皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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文字数ばかりやたら増える状況を如何せん


東部電撃戦

このとき、帝国軍はその中枢から言わせると「攻め込みたくないが攻め込まざるを得ない」状況に陥っていた。

 

繰り返しになるが、この世界は世界大戦を、つまり帝国は『独ソ戦』を未経験である。

 

このころの連邦軍は開戦当初の侵攻が嘘だったかのように、()()()()()退()しており、「連邦軍を捕捉するためにはこちらから進まねばならない」状況にあった。

和平交渉をするにせよ、その主力軍撃滅は必須不可欠と考えられており、ゼートゥーアをはじめ歴史に詳しい陸軍人たちは「これではボナパルトの二の舞になる」と危惧したが、それに対する解決策を見出すことが出来ずにいた。

 

 

 

さらに陸軍中央の苦悩など露知らず、東部方面軍()()()は快進撃を続けていた。

 

 

 

遡ること1926年1月、帝国陸軍はルーシー連邦による帝国東部侵攻のあることを予期し、東部方面軍を「北方管区」「中央管区」「南方管区」の3軍管区に再編した。

これは120個師団、あるいはそれ以上とも推定された連邦軍兵力を前に、「東部軍」という1組織では処理しきれなくなると危惧されたことに端を発し、最終的には皇女摂政宮兼統合作戦本部議長ツェツィーリエ*1が断行した組織改革であった。

この急な機構改革には多少の抵抗こそあったが、出費を厭う財務関係の人間以外からはおおむね好意的に受け止められた。管区が増えると言うことはすなわち「ポスト」が増えると言うことでもあったからである。

そして仮にこの軍管区再編が無ければ、連邦軍の攻勢(津波)を前にして帝国軍は処理限界に達していたであろう。それだけの兵力であり、襲来であったのだ。

 

 

 

 

だが、1926年初夏、この軍管区は「部隊の取り合い」という問題を生じ始めていた。

 

「――各軍管区は東部軍総司令部が統括、調整することとなっていたと記憶しておりますが?」

「全く以てそのとおり。()()()()()()()()()()、な」

「…つまり?」

 

 

おそるおそる問いかけるターニャに、ゼートゥーア戦務参謀次長は苦虫を100匹ばかりかみつぶしたような表情で告げる。

 

 

「連中、戦争を競争か何かと勘違いしているらしい」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

『連邦は腐った納屋だ。蹴り飛ばせ!!』

 

 

この時期、東部軍に所属する参謀の誰かが宣った言葉である。

なにせ帝国軍の勢いはとどまることを知らず、彼我の損害比率は7:1。

独ソ戦や世界大戦を未経験の人間で、これで油断しない方がおかしいだろう。かくして各軍管区は競うように連邦領内への進撃を続ける。

 

 

 

皮肉なことにその原動力、原因もまた皇女殿下の采配にあった。

 

 

 

◇◇◇

 

遡ること統一歴1913年、帝国陸軍は…、否、全世界の陸軍にはある悩みがあった。

 

 

 

それは、『近代の戦争における死傷者の多さ』。

 

 

きっかけは、極東での秋津洲皇国とルーシー帝国の全面戦争。

久方ぶりの文明国同士―― 片方は「半」文明国と見なされていたが ――の戦争*2となったこの戦争で、各国はその死傷者の数に瞠目することとなった。

 

原因は双方が大量の「炸裂砲弾」「機関銃」を投入したことにある。

 

とある研究によれば、戦場における死傷者の8割は砲弾の直撃ないし破片によるものであるという。砲弾が歩兵に直撃する可能性の低さを考えれば、殆どは()()()()砲弾の破片によるものと見て差し支えない。

 

逆を言えば、砲弾が炸裂するようになった結果、死傷者数が5倍に跳ね上がったということである。

 

非文明国相手の戦争―― という名の虐殺 ――では実感されることのなかった*3この現実を、列強は極東の地で見せつけられることになる。

 

 

その際たるものが、『()()()()高地攻防戦』であろう。

 

 

ルーシー帝国太平洋艦隊分艦隊の母港、旅順を見下ろせるこの高地を奪取すべく、秋津洲皇国陸軍は数度の突撃を敢行。ルーシー帝国軍陣地に据えられた小口径砲、機関銃によって膨大な死傷者を出した。

とある師団など、攻撃発起時には15,000人ほどいた兵力が、僅か5日間で約3,000人にまで減少したという。あまりの被害に「死傷者の数、ゼロが一つ多いのではないか、至急確認せよ」「さにあらず、目下確認せりし数のみである」というやり取りが本国ダイ・ホンエーイとの間でなされたというが、さもありなん。

 

 

 

しかもこの高地、ルーシー帝国の予算不足で要塞化が一時断念され、その後簡易的な前進基地となり、それを補強した「程度」のものだったことが戦後明らかになる。

この事実に、各国陸軍は恐慌状態に陥る。

 

 

『簡易的な陣地でこれだ。本格的な要塞を攻略するとなれば、いったいどれほどの犠牲が出るのか…?』

 

 

仮に要塞を攻略できたとしても、代わりに自軍が壊滅しては元も子もない。

戦争継続能力はあっという間に失われ、勝ったのか負けたのかわからない結果となるだろう。…事実、秋津洲皇国は国内世論を無視して講和条約にサインせざるをえなくなった。

 

 

この事態に、あるものは浸透戦術を考案した。

 

あるものは毒ガスによる敵陣地の無力化―― 如何に強固な陣地とて、籠る兵士が毒ガスで全滅すれば陥落する ――を唱えた。

 

あるものはそれに対抗する要塞の気密化を唱えた。

 

あるものは―― 当時まだ廃止されていなかった ――列車砲の大口径化*4によって、文字通り叩き潰すことを提唱した。

 

 

 

そんな中、神聖ライヒ帝国陸軍内部ではとある冊子が注目を集めることとなる。

 

 

 

『戦車に着目せよ!』

 

 

 

それはコーデリア・アルレスハイム、ハンス・クデーリアン共著と記された、ガリ版で20ページ程度の小さな冊子であったがその与えた衝撃は計り知れないものがあった。

 

彼らは言う――

 

『敵要塞を馬鹿正直に攻略する道理は無い』

 

『むしろ積極的に迂回し、敵戦線の弱点を一気に突破するべきである』

 

『だが、それには既存の歩兵では速度が足りない』

 

『戦車と()()()()()()()()()()()()()()()、さらには()()()()の共同運用、機動的運用によって敵の弱点を一気に突破することを提唱する』

 

『これにより戦場の主導権を握り、敵の対応速度を上回る速度での機動戦を展開することで、敵方面軍を捕捉殲滅することが可能となる』

 

『この状況にあって、自ら動けぬ要塞は遊兵と化し、むしろ敵に戦力の分散を強いることとなる』

 

『そして敵方面軍が壊滅すれば、補給を失った要塞は立ち枯れるに相違ない』

 

 

 

 

『ゆえに、我々は断言する』

 

 

 

『戦車、機械化歩兵(装甲擲弾兵)、機械化砲兵、そして航空戦力の三位一体こそが、我が軍を勝利に導く戦術となるであろう。

その速度と衝撃力は、さしずめ電撃戦と称すべきものとなる』

 

 

 

 

当時としては突飛な発想であったが、帝国陸軍はこの構想を「よし」とし、その研究を進めることとなる。

何故ならば、「内線戦略」―― 各方面軍が防御戦闘で時間を稼ぎ、中央軍の来援後反撃に転じる ――を基本とする帝国において、「中央軍」をこの「機甲師団」とすることが出来たならば、より効果的な反撃、機動運用が可能になると期待されたからである。

これは同時に、開発される戦車の大きさ、特に横幅が鉄道に制約されることを意味した。

 

 

とはいえ当時は平時で軍事予算も少なく、かつ技術的課題も多かったため、帝国陸軍が『電撃戦』実施能力を獲得するのは実に10年あまり後、統一歴1925年、対共和国戦終盤に入ってからのことであった。

このとき確立された「Ⅳ号シリーズ*5」を帝国軍は―― 一部追加こそあったが ――大戦を通して使い続けることとなる。

 

 

そして統一歴1926年春の時点で、帝国陸軍はこれらの戦車及び戦闘車両を基幹とする『機甲師団』を実に17個も有しており、その全てを東部方面軍に配属していた。

 

 

さらに主力戦車たるⅢ号戦車、Ⅳ号戦車の数が足りず、かなりの部分を軽戦車38(t)やⅡ号戦車で充足していた西暦世界ドイツ国防軍に対し、この世界の帝国軍は短砲身とは言え8.8センチ砲装備のⅣ号戦車への切り替えをほぼ完了していた。

 

この短砲身8.8センチ砲(25口径88ミリ戦車砲Kwk23)には新開発の成形炸薬弾(HEAT)―― そもそも成形炸薬弾に使われているノイマン効果自体、ライヒの科学者ノイマンによって統一歴1909年に発見され、直ちに帝国陸軍が秘密特許とした新技術であった ――が用意されており、それを使えば強固なコンクリートトーチカは勿論のこと、8月に現れたルーシー連邦の新型戦車、T-3()やKV-()5、KV-()()()に対処することも十分可能だった。

 

もっとも、当たり所によっては撃破できないこともあったが、心配はいらない。

そんなときは無線機を使うだけのことである。

 

駆逐戦車(Jagdpanzer)前へ(vor)!!』

了解(Jawoh)!!』

 

Ⅳ号駆逐戦車、ナースホルン。

Ⅳ号戦車の車体上にオープントップの戦闘室を設置し、左右各7度の限定旋回で長砲身8.8センチ対戦車砲(72口径88ミリ対戦車砲Pak23)を搭載した、厳密には「対戦車自走砲」というべき車両である。

この8.8センチ対戦車砲(72口径88ミリ対戦車砲Pak23)は貫通力と精度に優れ、いかなる連邦軍戦車をも1,000メートル以遠から撃破可能だったから、その紙装甲*6が問題となる近距離戦に()()()()限り、無敵と言ってよかった。

 

加えて15.5センチ榴弾砲(28口径155ミリ榴弾砲sFH22)搭載の自走砲「フンメル」があり、さらに協商連合から購入した某国製トラックのおかげでハーフトラックの数にも余裕があると来れば、「機甲師団とは名ばかりの歩兵師団」の多かった西暦世界とは大違いといえた。

 

かくて自走砲と急降下爆撃機の援護の下、戦車部隊と装甲擲弾兵*7が敵を切り裂く『電撃戦』の幕が切って落とされることとなる。

 

しかもその装甲集団、機甲師団の指揮官の名前の中に、ロメールやクデーリアン、モンシュタインといった後世「電撃戦の申し子たち」と呼ばれる名将が揃っていたと来れば、何が起こるかは自明ですらあった。

 

 

 

『…宮中やら政界の根回しが忙しくて失念していたよ』

『どうするんだ貴様、あの連中ならどこまでも行ってしまいかねんぞ!?』

『い、いや、それはない。装備が史実より良いからその分燃費も悪い。適当なところで足踏みしてくれる…はずだ!』

『…だと良いんだがな』

 

 

 

だが、ここで思わぬ事態が発生する。

その事が判明したのは7月も半ばに入ったころ。

 

 

「…どういうことだルーデルドルフ。話が違うぞ」

「こっちがそう言いたいくらいなのだがな。…ゼートゥーア、本当に鉄道敷設は間に合ってないのか?」

「ここに来る前にも確認したとも。…間違いなく、敷設は予定より遅れている」

「…だとしたら何故だ?()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

両次長の見下ろす作戦地図。

そこには「想定兵站限界」をあっさりと越え、連邦軍主力を追いかけて突き進む帝国軍の布陣がプロットされていた。彼らの誤算、それは――

 

 

 

『連邦軍の残した物資が潤沢すぎた』

 

 

 

――戦後、当時を知る将校はそう語った。

 

『なにせ、推定200個師団が帝国領内に進撃するための物資が集積されていたのだ。その量たるや、私自身卒倒しそうだったよ…』

 

実はこれ、西暦世界の独ソ戦でも見られたことであった。

加えてドイツ側からの奇襲攻撃となった独ソ戦と異なり、この世界で先に仕掛けたのはルーシー連邦の側である。先の将校の回顧にあるとおり、攻勢発起のために大量の物資がそこには積み上げられていた。

それらは帝国空軍による補給線破壊によって前線へ届く機会を失い、ついに帝国軍の手中に落ちたのである。

 

 

 

 

さらに鹵獲した武器弾薬、補充物資を検分した将校があることに気付く

 

 

『…ん!?』

『どうされました、中尉殿?』

『…軍曹、こいつを見てくれ。こいつをどう思う?』

『ハッ…。……。申し訳ありません中尉殿、ごくありふれた普通のナットのように見え……。()()()()()()()?』

『そうだ軍曹。ごくごくありふれた、()()()()()()()()だぞ、こいつは!!』

『なんですって!!??』

 

 

 

◇◇◇

 

 

遡ること統一歴1924年の冬。

 

帝国はダキア大公国を地上から消滅せしめ、その大部分を支配下におさめたが、その過程である面倒ごとに直面した。

 

ルーシー連邦からの、旧大公国領割譲要求(分け前をもっとよこせ)である。

 

当時のルーデルドルフ中将の『頼んでもないのに援軍派遣を申し入れてきて領土をよこせと要求し、しかも切り取り次第と言ってきたくせに何を言うか!』という言葉通り、連邦は火事場泥棒よろしくダキアに侵攻し、あまつさえ分割線の再協議を要求したのである。

 

当然、帝国は拒否した。

 

だが、この時すでに帝国は協商連合、共和国を相手に地獄の消耗戦を強いられており、不可侵条約を結んでいるとはいえ、帝国の後背に位置するかの国にヘソを曲げられても厄介だった。

ゆえに、皇太女ツェツィーリエはある奇策を編み出す。

 

『領土以外で連邦を納得させよう』

『それは…?』

『工業製品の関税撤廃だよ』

『!?』

『しょ、正気ですか殿下!?』

 

商工務大臣が目を剥いたのには理由がある。

それは、連邦が一大工業国であったこと。

 

ルーシー連邦はその成立過程(革命)からして技術者の亡命が多く、技術力と言う点では帝国や欧州に遠く及ばない状況が続いていた。

だが、連邦には安い労働力が潤沢にあった。さらに広大な領土の各所から採掘される鉱物資源と言う強みを有しており、加えて計画経済、工業近代化政策(5か年計画)もあった。

 

そう、計画経済である。

国家と党の指導の下、国民と資源が一気に集中投入されることで、連邦は工業化を推し進めることに成功する。

 

しかし、繰り返すが当時の連邦には技術者が不足していた。

 

安い労働力と資源はあっても設計、マネジメントする人間がいないのだから、偉大なる党が打ち立てた輝かしい計画目標(ノルマ)を達成するのは困難を極めた。

だが、「偉大なる党」の立てた計画である以上、なにが何でも達成しなければならない。

なにしろ叱責で済めば御の字で、遅延の程度によっては「反党行為」「反革命」のレッテルを張られて最低でもシルドベリア送りになるのだから。

 

 

 

かくして、連邦各地の工場では以下のようなことが起こる。

 

 

 

『設計スキルも日時も足りない。…そうだ!既製品をコピー(外国製品をコピー)すれば万事解決じゃないか!』

『ほう、ノルマも達成できている上に―― 自国製にしては珍しく ――出来も良いじゃないか…。そうだ、これを輸出すれば良い外貨獲得になるのではないだろうか?』

 

 

いとも堂々たるソーシャルダンピングの始まりである。

 

 

当然、他の欧州諸国との関係は著しく悪化し、各国は関税によって連邦製品を締め出しにかかる。

これは帝国でも同様であり、統一歴1924年当時、連邦から帝国への工業製品輸出には最大()()()()(!)と言う高関税が課されていたのである。

 

その大幅な引き下げ、撤廃をすることで連邦側の譲歩を引き出すというのが彼女の考えであり、それによる自国産業への被害を商工務相は危惧したのである。

だが、ツェツィーリエはにやりと笑った。

 

 

『案ずるな。5年程度は全く相手にならんだろうよ』

 

 

彼女がそう確信した理由。

それは1925年に頻発した、以下のような事態を見れば分かるだろう…。

 

 

 

 

 

 

「何故だ!なぜ売れない!?」

 

 

 

 

ヨシフグラードにあるトラクター工場で、自身もまた共産党員である工場長ニコライ・コンポラチェフは叫んだ。

帝国側の関税が引き下げられたことは商機であり、なにより党のノルマ達成―― これまた帝国の関税引き下げによって上方修正されていた ――には必要不可欠であった。

 

当初、この目標達成は容易いと見られていた。

なにしろ連邦は「5か年計画」により、急速な工業化、機械化を達成していた。

加えてそもそも労働力(人の命)の安い連邦製である。400%もの法外な関税で防ぐ必要があったことからも分かるとおり、極めて廉価な商品がそこでは造り出されていた。

 

関税がほぼなくなった今、帝国市場を席巻するのは時間の問題!

 

そう思った彼らだったが、その目論見は一月も経たぬうちに瓦解する。

 

 

 

 

『安くても使えませんからねえ』

 

 

 

 

帝国での売込みに際し、連邦からのセールスマンが毎回投げつけられた言葉である。

どういう事ですか!?と食いついた担当者は、そこで敵の正体を知る。

 

 

『帝国工業規格』

 

 

統一歴1922年に制定された、世界初の国内単一規格*8がそれであった。

 

『――今じゃどこのメーカーのネジも同じ大きさ、回す向きなのさ。うちの機械製品は全部それを基準に造っているから、いまさら一点物のネジを使う?ありえないね、そんなこと』

『で、ですがわが社の製品は既製品の5分の1のコストで…』

『しつこい人だねえ。…いいかい、ネジが一種類で済むってことはね、造るにしても修理にしても便利だし、なによりたくさんの種類のネジを抱えておくのは無駄が多いんだよ』

『5分の1の低価格でも、ですか!?』

『設計から在庫計画から全部見直す手間を考えて見給えよ。…第一、君のところの製品、種類を問わずすぐに壊れるじゃないか!』

 

こうして連邦の工場は大量の在庫を抱え、さらに偉大なる党の設定した『目標(必達)』に苦労する事態に陥る。

当時の状況を分かりやすく、かつ某〇林大先生風に表現すれば、以下のとおり

 

 

 

 

 

連邦内某所。

目標に届かぬ販売状況に懊悩する工場長のもとに、一本の電話が入る

 

「やいミハイル、てめえどうしてくれる!貴様の売り込みが下手くそなせいで、目標の1割にも届いてないじゃないか!!」

 

既に極度の疲労状態にあった工場長は、電話の相手を確かめることもなく怒鳴りつけ、直後に凍り付くこととなる。

 

 

 

 

『…私だ』

 

 

 

 

「ッ!?連邦の上に輝く太陽にして、偉大なる同志書記長閣下!?」

 

『挨拶は良い。…それより、今月の目標はいつ達成できる?出来ませんでは良心がない』

 

「はっ!今週中…いえ、一両日中には必ず!」

 

『よろしい。報告を楽しみにしているよ、同志第七工場長』

「ハッ!…っ、うっ!」

 

「同志工場長!…誰か担架を!」

 

 

 

 

発破をかけられた工場長たちは、死に物狂いで解決策を探す。

実際生きるか死ぬかの瀬戸際だったから、比喩表現でないところがこの国のこの国たる所以である。

そして、彼らは実にシンプルかつ合理的な解決策を見出す。

 

 

 

『なんのことはない。帝国製品をコピーすればいいのだ』

 

 

 

統一歴1970年代の研究者が発見し、全世界を驚愕させた『帝国と連邦の戦車、その他各種兵器のリベットやネジに互換性がある』理由がこれである。

 

勿論、連邦が帝国規格をコピーするのは十二分に予想されたことであり、帝国側は4年を目途に関税を復活させる心算だったと言われる。だが、その前に連邦が参戦した結果、上述のような可笑しな事象が広範囲で発生したのである。

 

 

◇◇◇

 

 

「――結果、東部軍は修理部品の懸念なく、戦車部隊を前へ前へと進めているのです」

「…なんということだ……」

 

前線視察から戻ったレルゲン大佐の報告に、ゼートゥーア戦務参謀次長は頭を抱えた。

道理で機甲師団の進撃が止まらない訳だ、と。

 

実のところ、この時代の戦車と言うのは実によく故障する機械であった。

極端な例であるが、西暦世界の「パンター」の場合、そのトランスミッションの寿()()は150キロ程度だったという。そんな時代にあって「修理部品がタダで取り放題」というのは恐ろしい事態を引き起こす。

 

 

『修理部品は極力現地確保を旨とせよ。また重砲、弾薬は鹵獲品を先に使用し、不足した場合に限り、我が軍の制式装備を用いることとする』

 

 

冗談のようなこの命令文は、北方管区第2装甲集団を指揮していたクデーリアンより本当に出されたものであり、彼の進撃状況は隣を進んでいた―― そして途中で置いていかれた ――友軍司令官から、『奴の戦争は一本の絹糸にかかっている』と報告されるほど補給を考えていない代物となっていたのである。

そんな無茶な進撃が可能だったのは、間違いなく膨大な連邦軍の遺棄物資によるものだろう。実際、第2装甲集団は常に「一番槍」として突進を続けており、つまり連邦軍の遺棄資材をまっさきに確保できる位置にあった。

 

 

「…しかしレルゲン大佐。修理部品はともかく、重砲や弾薬はどうしているのだ?さすがにそこまで共通という訳ではあるまい?」

「ルーデルドルフ閣下、こちらの報告書をご覧ください」

「うん?」

 

 

 

「連邦軍は、重砲と弾薬をセットで大量に遺棄しているのです。今や我が軍は帝国製重砲も弾も温存したうえで、鹵獲した重砲と砲弾で戦争しております」

「…それほどの量なのか?」

「北方管区だけで砲を1万5千門近く鹵獲したとの報告があります」

「…桁が違うな、全く」

 

 

 

この場に財務省の人間がいれば、咽び泣いて喜んだであろう。

何しろ近代の兵器と言うのは恐ろしく高価である。

けれども、砲そのものから弾薬まで、現地で鹵獲して使うとなれば話は別だ。なんと言っても『無料(タダ)』である。そのうえ帝国本土からの運送料も発生しない。

 

まさに孫氏の兵法でいうところの『智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当る』であり、マニュアルが用意されてない連邦製ゆえの諸問題*9を除けば、良いことずくめといってよかった。

近代の戦争においてほぼ実現不可能となっていた―― 使っている武器の種類が違うため ――この理論を実践した帝国陸軍は、世界史上の稀有な成功例と言えるだろう。

 

さらに帝国は連邦が戦時国際法を幾つか批准していないのをいいことに、捕虜を『雇用』して占領した都市の工場を再稼働させ、修理部品の製造にあたらせるという博打に踏み切る。

これは連邦兵捕虜があまりにも多く、収容所に押し込めて食料を与えるという従来の方法では、帝国の財政が破綻すると見られたからである。

なお、この中に政治将校は含まれていない(政治将校は捕虜にならない)

これ以降、連邦兵捕虜の待遇は農場送りや工場送りが常態化し、さらにその賃金を「軍票」で支払うことで、帝国は捕虜を養う経費の削減に成功する。

ただ、戦後紙屑となったそれらをめぐって問題が噴出することになったのだが、それはまだ当分先のことである。

 

 

 

かくして、統一歴1926年の夏季攻勢は帝国陸軍参謀本部、統合作戦本部の予想をはるかに超える連邦領大規模侵攻作戦となったのである。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「――そういう訳で大佐。貴官に預けられるような魔導中隊は帝都には…。待てよ…いや、しかし、あれは…」

「…閣下?」

「…貴官の存念は十分に理解した。参謀本部で検討することを約束しよう」

「ハッ!ありがとうございます」

「ウム、下がってよし」

「ハッ!失礼いたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、いうことがありまして」

「――それならば、やはり彼女しかいまい」

「――ええ、例のこともありますし」

「――よろしい。それで行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

 

 

「申告します!ヨハンナ・ルーデル大尉以下12名、現刻を以て第203航空魔導大隊に着任いたします!」

 

 

時に、統一歴1926年8月10日。

事態は、大きく動き始めようとしていた……。

 

 

 

 

*1
皇女という肩書のみでは色々と制約があったためか、この時期彼女の肩書はどんどん長くなる傾向にあった

*2
植民地獲得の時代にあっては、欧州各国ともに「簡単には勝てない」隣国、文明国との戦争は回避し、「簡単に勝てて植民地化できる」非文明国への侵略を優先したため。これを『欧州域内の平和』という

*3
白色人主義の考えで言えば、「相手の被害など、動物の数を数えるのとおなじ」であるから、圧倒的に少ない自国の負傷者しか数えていなかった

*4
出された意見の中には、空前絶後の『80cm列車砲』なんてものもあった

*5
Ⅳ号戦車、Ⅳ号駆逐戦車、Ⅳ号自走砲の3点セット

*6
戦闘室の装甲は厚さが10ミリしかなく、弾片防御すら怪しいほどだった

*7
機械化歩兵を指す言葉として、統一歴1923年ごろ帝国陸軍で制定された。一説には皇太女ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンの発案と言うが、詳細は不明

*8
兵器関連については1920年ころには達成されていた

*9
壊れやすい、暴発しやすい、時々妙なところで固まってハンマーを必要とする




◇◇◇

豆情報
本作のⅣ号戦車は、どちらかといえば史実のⅢ/Ⅳ号共通車台、つまり傾斜装甲を取り入れたデザインとなっております(その分、装甲厚は最大で50ミリ程度)

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