今回はあらすじと伏線のみ(今までの話読まなくても大丈夫なように)
概況
統一歴1928年の晩秋、世界大戦は未だ終わりを見せていなかった。
統一歴1923年の冬に帝国北部ノルデンの山林で始まった小規模な武力衝突がこれほど長引き、未曽有の大災厄にまで発展するなど、同時代の誰が予期していただろうか。
そして、予期せぬという点において、まさに帝国の戦争遂行能力は他国の想像を超えていた。
なんとなれば、複数正面戦争と言う最悪の事態に見舞われながら、ダキア公国、協商連合、共和国を次々と下し、さらには連合王国と連邦、海と陸双方の一大巨頭を一国で相手しながら、しかも優位に戦争を進めていたのだ。同時代の列強諸国が、帝国を自国の、ひいては世界の脅威と捉えたのも無理からぬ話であった。
――しかし、その帝国にも黄昏が訪れつつあった。
なぜなら、帝国の交戦相手には合州国という、世界最大の工業生産能力を誇るスポンサーがついていたからである。局所的な勝利、戦果を挙げたところで、このままではジリ貧になるという認識が帝国上層部にあり、その認識が帝国をして統一歴1927年12月31日のロンディニウム無差別爆撃――いわゆる『V作戦』――に踏み切らせた原因であると、
これは1970年代以降に発見された一連の『ツェツィーリエ文書』『ゼートゥーア書簡』『ルーデルドルフ遺稿』に現れており、この中で帝国軍首脳部は以下のような見解を以て、大晦日のロンディニウム空襲を決意したと記されている。
――連合王国、連邦の戦力の源泉は合州国にあり
――すなわち合州国をして戦争継続に否と言わせなければ、この戦争は終わらない
――しかし帝国に合州国本土への攻撃手段はない
――である以上、
加えて統一歴1928年11月まで出撃を極端に控えていた帝国海軍潜水艦部隊が、帝国標準時
「都市無差別爆撃」「無制限潜水艦作戦」
この二つはいずれも合州国が1927年までに発していた各種文書、演説に記されていた「合州国が参戦せざるを得ない動機」に触れるものであり、その両者を意図的に断行することで、合州国を参戦「させた」と言うのが正しい認識であろう。
ゆえに、統一歴1928年7月11日のノルマンディア上陸作戦に始まる、いわゆるフランソワ戦線が『失敗』に終わるのは、この時点で決定していたと言えよう。
なるほどノルマンディア上陸作戦
しかしながら、その後の推移、…否、上陸作戦
『史上最大の上陸
当時においてもそう揶揄された本作戦だったが、しかし、揶揄する人間の表情は明るかった。
何しろ『大西洋防壁』を豪語していた帝国占領地――厳密には違うのだが、当時の人々の認識はそうだった――への強襲上陸作戦である。多大な損害が出ることが覚悟されていたし、出ることを前提とした作戦だった。
実際、上陸作戦開始に先立つ陽動と要地確保、その二つの目的で投入予定だった空挺部隊指揮官に対し、「最後の一兵になってでも目標を確保せよ。それも叶わぬならば自爆してでも破壊せよ」との訓示が、最高司令官アイゼンバウワー元帥から直接なされていたほどである。
だがその覚悟は7月9日、ノルマンディア地方における「無防備都市宣言」と帝国軍の撤退によって、Dデイのわずか40時間15分前に不要となった。
まさに上述の訓示が終わった直後のことであり、最高司令官はこれから死地に赴く空挺部隊長と涙の抱擁を交わしているときに報告を受けた。――故に、元帥閣下がその時に見せた反応は、帯同していたカメラマンの手により、映像として後世に残ることとなった。
「…君、それが本当なら、私は稀代の
かくして連合国軍の無血上陸が果たされた訳だが、しかし、このこと自体――
何故なら『大西洋防壁』自体プロパガンダに過ぎず、その軍備は貧弱の一言に尽きた。一説には、全体の10%ほどしか要塞化工事は進捗しておらず、配備された火砲も10センチ以下がほとんどだったとされる。加えて空軍の戦闘機部隊、高射砲部隊を除けば、6割以上の部隊が二線級だったことも明らかとなっている。これらの事からも、帝国にはノルマンディア地方を保持する能力も意図も無かったことが分かる。
そもそも思い出していただきたい、帝国首脳部は統一歴1927年末の段階で『合州国を欧州戦線に参加せしめ、これを捕殺せん』と定めていたのだ。
大西洋の制海権が帝国になく、連合王国だけでダース単位のド級戦艦がある以上、水際防御は自殺行為であり、なにより帝国が得意とする陸戦に持ち込むならば、合州国軍にはさっさと上陸してもらい、内陸部に進撃してもらった方が都合が良い――事実、そうなった――のだ。
つまり、連合国軍の無血上陸自体が帝国による演出、舞台装置であった。
そして『欧州解放』を世論に、『第二戦線の形成』を連邦に約束していた合州国と連合王国に、その舞台に乗らないという選択肢は無かったのである。
帝国の演出であることを示す状況証拠として、ノルマンディア地方に展開していた帝国軍の動向がある。
驚くべきことに、共和国の「無防備都市宣言」から96時間以内――上陸作戦の予想される海岸地域に限ってみれば、何と12時間以内(!)――に当該地域の帝国軍の撤収が完了しているのである。この鮮やか過ぎる撤退は、「無防備都市宣言」のタイミングも含めて事前に準備されていた、すなわち共和国と帝国の間に談合があったことを示唆している。
唯一の例外はパ・ドゥ・カレー守備隊であったが、これはよく言えば遅滞戦闘、悪く言えば捨て石であった。
加えて当地守備隊の大半を占めていた近衛師団は四代皇帝ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンと政治的に距離を置いていた貴族勢力と関係が深い一団であったこと。また、守備隊司令部に戦前の陸軍主流派、すなわち1928年当時の陸軍参謀総長、ハンス・フォン・ゼートゥーアと意見を異にし、対立していた派閥出身者が多数在籍していたことが明らかとなっている。つまり西方戦線の時間稼ぎついでに、政敵、対立勢力を抹殺したと考えられるのである。
状況証拠としては更に「鉄道の徹底的な破壊」が挙げられよう。
先に述べたとおり、当地における帝国軍の撤収は極めて迅速であったが、それに加えて撤退時のインフラ破壊の徹底ぶりには目を見張るものがあった。
レールは当然のように帝国本土に持ち去られ――鉄道当局が保有していた予備も、無防備都市宣言直前にその大半が接収されたことが分かっている――、鉄道橋は橋脚ないし橋台ごと爆破されたのである。
特に、最後の橋破壊は鉄道以外の道路に対しても徹底的に行われており、
これほどの破壊工作を96時間以内に準備、実行できる訳がなく、このことからも最初から共和国北部、ノルマンディアを放棄し、かつインフラの破壊された当該地域にて連合国軍を足止め、滞留させる意図があったのは明白である。
事実、これらの破壊工作により、連合国軍の進撃、物資輸送状況は日を追うごとに悪化していった。特に鉄道破壊による輸送能力低下は深刻な問題であり、これを補うために合州国欧州派遣軍は本国に対し、追加のトラック12,000台(!)を要求したほどである。
いささか過剰に思えるが、しかし同時期の帝国陸軍参謀本部鉄道局が作成した資料にも「複線の線路1路線の輸送量を代替するためには最低でも1900台、1個師団を1日賄うためには260台のトラックが必要である」との記述がある。これを考えると、約60個師団を鉄道に依拠せず運用するには、その程度の追加も大袈裟とは言えないだろう。
そもそも帝国軍による鉄道破壊はある程度予期されており、合州国欧州派遣軍は最初から6,000台以上のトラックを持ち込んでいたが、実際の破壊措置は規模、程度共に予想を遥かに上回っていた。このためアイゼンバウワー最高司令官の言葉を借りれば、『フォードのトラックはノルマンディアからジークフリートまで、不眠不休で走り続けることを強いられ』る状況に陥っていた。これは当初の輸送計画が根本的に破綻していたことを意味する。予定の数倍に上る距離、時間、積載量を強いられた結果、さしもの合州国製トラックにも故障車が続出し、輸送状況は日を追うごとに悪化していったのである。
加えて、共和国北部に物資が届く「まで」も問題であった。
統一歴1928年後半、帝国海軍潜水艦部隊はそれまでの「群狼戦術」をやめ、単独の潜水艦による襲撃に切り替えた。これは群狼戦術に使用していた無線電波が傍受され、位置を解析されている危険性が判明したことが理由とされている。
これは危険な賭けであったと、帝国海軍司令官デーナッツは戦後回顧している。
何故なら群狼戦術は潜水艦の乏しい索敵性、攻撃能力を補填するためものであったから、従来通りの潜水艦だったならば攻撃能力の大幅な低下は避けられなかった。
しかし、新型U-2700型潜水艦の配備が進んだことで、その様な事態は回避された。
同型は従来型に隔絶する水中聴音性能を有しており、むしろ単独でいる――友軍の雑音がない――時の方が早く輸送船団を捕捉できた。艦首に備えられた6門の魚雷発射管は潜航深度30メートルでも使用可能であり、そこから新型の「FaT魚雷」を発射するようになったことで、帝国海軍は
FaT魚雷とは、端的に言ってしまえばジグザク航走する魚雷である。
直線航走と事前に設定された距離での変針、反転を繰り返す世界初の平面模索魚雷であり、これを輸送船団中央めがけて発射すれば、いずれかの船に当たることが期待できた。一方で複数の艦で同時に使用すると同士討ちの怖れがあったから、その意味でも単艦運用への回帰は正解だった。
「我々は運が良くて
連合国海軍の護衛艦艇乗組員が、戦後揃ってこう述べたのにはそういう理由がある。U-2700型は最初から静粛性を重視した最初の潜水艦であったから、これが単独で無音潜航――当時、帝国と秋津洲皇国のみが『自動懸吊装置』による無音潜航を実現していた――していると、水上艦のパッシブソナーではほぼ検知できなかったのである。
開戦劈頭にこの潜水艦があったなら、もしくは魚雷の射程が倍程度あったなら、帝国は連合王国を下していただろう、と多くの研究者が指摘するほどの性能。しかし統一歴1928年の連合国軍は損害を上回る補填で出血死を回避したし、帝国に潜水艦用長射程魚雷を開発、量産する余裕は無かった。
しかし、本来連合王国やノルマンディアに送られるはずだった大量の物資が、配達先を深海に変更したのは紛れもない事実であり、その量は「軽く戦争が出来る量」とも言われている。
さらに付け加えるならば、デーナッツ提督率いる帝国海軍がこの新戦術にゴーサインを出したのは統一歴1928年7月9日の事であり、「合州国軍を上陸させ、その後に締め上げる」という方針はここでも徹底していた。
――加えて誤算だったのは、共和国の協力が得られなかった事だろう。
その原因には共和国側の連合王国への不信、そしていわゆる三時間戦争の影響が指摘されるが、それは一面であって正確ではない。
なるほど、『メルセルケビークの悲劇』は両国の歴史における遺恨であり、痛恨事であった。しかし純軍事的視点で見れば、これはやむを得ない悲劇であったと言える。
なんとなれば、共和国と帝国の休戦が発効した1925年春の時点で、連合王国は帝国海軍水上部隊を高海及びバルテック海に押しとどめ、大西洋の制海権を確保していた。――にもかかわらず、中小艦艇、潜水艦による通商破壊が活発化しており、その対策に頭を悩ませていた。
この様な状況下で、共和国内の軍港が帝国海軍の基地として使用されることは勿論、万一共和国海軍艦が帝国海軍に組み入れられる事にでもなれば、北大西洋の制海権が危うくなり、帝国軍の連合王国本土上陸が現実のものとなりかねないと判断されたのである。
この連合王国の懸念は杞憂とは言えない。
実際、共和国北部、安全保障地域(ほぼノルマンディア地方に相当する)に位置するブレスト軍港は、一時帝国海軍水上遊撃部隊の有力な基地として運用されている。
また陸の戦いであったこともあり、当時世界第四位の規模を誇った共和国海軍はほぼ無傷であったから、これが世界第二位になろうとしていた帝国海軍と合流すれば、さしもの連合王国とて劣勢を強いられるのは火を見るより明らかだった。
また、細かいところで言えば、当時共和国海軍が有していた艦艇の中に「ル・ファンタスティック」級駆逐艦がいたことも連合王国の危機感を煽ったに違いない。
同艦はかなり大型の――実際、戦中に軽巡洋艦に類別変更されている――艦艇だったが、にもかかわらず恐ろしい高速性能を誇った。その速度、カタログ上で37ノット、公試成績でなんと45ノット(!?)。駆逐艦の出した速度記録として、半世紀近く経った今日まで塗り替えられていないと言えば、その凄さがお分かりいただけるだろう。
こんなものが通商破壊戦に投入されたら手が付けられなくなると、連合王国が恐れたのは当然であった。
事実、同級には帝国海軍も強い関心を示していた。具体的にはメルセルケビーク以前に作成された休戦条約補足条項において、帝国に引き渡す艦艇として、駆逐艦の中では唯一名指しで指定されていたのである。
この様に当時の連合王国が置かれた危機的状況を思えば、結果は兎も角、メルセルケビークは避けようのない悲劇であったということが出来る。
このことは当時のチャーブル首相も事あるごとに述べていたし、軍人上がりの共和国ペッタン大統領が理解できない訳がなかった。
実際、近年になって公開された外交機密文書によれば、メルセルケビーク海戦の半年後、第三国において連合王国と共和国が秘密裏に会談し、「戦後の共和国海軍再建に対し、連合王国が最大限かつ無償の支援を行う」ことと引き換えに、「やむを得なかった不幸な悲劇」とすることで合意していたことが分かっている。
故にノルマンディア上陸作戦が決行された1928年夏の時点で、メルセルケビークは――少なくとも両国政府間では――終わった話であり、それを不服として共和国が連合国側に協力しなかった訳ではない。
――ではなぜ、共和国はとうとう連合国に与しなかったのか?
多くの研究者によって様々な論考がなされているが、私は単純に「参戦能力が無かった」からではないかと見ている。
ノルマンディア上陸作戦直後、共和国政府内で中立を叫ぶ声と参戦を唱える声とが激しくぶつかった折、閣僚会議でペッタン大統領が話した内容が残されている。
「参戦すると言って、我々に何が出来ると言うのか?」
当時、共和国政府は「帝国の劣勢は明らかであり、最終的に連合国側の勝利に終わるだろう」と見ていた。工業生産能力の点から言って、合州国という規格外のジョーカーを切った側に勝てる国など存在しない、というのがその論拠だった。
フランソワはその歴史上、『合州国の産婆』という側面を有しており、独立以降も様々なチャンネルを有していたから、そう結論付けた――そして、正しかった――のである。
だからこそ、連合国側に与し戦勝国とならん、という声が上がるのは当然の帰結であり、連合国軍としてもそれを期待して各種アプローチをかけていたことが分かっている。
けれども、老将軍は首を縦に振らなかった。
「諸君は勝利の配当を期待しているようだが、配当とは出資者に配られるものである。――然るに、我々に出資できるものがあるのかね?」
当時、共和国内は混乱と絶望の只中にあった。
上陸作戦に連動する形で発動した共産主義者によるクーデターは鎮圧出来たとはいえ、未だ残党が各所に潜伏し、パリースィイでも複数の銃撃事件が発生していた。これに対処するには警察では能力不足であり、共和国政府は軍隊を投じて市内の警備、要人警護に当たらせた。…否、再建途上の大陸軍では、それくらいしか出来ることが無かったというほうが正確だろう。
「ノルマンディア地方の通行は認めた。認めざるを得なかった。…ではそれ以外は?
ハッキリ言っておくが
当然だろう。当時の連合国軍は自分たちを「帝政からの解放者」と見なしていた。
共和国北部への進駐、展開もその文脈の中にあったから、これをもって共和国の貢献とは見なかったのである。
加えてパッテン将軍の言葉を借りれば――
「いまさら中立だと?…バカバカしい。そもそもこの大戦争を始めたのは貴様らだろうに」
共和国の泣き所はそこにあった。
確かに最初に武力衝突が起こったのはノルデン地方であり、引き金を引いたのは協商連合国である。しかし、それを奇貨として帝国西部方面軍に殴りかかったのは、ほかならぬ共和国大陸軍であった。それが無かったならこの大戦は起らず、『統一歴1923年冬、ノルデン地方における不幸な武力衝突』で済んでいたかも知れなかった。
「なればこそ、ひとたび参戦と決めてしまったら、我々はどこまでも搾り取られるぞ。配当なんぞ誤差でしかないような出資をな」
なにより連合国側に与するとなれば、共和国東部は漏れなく戦争の業火に焼かれてしまうだろう。それならば、ノルマンディア地方を戦場として差し出すだけの方がマシ。
共和国政府がそう判断したとすれば、彼らのどっちつかずの態度――中立を叫びながらもノルマンディアの通行と進駐は認める――も説明がつく。
そして、その態度にしびれを切らした連合王国陸軍が引き起こした「三時間戦争」が、共和国の態度を硬化させた。
「やはりこんな連中と一緒に戦争など出来ん!!」
かくして、連合国軍60個師団は共和国政府が認めたエリア、つまり戦闘正面*2100マイル少々に押し込められることとなった。
これはノルマンディア地方で帝国軍を捕捉し損なったこととあわせ、連合国軍にとっては一大痛恨事であった。戦闘正面の狭さは帝国軍に有利に働き、翻って自分たちは滞留を起こす――アイゼンバウワーに曰く、「これほど層の厚い前線部隊などそうはあるまい」――結果となってしまったからである。
そしてその狭いエリアに、毎晩帝国軍の
物資集積場と言う大きめの目標を狙っていたとはいえ、本来ならばその劣悪極まる命中精度ゆえに戦果はほとんど上がらなかっただろう。
しかし、狭いエリアに60個もの師団が展開しているという、極めて特殊な状況が飛行爆弾に味方した。
連合国軍が戦略の見直しを、具体的には第二次上陸作戦の具体的立案を急いだのは当然の事であり、それが後の『ユトランド沖海戦』へと繋がっていくのであるが、それはまた別の話。
――だが、大戦全般から見てなにより不味かったのは『戦略爆撃の一時中止』であったろう。
これはノルマンディア上陸作戦に先立ち、帝国本土戦略爆撃に投じられていた重爆撃機隊が、ノルマンディア地方、帝国西方への戦術爆撃に転用されたことによる。
しかし、統一歴1928年当時の連合国首脳部にそれを正確に知る術は無かった。
その成果を声高に訴えるハリス将軍やルメーイ将軍らに対し、アイゼンバウワー元帥をはじめとする軍上層部はこう返した。
「そうは言うが、帝国はまだぴんぴんしているじゃないか」
実のところ、戦略爆撃にそれ単体で敵国を下す能力はない。結果から見て、それはボディーブローのように蓄積し、戦争継続能力を喪失させていくものであり、即死性はなかった。
加えて統一歴1928年当時、戦略爆撃は初めて実施された戦法であり、つまり前例がなかった。
「それより、そんなに大量の重爆があるなら、ノルマンディア地方への爆撃に投入した方が効果的じゃないかね?」
アイゼンバウワーらがそう判断するのも無理からぬ話であり、最高司令官がそう判断したということは、即ちその様に運用されるということである。
加えて、ノルマンディア上陸作戦の要諦は「如何に上陸地点を悟らせないか」に力点が置かれていた。
そもそも史上最大の作戦であるし、大陸反攻は既定路線だったから、上陸作戦があることは秘匿しようがなかった。ゆえに上陸「地点」を秘匿するために連合国軍はあらゆる手段を講じたし、いかなる労苦も厭わなかったのである。
そんな涙ぐましい努力の中に『欺瞞目標への大規模爆撃』というものがあった。これは、例えばノルマンディア地方の目標Aに2トンの爆弾を落とす場合、パ・ドゥ・カレーなどの「上陸地点ではない場所」に3トン以上の爆弾を投下することで、あたかもノルマンディア以外が上陸地点だと帝国に錯覚させる欺瞞攻撃であった。
もっとも、ハナから撤収する気満々だった帝国軍に対しては、何の意味もなさなかったのであるが。むしろ上陸作戦の決行が近いことを確実視させただけだったという意見もある。
――しかし、それで連合国軍司令部を責めるのは酷というものだろう。まさか帝国が、何ら抵抗することもなく撤収するなど、誰が予想できただろうか。
ともあれ、ここで問題となったのは爆撃機の数である。先に述べた欺瞞攻撃を実行する以上、必要な爆弾の量、爆撃機の数は単純計算で2倍になる。加えて爆撃目標の中には海岸線のトーチカやべトン製の防御陣地――上陸後の調査で、それらの大半はダミーだったことが判明する――が含まれていた。それらを破壊するには、重爆が投下する大型徹甲爆弾が不可欠だと考えられたのである。
「効果がいつ出るか分からない戦略爆撃より、今は帝国西方軍を叩く方が優先される」
この決定に従い、連合国軍は7月8日――「無防備都市宣言」前日――までの5日間に限定しても、延べ11,451機の重爆撃機を含む前代未聞の爆撃集団の集中投入により、実に41,919トンもの爆弾を共和国北部地域に叩き込んだとされている。
「7月初めの一週間、ロンディニウムに静かな夜は無く、昼は
後にそう語られるほど連日連夜の爆撃が繰り返され、結論から言ってしまえば、そのほぼ全てが浪費となった。むしろ爆撃による瓦礫の山で連合国軍の進撃が阻害されたうえ、「鉄道破壊には王立空軍の4,000ポンド爆弾が最適であった」と、帝国西方方面軍司令官ルントシュタット元帥が放送する始末であった。
当然、手塩にかけて育成してきた戦略爆撃群がそのような使い方をされる事に対し、夜間無差別爆撃――損耗の蓄積により、この時期中断していた――の再開を予定していた王立空軍ハリス大将や、6月に着任したばかりの合州国陸軍航空隊ルメーイ中将らは猛反発した。
…だが、決定は覆らなかった。両名は後にこの決定を「大戦における最大の誤り」「史上最大の失策」と酷評しているが、それは誤りとは言えない。
――なぜならここで得た「小休止」の間に、帝国は工業生産能力を立て直し、「
・フランソワの韋駄天駆逐艦
史実準拠(!)
ちなみに元ネタとなった船は、自由フランス軍加入に際し、各種改装を施されて「軽巡洋艦」にクラスチェンジを果たしたが、このときの公試でも40ノットを叩き出している。…君、改装で500トンくらい太ってたはずだよね?(呆れ
・戦略爆撃中断してでもノルマンディー爆撃
史実準拠(!!)
ただし太平洋戦線が無いので増やした
デグ「増やすのは分かるが、なんで汚くしたんですかねぇ…」
ネタに走らなきゃ私じゃない!…待って二人とも、演算宝珠はやめ…ちょ、ま、アッー!
・とある歴史学者
ブランデーの入れ過ぎに注意
・遅れた理由
…人生に疲れた
大丈夫、今は元気です。温泉は偉大。