を『N型』、それ以前のⅣ号戦車を『Ⅳ号戦車』と呼称する。
【特徴的車内レイアウト】
N型は従来のⅣ号のみならず、それまでの帝国戦車と車内レイアウトが根本的に異なっている。
それ以前の帝国戦車は、車体前部に操向装置・変速機があり、その後ろに操縦席、戦闘室と来て、車体後部にエンジンが配置されていた。このレイアウトの利点はエンジンが後部にあるため、冷却空気の排出、エンジン排気によって照準が妨げられることがない、操縦手が前に来ることで操縦がやりやすくなる、エンジンが良好に防御されるなどであった。また履帯外れなどを考えた場合、前輪駆動の方が有利だと考えられていた。
ところがN型の場合、車体前部に操向装置・変速機・エンジンを集中配置し、その後ろに操縦席、戦闘室(上部に砲塔)が配置されている。また、エンジン区画と操縦席・戦闘室区画を隔てる隔壁は厚さ20ミリの装甲板で出来ていた。
これは乗員保護を優先したものであり、N型の場合、正面装甲(厚さ50ミリ、ただし傾斜によって実質100ミリ程度)を貫徹されても、その後ろにある変速機やエンジン、さらに20ミリの垂直装甲板が乗員を防護している。また、万一の場合、乗員は車体後部の大型ハッチから速やかに車外へと脱出できた。
なお、操縦手、無線手とも車体前面から大きく後退したため、車体前面への機関銃搭載は見送られている。結果、敵歩兵に接近されたときの対処に不安が生じたため、「速発榴弾」と称するキャニスター弾が搭載された(キャニスター弾自体は古くからあった)。
また、前方機銃手としての役割の消失、新型無線機(主に操作の簡易化、省力化)の量産配備により、専任の無線手を置く必要性が低下したことから、量産第334号車以降は無線手が廃止され、乗員が4名となった。以降は装填手が無線手を兼務することとなり、無線手席のあったところは弾薬庫、及び砲塔上部機銃(車長が操作する)の予備銃身格納場所に変更された。ただし、装填手席付近に無線機が移設され、その部分の弾薬搭載スペースが減少しているため、弾薬搭載数に変化はない。
加えて懸念されていた「前方エンジンの排気による照準不良」が顕在化したため、量産型では排気マフラー、排気筒を車体側面のシュルツェン外部まで延長している。砲塔位置とあわせ、側面写真で従来のⅣ号戦車と識別しやすい箇所である。
前例のないこの車内レイアウトは、統一歴1926年12月付けの帝国陸軍兵器局第六課作成資料によれば、後の皇帝ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンの発案によるものとされる。
N型が『戦時緊急計画』として俎上に上ったこの会議において、彼女は大戦勃発以来、帝国軍将兵の損失が危機的状況にあると指弾し、今後の戦車設計に当たっては、「戦車は量産性に優れてさえいれば、極端な話、いくらでも補充出来る。しかし搭乗員はそうもいかない」として、量産性、搭乗員の防護を優先するよう指示したとされる。
この議事録の内容に拠るならば、N型車体がⅣ号車体から装甲厚をそのまま、さらに部品の大半を流用できるのは「量産性」を、前例のない車内レイアウトは「搭乗員防護」を、それぞれ達成するためだったと考えることができる。
結果として外見はⅣ号戦車とよく似た、言い換えれば古めかしい(この時期の新型戦車で、板バネを採用したのは本車くらいである)車体となった。もっとも、中身はまるで別物なのだが。
【砲塔】
一方、Ⅳ号戦車と全く異なるのが、『
そもそも、N型の設計開発が開始される前(おそらく対連邦戦勃発前後)から、帝国陸軍は次期主力新型戦車の開発を進めていた。
これは「VK3001」と銘打たれた30トン級中戦車の計画であったが、連邦軍戦車との実戦を経て、数次の設計変更があり、1926年半ばには40トンクラスの「VK4002」へ変更された。しかし、その試作車は途中で10トンも増えた重量(特に、正面装甲の増厚に伴うノーズヘビーの傾向)、新機軸のダブルトーションバー方式、新型操向装置に起因する走行装置の不具合に悩まされ、加えて性能は素晴らしいものの、既存の生産設備での製造が絶望的と評価されてしまっていた。
砲塔の方も数次の設計変更が行われており、最終的には『
だが、帝国の戦車製造体制は対共和国戦のころからⅣ号戦車、及びその系列車体の量産に特化してしまっており、VK4002の量産体制確立は不可能とまでは言わないものの、大幅な製造数減少を招くことが確実だった。
性能で連邦軍に劣る帝国軍戦車の損失は増え続けており、製造数減少は許容できるものではなかった。
これら技術的課題と量産性の問題を受け、統一歴1926年10月に急遽立ち上げられたのが『戦時緊急計画』であり、構成部品を可能な限りⅣ号戦車と共通化し、量産ラインの切り替え、変更が容易な車体(後のN型車体)とするのは、むしろ当然の流れだった。
このため、砲塔についても当初はⅣ号戦車のそれを可能な限り踏襲する予定だったが、これでは防御力、火力とも現下の要求に応えられないことが明らかであった。
特に防御力については、車体部分のようにエンジンや車内隔壁で防御力を嵩上げすることができない(会議で「
前述のとおり、小砲塔は従来型よりも防御力、コスト、生産速度に優れており、量産体制確立に多少時間を要してでも採用するメリットが大きいと判断されたと考えられる。特に製造工数については、同等の性能、機能を有する従来型形状の砲塔に比べ、30~40%も減少すると試算されていた。
この検証は余程急いだと見え、早くも1927年2月末にはN型試作車体(5号車と言われる)にVK4002用小砲塔を搭載しての走行、射撃テストが行われている。
結果として、重量等の問題からVK4002用小砲塔をそのまま搭載することは不可能と判断され、以下の改設計が行われた。
⑴ 搭載主砲はKwK24:56口径88ミリ砲とする(VK4002ではKwK26:72口径砲も検討されていた)。
⑵ 装甲厚を以下のとおり減ずる(括弧内はVK4002時のもの)。
・正面110ミリ(120ミリ)
・側面 50ミリ(60ミリ)
・上面 20ミリ(40ミリ)
・後面 20ミリ(60ミリ)
・主砲防盾(ザウコフ型)120ミリ(150ミリ)
⑶ 上記の装甲厚減少を補うため、砲塔外周にシュルツェンを装備する。
これらの改良を盛り込んだN型用小砲塔は1927年6月に完成し、先行していた車体に搭載されて1927年7月、リューゲンワルド陸軍基地において陸軍首脳陣の視察を受けた。
前述のとおり、N型は車体、砲塔ともシュルツェンを装備しており、その状態では従来のⅣ号戦車と酷似している(車体の大きさ、砲塔位置で識別は可能)。事実、陸軍参謀本部ルーデルドルフ大将はこのときの所感を「とても新型戦車には見えなかった」と記している。
その後、増加試作車を含む10輌前後が東部戦線北部管区に送られ、帝国陸軍機甲戦術の第一人者、ハンス・クデーリアンによる実地試験を受けた。この際、砲塔ステレオ式測距儀は(おそらく振動が原因の)不具合、故障を多発した。このため、量産型ではこの測距儀は撤去された。
この実地試験の際、特に遠方から従来のⅣ号との識別をより一層困難とすべく、砲身前半部を白色、または灰色に塗装するテストが行われた。結果も良好であったことから、以降の量産型ではこの「迷彩」が標準となった。
【機動性】
動力関係については、当初Ⅳ号戦車のエンジン(300馬力)、変速機等をほぼそのまま使用する予定だったが、前述のVK4002砲塔搭載試験の際、パワー不足による機動力低下が想定以上であると評価された。
このため、以降の試作車両、量産型は航空機用液冷エンジンをベースにしつつ、戦車用エンジンとして改設計(倒立から正立への変更等)した「Jumo-Maybach」エンジン(液冷V型12気筒、600馬力)を搭載した。当時、帝国空軍は空冷エンジン機、特に「シュワルベ」等に搭載する星形21気筒エンジン生産体制の増強を推進しており、余剰となる液冷エンジン生産ラインの有効活用としての側面もあった。なお、交戦相手国である連合王国の航空用エンジン、マリリンにも、戦車用に改設計した派生形(ミンティア)がある。
エンジン出力が倍増したことにより、N型はⅣ号系列の中では最重量(35トン)にもかかわらず、最も快足の時速52キロメートルを達成した。
ただし、板バネ式サスペンションは高速時の振動、動揺が激しく、熟練の戦車兵でも嘔吐したり、天井に頭部を激しくぶつける事故が多発したことから、実際の運用では時速40キロメートル以上を出さないことが殆どだったという。
【総論】
極めて強力な主砲と、正面からの攻撃に対しては相当な防御性能を有した。
一方で側背面の防御は従来のⅣ号戦車から全く進歩しておらず、車内レイアウトの変更、新型小砲塔の搭載、重量増加への対応として車体長を延長したこともあって弱点を増やした形となっている。
生産性については、特に車体についてはⅣ号戦車の構成部品の多くを利用できたことから、量産ラインの切り替えは極めて短期間でなされたことが記録から分かっている。
砲塔については、当初量産体制の確立に時間を要し、「首無し車体」を多く発生させたが、量産体制確立後は前述した生産性の高さから、逆に「車体待ち」をしばしば生じた。
このうち前者の対応として、PaK26:72口径88ミリ対戦車砲を搭載する対戦車自走砲型が製造され、後に正式採用された。
【派生型】
その車内レイアウト(前方にエンジン、駆動系が集中)から自走砲と車体を共通化することができ、それらへの転用、派生が容易であったため、派生型も多い。
対戦車自走砲『
前述のとおり、量産開始直後に多数生じた「首無し車体」への応急的対策として製造された。
この際、搭載重量に余裕があったため、従来の対戦車自走砲『ナースホルン』と異なり、戦闘室正面に傾斜付き50ミリ+30ミリ装甲(おそらく車体正面装甲と側面装甲の製造ラインから転用したもの)を装備した結果、ナースホルンと異なり、正面方向限定ではあるが、敵戦車との撃ち合いが可能となった。
このため配備を受けた前線部隊から極めて高い評価を受け、更なる増備を要望されることとなる。
製造側としては量産ラインの一本化、KwK24:56口径88ミリ砲で十分と考えていたため乗り気ではなかった模様だが、度重なる要望を受け、駆逐戦車『
なお、側背面はベース車両同様防御に乏しく、オープントップ車両であることから航空攻撃への脆弱性は変わっていない。
このため、本車両を名称に従って駆逐戦車と見なすか、対戦車自走砲と見なすのか、当時既に意見が分かれていたようである。
また、大戦末期には油圧式作動の駐鋤を備え、PaK24:60口径120ミリ対戦車砲を搭載する改良型が試作され、後述する「武器運搬車」へと発展する。
自走砲『フンメルⅢ』
N型車体への量産体制切り替え、つまりⅣ号車体、Ⅳ号ラング車体の生産終了に伴って製造が開始された自走砲。ただし、車体以外が変更されていないため、残された写真で確実に本車と断定できるものがない。このため実際には製造されておらず、後述する『武器運搬車』の秘匿呼称であったとする説がある。
突撃砲『ブルームベアⅡ』
フンメルⅢ同様、車体製造の関係から正式採用された型式。
しかし、当時の戦況は市街地のビル群、トーチカへの零距離射撃を主目的とする本車両の必要性に乏しく、試作を含め10輌程度しか製造されなかったか、そもそも図面だけの存在だとする説すらある。
なお、その図面によれば、弱点であるエンジン上面が敵に暴露されているため、この部分の車体上面に隙間を設けたうえで15ミリの増加装甲を設けている。
自走砲『武装運搬車』
大戦劈頭、連邦が長砲身野砲を対戦車砲としても活用したことに着想を得て開発された「野砲兼対戦車砲」とも言うべき、「60口径12センチカノン砲: K24/Pak24」を搭載した汎用自走砲。試作車を除き、全車両がかの第18砲兵師団で運用されたことで知られる。
このほか、砲弾運搬車両、戦車回収・牽引車両タイプ、対空戦車、火炎放射型等が確認されているが、車体がⅣ号系列の例に漏れず、大量生産されたこと。その車両が従来のⅣ号ベースなのか、本車ベースなのか識別困難なものが多いため、ここでは割愛する。
『要約』
4号戦車(大きくしてメルカバと同じレイアウトにした)にパンターF型の小砲塔乗っけて56口径8.8センチ砲積んでみたよ!
ツェ「…その心は?」
パンターF型砲塔搭載型IV号戦車…良い(恍惚
デグ「そうだった、こいつ妙なゲテモノ好きなんだった…」
同じくメルカバも、良き…
ツェ「つまり好きなものを混ぜやがったな?」
そのとおりさっ!…あっ、ちょtt(地面に謎の染みを残して消える作者