皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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【2019/09/02大規模改稿】

いつの間にか拙作のお気に入り登録者が1万人を超えていました。

御礼かたがた、新しいお話でも投稿しようと思ったのですが…。



生憎ストックも何もなかったため、閑話的なアレを投稿いたします。ご了承ください

【注意事項】【重要必読】【CAUTION】
・筆者の趣味120%で構成されています
・嘘です。1145141919%で作られています。
・本作の本題にはさほど影響しません。あくまで閑話です
・ぶっちゃけますと、別の作品で書こうとして頓挫したオハナシの加筆修正版です
・そのため、本作と矛盾を生じている可能性があります
・ようつべの解説動画を見ながら読むとより一層お楽しみいただけます(ダイレクトマーケティング)

以上の注意事項をご一読いただき、

「大丈夫だ、問題ない」

と仰る方のみ、本文にお進みください↓


陥穽
クルップ式蒸気機関車開発史


統一歴1926年3月

陸軍参謀本部 

 

「…あぁ、朝か」

 

窓から差し込む朝の陽ざしに、戦務局鉄道部のウーガ少佐は顔をあげた。

その周りでは彼と同様、徹夜勤務を強いられた同僚たちが、同じように目をしばたたかせている。

 

 

 

『帝都で戦死者が出るとすれば、それは鉄道部からであろう』

 

 

 

ハンス・フォン・ゼートゥーア陸軍参謀本部戦務参謀次長が語ったこの言葉が、彼らの置かれた状況を端的に言い表している。

 

そもそも帝国陸軍の基本戦略は『内線戦略』である。

その達成には中央本軍の迅速な鉄道輸送が不可欠であり、それゆえ、帝国陸軍は兵站を司る戦務局の中に「鉄道部」と言う、戦時には国内の鉄道ダイヤ、車両配置、果ては新規軌道敷設までをも司る組織を設け、優秀な人材を配置しているのだった。

 

 

だが、今次大戦が始まってみると、予想外の問題が発覚する。

 

必要輸送量が、戦前の想定を遥かに上回っていたのだ。

 

 

これはこの大戦が、世界のどの国も未だかつて経験したことのない『国家総力戦』、すなわち、『物量の戦い』であったことに起因する。

これにより、戦前の物動予測は全くあてにならない状況となり、前線で必要とされる物資を手持ちの車両で運ぶため、まさに芸術的と言って差し支えないほどの鉄道ダイヤが必要とされるに至る。

 

 

ちなみに、これは帝国本土の鉄道、いわば『本線』に限った業務内容である。

 

 

これに加えて本線から最前線に伸びる、あるいは作戦上の必要から臨時的に引かれる『(野戦)軽便鉄道』の建設計画、それ用の蒸気機関車や貨車、客車の手配―― レールゲージが違うから、本線の車両を使うことは不可能である ――とダイヤ編成と言うお仕事もある。

さらにさらにさらに!

目下、―― 不可能と言う結論を出すための ――検討を行っているルーシー連邦侵攻作戦。もし、これを本当にするのであれば、連邦内での鉄道敷設―― レールゲージの違い、許容軸重の違いから、新規敷設になることがこの時点で予想されていた ――計画の立案、その資材の確保、陸軍工兵部局との事前打ち合わせも加わる。

ああそうそう、これだけの事業ともなると蒸気機関車や貨車の新造も必要になってくるから、ライヒ国営鉄道(RB)、各機関車メーカーとの折衝も発生するだろう。

 

…はっきり言おう。

業務過多である。

 

無論、人員も可能な限り増やされ、対フランソワ戦のころには戦前の倍の大所帯となっていたが、それでもなお足りないのであった。

 

 

だが、実は。

 

 

「…いや、これでも昔よりはマシかもしれんぞ」

「これでも…でありますか大佐殿?」

 

鉄道部最古参大佐の発言に、ウーガ少佐は震え上がる。

これより酷い状況などありうるのだろうか、と。だが、そんな彼の内心など露知らぬ先輩はこともなげに続ける。

 

「ああ、一編成当たりの牽引可能量が10年前のざっと2倍だからな。

あの頃のままだったら、この2倍のダイヤを作らねばならんかった」

 

陸軍大学12騎士の一人であるウーガ少佐が絶句した。

今の2倍の編成!?物理的に不可能だ!!と。

 

「その意味で我々はクルップ社には足を向けて寝られんな。

少なくとも、今日は家に帰れそうだからな。ウーガ少佐、さっさと仕事を終わらせようではないか」

「は、ハッ!」

 

 

 

 

 

 

牽引量の倍増。

そのいきさつを語るには、時計の針を10年ほど巻き戻す必要がある。

 

 

 

 

 

時に、統一歴1917年。

この年、後世の人々から高く評価されることとなる、ある一つの命令が発布された。

 

『武器規格統一令』

 

これにより、帝国軍は他国に先駆けて武器の規格化、大量生産を成し遂げるのだが、その中にこんな項目がある。

 

「列車砲については新規開発を凍結し、予算等は火砲の自走化に振り向けることとする」

 

この内容に驚き飛びあがった、有り体に言ってパニックを起こした一つの会社がある。

 

『クルップ重工業』

 

言わずと知れた、帝国が世界に誇る列車砲メーカーである。

武器規格統一令の内容を読んだ同社の経営陣は、自社のビッグ商品が売れなくなることを恐れた。運の悪いことに、このころクルップ社は次世代の大型長距離列車砲の製造を睨み、工場設備の改修、つまり設備投資をしたばかりであった。

 

せっかくの設備投資が無駄になるどころか、不採算部門になってしまう!

 

慌てた同社は帝国陸軍にアポイントを取り、緊急協議の開催を要請。

この手の官僚相手のやり取りは、通常それなりの時間を要する。

クルップ社もそう予想していたが、あにはからんや、数日後には協議がセッティングされることになる。

困惑する同社をさらに混乱させたのが、その時陸軍側から伝えられたこの一言である。

 

「協議の場に蒸気機関車製造部門の人間、出来れば技師職を帯同してほしい」

 

実はクルップ社は、ライヒ有数の機関車メーカーでもある。

いや、むしろその技術的土台があったからこそ、数々の列車砲を生み出せたとも言えよう。

ただし、列車砲自体はレールを自走する動力を持たない。つまり蒸気機関車とは製造部門からして異なる。

首を傾げるクルップ社の人間だったが、大口ユーザーでもある帝国陸軍の要請である。言われた通り、協議の場に蒸気機関車製造部門のベテラン技師を連れて行った。

 

開口一番、クルップ社は帝国政府、陸軍の面々に重大な懸念を表す。

曰く、技術開発とは日々の積み重ねである。

ゆえに、少数試作でも列車砲を造り続けなければその技術は失われてしまい、いざ超強力な列車砲、重列車砲が必要な時に造れないと言う最悪の事態を招く、と。

 

 

だが、帝国陸軍の回答は、クルップ社の人間を凍り付かせるものであった。

 

 

『そもそも、列車砲は強力な火砲を搭載できる反面、展開に長時間を要する。』

『昨今の演習、研究の結果、その時間を使って砲兵隊を大量に送り込んだほうが効果的であるとの結論に至った』

『また射程距離についても、現在実用段階にある空軍爆撃隊の行動半径が既に200キロを超えており、今後も伸長が見込まれる。長射程列車砲の必要性は薄い』

『あるいは要塞を破壊しうる重量弾の発射のため、超大型火砲搭載列車砲が必要かもしれない。しかし、その様な砲を必要とする要塞攻略戦は機動戦によって回避した方が良いとの結論が出ている』

 

 

 

『以上のことから、新規列車砲は不要であり、列車砲部局も解体する』

 

 

 

それでもなお食らい付こうとするクルップ社営業部長であったが、そんな彼に、帝国陸軍士官服に身を包んだ少女―― あまりに幼かったので違和感しかなかった ――から一枚の絵が手渡される。

 

「…?」

 

部長は首を傾げた。

だが、その隣で同じ絵を覗き込んだ技師の目が光る。

 

「ギャレット式ですな?」

 

ギャレット式。

連合王国式に発音すれば、ガーラット式。

それは、連合王国人の機関車技術者ハーバート・ウィリアム・ガーラットが統一歴1903年に考案した、新しいタイプの蒸気機関車である。

その開発コンセプトは――

 

『610mmと言う極めて狭いレールゲージで、それなりに強力な蒸気機関車を走らせる』。

 

だがこれは、従来の蒸気機関車の設計では不可能な要求だった。

なぜなら、従来型の「動輪の上にボイラーが来る」方法では、ボイラーを大きくすると動輪と干渉する。

これを避けようとボイラーを上にあげると、今度は重心が上に来過ぎてしまい、特に狭軌鉄道だと横転の危険が高まる。

 

【挿絵表示】

 

 

「大きなボイラー」と「重心の低下」。

これらを「狭軌」で両立するにはどうすればよいのか。

 

単純な話である。

 

「動輪」と「ボイラー」を別々にしてしまえば良いのだ。

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

かくして生まれたガーラット式は、その開発者が語った―― 開発にあたっては列車砲を参考にした ――とおり、列車砲とよく似た構造を取ることになった。

と、言うよりも列車砲の大砲部分をボイラーに置き換えただけと理解した方が分かりやすいだろう。

 

動輪とボイラーが分離したため、この方式ではボイラーは動輪の、動輪はボイラーの制約を受けない。

さらに付け加えると、前後にそれぞれシリンダーを備えているため、前進、後進とも同じように動かせる、つまり転車の必要が無い。

前後長は長くなるため、従来の足回りだとカーブを曲がれなくなってしまう。

だが、そこは蒸気機関車を生み出した連合王国人である。抜かりはなかった。

 

そう、この機関車の前後の足回りは、それぞれ左右に首を振る機構を備えているのだ!

 

結果、従来型と比べてもカーブに強い特性を有することとなった。

こうしてみると良いことづくめのようにも思えるこの形式だが、欠点もそれなりにある。…が、それは後程語られるだろう。

 

このようなカーブに対応できるように台車部分が左右に動く構造を備えた蒸気機関車のことを『関節式蒸気機関車』と言い、他にもマレー式やフェアリー式、メイヤー式などがあるので、興味のある方は調べてみても面白いだろう(ダイレクトマーケティング)。

ああ、ギヤード・ロコと呼ばれる一族も面白いので、そちらも調べてはいかがだろうか(重ねてのダイレクトマーケティング)。

 

 

「我々としても『もう列車砲は作りません、自助努力で頑張ってください』と言うのはあまりにも情がないと思いまして。出来れば、ライヒ国有鉄道向けに、この形式のを作ってみてはもらえませんか?この形式ならば、御社の技術をフルに活用できると思うのですが…」

「確かにこの形式であれば、わが社のノウハウを生かせそうですが…」

「何か問題があるのかね、技師長?」

「…機構がかなり複雑でして」

 

 

そう、この形式の泣き所はそこにある。

見ての通り、本形式はシリンダーを前後に4つ備えている。

いや、これ自体は特に問題ないのだ。と言うのも当時、既に帝国内の各機関車メーカーともに4気筒蒸気機関車製造実績を十二分に有していた。

とある資料によれば、当時ライヒ国内にあった旅客用蒸気機関車約1,000両のうち、85%が4気筒型(!)、3気筒型が14%を占めたと言う。

 

つまり、西暦世界日本の蒸気機関車のような2気筒型はたったの1%しかいなかったのである!

 

史実では国内鉄道の統一後、機関車の単純化―― つまり、2気筒型への集約 ――を強硬に主張したワグナーが技術局長に就任したことで、ドイツの蒸気機関車はほぼすべて2気筒タイプに置き換えられてしまったのだが、それ以前はむしろ4気筒型の天国だったのである。

 

 

話を戻そう。

 

だが、ギャレット式は従来の4気筒―― 動輪の外側に2つ、内側に2つ ――とは全く異なる配置となる。

上の図をもう一度よく見てほしい。シリンダーがどこにあるのかを…。

 

 

 

そう、シリンダーが『左右に首を振る台車』に取り付けられているのだ。

つまり、蒸気供給管に従来型では不要だった『可動性』『伸縮性』が求められ、さらにボイラーからシリンダーまでの距離も大幅に増えているから、その間に蒸気が冷えて結露することも避けられない。

 

これらの諸問題のクリアには、高度な技術が要求される。

 

そのせいか、ライヒ国内の機関車メーカーでこれらを造るところは少ない。

同じ関節式蒸気機関車の「マレー式」はヘンシェル社でそれなりの数が造られているが、ギャレット式は、この時点でライヒ国内には試作車しか存在しなかったのである。

 

 

そう言った事情から、渋い表情になるクルップ社の担当2名であったが――

 

 

 

「…まぁ、無理にとは言わない。ただ御社への発注が減ると言うだけで――」

「直ちに検討いたします!」

 

 

 

かくして『クルップ式』の開発がスタートすることとなる。

最初にメモを渡した少尉殿がにやりと笑っていたのは言うまでもない。

 

 

 

二人は帰社するや否や、技術職に招集をかけ、設計をスタート。

まずはギャレット式の検討や問題点の洗い出し、自社が培ったノウハウとのすり合わせを行った。

クルップ重工業としても社の命運がかかっている。

せっかく更新した列車砲用設備が使えると言うのも大きい。

 

成功すればライヒ鉄道省からの発注増が待っているのも大きい。

これには、ライヒ国営鉄道(RB)の内情も大きく関係していた。…決して帝国上層部(皇女殿下)から圧力があったからと言うだけではない。

 

そもそもライヒ国営鉄道は統一歴1915年、帝国内にあった複数の鉄道会社が統合して設立された組織であり、企業統合や合併をした企業が共通して抱え込む問題を有していた。

 

社員数の多さと、保有機関車、多種多様な形式の存在である。

 

特に後半はメンテナンスやダイヤ編成の観点からも早急に解決したい問題であった。

この点、ギャレット式は従来機2台分のシリンダー出力を有する、つまり同じ貨物量なら半分の保有台数に出来、転車も不要だから人員整理にも機関車保有台数整理にもうってつけの蒸気機関車だと思われたのである。

 

 

 

 

そういう訳で、社の命運をかけた一大プロジェクトは進められた。

検討を進める中で、クルップ社技術陣はギャレット式の設計自由度の高さに驚くこととなる。

 

先ほども述べたとおり、この形式は動輪とボイラーが別々になっているから、お互いに制約を受けない。従来型であればボイラーの設計が動輪に、動輪の大きさがボイラー設計に直ちに影響していたのが、それがほぼほぼ無いのである。

実例をあげれば、「レールゲージは1,000mmなのに、ボイラー直径は2,200mm」なんてものがあるほどである。言うまでも無く、これは従来型配置では逆立ちしても出来ない所業である。

 

 

さらに足回りの自由度に着目した、営業をかじったこともある技師が天才的なひらめきを出す。

 

 

「ボイラー部分を1タイプ用意しておいて、足回りは複数のラインナップから選択する方法にしたらどうだろう?」

 

まっこと、素晴らしい閃きであった。

 

これが実現できれば、ボイラー部分(中央部分)の量産化、低価格が達成され、そこに注文主の要望に合わせて足回りを選択する(オプションパーツ)と言う、今までにない効率的で、販売価格を抑える生産方式が取れるのではないか。

しかもメインの発注主になるであろうライヒ国営鉄道はその成立過程から、軌間こそ同じだが許容重量の異なる複数の路線区を抱えている。その意味でもこの利点は見逃せない!

いやまて、予めボイラー部分を備蓄しておけば納期も短縮できるのではないだろうか!

 

 

無論、これを実現するには、特に蒸気管の接続部分に工夫を凝らす必要があるが、それだけの価値があると彼らは考えたのだ。

 

 

また、ボイラー部分を担当したチームはその自由度の高さから、「従来機では実現できなかった理想的なボイラー」の設計に邁進することになる。

その目的のため、自国は勿論、世界各国の様々なボイラー関係資料を精査する中で、彼らはとある火室(燃焼室)に目を止める。

 

『ウーテン式火室』

 

これは統一歴1869年、合州国のウーテンにより考案されたもので、その目的は『ゴミとして捨てるしかなかった、細かく小さな無煙炭を蒸気機関車の燃料として利用する』事にあった。廃物利用の先駆けとも言えよう。

当時、炭鉱から出てくる「使えない石炭」、現代で言うところの「産業廃棄物」の増大は全世界的に問題となりつつあった。使い道がないそれらは、一緒に出てくる土などとともに山積み(ぼた山)とするほかなく、日に日に増え続けて場所を食うようになっていた。

しかも、ほとんど毎日のように自然発火を起こす問題児であったから、採掘業者の悩みの種となっていたのである。

 

 

報告を受けたチーフエンジニアは直ちに詳細な検討と設計を命じる。

 

この時点で、先ほど述べた利点、即ち『低価格で顧客のニーズに合わせた蒸気機関車が作れる』事がクローズアップされており、これに加えてゴミ同然の、つまり超低価格の燃料が使えるとなればまさに良いことずくめである。

くどい様だが、本形式はメンテナンス関連で従来型より手間がかかる代物であり、『低価格低燃費(低い燃料費)』と言う夢のコンセプトは、それを補って余りあるセールスポイントだと考えられたのである。

 

無論、小さすぎる石炭は危険な代物(粉塵爆発)だから、ある程度の大きさ以上にせねばならないし、運搬や保管に注意を要するであろう。

だが、『 低価格低燃費の蒸気機関車 』と言うコンセプトはたまらなく魅力的に思われたのである。

 

余談だがこのウーテン式火室、生まれ故郷の合州国では、「デカすぎて運転台が設置できない!」と言う大問題を引き起こし、『キャメルバック式』なる実に浪漫あふれる蒸気機関車を生み出す―― 気になる方はお調べにな(以下略) ――のだが、ギャレット式ならばその解決も容易だった。

 

かくしてウーテン式火室の採用も決定される。

 

が、そこは技術の国ライヒ。

そのまま使ったのでは面白くないと、「小型石炭は勿論、従来通りの石炭も使える汎用火室」へと改良することに成功。

 

 

新型火室は技術チームの頭文字を取って、『ウーチャン式火室』と名付けられた。

 

 

調子に乗ったクルップ社技術陣は、ここからさらに魔改造を加える。

と、言ってもやったことは単純。

 

 

「機関車の前後を入れ替えた」

 

【挿絵表示】

 

実はこれ、クルップ社の突飛な発想という訳ではない。なにしろ統一歴1890年にはイルドアで―― 全体構成、走行装置は当然従来型だが ――この前後逆転方式が採用されている。

 

 

その名も、『 キャブ・フォワード 』。

 

 

これは読んで字のごとく、「運転室が前にある」かたちのこと。

この形式では、機関士はボイラーを背に―― すなわち、従来型蒸気機関車だとバック運転になる向き ――する席配置となっており、同時に運転席から蒸気溜めに伸びる加減弁ロッドや空気作用管の位置も通常とは逆側、逆転器レバーや計器類も炭庫側に向けて取り付けられた。

 

この方式では従来運転台「前方」にあった煙突が運転台「後方」に来るため、煙害が発生しない。また、前方視界が良好になると言うメリットもあった。

なにせガーラット式はその構成上、前後長が長くなるのが避けられない。つまり、運転席を前後逆転させない状態だとかなり視界が悪くなってしまうのだ。その解決には『キャブ・フォワード』が最適だと言う技術陣の慧眼は素晴らしいものがあった。

 

 

ただし『キャブ・フォワード』にも弱点があった。

 

 

特に問題となったのは石炭をくべる「投炭作業」。

運転台を前に置く関係上、従来型の車台配置では炭水車と運転台が分離されてしまい、運転を担う機関士と投炭を行う機関助手が別々のところに配置されてしまうこととなった。

機関車の運航はかなりの重労働であり、二人一組ならともかく、別々になると困ったことも出てくる。

石炭搭載量に目を瞑るのであれば、タンク式にする方法もあったが、そうではない場合、自動給炭装置を採用するか重油専焼にする必要がある。

 

だが前者の場合、自動給炭装置が故障すると手動にすることも出来ないためどうしようもなくなる―― なくなった例がドイツにある ――。

後者は後者でボイラー後方の重油タンクから、バルブ類のある運転台まで重油パイプを伸ばす必要があり、常に重油パイプ破損、重油漏れの危険が伴った。しかも漏れた重油がレールや動輪に滴り落ち、上り坂で動輪がスリップする事態もしばしば引き起こした。

 

実際に西暦世界のアメリカで起こった大惨事を紹介しよう。

西暦1941年の事故では、漏れた油で坂を上れず機関車が後ろにスリップ。連結器が壊れてブレーキを制御するエアホースが破断、これにより緊急ブレーキがかかってトンネル内で列車が停止してしまった。結果、列車付近に急速に蒸気と煙が充満し、ボイラーが蒸気圧の異常上昇で破裂、破壊。そして機関車から漏れ出た重油にボイラーの火が引火し火災が発生、機関士が死亡するという悲劇が起こったのである。

 

 

 

だが、ギャレット式をベースとした場合、これらの問題は解決される。

…と、言うよりギャレット式をバック運転すれば殆ど解決できるのだ。

 

【挿絵表示】

 

御覧の通りギャレット式は前後に走り装置、そしてその上に石炭と水を備えている。

つまり、機関士も機関助手も前方の運転台にあって、それでいて投炭作業も可能である。

また、炭水車が前に来るから障害物との衝突にも―― ボイラーほどではないが ――強い。

 

 

 

 

かくして、『ギャレット式』『キャブ・フォワード式』の良いトコどりを目指した新形式、『クルップ式』の設計は大詰めを迎えた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

出来上がった本形式の特徴を見て行こう。

 

第一はやはり「キャブ・フォワード方式」の採用。

これにより懸念事項となっていた前方視界の改善に成功。

もとがクルップ式(ギャレット式)であるため、運転台より前に石炭車が来てしまうが、ボイラーと煙が無く、また石炭庫左右側面に「切り欠き」をつけることで大幅な視界改善につながった。従来型キャブ・フォワードで問題となっていた投炭の問題もクルップ式ベースとしたことであっさり解決している。

 

第二に、「マレー・ギャレット複合方式」。

実はクルップ式、前方すなわち運転席直前の石炭庫を固定式とした。

足回りの可動はそのままなので、この部分についてはギャレット式ではなくマレー式と言うべきだろう。後部走り装置はギャレット式のままである。

 

なぜ、このような複合式としたのか?

その理由は単純。

 

 

「運転席の密閉のため」。

 

そもそも、ギャレット式のバック運転では運転席に風が吹き込むことが避けられない。

何故ならば、「石炭取り出し口」と言う穴をふさぐことが出来ないからだ。

これは運転台と石炭車が別々である以上は避けて通れない問題であり、しかもカーブに対応するためその穴は地味に大きなものとなる。

結果、ギャレット式のバック運転は強風との戦いになってしまうのである。

 

だが、この問題は石炭庫を固定してしまえば解決する。

そうすれば、石炭取り出しのための開口部を小型化できる。更に石炭庫上部に屋根を取り付ければ(操車場での石炭補給の際は開くようにする)完全密閉も夢ではなかった。

 

さらに石炭庫が左右に動かないことでカーブでの前方視界不良も起こらない。こうして、前部走り装置のマレー式相当への変更が決定された。

 

 

…余談だがこのマレー・ギャレット複合方式、実は西暦世界では考案のみされ実現しなかった「浪漫」だったりする。…まさか、ねぇ?

 

 

 

 

かくして、後世『ライヒ蒸気機関車製造技術の精華』と呼ばれるクルップ式は完成する。

 

 

 

クルップ式の特徴は確立済みの技術、技法を高い水準でまとめたことと、何よりその受注生産方式にある(形式的にはガーラット式であるにも拘らず、クルップ式で通用するのはこのためである)。

 

分かりやすいように、本形式製造の流れを見ていこう。

 

『 貴方(鉄道オーナー)がもし、我がクルップ社から蒸気機関車を購入したいと考えたなら、まずは弊社のカタログをご覧ください 』

 

当時配布された宣伝チラシ、パンフレットの冒頭である。

 

カタログはボイラー選択から始まる。

と、言っても『軌間1,000mm未満用』か『軌間1,000mm以上用』の二つしかないので、ほとんど悩むことはなかっただろう。

 

『わが社自慢のウーチャン式火室は殆どの燃料に対応しております!

通常の石炭は勿論、無煙炭やそれらのクズ炭、その気になれば重油や薪も使用出来ます。

※ご相談も随時受け付けております』

 

なので、鉄道主がいろいろと考えだすのはその次の『動輪選択』の項目からと言ってよい。

ここでまず『軌間幅』を選び、次に『旅客用』か『貨物用』を選択していく。

自社の鉄道強度によっては、その次の『従輪追加・軸重軽減』オプションを選ぶこととなるだろう。あるいは同じページの『自動給炭装置』も候補に入るかもしれない。

 

そして、特にこだわりが無ければ、これで注文内容がほぼ決まってしまう。

ご丁寧なことに「この選択の場合、最高速度は●●キロ程度、牽引可能重量は〇〇キロ、軸重は△△トン前後になります ※詳細は弊社までお尋ねください」と言う目安表まであったから、あとはチェックを入れたカタログ片手にクルップ社で価格交渉に入るだけなのであった。

 

 

 

まさに、革命的注文方法であった。

現代においてクルップ社(及びライセンス生産した機関車メーカー)が『まるで大衆自動車のように蒸気機関車を量産した変態集団』と呼ばれる所以はここにある。

 

 

 

ちなみに「こだわりがある」場合、さらに追加カタログから色々なオプションを選択できた。有名なものだと『寒冷地用密閉型運転室』『超長距離用追加水タンク車』『復水器』『流線形カバー(オーダーメイド)』『エンブレム(オーダーメイド)』『追加補助動力蒸気タービン』なんてものがあった。

 

 

 

余談だが、大戦後クルップ式はさらなる進化を遂げ、蒸気機関車史上最大のバケモノを生み出すに至るのだが…。

 

 

 

それはまた別の日に語ることとしよう。

 

 

 

 




■ちなみに一台当たりの牽引能力は上がっていますが、帝国国内の鉄道輸送能力はそんなに上がっていません。
これは全車置き換えには至っていないこと、統一歴1910年代は不況だったため、『2倍の量を輸送できる』では無く、『従来の半分の機関車、人員で貨物輸送が出来る』と国営鉄道が判断し、人員整理、機関車整理を進めていたためです。(そりゃそうなるわ)

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