なので出来の悪さには目を瞑って頂きたい(おい
統一歴1926年4月8日
帝都ベルン ベルン宮殿 東棟 玉座の間
『どうしてこうなったのだ…?』
ハンス・フォン・ゼートゥーアは内心そう呟いた。
その視線の先には、苦悶の表情で天を仰ぐこの部屋の主…すなわち皇帝陛下の姿があった。
ここ数年は病気に臥せっていた皇帝陛下だが、今年に入ってからは妙に体調がよく、しばしば公の会議にも顔を出すようになっていたのである。
「どうしてこうなったのだ…教えてくれ、ゼートゥーア。余はどこで間違えたのだ…?」
皇帝陛下の悲鳴の理由を語るには、時計の針を2時間ほど巻き戻す必要がある。
◇◇◇
同日、午前10時
この日、陸軍参謀本部戦務参謀次長ゼートゥーア少将は『御進講』のために参内―― と言っても、彼が最近詰めている統合作戦本部のある西棟から、皇帝陛下のおられる東棟玉座の間へは、渡り廊下と階段二つで辿り着けるのだが ――した。
彼が呼ばれた理由は単純明白。
『どうしてワルシワを失陥するまで、東部軍は後退を続けているのか?』と言う皇帝陛下の御下問にお答えするためである。
ワルシワ
それは、帝国東部における主要都市の一つであり、開戦前には東部軍の司令部が置かれていた場所である。
司令部や民間人の避難は無事に完了したとは言え、何故この町を空け渡したのか?と言う陛下の疑問はごもっともであり、軍への懸念を払拭するためにも説明は不可欠であった。そこでゼートゥーアが伺候したのは、彼がツェツィーリエ皇女の士官学校時代の恩師と言う繋がりから、皇帝と旧知の間柄であったことが大きい。
決して、ツェツィーリエからの電話で『ルーデルドルフに任せると却ってややこしくなる。すまんがゼートゥーア、君が行った方が良い』と言われたからではない……ハズだ。
そして、彼は皇女の期待通り、軍の存念を余すことなく正確に皇帝陛下に奏上することに成功しつつあった。
「――このように、連邦軍は推定200から270個師団を以て我が帝国東部に猛攻を加えつつあり、これを後退することなく、東部軍150個師団で防ぐのは不可能な状態でありました」
「…わが軍の倍近いではないか? 後退したところで防げるのか?」
御懸念はごもっとも、とゼートゥーアはお答えした。
普通の皇族、宮廷人の反応はこうだろうな、と思いながら。
後退しつつ罠を仕掛け、砲兵で叩き、空軍の急降下爆撃で補給線を締め上げ、仕上げに戦略爆撃で敵後方を扼し、出血死に至らしむる。
そんな方法を即決できる、我らが皇女殿下の方がおかしいのだ、と。
余談だが、何故あのような軍人皇女ツェツィーリエが、この―― ハッキリ言って、軍事についてはずぶの素人の ――皇帝から産まれたのか、と言うのは帝国軍七不思議の一つだったりする。
「――つまり、後退することで連邦軍の補給線は伸びきり、兵は疲弊します。対する我が軍は入念に罠を仕掛け、十全な準備をした上で疲れきった敵軍を叩けるわけです」
「なるほど、そういう事か。…しかし、くどい様だがワルシワまでくれてやる必要はあったのか?」
「畏れながら申し上げます。連邦もワルシワが我が国東部の一大都市であることは熟知しております。ゆえにあの町に対する攻撃は特に激しく…」
「放棄はやむを得なかった、と」
「御意」
「…軍の存念はよくわかった」
ゼートゥーアはほっ、と息をついた。
どうやらワルシワ失陥の件で軍が叱責されることは避けられそうだ、と。
そもそも皇太女ツェツィーリエが許可しているのだ。皇帝の理解も得られたとあれば、最近無駄に元気のある議会や政府関係者の一部―― 防諜の関係上、全員にすべてを開示できるはずが無かった ――も横槍を入れることはあるまい、とも。
そんな彼に、皇帝陛下がにやりと笑う。
「ところで話は変わるが、ゼートゥーアよ。軍もなかなかに辛辣だな?」
「…と、申されますと?」
ゼートゥーアは首を傾げた。
そもそも軍隊と言うのは敵を騙してなんぼの商売である。それを辛辣などと言うのは、まさに世間知らずの宮廷人の戯言だろう、と。
「先ほど其方の申した『罠』のことよ。宮中でも話題になっておるぞ、『地雷の海』のこと」
「ああ…、アレのことですか」
彼は得心が言った。
確かにアレは軍人から見ても悪辣だ。
なにせ「地雷の下に地雷」等という方法すら実験的に採用されていたし、撤去にあたるであろう工兵対策用に狙撃兵まで配置していたのだから。話を聞いたときはルーデルドルフでさえ『…今日はやけに冷えるな』と呟いたほどである。
ましてや現在実施している『地雷による足止め、即座に砲弾の雨』や『本物は3つに1つ、サァ、当ててごらん』など、悪辣以外の何物でもあるまい。
そのあたりの話を分かりやすく奏上したところ、皇帝陛下は思わず苦笑した。
「『
「はい。そして連邦に比べればまだマシな部類かと」
「ああ、それも聞き及んでおる。なんでも
「よくご存じで」
「うむ。貴族の中にも幾人か、子弟を軍に送っている者がおってな。いろいろと話をしに来てくれるのだよ」
「なるほど」
皇帝の言うことは事実であった。
確かに時局柄と、また皇帝陛下の体調がすぐれないこともあって宮中晩餐会の類は絶滅危惧種になって久しいが、そうは言っても「貴族」たるもの、社交と言うものを忘れることはないのである。
…その稀有な例外が、その手のものには大抵影武者を行かせる皇帝陛下の一人娘だったりするのだが、その点について皇帝はかなり前に諦めている。
「…とはいえ、そこまでとは思わなんだ。一体誰だ、その様な方法を思いつくのは。そこまで行くと寧ろ会ってみたいと思えてくるぞ。ハッハッハッ」
「………」
言えない。
ゼートゥーアは冷や汗を流した。
そして唐突に思い出す。今から10年と少し前のあの日のことを。
『…皇女殿下を士官学校に?』
当時の士官学校校長とともに、急に呼び出されて参内したあの日のことを、ゼートゥーアは憶えている。
ビックリ仰天と言った風に声をあげる校長に、ゼートゥーアもまた内心で同意した。
何故なら、当時皇女殿下は『大の海軍好き』として既に知られており、その英明な頭脳を以て、幼少ながら次年度から海軍兵学校に御入学、と言うのが専らの噂だったからだ。
その謎に、皇帝陛下は苦々しい表情で告げる。
『アレの海軍好きは常軌を逸しておる。…本音を言えば、軍以外の道に進んでほしいのだが…』
―― 海軍がダメと言うならば、せめて陸軍士官学校で ――
それが、件の皇女殿下の要望なのだと言う。
『はた迷惑な…』
と、言うのが当時のゼートゥーアの偽らざる本心であった。
ゆえに――
『そこで、そこのゼートゥーア大佐に特に指導教官を頼みたいのだ』
――と、言われたときは頭が真っ白になったものだ。
『へ、陛下の命とあらば謹んでお受けいたしましょう。しかし、畏れながら何故小官なのです?』
『控えよゼートゥーア!』
『構わん。大佐の疑念は実にもっともだ。…さて、大佐。君の疑問に答えよう。
君のことはヒンデンブルクから聞き及んでおる。実に理知的で、学究の徒であると』
『ハッ』
―― 学究的。
―― 軍人と言うよりむしろ学者、研究者。
それは、ゼートゥーアが参謀将校になってから、否、陸軍大学校に入る前からずっと付きまとった評価である。
軍人としては評価されているのか貶されているのか判断に迷う言われようだが、実際のところ自分が思索に耽って周りが見えなくなる性分なのはゼートゥーア自身自覚していた。
だが、それがどうして皇女殿下の指導教官に繋がるのだろうか?
『余が懸念しているのはな、アレが為政者たる本分を忘れるどころか、【戦争狂】に堕ちることだ』
『!?』
『恐れながら…それほどなのですか?』
『今はまだ、と言ったところか。だが…校長。君は自分の娘が7歳で嬉々として軍艦の絵を描くのを見たらどう思う?』
『…重大な懸念を抱かずにはいられますまい』
『今の余がまさにそれなのだ!』
皇帝は叫んだ。
『お、畏れながら、それならば軍以外の学校に進まれては…?』
『先ほども言ったとおり、本人が断固拒否の構えだ。しかも困ったことに他の学問一般はもはや教えることが無いと教師連中がさじを投げた程度には出来る』
だから、と皇帝は続ける。
『君のような理性的な人間が士官学校教官で本当に良かった。くれぐれもあれが【戦争好き】にならぬよう、導いてやって欲しい』
この時、ゼートゥーアは算盤をはじいた。
それならば問題ない、と。
何故か?
それは至極単純な事である。
『参謀将校は【戦争好き】ではない』からである。
参謀将校、それは帝国軍を帝国軍たらしめる「理性の権化」である。
参謀将校たるもの、いかなる状況にあろうと、いかなる挑発を受けようと泰然自若として為すべきを為し、事にあっては冷静沈着に対処せねばならぬ。そうでなければ参謀将校は務まらない。
まかり間違っても【戦争狂】の類が迷い込める領域では、ない。
だから、ゼートゥーアは考えたのだ。
―― よろしい。ならば最高の参謀将校に育てて見せましょう ――
彼のこの判断は間違っていない。
何しろ、この時点で皇帝はそれなりの高齢であり、なかなか子宝に恵まれなかったことを考えても、件の皇女ツェツィーリエが次期皇帝となるのはほぼ確実と目されていた。
未来の皇帝が軍事に明るいと言うのは軍にとっても願ったり叶ったりであったし、「理性の権化」が国家の最高権力者、と言うのは政治学の人間が夢見てやまない理想像だろう。
ここに、『ツェツィーリエの恩師ゼートゥーア』と言う未来が確定した。
本来士官学校―― つまり、士官教育を施すまで ――のカリキュラムに無い、参謀将校育成過程が、ツェツィーリエに限って施されたのもそういう事情からである。
…だが、ここでゼートゥーアは、いや、帝国陸軍は心得違いを犯していた。
皇帝が望んだのは『戦争好きではなく、出来る限り淑女に近づける』事。
これに対し、陸軍が実施したのは『戦争好きではない、理性的に戦争できる(しないと言う判断もできる)参謀将校の育成』。
その結果、ゼートゥーアは現在進行形で盛大に冷や汗を流す。
確かに『
しかし、『参謀将校』に育て上げてしまったのは間違いない。
否、数多いるゼートゥーアの教え子の中でも三指に入る傑物に育ったと言い切れよう。
『ご指導のほど、宜しくお願いします。ゼートゥーア教官』
入学式の後、別室で相対した時のことをゼートゥーアは昨日のことのように覚えている。
『ここでは自分は数多いる学生の一人。教官に敬語で接し、教えを乞うのは当然のこと』
確かにその通りだが、齢8歳の、それも蝶よ花よと育てられた(であろう)皇女が言える言葉ではない、と感心したものである。
実際、彼女は8歳児とは思えないほどの聡明さを持っていた。
自然、真綿のように知識を吸収するその頭脳に、出来る限りの授業を施し、ありったけの知識を教授したのは無理からぬことと言えよう。…おかげで皇女の同期生からは恨まれているが。
他の教官からも『大元帥の器、既に之あり』と絶賛されたと聞く。
そして今や、帝国陸軍上層部はその神算鬼謀、決断力に心服していると言ってもよい。
特にあのブレスト港襲撃。
確かに油断していたのもあるが、仮にド・ルーゴの企みを知っていたとして、帝国外務省が停戦交渉を纏めつつあったあの状況で、あれほどの大規模航空攻撃を即断できる人間がどれほどいるだろうか。
間違いなく、統合作戦本部における彼女の絶対的権威はあの瞬間に確立した。
我々はあの時に見定めたのだ、『帝国軍の主たるはこの方をおいて他にない』と。
今上陛下には申し訳ないが、今や軍上層部の忠誠がどちらにむいているかと問われれば、間違いなく
その様は、あたかも建国者であり、自ら剣を取って軍の先頭に立ったと伝わる初代皇帝のソレ。
少なくとも、皇帝陛下の望んでいた『淑女』の在り様ではなかった。
そのことに、遅まきながらもゼートゥーアは気付いてしまったのだ。
…いや、皇女殿下の(軍人としての)出来が良すぎて、違和感に気づけなかったというべきか。
結果、娘の成長を知った皇帝陛下は天を仰ぐのである。
「…質問を変えよう、ゼートゥーア。誰がツェツィーリエに教えた?」
「…陛下、あの『地雷の海』は皇女殿下オリジナルです」
「なん…だと…?」
皇帝は絶句したが、残念、事実である。
そもそもこの当時、『地雷』と言うのは比較的新しい兵器だった。
確かに原型は古くからあるにはあったが、兵器として完成し、一定以上の数が量産、配備され始めたのは10年ほど前の秋津洲、ルーシー間の大規模戦争のころである。
帝国が大量生産を開始した『Sミーネ』に至っては皇女殿下の発案によるものであり、制式採用となったのが去年と言う状態。
防御的兵器という特質から、どちらかと言えば火力信奉、衝撃力重視のきらいがある帝国軍では深く掘り下げた教範は皆無に等しく、せいぜい「後退時に、敵予想進路に効率的に設置することでその追撃を断念させうる」と書いてある程度なのだった。
その状態で、ツェツィーリエが繰り出したのは西暦世界1940年代の『効果的な地雷の使い方』である。パラダイムシフトなんて可愛い物じゃない。
当然、誰かが教えたものでも無い。
その事実を告げられて、皇帝陛下は呻く。
「どうしてこうなったのだ!?」と。
この哀れな皇帝陛下が、さらに一人娘が現在進行形で前線視察中と告げられて卒倒するのは、この5分後のことである。
南無三。
E5丙のラストダンスが終わらない…。
インフレがやばすぎんよー