8/13加筆:もしかすると8月中にもう1話くらいは…
統一歴1926年5月1日
アルビオン連合王国 首都ロンディニウム 首相官邸
「閣下。情報によれば帝国軍の連邦領侵攻が決まったとのこと」
「それは確かか?」
「『ウルトラ』からの情報です。確度は高いかと」
「実に結構じゃないか」
ここ数年聞いたことが無いような、それこそ鼻唄が聞こえてきそうな口調でそう宣ったのは、この建物の主。連合王国首相チャーブルその人である。
「帝国がボナパルトとなるか、とくと観させてもらおうじゃないか…。しかし、労働者の祭日にこのニュースと直面していると思うと、連邦もご愁傷様だな」
「違いありません」
そう言いつつ喜色満面なあたり、流石は連合王国の首相と情報部長である。
「連邦にはこのことは?」
「知らせなくとも分かる事だろう。あれだけの敗北の後だ、帝国軍が出てくることは先刻承知のはず」
もしそうでなければ、自業自得と言うだけの話であるし、何より『ウルトラ』のことが帝国に気取られることだけはあってはならない。
「承知しました。…ああ、そうでした。報告が一つ。
連邦は帝国との戦争のために、ラーゲリ送りにしていた魔導師や将校を復帰させることを決めたそうです」
「…驚きだな。あの国が政治犯を……いや、あれだけの被害を被ったのだ。背に腹は代えられんか」
「はい。…あるいは連中、反革命分子の始末を帝国にさせる腹積もりなのかもしれません」
「…ありうるな。いや、実にらしいやり口だろう」
そう言いながら、彼は窓辺に立って紫煙を燻らせる。
「面白くなってきたじゃないか…合州国の方はどうだ?」
「割れていますな。孤立主義を維持しようという声と、この戦争に積極的に参加し、国際社会の中で確固たる地位と利権を得ようという声がせめぎ合っております」
「ふぅむ…。一筋縄ではいかんか」
「ですが、徐々にとは言え自国商船の被害も出ている現状、反帝国世論は徐々に高まっているとの報告が」
「…もう一押しか。よろしい、今後とも継続してくれたまえ」
「ハッ!…しかし、よろしいのですか?これ以上の『借り』は後々面倒なことになるかと…」
「なかなか鋭い指摘だね。確かにその通り。だが、あの帝国とツェツィーリエを潰すには、これくらいは最低でも必要だと思うのだよ」
「はぁ…」
「ま、ともかくそこは心配せずとも宜しい。引き続き、合州国での世論戦に取り組んでくれたまえ」
「ハッ!承知いたしました!」
退出するハーバグラムを見送ってから、チャーブルはにやりと笑った。
「…ツェツィーリエよ、君は少々『世論』を甘く見ていたようだな」
その手に握られていたのは、一週間前の帝国内の新聞記事。
そんなものがここにある時点で、連合王国の恐るべき諜報能力の一端がうかがい知れよう。だが、今回重要なのはその事ではなく、そこに書かれた内容だ。
『連邦軍壊滅!更なる戦果獲得のため、帝国軍は前進すべし!!』
◇◇◇
同時刻 帝国首都ベルン
陸軍参謀本部 作戦参謀次長室
「――以上、報告いたします」
「…ご苦労だった、レルゲン中佐」
レルゲン中佐の報告に、ルーデルドルフもゼートゥーアも盛大な溜息をついた。
先日の御前会議で突然提案、裁可された「連邦領侵攻」。
その背景を探りに行かせたレルゲン中佐は実に優秀な男であった。それから中二日で報告を上げてきたのだから。
もっとも、その内容は陸軍の中枢たる両次長をして暗澹たる気持ちにさせるものであったが。
「…つまり原因は、我が国内の『世論』だと?」
「ハッ、その通りかと」
「『恐怖』と『欲』、そして『大義』か…。なるほど、見事に揃っているな」
「感心している場合かゼートゥーア」
「無論、分かっているとも」
『恐怖』と『欲』、そして『大義』
このときの彼らには知る由もなかったが、それがチャーブルの撒いた毒であった。
…いや、撒いたと態々言うほどのものでもなかったかもしれない。なにせそれらはもともと帝国内にあった「感情」であり、チャーブルはその背中を「そっと押した」だけ。
具体的には協商連合国内のパブで、
この世界は世界大戦を未経験である。
つまり、戦争が犯罪であるという考え方は広がりつつはあるが、一方で従来の、戦争をしたからには領土と賠償金を得られると言う『常識』も根強い。
「帝国、それは勝利である」と豪語する帝国国内においては何をかいわんや、である。
さて、ツェツィーリエの策により連合王国の大陸封鎖網に、このとき「穴」が開いていたことは既に述べたとおりである。
だが、その穴を利用するのは何も帝国だけではなかった。
むしろ帝国が開けた穴を逆利用するくらい、強かで不滅のジョンブル魂からすれば呼吸をするくらい当り前のことと言えた。
無論、帝国とてそのことに気付かなかったわけではないし、ましてや帝国側の国境管理がザルだったという訳ではない。否、むしろ戦前のそれとは次元の違う厳しさであたっていたといっても過言ではない。
だが、悲しいかな。
百戦錬磨の連合王国情報部を前にしては、その手のことを不得手―― 有り体に言ってしまうと、壊滅的にへたくそ ――とする帝国の国境管理では防ぎようが無かったのである。
さらに、帝国―協商連合間の国境を越えたのは帝国人だけだったから、帝国側も手の施しようが無かった。
そして帝国メディアとしてはスクープである。
なにしろ開戦以来、帝国軍はかなり控えめの戦果―― 言うまでもなく、皇女の圧力である ――発表に終始しており、帝国メディアとしては面白くなかった。
そんなところに『善意の情報提供』である。
それはまさに、喉から手が出るほど欲しいネタであった。
たとえそこに書かれている数字が「とある腹黒い島国が推測した
かくして、帝国各地でこんな号外が出される。
『帝国軍大勝利!!』
帝国政府、軍部に阿ってそう書かれ、各地での赫々たる戦果が羅列されたソレはしかし、よくよく読んでいくと「今までにこれだけの戦費を要した」「これだけの都市が被害を受けた」「これほどの兵士が戦死した」と言うのが分かる内容になっていた。
これを書いた新聞社が、
その結果、何が起こったか。
これまでにかかった戦費、国債と言う大借金への『恐怖』。
広大な穀倉地帯とその向こうにある世界有数の油田地帯と言う『欲』。
そして宣戦布告無き連邦のだまし討ち、帝国に非はないという『大義』。
駄目押しにここまでの連戦連勝、『戦えば勝てる』と言う盲信。
これらが合わさって、帝国と言う大地で世論と言う花を咲かせる。
『
と言う真っ赤な花を。
「…閣下。連邦内侵攻は最善だとお考えですか?」
「口を慎め中佐!陛下の裁可を得ておるのだぞ!」
「ッ…。失礼いたしました」
「それでいい」
フン、と鼻息も荒くシガーをもみ消しながら、作戦局の長は続ける。
「連邦に立ち直る時間を与えないという点
「ハッ、承知しております――」
そもそも、『攻撃は最大の防御』と言う言葉が示すように、敵の攻勢を挫くためには、陣地を守っているだけでは不十分なのである。
何故なら、陣地を守り切ったところで兵員は損耗するし、防御陣地そのものもダメージを被る。弾薬消費量も恐ろしいことになっているだろう。
その状態で繰り返し攻撃を受ければ、あるいは防御側の数倍、数十倍の兵力で押し込まれれば、「難攻はあっても不落はない」の格言の通りとなってしまう。
だから敵の攻勢発起を妨害し、または敵の物資を焼き、究極的には敵を壊走に導く「攻撃」が必須不可欠なのである。
西暦世界の日本で言えば、そのために出城が築かれ、伏兵が置かれ、「馬出」が置かれたのである。大坂冬の陣の真田丸やその南方、篠山の伏兵が有名であろう。
そして、今回のルーシー連邦戦の場合にもこれが当てはまる。
さらに停戦も講和も見込めない、即ち継戦が確定である以上、このままでは連邦軍は体制を建て直し、再度帝国領内になだれ込んでくるだろうという予測もつく。
それを防ぐためにも、ルーシー連邦の戦争継続能力を削ぐ必要がある。
だが、ルーシー連邦は広大に過ぎる。全土占領など夢のまた夢。いや、モスコー占領すら怪しいものである。
となれば、戦争継続能力を削ぐ方法は「連邦軍野戦戦力の包囲撃滅」に限られてしまうのだ。
そのための『クロム計画』であり、その結果は連邦軍100個師団の壊滅に終わった。
だが、それでもなお連邦は折れる気配を見せない。
である以上、今度は帝国軍の方から攻め込み、連邦軍を包囲撃滅せねばならないのである。
これが政治や軍事とは別の、「軍事的観点」から見た連邦領侵攻作戦の必要性と目的である。
だが、それには条件がある。
「――『ただし、こちらの補給路が万全である限り』ですな?」
「その通りだ。こればかりは作戦局ではどうしようもならんが…」
そう言って、ルーデルドルフが見やるは古くからの朋友にして、兵站をつかさどる戦務局次長ゼートゥーア。
「万全な補給だと?貴様、机上の空論と言う言葉を知っているか?」
「知っているとも。だから貴様に聞いておるのだ」
「全く、北方の時と言い同期使いが荒い奴だ」
「御託は良い。俺とお前の仲だ、率直なところを言え」
「ならば端的に言おう。『不可能』だ」
「だろうな。…詳しく聞かせてくれないか?」
「良いだろう」
そう言いつつ、ゼートゥーアは壁に掛けられた戦域地図に歩み寄る。
「協商連合、共和国との戦いで露呈した通り、我が軍は内線戦略に特化した結果、外征能力に乏しい。無論、機関車や貨車の戦時量産、効率的物動、集積方法の研究、検証を進めてはいるが…」
「難しいか?」
「戦前に比べれば格段に輸送力は向上したが、連邦の場合、根本的な問題がある」
「レールゲージだな」
「その通り。わが軍が連邦に攻め込まんとする場合、まず鉄道をひくところから始めねばならん。しかも広さが広さだ。現在発注している数でも量産型機関車でも不足しかねん」
「…トラック輸送はどうだ?協商連合経由でかなり輸入していると聞いたが?」
「確かにフォー●社のトラックは安くて丈夫で、今や我が軍に無くてはならない存在となりつつある…が、一度に輸送できる量と距離からして話にならん」
何せ一度に運べる量が桁違いなのだ。
それこそ、どこぞの島国よろしく国土の隅々にまでアスファルト舗装の道路網が、時速100キロを出せるような高規格道路から、田舎の一本道に至るまで張り巡らされているような国でもない限り、トラック輸送は鉄道輸送には敵わない。
「加えて、悪路にもめっぽう弱い」
「…つまり、連邦では使い物にならないと?」
「その可能性が大だろう。そもそも共和国戦の時のようにガソリンスタンドがある*1わけでもあるまい。その意味でも期待するのは危険だ」
「結局、線路を引き直すしかないのか…。連邦の鉄道と列車を鹵獲、再利用するのは?」
「検討はしたが、不可能と言う結論だ」
「理由は?」
「幾つかあるが、最大の理由は…空軍と魔導師が頑張りすぎた」
「…は?」
日頃いかつい表情を崩さぬ同期が、鳩が豆鉄砲を食ったような表情になったのに思わず苦笑しながら、ゼートゥーアは続ける。
『第一目標、敵部隊』
『第二目標、鉄道および関連施設』
それが、対連邦戦始まって以来の空軍のルーチンワーク。
無限に続くとも思えた連邦軍の奔流を押しとどめるため、空軍は出撃を繰り返した。
いかに屈強な巨人と言えど、
そして、陸軍の航空魔導師も出撃を繰り返した。
意外な事のように思われるかもしれないが、実は鉄道と言うのは空襲に強い。
理由は単純。的が小さいからだ。
レール自体の幅もそうだし、列車も長さはともかく横幅はせいぜい2メートル程度に過ぎない。しかもそんな小さな目標がそれなりの速度で走っているのだ。これをこれまた高速で飛ぶ航空機から狙い撃つというのは至難の業である。
結果、航空機による襲撃では、線路周辺を原始時代に戻すか、車両基地ないし停車駅ごと吹き飛ばす方法でしか、まとまった成果は得られないのである。
そこまでやってもなお航空機による鉄道破壊が難しいことは、本土空襲で焦土と化したとある島国の鉄道関係者の証言が物語っている*2。
そう、航空機ならば。
あとは言うまでもないだろう。この時期、『機関車キラー』なる称号を得た航空魔導師が何人もいたとだけ記しておく。
「…おかげさまで、今や国境付近の連邦側鉄道網は更地同然らしい。鉄道用鉄橋も半分以上が崩落している有様のようだ」
「…それは、また……」
「まぁ、そのお陰で逃げ遅れた連邦軍を包囲殲滅できたのだが…。とは言え、場所によっては鉄道跡地が池になってしまったところまであるようだ」
当然、『レールを固定している犬釘を抜いて幅を変更し、再固定する』と言う手っ取り早い方法は使えず、それどころか路盤…つまり砂利敷きからやり直す必要がある。
…もっとも、連邦の鉄道は幅の割に弱く、許容軸重が低いので、仮に無傷で確保できたとしても路盤や枕木から改良する羽目になっただろうが。
「それほどか…」
「それほど、だ。先ほど述べた諸条件と合わせ、戦務局鉄道部が出した結論は『帝国規格の線路を完全新規で造った方が早い』だ。攻め込むつもりは無かったから仕方ないとは言え、少々やり過ぎたな」
「………」
「今度は作戦局の存念を知りたい。先の会議では南部への侵攻となっていたが、実際のところどうなのだ?検討は進んでいるのか?」
「そう単純にはいかないと言うのが結論だな。南部だけに侵攻する場合、我が軍は常に左側面を連邦軍にさらすことになる。それも、侵攻が進めば進むほどに、だ」
「道理だな。…と、なると全面攻勢しかないと?」
「それが目下、悩みの種だ。もし本気でバクー油田を取るつもりならば、南部一本に絞らねば届かないという検討結果もある」
「…本気なのか?」
ゼートゥーアがそう問いかけたのも無理はない。何せバクー油田は帝国から見てあまりに遠い。
帝国東部の最大都市、ワルシワから見て南東に約2,600キロ。
モスコーまでの距離が1,200キロであることからも、その遠さがうかがい知れよう。
話がそれるが、とある島国の首都とそこを焼き尽くした
「政府のお偉方は目の色を変えているらしい。である以上は検討せざるを得ん」
「無謀だ。それほど遠くに行く能力など、軍は露ほども持ち合わせておらん!」
「分かっている。だが、連邦の戦争継続能力を削ぐという点では秀逸だ。そうは思わんかね?」
「それはそうだが…」
「無論、貴様の懸念も承知しているし、かの地を占領できるとは思ってはおらん。だが、せめて空軍の爆撃機が届くところまでは進まねばならないだろう」
「具体的には?」
「『ロストフ』からなら爆撃可能とのことだった」
「ロストフ?…ここか。それでもかなり遠いぞ」
「バクーに比べればまだ近い」
「そうかもしれんが、ここまで鉄道をひいてこられるかどうか…」
「結局はそこに収斂するわけだ」
ハァ、と部屋にいる全員の溜息が揃う。
「…こうしてみると、現状では殿下の言う『防衛戦による出血強要からの包囲撃滅』が最善だが……」
「連邦とて馬鹿ではあるまい。次に帝国に侵攻する際は入念な準備と大兵力を整えてからになるはずだ。その時間を与えないためにも、ある程度の攻勢は必要だ」
「政治家連中がそこまで考えていると?冗談は止せ。連中の頭の中にあるのは『戦えば勝てる。勝たねば借金が膨らむ』。それに尽きるだろう」
「前半はともかく、後半は事実なのがもどかしいな…」
「うむ。それだけに政治家連中も引き下がることはあるまい。戦争のことは軍に任せてもらいたいものだが…」
「あるいはそれが不味かったのかもしれん。戦争を知らぬ連中が、今の政府、議会に多すぎる」
「…変えられるとすれば殿下だが…。今、どちらに?」
「陛下に会いに行かれると。間違いなく、この件でしょう」
◇◇◇
同時刻 帝都中央病院 特別病棟
「また、倒れられたと聞きましたが」
「ここのところ調子が良くてな。つい張り切りすぎたようだ」
「全く、ご自愛くださいとあれほど申しておりますのに…」
「すまんすまん。…しかし、それとは別に不服そうな顔だな」
「…ええ、不服そのものですとも」
顔と言わず全身から「私いま不機嫌です」と言う感情をあらわにしている愛娘に、その父親は冷や汗を流した。大体この娘がキレた時は碌なことにならないからだ。
「そのような
「!?」
「冗談ですよ」
冗談に聞こえなかった、とその後皇帝は付き人に語ったという。
「何故、連邦領侵攻をお認めになったのですか?危険性を何度も申し上げたと思うのですが?」
「…皆が戦果拡大と賠償金を求めておるのだ。仕方あるまい」
「皆?どこの皆です?少なくとも、軍統帥本部では寡聞にして聞いたことが――」
「貴族院、枢密院、そして下院の代表団が請願を持ってきた」
「――…なるほど。
「言いすぎだぞツェツィー。…実際、彼らの心配も的外れとは言い難い…。今までの国債発行額を知っておるか?」
「…財務省の者から、それこそ耳にタコができるほど聞かされておりますれば」
「ならば分かるだろう」
「借金返済のために底なし沼に突っ込めと?恐れながら陛下、それは博打打の思考です。
連邦領侵攻は一マルクの利益を得るために、千マルクの新規借り入れをするようなものです。到底承服できません」
「自信があるようだが、その根拠は?現にわが軍は連邦軍を圧倒したではないか。連邦に領土と賠償金を呑ませることもありうるのでは?」
「………」
痛いところを突かれた。ツェツィーリエは思った。
彼女の戦争予測は、凡そ『前世の記憶』に依っている。
だが、その記憶の中でもドイツは当初勝っている。あまつさえ、第一次大戦のときにはその優勢を保ち、停戦に漕ぎつけてすらいる。
あるいは最初から「大ドイツ仕様」となっている現下の帝国ならば、良いところまで攻め込めるかもしれない。10年前からのテコ入れのこともある。
だが、である。
「『距離の暴虐』とでも申しましょう。あの国の広さが、我が軍の勝利を阻むに相違ありません。自信をもってそう断言いたします」
結局はそこである。
あの国は広すぎて全面占領など到底望めない。誰だこんなバカでかい国を作ったのは!?
結果、帝国軍はいずれ息切れを起こす。こればかりはどうしようもない。
いや、帝国そのものが息切れを起こす可能性すらある。そうなったら最後、西暦世界の第一次大戦と同様に一般市民に餓死者を出す危険すらある。
「『距離の暴虐』か…、なるほど。しかし首都を陥落させることが出来れば、敵も交渉のテーブルにつくのではないか?」
「一般的な国家ならそうでしょうが…」
「ちがうのか?」
「絶対君主、もとい独裁者が統べる国です。首都が陥落しようがヨシフが白旗を上げない限り、遷都してでも連中は戦争を継続するでしょう」
これも、未遂とは言え―― ツェツィーリエの頭の中限定だが ――前例がある。
それはずばり、大日本帝国の本土決戦計画。
この中で帝国は『国体護持』のため、東京が危険となれば松代に天皇を移してでも徹底抗戦する腹積もりであり、実際に地下大本営、皇居の構築も進めていた。
本土決戦ともなれば竹槍を持った民間人の犠牲は増え続けただろうが、『玉体』、すなわち天皇さえ無事なら問題ない、国体は守られると本気で考えていた節がある。末期で頭のネジが吹き飛んでいたとしか思えないこの構想は結局実施されることなく終わったが、松代の地に現在も残る地下大本営から本気だったことがうかがい知れる。
「――
「大胆かつおぞましい予測だな。そんなことがあり得るのか?」
「帝国臣民とて、最悪の場合そうあることを求められているのでは?」
「…なるほど。否定はできんな」
年老いた皇帝はため息をこぼした。
確かにその通りだ、と。
欧州列強の中でもその建国経緯から皇帝権威の強い帝国では、皇帝は臣民と共にその先頭にあり、臣民は皇帝の下、我が身を顧みず一致団結して国難に立ち向かうことが良しとされる気風があった。
「故に陛下、今一度のご再考を。今ならまだ間に合いましょう」
「無理だな」
「陛下!」
首を横に振りつつ、皇帝は告げる。
「『君臨すれども統治せず』だ。お主も知っておろう?」
『君臨すれども統治せず』
それは、この時代の各国王室のスタンダードとも言える姿勢。
中近世の絶対王政とは真逆の「国王は君主として君臨しているが、統治権は議会を通じて国民が行使する」と言う考え方を表す。秋津洲風に言えば『天皇機関説』。
フランソワ革命が示したとおり、国民に負担を強い、権力を与えないやり方は統一歴1790年代に破綻をきたした。その遠因は、中世において国王や貴族の独占物であった生産財や資本が産業革命によって市民階級…ブルジョワジーの手に渡った事にある。
彼らは領主に隷属する「領民」ではなく、自ら生産し、富を蓄え、力をつけた「市民」となっていたのである。
さらに同時期のヨーロッパ各国では、自然権や平等主義、社会契約説、人民主権論など理性による人間の解放を唱える啓蒙思想が広まっていた。責任内閣制を成立させ産業革命が起こりつつあった連合王国、自由平等を独立宣言で掲げて独立を達成した合州国は、他国に先駆けて近代国家への道を歩んでいた。プロイツフェルン王国―― 後の帝国である ――やルーシー帝国でも、絶対君主制の枠を超えるものではなかったものの、政治に啓蒙思想を実践しようとした啓蒙専制君主が現れていた。
富と力を得た市民階級は政治的発言権を求め、それを無視し続けた結果がどうなるかをフランソワ革命は示したとも言える。
欧州各国の王室の多くは絶対主義的王室から立憲民主制的王室に移行しており、帝国もまた例外ではなかった。現在の帝国の統治機構、法体系、議会制度の原形がこの時期に作られたことからも、そのことが窺える。
「今や皇帝は絶対権力者ではない。無論、時と場合によっては勅命を下すこともあるだろうが、多くの場合は『裁定者』『仲裁役』となることが多い。実際、儂もそうしてきた」
「………」
「そんな顔をするでない。実際問題、帝国は建国時とは比べ物にならぬほど大きくなった。もはや一人ですべてを差配するのは不可能だ。政治のことは議会と政府に、軍の事は軍にゆだね、皇帝の仕事はそれに判を押す事だ。違うかね?」
「…今回は軍の事に政府が口を出した格好です。それを抑えるのも皇帝の責務では?」
「なるほど、そういう考え方もあるな。…だが、これを見てもそう言い切れるかね?」
そう言って皇帝が指し示すのは、サイドテーブルに置かれた今日の新聞。
「国民の大多数が戦争を、領土と賠償金を求めておるのだ。これを無理やり抑えて、フランソワやルーシーの二の舞にするつもりかね?」
後年公開されたツェツィーリエの手記にはたった一行、この日のことが短く記されている。
『 賽は投げられた後だった 』
チャーブル首相「右手はそっと添えるだけ」
ツェツィーリエ「おいばかやめろやめてください」
ちなみに機銃掃射や転覆脱線、ジャッキアップ中の大地震による落下事故などを経ても復活し続ける異能生存体のような蒸気機関車がいるんですよ。
C57 1号機って言うんですけどね?
(なお、脱線事故の際はひっくり返ったまま現場に二か月放置されていた模様)