皇女摂政宮ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン殿下は仰った。
「今後10年以内に、潜水艦はその作戦行動時間の90%を全没状態で過ごすようになるであろう。故に、『真の潜水艦』へ至る技術開発が急務なのである」
――『カール・デーナッツ遺稿集』より
◇――◇――◇ ◇――◇――◇
統一歴1928年11月21日
帝国本土 キィエール軍港内 ブンカ―
「――デーナッツ提督?」
背後からかけられたその声に、提督と呼ばれた男――今は帝国海軍のトップ、カール・デーナッツ司令長官は振り返った。
「クラッチマー艦長じゃないか、邪魔しているよ」
「そのような事は。提督…、じゃなかった、司令長官こそお忙しいのでは?」
「まぁ、帰庁すれば決裁待ち書類が山のようにあるだろうね」
「…つまり?」
「偶には息抜きも必要だ。そうは思わんかね?」
そう笑いながら、デーナッツは再度『その潜水艦』を見やる。
「しかし…、何というか隔世の感があるな」
「ええ」
その点に関しては、クラッチマーも全く同感である。
何しろその船は、もはや今までの潜水艦とは全くの別モノなのだから。
「ちなみに『陛下』も視察に来たがっていたんだがな」
「それはさすがに困りますね。髭を剃る時間が必要です」
「はっはっ、違いない」
何しろ、一度出撃したら数週間は陽を浴びること無く、無精ひげと長髪を友とするのが潜水艦乗りである。やんごとなきお方、それも女性が来るとなれば、それなりに準備がいる。
なるほど陛下は『この潜水艦』の生みの親とも言える存在。見たい気持ちも分かるが、事前通告なしに来られると困る。
「安心したまえ。こいつの防諜がいかに重要か、陛下は誰よりも理解しておられる」
皇帝が来るともなれば、どうしても周囲の、つまり他国が張り巡らしたであろう諜報網の耳目を集めてしまうだろう。故に、図面を引いた生みの親であっても、彼女がここに来ることはない。
「故に、ほら」
そう言ってデーナッツが指さしたるは、自身の首に掛けたライケのカメラ。
「しっかり写真を撮ってくるようにとの仰せだ。まったく、人使いが荒いと思わんかね?」
「……長官。それ以前に海軍司令長官にカメラマンをやらせる人なんて、あの方くらいなものでしょう」
「ふむ。確かに。私もいつの間にか毒されていたか…」
「気づいていなかったのですか…。十二分に手遅れかと意見具申します」
「それは困ったな。治療法は無いかね?」
「『コイツ』に乗って一カ月ばかり商船狩りをすれば、あるいは」
「魅力的な提案だ。いや本当に」
最近は書類相手の仕事ばっかりで嫌になるよ、と首を振るデーナッツはクラッチマーと顔を見合わせ、そして破顔一笑した。
「まったく、遠くまで来たものだ」
「『アレ』からもう10年になりますからね」
「もうそんなになるか…」
◇――◇――◇ ◇――◇――◇
遡ること統一歴1917年2月5日。
その日、帝都ベルンは海軍省人事局にて、カール・デーナッツは一枚の辞令を受け取った。
「…予備役編入、ですか」
――
「だから言っただろう。潜水艦
デーナッツの元上官にして現人事局長、レーヴェンフェルトの発言が、端的に状況を示していた。
帝国海軍は、ライヒの統一即ち帝国の成立と共に、従来の北ライヒ連邦海軍を土台として、ライヒ各地に割拠していた水上戦力を集約して成立した軍隊である。
その際、近隣で最も強力な海軍を有する連合王国海軍に範を取り、皇帝直轄の海軍力と定義され、拡充されたことが帝国海軍の性質に大いに影響した。
――すなわち、基本設計も運用思想も異なる艦艇の「ごった煮」であるにも関わらず、目指すところは「
それには当然、連合王国海軍にも対抗できる新型艦を続々と建造し、従来の艦艇を置換する必要がある。――周囲を仮想敵国に囲まれているがゆえに、常に膨大な予算を喰う陸軍と言う金食い虫を扶養しながら、である。
そして1910年代当時、海軍力とはハッキリ言って戦艦の数であった。
そして帝国海軍が外洋に出る際、もっとも強力な壁となって立ちふさがるであろう連合王国海軍は、戦艦と巡洋戦艦だけでも4ダースを保有していた。
これに対抗するだけの海軍力を有するには、陸軍との折衝でどうにかこうにかもぎ取ってきた予算と限りあるリソースを、可能な限り主力艦に投じる必要がある。
――と、言うのが帝国海軍主流の考え方だった。
「しかし大佐、残念ながら戦艦保有数で、帝国は絶対に連合王国に勝てません。真正面から戦って勝てるとお思いですか?」
「口を慎め中佐!…いや、もういい。最早手遅れだったな」
戦艦戦力をいくら拡充したところで、連合王国に勝つことは不可能。
故に、そのウィークポイントたる海上交通路遮断をこそ重視すべし。それには潜水艦が最適である。
そう唱えるデーナッツの主張は、後世から見れば正しかったが、当時の帝国海軍のお偉方からは相当に煙たがられた。…いや、有り体に言って蛇蝎のごとく嫌われた。
なにしろ建軍以来、連合王国あるいはフランソワ共和国海軍に対抗すべく、手塩にかけて錬成してきた戦艦群、それを「勝てない」と一刀両断されたのだ。しかも――
戦艦1隻の予算で潜水艦なら30隻は造れる
運用コストも比べ物にならない。浮いているだけで戦艦は金を喰う
とまでデーナッツは言い切った。
全くもって事実なのだが、であるがゆえに帝国海軍主流派からは相当に睨まれた。
加えて第二代皇帝が潜水艦を『卑怯な兵器』と評したのもデーナッツには逆風だった。
良くも悪くも武断国家、尚武の気風が強く、もともと貴族やユンカーの多いライヒであるから、水中に隠れて敵を狙う潜水艦と言う艦種に好意的な人間は少なかった――余談だが、デーナッツの父は光学機器会社に勤める技師で、故にデーナッツはライヒに多いそう言った騎士的な価値観の影響をほとんど受けずに育った――が、二代皇帝の発言でその風潮はより一層顕著になった。
「潜水艦なんぞに回す予算と資材があるなら戦艦の主砲弾に回した方がマシだ」
それが当時の帝国海軍主流派の考えだった。
しかも当時の潜水艦は、潜水艦と言いつつも『可潜艦』。
作戦行動中でも、大半は浮上して行動していた。事実、もっとも華々しい戦果をあげていた時期のUボートも、80%以上の時間は浮上していたとの統計がある。
これは当時の潜水艦建造、運用技術によるものだった。
現在の潜水艦に多く使われ、理論上、無限の水中航続力を与えているもの――そう、原子力機関は、当時は影も形もない。
当時の潜水艦は、浮上している間にディーゼルエンジンを動かし、発電機を回してバッテリーに充電。潜航時はバッテリーからの電力でモーターを回し、推進力としていた。
そのバッテリーの性能も、現在のものとは比べ物にならない。
特に最大出力を発揮してしまうと、一時間でバッテリーを使い果たしてしまう。では逆に長時間バッテリーで推進しようとすると…、驚くなかれ。その速力はわずか3ノット、つまり時速5.5キロにまで落ちた。
――全力で走ればすぐに息切れ。
――長く走ろうと思えば亀のように鈍足。
これが当時の潜水艦であり、だからこそ『水上速力重視の蒸気タービン搭載潜水艦』とか、『大口径主砲を搭載した潜水艦』なんて迷作に走るところが現れ、潜水艦乗り達が自分たちの乗る船を『ドン亀』と称したのである。
ゆえに、帝国海軍主流派に公然と異を唱え、潜水艦による通商破壊戦術こそ対連合王国戦の切り札であると主張するデーナッツは、ハッキリ言って鼻つまみ者であった。
「はぁ…。貴官の優秀さは小官も知っている。もうちょっと利口に立ち回っていればこんなことにはならなかったろうに…」
「畏れながら大佐。私は父から『皇帝と祖国に仕えることが第一の義務であり、個人の幸福など瑣末なことに過ぎない』と育てられてきました。故にこのままの方針を堅持して、帝国海軍が、帝国が取り返しのつかない状況に陥るのを座して待つわけには――」
「その発言が問題なんだ!」
はぁ…全く、と頭を抱えるレーヴェンフェルト人事局長は間違いなく善人であり、苦労人だった。……人事局長、善人、苦労人…。どこかで聞いたような気が……。
「ともかく、引継ぎは明日以降で良いから、今日は大人しく帰って荷造りでもしてくれたまえ。間違っても喧嘩なんてしてくれるなよ?」
「そんな予定はありませんが?」
「先ほど正面玄関ホールでレィダー少将を見かけた。君のきらいな『戦艦大好き』の、だ」
「なるほど。事と次第によっては流血沙汰もやむなし、ですな」
「勘弁してくれ!!」
とうとう机の引き出しから胃薬を取り出して、レーヴェンフェルトは続けた。
「後生だから東階段を使って、裏手の通用口から退庁してくれないか。これ以上の面倒ごとは起こさないでくれ!」
それに言っておくが、とレーヴェンフェルト。
「これは私が決めた案件ではない。『上』からの決定だ。撤回されることは無いだろう、今までご苦労だった」
「……了解であります。官舎の片づけに行ってまいります」
「それが良い。必ず裏から出てくれたまえよ?」
「…参ったな。こうも上が保守頑迷の輩だったとは」
荷造りを終え、すっかり暗くなった官舎を出て雑踏を歩きながら――最後の日ぐらい、少々高い夕食を食べに行っても罰は当たるまいと――デーナッツはぼやく。
「少し考えればわかるはずなのだがなぁ…」
上層部の考える『
なるほど帝国の工業力、造船能力を考えれば、いずれ実現できるだろう。
――だが、お偉方はお忘れでないだろうか。帝国が戦艦を1隻造っているとき、連合王国は2隻の戦艦を建造できるということを。
事実、帝国が『艦隊法』を成立させて以降、かの国は主力艦を次々と建造、増強しており、対連合王国海軍比7~8割という目標はどう足掻いても達成できそうにない。せいぜい6割が限界だろう、というのが艦政本部にいるデーナッツの同期の意見だった。
「建艦競争をしても勝てない。ならば真正面から戦う以外の方策を考えねばならんと言うのに……」
「全くだね。しかし、軍人とは保守的な生き物だ」
「ッ!?」
注文を待つ間のしばしの黙考。その時に口から転がり落ちた独り言。
当然、それに反応などある筈がない。
――にもかかわらず、背後から反応があったことにデーナッツは思わず腰を浮かし、そして気付く。
……誰もいない。
「光学術式だよ。この食堂は本日定休日でね」
さっきまで君が見ていた客もウェイターも全部幻だよ、とその
「…魔導師とはこんなことも出来るのですか、
「おや?私を知っているのかい?」
「『製図室の姫様』は有名ですから」
それは当時、海軍内で誰からともなく皇女ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンに奉られた称号。何せこの姫様、教師から与えられた課題と言う課題を午前中に終わらせ、昼から深夜まで製図室を我が物顔で利用していた。
『ここは帝国。そしてここは帝国海軍の施設。余が使って何が悪い?』
初日に宣ったというその発言とともに、海軍内で彼女を知らぬ者はいない。
「ま、それならば話は早い」
「小官に何か御用でしょうか?生憎、本日付で予備役編入されましたので――」
お力になれるとは思えません。そう、言おうとしたデーナッツだったが――
「知っているとも。私が手配したからね」
「…いま、何と?」
彼は思わず立ち上がった。
あまりに勢いよく立ち上がったので椅子が倒れ、派手な音を鳴り響かせたが、彼の耳には全く入らなかった。
カール・デーナッツは忠実なる帝国海軍人である。…厳密には「あった」。
彼は幼い時から、父親に『皇帝と祖国に仕えることが第一の義務であり、個人の幸福など瑣末なことに過ぎない』と厳しく育てられた、なればこそ、出世を捨ててでも帝国のために『勝てる方法』を模索し、主流派と対立してでも発言し続けてきたのだ。
――だというのに!
忠誠を捧げるべき相手から、その努力を無にされたと聞かされたのだ!
「まぁまぁ、この紅茶でも飲んで落ち着き給え。ちゃんと本物だぞ?それも
「…この状態で落ち着けと仰いますか」
「そうだとも。話は最後まで聞くべきだと思うがね?」
「………分かりました。何故その様なことをなさったのか、きっちりお聞かせ願いましょうか」
そう言ってデーナッツが席に戻れば、どこからともなく香しい紅茶が一杯。
口を付けてみれば、これまた未だ味わったことの無いほどの芳醇な香りと味わいが広がる。思わず感嘆の溜息を漏らした彼に、少女は告げる。
「質問に質問を返して済まないが、一つ良いかね?」
「何でしょう?」
「潜水艦の唯一最大の長所とは何だと思う?」
考えるまでもない質問だった。
デーナッツは紅茶をすっ、と卓に下ろし、告げる。
「秘匿性。これに尽きるかと」
そう。むしろそれしかない。
水中速度では他のどの艦種にも劣り、砲火力では――連合王国やフランソワのゲテモノを除いて――駆逐艦にも及ばず、予備浮力に至っては潜航能力と引き換えに皆無。
当たるかどうかすら怪しい魚雷こそ持っているが、当たり所が悪ければ機銃弾一発でも沈みかねない脆弱な艦種。それが潜水艦なのだ。
こんな問題点だらけの艦種でありながら、それでも各国が保有する理由はただ一つ。
「そう。その『隠密性』こそ他の艦種にない潜水艦の特性にして存在意義と言って良い」
だから――、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンは続ける。
「それに加えて、その設計、建造計画、運用計画、そして運用する司令部要員…。
「!…確かに」
デーナッツは頷いた。
潜水艦は実用化されて以降、実戦経験に乏しい艦種。
それゆえ帝国に限らず、各国ともその運用方法、設計コンセプトは手探り状態にあると言って過言ではない。
例えば連合王国の場合、『主力艦隊に随伴できる高速性』を求めて蒸気タービン搭載潜水艦を、『敵が予想だにしてないところから巨砲を撃ち込む』ために30.5センチ砲搭載潜水艦なんてものをと、まぁ見事な迷走を見せた*1。
だがデーナッツの見るところ、それは潜水艦に適した運用、設計ではない。
潜水艦の最も輝く運用、それは敵に発見されることなく外洋彼方まで進出し、警備の薄い敵輸送船団を叩くことにある。水上艦では途中で見つかるところでも潜水艦ならば行けるし、潜水艦の貧弱な火力、あてにならない魚雷でも輸送船相手ならば十分な威力となろう。
卑怯?汚い?そんなもの、言わせておけば良い。
そして連合王国が島国であること、すなわち海運で国家を支えていることを考えたとき、『潜水艦による通商破壊』こそ、帝国が取るべき最適な戦法だ。
「断言しても良い。デーナッツ
デーナッツは思わず感動に震えた。
未だかつて彼の主張をここまで認め、賞賛した人間はいなかったから。
思わず膝をつき、感謝の言葉を捧げようとした彼の動きは、しかし――。
「――現在の潜水艦においては、ね」
それはどういう…。思わずそう問いかけたデーナッツに、皇女は悪戯っぽくささやきかける。
「君には二つの選択肢がある。話の続きを聞くか、このまま帰って民間で働き口を探すかだ――さて、どうする?」
◇――◇――◇ ◇――◇――◇
――統一歴1980年の秋、帝都ベルン近郊のデーナッツ家書庫で発見された日記類は、欧州の歴史学者、軍事史研究家に衝撃を与えた。
「…なんという事だ」
『デーナッツ提督遺稿集』
後にそう呼ばれることとなったそれを、連合王国語に翻訳したとある歴史学教授はこう言ったという。
「…彼女は未来視の魔法でも持っていたのかな?」
『ツェツィーリエ・スケッチ』。
言うまでもなく、帝国最後の皇帝、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンが書き残した膨大な軍事関係のデザイン図であるが、しかし、
――潜水艦。
航空機、艦艇、戦車、地下要塞…、量と緻密さにおいて濃淡こそあれ、およそ軍事関係のあらゆる分野を網羅しておきながら、『スケッチ』には潜水艦を描いたページが、全くと言って良いほど見当たらなかったのである。
「流石の彼女も、潜水艦だけは書けなかったのだろう」
「と、言うか一つくらい書けない分野が無いとおかしいだろう」
故に、『デーナッツ提督遺稿集』が発見されるまで、研究者たちは漠然とこう考えていた。
すなわち、統一歴1928年以降猛威を振るった『U-2700型潜水艦』、それは戦前からカール・デーナッツ提督らを中心に研究がすすめられていて、開戦劈頭に就役した『U-2500型潜水艦』の失敗、経験を加えることで完成したのだと。
――だが、その考えは『遺稿集』に挟まっていた
「この筆致は!?」
「…見覚えがあるな。筆跡とインクの鑑定をせねば……」
「誰か『ツェツィーリエ・スケッチ』の謄写版を持っていないか!?」
両者を照合した結果は、案の定と言うべきか、黒。
挟まっていたスケッチは、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンの手になるもので間違いない、という鑑定結果が出されたのである。
「何のことはありません」
記者会見で、件の連合王国語版に携わった、ロンディニウム大学のとある教授は言った。
「『ツェツィーリエ・スケッチ』に潜水艦を描いたページが無かったのは、そのページが切り取られ、デーナッツ提督に譲渡されていたからでした」
さらに遺稿集を読み進めたところ、それまで不明瞭なところの多かった、デーナッツが1917年から24年まで予備役に編入されていた経緯、そしてその間どこで何をしていたのかが明らかとなった。
『帝室直轄・鯨調査委員会』
それが、彼と後に彼の幕僚となる面々が在籍していた組織。
当時、帝室は幾つかの研究団体のパトロン、もしくは名誉顧問的役割を果たして――『帝室』を冠するだけでも、学会ではそれなりに箔が付いた――おり、件の委員会も
書類上では帝国領南洋諸島にあることになっていたその委員会だが、実際はキィエール軍港内のどこかに所在したのは確実とされている。
――そしてこれまた言うまでもないことだが、鯨は鯨でも、彼らが調査研究していたのは『
話を発見されたスケッチに戻そう。
筆跡及びインクの鑑定から、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン直筆に間違いないと断定されたスケッチは、それを見た研究者を絶句させた。
タイトルは『UX-1』。
「…どう見ても『U-2500』だな」
「ああ。だが水上砲が書かれていない。むしろ実艦よりも進んだ設計かもしれん」
「単純に描くのを略しただけでは?」
「その可能性もあるな」
従来の潜水艦から余計な突起物を徹底的に取り除いた、細長い流麗なデザイン。
ところどころに記されたメモと、『遺稿集』の記述からこれが『U-2500』原案であることは誰の目にも明らかだった。
「…異常にも程がありますよ」
軍事技術史の第一人者はそう言って、お手上げだ、と笑った。
「だってこのスケッチ、遅くとも1917年2月には出来ていたのでしょう?」
「…ありえないほど進んでいるな」
「うむ。同時代の船とは思えない」
「帝国の『U-2500』が異端なのです。当時の潜水艦はハッキリ言って、『潜ることもある戦闘艦』ですよ。通商破壊戦も、船団護衛戦闘も発生していない、運用方法すら模索段階にあった時代なのです。だというのに…!」
彼女が手を震わせて指し示すのは、スケッチに記されたメモ書き。
「何ですかこの、『水中発電用シュノーケル。形状・強度に留意し、潜望鏡深度において速力10ノット前後を維持しつつ急速充電可能とする事』って!」
「…浮上しないまま航行することを前提としているな」
「そうなんです。しかもこっちは!」
――高性能
「
「と、言うことは…。ああ、やはり『高精度水中探信儀』も書かれている。これは
「流石に『
「……残念だが、ジョン。君は余白部分の文章を見逃したようだ。ここに『魚雷調定装置は各種水中聴音、探信儀と機械的に接続され、人間の手計算を必要とせず即時発射可能となることが望ましい』とある」
「アイディア自体はあったのか…!?」
「それと『魚雷発射管用次発装填装置:10分以内の全魚雷再装填を目標とする』ってのも書かれているな」
「何者なんだ、本当に…」
彼らは思わず顔を見合わせ、そして誰かが呟く。
――恐るべきツェツィーリエ
「本当に未来視の魔法でも使えたんじゃないのか…?」
「彼女は魔導師でもあったからな。冗談に聞こえないのが恐ろしいところだ」
彼らは知らない。件の皇帝が転生者であったことを。
そして、彼女が本当に未来視の魔法を使えたならば、帝国は負けていなかったであろうことを。
「…いや、だとしたら『U-2500』は最初から使い物になっていたはずだ」
そう。それは当時の技術水準から、あまりにも逸脱しすぎていた。
何より潜水艦運用の経験、特に実戦経験が乏しい時代に書かれたスケッチゆえ、統一歴1925年から26年にかけて完成したU-2500型各艦は、どれもこれも使い物にならなかった。
例えば、当時はまだ「敵に見つかってから、敵を見つけてから潜航することも多いだろう」と思われていたのか、急速潜行時間を短くする為に海水通水口を多数用意したのだが、開けすぎて水中抵抗が大きく速度低下を招いていた。
「運用思想が徹底できていないな。そもそも潜りっぱなしなのだから、急速潜航所要時間はそこまで重視しなくてよかったろうに」
「いや、それまでの帝国海軍潜水艦と比べて過剰に多いというほどでもない。単純に『今までの感覚で設計してしまった』んじゃないか?」
次に、各種可動部分に採用された油圧装置。
モーター駆動、ギア式に比べて静粛性に優れるということで新規に開発されたものだが、出来上がったものは予定出力を大きく下回り、不具合が多発。
これは技術的熟成が不十分、『早すぎた』の一言に尽きる。
同じ理由で水中性能に直結する電気系統にも不具合があり、バッテリーからモーターへの配線が不味く、またバッテリーに過剰な負荷がかかる仕様となっていた――モーターの出力増大にバッテリーとバッテリーからの電気回路が追い付いていない――ため、全力航行時にしばしば爆発事故を起こした。
「…皮肉なことだが、ベント開閉装置に油圧を採用していて助かったな」
「ええ。もしそれも電気式にしていたら、バッテリーが爆発したとき、なすすべもなく沈没していたでしょう。浮上出来ないのですから」
電気系統の不具合はさらに過剰な磁場を発生させており、これがテスト航行、つまり初めてのモーター全力発揮時に発覚し、大騒ぎになった。
「『回顧録』には『艦内でコンパスが使用不能になるのは勿論、これでは磁気探知器で容易に発見されてしまう。暫定的措置として舷外電路を追加したが、当然ながら水中抵抗の増加を招き、速力が落ちた。量産段階ではどちらを取るか、考える必要があった』とありますね」
「…やはり、1926年頃から連合王国がやたら航空機搭載用磁気探知器の開発、量産配備を急いだのは…」
「この情報をキャッチしたからだろう。カタログ通りの速力ならば駆逐艦では追尾できない。しかし強力な磁気を発しているなら、磁気探知器を積んだ航空機で捕捉できると考えたのだろう」
「…この二か国、あの大戦で異常に技術躍進を遂げてますよね……」
そして、肝心要のメインモーター。
設計速力20ノットを発揮するには計算上5,000馬力が必要だったが、実際には4,200馬力しか出ていなかった。まぁ、2700型では予定出力を発揮したが。
「本当に、早すぎたんだな」
「ええ。当時の連合王国が『結局は実用に耐えない』と判断したのも頷けますね」
それらの不具合は『スケッチ』、つまり簡単な三面図の時点では予想されていなかったに違いない。何事も造ってみなければ分からない不具合と言うのはある。…むしろそこまで予想して最初から対処済みであったなら、本当に彼女は未来視が出来たと考えなくてはならない。
「そこから2年間でよく『U-2700型』に昇華したものだ」
「逆だ。『U-2500型』でコンセプトが確立していたからこそ、不具合の修正、機能改善で『U-2700型』に結実したのだ」
「確かに」
そう考えてみると、やはり『スケッチ』は異常だ。
モノによっては20年以上先取りした兵器を、大半はアウトラインのみとはいえ示しているのだから。
そんな次世代の潜水艦、不具合を改善した実用型『U-2700型』を1928年の秋に実戦投入した帝国。その原動力、原因がツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンにあるのは最早誰の目にも明らかであった。
「…まったく、『恐るべきツェツィーリエ』だな」
「ええ…」
1970年代に突如として表舞台に現れた『ツェツィーリエ・スケッチ』。
その衝撃は、まだまだ追加されそうであった。
――そう、こんな風に。
「……あの、別のページから『涙滴型潜水艦』らしきスケッチが出てきたのですが」
「「「「「ちょっと待て!?」」」」」
研究者たちの苦悩は、まだ始まったばかりである。
【U-2700型 諸元】
基準排水量 1,620トン
満載排水量 2,120トン
全長 77メートル
全幅 8メートル
主機 推進用モーター ※電気推進型。ディーゼルはスクリューと接続しない。
⑴ 水中高速用モーター
SSV GU334モーター2基(各5,000馬力×2)
⑵ 水中静粛、長距離推進用モーター
SSV GZ237モーター2基(各220馬力×2)
発電用エンジン MON社製 過給機付き6気筒ディーゼルエンジン2基
速力 水上15ノット/水中19ノット
航続距離
⑴ 浮上時 10ノット・15,500海里(設計上)
⑵ 潜航時 5ノット・340海里(設計上)
武装 533ミリ魚雷発射管6門(艦首)空気式だが、深度30メートルまで発射可能。発射後に空気が水面に逃げないように、下向きに2度傾斜。
水上武装なし(仮設用20mm機銃1基を艦内に分解格納していた。浮上後に設置、運用可能)
特記事項
⑴ 世界的にも珍しい8の字型の耐圧殻を採用している。これは当初の見込みよりバッテリーの搭載量、必要スペースが増大し、従来の構造では水中抵抗の増大、設計の根本的やり直しを要することから、バッテリー室用の耐圧殻を下部に追加したことによる。
⑵ 水中索敵システム(
艦首及び左右両舷に多数の水中聴音器を配備。理論上、最大で50海里彼方にある敵艦の方位、距離を測定可能。ただし誤差を生じうるため、水中探信儀も装備。実戦においては敵艦との距離を聴音器のみで詰めた後、魚雷発射直前に探信儀で測距を行った。この際、後述の魚雷管制システムと連動された。
⑶ 魚雷管制システム(
2つの索敵装置で得られたデータを歯車式計算機(アナログコンピューター)によって処理し、その結果を自動的に魚雷調定に反映する機構。これにより、潜望鏡を使用することなく、聴音器のみで最大深度20メートルから魚雷を発射可能となった。
⑷ 新型シュノーケル
水中充電能力、艦内換気能力を高めるため、従来のものよりかなり大型化され、強力な過給機を取り付けている。
また当時の帝国潜水艦はシュノーケル頂部に逆探を取り付けていることが殆どであったが、本型では取りやめ、別々に昇降するようになっている。これはシュノーケル露頭部をステルス形状にするための処置であった。
当時、帝国はセンチメートル波長のレーダーを実用化しており、これを用いた場合、潜航中の潜水艦の潜望鏡、シュノーケルですら探知可能であることを発見していた。連合王国が同種のレーダーを使用する可能性を考慮し、シュノーケル頂部はステルス性能を求めて幾何的形状に加工されていた。
⑸ 居住設備の拡充
当初から「浮上しない」ことを前提としていたため、乗組員の精神的負荷への懸念から、従来の帝国潜水艦とは比べものにならない居住設備を要する。以下に一部を上げる。
・寝台 下士官以下の乗員57名に対し、ベッドが47台用意
・新型空調装置 二酸化炭素吸収、酸素供給システム。シュノーケルを使用しない状態でも連続150時間の完全潜航が可能
・調理室 電気コンロ3口、電気式湯沸かし装置、温水発生装置付きシンク2つ、冷蔵庫
・食料保管庫 調理室直下に冷凍室(帝国潜水艦で初)及び食料保管庫
・居住区付近に温水シャワー(帝国潜水艦で初)
・最大深度でも使用可能なトイレ3か所
>『涙滴型潜水艦』
テスト艦は造っていた。
「存在自体がオーパーツ」であり、各国の研究者からは実在すら疑問視されたが、統一歴1999年、バルテック海での海底資源探査中に発見、サルベージされた事で事実であることがはっきりした。研究者たちの頭皮は禿げ上がった。
なお、一軸推進で高速を発揮するモーター、バッテリーの開発、量産の目途が立たなかったため戦中の実用化は諦められた模様。
――が、『遺稿集』の記載から、大戦最末期にヴァルタータービンに換装され、水中速力27ノットを発揮していたことが判明。サルベージされた船体からもヴァルター機関が発見され、各国の研究者を卒倒させた。
もっともデーナッツ提督曰く『うるさいことこの上なく、しかも機関室が立ち入り危険なほど高温になる。到底実用には供しえない』。
なお、そのテスト艦の名前は『ローレライ』。